ぬくぬくと 共寝の目的はひとつでない仲だ。目が醒めたときまだ障子の向こうには雨戸が閉められたままで灯り取りの窓からも暗闇しか窺えなかったが、自分の髪も寝巻きも割合い綺麗なまま少し寝崩した程度、何より隣で眠る男の髪も寝巻きも綺麗なままだった。眠りの浅い男が、とは考えるもののただ身を起こした程度なので仕方ない。況してや布団を分けて眠っていた。
尿意か来客の気配でもと探ったが用を足せる気もなければ抑えられた霊圧もない、後者なら隣の男も起きていたはずで、万全とは言い難いが寝る前より呼吸器に違和があるわけでもない、微熱が出たようでもない、単純に目が醒めてしまっただけらしかった。吸飲みに手を伸ばしてみる。器物は霊圧を出さないので不便だった。慣れた作業と考えていたが思っていたほど上手くいかず、こうも不如意となる理由はとうつらうつら考えだして、すぐに嗚呼と隣にいる男を思い出した。一枚だけなのか二枚だけなのか、布団の数が変わっていた。それだけで場所も変わるとということを失念していたらしい。我が事ながら呆れるほかなく手探りで水を飲んだ。
液体が重力に従うのを覚えながら横になる気は起きなかった。隣で眠っていた男を見下す。寝ているところはしばしば見るが近づけばたいてい笠を持ち上げてくれる、しかし今はその笠すらなく、寝顔がよく見えた。つい指先でなぞってみるが額は静かで、ただ腹式呼吸に合わせて僅かに上下する、なんてことはない平凡な寝姿である。考え事をしているでもなく、聞き耳を立てているでもなく、休んでいるだけ。穏やかな安息が彼にあることを喜んだ。
浮竹が知る限りこの男、京楽という男は苦労の多い者だった。幼くして頭角を表せば当主争いに巻き込まれて、ようやく外に目標を見つければ兄が亡くなり父だの義姉だのに引き込まれかけ、逃げ出した先の護廷隊においてもその実力と家名から遠謀深慮する必要に追われている。それを傾奇者の笠で隠して、いや彼自身の性質にその色があることは事実なのだがそれを強く望むようにして、飄々として見せて過ごしていた。少なくとも浮竹はそう信じている、そうでなければ辻褄の合わない悶着諍いは隊こそ違えど聞こえてきた。とはいえ学院時代のように問い詰めればはぐらかされるだろう、彼はそうしていないように見られることを望んでいた。苦労に見合わぬ評価しか下されないのを憤ったのは浮竹だけで、彼はそう眉を吊り上げる浮竹を見ながら笑うのだ。正当な評価を受けられない現状に甘んじる、その意味が分からず呆然と立ち尽くした昔日は未だ鮮明に思い起こすことができる。
そしてその衝撃を憶えているからこそ、彼が自らの力及ばずと歯噛みする様は他人ながら見ていて苦しかった。ただ傍に変わらず居てやることしかできず、それすら自己満足に過ぎない、しかし手を差し伸べればそれだけで彼の矜持を傷つけるだろうとは容易に推測できた。せめてと気が緩んでるところにその美点を褒めたところで彼は、買い被りだだとか過ぎた評価だとか言って笠に隠れてしまう。そういう、優しい男だった。
その笠を剥いだのは自分だと浮竹は未だに確りと憶えている。だからこそ同じ寝室で眠ることがあった。やはり優しい男だ。それでいて自分の方が寝付くことが多いうえ寝入りがよく、朝ぐらいにしかその安らかな寝顔は拝めない。深夜に発作もなく目が醒めたのは僥倖だった。
「……浮竹?」
眼許を触っていた所為か京楽が瞼を擡げた。悪いことをしたと思いつつもその手を離さないで浮竹は、よう、と小さく笑いかける。
「起こしたな。まだ夜だ、寝てろよ」
それで眠ってくれないのが京楽という男である。彼は浮竹の手を掴むと身を起こしてしまった。
「胸は」
「なんともないさ。昼に寝過ぎただけだ」
「そうなの」
布団へ押し戻そうとすれば笑って指を割り入れてくる。押し黙るしかなくなった浮竹の胸許に京楽は耳を寄せる。漣の音が聞こえるのはいつも通りなので、ほかに不審もないだろうと聴かせてやる。京楽は視線だけで見上げてきた。
「喉乾いたかな」
「あるぞ。飲むか?」
「ひと口」
腕だけで吸飲みを引き寄せるのは幾らかの無理を要したが引き剥がす気になれなかったので無理を通す。水筒の減り具合へ即座に目を滑らせる様は苦笑して見守るしかなかった。
「何でもないって。ただお前が寝てるのを見られるのは珍しいだろ、それだけだ」
「お昼寝してると叱ってくるのは君じゃない」
「仕事中だから小言ぐらい云うが、許しているだろ。それだって昼間だけだからな」
嗚呼と、納得したような呟きが漏れ聞こえてくる。
「……ま、何もないのが一番だからね」
「言ってるだろ、何でもないって」
「吃驚するぐらい許してよ。何でもないなら、さ、もうひと眠りしようじゃないの」
傍の布団を手で叩いて見せてくれる。しかし浮竹は、もう一度眠れるか自信がなかった。起きてしまった理由もわからない。
動こうとしない浮竹を見守っていた京楽だがやがて、仕方ないと言わんばかりに肩を竦める。
「軟膏でも塗ってあげようか。酔いも冷めて二度寝には寝苦しいでしょう」
「そんなことはないと思うが……」
「はい、はい。そら、かい巻きだけ羽織ってしまいなよ。風邪を引いちゃう」
「引くかよ……」
京楽は早々に布団を脱して勝手知ったる浮竹の部屋を漁りだす。その背中は早々に振り返ってしまうので、顔が見えた。その目の色には浮竹を寝かせつけようという意思が強く見えて、何もこんな理不尽に起こされておいてここまでする必要などなかろうのに、仕方なしに折れると胸許を寛げた。慣れた手付きで京楽の、軟膏を掬った指が喉から胸へと行き来する。軟膏容れは冷えていたはずだろうのにその指は温かかった。気の細かい男だと呆れる気も起きず、だがその手を跳ね退ける勇気もなかった。
京楽の手は終いに浮竹の喉仏を擽ると、咄嗟に首を竦めた浮竹を宥めるように甲で頬を撫でて、そして彼自身の許へと帰ってしまった。礼を言うのも癪だが声にして抗議するほどでもない気がして、ただ睨みつつ寝巻きの袂を直す。室温は先ほどまでと変わらないはずなのに冷たかった。
「そんな熱心に見つめられてしまったらこっちもその気になるよ」
「火を付けたのはお前だ」
「だめ、もうこんな時間だもの。そうでなくてもここのところコンを詰めてたじゃない。寝ておきなさい」
「無責任な話だな」
「ボクらしいお話じゃないの」
彼の肩を掴み寄せるが京楽は、何が面白いのか、笑って浮竹の顎を引き寄せる。
「それとも、手を繋いで同じ布団で寝てあげようか」
浮竹が咄嗟に返事を寄越せないのを良いことに京楽は布団に押し倒してしまって、抗議の声がとうとう上がる頃には掛け布団を引き上げてしまう。手の早い男だと睨みあげれば仕事のデキる男でしょうと返ってくる。バカバカしい話だった。
「さ、お眠りなさい。明日も、もう今日か、君はみんなの人気者なのだから元気なフリだけでも見せてやらなくちゃあいけない」
「フリもなにも、元気だって。というかどんな理由だ」
「さあ、さあ。目を閉じて、黙って深呼吸する。体力は大事だよ」
頑固者めと言ってやったところで効果がないのは知っている。代わりに、詐欺だと呟いてやる。
「何がさね」
「話が違う」
京楽は目を丸くして、二度三度と瞬きをしてみせる。それから、それもそうかと笑って、浮竹の掛け布団の隙間に手を入れた。
「でもボクら、二人とも大きいから。今夜はこれで勘弁しておくれよ」
「……次があるのか」
「ボクの家なら特注寸があります」
「……持ち込みゃ良かった」
「持ち込むのはボクでしょ、君は望むだけ。それでも今は、ほら、ボクが望むんだから君も叶えてよ」
そう言われてすげなくしてやれる浮竹ではなかった。京楽が小声で、お休みと言ってくれる。已むを得ず目を閉じると、代わりに彼を引き寄せて挨拶を返して、眠った。
残るは未だ瞼を降ろしていなかった京楽である。
「……これで暢気に眠れるんだから、もう。何がなんでも守ってあげたくなっちゃうじゃないか」
ひとの好い男だと知っている、それでいて己が使命と矜持がある為に身動きを取れず苦しむ結末を選ぶほかないことの多い難儀な男だとも知っていた。そんな彼がただ、ふと眠りたくなくなってしまった時に選ばれるのが自分だというならばこれに応えてやらないほど情の薄い仲でない。ただ寒いのはいただけない、かい巻き布団を引き寄せると京楽はようやく目を閉じた。