宝石よりも、その花一輪 雲一つない晴天。
風が木々を爽やかに揺らし、ネロの頬を撫でていく。
川のせせらぎに混じる楽しそうな子供の声は平和そのもので、少し離れたところに座っている場所で静かに笑った。
『ピクニックに行きませんか?』
そう提案したのはリケだった。
どうやらルチルと一緒に読んだ絵本がピクニックのものだったようで、自分も行きたくなったという。何とも可愛らしいものだ。
リケは勿論ミチルを誘い、自分はお弁当係。保護者としてついてきたのはレノックスである。
中央寄りの南の国に綺麗な川があると彼が教えてくれ、そのまま四人で行くことになったのだ。
沢山のものが入るよう、魔法がかかったバスケットには簡単に作ったサンドイッチ。それと甘みと酸味が混ざる、果実ジュース。
そろそろお昼の時間だろうけれど、リケもミチルも川遊びに夢中だ。急ぐことはない。声を掛けるのはもう少し後でも構わないだろう。
のんびりとした景色に、あくびが出ようとしたところで、ふと自分の周りの空気が変わった――――瞬間、よく聞く「くしゅん!」と声が。
「・・・・・・ブラッド?」
よく知った気配、いやその姿にネロは目を見開いた。くしゃみをするとどこかに飛ばされるという<大いなる厄災>の傷を持っていることを知っているとはいえ、突然隣に現れたら驚くものである。
くしゃみをしたブラッドリー自身も「あ?」とネロの方を向いて、まばたきをした。
「ネロ?」
「あ、うん」
そう頷けば、彼は周囲を見渡す。
「ここどこだ?」
「中央寄りの南。ピクニックに来てんだよ」
「へー」
言いながら子供たちの姿を目で捉え、「楽しそうだな」と笑う。それに「まぁな」と答えつつ、そういえばとネロは思い出した。
「あんたたち北連中で任務じゃなかった?」
「おう。暴れてる魔物の討伐な」
「戻らなくていいのかよ」
「もうほとんど終わってたからな。別に問題ねぇだろ」
ドサっとブラッドリーはネロの隣に腰を下ろした。
彼からフワリとよく知る硝煙の香りがする。この平和な景色に似合わないそれなのに、慣れ親しんだもののせいか、当たり前のように受け入れてしまう。
「それよかネロ、てめぇ頭に随分笑えるもん乗っけてんじゃねぇか」
「あぁ、これ?」
顎で示された頭に乗っているものに、ネロは小さく笑って触れる。
リケとミチルが作ってくれた花冠だ。
「お子ちゃまたちが作ってくれたんだよ」
寒くも暑くもないここには川の他に沢山の花が咲いており、『一緒に来てくれたのと、お弁当を作ってくれたお礼です』と、冠を作って乗せてくれた。
そんな大層なことしていないのにと。普段なら溜息やら苦笑やらが零れ落ちるだろうけれど、ネロは素直に『ありがとな』と受け取った。
誰かと一緒に過ごすこの魔法舎に慣れてきた証拠なのかもしれない。
「可愛いだろ?」
花冠も、作ってくれたお子ちゃまたちも。
ブラッドリーを見てそう言えば、彼はどこかムスっとした表情に変わる。
「ずいぶん嬉しそうだな」
横目で子供たちを見て、それからまたネロへ視線を戻した。
「昔はどんな宝石をやったって、そんなに喜ばなかったじゃねぇか」
「あー・・・・・・」
確かにそうだったな、とネロはブラッドリーから視線を逸らして頭を掻く。
盗賊として身を置いていたくせに、自分は宝石やらなんやらに何の興味もなかった。いや、執着していなかった。お金があることに超したことはないけれど、あの頃はただ自分の存在意義さえあれば、他には何もいらなかったのだ。
まぁもらえるものは一応、それなりに喜んだと思うのだけれど。
「それとこれとは違うから」
「どう違うんだよ」
間髪入れずに問われ、ネロは苦笑した。
「俺の料理と同じさ。俺のことを考えて手間暇掛けて作ってくれた。それが嬉しいんだよ」
料理だって魔法で作れる。だが自分の手で作るからこそ『美味しい』と言われると嬉しいし、宝石のような価値のあるものではなくても、それ以上の喜びがある。
ネロにとっては何かを奪い取って得た物よりも、自分のことを想ってくれた時間を愛おしく思うのだ。
でもまぁ。
「あの頃にあんたからもらった物だって嬉しかったよ」
褒美として。喧嘩の仲直りとして。似合うからと渡してくれたもの。そこにブラッドリーの気持ちがひとつもなかったかと聞かれたら、それは違うと言える。
ブラッドリーはブラッドリーなりの気持ちを込めてそれらをくれた。それを疑いはしない。
「じゃあ――――」
ブラッドリーは少しだけ顔を近づけて。
「いま俺が宝石をやったら同じくらい喜ぶか?」
「盗品じゃなければな」
盗んだものをもらうつもりはもう無い。盗賊から足を洗って、ただの東の飯屋になったのだから。
そりゃまぁ、昔の名残で『お前に似合うと思って盗ってきた』とプレゼントを渡されれば、呆れつつも喜んでしまうだろうけれど。
「へぇ、そうかよ」
ブラッドリーは空を見上げ、両手をズボンのポケットに入れる。
その姿を見ながら、共に平和に暮らしたいと願う相手なのに、やはりこの青空の下、風で髪をなびかせているのは似合わないなと思ってしまう。
(面倒な男だね、俺は)
川遊びをしている子供たちに視線を戻し、小さく自嘲的な笑みを浮かべれば、突然視界に白い花が現れた。
「あ?」
「やる」
その花はブラッドリーに握られており、大きな花びらが重いのか、少し頭を下げている。
「てめぇを想って摘んだ花だ。ありがたく思えよ」
「・・・・・・あんたが摘んだの?」
ぽかんとしてしまうのも仕方が無いだろう。この景色に似合わない男が花を摘んだなんて。
自分でもそう思っているのか、ブラッドリーはムスっとしたまま何も言わない。
「らしくねぇなぁ」
そんな彼に笑ってしまえば、「うるせぇ」と返ってくる。
「さっさと受け取れよ」
「はいはい」
ネロは目の前にある一輪の白い花を手に取り、花びらをちょんとつつく。
「花束とかなら似合うけどさ、こんな摘んだとか、はは」
耐えることもなく笑う。それくらい似合わないのだ。ブラッドリー・ベインという男がどういう男なのか知っているが故に。
でも、だからこそ。
「まぁ、ありがとう」
少し照れくさくもそう言えば、ぐいと顎を掴まれ、引き寄せられる。
唇に一瞬だけ触れた感触。
次に顔を見た時にはもう、いつもの大胆不敵な笑みを浮かべながら笑うブラッドリーだった。
「あんま他の奴からもらったもんで喜んでんじゃねぇよ」
俺様は独占欲が強ぇからな。
「てめぇは俺様からもらったものだけ喜んでればいいんだよ」
「あれはブラッドリーではありませんか?」
「あれ、本当だ!」
ブラッドリーさーん! と子供の声が聞こえる。
それにブラッドリーは「おー、何してんだお前ら」と、ボスであった頃の彼を彷彿させる笑みと声で立ち上がり、川の方へと歩いていく。
柔らかい風が、固まっているネロの頬を優しく撫でた。
でも先ほど触れ合った唇の方が柔らかいことを知っているから。
「くそっ」
手にした一輪の花。
周りに咲いて揺れているものと同じ花なのに、この手にあるそれは何よりも特別なもので。
ネロはこっそりと保存魔法を掛けて、大事にバスケットにしまった。