Chocolate今朝から金城の隣を歩くと視線が痛い。
よくあることだけど今日は特に。
二月十四日、バレンタインデー。
一緒に歩いてると金城が呼び止められる。もう何度目だったか。途中で数えんのやめたからわかんねえ。
一生懸命話しかけてくる子に悪いから、俺はちょっと先でスマホ弄ったりして待つ。
金城に渡されるのは、趣向をこらしラッピングされたチョコレートで、好意を伝えるためのもの。『私はあなたが好きです』と。
明早は今日、レースあるらしくて新開が「寒い」と言う短いメッセージと写真を送ってきた。一緒に写っている福ちゃんは、相変わらず天気なんかどうでもいいみたいだった。肝心の場所が書いてないのが新開らしい。二人とも今はどこかで冷たい風の中、思いっきり走ってんだろうな。そう思いながら空を見上げる。
俺も先に帰ってどっか走りにいくのもいいかもなって思ってた。
次に金城が戻ってきたら「先に帰ってるわ」って言おう。そう思うんだけど、戻ってくるたび金城が申し訳ないような顔をするから、なんだか言い出せなかった。
さすがに待ちくたびれて金城を見遣れば、紙袋を受け取りながら丁寧に礼を言っている。
「律儀だネェ…」
待宮は、カナチャンが午後から静岡来るって言って朝から騒いでた。
じゃあの!と言ったと思うと姿が見えなくなるくらいの勢いで帰っていった。あれはたぶんレースのときなんかよりずっと速かったと思う。
そういうのを見るにつけ、今日は『恋人たち』にはいい日なんだと思う。
今の自分にとって、今日はとてもいい日に思えない。
「荒北、すまない」って言いながら金城が追いつく。
金城は妙な慌て方をしていて、それを見ると俺は逆に落ち着いてしまう。
「金城ってさ、モテんよね」
ただの感想だったんだけど、金城はちょっと複雑な表情をして「いや…」と短く答えた。
今の言い方だと、まるで関心ないみたいだな、って自分でも思う。
関心がないわけじゃない。
こいつがモテるのは今に始まったことじゃないし。
性格もあるだろうけど、呼び止められても慌てるわけじゃないし、慣れてる感じ。
昔からこんなこと何回もあったんだろう。
そのたびに、あんなふうに丁寧に礼を言いながら金城は少し困ったように笑ったんだろう。
そういうこと考えだすとキリがない。だからあんまり考えたりしないようにしてるだけ。
なのに金城が抱えている紙袋の中で、色とりどりにラッピングをされたチョコレートのひとつひとつがなんか言ってるみたいな気がして、耳を塞ぎたくなる。
呼び止められるのもひと段落したらしいことを察知して、少し足早に構内を出た。
なんとなくホッとして二人ともふう、とため息を吐く。
こういうときはなぜか、変に黙ってしまうか、やたら関係ない話をして喋りまくるかのどちらかで気まずい。
お互い本心を言うことも、それを上手く伝えることもできない。
昨日、ちょっと変わったチョコレートでもないもんかってチラっと見に行ったんだよネ、実は。大きなショッピングセンターのバレンタインコーナー。
そこは戦場みたいだった。遠くから見ていても、そこから立ち上る熱気が見えるような気がした。
ラッピングしてる人も無我の境地に入ってるみたいで黙々とラッピングしてた。
それをしばらく眺めてからなにも買わずに帰った。
家に着いたら金城が「おかえり」ってコタツでミカン食べてた。
バレンタインデーの戦場とは正反対の穏やかな空間だった。
「お前さァ、甘いもん好き?」
「嫌いじゃないが特に好きでもないな」
聞かなくてももう知ってる。たぶん金城は明日がなんの日か気にしてない。戦場に漂う熱気も、ラッピング担当の人が無我の境地なのも金城は知らない。
なんだか腹立たしいような笑いだしてしまいそうな複雑な気持ちになって、金城に「ミカン剥いて」って言った。
金城の家まで歩いて帰る間、あまり口も聞かず黙々と歩いた。
途中のコンビニで飲み物買いたいって金城が言う。
コンビニにも小さなバレンタインコーナーができてる。
それを横目で見ながら、ベプシと一緒になんの飾り気もないチョコレートを買う。昔からパッケージ変わらない板チョコ。
ベプシと一緒に袋につっこんで帰る。
金城は馴染みの店員に「あら凄いわね」とか言われてまたちょっと困ったように笑っていた。
部屋に着くと決まりごとのように俺が暖房をつけて、金城はお湯を沸かす。
金城は喋り続けている紙袋を玄関に置いたままだった。
それを覗き込みながら「悪いネ、あいつ俺のなんで」と小声で言うと少しすっきりした。
金城が「なにやってるんだ?」って急に聞くから慌てて、
「チョコレート、食わねえの」って聞いてみる。
金城はコンビニの袋から板チョコを取り出して「これ食べる」って言う。
コーヒーを淹れている金城を見ながら、板チョコのパッケージを剥がす。
白くもなく、ピンクでもなく、丸くも華やかでもない。
それでもあいつがこれがいいなら、俺はもうそれでいい。
マグカップに波々とコーヒーを注いで持ってきた金城が隣に座った。二人してボリボリとチョコレートを齧る。
言いたいことはお互いあるってことはわかってるけど、二人で黙々とチョコレートを食べた。
「荒北」
金城が意を決したように言った。
「お前、告白されてなかったか」静かな言い方だった。
うん、と答えると金城は黙る。
「あの子さァ、ずっとお前のこと見てたらしいんだよね。そしたらいつも一緒にいる俺のことがだんだん気になって、って言ってた」
それだけいつも一緒にいるってことをこういう形で知る。
「…どうするんだ?」
どうする?なに言ってんだこいつ。そう思った瞬間には口から出てた。
「お前がそれ聞くのかよ。じゃあ、お前はどうすんだよ」
昨日からずっとイライラしてんだよ。
こういう日に思い知らされるのは、自分たちがマイノリティであるということ。
そのたびにお互いどこかイライラしたり、切なくなったりすることがある。
「付き合ってるヤツいるんで、って言った。でもこういうふうに言うのは勇気要っただろうから、ありがとネって言った」
金城はそれを黙って聞いてた。
こういう日の金城は変に考え込む。俺はそれが厭なんだってわかってる。
しょうがねえじゃん。俺もお前も男だし。今は、大腕振って二人で歩けないけどさ。
俺たちがもっと歳取った頃、もしかしたら二人でももっと生きやすくなってるかもしれねえじゃん。
まだ時間がある。少しずつ俺たちも変わるし、取り巻く世界も変わるはずだってお前、よく言うだろ。楽天的だって笑ってもお前そう言うじゃん。
だから俺は、お前と一緒にそれを見てたい。もしも生きづらいなら、生きやすくなる方法を探せばいいだろ。
だからそんな顔すんな。こんくらいのことで俺ら揺らいだりなんかしなねえよ。
それよりお前、あの袋の中身どうすんだよ。
あれを見てる俺が冷静だとでも思ってんのか。
そこまでまくし立てて息が切れた。
金城が俺に冷めたコーヒーが入ったマグカップを渡す。
「聞いてんのかヨ」
ひと言も返事をしない金城に言う。
「ちゃんと聞いてる」
金城はなんかちょっと嬉しそうに笑っていて、俺は余計に腹が立った。
もう少しなんか言ってやろうと息を吸い込むと
「チョコレートは寒咲先輩に送って、総北の自転車競技部でマネージャーをやってた妹の寒咲幹…荒北は憶えてないか。うちの部にいた髪の長いほうの。寒咲に送ればすぐになくなる」
「チラッと見たような気はするけど憶えてない」
高校時代も頼んだことがあるんだって金城が言う。
「俺にも付き合ってる人がいるからな」
そう言いながら金城は板チョコを割る。半分を俺に差し出して「これで十分だから」とこっ恥ずかしいことを言いながらそれを食べる。
なんだかもう怒ってる自分がバカみてえだって思ったら急に恥ずかしくなってきた。
「じゃあ、もう毎年これだかんなァ」
「来年は俺が買うサ」
「俺はもっとサクサクしたヤツが好きなんだよ」
そうか、憶えておくと金城は嬉しそうに笑ってる。