《セイタイニンショウ》遊夜&皓 最近毎日が楽しい。母さんの体調がいい日が続いているのもあるが、何より、居心地のいい友達ができた。と、言ってもゲーム内のフレンドで、現実の友達ではないが。
もともとはゲーム内のテキストチャットでやり取りをしていたが、勇気を出して最近はボイスチャットを繋いだ。スムーズにゲームを進められるようになったし、彼とは歳も近いらしく、より親近感が沸いた。
「(寝坊したけど、何とか早く着いてよかった……えーと……今日は夜に約束があるから、スマホでできる分はログインだけ済ませておこう…)」
二年のフロアに上がったところで廊下の隅っこに避け、ポケットからスマートフォンを取り出す。三年のフロアはあと一階上だが、始業までの時間は十分あるし、ログインくらいならそこまで時間はかからないだろう。それに、思い立った時に行動しないと、ぼくは忘れてしまうから、やるなら今だ。
──タッ、タ。スイ、タッ。
「う……(ん……ログボ切れてる……そう言えば昨日は他のゲームがイベント最終日だったからサボったっけ……)」
指先で慣れたルーティンを繰り返す。簡単に出来そうなミッションは、起動ついでに回収しておこうと思い、画面に視線を滑らせた。
登校時間なだけあって、ぼくが立ち止まっている間にも、生徒がひっきりなしに目の前を通り過ぎていくのがフレームの外に見える。無線のイヤホンをしているため喧騒はほとんど聞こえないが、ちらほらと複数人で楽しそうに談笑しながら教室へ向かっている様子が分かる。
──ふと、一人のポケットからぶら下がるマスコットが目に留まり、イヤホンを外して肩にかける。それは〝彼〟のプレイヤーネームの元になった動物で、前に『友人から似てると言われてストラップを貰った』というエピソードを聞いていたのを思い出した。しかし、いくら年齢が近いとはいえ、〝彼〟がこの学校の生徒である保証はないし、動物がモチーフにされたマスコットのストラップなんて、この世に溢れているのだ。それでも、どうしても、ぼくはポケットから覗くそのマスコットが気になってしまった。
「──あっ、ねぇ! 放課後、星名くんのとこにケーキ食べに行こうよ!」
「あれ? 約束があるんじゃ?」
「サクくんも皓くんとお話がしたいんだって」
「あぁ……そっか、分かった。夜に約束があるから、遅くならなかったら僕は大丈夫だよ」
「よかった! じゃあ、サクくんにもメッセージ送っておくね」
「ん、僕も誠くんに一応伝えておこうかな」
二人のやり取りだけがスムーズに耳に飛び込む。その片方、聞き覚えのある声に、ぼくは完全に手を止めた。ポケットへスマートフォンをねじ込む。
〝彼〟だ。
「あっ、あのっ!」
ぼくは反射的に足を前に出した。上擦った声で呼び止めながら、彼の服の裾を掴んだ。完全に不審者だ。アッシュグレーの艶やかな髪がサラサラと揺れる。ぼくの声に驚いた彼は、キョトンとした表情で見下ろした。
「あれ? 皓くんのお友達?」
「え、いや……」
「う、ぁ……きゅう、に、ごめん、なさ……」
「……?」
「あの、その……、ごめんなさい、ちょっとだけ、二人で、話したいんデスガ……」
「ん! おれは教室に行くから大丈夫! もう少し時間あるから行っておいでよ!」
「……うん」
オレンジの髪の彼がハツラツと答える。まだ戸惑った様子ではあったが、彼の言葉に後押しされて、〝彼〟はぼくについてきてくれることに決めたようだ。
ぼくは〝彼〟の裾を掴んだまま、連れ立って人気の少ない非常階段の方へすこし早足で歩いていく。
「……そんなに掴まなくても逃げないですよ?」
「あっ、あっ! ごめんなさい、そういうつもりじゃなくて……うう……」
「いえ、ところで僕にお話が?」
「……あの、もし、分かんなかったら本当にぼくの勘違いなので、申し訳ないんですけど……ぼく……──〝アウル〟、です」
「……!」
「いつも、助けてもらって。うぅ……まだ返事も聞いてないのに、ぼくは何を言ってるんだろう……」
ゲーム内ではスムーズに会話ができるのに、どうしてこんなに言葉が出てこないんだろう。もっと、ちゃんと話さなきゃ。いつも友達と好きなゲームの話をしている時みたいに。そうは思いつつも、喋る言葉が見当たらない。今までアバターだけの関わりだったのに、その〝彼〟が生身の人間なのだと自覚したら、頭が真っ白になってしまった。
「アウル、さん。そうか、きみが……ふふ。いえ、すみません。少し年上だとお伺いしていたので、大学生くらいかと思っていました」
「‼︎」
「この学校だったんですね」
「は、ハシビロさぁん……!」
ゲームのリアルイベントやオフ会には何度か参加したことがあるが、ここまで嬉しかった対面は初めてだ。ぼくは大袈裟に〝彼〟に抱きついてしまった。ゲーム内のアクションでハグをするのと同じノリだった。
しかし、ここはゲーム内ではない。慌てて離れて謝り、周りを確認する。幸い誰も気に止めていなかったし、彼も「大丈夫ですよ」と、いつもぼくがプレイミスをした時のように優しい声で反応をしてくれた。いや、今のはプレイミスではないけれど。
「あの、時間がある時よかったら一緒にご飯でも行きませんか!」
「はい、僕で良ければ」
「ううっ! ありがとうございます! ……それ、と、メッセージアプリのID交換──あっ、嫌だったら全然大丈夫ですので!」
「いえ、いいですよ。登録は本名ですけど、リアルで会う時はそっちで呼んでもらっても大丈夫です」
「わ、分かりました。あ、どうせ同じ学校ですし……ぼくは三年の慧冬遊夜です。んんっ……改めて、よろしくお願いします」
そう伝えながらスマホを取りだし、メッセージアプリを起動して友達追加のメニューを選択する。お互いにスマホを軽く振った。〝彼〟のストラップのマスコットがこちらを見ながらゆらゆらと揺れる。
無事に登録が完了したようで、友達の一覧に新しくメンバーが追加されていた。
「……皓さん、て言うんですね」
「よろしくお願いします。慧冬先輩」
「わ、なんか恥ずかしいです……遊夜って呼んでいいですよ?」
「そうですか? じゃあ遊夜さん、で」
初めて喋った訳では無いのに、初めて会った何とも言えない感覚に、どこか擽ったさを感じていたが、不思議と恐怖や混乱には至らなかった。それはゲームのプレイスタイルやチャットのやり取りで、彼はとても誠実な人だと確信していたからだ。今まで出会ったどんな人よりも信頼出来る。
そうこうしているうちに、いつの間にか時間は過ぎていたようで、始業のチャイムが響く。
同じフロアの皓くんは滑り込み、ぼくは先生の方が僅かに早く、遅刻した。