毛布荒北が今、包まっている毛布はもう随分長いこと使っているような風合いだった。
うちにも、荒北の家にも静岡に越してきた時に買った新しい毛布があるのだが。
春先は一緒に過ごしても泊まっていくことは滅多になかった。
梅雨の時期が始まった頃にぽつりぽつり帰らない日ができて、客用の布団で寝るようになったけれど、もうその頃には毎日が湿気の粒で覆われたみたいな天気が続いた。
その頃にはうちにある一部のものは荒北のものになっていたし、それが当たり前になっていた。
荒北がここにいることも。それが当たり前のように。
夏の暑さを越えて秋の爽涼を感じる頃になると荒北が自宅から一枚の毛布を持ってきた。
その毛布のタグには『荒北』と小さく書いてあって、ところどころ毛羽立っていた。
なぜ、それでなければならないのかと聞くことを少し躊躇った。
でもそこに意味を持たせてしまったら自分が負けるようなそんな気がしたのだった。自分でもくだらないと思う。
でもそこにある毛布が箱根学園の空気も、寮の中の生活や、思うようにならなかったこと。自分の中の不必要に尖ったものを削り、必要なものを研ぎ続けていた荒北の原点を、仲間とのやり取りもともに部屋で過ごす夜を包んでいたのかと思えば意味がない訳がない。
自分の知らないことを知っているものがなにもかもなんだか腹立たしく思えた。
それが嫉妬だ。
持て余したり、のしかかられて潰れそうになったり本当に厄介でどうしようもない。
ある日、夕飯が終わると荒北が書類入るくらいの箱を鞄から取り出した。
ちょいちょいと手招きしてそれをすっかり片付け終わったテーブルの上で開く。
そこには何枚かの写真、反省文、福富が書いたと思われる練習メニューのメモ。
レースで勝ったときのゼッケンなんかが詰め込まれていた。
写真は部で撮ったもの。笑ってる顔なんか一枚もない。少し古い家族のもの。アキちゃん。福富、東堂、新開と一緒に撮ったものは笑っているものもあった。
反省文はさァ、卒業ンとき担任がまとめて持ってきて「このときのことを忘れるなよ」って真面目な顔で言うから捨てれなかったと写真の中にはない、照れたような穏やかな顔で笑う。
これはいつで、なんのとき。
そんな話を聞きながら一緒に笑ったり怒ったりしてふと気づく。
なんで急にこんなものを見せたのかって。
それを口にしたら荒北が呆れた顔をして
「オメーが昨日寝ぼけて俺の毛布取ってさァ、これ嫌いなんだ!とかなんかぶつぶつ言ってたんじゃねえか」
なんかしばらくぶつぶつ言ってた。昔のことはどうのとか。そう言ってニヤッと笑った。
「お前アレね、カワイイトコあんだネ」
勝ち誇ったように荒北が言う。
自分の口から乾いた笑いが勝手に吐き出されて、これをどうやってやり過ごしたらいいのかと情けない気持ちになった。
慌てる自分を見ていた荒北が、俺の頭に手を置いて
「次はお前の話、聞かせろよ」って言った。
その顔はどこかで見たことがあった。
知りたい。
どれだけ些細なことでも知りたい。なにを見てきた、どんなことを感じてたって思ってた自分の顔だ。
「俺の話はあまり面白いものはないが」
そういうと
「お前のする昔話なんでも面白いヨ」って荒北が笑う。
静岡に来るとき、殆どのものを置いてきた。
なにも持ってない。寝心地がいいという古い毛布もない。
「まずは巻島の話から聞かせろヨ」
そう言った荒北がコーヒーのおかわりを作って、俺は巻島の緑色の髪をゆっくりと思い出す。
そうやって二人で思い出を噛み砕いて一緒に飲み込む。
あの毛布をもう、夜中に寝ぼけて引っ張ることもない。