【ブラネロ】厨房友達は伊達じゃない 天気の良い日。
風が穏やかに吹いて、暖かな日差しが差し込む。
昼食を終えた魔法舎はいつもどおり賑やかで、しかし北の国の魔法使いたちによってこの建物が半壊する日を何回も経験している身としては、ある意味今日は静かな日とも言えよう。
そんななか、賢者はネロを探していた。
外から楽しそうな笑い声が聞こえるけれど、そこにネロはいなかった。厨房も覗いてみたけれどもぬけの殻。昼食の皿ももう綺麗に片付けられてあった。
(どこにいるんだろう)
パタパタと走る自分の足音。急ぎの用ではないけれど、報告書を埋めるにあたって彼に聞きたいことがあるのだ。提出するのは出来るだけ早い方がいい。
賢者は階段をのぼり、三階へ。そしてコンコンコンとネロの部屋をノックした。
「ネロ、いますか?」
返事はない。いないのか、もしくは眠っているのかもしれない。今日も朝早くから大人数の朝食を作ってくれたから、休憩していてもおかしくない。
(うーん、どうしよう)
いるのかいないのかだけでも分かればいいのだけれど。
「あれ? どうしたの賢者様」
声がした方へ顔を向けると、そこにはフィガロがいた。柔らかな笑みを携えて首を傾げる。
「ネロに何か用事かい?」
「フィガロ」
「……ネロは部屋にいないみたいだけど」
フィガロはネロの部屋のドアに視線を向け、それからこちらに向き直る。きっと気配か何かを読んでくれたのだろう。賢者は「ありがとうございます」と小さく頭を下げた。
「ネロを探しているんですけど、見当たらなくて」
「うーん。俺も昼食以来見ていないなぁ」
「ごめんね」と謝りながら、彼は胸に手を当ててどこか悪戯げに微笑んだ。
「俺でもよければ、代わりに用を片付けちゃうけど」
「ありがとうございます。でもこの前の任務のことについて聞きたいので」
「そっか。残念」
「フィガロはレノックスに用事ですか?」
「レノックスに用事というか……ミチルとルチルに見せたいものがあったらしいんだけど、部屋に置いて来ちゃったみたいで」
「俺に取って来させるなんて、アイツ最近調子に乗ってると思わない?」と眉を寄せる顔に、賢者は小さく吹き出してしまう。
元々仲が良さそうに見えたレノックスとフィガロだが、最近さらに距離が縮まったような気がしていた。時折ファウストも交えて話しているのを見かけたこともある。
昔は北の国の魔法使いだったようだが、南の国の魔法使いとして出会ったからという理由もあるのだろうけれど、それでも今は南の国の優しいお医者さんにしか見えない。
(どちらであっても、ここで穏やかに過ごせるなら嬉しいな)
賢者は手に持っていた書類を再度持ち直し、フィガロに言った。
「もう少しネロを探してみますね」
「俺もネロを見かけたら教えるね」
「お願いします」
「それでは」と、先ほどのぼってきた階段を下りようとすると、「賢者様」と呼び止められた。
振り返るとフィガロはポケットに手を入れて、先ほどとは違う笑みを浮かべている。
穏やかな空気に、小さな静電気が発生したような、そんな雰囲気。
「ネロがどこにいるか、ブラッドリーに聞いてごらん」
「ブラッドリー?」
「うん」
どうしてブラッドリーに? と首を傾げてしまうと、彼はポケットに入れていた手を出し、まるで指揮棒を振るかのように指を揺らした。
「ほら、彼らは厨房友達だから」
「あはは、なるほど。聞いてみます」
そう笑ってから今度こそ賢者は階段を下りていく。
北の国の魔法使いと同じように輝く瞳を細めた彼を、見ることなく。
「ネロ? いますか? ネロー?」
中庭や食堂、裏庭にも行ってみたが、彼の姿はどこにもない。一体どこに行ってしまったのだろうか。
(もしかしたら厨房に戻ってるかもしれない)
この広い魔法舎だ。すれ違っていてもおかしくない。賢者はまた足音を立てながら厨房へ向かった。
だがそこにいたのはネロではなく。
「ブラッドリー」
「よう賢者」
スープとパンを食べているブラッドリーがいた。
簡易的なイスに腰掛けるその姿は、つまみ食いをしている感じでは無い。
「もしかしてさっきまでここにネロがいましたか?」
「いや? いねぇよ」
ゴクンと飲み込み、ブラッドリーは返す。
「これは俺様専用だ。ちゃんと話しは通してある」
「つまみ食いじゃねぇよ」と睨んでくる彼に賢者は苦笑した。こちらの疑問などお見通しだったようだ。
「ネロを探しているんですが、どこかで見かけませんでしたか?」
「さぁ、見てねぇな」
スープを一口飲む。
「東の飯屋がどうかしたか」
だが視線はこちらを向いていない。しかしそれを気にすることなく賢者は答えた。
「いえ、前回の任務について聞きたいことがあって」
「ふーん」
今度はパンにガブリと噛みつく。その食べっぷりは見ていて気持ちがいい。しかしそれを作った彼は見つからない。
(うーん。夕食の準備する頃にまた探そうかな)
ここまで探してもいないのだ。もしかしたら買い出しか何かに行っているのかもしれない。
一旦この書類は諦めて、別の書類に手をつけようか。そう考えていたところ、不意にブラッドリーが「なぁ賢者」と声を掛ける。
気付けばもうスープもパンも食べ終わり、器用にイスを傾けながら窓の外を眺めていた。
「今日は天気がいいな」
「そうですね」
つられるように賢者も窓の向こうを見る。
淡い色の青空と白い雲。モコモコなそれはレノックスの羊たちを思い出させた。
「さぞ風も気持ちいいだろうよ」
「はい。さわやかな風でした」
「なら裏の木を見てこいよ」
「裏の木? 裏庭には行ってみたんですが、見つからなくて」
「木の上は見たか?」
「上?」
「おう」
カタンと浮いていたイスの脚を床につけなおし、手のひらを合わせる。そして「ごちそーさん」と呟くように言ってから賢者を見て、ニカッと笑った。
「きっと本を抱えながら木の上で昼寝でもしてんぜ」
裏庭を少し歩いた先に一本、大きな木がある。
賢者は草の音を立てながら幹に近づき、そして顔を上げた。
水色の髪の毛が揺れている。
(ほんとにいた)
本を抱えているかは分からないけれど、ブラッドリーが言っていた通り、否、二人が言っていた通りだった。
(厨房友達かぁ)
確かにそういう繋がりもある彼らだけれど、きっとそれだけではないだろう。
特にブラッドリーは周りを観察するのに長けていて、物事の先を見通す力がある。些細な行動も見逃さないのは、北の国で生きていくのに必要な能力なのだ。きっと。
(流石としか言いようがない)
何百年も命を賭けて生きてきた彼に敵うわけがないのだが、それでも賢者として生きていく上で、自分もブラッドリーのように賢く、そして的確な判断が下せるようになりたい。
それは賢者の魔法使いの彼らを守ることにも繋がるだろうから。
「んあ? 賢者さん?」
不意に上から声が聞こえ、賢者は視線を戻す。
太い枝の上、彼もまた器用に伸びをする彼はまるで猫みたいで賢者は小さく笑った。
「おはようございます、ネロ」
そのまた別の日。
今度はカナリアを探していた。
今日も天気が良くて、少し暑いくらいだ。
アーサーが今日はオズとお茶をする予定だと言っていたから、それも関係しているかもしれない。
賢者は楽しそうな声が聞こえる中庭を覗き込む。そこにはリケとミチル、そしてブラッドリーがいた。
どうやら魔法の制御を教えているようで、呪文を唱えて生んだ小さな風の渦の真ん中に木の葉を浮かべている。
リケは風の勢いが弱すぎて葉が落ちてしまい、ミチルは逆に強すぎて葉がどこかへ飛んでいってしまった。
手本であるブラッドリーの風は乱れることなく木の葉を浮かせ、微動だにしない。それどころか教えている間もそれを保っているのだから、歴然の差だ。
「あ、賢者様!」
訓練の邪魔をしてはいけないと思っていたのだが、子供二人に見つかってしまった。
ブラッドリーはもう気付いていたようで、驚くことなく「よう」と頷く。そして彼が作っていた風の渦が大きくなり、葉が舞い上がる。ヒラヒラと賢者の前に落ちてきたそれを、両手でつかまえた。
「邪魔をしてしまってすみません」
「別に。ただ双子のじじいどもに子守を任されただけだ」
「もう、またそんな言い方して! 子供扱いしないでください!」
「木の葉をぶっ飛ばさずにいられたら、もう一度文句を言え」
「う……」
噛みついたミチルを黙らせる。しかし黙った様子は前よりも険悪ではない。リケも「またやってみましょう!」と木の葉を手に取った。
最近ミチルはブラッドリーに魔法を教えてもらっており、時折一緒にいる姿を見る。皆で魔法舎に暮らし始めた頃は想像できなかった光景だ。
「で? 賢者はどうした」
「いまカナリアさんを探しておりまして」
「どこにいるか分かりませんか?」と訊ねると、「何で俺に聞くんだよ」と呆れられた。
「前にネロを探してたとき、場所を当ててくれたので」
「自分で考えろ自分で」
「これでも探し回ったんですよ」
子供のように唇を尖らせる。だが六百歳からしたらこんなことをしなくても、リケやミチルと同じような歳に思われるだろう。
すると。
「わっ!」
突然強い風が吹く。
何かと思えば、どうやらミチルが作った竜巻が少し大きくなってしまったようだ。魔法舎を飲み込むほどではないものの、近寄るには少し怖いくらいのもの。
「ったく」
しかしブラッドリーはまた呆れた様子でパチンと指を鳴らした。それだけでパッと竜巻は消え、宙に浮いた葉がパラパラと落ちてきた。
「女はシーツでも干してんじゃねぇか、きっと」
賢者にそう言ってから「おらガキども!」とミチルとリケに振り返る。どうやらお説教が始まりそうだ。
「ありがとうございます。ミチル、リケ、頑張ってくださいね」
その説教に巻き込まれる前に速歩でその場を後にした。
しかし。
「あれ?」
いつもシーツを干している所を覗いてみると、そこには誰もいなかった。シーツを干した形跡もない。
「いない……」
どうやらブラッドリーの予想は外れたようだ。珍しいと思ったところで、いやいやと賢者は苦笑した。
どれだけ観察力があって勘が鋭かろうが、全てを把握出来るわけではない。むしろ当たったことがすごいのだ。
(でもなんか、珍しい)
賢者は空を見上げる。
晴天。青。白。
――――水色?
(あ、そっか。もしかして)
「おう賢者。探してた女は見つかったか?」
「いえ、見つかりませんでした」
中庭に戻るともうリケとミチルはおらず、ブラッドリーだけが残っていた。
カナリアはいなかったと伝えると「残念だったな」と特段気にした様子もなく返した。予想が当たろうが外れようがどちらでもいいらしい。
そんな彼に賢者は聞いた。
「ネロは見ましたか?」
「あ? 今度はまた東の飯屋が行方不明かよ」
「フラフラしてっからなぁあいつは」と溜息をつく。その表情はカナリアについて聞いた時とは全くの別物で、良い意味で人間くさい気がした。
「またどこかでお昼寝でもしているんでしょうか」
「さぁな」
「どこにいるか分かりますか?」
「分かるわけねぇだろ」
「…………」
「ったく。てめぇは妙なところで怖いもの知らずだよな」
ガシガシと頭を掻いたブラッドリーだったが、どこか楽しげだ。やはりその顔もあまり見ないもので、でもそれを指摘することはせず黙って彼の言葉の続きを待った。
「今日は日差しが強いから、外で昼寝はしねぇだろうよ。暑いの好きじゃねぇからな」
「なるほど」
「甘い匂いもしねぇし、ガキどもに菓子を作ったりもしてねぇ。なら買い出しにでも行ってんじゃねぇか?」
「部屋にはいるっていう可能性は?」
「ねぇな」
一刀両断。
「ひとりが好きなくせに、部屋にこもるのは苦手なんだよあいつは。だから昼寝も外でする。誰にも見つからないようなところでな。んで暇があれば飯やら菓子やらを作り出す」
「ネロのこと、よく知ってるんですね」
「それを知った上で言わせたんだろうが」
「ネロには言うなよ。おっかねぇんだから」と続けるそれはもはや定型文だ。賢者は笑顔で「はい」と頷く。
『そういうことになっている』のだ。彼らは。
「あれ、賢者さん?」
「あら本当だわ」
不意に空から声が聞こえ、賢者とブラッドリーは上を見る。そこには箒に乗ったネロとカナリアがいた。その手には大きな紙袋が。
「…………」
「…………言うなよ」
視線と言葉で釘を刺される。
「ブラッドもどうした? なにかあった?」
箒から下りてネロは首を傾げた。それにブラッドリーは「なんでもねぇよ」と答えてから彼が持っていた紙袋を持つ。そしてもう片方の腕をネロの肩に回した。
「ちゃんと俺様用の肉も買ってきただろうな」
「てめぇには採れたての野菜を買ってきてやったよ」
「野菜はいらねぇよ。肉よこせ肉」
「ったく。子供みたいなこと言ってんじゃねぇよ」
「ガキじゃねぇから言うんだろうが。何年もかけててめぇが落とした舌が喋ってんだよ」
「俺のせいにしてんじゃねぇ」
肘でブラッドリーの脇腹を突きつつも、ネロもどこか楽しそうに笑っている。勿論、ブラッドリーも。
「お二人は仲良しなんですね」
そんな彼らを見つめているカナリアが小さな声でどこか嬉しそうに賢者に言った。
「そうですね」
それに賢者も頷きかえす。
「先に荷物を置きに行きましょう。あとカナリアさんにちょっと聞きたいことがあって」
「はい、どうされました?」
ブラッドリーとネロに声を掛けず、その場を静かに離れていく。折角楽しそうにしているのだ。それを邪魔してはいけない。
降り注ぐ太陽。
晴天。青い空。白い雲。
ネロがどこにいるか、簡単に当ててしまうブラッドリー。
一緒に買い出しに出ていたカナリアのことは分からなかった。
周りを観察するのに長けているから。
物事を見通す力があるから。
だからネロを見つけられたわけではない。
つまるところ、やはり『そういうこと』なのだ。
――――ほら、彼らは厨房友達だから。
フィガロの台詞を思い出して、小さく笑う。
もう何も言うまい。
おっかないので。
厨房友達は伊達じゃない