いいんですか「お前、セーヨクとか無さそうだよな」
──年相応に下世話な話題が突然投下されたのは、誰もいない会議室で報告書にペンを走らせていた時だった。
その日二宮と影浦が同時に新トリガーの試運転に呼ばれたのはたまたまであった。
トリガーは大きく変わらずとも、日々ブラッシュアップが図られる。大規模侵攻以来は研究員やC級隊員、一部の一般市民などに護身用として携帯させるための、僅かなトリオンでも最低限の護身が出来るトリガーの開発が行われていた。
また近界への遠征が計画されていることから、近界での予測不可能な攻撃からも身を守れるように、玉狛第二の使用しているレイガストのような、防御に特化した専用のオプショントリガーなどの開発も進められている。
今回二人が呼ばれたのは後者のモニターのためで、未だトリオン消費が多いことと、素早い戦闘中の動きを予測したいということで、非番であった彼らに白羽の矢が立った。
しかしモニターには報告書が付き物で、二人は仮想戦闘空間を出た後に、会議室へと押し込められた。鬼怒田曰く「使用感は使用者にしかわからん」とのことで、いつも彼は隊員の意見に耳を傾けている。
それ自体は当たり前でありながらも彼の隊員の安全への配慮や、トリガー開発における真摯さが窺えるものである。しかしただ一つ問題なのは、今回のモニターの一人が影浦であるということであった。
影浦は勉強が苦手だ。その上幼い頃から容赦なく人の感情に物理的に晒されていたせいで、コミュニケーションはあまり得意な方ではない。それが転じて自身の感覚を言語化することが苦手で、報告書はいつも鬼怒田に突き返される。
「今日は二宮がいるからな、二人の意見を擦り合わせて提出しろ。頼んだぞ、二宮」
体良くお守りを命じられた二宮は、表情の読めない顔で「わかりました」と了承した。そのため二人は会議室で向かい合っており──話は冒頭に戻る。
「……急に何の話だ」
「いや、お前の顔見てたらそう思ったから」
「今は構わないが、あまり人目があるところでそういう話をするなよ」
「しねーよ。つか今はいいのかよ」
「俺だって健全な男子だ。その手の話を忌避しているわけじゃない」
二宮の言葉に、影浦は「へぇ」と意外そうにその金色の目を丸くした。そうしていると、本当に爬虫類のような顔立ちだと思う。
「意外だな。そーいう話にゴミでも見るような目ェ向けるタイプかと思ってたぜ」
「TPOを弁えず、自分の経験ばかりひけらかすような下品な奴らにはそうするが」
「それは俺も同感。高校になるとやたら増えるわ、そーいう奴ら」
「安心しろ、大学に行っても変わらねえ」
「ンなもんか」
「そんなもんだ」
頬杖をついて二宮の顔を見つめている影浦の視線を感じながら、ペン先を澱みなく動かす。意見の擦り合わせも済んで、文の構築も脳内で終わらせてある。
この空間は、二宮が文章を書き終えるまでの限定的なものだ。だから別に、影浦の下世話な話題を咎めるつもりもなかった。
「で?」
「何がだ」
「セーヨクあんのかよ」
「逆に何のトラウマや持病もないのに、二十歳で不能だったら問題だろう」
「ま、それもそうか」
遠回しな肯定に、影浦は何やら面白そうに笑った。そしてこの話題に関して二宮が打ち切るつもりがないことを見越して、少し声を小さくしてから、さらに深入りしてくる。
「オカズとか聞いたら答えてくれんのか?」
「……お前も健全な男子高校生なんだな」
「あたりめーだろ。それにこちとら兄貴持ちだぞ?そこらの高校生よりそういうのには早く慣れさせられるっつーの」
そういえば数個上の兄がいると犬飼から聞いたことがある。彼は上に姉がいるから、同性のきょうだいが羨ましいと話していた。兄弟とはそんな情報まで共有するのかと、一人っ子の二宮は感心さえする。
──ペン先は報告書の最後の項に差し掛かり、隊員の署名欄を埋めて終了であった。
「ここにお前の名前を書け」
「おー」
紙の向きを変え影浦に渡し、署名欄を指差す。合わせてペンを差し出せば、影浦はそのペンを取り、紙にペンを走らせた。
「つか、やっぱ答えてくんねーじゃねーか」
「何をだ」
「お前のオカズ」
サラサラとお世辞にも綺麗とは言えない字で署名して、影浦はペンと紙を二宮に返す。すれば二宮はその名前を優しく撫でた。
「……影浦雅人」
「あ?……ンだよ、字が汚ねえって言いてえのか」
「違う」
「はぁ?じゃあなんだよ」
ただ己の名を呼んだ二宮が理解出来ず、影浦は二宮に顔を向けて眉を顰める──すると影浦の名前を撫でていた指は紙から離れ、影浦の薄い唇に触れた。
「お前が聞いたことに対する答えだ」
つぅ、と唇を撫でた指はすぐに離れて、二宮はそれだけ言うと、席を立ち「報告書を提出してくる」と言い残し部屋を出ていった。
部屋には影浦一人が残され、暫くの間、時計が秒数を刻む音しか聞こえない。
「……っはぁぁぁぁ!?!?」
影浦が二宮の返答の意を察したのは、秒数を刻む音が丁度六十回した頃で、開発室まで聞こえた大声に、二宮はこっそり唇を歪めたのだった。