「軽度の熱中症ね。横になっていれば、じきに良くなるわ」
「すみません、お手伝いをするはずが逆にご迷惑をお掛けしてしまって……」
アルカソーダラ族の女性は、私を丁寧にベッドに降ろしながら首を横に振った。
「ううん、あなた達にはとてもお世話になっているもの。今日は彼と一緒じゃないのね」
「ホーリー・ボルダーですか。彼なら今日はルヴェーダ製糸局の方で手伝いを……、む」
ラザハン独特の模様があしらわれた大きな扉の向こうで、騒がしい音がする。
バタバタとした足音は恐らく扉の前で止まり、次いで落ち着いた風を装ったノックが鳴った。
訪ね人の分かった私が対応しようと身を起こせば、同じく訪ね人のわかっている彼女が件の訪ね人よりも数倍大きな手で私を制す。
アルカソーダラ族の女性がゆっくりと扉を開ければ、そこにいたのはやはり思い描いていた人だった。
「クルトゥネが! 倒れたと!」
「大袈裟だ、ホーリー・ボルダー」
鎧を脱ぎ、普段より軽装のホーリー・ボルダーが息を切らしながら立っている。
今日の彼はルヴェーダ製糸局で荷運びの手伝いを買って出ていたはずだった。
私が何ともないことを確認し落ち着きを取り戻したホーリー・ボルダーが、ようやくアルカソーダラ族の女性へと挨拶をする。
余程取り乱していたらしかった。
大袈裟だと言う他ないが、もし逆の立場であれば私も同じ反応であったかもしれないので、これ以上は彼を咎めないことにする。
「製薬堂の方でしたね。クルトゥネのことを、ありがとうございます」
「いえ、いえ、私は運んだだけよ」
ホーリー・ボルダーは体格が良い。
エオルゼアでは大柄な種族であるルガディン族の中でもかなり背が高く恰幅もある方だが、アルカソーダラ族と並んでは相対的に小さく見えた。
何だか新鮮に感じぼうっと二人を眺めていたら、彼らの会話を聞き逃してしまった。
気が付けばホーリー・ボルダーの手には、白いタオルが握られている。
彼はそれを持ったまま、私が横になっているベッドサイドまで歩いてきた。
「ホーリー・ボルダー?」
「汗をかいているな」
「んっ……ん、んん……?」
額にじっとり、ひんやりとした感触。
どうにも、濡れタオルで汗を拭かれているらしかった。
「私、飲み水を取ってくるわね」
子どもじゃないんだぞとホーリー・ボルダーへ抗議しようとした時に女性から声が掛かったため、彼ではなく彼女に返事をする。
それで、何となく逃してしまったのだ。
彼の手を払うタイミングを。
「……すまない、ただの熱中症だ。サベネアの気候は、グリダニアよりだいぶ暑い。お前は問題ないか?」
「ああ、むしろ過ごしやすい気候だ。体調に気付いてやれず、すまなかった……」
「過保護すぎやしないか」
ホーリー・ボルダーは答えず、黙々と私の身体を拭き上げていく。
アルカソーダラ族の女性が戻ってきたのは、露出している面の清拭を終え、彼が私の上着を脱がそうとしていた時だった。
お邪魔だったかしら、と笑う女性に二人で頭を下げる。
彼女は、私とホーリー・ボルダーの分の水を持ってきてくれていた。
「すみません、私の分まで」
「向こう力仕事だったでしょ? 好きなだけ飲んでね」
「というかホーリー・ボルダー、荷運びの方は良いのか?」
正にそのタイミングだった。
扉の向こうから、ホーリー・ボルダーを呼ぶ声がしたのは。
「……少しだけ時間を貰って抜けてきていた。すまないクルトゥネ、眠るまで傍に居たかったのだが、時間切れだ……どうか無理をせず、安静にするのだぞ」
「お前が言うと冗談に聞こえないのだが……」
「? よし、また後でな」
足早にホーリー・ボルダーが去っていく。
パタン、と扉の閉まる音がして、何か緊張でも解けたのだろうか。
急激な眠気がこみ上げてくる。
「うふふ、甲斐甲斐しい旦那さんなのね」
アルカソーダラ族の女性が、慈しむような声色で言った。
いや、違う。
彼は私の旦那でもなければ、恋人でもない。
ただの友達ですと、訂正しなければならなかった。
しかし、何かを説明するには、頭の覚醒度合いが足りない。
今の私には、単純な受け答えしか出来なかった。
だからだ。
きっとそうだ。
「…………ええ、まぁ……」
これが私に出来る精一杯の返答だった、ただそれだけに違いが無かったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「………ん…」
「目が覚めたか」
額に何かが触れる。
柔らかいこれは、恐らく乾いたタオルだ。
ふわりとした白い布が引いていけば、極彩色の天井と見知った顔が見える。
そうだ、私は熱中症で体調を崩し、休憩室をあてがわれたのだった。
ちらりと丸い窓を見やれば、斜陽が差し込んできている。
それなりに眠っていたらしかった。
「水は?」
「……飲む…」
「腹はどうだ?」
「……空いていない、こともないが…」
「よし」
身を起こしホーリー・ボルダーから手渡された水を飲んでいれば、彼はテーブルに置かれたトレーを持ってくる。
トレーには、ムントゥイ豆のスープに似た何かが乗っていた。
ほんのり甘い香りがしている。
「ホーリー・ボルダー、それは?」
「レンズ豆のココナッツミルク煮だ。元々レンティルカレーになる予定だったものを、アレンジしてもらった。探してみて実感したが、ラザハンは刺激のある料理ばかりだな」
どうやら私のために、ホーリー・ボルダーがわざわざ特注で用意してくれたらしい。
それは大変に助かる。
助かるのだが。
「…………」
「どうした、食べないのか? やはり食欲はまだそんなにか」
「い、いや、その……」
私の目の前に、適温のスープがある。
胃に優しそうな香りで、正直に言うと食欲をかなりそそられていた。
しかし、だ。
「ひ、一人で食べられるのだが……」
ホーリー・ボルダーが冷ましたスープが、スプーンに乗せられ私の目の前にある。
このまま口を開けて流し込まれるのを待てというのか。
遠慮がちな抗議の視線を向ければ、ホーリー・ボルダーはきょとんとした顔をしていた。
「弟が風邪を引いた時などはいつもこうだったのだが」
「何年前の話だそれ……もう、まあいい」
あ、と口を開けば、丁寧にスープが流し込まれる。
美味い。
故郷からは遠い味だが、良いものだった。
ゆっくりと咀嚼していると、ホーリー・ボルダーが再びスープを掬っている。
私が嚥下したのを見た彼は、やはりスプーンをこちらへ近付けてきた。
腹が減っている。
ただそれだけの事だ。
口を開ければまた温かいスープが流し込まれる。
大した量では無かったが、皿が空になる頃にはそれなりの時間が経っていた。
「美味かった。ありがとう、ホーリー・ボルダー」
「ああ」
「だが、な……その……あまり甘やかしてくれるな」
風邪をひいた幼子でもあるまいに、甲斐甲斐しいを通り越して甘やかし過ぎである。
善意の行動であるのは確かなので不貞腐れるのも悪いと分かっているが、到底成人男性が成人男性の友人に行う行為ではない。
例え親友同士だったとしても、だ。
困り顔の私とは対照的に、ホーリー・ボルダーはなんでもない事のように皿を片付けている。
その上、笑いながらこう言った。
「たまには夫らしいことをさせてくれたって良いだろう」
ギョッとしてホーリー・ボルダーの顔を見る。
「な、なんだ夫って」
「ここへ来る前に、奥さんならお眠りですよと声を掛けられた」
ああ、彼女だ。
やはり微睡みの中でも、否定しておくべきだった。
「すまない、眠気で否定するのも億劫で」
「なんだ、否定する気だったのなら、私の方から妻ではないと訂正しておけば良かったな」
「なぜ否定してこなかったんだ……」
ホーリー・ボルダーはその問いには答えない。
ただ、嫌か?とだけ聞いてきた。
嫌も何も、事実婚姻関係など無いだろうに。
「こんなに世話を焼かれては、夫婦というより親子なのだが」
「はは、我ながら素敵な人を育て上げたものだ」
言いたい事はいくらでもあったが、咎めるのは止めた。
七年を共に過ごして、種々のことを彼に影響されているのだから、育てられたというのもあながち間違いではない。
「子どもと言えばお前、よくヨウザンにお父さんと言い間違えられていたな」
「そういうお前は、コハルとロッカにお母さんと言い間違われていたじゃないか」
「「…………」」
そんなに、夫婦っぽいのだろうか。
二人して目を見合ったところで、控えめなノックの音。
ホーリー・ボルダーが応対すれば、先程のアルカソーダラ族の女性の姿があった。
「あ! 奥さん目が覚めたのね」
やはり夫婦だと勘違いされている。
——嫌か?
親友の声が頭の中で響く。
ホーリー・ボルダーが口を開きかけていたが、私はそれを遮るように言った。
「夫婦共々お世話になりまして」
休憩室を出れば、日はもうほとんど落ちてしまっていた。
伸びた私の影は、並んで歩いているホーリー・ボルダーのそれに半分は覆われてしまって朧気だ。
影に注いでいた視線を本人へと向ければ、カッチリと目が合った。
こういう時思わず目を逸らすのは、いつも私である。
しかしなんとはなしにジッと見つめていれば、珍しくホーリー・ボルダーの方が目を逸らした。
「前を向いて歩かないと、また倒れるぞ」
「倒れる前に、甲斐甲斐しい旦那が抱きとめてくれるから問題ないだろう」
「…………」
照れているらしい。
私も恥ずかしくないと言えば嘘になるが、満たされた気持ちになっていた。
ホーリー・ボルダーの耳が赤く染まっている。
揺れるイヤリングが、普段よりも美しく見えた。
色とりどりの布に覆われたアルザダール通り。
昼の活気が嘘のように引っ込み、人通りは疎らである。
ダーマ区に借りている宿への道すがら、私は彼の横顔ばかり見上げていた。
「!」
手に温い感触。
私の手を、大きな熱源が覆っている。
そっと合わせるばかりのそれにゆるりと指を絡めれば、同じくらいの力で握り返された。
傾いた日が落ちるのは早い。
融け合った二人の影は、瞬く間に闇へと消えゆく。
ラザハンの都は屋内こそカラフルで伝統的な装飾の施された灯りが多いが、屋外となると一変する。
雨が降るだけで薄暗いのに、夜闇となれば言わずもがなだった。
人通りは少なく、道は暗く入り組んでいる。
きっと子供が消えるのは、こういう場所だ。
「迷子の心配か、パパ」
パパ、という言葉にホーリー・ボルダーは分かりやすく反応した。
ずっと見つめていたのだから、それくらいわかる。
「……お前が転ばないように、だが、パパというのは…」
「嫌か?」
ついに、ホーリー・ボルダーの足が止まった。
彼はゆっくりと、ようやく私の方を向く。
「……先にはぐらかしたのは、クルトゥネの方だろう」
緑の瞳が迷いを乗せながら、同じ色をした私の瞳を見た。
力が抜かれ、解けそうになった手を私の方から強く握りなおす。
親友と呼ぶには熱っぽ過ぎる体温を、私たちは分かち合っていた。
「お前が嫌じゃないなら、私も嫌じゃない」
我ながら狡い返しだとは思ったが、事実である。
ホーリー・ボルダーは低く唸りながらも、ついぞ柔らかな笑顔を浮かべて言った。
「……我が妻、クルトゥネ。こうか?」
「恋人をすっ飛ばしていきなり夫婦か」
「……マイスウィートクルトゥネ、などの方が良いか?」
「ふはっ、ひっ、ひぃ……!」
ツボに入った。
真剣にそう返されて、笑わない者などいるだろうか。
「な、何がそんなに面白いんだ!」
最早全部だ。
本気で狼狽えているホーリー・ボルダーがおかしくて、愛おしい。
彼にとって私は本当に、マイスウィートクルトゥネらしかった。
ああ、いつの間に。
いつの間に私たちの想いは、昇華されていたのだろう。
「宿の部屋、取り直すか」
「む?」
「ベッドの数を減らせば、多少は宿代が減る。問題ないだろう?」
ホーリー・ボルダーは私の顔を凝視しながら、三度瞬きをした。
そして、何やら想像したらしい。
ぼぼぼと燃えるように肌を紅潮させ呆けるホーリー・ボルダーは、まるで熱射病で倒れる直前の人。
過ごしやすい気候のはずだろと揶揄うのは、美味かったスープに免じて許してやることにした。