「おや、ジュンもこれから昼食ですか」
「え、茨?」
珍しいものを見た、ジュンは渡されたばかりのうどんを持ちながら小さく呟いた。
インタビュー記事の質問事項に回答し終えたジュンは遅めの昼をとるつもりで社員食堂に足を運んだのだが、そこには普段は見かけることのない男が座っている。ピークを過ぎて空席ができ始めたこともあり挨拶を交わしたついでに彼の隣に腰を降ろすと、彼はジュンのトレイにのっているメニューを見て箸と唐辛子をこちら側に寄せた。
「珍しいっすね、茨がここで飯食うの」
「いえ、最近はよく利用してますよ。ジュンとは時間が合わなかっただけで」
渡された箸を割って、唐辛子を軽くふりかけながら向かいに座る茨を観察する。どうやら彼のメニューは日替わり定食のようで、おおかたメニューを選ぶ時間が勿体無いとでも思ったのだろうと容易に想像できる。彼はそういう男だ。
「へぇ〜、ちょっと前まで五分で食べれそうなモンばっか食ってた茨がねえ」
どういう心境の変化かと聞く己の顔が、少しニヤけている自覚はある。最近は凪砂が「可愛い」と言う由縁がなんとなくわかってきたのもあって、こういう変化を見つけるのは楽しいのだ。
「なにを笑ってるんです、ぶっ飛ばされたいんですか」
「うわ、ちょっとやめてくださいよ!」
腹立ちまぎれに唐辛子を取られかけたのを見て急いで小瓶を自分の手元に避難させると、彼は眉間に皺を寄せて小さく舌打ちを零した。気休め程度の良心が働いたのか、ジュンではなくうどんを真っ赤に染める気だったようだ。
そういった攻防も終わり、ひとしきり茨をからかったジュンもようやく昼ご飯に手をつけた。少し冷めたうどんを啜り始めた己を見て、茨も「時間を無駄にした」と呟きながら食事を再開している。定食の魚を口に運びながらも神経質な指はタブレットの画面を忙しなく叩いており、本当にどういう時も仕事ばかりだなと感心するばかりだ。
(疲れないんですかねえ?)
様々な役職を兼業する茨だが、彼から弱音を聞いたことは一度もない。常に仕事のことを考えるのはさぞ疲れるだろうに。そう思いながらうどんを口に運んでいると、彼は急に箸を持っていた手を止めて顔を上げた。
どうしたのかと見つめるジュンをよそに、茨はカウンターに声をかけてトレイの上にあった料理を指すと何やら話し込み始めている。二人の表情からして異物混入などの騒ぎではないようだが、かといってドラマでよく見る「この料理を作った料理人は?」というたぐいのものでもないようだ。何を話しているのか気になってしばらく見守っていると、彼は小さい紙を受け取って席まで戻ってきた。
「なに話してたんすか?」
「ああ、この料理のレシピをいただいてたんですよ。閣下が好む味付けですし、栄養バランス的にも普段の献立に取り入れて良いかと」
茨は紙片をじっと見つめながら、再び料理を口に運び始める。やれ塩分がなんだと呟いているので、先ほどの口ぶりからして調味料の配合について検討している事はなんとなく想像できた。
「まさか日替わり定食を食ってるのって……」
「レシピの参考にするためですよ。椎名氏も四六時中ヒマなわけではありませんし、毎日違う献立を実際に食べて確認できるのが現状は最も効率的です」
喋りながらも紙片に書き込む手は止まらず、茨は慣れた様子でレシピを凪砂向けに調整している。先ほどまで仕事のことしか考えてないとばかり思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
(仕事とナギ先輩のことしか考えてねえんじゃ……)
近日中には凪砂好みに調整されて食卓に並ぶんだろうと想像して、ジュンは呆れるやら微笑ましいやらで複雑な気持ちになりながら箸を置いた。