fairy tale 6『光坊、考え直せ。別に軍に入らなくたって、その能力を生かす道ならいくらでもある』
『鶴さん、こんな人を斬るしかできない力を?どこで生かせるの』
『貞坊と伽羅坊が寂しがる』
『それは…申し訳ないけど。でも僕にできるのはこれしかないよ』
『例え人を殺すことになっても?』
『無論。覚悟の上だよ』
『例え俺を殺すことになっても?』
『鶴さん?』
『冗談さ。きみの決意が固いことはわかってた。ちょくちょく帰ってきてくれ。そして、絶対に死ぬな』
逃亡生活って、もっと日影の身で、衣食住にも困るもんじゃないんだろうか。国永の読んでた本の影響を受けすぎなのか。
俺たちの目的地はどこなのか、そう問いただしたくなる。この街にたどり着いてから、一月半は経っている。光忠の上司が追ってくると、その情報を加州から貰ったときには警戒していたが、半月経ってもまだ動きはないようだ。
光忠は『もう少し情報を収集してから動こうか。大丈夫、まだまだ美味しいものもたくさん売ってるし、退屈はしないよ』なんて見当違いなことを言って、表面上は穏やかな、ままごとのような暮らしを続けている。本心では国永の情報が欲しいのだろう。あいつの行方が知れないのは俺も気がかりだった。
あいつは簡単に死ぬようなたまじゃない。研究所は確かに秘匿された施設だ。だが、こんなに行方が知れないものなのだろうか。焦りばかりが生まれる。
故意に隠されている気がする。だれが、一体、なんのために?
今日も身支度を整え、光忠と朝食を共にする。
毎日外出する必要がどこにあるのか、と問えば、光忠曰く「街の様子を観察するのは情報収集の第一歩」なんだそうだ。
俺に食わせたいものばかり気にするから、専ら食料品店の立ち並ぶ区域にしか足を踏み入れていない気もするから、お得意の方便だろうか。
供された紅茶を見つめながら思案していたが、ふいに国永の言葉が蘇る。
『いいか、伽羅坊。もしも研究所がなくなって俺とはぐれたら…長谷部を探すんだ。』
『あの〈記録係:ライブラリアン〉をか』
前後の会話は思い出せない。
長谷部。奴は五条博士の秘書みたいなものだと思っていたが、博士が失踪してからも研究所に住み続けていた。何度か国永と打ち合わせをする姿も見かけた。研究所が破壊された日もいたのだろうか。生きているのか?
『あぁ、きみが困ったときには必ず助けてくれる』
『研究所、壊れることなんて、あるのか』
素朴な疑問を、国永は何でもない顔で躱した。
『なぁに。もしもの話さ。もしもの、な』
そしてぽんぽんと俺の頭を軽く叩くと、見たことのない笑顔で言ったのだ。
『きみもいつか、俺を置いてどっかに行っちまうんだろうなぁ』
思い返せば、国永の言葉はどれも先読みが過ぎるものばかりだ。
あの会話をしたのはいつだ。貞が行方不明になり、五条博士も失踪する前…
「伽羅ちゃん大丈夫?紅茶、熱すぎた?冷まそうか?」
世話焼きが無言のままカップを見つめる俺に声をかけてくる。今日も光忠は俺を甘やかす。あんたと一緒にいて、熱すぎる紅茶なんて出てきた試しがないだろうに。
「光忠」
「どうしたの伽羅ちゃん。何かおねだり?」
こいつはこうやって、何気ない仕草や表情から俺の思考を読むのがうまい。疑問系で聞いてくるが、ほんとうは全部気づいてるくせに。狡い。
「長谷部を…」
「長谷部くん?研究所にいた?」
オウム返しの言葉に頷く。光忠は軍に入る手続きを長谷部にサポートしてもらったはずだから、やつのことはよく知っているはずだ。
「長谷部を探したい」
俺の言葉に、光忠は少し考えるそぶりを見せる。
「それって長谷部くんに会いたいってこと?」
こくりと頷くと、眉がハの字に寄る。
「伽羅ちゃんは長谷部くんとそんなに仲良しなの?妬けちゃうなぁ」
明後日の方向に飛んだ光忠の思考に、俺はため息をつくしかなかった。
「ちがう。光忠、なんでそういう話になる」
「だって、僕が研究所にいた頃は、彼と接点なんてほとんどなかったじゃない。いつの間にそんなに仲良しになったの」
嫉妬半分、からかい半分、といったつもりなのだろう。光忠はやたらと俺をかまい倒したい癖がある。俺が拗ねて、光忠が謝るまでが一括りの、幼いころからよくやってきた茶番だ。
だが、今はそんなことをやってる場合じゃないだろう。しかも、『妬ける』だなんてあんたにそれを、そんなことを言われたくない。
「もう、いい」
くるりと、踵を返して足早に扉に向かう。自分だけが空回っているような感覚で、ひどく腹立たしかった。
「あ、伽羅ちゃん!」
「あんたは俺の気持ちを知りながら、そういうことを言う」
ひたりと見据えた先で、隻眼の伊達男が逡巡する。
いつまでもそんな冗談がまかり通ると思っていたら大間違いだ、光忠。
勢いで出てきてしまった。
そういえばひとりで外を歩くのは、人生で初めての経験だ。
光忠と何度も歩いた道は、迷うこともなく進むことができる。
街は活気にあふれている。俺を見咎めるものはおらず、賑わう雑踏の中を当てもなく歩いた。
「おぅ、坊主!」
途中、八百屋の主人夫婦に声をかけられた。光忠がこの店のトマトが美味しいんだよ、と毎回必ず買って帰る顔なじみだ。
「いつも一緒のお兄さんはどうしたの?迷子かい?」
心配そうに俺を見つめた。
ただの子ども扱いをされることに慣れない。彼らにとって自分は、成人前の頼りない少年として映っているのだろう。
自分のバケモノの様な力を知ったら、この夫婦はどんな顔をするのだろうか。急にそんな考えが頭に浮かんだ。
頭を振って応える。
「今は別行動。あっちで待ち合わせ、している」
我ながらぎこちない返答だったが、夫婦は安心したように笑い、帰りに寄ってきな、おまけするよ!と明るい声をかけてくれた。
限られた人間との交流しか知らない俺には、何でもない日常の眩しい光景だった。
貞みたいに愛想よく笑えたら、もっとうまく乗り切れただろうに。
貞------行方不明になって3年は経つ。
貞が光忠に続いて軍属になったことを、国永はひどく心配していた。件の上司に取り立てられ、多忙になった光忠が研究所への足が遠のきがちだったのに対し、入隊したての貞は、頻繁に研究所に帰省しては国永に歓待され、俺とよく話をした。
『伽羅はさぁ、大切なもんってなに?』
いつだったか脈絡もなく聞かれた質問に、答えられず無言を貫いた。
『俺はなー。これ!』
貞が差し出した掌には、小箱が乗せられていた。
『なんだ、それ』
『へっへへー。中身は内緒。でも俺の宝物なんだぜ!』
はにかむように笑った貞は、そのすぐ後の遠征で行方不明になった。
『なぁなぁ、最近アリス母ちゃん、どうしてる?今日も外には来ねーのかな』
俺とふたりきりのときは、貞はアリス博士のことを母と呼んでいた。貞はアリス博士の研究によって誕生したと言っていたので、こっそり母と呼んでいるようだった。
毎回様子を問うほど気にしているくせに、決して自ら博士に会いに行こうとしなかった貞の心の内を、俺は知らない。
年長の二人の前では決して呼ばなかったその呼称は、貞の中で何かの線引きがされた超えてはいけない境界のようだった。聞いてはいけないことに思えて、俺がそのことに言及したことも一度もなかった。
アリス博士について、俺は大した記憶を持ち合わせていない。俺が気づいたときには、自室のある5階フロアから出てこなくなっていた。
『アリス博士のご飯、美味しいよねぇ。僕、今度このレシピ習おうかな』
光忠がアリス博士の料理を褒めていた。いつ?
『シエロくん、シュヴァルツくん。今日はアリスが元気だから、散歩にでも行かないか。』
アリス婦人の散歩には、決まって貞が車椅子を押して付き添った。何故知っている?
『シュヴァルツくんのがお兄ちゃんだねぇー。この娘と遊んでくれるかなぁ?』
アリスは泣き虫なくせに負けず嫌いで、遊んでもすぐに喧嘩になった。博士と喧嘩?
思わす足を止めた。何かがおかしい。
研究所での俺の一日は、寝起きの悪い国永を起こすことから始まって、五条博士による俺の持つという力の研究に付き合わされることで終わることが大半だった。
『シュバルツくんは国の行方を占う試金石さ』
そう言ったのは五条博士だ。
博士は、自分の気に入ったスタッフ以外は置きたくないようで、所内の人員は限られていた。世話を焼いてくれた老婦人がいつの間にかいなくなり、身の回りのことは自分でやれるようになった。
光忠が研究所を出たことで、研究所内に居住していたのは五条博士と国永、貞と俺、それから長谷部の5人だけになった。
料理番を自負していた伊達男の不在は、男所帯に深刻なバリエーション不足を生み出した。
『鶴さん!またジャガイモかよ!』
『うちは男所帯なんだ。しかも全員料理は初心者さ。大したものが出なくたって文句はいけないぜ』
貞が国永に文句を言う中、長谷部はいつも変わらない様子で、無言で食事をしていた。博士は食事を一緒に摂った記憶はない。
『国永のご飯はふつうだな』
そう言ったら、国永はちょっと傷ついた顔をしていた。
『それは光坊に言う文句だなぁ。俺の腕前じゃ、せいぜいこの程度だぞ。シェフでも雇う必要があるかい?』
貞も研究所を出ると、研究所はさらに閑散とした雰囲気を纏った。
『慢性的な人で不足でねぇーここは。全く、軍属ってやつは自分のどこがそんなに偉いと思ってるんだか。予算もつけずに結果だけ出せなんて支離滅裂だ。君たちには苦労をかけるねぇー』
五条博士はいつも間延びした声で話していた。軍とはよく揉めていたようで、会話の半分近くは軍の愚痴と、世を儚む言葉だった。
やっぱりおかしい。光忠が入隊した時、アリス博士はどこにいた?貞が会いに来ていたとき、アリス博士はどこにいた?一緒に住んでいたはずだ。居室のあるフロアは5階?研究所は4階建てだ。
俺との接点はなかった?本当に?五条博士はよくアリス博士の話をしていたはずだ。だが、何の話だった?誰を心配していた?国永は?
認識している記憶とは裏腹に、頭をよぎる光景がある。
幼い貞を抱き上げていたのは誰だ。
特別よ、と葡萄をくれた世話焼きの老婦人はだれだ?
博士の妻だと名乗ったのは?
笑いながら博士を父と呼び駆け寄って行ったのは?
あの少女を見かけなくなったのはいつからだ?
記憶の齟齬と欠落に気づき、意図せず鼓動が早くなる。
アリス。それはアリスなのか。どれがアリスなのか。
本当に存在するものなのか。
アリス博士はだれだ?
「伽羅ちゃん!」
うしろから肩をつかまれて振り向いた。息を飲む。光忠だ。光忠……。肩の力が一気に抜けた。
「もう、探したよ。変なこと言って困らせてごめんね。僕が悪かった」
部屋でのやりとりの謝罪をされる。
「長谷部を探す。あんたが嫌なら、俺一人でも」
探さなければならない。答えは長谷部が知っている。確証のない確信だけが腹に落ちてきた。
「うん。僕も協力するよ。もう一度加州くんにも聞いてみよう。確か今日は出勤だって言ってた。この近くだよ、彼のオフィス」
光忠が先導して歩を進める。街の中でも旧市街にあたるこの区画には、古めかしい建物が立ち並ぶ。
ひときわ目立つ庁舎の横を通った時だ。
「だから必要なんだって言ってるじゃないですかー!」
開け放たれている窓から、加州の声が響いた。
「主観はいらない。俺が聞いているのは事実のみだ。」
加州の叫びに、低めの固い声がすげなく返される。
光忠が驚きを露わにして俺を振り返る。思わず頷いた。聞き覚えのある声だ。
中途半端に開いていた正面の扉に回り込み中を覗くと、加州が返す言葉もなく唇を噛み締めている姿が見えた。
加州はしばし、耐えるように俯いていたが、心を決めたのか口を開いた。
「言わせてもらいますけどね、事実だけが大事とは限らないでしょーが。もっと感情に寄り添ったっていいと思いますけどー」
「感情に振り回されれば、人は大切なものを見落とす。記録するのに感情は不要だ」
部下の必死の発言にも全く耳を貸そうとしない。この男は一度決めたら決して譲らない。それは俺でも知っている。
「心に訴えかけてこその紙面だと思いますけどー」
「くだらん。そんなことをしても、無駄だ。文句を言う暇があるなば、さっさと根拠のある事実を掴む取材にでも行ってこい」
けんもほろろに突き返される。さすがに加州が気の毒だ。
「ソーデスネ。お気遣いありがとーございます。長谷部室長!」
加州はそう言い捨てると勢いよく扉を開けてきた。
「わ!っと…おおくりか ら?と光忠。わざわざ俺の職場までどうしたの?」
書棚から顔も上げずに加州をやり込めた男は、棚から小箱を取り出していた。
開いた中身が何なのかは、ここからは見えない。微かに旋律が聞こえる。オルゴールか。上背のある光忠でも、この距離では見えないだろう。
ぱたん。と手元の箱を閉じ、おもむろに顔を上げた。間違いない。
「いつまでこんなところで油を売っているつもりだ、〈黒〉。それから〈金〉」
聞きたいことは山ほどあった。
何故お前はここにいるのか。
何故お前を探せと国永は言ったのか。
何故お前が貞が大切にしていたあの箱を持っているのか。
「長谷部---」
今さら気づいた。いつも変わらぬ様子だと思ってた長谷部は、外見も変わっていない。年長者だからの域ではない。研究所で初めて会ったときから何一つ変わらぬ姿のまま、長谷部はその頑固そうな眉を寄せて、俺たちを厳しい目で見つめて言った。
「お前たちがそんなふうに無知で無様だから、〈空〉も〈白〉も死ぬんだ」