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    keskikiki

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    keskikiki

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    新刊のボツが過去最長だったからみんなにも見せてあげるね これは浮京だったからではなく冬だったからです

    #浮京

    ボツまとめ離れる/思う
     自分たちが生まれる少し前まで東梢局はこの島国ではなく大陸を主眼に据えていたとは何度聞いても信じ難くて京楽少年と浮竹少年は山本の屋敷に宿泊が許されると決まってその頃の話をせがんだ。爆竹の音が減っただのひとの話す音が静かになっただの食べるものがめっきり変わっただの聞いても肌で理解することの叶わない話ばかりで、それでも懐古するような口ぶりが厳格な山本から出てくるのが面白くて、雀部の口からも乱世の残り香の巻き上げるような記憶を引き出そうとしてはきゃあきゃあと寝る前というのにはしゃいだものだった。言い条その頃に憧れなどなくて、ただ日頃から昔話や手柄自慢のひとつも聞かせてくれない彼らから自分たちの生まれ落ちるより前の話を聞くのが楽しかっただけである。そうやって京楽は、いまの平穏と平安を確かめて、祈る。この日々がずっと続きますようにとの願いは叶うことがない。


     京楽家の長男が──との話は療養中の浮竹の耳にも入ってきた。目を閉じることはできても耳を塞ぐことは両手を使い続けなくては難しい。困ったものだと寝返りを打とうとして、その音を聞きつけられてはと考え直してじっと同じ向きを保つ。襖向こうには護廷十三隊が一番隊の若手隊士が四番隊の中堅隊士と話しているようで、どちらも浮竹の様子をみるのが仕事のひとつとして与えられているだろうのに、それもそこそこに立ち話と決めているようだった。構いやしないが、やはり困りものだ。
     春水の兄だとは知っていた。知っているもなにも山本の屋敷で京楽を連れてきたのは兄だった。そうでなくても山本道場でよく顔を合わせるので、初めは彼が誰の兄かなどとも知らず、山本が教えているうちの腕利きのひとりといった程度、何度か会ううちに覚えた為人の輪郭と合わせて彼の出自を聞いてなるほどと納得した次第だった。京楽に引き合わせられなかったら今でもその程度だったろう。
     彼は兄で京楽は弟だ。だから京楽が稽古から遁走しても話す機会がひとより多かった。その話についても彼当人から聞いたのが端緒である。ゆえに浮竹には、何の縁もゆかりもない者たちが彼にまつわるその話をすることは莫迦な真似だと信じて疑っていなかった。なにせ、何を疑おう、あの京楽家の嫡男なのだ。京楽との遣取りを知らぬのか、あの正しき男を知らぬのか、彼が何を間違おうと信じるのか──伊勢の斎宮を娶ってどうなるかなど覚悟していないとでも思ってか。だからこそ唆したのだ、女が信じられぬのなら女慣れした京楽に会わせてみよと。
     後悔を重ねても今更で、ようやく襖を開けた四番隊隊士の問診を受けつつ浮竹はぼんやりと考える。彼らは浮竹の、京楽との親交を踏まえてその話を滅多にしてこない。時折の無礼者しか水を向けてこないうえ、そういった連中はそもそも浮竹の係り合いなど知らないので詮索もしてこない。都合、独りで抱え込むことになる。それは体調によく出た。
    「季節かな」
    「……俺が弱いだけだろ」
    「またそうやって。言い訳なんて幾らでも見つかるんだから、甘えておきなよ」
     ひさしぶりに京楽が訪れても後ろめたさから目を合わせられない。せっかく来てくれた相手にと思わないでもないが

    炎の揺籠 水面の繭

     馬鹿なひとだと一度だけ哀れんだ事が雀部にはあった。咄嗟に抑えた手は斬魄刀の柄ではなく己の首に向かっていた。なるほど自分も同じくだと腑に落ち、それから構うまいと開き直るまでには瞬きのふたつもかからなかった。罪ある男だろうと共に咎を背負えば問題などないのだ。
     その、決意と自覚されることすらなかった決意は終ぞ彼が最期の時まで揺らぐ事がなかった──なにせ表出しなかったので。

    =

    【君と手を繋いで歩くために】

     覚えた感慨を咄嗟に飲み下して京楽は目を閉じる。歯を食いしばり、耐える。それは京楽の理性を嗤うように幾らでも渾々と湧き上がってきて囁く。腹の底が冷めていく。無意識には無理だと断じて京楽は言葉で呟いた。
    「これは恋じゃない」
     乾いた血の臭いだけが在った。

     商家で許される狼藉など少ないがこの頃の廷内ではただし山本は除くとされるのが通例で、その目的はいずれも京楽少年を連れ戻すものであった。今日も茶屋の二階にある三味線稽古の教室の欄干から出した頭を見咎められて飛び降りようとしたところを隣家の屋根から捉えられて京楽は頭に瘤をこさえて泣く泣く彼に連れ立って歩く。戸口を用いず立ち入られた程度で山本を咎める店主はおらず、同様に引き摺り出された程度で京楽を出禁にする店員もいないのだ。姐さん方に笑われる程度である。
     お主は──と、常なれば無言のまま京楽を道場まで引き摺り行く山本が珍しく口を開いた。
    「あれのところには逃げ込まんのか」
     京楽はさっと山本の顔を見上げるが彼は前を向いたきりである。山本はいつもそうだ。少なくとも京楽には、彼が周囲を見回すだのひとの顔を窺うだのといった仕草を見た憶えがない。ひとを探すぐらいなら向こうから見つけよう、いやさひと目で判ると確信しているような動きばかり憶えがあった。それほどに、体躯の割に周りから目立つ男で、索敵の術を識り尽くした男だ。それでいて彼の正眼を識っているのが京楽の僅かな自慢だった。
     今日は彼の顔を見ることなく、彼に倣って視線を正面に戻してから口を開いた。
    「行ける訳ないじゃない。だって、寝込んでいるんだよ?」
     誰とも二人は口にしなかったが間違えようもなかった。京楽少年が先日山本の差配で引き合わされた浮竹少年は老人の如き髪色に病人の身体をした、瞳の輝きだけが年相応の少年だ。口を開けば咳ばかり、歩き出したと思えば道端に座り込み、座ったと思えば茹った顔をして、横になれば蒼白な唇を戦慄かせながら時折痙攣さえして眠り、眠ったかと思えば寝息が聞こえず吐かせてみれば血溜まりができる。それでいて調子の良い時は丼で飯を掻っ込み庭どころか裏山まで駆けずり回り道場で竹刀を振り回せば抜群の剣筋を見せる。よく分からない奴だ──というのが京楽の評だった。それでいて引き合わされた為かやたらに構ってくるので遇らいかねることもあった。悪い奴ではない、むしろ純粋で善良な男だ。それが尚更に重たくて避けることもあったがそれすらも歯牙にかけず隣に滑り込んでくるのだから気を悪くするにも都合が悪い、絆されているようなものだと思いながら遊びに誘うなら彼と決めつつある。それでも病人のところに逃げ込むのは倫理に悖る行いだろうと京楽は判断していた。なまじやる事なす事目標の多いうえその素質まである浮竹のこと、稽古を逃げたと聞けば追い返しにかかるに決まっていようと嘯けば山本は、そうかとだけ呟いて、それきりまた前を向いたまま足を止めることもない。突かれても答えようがないので京楽はそれに甘えて黙ったままついていく。どうせこれから鬼の稽古に付き合わなくてはならないのだ。
    「お前が悪いだろ」
    「……そうだけどさぁ」
     日暮れ時になってようやく解放された頃にはもう青息吐息、汗や血や涙や唾液はまだしも何故泥までと首を傾げつつも拭き清めて足を向ける先は自宅ではなかった。京楽少年は浮竹少年の布団の隣でごろりと寝転がる。羽織を敷いたはいいものの寝苦しい、それでも精魂尽き果ててと言い訳して居座り続ける。幸い卯ノ花も居なかった。
     今日は調子がいいと嘯く浮竹の顔は額まで赤い。布団に潜り込んでいた所為だと言い張る彼を京楽は否定しないで、その額に張り付いた前髪を掻き分けてやる。浮竹は頬を膨らませたが、快適だったのだろう、何を言うこともなかった。京楽はつい微笑みそうになるところを堪えてやって、それから、だからと続ける。
    「今日のお土産は無いよ。ごめんねえ。でも金平糖だったし、いつも同じだったよ」
    「……菓子より稽古だ、稽古」
    「またまた。お腹空いたろう? 君の晩御飯は何かしら、今日は厨には寄らなかったから」
     棒手振りの声が、いや八百屋に行ったとの話し声が、暦の上では、天気を見るに、……そのうちに炊事の嗅ぎつけて当たりだ外れだと言い合う。どうしようもなく意味のない遣り取りだったが二人とも止めようとしなかった。むしろ京楽は、献立当てが終わると諦めたように身を起こした。
    「さて、それじゃ」
     帰るとも何処ぞへ行くとも明言しない。それがどんな心境から出ているのか浮竹は知らないだろうし、彼はそう言ってもいつも、返す言葉は決まっていた。
    「また明日な」
     彼は無邪気にそう宣う。夜中に急変したとかで朝一番に叩き起こされたことを京楽はよく憶えている。それでも、背を向けたまま手を振るだけで、彼は宵闇に溶け込むようにして消える。そういう仲だった。
    「花が何かのように触れるのだね」
    「山じいと違ってボクらは繊細なのよ」
     途端表情を落とす雀部に京楽は下卑た笑みを見せたが彼は、冷めた目で一瞥すると、それから顳顬に手を当てて見せる。
    「彼の方の弱さを見るには君たちは」
    「子どもだって?」
    「……弱き者、守るべき者。形だけでも肩を並べられるところまでいらっしゃい」
     薙ぐように叩きつけられた剣筋を避ければ脚を退き過ぎた所を突きに絡められて、無理やりに受け太刀すればそこから捻じ落とされる。塾生の他の立会いや巡回を待つことなく雀部は背を向けてしまった。然もありなんと京楽は一人、雀部が居た空白に頭を下げる。戻せば兄が浮竹と向き合い頭を下げているところが見えた。嫌な予感がして咄嗟に背を向けたところで、呼ばれる。渋面を作って振り向いたところに浮竹が飛び込んでくる。
    「次、次やろう。雀部さんも強いよな。お前の兄さんも強い。なあ、さっきの下段突きを見たか。俺もやってみたい。半身の遣い方が分からない」
    「……そろそろボク、休憩したいんだけどなあ」
     真面目にやれとの声が飛んでくる。振り向くことさえせず生返事をしているうちに浮竹が眼を輝かせて京楽の前に立って構えてしまって、これをすげなく振り払うのはなけなしの良心が痛む、京楽は仕方ないと言う代わりに竹刀を構え直した。宣言通り浮竹は珍しく下に構えていて、真似されていると思いつつ悪い気はしない、ため息を吐くことなくあべこべに浮竹の真似をするように上段へ構える。見止めたらしい塾生からは揶揄の声が飛んでくるが二人とも気にせず、飛び込んだ。
     集まれば日がな稽古に勤しむ塾生たちも交代で出仕しているし、時には現世滞在だの廷外出張だのとあるし、その中で山本師範とその右腕がしかも揃ってくることなど滅多にない。ここに浮竹の調子の良い日などと条件を付け足せば半年に一度あるかないかだ。それでも時折、雀部に呼ばれて山本の屋敷に上がることがある。諍いを起こしたが為に山本に道場を通り越して向こうまで投げ飛ばされることもある。塾生たちに揶揄われて揃って頬を膨らませることもある。これがいい、京楽少年は祈った、この日々が永遠に続けば良いのに。
     勿論そんな日常は長続きしない。
     兄が父と言い合うのを聞きつける。堪りかねて家を出た。とはいえ茶屋だの妓楼だのに向かう気になれず浮竹の所へ赴く。稽古のない日によくあるよう滑り込むつもりだったが如何にも様子が違う。報せはなくとも或いはそれほどにと覚悟のうえで垣根から顔を出せば教本講読らしい声と知れて胸を撫で下ろす。お師匠さんの来る日だったらしい。浮竹が親許を離れて暮らしているとは気づいていたが実際に見たことはなかった。なんでも十三番隊の──とまでは聞き及んでいるものの子ども好きのする隊長ではないようで顔も知らない。鉢合わせたことがないのは偶然だが、此処で顔を出すべきかいや講義中かと思い直して取り敢えず庭先を借りて木漏れ日を眺める。
    「ひといぬうへすゑ、ゆわさるおふせよ、えのえをなれゐて。りょうじんたがわずして──」
     霊圧に気づいたらしい気配はあったが何も言われない。甘えて、知らぬ分野の講義を聞き流しつつ眠った。
    「よく眠れたな」
    「……ごめんよぉ。つい、つい」
     浮竹は少し機嫌が悪いようだった。山本道場の時とは勝手が違うなと思いつつそんなものだろうと勝手に納得して、もう一度詫びを告げる。浮竹は呆れたような顔で予定を確かめる。京楽は何もないと素直に答えた。
    「でも揚げ菓子ならある」
    「先に言え、先に! お茶も淹れよう。慥か、貰っていいって」
     廊下に消えていく浮竹を見送って縁側から上がらせてもらう。なんでも布団ごと担架で運び出せるよう良い部屋を充てがわれているとか。お師匠さんはいいのかと尋ねたことはあったが、本が灼けるから──と返されたのだったか。書痴らしい。書見台を覗き込んでみるが知らぬ分野に変わりはなくどころか何の話をしていたのかも見当がつかなかった。貴族階級とて手習に講釈堂がある訳でもなし、家で与かる知識が家の外へ出ることなど滅多になく年頃が同じでも家が違えば何を習っているかなど聞いても理解できないのが通例だ。浮竹も戻ってくるとあれほど楽しみにしていたまがりを前に手をつけたのは書見台だった。
    「お師匠様に叱られてしまう。内緒にしてくれ」
    「……どこも礼儀が厳しいよねえ」
    「中身、見たろ。吹聴してくれるな」
    「何も分からなかったから安心してよ」
     振り向き首を傾げる浮竹に京楽はつい笑みをこぼす。京楽家の手習はそのほとんどが山本道場と目指すところを同じくしていて、つまり京楽が教えることは大抵浮竹にも理解できた。無論京楽の家には門外不出の教えもあってそれは流石に口外していないが、目指すところの近い教えの共鳴は堅苦しさを嫌う京楽にも心地好く聞こえていた。翻って浮竹は音階の遠さを知らなかったらしい。彼ならそうなろうと苦笑できぬほど微笑ましい話だ。
     そんなつまらない話を深追いする気はなくいつものようによりつまらない話を始める。益体もつかない話ばかりだ。それでも京楽にはこの時間がなければとなる時がある。それでいてそんな必死さを見破られるぐらいなら出奔した方がマシ、然りとて廷内育ちの自分にそんな思い切ったことがどうしてできようか、なので今日もそんな思いはおくびにも出さず上流貴族の盆暗次男坊らしく笑って見せる。そうすれば浮竹は粗雑に遇らいながらも要件を尋ねる声は優しいいろをしてくれて、時折なぞ二人きりだというのに鬼事まで付き合ってくれる。それよりの歓びなど要らなかった。
    「だからあ。山じいが飲み屋で拾ったんだって」
    「そんな訳あるかよ。莫迦な冗談も休み休み言うんだな」
    「上段三連突きならボクだってできるよ」
    「……面白いと、思って?」
     巫山戯て過ごす時間はしかし速く経ち、日も暮れてくると声をかけられてしまう。浮竹の屋敷ではないので京楽も長居できるとは考えていない、ひと頻り尻を叩いてもらうとえいやで起き上がり草履を取り出す。
    「さて、それじゃあ」
    「ん。また明日な」
     家にいるのが辛かったら浮竹のところに転がり込めばこうやって笑って遊んでいられる、それが決まりきった話だと信じていた。
     ──だからそのひとを識った時、京楽は二度目の衝撃を覚える。胸が燃える。視界に星が瞬く。理解しきれず自室で煩悶するも父祖の声や使用人の声が煩わしく飛び出して、そして浮竹のところに足が向かないことに驚きつつも納得する。京楽次郎総蔵佐春水、初恋らしい。

     儘ならぬものなど浮竹は溢れるほど知っていた。勝手にできるものなど片手の指の数ほど少ないかもしれない。山本に習うと身体は少しだけ云うことを聞くようになるのでそれは嬉しいのだが、なるほど打てば響くとはこのことと水琴窟を聞かせてもらった時のことを思い出して楽しくはなるのだが、それより思うまま願うままにならないことの方が余程多かった。今夜も肺の立てる濁った音に震えながら、寝付かぬ弟妹にそれでもしつこく子守唄を歌って聞かせながら、呆然と、座ったまま寝入る寸前の頭で詮なき思索を続けてしまう。考える意味などないというのに考えてしまうのもまた、儘ならない話だった。寝たくない母に会いたい遊びたいと愚図る幼児を抱き直して、縦にした肺をおっかなびっくりで動かしつつ目を閉じて口と手を動かして、それでも考えるのを止められないらしい。器用なことだと笑うのもそこそこにため息を吐けば途端に聞きつけた子どもたちが声上げ出すので、急ぎ誤魔化してまた初めから歌い出す。
     この頃京楽が道場に来る頻度が減っていた。元より真面目に通う男ではなかったが基礎練習を厭うほどではなく、途中で抜け出すこともあれど自主的に来る日も多くあった。そうでなければ浮竹は彼とああも頻繁に会えていない。この頃は容態が安定しつつあって実家に戻れているがつい先日までは逆骨の預りで、そこまで彼が来てくれることもあったが臥していることがほとんど、逆骨は病み伏す浮竹にも枕頭に侍り構わず教えを説いてくるが陽の高い頃しか訪れない京楽はそうもいかない、寝ていて会えず終いとならぬ日の方が珍しかった。無理を押してでも道場に行きたがるのは、山本たちに剣を習う楽しさもあったが、やはり友人の存在が大きい。
     そう、友人だ。
     逆骨に引き合わされた時のことはよく憶えてない。ただその日の為に何度か山本が逆骨邸までやってきていたのは知っている。あの情などないような眼の、それでいて傍に居てくれるとつい安堵してしまうほどの温かみある霊圧と、睥睨と同じ動きをしつつも己が咳き込めば揺れる視線が、初めて竹刀を握った時に添えられた大きな掌の、慥かな起伏がついた長い指の熱が、疲れて熱を出した脳裏を渦巻いているとも露知らずに彼は隣室で逆骨と話していた。常とは異なる会合がおそらく三日分あって、次に山本道場に訪れた日は向こうからばたばたと慌てている気配を覚えた。しかして何もなく首を傾げて、しばらく塾生だという若者たちに相手してもらっていればふと子どもの声がして、振り向けばちょうど同じ年頃の少年がやはり死覇装の若者に放り込まれていた。後に京楽が述懐するに曰く、背負投げだったとのこと。兄の威厳とは斯くあれかしと学んだのもあの日である。
     理不尽に連れて来られたとは火を見るより明らかだったが、それでいて浮竹が咳き込んだと一番に気が付いたのも京楽だったし、血を吐いたと見るやひとを遠ざけて四番隊の者が来るまでの応急処置をしてくたのも京楽だった。それからしばらくはおっかなびっくりに接してきたが何度も跳ね除ければ慣れたようで、一緒に竹刀をぶつけ合ったりそこらを駆け回ったり、時には取っ組み合って喧嘩することさえあって、それを友人と云わずしてと言ってくれたのははて誰であったか病人の枕許でそう教えてくれる優しいひとは、有難いことにたくさんいると浮竹は知っていた。
     その友人が、滅多に会えなくなった。寂しいと言って羞じることなどなかろう。脱走癖のある奴なので稽古をずっと同じよう受けることは少なくても少し遅れてでも来て、帰り道にふと気付けば舞い戻って来て、嗜めども暖簾に腕押しのらりくらりと躱したまま、それでも構えれば目つきが変わって自分と同じいろを宿していたはずだ。それが日がな一日来ないことも多くなっていた。それなのに訴えても塾生たちの反応は芳しくなく、兄弟揃ってああだこうだと囁き合って、それでいて浮竹が声高に問えばはぐらかす始末、上流貴族には浮竹の考えの及ばぬ桎梏があるらしいとは判ぜられたがそれがなんだと、せっかく通いで過ごせるほど健康になってきたというのに楽しくないとさえ思えた。弟妹の相手をする必要ができたので時間は空気を吸うように費やされたが、それで疲れ果てて眠るのも容易いはずなのに、どうにも面白くなく寝ように眠れぬこの頃である。今日も寝ついた者から寝付かぬ者をそっと引き剥がしてどうにか静かにさせつつ、今にも眠れそうなのに冴えた眼で、幼児の体温に揺さぶられながらも斯様にどうしようもない話をつらつらと考えていた。
     慣れぬ行いゆえ振舞いに出ることもある。薪をこぼしたところを折悪しく師範に見咎められて、浮竹は首を竦めつ出来る自己管理を怠ったことを詫びる。老人は少し考えた素振りを見せて、それから枯れた手を浮竹に伸ばした。その手は頭の輪郭を確かめるように髪を撫ぜる。髪を伸ばすよう指示したのはこの男だった。どうして彼が浮竹家に現れたのかは知れない。ただ地区に名を冠していて、或いはこの土地の出なのか、失神している浮竹少年の口許から泡を拭うと連れ帰ったという。廷内でも指折りの医療へ繋げてくれて、どころか気づけば浮竹家に冠を載せて、相応しいものをと文字を教え文法を教え記法と算術と暦を教え、何処のものとも知れぬ物語を叩き込んでくれている。彼にとって自分が何某か役に立つというのなら命を助けられた此方に手を抜いていい道理などなかろうところ、梳る手の動きから情けなさが身に染みる。
     それでも彼は優しいいろをした声で浮竹を気遣ってくれる。申し訳ないと思いつつ促されるままに吐露すれば彼は、書を紐解いた時とは全く異なる温かな調子で聞いてくれた。そして仰々しくも厳かに告げるに曰く。
     ──始りあれど終りなし。伊勢家が呪から逃れられることはあるまい。
     己の理解を超えた台詞の続きを浮竹は座したままに待つ。その瞳の輝きを知ってか知らずか老人は吐き出した。
     ──お前も呪えばよかろう。
     眼を見開いた浮竹をそのままに老人は姿を消す。ただ一人浮竹少年だけが残される。
     勿論速やかに眠れることなどない。あれほど騒がしかった弟妹たちが陸続と深く息を吐いていくのをよそに浮竹の脳裏をそれは延々と駆け巡る。呪、呪、呪い、呪えば。
     呪とは何なのか、友達と会うのにどうしてそれが必要なのか、浮竹十四郎に答はない。


     山本や雀部は滅多に来なくなっていたがそれでも護廷隊士の多くが出入りする道場にはますます足が向かなくなる。放蕩児の渾名を恣にしていると自覚しつつ団子屋や茶屋で時間を潰して時にはそこらの屋根でひと眠りしてから兄夫婦の屋敷に赴いていた。宿直明けでもなければ兄はいない。義姉を相手に四方山話をしたり縁側だけ借りて昼寝したり二人で炊事場に立ったりして過ごす。稽古は手習はと義姉は時折問い掛けるのだが腕前は兄のお墨付きで四書五経を暗唱するのも朝飯前、兄に追い出されるでもなければ向かうことも少なく、どころか当の兄が役所でも職場でも道場でもひとの目や実家の声に悩まされているらしくひと心地着かんと引き留めることさえあって、泊まりがけで居着くことも出てくる。そうなれば兄の出勤に合わせて引き摺り出される日がほとんどだ。
    「結婚なんて面倒な制度だねえ」
    「……だが何処かで線を引いて置かねばなるまい。その線引きひとつで万が一が守られるのなら喉から手が出るほど欲しい、その何処が悪い」
     人別録は問題なかったものの貴族会議の承認が得られなかったとかで日中に僅かでも空き時間を作れれば頭を下げているようだった。万が一とはいえ隊士にはその一が大きくなろう、実家から飛び出してきた二人に控除や恩給の有る無しは重要となりえる、兄は不受理を繰り返されようとめげずにあちこち駆けずり回っているとなれば彼に引き摺られても抵抗する気になれず、今日も渋々道場へ向かう。自分の足で上がっても途端に好奇と蔑みの眼に囲まれるのでげんなりするばかりだが今日は珍しく浮竹がいた。
    「春水。やっと来た、久しぶりじゃないか」
    「……やあ、十四郎。精が出るねえ」
     殊更に泰然と構えてしまうのは見栄からだろう、兄の仕草に似たと自覚して腹が冷たくなる頃にはもう浮竹が飛び込んできていて、彼の頬の熱が伝わるのに任せているとそんな寒さなどすぐ失せてしまって、彼に急かされて渋々という風情で支度する。打ち込んでくる太刀筋も真っ直ぐで、稚さや頑是なさから起きているだろう、やがてこれも、或いは自分も愛し合う二人を臆面もなく引き裂く側へ回り失われるのだろうかと思えば反吐が出る。日が開いたからと言い訳してまで重ねて打ち合い、当然先日よりうんと精度の上がった打込みに怯えつつまだ負けぬと薙いで突いて払って振り下ろして、無心に続ける。言葉を交わすより余程、浮竹といる実感を覚えた。
     言い条、浮竹の耳にも京楽家長男と伊勢家嫡子の駈落ち騒ぎは届いていた。水を向けられれば仕方なく、若者たちの耳目を集めていると知りつつ京楽は何でもないと言わんばかりに肩を竦める。
    「新婚家庭なんてどこも同じだよ。お熱いのなんの」
    「暑いのに居座るのか?」
    「そりゃあ……幸せそうだもの。おこぼれに預かったって罰は当たらないよ」
     そんなものなのかと浮竹が問う。そんなものでしょうと京楽は返す。
    「……いい夫婦だよ、本当に」
     そうこぼせば浮竹は眼を瞬かせた。
    「もう夫婦なのか」
     決まってると京楽は宣う。決まったのかと浮竹が繰り返した。
     重ねて主張してやろうとするより先に浮竹が、それもそうかと独り言じみた呟きを放った。
    「好き合った二人が大人なんだから、結婚ぐらいするか」
    「……そうさね。結婚するとも」
    「だよな。それを邪魔するなら、大人の仕事なんてやらせちゃならない」
     浮竹が役所騒動まで理解しているかは京楽には知れなかった。だが浮竹はあまりにも容易く、それでいて正しく、醜聞と化しつつある兄夫婦を認めてくれた。つい顔を天井に向ける。縁側から見上げたところで楽しいものはないのだから意味などなかった。
    「なあ、何かあるのか」
    「……あった方がいい?」
    「何も無いところを見ていて楽しいのか? 末の弟が、言ってなかったな、この間から這いずるようになったんだが、偶にそうしている。埃でも見ているのかと思ったが妹が、最近言葉を話すようになったって前に言ったろう、何を見てるか訊いてるみたいだが返事しなくてな。どころか猫が唸りだして」
    「ちょ、怪談じゃないか。やめてよ」
     きゃあきゃあと言い合って、落とし所は見つからないまま冷やかされても掴み合いにはなりたくないなと考えて、揶揄いの声を契機に竹刀を持ち直した。それからまた打ち合う。よう一戦、もう一戦と繰り返して陽の翳りを感じられた時にはもう遅く蹲る浮竹に駆け寄る。幸い四番隊に属している者がいたので彼の判断で竹刀を離すと隣室で休ませる。
    「まだ。まだ、だって」
    「……大丈夫だよぉ。また今度、元気な時にやろうじゃないの」
    「違う。だって、そ……な、つもりじゃ」
    「ほら落ち着いて。無理しちゃダメでしょ、十四郎」
    「だって。違う、まだ、俺は──」
     血を吐かせる手順は最早慣れていた。振り返るまでもなくひとり、それも数呼吸で手拭いを抱えた者が駆け寄って来て、それからまた数呼吸のうちに高い霊圧を覚えて京楽は浮竹の手を握ってやる。入院と決まったらまた拒もうとするだろう彼に、優しく、言って聞かせてやる。
    「稽古は元気な時にやろう。大丈夫、遊びに行く」
     浮竹の喉からはもう声も出ない。だが縋り付く彼を振り払うことなど京楽にはできなかった。
     大人の力で浮竹が担架に載せられる。その怯えた眼がどうにも哀れで、近頃は会える頻度が下がっていた引け目もあって、京楽は人夫たちの動きに合わせて庭まで裸足でついて出る。
    「また明日ね、十四郎」
     春水と呼ばれたことを耳も手指も捉えることができない。だが浮竹のもの言えぬ眼は確と京楽を捉えていて、それだけで充分だった。明日は兄夫婦の屋敷から四番隊隊舎に向かおうと決めて京楽はひとり帰る。
     しばらく、やはり兄夫婦の屋敷に長居する生活が続く。家で母と顔を合わせることはあっても指南役たちからは逃れて山本道場にも赴かず店や民家の庭先や河原や草原を楽しんで、それを土産に義姉と穏やかな時間を過ごす。義姉とどうこうと妙な気を起こすつもりはなかったがむざむざ諦められるほど軽いものでなかった。それを知りつつ兄も引き留めていたはずだ。四番隊隊舎に置いてきた花のひと枝、季節を知らせる菓子屋の新作、店番の間に番頭から算術を習う小僧の声、左官の弟子が漆喰の塗りを嗜められる影、魚を捌き終えた棒手振りが子供相手に売り飛ばそうとする玩具、時にはその想像まで。家に留まる義姉や孤立無援に戦ってきた兄へ様々に話して聞かせる。お前は創り話が下手だと兄は笑った。そうかなと肩を竦めつ義姉から顔を逸らして彼女の薄い笑みの気配を首筋に覚えるも、ぞくりと走った衝動には答を出さないでおくことにする。
     ところがある頃から気配が変わる。どうも貴族会議の承認が下りたらしい。玄関先に置かれていてと困惑した顔の義姉が酒瓶の入った箱やら手紙やらを差し出してきて、ある日帰宅した兄は喜色満面のままに義姉へ抱き着いた。義務感から祝いの言葉を贈ればどうしてかその抱擁の間に挟まれる。咎められることなく盃を勧められて三人で鮮魚だけの祝膳となる。居た堪れずに道場へ向かえば不躾な視線は少しばかり減っていてひとりでいても独りにされることなく、それでいてどうも結託した者のひとりが兄の近況を問い掛けてきたので、箱に添えられていた文面を思い出しつつ機嫌は宜しいと答えてやる。各々安堵の顔を見せて、それから渋面を見せてくれるので大人とは怖がりだと京楽はため息を吐いて見せてやる。
     だが彼らの不安も的中して、その日の京楽少年は兄夫婦の家に上がり込むのを止して四番隊隊舎にある浮竹の病室に転がり込んだ。手土産は柔の戦績だけであった。
    「此処には泊まらない方がいいぞ。というか、流石に叱られるだろ」
    「つれないなあ。一緒に叱られてよ」
    「今朝に薄着でいて叱られたばかりだから」
    「そりゃあ君がいけない」
     浮竹の手元には絵暦があった。裏紙を貰って作っているとのこと、用途を訊けばまだ文字の読めない上の弟妹へとはにかむ顔が眩しくて眼を逸らさんとあれはいつだこれはいつだと話し込む。来年のものと、翌年以降も作るためにと手本になるものを用意したいらしい。立夏の絵見本にちまきと柏餅が並んでいるのを笑い、入梅の盗人の顔を誰に充てるかを密談し、彼岸とくれば団子だろうところ御萩にしたいとの提案を呆れ半分に囃し立て、目玉らしい絵をいつのものか問えば当てが外れていたのかはぐらさかれ、寒露の菊をどちらがより巧く描けるか比べる。この絵比べで競り負けたのが口惜しく、持ち帰って翌日に山本の屋敷へ顔を出してみた。当人不在でも構わず庭へ廻れば貰い物だという菊花が並んでいて、朝方にやったらしい水がもう乾いているものの葉の艶は宜しいので、あれこれと具に見ていればいつの間にか影が差したと識るや拳骨が降ってくる。
    「道場にも行かず。何をしておる」
    「ぶってから訊かないでよ。せめて、訊いて納得してからにしてよ」
    「阿呆。勝手に侵入っておいて何を言うか」
    「それは……、謝るけれど」
     道場へ放り込まれたと思えば雀部が待ち構えていたものだから日が暮れるまで扱かれる。事の次第を伝えられた頃には空が茜色を通り越して薄縹色をしていた。高価く儚い色を愛でる元気もないと嘆いたところで雀部は眉ひとつ動かしてくれない。
    「不躾な贈り物ではありますが隊花を粗末にしては外聞が悪いでしょう。丁寧に扱ってあるのですよ」
    「知ってる、知ってる。じゃあさ、今度に十四郎と写生させてよ。浮竹もそろそろ退院できそうだし。絶対に負けないからさ」
    「……さて、子供に遊ばせても構わないものを仕入れておきますか」
    「ボクらが駄目にする前提じゃない。そもそも十四郎は花なんて興味ないんだからボクの方が巧いに決まってるじゃない」
    「何がそもそもですか……」
     山本が菊の花を贈られるたび瞳に憎悪の炎を上げていることなどよく知っている。何が四十八弁だと代わりに憤った兄たちを思い出す。それでいて確かな世話がされているし京楽が提案すれば重陽の節句には前夜から泊めてまで観せてくれ、無理を押してまで泊まろうとした浮竹のために四番隊隊舎の窓辺に運んだ年だってあった。それをどんな心地で雀部は見ているのかと好奇心が湧かぬでもない。邪な事を考えながら見上げれば額に指を弾かれる。
    「痛いよ」
    「でしょうね」
     そうはいっても翌週の浮竹の隊員に合わせて山本からは泊まりで来るよう招待がくる。兄夫婦の夕餉でそれを聞いて、正式には父からと言われて京楽は口を突き出す。あまり帰りたくなかった。
    「そうもいくまい」
    「いかないだろうね。でも、……ねえ」
     自分でも目的の分からぬまま同意を求めても義姉は薄い笑みを作るだけ、先ほどまで一緒に野菜を剥いたり切ったりしていた横顔は変わらない。その眼が誰を追っているのか識るのも心苦しく翌夕は実家に戻る。説教をひと頻り受けてから山本の私邸にとの話を受ける。幸いにして反対の意見はない。遊び呆けるのもそろそろと言われてもおざなりな反応だけ残して山本道場へ向かった。
     予想通り四番隊の若手隊士をはらはらさせながら元気にひとを投げ飛ばしたり竹刀を振り回したりしている浮竹がいて、こればかりは何物にも替え難いと考えるだけで照れるのを隠そうと微笑しつつ声をかけて、先日に病室で会ったばかりだろうとも飛び込むように寄って来る彼を手厚く迎え入れる。一度、隙を見たように逃げようとすれば勿論追ってきてくれて、その手を振り払うことなく掴んだまま山本の屋敷へ向かう。道しなに彼がまた俯きだすので京楽はその顔を覗き込む。
    「身体が重いのは稽古帰りだから?」
    「それは……そう、だが」
    「家に枕でも忘れてきたかな」
    「そりゃあお前だろ。最初に泊まった時に騒いでたじゃないか」
    「それは……そんなことないよ」
    「あった」
    「ないよお」
     言い合っていて気づけば泥に塗れている。探しに来た雀部は呆れていたが浮竹が始終楽しそうなので京楽にはどうしようもなく楽しい気分のままで、これでは敷居を跨ぐのもと庭先で水を浴びせられて、冷たいと抗議してようやく浸かった湯は年寄り好みの高温だ。わざわざ麒麟寺を呼んでいたらしい。湯掻いて喰われると叫んでやれば彼は呵呵と笑い飛ばす。その背中に恨み言を飛ばしていたのも束の間で、浮竹と潜水時間を競っていれば山本に首ごと掴まれて引き上げられる。
    「風邪を引く前に服を着ろ」
    「衣付けだ」
    「これから油も塗られる」
    「食事前に何を言っていますか、君たちは……」
     食べられるとはしゃぐ二人が食卓では一番箸を動かす。強飯に雉だか鴨だかがついて味噌をつけるつけないで大騒ぎになり拳骨を喰らって、ようやくひと段落すると菊を見るの見ないとのまた大騒ぎになって、布団を敷くよう命じられてもそう容易く就寝してやる二人でもなくまた拳骨を貰う。最早朝風呂が必要だと雀部が笑った。そう騒がしくしても子供の寝つきは良いし朝も早く、四人揃って開花を見守る。どうにか写し取ったものを比べてまた大騒ぎして、予言通り朝風呂を貰うと食卓に菊の酢漬けが並んでいて歓声を上げたりむしろ趣味が悪いと声を上げたり忙しくする。それからも勿論、地獄で鬼に捕まったような稽古を受ける。過酷な鍛錬など御免であるが山本から受ける分にはどうしてか楽しい思いが欠片だけ感ぜられて、恐らく力量に差がありすぎて勝ち目などないのに挑まされている為ではないはずだ、

     鳩に犬に兎に蟹にと影は踊る。紙燭の灯りが頼りの手慰みは襖の開く音で終わった。
    「風呂抜いたから」
    「うん、ありがと。洗うのは明日でいいよ」
    「そんな横着をするのはお前だけだよ」
     汚れが落ちなくなる──と浮竹は呆れつつ腰を落とすと胡座に据えて京楽を見上げる。京楽は肩を竦めるでもなくやおら立ち上がると手拭いを手繰り寄せて彼の後ろに膝をつく。
    「まだ乾いてないじゃない。きちんと拭かないと駄目だよ」
    「湯気に当てただけだし、良いだろ」
    「良かないよ。風邪を引くのは君だ」
     言いつつ浮竹ももう抵抗しない。
     京楽が用意していた手拭いは大判のもので、彼はそれを広げると浮竹の髪に当てて丁寧に挟み押していく。
    「……良いのに」
    「良くないってば。全部乗せで結うところまでやってやろうか。下げ髪は飽きたろう、何がいいかい、唐輪髷にしてみるかい」
    「おい」
     浮竹が睨むも何のそのと京楽は手を動かす。長い直毛は彼には関わりないもので、それを触るのは心地良かった。
     浮竹は彼の気風の良い人柄にしては奇異なことに髪を伸ばしていた。髷を結うでもなくそうするのは珍しく、彼の稀な髪色もあってよく目立つ。それでもひとに言われた程度で切る気はないらしく、数年に一度短くなることはあっても伸ばされ続けている。ここまでは京楽にとやかく言う筋合いはない、なにせ自分の方こそうねる黒髪を風に靡かせている。京楽はその方が自分に似合うと判断したうえで洒落込む為に伸ばしていたが浮竹はそうでないらしい。何でもないように切って、それでいてまた伸ばす。長患いの宿痾が為に入院した折の簡便をとったのかとしたり顔で訊かれればそうだと答えているのを見る。それが京楽には真とは思えず、然りとて深追いする勇気もなく、ただ手入れをしない彼の怠惰を憂いて手を出していた。
     粗方乾いたと見て、京楽は手拭いを置くと櫛をとる。
    「……お前も物好きだよな」
    「だってえ。勿体無いじゃない。せっかく癖がないんだから綺麗になさいよ」


    1000年前:初代護廷vs滅却師。これを以て尸魂界の開闢として五大貴族が成立する?
    n00年前:綱彌代が妻と親友を殺害。
    250年前:刳屋敷が痣城に敗死。
    200年前:護廷vs滅却師。滅却師が死神の管理に下る。
    110年前:虚化実験により浦原らが追放。
    n0年前:銀城の『離反』。
     ・映像庁…「銀城が連絡の隊士を殺害」
     ・綱彌代…フルブリンガーを『採取』する。
     ・銀城…冤罪により逃走、道中に隊士を殺害する。
    n0年前:山田兄が引退。檜佐木,阿散井・吉良・雛森,山田弟,日番谷の卒業と同時期?
    30年前:一心の出奔により志波家追放。
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    keskikiki

    MOURNING髪カーテン書けなかったしこいつら揃って逃げ癖があるから辛い時は独寝しかできないよ
    ぬくぬくと 共寝の目的はひとつでない仲だ。目が醒めたときまだ障子の向こうには雨戸が閉められたままで灯り取りの窓からも暗闇しか窺えなかったが、自分の髪も寝巻きも割合い綺麗なまま少し寝崩した程度、何より隣で眠る男の髪も寝巻きも綺麗なままだった。眠りの浅い男が、とは考えるもののただ身を起こした程度なので仕方ない。況してや布団を分けて眠っていた。
     尿意か来客の気配でもと探ったが用を足せる気もなければ抑えられた霊圧もない、後者なら隣の男も起きていたはずで、万全とは言い難いが寝る前より呼吸器に違和があるわけでもない、微熱が出たようでもない、単純に目が醒めてしまっただけらしかった。吸飲みに手を伸ばしてみる。器物は霊圧を出さないので不便だった。慣れた作業と考えていたが思っていたほど上手くいかず、こうも不如意となる理由はとうつらうつら考えだして、すぐに嗚呼と隣にいる男を思い出した。一枚だけなのか二枚だけなのか、布団の数が変わっていた。それだけで場所も変わるとということを失念していたらしい。我が事ながら呆れるほかなく手探りで水を飲んだ。
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    keskikiki

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    DONE没原稿④お月見の浮京
    生者に似合わぬ月光よ「せいぜい月の光を浴びるがいいよ」
              ──『魍魎の匣』

     秋の始まりといえば陽の落ちる早さだとか朝に寒くて目が醒めるだとか人により知る術があるだろう。京楽にとっては残念ながら、ようやく酷暑を乗り切った浮竹が寒暖差で体調を崩すことで知れた。一番悔しい思いをしているのは当人だろうから決して口にはしない。卯ノ花ぐらいだ、公言するのは。
    「昔はまだ持ち堪えてた筈だがな」
    「ボクらも歳を食ったってことでしょ。気にしなさんな。夏風邪と違って掛け布団があっても暑くならないんだし、大人しくしててよ」
     宥められたところで浮竹の顔は晴れない。
     昔はもっと耐えようがあった。なにせ中秋の名月、もとい中秋節に合わせて宴会があってそこに新人は駆り出されていた。拙くも琵琶を弾いたり筝を弾いたりした覚えがある。一方で京楽は風流な振る舞いに恥じぬ見事な横笛を披露して、本人は野郎相手に無駄な音を奏でたと嘆いていたが意地の悪い同僚たちでさえ感嘆の声を漏らすほどだった。浮竹は師匠がいたから聞くに耐えぬ音を出すことはなかったものの皆が皆そうであった訳でもなく、そもそも豊作の返礼が色濃くなってきて、そこに京楽の横笛で肥えてしまった耳で素人の音色に用がある者など居らず、二人が官位を戴いて暫くした頃にはそんな風習はなくなっていた。二人揃って若くして隊長羽織を受けた頃には廷内の茶屋が商魂逞しく気張る程度で、隊ごとに内々で屋根に上ったり見晴らしのいい丘へ行ったりすることもあるぐらいだ。今に至っては浮竹なぞ団子を食べる日とさえ捉えている。
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