ダカールの日zダカールの日
「一つ頼みがあるのだが」
機嫌が良さそうな様子でロックグラスにアルコールを注いでいるアムロに、そう言って話を切り出した。
アルコールを注ぎ終わり、グラスを片手に「頼み?貴方が?」と少し戯けた様子で返事をしたアムロに半ば被せるように「たまに今日のように二人で話がしたい」と伝えた。
アムロはシャアのその真剣さにそぐわない簡単すぎる申し出に少し驚いた顔をして、それからすぐに「そんな事でいいのか?」とほんのりと酔いを纏わせた笑顔で答えた。
あぁ、やはりアムロ・レイは誰に対しても優しい。シャアは胸の内で静かな感動に震えながらも、続く言葉をわざと遠慮がちにしながらも急いだ。
「あぁでもベルトーチカさんが嫌がるかもしれないな」
わざとらしく、少し身を引く素振りを見せた。迷惑だろうかと、申し訳なさそうに。
「ベルトーチカが?何でだ?」
「彼女は君のことがー」
とまでシャアが言うと
「……そういう関係じゃあないよ」
アムロは、なんだそんな事か、とでも言うように肩をすくめながら答えた。
そう、それが、聞きたかった。
シャアは内心ホッとしながら、アムロから聞きたかった言葉をそっと胸の内に大切にしまった。
アムロは少し目を伏せてグラスの中身を無言で呷る。控えめな白い喉仏が上下するのをシャアはただ見ていた。
それから咳払いをしてから言った。
「そうか……。では協力してもらえると思って良いのかな。」
「人身御供に出るあなたのためだ、そんなことくらいいつだって協力しよう。」
まるで昔からの友人の旅立ちに立ち会っているかのような、アムロのそんな言い方にさまざまな感情が込み上げる。
「じゃあ、ついでにもう一つ。」
「ははっ、強欲だな。いいよ、きこう。」
「手を握ってくれないか。」
途端にアムロの眉間に皺が寄り目元に警戒の色が灯る。二人の間には肌の触れ合いを許すような友情といった安穏としたものはやはりまだない。
「手?どうして?」
「そんなに警戒しないでくれ、私と君の仲じゃないか。握手と思ってくれればいい。」
疑いの目を向けながらもアムロは右手を差し出した。シャアはその手を強く握り、思い切り引いた。油断していたアムロの身体はシャアにいとも簡単に捕まえられた。シャアはアムロが抜けられないように強くきつく力を込めて抱きしめた。柔らかな癖毛がシャアの胸に収まる。甘く香った石鹸が瞬間的な感動をシャアにもたらし、思わず感嘆の息が漏れた。
「どういうつもりだ?」
険のある言い方とともに、暴れ出しそうな筋肉の挙動を腕の中に感じた。更に力を込めて抱き締めるとすぐに硬かったアムロの体から力が抜け、「まるで詐欺師だ」とため息とともに諦めの声色が続いた。
そのアムロに「抱きしめないとは言っていない」と言葉を返したが返事はなかった。
シャアはそのまま目を閉じて腕の中の温かさに浸った。
「こんな風に誰かに抱かれるのは久しぶりだな。
不本意だが、心地がいいよ」
ボソボソとシャアの胸に抱かれながらアムロは言った。
私もだ、アムロ。
シャアはそう思ったのに、言葉には出さなかった。
行き場を失っていたアムロの両腕が背中に回された。
あぁ、アムロ。君にそばにいて欲しい。
共に宇宙へ上がれと、
宇宙を駆る、アムロ・レイに導いて欲しいと。
「あのさ、一つ謝っておきたいことがあるんだ」
「謝る?君が?」
「……人身御供なんて言って悪かった。茶化す言い方があなたを傷つけてしまったかもしれないと思って」
「私が?傷つく?そうか、そうかもしれないな。私は君に慰めて欲しかったのか」
あぁ、これが彼の持つ優しさだ。ララァが求めた優しさは私をも癒すのか、シャアはそう思うと恐ろしくなった。
深い宇宙と似た藍色をした瞳が真っ直ぐとシャアを見ている。心の向こう側までも見透かされているような気がする。
やっぱりあの時、無理矢理にでも連れ去って殺して仕舞えばよかった。そんな思いがふと頭をよぎっり、鳥肌が立った。
「アムロ、もう少し、このままで」
シャアは自分よりも一回りも小さな身体に縋るように今度はアムロの胸に頭を寄せた。
不思議とさっきの恐ろしさは消え、あたたかな身体から聞こえる心臓の規則的な拍動と無機質な機械音が部屋に響くだけだった。
「あなた俺のことを抱きたいのか?」
突拍子のない言葉に驚いた。
「アムロくん、一体何を突然」
「取り繕うのはやめろよ。あなたは寂しがってるじゃないか」
「人を情けない人間のように言うのはやめて欲しいものだな。」
「また回りくどい言い方を。ハッキリ言えよ、不快だって」
「随分と苛立っているな、何があった。」
「何って、あなたからしてきた事じゃないか。」
「私が?」
シャアの皆目検討がつかないといった表情にアムロは余計に苛立った。振り回される身にもなれ、と言いたい。
「突然抱きしめてきたりして、そんなのおかしいじゃないか。貴方は何も思っていない人を抱きしめたくなるのか?」
「そうか、なるほど。」
シャアの悪びれない様子に怒気がスッと収まるのを感じた。それはシャアが恐ろしく頭はキレるのに、人や自分自身の感情にはひどく鈍感だということに気がついたからだった。
それからシャアの形の良い鼻に自分の鼻を擦り付けて、頬の産毛が触れる距離で吐息を混ぜて言った。
「キスは……いらない?」
「ありがたく頂戴しよう」
アムロはグラスに残ったアルコールを無理矢理に、そしてゆっくりと飲み干してからシャアへ口づけた。
アルコールに濡れた唇は少し冷たく、アルコール特有の匂いがツンとお互いの鼻腔を刺激した。
同じ味のする口内はほどよく熱く溶けていて、柔らかな粘膜が境目を曖昧にする。
二人のつなぎめをゆっくりと離し、息継ぎを一度。アムロの顎に手を添え、顔を傾けたシャアが二度目のキスを乞おうと軽く口を開けた。そのシャアの額の傷にアムロ手を伸ばし、指で優しく撫でた。
「僕は宇宙へは行かない。ここでやる事がまだある。貴方は務めを果たして、戻ってくるんだ」
その言葉にシャアの表情は一瞬翳ったがアムロは気づかないふりをした。
「君は自分の使い方が随分とうまいのだな。戻ってきたらまたキスをしてやるとでも?」
「ベルから教えてもらったやり方だよ」
「そうか、それなら効果がありそうだな」
二人して目を合わせて笑いもう一度グラスを合わせて乾杯をした。
それからまたシャアは少し考える素振りをしてから、素敵な誕生日プレゼントをありがとう。そう言って部屋を後にした。
先ほどまでの熱く滾った今にも弾けてしまいそうな危うい空気とは違い、あっさりとしたものだった。