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    hiisekine_amcr

    @hiisekine_amcr 雨クリを好みます

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    アメムゲ② 出会い編本文
    ビークロの世界にもし雨彦さんがいたらIFの雨クリ(アメムゲ)の出会い編です。

    ##アメムゲ

    アメムゲ② 出会い編本文 不思議な声に導かれて、目を向けた先に転がっていたのは人の体だった。
     街の光も届かない、薄暗い路地裏のゴミ置場。いくつものゴミ袋に埋もれるようにうつ伏せになっている男の体を抱き起こした。
    「うっ……」
     あまりのにおいに思わず顔をしかめた。
     これはゴミのにおいではない。長い間風呂に入っていない人間特有のツンとしたにおいだ。
     長身のその男を壁にもたれかけさせると、長い髪が一房肩から滑り落ちた。元は美しい髪であったろうに、こちらも脂分を感じるてかり方をしている。衣服は一応身に付けてはいるが、シャツのボタンは全てどこかへ消えてしまっている。服では隠しきれていない肌や顔面には、青くなった痣や赤い擦り傷が多数ついている。見れば靴も靴下も履いておらず、足の爪は少し伸びすぎている。
    「こいつは酷いな……。何か身元がわかるものを持っていればいいんだが」
     そう思って懐を探るが、財布すら所持していないようだ。免許証や保険証の一つでもあれば良かったのだが。
     ふとその時、その男の指先に挟まれているカードに気がついた。見慣れたその青いカードは、間違いなくビークロのカードそのものだった。
     思えば不思議な声が自分をここへ呼び寄せたのだった。アメヒコはこのカードこそが自分に助けを求めていたのだと理解した。
    「なら、助けを求める声には応えてやらないとな」
     アメヒコは深く息を吸うと、思い切って男を背負い、すぐそばの裏口から自身の家へと入っていった。

    *****

    「ふぁぁあ~~あ」
    「大きなあくびですねえ、店長」
    「ああ、昨日はちょいとばかし、夜更かししちまってな」
     小規模なカードショップ。ハンディモップで陳列棚の埃を取りながらあくびを漏らしたアメヒコを、アルバイトの青年は呆れた顔で見ていた。
    「夜更かしって、何してたんですか?ゲームとか?」
    「んにゃ、ちょっと拾い物をしてな。それを綺麗にしてたら、丑の刻をまわっていやがった」
    「へえ。拾い物ねえ。捨て猫とかですか?」
    「……まあ、そんなところだ」
     アメヒコがなんとなく濁した返事をしたことに気付いたアルバイトは、ハァ、と小さなため息をついた。
    「ふうん……、まあいいですけど。そんな眠いなら、奥で仮眠でも取ってきたらどうですか?今はお客さんもいないし、必要になったら声かけるんで」
     そう言うと、アルバイトはアメヒコの手からハンディモップを取り上げた。アメヒコは厚意に甘え、カウンター奥の扉を開けてその中へと消えていった。
     
     カードショップと扉一枚隔てたその先は、アメヒコの居住スペースだ。私物の種類が少なく殺風景だが、その代わりに積み上げられたいくつもの箱にはビークロのカードがみっちりと詰め込まれている。
     その箱の隙間に収まるように敷かれた布団には、その家の主人であるアメヒコではない別の人物が横たわっている。
     昨日路地裏でアメヒコが拾った男性。顔や体に多数の傷や痣を負った長髪の人物。見つけた時には虫の息だったが、今は落ち着いた寝息を上げている。
     全身念入りに洗った上に着ていた服も処分して自分の服を着せたため、昨夜感じていたような悪臭はもう殆ど消えている。べたべたと脂ぎっていた髪も、今はしっとりとして手触りが良さそうだ。
    「よかったよかった。……と、それよりも」
     アメヒコは壁にある棚のいくつかを探り、小さな箱を取り出した。その中から軟膏を手に取ると指先にすくい取る。
    「気休めかもしれないが、まあやらないよりかはマシだろう」
     そう言いながら、青年の顔に軟膏を滑らせた。痣になっているからあまり力を入れないように、と気をつけたつもりだったが、それでも青年の肩が大きく跳ねたのを見て、一瞬手を引っ込めた。
    「う、うう……っ」
    「っと、悪い、痛かったか?」
     その人物はアメヒコの声に弾かれたように反応し、不自然な動きで上体だけを起き上がらせた。
    「だ……誰ですか、そこにいるのは」
     声には多分に怯えが含まれていた。金色の瞳は焦点があっておらず、不安そうな表情のままどこかへ逃げ出そうと少しずつ後ろに下がっている。
     アメヒコはその声とその瞳にどこか覚えがあった。そしてこれまで感じていた既視感とあわせ、一つの答えにたどり着いた。
     深見ムゲン。
     何週間か前に行われた全国大会のエキシビションマッチで騒ぎを起こし、挑戦者の少年に大敗した、閃極コーポレーションの幹部。アメヒコも観客としてそれを見ていたので、どれだけの惨状だったかは記憶に新しい。深見ムゲンに関してはあの大会以降謹慎処分となっていたと聞いたが、それから表に名前が出てくることはなかった。その人物が、今はこうして全身に傷や痣を負い、怯えで身を震わせている。
    (一体なぜ、そのようなことに?)
     そういえば、深見ムゲンは闇のカードに手を出したから身を滅ぼした、という噂も聞いた。
     ギリ、と歯を食いしばった。
    「俺はアメヒコ。心配するな、手当てするだけだ」
     そう言って手についた軟膏を再度ムゲンの顔に擦り付けると、ムゲンは掠れた声で「触らないでください!」と叫び、その手を払いのけた。
    「なっ、おい」
     ムゲンは一度立ち上がろうとしながらも足が震え膝から崩れ、それでも諦めずに四つん這いになりながら出口を求めて逃げようともがいていた。しかし残念ながら、その先は壁である。止める声も届かないまま、ムゲンは頭から壁に激突した。うぐ、という苦悶の声が聞こえる。
     アメヒコは呆気に取られながらも、一つ気づいたことがあった。
    「お前まさか……目が見えてないのか?」

    *****
     
     深く眠っていたようだった。
     柔らかな布団に包まれ、サラリとした肌触りの清潔な衣服を肌に感じ、石鹸のにおいが鼻腔をくすぐる。
     そんな当たり前のことが、遙か遠い昔のように思える。
     ああ、夢を見ているんだろう。そう思った。
     目を覚ましたら、またあの硬くて冷たい牢獄が待っているのか。そう思うと、もう少し眠っていたい、どうしてもそう思ってしまう。
     瞳が光を映さなくなってから、いったいどれほどの時間が過ぎたのだろう。
     悲願であった闇のカードの発現と、神の降臨。そして、新たな秩序の創造。何年もかけてようやくたぐり寄せたその夢は、適合者であった少年やその仲間たちの手によって、無残にも終わりを迎えてしまった。
     そしてその瞬間から、長年連れ添った瞳はその役割を果たさなくなってしまった。
     心因性のものか、あるいは闇のカードに手を出した代償か。どちらにせよ、治療どころかあれから地下牢に押し込められては慰み者にされてきた身だ。もう、以前のような生活はおろか、人として生きていくことすらできないのだろう。
     どうしようもないこととはいえ、強い無力感に襲われてしまう。いっそ死ねてしまえれば楽だったろうに、そんな勇気もない。
     はあ、と深いため息をついた、その時だった。
     ガラガラ、と扉が開かれる音と、それからピシャリと閉まる音が聞こえた。ずいぶんとリアルな音だ。
     柔らかな足音が近づいてくる。
     その足音の主はムゲンに近づくと、ホウ、という声を漏らした。
    「よかったよかった。……と、それよりも……」
     声の主はいったんその場を離れ、ゴソゴソと何かを手漁ると、あったあった、と声をもらしながら再びムゲンの傍らに落ち着いた。
    「気休めかもしれないが、まあやらないよりかはマシだろう」
     その瞬間、頬に触れる感覚があった。完全に夢だと思っていたため、そのリアルな感触に驚き、思わず肩が跳ねた。
    「う、うう……っ」
    「っと、悪い、痛かったか?」
     今更ながら、頬の痛みを思い出した。頬だけではない。全身がズキズキと痛んでいる。夢だと思っていたが、こんなに痛みを感じるのであれば、もしかしたら夢ではないのかもしれない。
     であれば、近くにいるこの男は何なのだ。状況が全く見えてこない。ぶる、と体が震える。
     力の入らない手で上半身を起き上がらせ、声が聞こえたところから遠ざかるように身をよじる。
    「だ……誰ですか、そこにいるのは」
     久々に出す声は掠れていたし、震えてもいた。それもそうだろう、最近声を出した記憶と言ったら、暴行を受けていた時の悲鳴くらいだったのだ。まともな言葉を話したこと自体、どれくらいぶりのことか。
    「俺はアメヒコ。心配するな、手当てするだけだ」
     アメヒコ。聞いたことのない名前だ。そんな人物、閃極の関係者にいただろうか。
     そう考え込もうとしたムゲンの頬に、再びアメヒコの指が触れた。今度は明確に、指だと認識できた。瞬間、脳裏にこれまで自分を嬲りつづけてきた男たちから受けてきた暴行の数々がフラッシュバックする。
    「っ……触らないでください!」
     思わずその手を払いのけた。逃げなくては。でもどこへ?出口はあるのか?それすらもわからないが、とにかく自分に触れようとする全てが恐ろしかった。両手をついて立ち上がろうとするが、力が入らずに直ぐに膝から崩れ落ちてしまう。膝は痛んだが、気にしていられない。仕方なく、膝をついたまま手を前に伸ばした。四つ足の獣のように、逃げ場所を求めて進む。しかしそれは、すぐに壁に阻まれてしまう。強く頭をぶつけてしまい、衝撃と痛みから思わずその場に倒れこんだ。
    「お前まさか……目が見えてないのか?」
     そう尋ねられ、惨めな気分がよりいっそう強くなる。
     名前も知らない他人に、このような無様な姿を晒していることにも酷い屈辱感を感じるが、それ以上に自身の目が見えていないことへの絶望感が強かった。
     逃げたくても逃げられない。どうせ、殴られ、蹴られ、犯されて、抵抗もできずに死んでいくだけなのだ。そう思うと惨めで惨めで仕方がなかった。
     ムゲンはアメヒコからの質問に一切答えることなく、ただその場でうずくまった。それで放っておいてくれるような人であれば良かったのだが、まあ現実がそう甘くはないのはよくわかっている。
     ギシ、と床が軋む音が聞こえた。アメヒコの歩く音だ。ムゲンは体を固くした。
    「傷が酷いとは思っていたが、まさか目まで見えていないとはな。大丈夫か?今頭を強く打っただろう」
     気付けば、頭を優しく撫でられていた。敵意は無いように思える。しかし油断してはならない。牢獄でも、優しくしておいて後から地獄のような仕打ちを受けたことが何度もあった。
     ムゲンは体を硬直させたまま、ただ唇を強く噛んでその手の動きが止まるのを待った。
    「……よほど酷いことをされてきたんだな。……安心しろ、俺はお前に危害を加えたりしない。……と言っても信用ならんだろうが」
     アメヒコの手は休むことなく、ムゲンの頭をさすり続けた。これまでの人生で頭を撫でられることなどなかったムゲンは、不可思議な感情が湧き上がってくることに戸惑いを覚えた。何かを話さなくてはと思うのだが、何も言葉が出てこない。そのかわりに、鼻の奥がツンと熱くなった。だんだんと息が詰まるようになり、ムゲンは自分が泣いていることに気がついた。涙が溢れて止まらない。痛くて苦しくてたまらなかった時ですら涙は流さなかったのに、何故今、こんなにも涙が出てくるのだろう。
    「よしよし。大丈夫、大丈夫。もう大丈夫だからな」
    「な、にが、大丈夫、なんですか」
     やっと吐き出した声は、アメヒコを責め立てるような、それでいて縋るような、情けない声だった。
    「そうだなあ。確かに、何がだろうなあ。俺にはお前の目を治してやることはできないしなあ。……ああそうだ、メシくらいならご馳走してやれるぞ。腹は減ってるか?」
    「はい?」
     そういうと頭を撫で続けていたアメヒコの手が離れ、パタパタと足音が遠ざかっていくのが聞こえた。それからすぐに、パタンと何かが閉まる音や、ガサゴソと袋を探る音が聞こえてくる。
    「さすがにいきなりカップ麺はキツいか?レトルトのおかゆとスポーツドリンクとかなら備蓄があるが」
     少し遠くから聞こえてくるその声は、どこか違う世界の言葉のようだった。
    「あとは、冷食のうどんもあるが……、なあ、何なら食べれる?アレルギーとかあるか?」
     何でもないことのように質問を投げてくるその声に、どうしようもなく気が抜けてしまった。気が付けば涙も止まっており、息も落ち着いてきた。
    「ふふ、あなたは、おかしな人ですね」
     ゆっくりと起き上がりながら、声の聞こえる方に向き合った。何も見えないが、それでもそこにいるだろうと思って、瞼を上げてみた。視界は変わらず真っ暗だが、不思議と不安はなかった。
    「なあ、どうする。とりあえず水でも飲むか?」
    「ええ、はい。お願いします」
     そういえばとても喉が渇いていた。声が掠れていたのはそれもあったのだろう。
     アメヒコはムゲンの手を取ると、それに乗せるように常温のペットボトルを差し出した。
    「開けられるか?難しいなら飲ませてやろうか」
    「なっ、馬鹿にしているのですか!?ペットボトル飲料くらい、飲んだことはあります!」
     そう言って蓋を開けようとするが、まだ手に力が入らないためか、うまく回すことができない。
     逆向きだったか?と反対向きに力を込めるが、それでもフタはピクリともしなかった。
     ブフッ、と笑い声が聞こえてくる。
    「なっ、何を笑っているんです!失礼な方ですね」
    「ああ、いや、すまなかった。ちょいと借りるぜ」
     そう言うとアメヒコはムゲンの手にあったペットボトルを奪い、カチリと音を立てて蓋を開けた。
    「こぼさないよう気をつけろよ」
     そうして再びムゲンに水を手渡す。ムゲンは恐る恐る飲み口に唇ををあてると、そのままゆっくりと上を向いた。水はムゲンの口へと流れ、そして口からこぼれた分が唇をつたって顎へ、シャツへと流れた。
    「んっ!?」
    「あ」
     シャツが濡れる感覚に驚いたムゲンは、ペットボトルを下ろし、そのまま固まってしまった。
    「…………」
    「あ――、まあ、気にするな。水だし」
    「……なんと無様な……私は……こんな……」
    「気にするなって。今着替え持ってくるから」
     ペットボトルを両手で持って俯いているムゲンをあやすように頭をポンポンと優しく打つと、アメヒコはタンスから新しいシャツを取り出した。
     その時、扉の向こう側から誰かの声が聞こえてきた。
    「店長――、起きてます――?買取希望のお客さんなんですけど――」
     その声に驚いたムゲンは思わずペットボトルを取り落としてしまった。
    「えっ、あっ、ああ……」
     そしてシャツだけでなくズボンまでびしょびしょになっていく姿を、アメヒコは苦笑いしながら見ていた。
    「店長――?」
    「……ちょっと待ってもらっててくれ!少ししたら行く!」
    「はーい!お願いしまーす!」
    「……さて。着替えは、下も必要そうだな」
     アメヒコは事も無げにそう言うと、タンスの別の棚の戸を引いた。
     
     
    「ありがとうございましたー」
     気の抜けたアルバイトの声が店内に響いた。今の客が帰ったことにより、またこの小さなカード店は客が一人もいない状況となった。
     買取査定をしたカードの束を金額ごとに仕切りのある箱に入れたアメヒコは、数十枚入りのスリーブを外袋ごと取り出してカウンターに乗せた。
    「悪いが、一枚ずつ入れておいてもらえるか?値札貼りまでいけそうだったらそっちも頼む」
    「はーい。って、店長またもどっちゃうんです?」
    「ああ。捨て猫の世話をしなくちゃならないからな」
     アメヒコが含みのある笑顔でそう言うと、アルバイトはハア、と呆れ顔で息を吐いた。
    「猫ねえ。まあ、いいですけど。まったく店長は人使いが荒いんですから」
    「その分給料は出してるだろ?もうけっこう貯まったんじゃないか?」
    「まだまだ、全然ですよ~。でもちゃんと貯めてますからご心配なく」
     勝ち誇ったような顔で胸に手を当てたアルバイトを見たアメヒコは、フッと笑みをこぼした。
    「そいつは何よりだ。じゃあ俺は引っ込んでるから、また何かあったら呼んでくれ」
    「はい。いってらっしゃい~」
     アルバイトは手に持っていたハンディモップをパタパタと振った。埃がハラリと落ちたのを見たアメヒコは何か言いたげだったが、まあいいかと背を向けて扉を閉めた。
    「捨て猫……っていうか、人だよね?さっきから聞こえてる声。色々気になるけど……まあ、深くは突っ込まないでおこうかな」
     アルバイトは小声でそう呟くと、カウンターの椅子に腰かけ、カードを一枚ずつスリーブに入れる作業に取り掛かった。

    「悪い、待たせたな」
     アメヒコが部屋に足を踏み入れると、新しい服に着替えたムゲンが卓袱台の前でちょこんと座っていた。
     机の上には空になったお椀とスプーンが置かれている。
    「アメヒコ。その……ご馳走さまでした」
    「全部食えたんだな。まだ腹減ってるか?」
    「いえ。十分です。久々のまともな食事でしたので、これ以上は胃が受け付けないかと」
     アメヒコが出した食事は、レトルトの粥だった。風邪をひいたりした時のためにストックしておいたものだったが、まさかこういった形で役に立つとは。
     それにしても。
    「久々のまともな食事って……お前、いつから食べてなかったんだ?昨日もあまりにも軽すぎて、驚いたぞ」
     そう、このムゲンという男を最初に拾った時に、背中に抱えて思ったことの一つが「軽すぎる」ということだった。身長は自分とそう変わらず大柄だが、体重がそれに全く見合っていない。それから体を洗った時に見た姿も、ところどころ骨が浮いていて痛々しかった。
    「それは……」
     ムゲンは俯いたきり、口を閉ざしてしまった。
     陰鬱な表情。身体中の傷。それから目覚めてからの酷く怯えた様子。どう見ても、彼が口では言えないほどの凄惨な状況下にあったことは明白だ。
    「言いたくないなら、言わなくていいさ。無理に聞きゃしない」
     アメヒコは、つとめて明るい声でそう言った。別にこんなことでいちいち追い詰めるつもりはなかった。しかしムゲンの表情は晴れるどころか、いっそう曇ってしまった。
    「……何故」
    「ん?」
     ムゲンは、俯いたまま手をギュッと握り、思いつめた表情で言葉を一つ一つ吐き出していく。
    「何故、……何も聞かないのです。私が何者なのか、何をしてきたのか、貴方はもしや、ご存知なのではないのですか。……何が、目的なのですか。……わかりません、私には」
     ムゲンの声は掠れ、ところどころ震えていて聞き取りにくかったが、何よりも彼が大きな不安を抱いているということだけは十分に理解できた。
     アメヒコは、ムゲンがぎゅうと握りしめている手をそっと優しく包んだ。ムゲンの肩がぴくりと跳ねたが、気にせず握り続けた。
    「じゃあ一つ、聞いてもいいか」
    「っ……、はい、どうぞ」
     ムゲンの肩がこわばる。緊張が強まったのが手に取るようにわかる。
    「何て呼んだらいい?何という名で呼ばれたい?」
    「……はい?」
     アメヒコの質問を受けたムゲンは、面食らったような顔で口をポカンと開けた。
    「いつまでもお前、じゃあな。アダ名でもなんでもいいから、名前を教えてくれないか」
     それを聞いたムゲンは、黙りこくってしばらく悩んだ後、ポツリと「……深見、ムゲン」と呟いた。
     これに面食らったのはアメヒコだ。
    「今、何て?」
    「私の名前は、深見ムゲンです。どうか好きに呼んでください。アダ名など、つけられたことがないので」
     ムゲンはあくまでも身分を偽ったりするつもりは無いようだ。自身の名前がそれなりに世に知られていることを承知の上で、そう名乗るというのはどういった心境なのか。
    「わかった。じゃあ、そうだな。ムゲン、と呼ばせてもらおう。それでムゲン。一応確認なんだが、お前はこの先、どうしたいと思ってるんだ?」
    「どう、とは」
    「見たところ、身体中傷だらけだし、もしかしたら骨にも影響が出てるかもしれん。あと、確実に栄養失調だ。一度病院で診てもらった方が良いんじゃないかと思うんだが、お前はどうしたい?」
     病院、という単語にムゲンは再び口を閉ざした。それもそうだろう。ムゲンほどの時の人が受診しにきたら、ほぼ確実に閃極の関係者に話が行くだろう。そうすれば、間違いなく彼は、こうなるまで痛めつけられたその地獄のような生活に逆戻りだ。正直に言って、人道的にもそんなことを認めたくはない。
    「俺は医者じゃない。傷も骨折も目も治してやることはできない。だが、もしお前が望むのなら、ホテル代わりくらいにならなってやってもいい。まあ、なんかワケがありそうだしな」
    「何故。そんなことをして、貴方に何のメリットがあるというのです」
     得心のいかない顔をしているムゲンは、どうやら疑心暗鬼に陥っているようだ。それも仕方ないだろう。ここまでに、いったいどれほどの裏切りを受けたのか、想像に難くない。会ったばかりの男を疑うなという方が無理な話というものだ。
    「そうだな。確かに、お前を助けても俺にメリットはないかもしれない。だが、今のお前を見ていたら、放っておけない、どうしても助けてやりたい、そう思ったんだ。……それじゃダメかい?」
     その言葉に嘘はなかった。だからこそそれが伝わるように、ムゲンの手をより強く、しかし痛みを感じないように気をつけながら握りしめた。
     少しだけ強くなった握る力に安心したのか、あるいは追及することを諦めたのか、ムゲンは瞼を閉じると、ふう――、と長く息を吐いた。
    「……貴方がただのお人好しなのか、それとも何か裏があるのか、私にはわかりません。……ですが、それも今更です。どうせここから逃げたところで、行く場所など、どこにもない。……今は、貴方を信じてみることにします」
     そう言うと、ムゲンはアメヒコに握られたままの手を床に下ろし、深く頭を下げた。
    「どうかよろしくお願いします、アメヒコ」
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