刳京♀、浮時♀(ただし最後は浮京♀予定) 薄らと差し込んだ陽射しに目蓋を擡げる。見えた土壁の具合に慣れはなく一瞬戸惑うが同じく見えた背中に合点がゆき、特有の気怠さなどものともせずひと息に身を起こした。
「あら。おはよう」
「おはようさん。昨日は助かった」
「そりゃ良かった」
京楽はもう起きてからしばらくしているようで化粧が直っていた。まめな奴と嘆息しないでもないがそんな無益な真似をする趣味もなく、そのままのそのそと壁に寄る。
彼の礼服が掛けてある。刳屋敷が着たが、彼のものではなかった。京楽が用意していたものだ。刳屋敷は昨日に彼女が畳紙から出してくれるまで存在も知らなかった。採寸された憶えもない。
「目算で作ったから肩周りが少し厳しかったよね。まだ増える予定かな」
「お前らと違ってこちとら力勝負も多いからな。あるに越した事はないだろ」
「ボクを非力みたいに。そんなこと言うのは君だけだよ」
青龍偃月刀の双剣遣いが寝惚けた台詞を吐かしている間に刳屋敷はもう一度その紋服を手に取った。家紋を持たない彼の為に斬魄刀の鍔を編み込んだ紋がついている。勝手に作ったと断られたのは昨日のことだ。
──就任前に作ったから。
はにかむように薄く唇を噛みつつ教えてくれた顔、半日前のそれを思い出すことはできない。そんなものは目に入っていなかった。
「洗いに出す序でに少し直してもらおうか。昨日は急場凌ぎにしか直せなかったから」
「……増やすたぁ言ってないだろ。要らねえ」
「そう? でもどうせ袖口は直すんだし、少し余裕が欲しくないかい?」
「あのな。これ着て暴れろってか」
「大丈夫ならいいんだけど。……」
刳屋敷の手からするりと布を抜くと京楽は礼服を畳み直し始めてしまうので、刳屋敷は慌ててそれを取り返そうとする。
「そこまでしてもらう必要はないぞ」
「なに言ってるのさ。ちゃんとした悉皆屋に出さないとこういう服はやってもらえないよ。それとも御用達があるかな?」
伸ばした手をすごすごと引き下げる。席官になってから死覇装は丁寧に扱うよう努めていたし副官証や隊長羽織も平時はそうしていたが所詮は仕事道具、専門の業者のところへ出すのが関の山で、見るからに高価な礼服の始末など想像できなかった。
「ただでさえ複雑な紋にしてしまったからね。これが潰れちゃ勿体ない」
京楽は好き勝手に畳み直した三つ紋を包み直して、そこからまた袴と一緒に反故紙で包み直す。服の始末は着道楽へ任せれば間違いないのは確かであるが、刳屋敷としては少々尻の座りが悪い。まるで子どもの扱いだった。世話焼きなおんなだと分かっていてもなお、という話である。
仕方なしに座り直すと、少々の嫌味を込めて呟く。
「……よくやる」
「好きでやってるんだから。君にやれとは言わないよ」
「俺に呉れた服じゃねえのかよ」
背中越しに抑えた笑い声が返ってくるところは腹立たしい。それこそ子どものふてくされ方と分かっていながら、つい、口を突いて出る。
「浮竹相手じゃあるまいし」
笑い声が止んだ。おやと身を乗り出して窺えば白い目が見返している。さすがにたじろいで、それから、なんだと言い訳がましく問いかけてみる。
「あいつにもやってるんだろ」
「……。なんで──そう?」
「なんでって」
思い出したのは昨日の光景だ。畳紙を出してきた時の箪笥の中には同じような包みがもう一段、別にあった。隣の五つ紋とは別に、である。
陰口に下半身の話題の多いおんなであるが毎度ここまで尽くして回る奴ではないと認識していた。いかな遊び人とて官位が上がれば仕事もあるし、そもそも巷間で言われているほど酷い遊び方をしているおんなでもない。己の占有を叫ぶつもりはないし、況してや昔馴染みの存在に腹を立てる気もない。同じように世話をしていようとは知れた。だから、浮竹の紋服でも用意してあるのかと考えたのだ。
そこまで考えて刳屋敷はその前提の含む誤りに気づく、浮竹ならば下級とはいえ貴族の家の長子なのだから紋服のひとつや二つは持っていても可笑しくない。いや持っているはずだと思い直して、執りなすように両の手のひらを見せた。
「……持ってるよな」
京楽の目つきから険の強さがとれたと安心したのも束の間、みるみるうちに不快感を露わにされてはまたたじろぐしかない。自分の機嫌は自分でとれる、見せられるものとそうでないものを理解している彼女らしからぬ顔だ。見せてもらえて役得というふうでもなく焦るばかりの刳屋敷は次の言葉を探すが上手くいかない。そもそもどうして京楽がこうなってしまったのか刳屋敷には分からなかった。
それを汲み取ってか、表情を落としたままなれど京楽はふと張り詰めていた気配を解いて、そのまままた箪笥へ手を掛けた。昨日のうちにそこに彼女の着物が入っていないとは聞いてあった。刳屋敷とは別の段から、昨日と同じように京楽は静かに畳紙の包みを取り出して、見せてくれる。
広げてもらえばやはり同じく男ものの礼服がお目見えした。角帯と袴の下から羽織が出てきて、その背中、その両袖の後ろ、その両の胸元と定められた場所には五つ竹の輪違いが水に浮いてある。あの男の持ち物には見た憶えがない模様だった。
「たぶん持ってないんじゃないかな。昔から、制服が着たきり雀の一張羅だったもの」
見た事はないと嘯きつつ京楽はその背を撫でる。仕付け糸の残るそれは袖に腕を通されたことがないとひと目で知れる。
「昔にも仕立ててたんだけど。ほら浮竹ってば、卒業してから背が伸びたでしょう。たぶんもう小さくなったなあって、仕立て直したんだ。それこそ悉皆屋泣かせの紋にしてしまったからご主人から泣きつかれたよ」
「……着せなかったのかよ」
「着せなかったし、着せてないよ。あのね」
畳紙が再び黒紋付を覆うと京楽はそれを確かめるように撫でる。
「昔。本当に昔だよ、まだボクらが入学する前の、山じいの元字塾が最後の生徒を見送ってた頃さ。手習いもまだの子どもなボクらが集められてね、大きくなったら結婚して山じいと一緒に護廷隊士として働きましょう子を産んで三代四代と勤め奉りましょうって話があったんだ」
「……貴族らしい話じゃねえか」
「そうだね。余裕のある家庭によくある許嫁の話だ。その頃の京楽家には跡取り息子がいてね、長女とはいえ武芸に長けた娘なら武門に嫁がせた方がいいだろうって考えがあったんだ。浮竹の家の方は知らないけれど、山じいのとそろに出入りするぐらいだから悪い話じゃなかったんだろうね」
当のボクらは全く知らなかったけれどと歌うように補足して、そのまま京楽は目を伏せる。
「でもやっぱり家はボクに継がせようって話になってね。ちょうど入学した頃だよ。だから縁談も、まだ口約束だったし、無かったことになってね。それでてっきりボクらは、友達付き合いもしちゃいけないんじゃないかって思い込んで。ホラ学校だとどうにも男女の別があったじゃない。他にもいろいろあって、だいぶ薄い学友付き合いになってしまった」
答になっていないと、刳屋敷は黙って彼女を見ていた。京楽もしばらくは誤魔化すように包みを見ていたが、やがて仰々しいため息を吐くと、にっこりと笑って顔を上げた。
「あんなに遊んだ仲だもの、気にはなるでしょう。浮竹だって気の回らないところはあるけど優秀だから、表立って手を貸すのは具合の悪い時ぐらいだったけど。でもせっかくボクの家柄で手を貸せるような事があるなら、その時は、幼馴染でしょうってこれぐらい渡せるようにしておきたかったのよ」
それで終いだと言わんばかりに京楽は包みを箪笥に戻すと抽斗を閉めてしまって、さてと立ち上がる。
「ご飯、もう少しだから。顔でも洗ってきてよ。このボクがご飯を注いであげるのなんて貴重だよ、ひと様に知れたら君はしばらく牢屋に入れられてしまうかもしれない」
「……酔って飯屋に迷惑かけたでもないのにそんな真似できるかよ」
ガリガリと頭を掻き欠伸の真似でもしてやれば京楽は楽しそうに微笑んで、わざわざ刳屋敷の胸許へ頬を寄せてから襖の向こうに消える。抱き止めなかったのは敢えてであったが、それでも刳屋敷は失せた気配に釈然としないままもう一度箪笥を見た。
思い出すのは刳屋敷の隊長羽織を血で染めた男だ。わざとではなく、むしろ刳屋敷の方から濡れに行った。病人である彼にはよくあることだと知っていたし、そうでなくとも見捨てるのは道義に反した。悔いはないし制服ならば虚の返り血と同じように落としに出せば良い。だが呼ばれていた婚儀に着ていく服がなくなったのは困りものだった。洗い替えを用意しておくことの意義を遠くで考えつつ、浮竹の五つ紋のある抽斗の持ち手に手を掛ける。三つ紋と思しき幅の布包みもあった。刳屋敷が昨日借りたのもそれだ。そして今日の彼には五つ紋の用途が識ってあった。
刳屋敷に将来を約束したおんななどいない。一番近いのは京楽だろうが彼女は先々の約束などしてくれない。それでも昨日に着付けてくれようとした時には陶然とした表情を浮かべていた。……着道楽にはままあることなのかもしれないが。同じ表情をあの男にもする彼女のことを考えてみた。
幼馴染だと聞いていた。許嫁になるはずだったとは今日初めて聞いた。競い合い高め合う学友にしてはよそよそしいところと慣れ親しんだところが不合理に混ざった仲と見ていた。同じ責務を果たす同僚として何くれとなく世話を焼いているのも、何だかんだそれを受け入れているのも知っている。
からりと笑う顔を思い出す。蒼い顔で血を吐く様も赭い目で虚を屠る様もよく知っている。輝かしい微笑みがどれほど人気かも知っているし、それが等しく、たとえ京楽が相手であっても等しく振り撒かれることも知っている。
妬くような仲ではないのだろうが──刳屋敷は顎に手を当てて、呟く。
「腹立たしいよなあ」
=
喘鳴がしようと綱彌代は動かない。水を渡すことも背を摩ることもない。浮竹もそれを喜んで、独りで常備の薬を吸い始めていた。小さな発作ならそれで済むと知っていた。それを綱彌代は知らなかったが、構わず、寝台を出ると一枚羽織るだけで鏡面台に座って髪を結い始めることにした。
編み込んだ部分がほとんどほつれてしまっていると識り、諦めて髪留めを取ると根元から櫛を通す。さほど荒れている訳ではないので難もない。長さで束を分けると編み直していく。慣れた作業であったし、鏡で三方から確かめたところで不備不審もなかった。それでも抽斗を開ける前に寝台へ目をやる。
いつの間には室内から咳き込む音は消えていて、吸引用の器具を置いた浮竹がぼんやりと横臥していた。冷や汗に塗れた顔の色薄い口許に微かな鮮血が滲んでいるのを近寄った綱彌代は確かめた。それを拭いとるでも指差すでもなく彼女は眉を顰める。
「拭いておいてもらいたいね。それとももう手遅れかな」
力なく寄越された視線は虚気で、焦点の合うことはなかった。それでも彼は、何度か唇をわななかせはしたものの、掠れた声で返す。
「済まない。……落としてないと思う」
「確かめておいてほしいね。ただの日用品だけど、身分相応のものを使っているから」
返事を待つことなく綱彌代は鏡面台に戻る。汗の残滓が厭わしく、軽く拭き清めていく。熱湯を浴びたいとも考えたが今朝にその余裕がないことは分かっていた。拭布も熱しておきたかったが、これぐらいなら用意させることもできる立場であったが、それよりひと目に晒すことの方が耐え難かった。仮にも亡夫のある身、況してや彼と同じく同窓生の男を出入りさせているとは知られたくない。
もう一度視線を外す。寝台ではなくその奥にある窓を見た。浮竹が発作を起こすような、明け方の、寒暖差が生まれるような時間帯だと見てとれた。
「そろそろ起きたらどうかしら。それとも護廷十三隊の隊長ともなれば愛人の家から重役出勤しても問題がないのかな」
もう応える気力がないのか彼は力なく笑うにとどまった。苦笑に似た表情は弱々しかったが、その頭の乗った身体は緩やかに、それでいて確りと垂直に起こされる。
「起きるさ」
ひと拍置いて彼の長髪が身体の動きに追いついた。勢い余って前に出た髪のひと束を耳後ろへ掛けると浮竹はゆっくりと足を下ろす。
「ただでさえ休みがちなんだ。これで遅刻までしたら示しがつかない」
「外泊に寛容とは風紀紊乱だこと。なにを護っているのやら」
こちらにはもう苦笑もせず浮竹は立ち上がる。上背のある男だと、鏡向こうに見える部位だけ確かめて綱彌代は顔を顰めた。嵩張るとしか思えない。これをわざわざ手折る趣味はあるが手間を考えると長続きもしなかろう。何より浮竹に隠す気配がない。露呈されてしまわなくては意味がないというのにそれではいただけない。そちらへ注力しても構わないが本家や上の分家の厭わしさを考えると時期尚早、いまは大人しく無意味な不倫擬きが精々である。
「なにも外泊が珍しくない訳じゃないさ。隊長には隊首私室が与えられるしな。とはいえ俺ほど改造している隊もないから、所帯持ちでもなけれればそこそこ遊ぶさ。夜通しで風呂に入って飲み食いして朝帰りする隊長もいたそうな」
「自分は清廉潔白だとでも言いたげだな」
「何を言ってもお前は嫌味に思うだろうな」
今度は明確に、謂わゆる可愛がるニュアンスを含めた笑う息が聞こえる。ギロリと鏡越しに目を向ければその反射光の向こうから静かな目が迎えてきた。彼は死覇装を肩に乗せる寸前で止めていて、そのまま肩を竦める。
「お前ほど貞操観念の硬い奴は稀だからな。たまに夢を見られるが、派手な仕事の後に消える奴なぞ追う方が野暮さ」
綱彌代の口が明確に嫌味を言い放つより前に浮竹は羽織を肩に乗せて、前身頃を整えて袴の世話に移ってしまう。ひとの話を聞かないことを手段として選べる男だとは知りつつ綱彌代には腹立たしくてならない。少し圧力を掛ければ大人しいところ如何してかこう反抗めいた真似をしてくる。世間知らずの小娘のような扱いを許せるほど粗野な血は引いてないとばかりに目を吊り上げて綱彌代は振り向く。
「それならば京楽の行く先もお前に尋ねる甲斐はなさそうだな」
行燈袴を整えていた浮竹は、手をそのままに、首だけで綱彌代を向いた。その動きだけでは溜飲の下ることはなく、彼女はとうとう鏡面台から立ち上がると彼の前まで詰め寄る。
「まあ知っているが。図書館とはあの女も年貢の納め時か、いや何処ぞの役者にでも入れ揚げる前兆か。いずれ新しい隊士を入れたばかりのところへよく通うものだな」
綱彌代の伝手を使えばそんなものは容易に知れた。むしろ昨夜の、まだ浮竹の来ないうちに押さえてある。これでも仕事は割り合い真面目にこなしているのが綱彌代というおんなだった。
それを知らないだろう浮竹はしばらく綱彌代を睨みつけていた。それでも何某か反論することもなく袴を整えに戻る。それを綱彌代が眺めているのを知りつつ彼は隊長羽織を手に取った。
「勉強熱心でいいじゃないか。確かにいっ時は如何わしい本ばかり仕入れていた節もあるが、歴とした護廷第八番隊図書館だ、その蔵書に明るいに越したことはないだろ。あいつは舞台も歌詠みも好きだからあれで読み物は好きな奴だよ」
「そうか。それなら護廷神話のひとつや二つも学んでほしいところだこと」
浮竹は今度こそ隊長羽織を放ってしまって綱彌代を向く。濃い緑が眇めるために細められるのを綱彌代は同じ三日月の目で応える。
「何の話だ」
「何を言うものか。護廷の隊長たるもの、自分が何を護っているのか理解していてほしいじゃないか」
「──瀞霊廷のためだ」
浮竹に逃げ道を許してやるほど綱彌代に甘やかす気はなかった。
「それが何なのかあの女は知らないだろうな。お前は知らされたというのに。哀れな話じゃないか、うん?」
「何が言いたい」
理解が及ばないと描かれた顔へ己の顔を寄せると、背伸びする厭わしさに顔を顰めて、代わりに彼の腕を無理やり下へ引く。暢気に苦情を申し立てようとする彼の口を塞ぐよう綱彌代は低く言い放つ。
「瀞霊廷が霊王に何を強いているか、霊王を隷属させるために何が使われたのか、その神器がいま何処にあるのか。あれはどこまで知っていると思う、或いは何を知らぬふりをしていると思う?」
「──知るはずもない」
「だがお前は知っている」
だから何だと浮竹は綱彌代の手を振り払った。加減が上手く為されず、綱彌代の体軸が揺らぐ。意思に反した屈辱的な動きであったが彼女のその様を見た彼こそが傷ついたような顔を見せた。
双方が必要以上に傷ついて、この男の傷を愉しむ趣味を以てしても今日にこれ以上の楽しみを獲るつもりはなかった。綱彌代はそのまま鏡面台へ戻ってしまう。
「ま、山本老がのさばっているうちはこの仮初の安寧も続くのだろうよ。あの老人も哀れなことだ。どれほどの強さがあろうと独りでは弱者の群れで生きることも許されず監視と制約の下で暮らさざるを得ないのだから。霊王殺しに今もなお貢献してくれるとは勤勉な老人じゃないか。幼い子どもの将来のひとつや二つ、彼には重みもないのだろうよ」
浮竹が何も言えないことを鏡越しに確かめる手間さえ省いて綱彌代は抽斗に手を掛けた。ひとに自分の顔を任せる気はさらさらない。自分の手でやりたい事を為すよう動くうちにふと視界に影が差す。嵩張る男は邪魔だと振り向きさえしない。
「まだ居たの。本当に日が昇る頃だと思ったけれど」
浮竹は口を開かなかった。そんな彼の手が己の髪に伸びるので綱彌代は拒絶の意を口に乗せる。それでようやく彼は音を出した。
「……寂しいじゃないか」
「貧民が勝手に触るな。ご自慢の自分の髪でも編んでろ」
それでも宙に浮いたままの手を今度こそ物理的に振り払う。浮竹は言葉の通り寂しそうに眉を下げるだけだった。
感傷に付き合う気は毛頭なかった。綱彌代は眉墨を置くと音の形を殊更際立てるようにして彼の名前を呼ぶ。
「いつまで居るつもりかな、浮竹。いい加減出て行ってほしいね。いつまでも学生気分の夜遊びをされてはいち住民としても不安を惹起されるよ」
渋々と言ったふうに浮竹は羽織を再び手にした。それでいて未練がましく、着る前に綱彌代を呼ぶ。
「次はいつならいい。俺は来月だと末が忙しくなる。二十日より前なら自由が利く」
綱彌代は眉墨を塗る手も止めずに応える。
「そうか。私には暇がない。調べ物をしてそろそろ行動に移す頃だから」
「……手伝えることはあるかな」
「ない」
にべにもない、あくまで主導権を譲らない言い草を浮竹が咎めることはない。代わりに彼は、眉を下げると、そうかと小さく答えた。
「暇になったら呼んでくれ。自由が利けばになってしまうが必ず来るから」
「そんな甲斐性のない約束ならしない方がマシというものだよ。……」
散々冷遇しておきながらいい加減健気さを吸い取るにも飽きて、綱彌代は少し考える。これ以上の時間をかけず、自発的に、浮竹を追い出したかった。そのために必要な要素は最初から知れているので、素直にそれを口にすればよいが本来ならば思い出すだけで腹立たしいおんななので、二度目ということで僅かばかり逡巡してみせて、それでも結論は変わらなかったので行動に移す。
「京楽に貞操を約束させるようなものだね」
咄嗟に霊圧が迸るよう出てくるのを覚えると彼の口を塞ぐようにして二の句を継ぐ。
「いやあのおんなも刳屋敷が死んでからは割り合い大人しかったか。悪い引き合いに出したな」
彼を見下げてやれば飛び出しところを見失った浮竹が歯軋りの聞こえるような形相で自分を見ているところだった。情けない男だと心底からの嘲りとともに綱彌代はにっこりと目を細めて首ごと向けてやる。
「次を楽しみにしているよ、浮竹。それまではせいぜい瀞霊廷のために霊王を痛めつけて生きていておくれ」
足音荒く浮竹が出ていくのを見送ると綱彌代はため息を吐いた。朝から疲れたというのが率直な感想だった。引き摺り込んだのは己だが忌々しいことに手に余る男である。静止の右腕には情操教育も無駄らしい、果たしてどんな心境でこんな真似をしつつ日々過ごしているのか毫ほども理解できない。
「薄気味悪い男め」
吐き捨てると、やがて来る千年目の災禍に乗じるため綱彌代は調べ物に出向く為の用意を始めることにした。