科学少年に恋春は出会いと別れの季節だ。
先週先輩たちが卒業した。
って言っても、中高一貫校だからすぐ隣の校舎に移るだけで、もう会えないのかぁ、なんて寂しい気持ちになることもない。
春休みだというのに、僕は一人、学校へと続く満開の桜並木を歩く。
生徒会長なんてお役目を頂戴してしまった結果、ここ数日は前生徒会長からの引継ぎのために登校している。
「あれ?鶴さん、今日は用事あるって言ってなかった?」
桜並木を抜けて校門に曲がろうとしたところで、見知った人影を見つけた。
「おぅ、光坊!その用事が終わったからここにいるってわけさ」
鶴さんは一つ上の先輩だ。家が近所で小学校の頃からよく遊んでくれて、同じ学校に進んだ僕を何かと気にかけてくれる。気の置けない兄のような存在だ。
「今日は三日月さんと一緒じゃないんだね」
「やれやれ。きみまで俺と三日月をセットで扱うのかい?三日月はきみと引継ぎだろう。それくらい一人で対応してもらわんとな」
大げさにため息をつく鶴さんだけど、三日月さんとはいいコンビだ。個性派が多い我が校の中でも、鶴さんたちの学年は特に濃い。高校でもきっと面白いことをやってくれるだろう。
そんな風に独り言ちていたところ、鶴さんの後ろの人影に気付く。
「そちらは、お友達?」
「あぁ、こいつは俺の従兄弟だ。言わなかったか?春から後輩だ。ほら」
鶴さんの後ろに控えるように立っていた子と目が合う。
ぺこり、と会釈をしてくれたのは有り体に言って、可愛い子だった。細身の鶴さんの背にすっぽりと隠れてしまいそうな体躯だ。髪は艶々した黒だけど、長めの襟足だけ色が赤茶だ。
「………」
「光坊?」
「え?ごめん鶴さん。従兄妹さんだっけ」
鶴さんに呼ばれて我に返る。
「挨拶もなくごめんね。初めまして。僕は燭台切光忠といいます」
にこり、と愛想よく笑うと、従兄妹さんはほんのり頬を紅くした。
可愛いなぁ。鶴さんのところに遊びに来てるのかな。
そんな僕に鶴さんがピシャリと言い放つ。
「光坊。その顔面兵器をしまいなさい」
「え?僕何も悪いことはしてないよ!してないよね?」
ただ笑っただけでそんなことを言われても困る。仕舞いようもない。
鶴さんは無言のままでいる従兄妹さんに声をかける。
「挨拶くらいしたらどうだい?これからもっといろんな人に会うんだぜ、きみ。」
言われた従兄妹さんは、少し躊躇った後、
「…大倶利伽羅、です。はじめまして」
ちいさいけれど、凛と通る声であいさつを返してくれた。
「伽羅ちゃんか。よろしくね」
握手しようと手を差し出したけれど、伽羅ちゃんは戸惑うばかりで、じっと僕を見つめたままだ。
「転勤で仙台に住んでた叔父が、ようやく年内には東京に戻れそうでな。それなら伽羅坊は一足先に東京の学校に入学したらどうだ、って話になってな。うちの学校に無事合格したんだ。って言わなかったか?」
鶴さんの言葉に引っかかる。あれ?
「待って、伽羅ちゃん。君は男の子?」
どこか噛み合わなかった会話の理由はこれだ。
僕に問われた伽羅ちゃんは、零れ落ちるのではないかと思うほどその眼を見開いていた。
「はははは!こりゃ驚きだ!!光坊、きみ伽羅坊が女の子だと思ってたのか?まぁ、確かに可愛らしいけどなぁ」
「国永黙れ」
盛大に笑う鶴さんに伽羅ちゃんが鋭い言葉を投げる。これが本来の彼の姿だろうか。
「ご、ごごごごめんね。伽羅って可愛い名前だからてっきり…」
「大倶利伽羅、広光です。」
僕の言い訳に、心外だとばかりに伽羅ちゃんは切り返す。
大倶利伽羅は苗字だったのか。なんたる…無様だ、僕。
「いかんせんひょろっこいもんな、伽羅坊は」
まだ笑いの止まらない鶴さんが助け船?を出してくれる。
「こう見えて優秀なんだぞ、伽羅坊は。数学に秀でているし、機械いじりも得意だ。仙台じゃ名の知れた科学少年だったんだからな」
『科学少年』-なんだかカッコいい響きだな。僕は理数系あんまり得意じゃないから、憧れるよ。
「ほんとにごめんね、伽羅ちゃん。僕失礼な勘違いを…」
「別に」
こちらと目を合わせようともしない伽羅ちゃんに、ひたすら詫びを伝える。
「入学してもあんたと馴れ合うつもりはない。」
完全に斬り捨てられた僕には為す術もなく、引継ぎの時間に間に合わないからと、鶴さんに背中を押される形で、二人と別れた。
満開の桜並木。笑いが止まらない先輩に、仏頂面の後輩。うろたえる僕。
あまりにも恰好つかない出会いから、この科学少年に本気の恋をすることになるなんて、その時の僕には見当もつかなかったんだ。