お題【鳩老】【お茶】
初めまして、と引き合わされた鳩老の弟子は人間だった。
「一度小黑に会わせてみたくてな。无限に無理を言って連れてきてもらった。年の頃も同じくらいだし、仲良くしてくれると、儂も嬉しい」
そう言い残して、鳩老と師父は揃って会議に出かけて行った。
初めて来る妖精会館。右も左も分からないから、とりあえずすぐそこの庭に面した卓と椅子に陣取って、自己紹介をする。
「僕は小黑。妖精だよ」
「俺は大志。人間だ」
なんだか、当たり前のことを当たり前に確認しているように思えて、互いにふふっと笑う。
——良かった、なんだか感じのいい子だ。
「でも実は初めましてじゃないんだよ。小黑はそのままだったから俺にはすぐ分かったけど」
大志が不思議なことを言い出したから、え? となる。
「衆生の門さ。高い山の上で会った二人組居ただろ。金髪の。あれの小さい方が俺」
「ええーーーーーー!」
それならよく覚えてる。いきなり攻撃されて、しかも強くて、なかなかに大変な思いをしたから。
「じゃあ、じゃあ、あの背の高いおじさんって」
「師父だよ」
「ええええええええ」
面影の欠片もない。そりゃ気付けるはずなんてないよ。
「うん。アバターとはいえ、ちょっと欲張りすぎな気もするけど。見た目、全然違うもんな。実は俺、スカウトでさ。能力が出た日に、師父に。でもあの見た目だろ? それが夜の窓から、にやぁってこっち見てたって想像してみてくれよ。ホラーだろ。死ぬかと思ったよ」
大志が身振り手振りを交えて大仰に話すもんだから、想像して、つい笑ってしまった。
「それで、よく弟子になろうと思ったね」
「話してみるといい人だったしな。それに、いきなり能力が出て怖かったってのもあるし。使い方を教えてやる、って言われて、安心したのがでかいかな」
そうか。大志は僕みたいに、こういう能力があるって最初に言われた訳じゃないんだ。それは確かに戸惑うだろうし、いきなり違う世界に入ったみたいで怖かったろうと思う。
それから当然のように、互いの師父の話になった。
「俺の師父、俺以上に人間社会に詳しいんだ。スタバの新作が出たら、飲みに行くぞ! って引っ張っていかれるし、あの長ったらしい呪文みたいなオーダーもすらすら言うし」
「え、あの格好で?」
「まさか。ちゃんと人間の姿に変化してるよ」
「あの欲張りな?」
「そう、欲張りな」
はは、と互いに笑って、僕の師父とは違うなあ、と思う。
「僕の師父はなんて言うか、古っぽいっていうか、新しいものも使えるっちゃあ使えるんだけど、いまいち好きじゃないみたいでさ。長生きだから、そういうものかなと思っていたんだけど、鳩老はそうじゃないみたいだね」
「そうだなあ。むしろすごく楽しんでるっぽいな。そうじゃなきゃ、あの年でゲームやろうだなんて思いもしないよ」
「僕の師父もプレイヤーだったけど、師父の場合、ほとんど僕の修行のためだったみたい。鳩老は?」
「俺の指導だ、とか何とかもっともらしいこと言ってはいるけど、あれは半分以上、楽しんでやってる。間違いないね」
「だろうね」
またひとしきり笑って、大志が、ふ、と穏やかに息を吐く。
「でも逆にすごいなあ、とも思うんだ。俺が師父の年になったとして、あんな風に自分から新しくて楽しいことに首つっこんでいけるかなって」
それは確かに。身に染み込んだ生活が、ふとした拍子に顔を出す僕の師父を見ていてもそう思う。
「好奇心を失わないってことは、成長を止めないってことでもあるからさ。そこは素直に尊敬してるんだ。調子に乗りそうだから師父には言わないけど」
年齢にそぐわない難しい物言いに、ちょっと阿根を思い出す。
「ひょっとして大志って、頭いい?」
「自分では普通と思ってるけど、まあ勉強は苦手ではないかな」
「じゃあさ、ちょっと教えてもらいたいところがあるんだけど、いいかな? 今日の宿題なんだけど、僕にはまだむつかしくて」
「いいよ。見せてみな?」
持参した鞄からごそごそと教科書とノートを取り出して、問題の箇所を見せる。
「ああこれか。うん、ちょっと解くにはコツがいるかな。まずは——」
それからしばらく、僕は大志を先生にして、時折雑談を交えながら今日の宿題を進めていった。
*
「なんと、もうすっかり打ち解けたようだの」
廊下の角から、それを温かく見守る二対の目がある。
「気が合えば馴染むのは早い。子供の長所だな。あの子にとっても、良かった」
早めに会議が終わったので来てみれば、二人の子供は、軒下の卓で顔つき合わせて夢中で何かをしている。
「いま行くのは、お邪魔かの」
鳩老が言って、无限に目線を送る。
「どうだ、久々に碁でも打たんか」
碁石を摘むように二本の指を立てて、振り下ろす仕草を見せる。
「付き合おう」
无限が笑って頷くと、
「そうだ。今日は久々に手ずから茶も淹れてやろう。最近はスタバばかりで、たまにやらんと淹れ方を忘れてしまうでな」
「それは有り難い。貴方の茶は、格別だから」
「褒めても手心は加えんぞい。真剣勝負だ。今日は負けんぞ」
にやりと笑って、二人の師匠は踵を返した。
お題【清凝】【初夏】
雨上がりの空は青く澄んでいて、雲ひとつないそこを一匹の燕が高く横切っていく。長く続いた雨も一区切りし、数日ぶりに顔を出した太陽を浴びて、すれ違う人々の表情も明るい。やれやれ、これでやっと洗濯物が干せるわ、と道端で陽気に立ち話をするおかみさん達の横を通り過ぎながら、清凝はまだぬかるみの残る道をひとりで歩いていた。漂白されたような初夏の陽射しが、其処此処にある水溜りに反射して、きらきらと光る。微かに雨の匂いを含んだ涼気が頬を撫で、清凝は立ち止まって、ううん、と大きく伸びをした。
またこの季節がやってきた。日一日ごとに雨と太陽の長さが入れ替わる、清凝の大好きな時期が。
「よいしょ」
藍渓鎮の外れにある田園地帯、稲作を主とした瑞々しい眺めを横に見ながら、清凝は荷を背負い直して再び歩を進めた。吹き渡る風に鳴る葉擦れの音が心地よい。普段は街の喧噪にあるか、または、君閣で静かな時を過ごすことの多い清凝にとって、それは懐旧を含んだ音だった。子供の頃、山野を駆け回って遊んでいた自分の側に、絶えず流れていた音。戦火によって故郷は失ってしまったけれど、風の音ひとつで、心は容易くあの頃に戻る。幼い自分が、故郷の道を歩いているような、不思議な錯覚。新緑の道端、青草の匂い。幼かった自分は、水溜りに捕らわれた小さな太陽をひとつひとつ踏んで歩いた。あっちの水溜り、こっちの水溜り、と蛙のようにぴょんぴょん移動しては、ひとつ、ふたつ、と楽しく数を数えていた。
——何がそんなに楽しかったんだろ。
微笑ましい気持ちで思い出す。遊び道具などほぼない田舎のこと、逆を言えば、身の回りにあるもの全てが、幼い清凝にとっては遊び道具だった。呑気を許される時勢ではなかったから、遊んでばかりというわけではなかったが、それでも清凝の幼少時代は、おおむね幸福であったように思う。物心つく頃に母は亡く、忙しいが愛情深い父の下で育てられ、清凝は年の割に芯のしっかりした子供になっていった。父が従軍してからは村長の家に身を寄せ、細々とした家事を手伝ったり、薪を拾ったりと、少しでも役に立つよう動き回ったりしていたが、そのような生活においても、清凝はよく楽しみを見つけた。楽しみながら覚え、覚えたことを実践すれば、周りの大人もよく褒めてくれた。思えば自分の前向きな性格は、こういった生活体験から自然に育まれたものに相違ない。良かったと思う。どんなことにも物怖じせず前向きに進んでいけたからこそ、今の自分があるからだ。師に弟子入りし、研鑽を積んで、多少なりとも人の役に立てる術を身に着けた。それは清凝にとって、大いなる喜びのひとつだった。いつか恩返しがしたい。誰にというわけではなく、自分を支えてくれた、この世に縁ある全ての者に対して。
清凝は今日もそういう気持ちで、郊外の集落目指して歩いていた。背に負った箱には、各種薬草が詰め込まれている。普段農作業に従事している集落の病人や老人を巡回することは、清凝の定期的な仕事の一つだった。集落の家を一軒一軒回り、困ったことはないか、薬は足りているか、具合の悪い者はいないかを尋ね、懇切丁寧に対処する。集落の住民も清凝の来訪を心待ちにしていて、寄れば大喜びで迎え入れ、薬代を固辞する清凝に渡すために、畑で採れたあれこれを前もって用意しておくほどだった。時には幼子の遊び相手、時には老人の話し相手——そうやって一軒一軒を丹念に回った結果、最後の家を出る頃には日暮れていることも多く、清凝は夜道を帰ったりすることもあった。それでも藍渓鎮にいる限りは危険なこともそうないため、今までも特に気にしたことはなかった。
*
「それじゃあ、また来月ね」
清凝はそう言って板戸を閉める。今回も、特に重篤な病人は居なかった。良かった、と思いながら空を見ると、西の空が群青に覆われていくところだった。夜道を歩くことを考えて、常に灯りは携帯している。背に負った荷から提灯と火打ち石を取り出そうとした時、微かな足音と共に近づいてくる人影に気づいた。
「清凝」
「師父!」
思いもしない人物の登場に清凝が驚いていると、
「俺も居るぞー」
老君の影から、巫山戯た調子で玄离がひょこっと顔を覗かせた。
「どうしたんですか? こちらに何か御用でも?」
駆け寄って訊くと、老君は微笑って首を振り、
「清凝を迎えに来たんですよ」
と言った。
「え?」
ぽかんとしている間に、玄离が清凝から負箱を下ろして自分の肩に掛ける。そして先に立って歩きながら、
「着いて来いよ。いいもの見せてやるから」
と言った。きょとんとしながら老君を振り向くと、微笑って頷いたから、わけのわからないまま、清凝は玄离に着いて田圃道を歩き出した。
陽はとうに落ち、天には星々が輝き始めている。足元が暗く、覚束ないので、灯りはつけないのかと尋ねようとしたその矢先、それは清凝の目の前を横切った。
「わ……!」
緑がかった淡い光の群れが、田圃の上を飛んでいる。緩やかに明滅しながらふわふわと、気づけばあちらにもこちらにも、数え切れないほどの光の乱舞が、目の前で繰り広げられていた。
「すごい……!」
蛍の群れは、子供の頃にも見たことはあったが、ここまで見事なものは初めてだ。
「ちょうど見頃だろうとは思っていたが、ぴったりだったね」
老君が笑って横に立つ。目の前に翳した指先に一匹の蛍が止まって、呼びかけるように淡く光った。
儚い光に照らし出された横顔に、思わず目を瞠る。
いつも優しい師父。清凝の前では、微笑みを絶やさない師父。
もう何年も見慣れた顔のはずなのに、どうしてだろう、こんなに薄い光なのに——妙に眩しい。
「清凝どうだ、すごいだろ?」
玄离の呼びかけに、はっと我に返る。
「ほんとだね、すごく綺麗」
「ここら一帯はこいつらの住み処なんだ。今年も元気そうで、良かった」
「師父も狗哥も、毎年来ているの?」
「時期が合えばね。今日は清凝がこちらに来ていると聞いたから」
耳元の藍玉盤を玩びながら老君が答える。
「そうなんだ。——本当に綺麗」
言いながら、もう一度、師の顔を見る。
まるで夜をその身に融かしたような藍に染まった姿を、光の玉が朧げに照らし出す。
それを見ていると、甘いような、それでいてどこかが痛いような、不思議な感情が湧いてくる。
——本当に綺麗。
先程の言葉を、胸の裡で反芻する。
大切な大切な、清凝の恩師。
世界で一番、優しいひと。
清凝は微笑む。
「ありがとう師父。狗哥。——私、今日のこと、一生忘れないね」
胸の奥に、蛍のごとき光が、かそけく灯った。
お題【玄离】【スイカ】
「——おやおや、これは」
老君はその地に立って、ひとこと、言った。藍渓鎮の外れ、豊かな田園地帯。盛夏に相応しく一面の緑に覆われた西瓜畑の一角は、しかしながら、周囲の長閑な眺めに反して酷く荒れ果てていた。
老君の後ろには、ひとりの男が控えている。ごま塩頭を低くし、農作業でいかつくなった肩をすぼめながら、訥々と口を開いた。
「あたしが気づいた時にゃあ、もうこんなんでして……どうしたもんかと。すみません、老君様にお伝えしようか悩んだんですが」
「いやいや、教えてくれて助かりました。これは確かに私の責任だ。貴方には申し訳ないことをした」
「いえ、そんな」
恐縮し、困り果てた様子の男を置いて、老君は畑に入る。無残に千切られた蔓を踏み、あちこちに散らばる皮を踏まないようにしながら、その中心に寝転がるそれに近づいていく。
「玄离」
茂った葉に埋もれるようにして、地面にはひとりの子供が眠っていた。それを見下ろしながら、老君はいま一度、子供の名を呼んだ。
「……んん」
僅かに身じろいで、子供が目を覚ます。むくりと上体を起こして、よく寝たとばかりに大きく伸びをする。
「——あれ? 老君、どうしたんだ?」
「どうしたも何も」
きょとんとした子供に尋ねられ、老君は呆れたように辺りを見渡した。
「また随分と食べたものだね。これを全部、お前が?」
子供は褒められたとでも思ったのか、満面の笑みを浮かべて、こくりと頷く。
老君は目を閉じてひとつ息を吐くと、かがみ込んで子供と目線を合わせた。
「玄离。前に私が言ったことを覚えているかい」
「なんだっけ」
「その辺にいる鶏や豚は」
「勝手に食べない!」
「そうだ」
張り切って答えた子供の頭をひと撫でして、
「今日からそこに、もう一つ付け加えなくてはいけない」
と老君は続けた。
「そこいら辺に生っている野菜や果物を、勝手に食べない」
「なんで!?」
心底驚いたような様子で、子供が聞き返す。まあ、この子が驚くのも当然だ。今までは野山で、目についたものを好き勝手に取っては食べてきたのだから。
だが、ここは藍渓鎮だ。人と交わって暮らしていくからには、人の定めた規範に則る必要がある。それを教えるのは、子供を引き入れた老君の役目だ。
「お前がいま食べた西瓜、これは人があえて育てたものだ。鶏や豚同様、どこかに必ず持ち主がいる。持ち主がいるものは、勝手に取ってはいけないと教えたろう」
そう諭しはしたものの、子供は納得がいかないらしく、ふくれっ面を晒している。
「まあ、お前の気持ちも分からないではない。食べていいものと悪いものの区別など、まだ見当もつかないだろうしね。だが、ここで人と暮らしていくなら、これは守らなければならない決まりなんだ。どうしても食べたいものがあるなら、まず私に訊きなさい」
子供は不満そうに首をかしげる。
「豚ん時も聞いたけど、何でここじゃ勝手にものを食ったら駄目なんだ?」
「そういうものだからだ。お前には、まだ分かりにくいだろうが、人には財産というものがある。家畜や作物——鶏や豚や、この西瓜なんかもそうだ。人間は自らそれを食べるに留まらず、それを育て、他人に売って生計を立てている。それを勝手に食われると、その分の収入が減り、生活に困ることになる。西瓜を売れば金になり、いずれ作った者が食う米になる。こんな風にお前がたらふく食って、売れる西瓜が少なくなれば、その分、持ち主の食べられる米も減ってしまうんだ。それは困ることだと分かるだろう?」
「うーん」
大きな紫の眼を眇める。金銭の感覚すら、いまひとつ飲み込めていないような子供だ。
それでも、辛抱強く教えていかなければならない。
自然界でも稀有な神獣の子供。
いずれ衆生の守護となるべき存在を教え導くのは、いまの自分にとって大事な役目だ。
老君は、まだ眉根を寄せている子供の頭をいま一度撫でた。そして、
「——まあ、お前が尋常でないほど西瓜好きというのは分かった。これからは毎夏、君閣に西瓜を欠かさないようにしようか」
と微笑って背後の男を手招き、懐からひと夏ぶんよりやや多めの銭を出すと、これからもよろしく頼むと言って、そのがさついた掌に握らせた。