「あ〜!もう!!!」
ランチにしては遅い時間のリストランテに、少年の声が響き渡る。彼はアラビアータを勢いよく啜っているが、どうやらその辛味さえも感じていないようだ。
声の主であるナランチャ・ギルガは、珍しく考えごとをしていた。
それは、つい30分前の出来事に遡る。
──
「最近ナンパしたバールの女、美人だしスタイル良いしおっぱいデカいし、もう最高だったぜ?」
「別に、おっぱいの大きさとか気にならねーよ」
「前々から思ってましたけど、きみは女性の胸しか見てないんですか?最低ですね」
ナランチャとフーゴは、いつものようにリストランテで、ミスタの惚気を聞かされていた。
「なんだよ!そう言うお前らはどうなんだよ?」
ミスタがテーブルに手をついて前のめりになる。どうやらふたりの女性関係について、興味津々のようだ。
「……ギャングが女作るほうがあぶねーだろ」
「ヘーッ、真面目なんだなお前!」
「なんだか意外ですねえ」
ナランチャの口から発された意外な回答に、フーゴもミスタも目を丸くした。
「オイ!そんな驚かなくてもいいだろ!!そう言うフーゴはどうなんだよ!」
「……フン」
フーゴが冷めた目でナランチャとミスタを見る。
「フーゴちゃん、お坊ちゃまだからそういう経験ないんじゃないのお〜?」
「トリッシュのおっぱいに飛び込んで、顔真っ赤にしてたもんなあ、フーゴォ♡」
ナランチャとミスタはけらけらと笑いながら、フーゴをからかい始めた。
フーゴはもはや二人にキレる気力も残っていないようで、大きくため息をつく。
「つまり、フーゴはさ、ドーテーってこと〜?」
「……違いますよ」
「へ!?!」
ナランチャとミスタが声を揃える。
「……だから、違いますって」
「え.....マ、マジ?」
「......もう良いですか?見回りの時間なので」
フーゴはそう言って、気まずい空気が流れるリストランテを後にした。
「なんか……あいつもそういう経験あるの意外じゃねえか?なあ、ナランチャ」
フーゴの後ろ姿を見送りながら、ミスタは呟く。
「……おん」
一方のナランチャはというと、どこかうわの空といった感じだ。
「どうしたんだよ、ナランチャ?......あ、さっきのフーゴの話が引っかかってんのかよ〜?」
「そ、そんなんじゃねえよ!!!」
ナランチャにとって、あのクソ真面目で堅物でキレやすいフーゴが、非童貞であることも驚きではあった。
しかし、それ以上に『フーゴが非童貞であること』を知って、相手の女に嫉妬した自分に、もやもやしていたのだ。
(今まで気づかなかったけど……もしかしてオレ、フーゴのこと……)
──
ミスタが女探しのために外出したあとも、ナランチャは食事が進まず、ひとりリストランテに残っていた。
「あ〜!もう!!!」
気が利くし、頭がいいところ。少しキレやすいけれど、すぐに仲直りしてくれるところ。どれだけナランチャの覚えが悪くても、勉強を教え続けてくれるところ。死にかけていたナランチャを、見捨てずに拾ってくれたところ。
ほんとは、心優しいところ。
男同士であり、そして仲間だったから気づいていなかっただけで、知らないうちにフーゴのことを想っていたのだ。
......いや、ふたりが出会ったときには、すでに恋心を抱いていたのかもしれない。
(なんだよ……もし無意識で目線送ってたりしてたんなら……オレちょー恥ずかしいじゃん……)
無自覚だった想いに気づいて、ナランチャは途端に恥ずかしくなり、テーブルに突っ伏した。
「ナランチャ、まだランチ食べてるんですか?」
……後ろから声をかけてきた人物が誰なのか。
テーブルに顔を伏せたままだったが、一瞬で理解した。
コロンの上品な香りが、鼻を掠める。
(そうだ、お前の......その匂いも好きなんだ)
「ふ、フーゴ、おかえり」
「ただいま、ナランチャ。......あれ、どうかしました?顔、赤いですよ」
年下のお節介な少年は、仲間の小さな変化にもすぐに気づく。そんな気が回るところにも、ナランチャは何度も助けられてきたが、今はそれどころではない。
目の前の彼を意識してしまって、直視できない。
「な、なんでもねえよ!」
「いつも以上にきみ、変ですよ。風邪でも引きました?」
「う、うるせ、」
「バカは風邪ひかない、ってのは嘘なんですねえ」
そう言いながら、フーゴはナランチャの額に手を当てる。
「ちょ!やめろって!」
動揺したナランチャは、熱くなっている額に当てられた手を、咄嗟にはらってしまった。
「あ......その、フーゴ......」
「す、すみません」
ナランチャの好きなアメジストの瞳が、悲しそうに揺れる。
(違うんだ、こんなことがしたいんじゃあない)
「フーゴ......その、オレ、」
「......」
心拍数がどんどん上がる。自分の顔が赤くなっているのが、鏡を見ていなくてもよく分かる。
「オレ、フーゴのこと、あいしてる」
フーゴが、口をぽかんと開ける。
「......へ?」
「よく喧嘩もするけど……オレは、フーゴのぜんぶが......好きなんだ」
口からぽんぽんと出た言葉は、ナランチャの体温を上げる。フーゴは固まったまま動かない。
「い、いきなりごめんな!こんなこと言っちゃって......ちょっと頭冷やしてくるよ」
ナランチャは、急いで席を立った。
「待ってください!ナランチャ」
フーゴがナランチャの腕を掴む。
「......返事を聞かずに、どこ行くつもりですか」
「ふ、フーゴ......」
「その......こんなこと、恥ずかしいから、絶対言いたくなかったんですけど」
腕を掴む力がぐっと強くなる。
「......ぼくも、きみのこと、好きですよ?」
「へ!?」
ナランチャから、素っ頓狂な声が出る。
「ぼくがありのままの姿で向き合える相手は、きみだけですから。……特別な存在に決まってるじゃあないですか」
フーゴが照れながらはにかむ。その笑顔を見て、ナランチャは胸が熱くなるのを感じた。
(......特別な存在、か)
フーゴが自分を大事に想ってくれていることが伝わってくる。それが、うれしくってたまらない。
「な、なんだよォ〜!おれたち好き同士だったのかよ!!!」
ナランチャは嬉しくなって、フーゴに抱きつく。
「ちょっと!ナランチャ!!」
「へっへーん!!」
最初は抵抗していたフーゴだったが、ナランチャに頭を撫でられると、みるみるうちに大人しくなった。
(フーゴって、なんかネコみてえだな)
そう思ったナランチャはついつい言葉に出しそうになったが、フーゴにこんなことを言ったらきっと怒るのだろう。
そんなところも、かわいいのだけれど。
「あの……ナランチャ、ぼくは、きみに言わなくちゃいけないことがある」
フーゴが、ナランチャの腕の中でぽつりと呟く。
「ランチのときの話ですけど……ナランチャとミスタにバカにされたくなくて、つい嘘をついてしまったんです。......その、ごめんなさい」
語尾がどんどん小さくなっていく。
ナランチャは、その言葉に目を見開いた。
「ランチのときの話って、あれか?......ドーテーかどうか、ってヤツ?」
フーゴがゆっくりと頷く。
「ってことは、つまり……?」
「ぼくは、女の子とそんな経験をしたこと……ありません」
「ほ、ほんとかよ!?!?」
ナランチャの口角がぐんぐん上がる。
周りに舐められないように、と嘘をついた頭の良い年下のこいつが、かわいくて仕方なかった。
「で、でも勘違いしないでくださいね!?ぼくもキスされたことくらいならありますから!!挨拶で!!頬に!!」
そう言いながら、自分の頬をつんつんと突くフーゴが、あまりにも愛おしくて、ナランチャの頬はゆるゆるに緩む。
「じゃあさじゃあさ、経験豊富なフーゴちゃん、オレにもちゅーしてくれよ!!」
フーゴの指を、自分の頬にぷにっと触れさせる。
「ホラホラ〜!ここだって!」
「そ、それとこれとは!!話が別ですから!!」
フーゴの顔が、みるみるうちに赤くなる。
いちごみたいだな、とナランチャは思った。
「ふうん」
ナランチャは不敵な笑みを浮かべると、掴んだままだったフーゴの手首を引き寄せた。
「ん!?」
右手でフーゴの後頭部をがっしりと掴み、くちびるを押し当てた。そのまま角度を変えながら、何度もくちづける。ふたりから甘い吐息が漏れる。
「ん、はぁ、」
名残惜しさを感じながら、ナランチャはフーゴから離れる。フーゴは目は潤ませながら、呼吸を整えようと肩を大きく上下させていた。
「……これがキスっていうんだぜ?分かった?」
「ず、ずるい……」
「へっへーん!オレはお前より一年も長く生きてんだもーん!」
「一年なんて誤差ですよ!!バカ!アホ!」
照れ隠しに小言を言うフーゴがかわいくて、ナランチャは彼の耳元で、低い声で囁いた。
「お前の知らねえこと、オレが教えてやるよ」
「な……」
IQ152の優等生でも、恋についてはまだまだ勉強が必要らしい。
(フーゴがオレに算数を教えて、オレがフーゴにこういうことを教えるってことは、オレとフーゴはウィンウィンな関係、ってヤツだよなー!!)
ナランチャは、バカな頭でそう思った。