あなたが好き二月上旬─自由登校の気配を見せつつある時間割をこなし、高校三年生たちはラウンジに集まっていた。
夕方に差し掛かる時間帯は、どの年齢層の隊員も集まりやすいようで、顔を突き合わせてお喋りに興じているのは彼らだけではない。
「ねぇ、今年バレンタインどうする~?」
─すれば、そんな会話が耳に飛び込んでくるのもある意味必然であり、それを聞いて荒船が真っ黒な装いの友人に顔を向けるのもまた必然であった。
「カゲはどうするんだ?」
「あ?何がだよ」
「何がって、バレンタインだよ」
その言葉を聞いた瞬間、影浦は苦虫を噛み潰したような顔をして、すぐに荒船がに向けた目を逸らしてしまう。どうやら、あまり触れられたくない話題のようだ。
「どうするも何も、どうもしねーよ」
「なんでだ」
「…毎年窒息するほど貰ってんだと。そんな奴が男から貰ってみろ、次はキモさで窒息するわ」
鼻で笑いながら影浦が呟いた言葉に、荒船は口を噤む。そんなことはない、とは言い切れない。そんな無責任なことは言えない。
何も言えなくなった荒船に反して、その横に座る彼の副官は、まあたしかに、と前置きをしてから口を開いた。
「モテるからな、二宮さんは」
粗野と素直という、あまりに真っ直ぐ過ぎる要素で構築されている少年─影浦が、高圧的と天然というこれまた癖のある要素で構築された青年─二宮に惚れているというのは、同級生の間では周知の事実である。ただ一人、犬飼を除いて。
「いやー、何もしねえってわけにはいかねえだろ」
「そうだよカゲくん、せっかくのバレンタインなんだから何かアクションを起こさなきゃ」
「てめーらは面白がってるだけだろうが」
ニヤついた顔の当真と、目を輝かせた王子に、影浦はあからさまに溜息をついてみせる。
恋愛というものは、当事者でなければないほどに楽しく面白い。そのため同級生たちは、親身になって相談に乗ってくれる反面、逐一からかわないと気が済まないという節がある。当真や王子などはその筆頭であった。
「まあ、カゲが何もしないって決めたならいいんだけど…ちょっとでも気になってるなら、後悔はして欲しくないな」
「…………………」
そんな二人に比べて、村上はただ真っ直ぐに「応援」の気持ちを飛ばしてくる。いっそ笑ってくれたら楽なのに、どうしてこうもコイツらはお節介なのだと、影浦は飛んでくる優しい感情たちを払うように手を動かした。
二宮が好きだ。けれど、どうにかなりたいわけではない。なれるとも思っていない。
でも、製菓会社の思惑に乗るフリをして、この気持ちを少しでも昇華してしまえたらとは思う。
とどのつまり、ただ勇気がないのだ。
浮かれた奴のフリをして、あの男との関係に一歩踏み込む勇気が、自分にはない。
「…なあカゲ、」
「……ンだよ」
鬱々とした気持ちに気を取られていると、不意に声がかかった。見れば、水上が何を考えているかわからない顔でこちらを向いている。
「ええ方法教えたろか?」
「あ?」
「二宮さんにバレンタインって気づかれへん贈りモンならええんやろ?」
「………まあ」
「ほな、おあつらえ向きのもんがあるわ」
水上はポケットに手を入れ、それからその手を影浦の前に突き出した。何かを握っているようなその手を察して、影浦は水上の手の下に自分の手を出す。
すればそこに、小さなパッケージが転がった。
「これ……」
「それならバレンタインっぽくないやろ?渡しやすいんちゃうか」
「……まあ、こんくらいなら」
「ほな、それ渡したらええわ」
「…おー」
影浦がそれをポケットに雑に突っ込んだのを見て、村上は嬉しそうに頷き、荒船と穂刈は安心したような顔をして、当真は口笛を吹く。
「これはまた…みずかみんぐ、というよりは、生駒隊らしいチョイスだね」
そして王子は、楽しそうに笑うのだった。
◇◆◇
来たる二月十四日。
戦場を歩くのと同じように廊下を歩く二宮の前に、真っ黒で俊敏な影が立ち塞がった。
「?影浦か」
「…………よう」
立ち塞がった文字通りの影─影浦は、いつもより小さい声で挨拶をして、睨むような目で二宮を見上げた。
睨まれるような心当たりがない二宮は、その獰猛な瞳に首を傾げる。
「何か用か」
「…………あの、よ、」
戦場で見かける彼は、その瞳をギラつかせて、その牙をチラつかせて、緊迫した斬り合いほど楽しそうにしているような少年だ。それこそ、二宮が知る影浦雅人である。
しかし目の前の少年はどうだろう。
普段の凶暴性は一切覗かせず、二宮より少し小さな背丈の少年が、牙も見せずに口をもごもごさせている。その姿に、二宮はつい目をぱちくりとさせてしまった。
「…手!出せ!」
─かと思えば急に大きな声でそう言うので、なんだコイツ情緒どうなっていやがると思いながら、二宮は右手をすっと出した。
すれば次は「足りねえ!両手出せ!」と言われ、二宮の頭の中はますます困惑に満ちる。
まさかマンティスで両手首を落とされるんじゃないか─混乱のあまりそんな思考が過ぎるが、顎の下のマスクを見る限り影浦は生身のようだ。切り刻まれることはないだろう。
この困惑はきっと、惜しげも無く影浦に刺さっているのだろうと思いながら、二宮は両手を大人しく出した。
すると、その上に影浦の両手が重なって─
「…………飴…?」
ころんころんと、大きな手に飴玉が転がった。
「それ、やる」
「…なぜだ?」
「なっ……別に、なんでもねーよ!なんの意味もねーから!気まぐれだ!」
「?なんでそんなに顔を赤くしてんだ」
「っ、うるせー!」
二宮の指摘に、影浦はマスクを慌てて上げて、顔の半分を必死で隠す。
それでも、耳まで赤くなってしまった顔は無くすことが出来なくて、随分と愛らしい姿になってしまう。
「…ふ、」
「あぁ!?何笑ってんだよ!」
「……いや、」
珍しく目を細めた二宮に、影浦は怒号混じりの声を飛ばす。すれば、二宮は両手にたくさんの飴を持ったまま肩を揺らした。
「お前は、本当に表情が豊かだな」
─優しい声と、甘いマスクが描く笑み。
それに、影浦はすっかり打ちのめされてしまって。
「っばーか!ばか二宮!ちゃんとそれ食えよな!」
バタバタと音を立てて、あっという間に走り去ってしまった。
その場に取り残されたのは、大きな手いっぱいに飴を抱えた二宮だけ。その姿は、ボーダーの廊下ではとてつもなく目立つ。
「あれ?二宮さん、立ち尽くしてどうしたんですか?」
だからこそ、通りかかった賑やかな方の部下がすかさず声を掛けてきて、二宮の手の中をひょこっと覗いてきた。
「うっわ何ですかその大量の飴!」
「…貰った」
「貰ったって………あ~なるほど、これは熱烈ですね」
「?何の話だ」
「いや、俺もこの前ちょうど水上と王子に教えてもらって知ったんですけどね?」
飴を持ったまま首を傾げる二宮に、犬飼はふふふと笑うと、ちょっとすみませんと断ってからスマホに何かを打ち込む。
そして数秒の後にニコニコと笑いながら、とあるページを二宮に見せた。
「バレンタインに飴を贈る意味、知ってます?」
「…………っ」
─困惑という点たちが、二宮の明晰な頭脳の中で徐々に線になっていく。
普段より歯切れの悪い物言い、赤くなった顔、手のひらいっぱいの飴玉─まさか、まさかそんなことがあるのだろうか?
「ちなみに誰に貰ったんです?」
「………犬飼、」
「はい?」
二宮は飴玉たちを犬飼に渡し、今一度ポケットに手を入れる。そして戦場で標的を見つけた時と同じ目で、影浦が走り去っていった方を見た。
「…これを持って作戦室に戻れ。これはどこか安全な場所に置いておいてくれ」
「?了解です」
「俺は影浦を追う」
「カゲをって…え!?これ渡してきたのカゲなんですか!?」
「……水上と王子が話していたのなら、影浦がこれの意味を知っている確率は高いだろう。あいつの本意を確かめてくる」
これが勘違いであるのなら、考えすぎであるのなら、そうかと一言で済ませばいい。ただのプレゼントだというのなら、隊員と共に消費すればいい。
けれどもし、あの飴玉に、なにか別の意味が含まれているのなら、二宮はすぐあの少年を追わなければならない。だって。
「犬飼、」
「はい」
「食べるなよ。俺のものだからな」
─やっと、彼を自分のものに出来るかもしれないのだから。
「頼むぞ」
「はは、犬飼了解~」
そう言い残し、二宮な少々急ぎ足で角を曲っていった。連鎖するように取り残された犬飼は、爆笑したいのを堪えながら作戦室に歩を向ける。
「いや~これは面白くなりそう」
あとで同級生にメッセージを入れなくてはと画策しながら、飴玉を一つとして落とさぬよう、犬飼は慎重に歩くのだった。
◇◆◇
「なあ水上、なんであの時カゲに飴を勧めたんだ?」
ところ変わってラウンジでは、影浦と犬飼を除いた同級生たちがテーブルに集まっていた。
何気ない世間話の間に、ふと村上が疑問に思ったことを聞けば、穂刈と荒船もこちらに目を向ける。
「ああ、気になっていたんだ、俺も」
「やっぱり関西人だからか?」
「ちゃうわ、関西人がみんな飴ちゃん持ってるわけないやろ」
「持ってないのか?」
「そら持ってる人も多いけど…ってちゃうちゃう、飴ちゃんの話やろ」
逸れ始めた話の筋に、水上が自分自身でツッコミを入れて、「それは置いといて」と手で箱を描き、その存在しない箱を横に寄せた。
芸が細かいなと感心する蔵内の横で、王子が西欧の王宮にいるかの如く優雅に笑う。彼には、今回の騒動の全貌が見えているようだ。
「ふふ、みずかみんぐも狡い男だよねぇ。あんな意味があるのに、カゲくんにそれを教えないんだもん」
「?どういうことだ」
王子の意味深な発言に、荒船が首を傾げる。荒船だけではなく、村上や穂刈、蔵内までもが同じような目でこちらを見るので、王子はそれがおかしくてまた笑ってしまった。
「そりゃお前、飴玉をやる時の意味なんざ一つしかねぇだろうが」
「当真は知ってるのか、飴の意味を」
「あたりめーだろ?ま、都市伝説みてぇなもんだけどな」
知った顔をする当真に好奇心は逸るばかりで、段々焦れてくる。
それを察したのか、水上はスマホを何度か操作すると、とある記事を四人に見せた。
「……これ、」
「怒るんじゃないか、カゲは」
「見ててもどかしいねんあの二人。はよくっついた方が俺らの精神衛生上ええやん?」
「そうそう、純粋な親切心だよ!ね、みずかみんぐ」
「そーそー」
「お前ら……」
初めから飴に込められた意味を知っていた水上、王子、当真は楽しそうに顔を見合わせる。反して他の四人は怒った影浦が怒鳴り込んでくるんじゃないかとか、それで二宮と揉めてしまったら、などと考え込むが─
「っおいコラクソブロッコリー野郎!ツラ貸せや!一ミリも残らず八つ裂きにしてやる!」
「おい影浦、水上は今回の功労者だろう。何を怒る必要があるんだ。少なくとも俺は感謝しているが」
「戦ってる時と同じつまんねー面で恥ずかしいことばっかペラペラ言ってんじゃねーよテメェも裂くぞ」
─ラウンジに顔を赤く染めた影浦と、満足気な二宮が現れたため、それは杞憂となったのだった。