【サン武ねこみっち 必ず最初の注意書きをお読みください】 武道生誕祭用
元々は本にするために書いていたのですが、私生活が忙しく続きを書けるかわからなくなってしまったため、途中なのですがもったいない精神で上げます。
書けそうならこの続きも書いて本にするかもですが、現状難しそうなので未完成、誤字脱字確認なし状態です。
それでもいいよって方のみお読みください。
※読んだ後の苦情は受け付けません※
【吾輩は三途春千夜の猫である】
その日の天気は大雨。台風の影響で風も雨も強く、低気圧のせいで頭が痛い。
ただでさえ薬も抜けてきていて意識も朦朧としているのに、金を持ち逃げしたやつの後始末をしなくてはいけなくて、三途は裏路地で人を一人殺した。
頭を狙って引き金を引けば、銃は簡単に弾を吐き出し血飛沫と共にその命を奪う。
泥だらけで倒れ込んだ男の顔面を思い切り蹴りあげれば、視界がぐらりと揺れる。
「――っ、」
慌てて近くの壁に腕をついて、倒れ込むのを堪える。
禁断症状だろう手足の震えと凍えるほどの冷たい雨に打たれて意識が朦朧としてきた。
「……く、そが……っ」
膝からガクンと力が抜けて、その場にしゃがみ込んだ。
膝に泥水が浸透してくるのかわかり、吐きそうなくらい気持ち悪かった。
今すぐ立ち上がりたいのに、心とは裏腹に体から力が抜けてくる。
慌てて地面に腕をついたが耐えられず、そのままべしゃりと音を立てて全身が泥水に浸った。
「…………」
寒い。寒くて寒くて仕方がない。
ガチガチと歯と歯が悲鳴を上げている。
なんでもいい。なんでもいいからこの震えを止めてくれ。
「――みゃぁ」
その時聞こえた小さな声は今にも消えそうなくらいか細くて、けれどとても優しいものだった。
【新しい生活の始まり】
ーside 武道ー
花垣武道という男は、冴えないモテない目立たない存在だった。
お金もないし彼女もいない。仕事はフリーターで家はオンボロなアパート。
友達もいないのだから、人生こんなにつまらないことあるか? と恨みごとの一つでも言ってやりたくなるくらいだ。
そんな日々を怠惰に過ごしていた武道であったが、ある日転機が訪れた。
そう、タイムリープだ。
過去へのタイムリープを境に、武道の周りは激変した。
大変なことも多いけれど、やりがいももちろんある。
大切な人を守りたいと思う心は、つまらない世界をなによりも光り輝かせた。
――だが。
だが、だ。武道とて人間である。恐怖心を感じるし痛いものは痛い。
それらは自らも気づかないうちにじわじわと内側を侵食してきて、気がついた時にはもう遅かった。
何度目かのタイムリープの末、いなくなってしまったマイキーを探し回っていた時、それは起こった。
突如として訪れた不具合。ぐわりと揺れた視界は、力の入らなくなった体を地面へと叩きつける。
キーンっと奥で耳鳴りがし始めて、その時になって初めて自分の体にガタがきていたことに気づいた。
まるでテレビ映像のように、視界の端からゆっくりとブラックアウトしていくのだ。
ああ、これはまずい。誰か、助けてくれ。
そう思って口を開いたが最後、世界は真っ暗な闇に包まれていた。
目が覚めた武道がまず見たのは、広々とした部屋だった。
少なくともこんなに綺麗で大きなところに武道は住んでいないので、もしかしたら倒れたところを誰かに助けられたのかもしれない。
ならばお礼をしなければ、と立ちあがろうとして違和感を覚える。
……なんだか、体がおかしくないか?
ちらりと手を見る。真っ黒な毛に覆われたピンク色の肉球がある。
「…………」
いやいや。いやいや武道はこんな毛深くない。むしろ毛が生えなくて悩んだこともあったくらいなのだ。
それになんだこのぷにぷにの肉球は。こんなの可愛らしい子猫くらいにしかないぞ。
「…………んに?」
そう、子猫なのだ。
バッと勢いよく己の顔を触る。ふにふにのさわさわだ。側頭部に近いところを確認すれば、そこにはピクピク動く三角形のものが……。
「…………にぅ」
どういうことだっ!
己の身になにが起こっているというのだっ!
あの時確かに体調不良で倒れただけだったはずなのに。
気づいたら猫になってるってなんの話だ。
己が身の不運にうにうに唸っていると、不意にドアが開く音がした。
何事かとそちらを確認すれば、そこには見知らぬ男が一人いる。
「…………」
髪は桃色で襟足が長く口端に大きな傷があるものの、それすらマイナスにならないくらい綺麗な顔をした男がいる。
これはさぞやモテるのだろうと、現実逃避しつつ恨めしい視線を向けていると、その視線に気付いたのか男が近づいてきた。
「――っ!」
子猫の本能なのかはたまた武道の意思なのか、可能な限り男から距離をとりきゅっと体を縮こませた。
そこで気がついたのだが、どうやら武道は二段になっているゲージの中に入れられていたようだ。
そのゲージの壁際端っこ、そこにくるまって近づいてきた男を見ていれば、彼はこちらを覗き見てみた。
「……起きてる」
目があった。それはそれは綺麗なご尊顔がこっちを覗き込んできている。
というかこの顔……どこかで見たことがある気がするのだが。どこだっただろうかと頭の中を探ってみるが、いまいち思い出せそうにない。
というかなんか頭が上手く働かない気がする。
「…………みぃ」
急にこんなことになって疲れてしまっているのかもしれない。
そもそも元から不調を極めていたのだから、こうなってもおかしくはない気がする。
ここはとにかく寝るに限るだろうと、丸まったまま目を閉じた。
「…………鳴いた」
そりゃ鳴くだろう。今我猫ぞ、なんてちょっと変なことを思う。やっぱり頭が回ってないらしい。
なんかガチャガチャと音がしてるけれど、とりあえず放置して寝ることにした。
きっと目が覚めたら元に戻ってる。そうだ、これはおかしな夢なのだ。
夢の中で寝るってなんか変な感じがするな、なんて思いながら早々に眠りを堪能することにした。
ーside 三途ー
頭がぼーっとする。思考が上手くまとまらない。それなのに体は動き続けている。
寒さはなにも変わらなくて、震え続ける体は感覚すら失われていた。
それでもどうしても足を進めなくてはならない事情が、この腕の中にあったのだ。
「……ぃ」
「――チッ」
か細い声。震える小さな体はゆっくりとその温度を失っていく。
なんでこんなに必死になっているのか、自分でもよくわかっていない。
ただこの手の中の温もりを、なにがあっても守らなくてはならないことだけはわかっていた。
だから足を進めるのだ。どれほど視界がぼやけようとも、足から力が抜けようとも。
引きずって、這いずって、前へ。
「……っ、」
「三途さん⁉︎」
やっとの思いで雑居ビルの間を抜ければ、そこには待たせていた部下らしき奴がいた。
正直顔も名前も誰一人として覚えていないので、正確かはわからないが。
だが三途の顔を見て名前を呼んだということはそうなのだろう。
そいつが止めていた車に倒れ込むように入り、さっさと走らせる。
向かう先は三途の住むマンションだ。
「…………みぃ」
「…………」
か細い声。力なく弱るその声が、耳にこびりついて離れない。
どうでもいい。どうだっていいはずなのに。
どうしてこんなにも、心がざわつくのだろうか。
優しく、壊れ物のように抱きしめる。己が熱を、与えるように。
「――くそがっ」
ーside 武道ー
夢を見た。真っ暗な場所を、ただひたすらに走る夢。
急がなきゃいけない。早く、一秒でも早く向かわなくてはいけない。
手遅れになる前に。
息が切れる。心臓の音が耳の奥に響く。それでもただひた走る。
ただ闇の中を。
――彼は、こんな気持ちだったのかな?
こんな闇の中、一人でいたのかな?
なんだか涙が出そうになった。
いや、泣いていたのかもしれない。
なにもわからない中、それでも足だけを進める。
助けなくちゃ。救わなきゃ。
――いや。
そんな大それたものではない。
ただ、そばに。そばにいたい。隣で笑い合ってふざけ合って。
それだけを望んでいるのに、そんな簡単なことがなによりも難しくて。
どこにいるんだろう。どうして、会えないんだろう。
ただ、君に会いたいだけなのに。
「…………んにぅ」
ぱちりと目を開ければ、そこはあの真っ暗な世界じゃなかった。
眩しいほどに明るい、綺麗な部屋だ。至る所に段ボールはあれど、それすら邪魔にならないほど広い場所にいる。
「……なぁぅ」
そうだった。武道は今なぜか猫になり、そしてなぜか綺麗で大きな家にいる。
すんすんと鼻を鳴らす。人よりもずっと利くからか、匂いだけで様々な情報を与えてくれる。
まず感じたのはこの家から生活の香りがしないことだ。食事や洗濯、そして人。そこらへんの香りが全くしない。
ここからするのは、新しい木や段ボールの香りだけだ。
つまりはここが新築の家だとわかった。
「にゃぅ……」
チリ一つない家とはまさにこのことか、とケースの中から見る。
この間の男はどうやらいないらしい。
無駄に綺麗な顔をした男だったな、とぼんやりとした記憶を思い出す。
あの目元……どこかで見たことある気がするのだが、一体どこだったか……。
「んにぅ」
いくら思い出そうとしても、そもそも記憶力が乏しい己の頭ではいくら悩んだって出てくることはない。
無駄だと早々に諦めて、武道はすくっと立ち上がった。
ずっと縮こまって寝ていたし、この体に慣れるためにも色々動いてみなくては。
四足歩行になんとなく違和感を感じつつも歩き、ひょいとケースから出てみる。
施錠などはされてないため、部屋の中なら好き勝手見て回れそうだ。
まずここはリビングにあたるらしい。武道がいた場所から反対側にキッチンが見える。
あの形……確か夕方のニュースでアナウンサーが羨ましそうになんかいっていた気がする……。
「んにーん!」
そうだ。アイランドキッチンとか言うやつだ。
作業スペースが大きく取れるから人気だとかなんとか言ってた気がするが、料理をしない武道からしてみればお金持ちのお家っぽい、という印象しかない。
調理器具なども揃ってはいるが新品なのかピカピカで、なにに使うのかよくわからないものまで置いてある。
あと上にワイングラスがひっくり返って吊るされてるのは何故なのだ。
金持ちの考えはわからない。
「…………にゃふ」
ぐるりとリビングだけを見た結果、住んでいるのはあの男だけの可能性が高いと感じた。
最初はキッチンがこれほど充実しているのだから、女性の一人でもいるかと思ったが、置かれている食器類が最低限しかない。
むしろ最低限以下しかないので、多分だが独身男の一人暮らしなのだろう。
……偏見だが、武道と同じ匂いがした。
つまりはあの綺麗な顔の男だけが住んでいるというわけか。
あんなにイケメンでさらにはこんなにお高そうな家に暮らしているハイスペック男子なのに、そういう相手がいないのは意外だ。
いや、家に入れないだけで外では引くて数多でイケイケなのかもしれない。
……イケイケって死語か、やめておこう。
とにかくこのままではそのうち彼が帰ってくるだろう。
どうにかしてこの家から出ることはできないのか。
色々うろちょろしてはみたが、猫の力ではどうすることもできないようだ。
ドアはしっかりと閉められているし、そもそもここがどこなのかもわからない。
この家から出たところで、無事にあのオンボロアパートに辿り着けるかも謎だ。
「んにぅ……」
どうしたものか、と悩んでいるとピッと機械音が耳に届いた。
それと共にドアの開く音が聞こえて、武道は瞬時にパニックになる。
か、帰ってきた⁉︎
慌ててケージの中へと戻りぐるりと丸まれば、それと同時にリビングのドアが開いた。
「…………………………ただ、いま」
いや不慣れか。オマエは家に帰ってきたことがないのかって突っ込みたいくらい言い淀んでた。
まあわかりはする。一人暮らしが長いとただいまって言ってもおかえりって返してくれない寂しさに耐えかねて、言わなくなったりするもんだ。
つまりこの男は一人暮らしが長いらしい。
イケメンなのにかわいそうに……と哀れみの目を向けていると、男は足音を立てずに武道に近づいてきた。
「…………起きてるか?」
「………………」
猫になってから実感したが、動物の耳というのは本当によくできている。
綺麗に足音を消せていたと思うが、それでもこの耳には衣擦れやわずかに沈む床の音などが聞こえた。
確かにこれじゃ、猫は大きな音を立てる人間を嫌うだろうなと思う。
なので今の動きは素晴らしい。八十点をくれてやろう。
残りの二十点は覗き込んできた顔があまりにも美しすぎたので嫉妬で減らしたとかではない、断じて。
「…………起きてるな。メシは……まだ食ってねぇか」
メシ……?
そういえばなんか置いてあったな、と思った瞬間急速に己の腹が空いていることに気がついた。
ついでに喉も乾いている。
……だがしかし、口をつけていいものなのか。
毒……なんて入ってはないと思うが……どうなんだろうか。
新しいご飯と水を用意してくれて、そっと置いといてくれる。
彼が完全に離れたのを確認して、食事のところへと向かう。
ふんふんと鼻を鳴らして嗅いでみるが、変な感じはしなかった。
でもどうしよう……って思っていると、お腹がぐぅーっと鳴る。
流石に丸一日は食べてないはずだから、食欲には勝てなさそうだ。
ええい、どうにでもなれっ! と口をつければ、あとは止まらなかった。
あぐあぐ、もぐもぐと口いっぱいに詰め込んでは飲みを繰り返すと、あっという間にご飯がなくなってしまった。
「…………みぃ」
まだ食べ足りない。もっと食べたい。
とりあえず喉を潤そうとぴちゃぴちゃ水を飲んでいると、そっと腕が伸びてきて食事の入っていた入れ物が奪われる。
上を見れば男が追加を入れていた。
「………………」
「………………オマエよく食うな」
「にゃぅ!」
人を食いしん坊みたいに言うな。
ちょっとお腹が空いてがっついただけで、そんな顔される謂れはない。
じとっと男の顔を見つつも、ちらちらと視線はその手元に向けてしまう。
まだまだお腹はぺこぺこだ。もっと食べたくて仕方がない。
そんな思いを込めて改めて男の顔を見れば、彼は呆れたような顔をしながらも武道の前にごはんを置いてくれる。
「にゃぅ!」
「スゲェ食欲。……腹、減ってたんだな」
そっと伸びてきた手が頭に触れそうになる。
一瞬避けようかとも思ったのだが、ここまでご飯や水の準備をしてくれたのだから少しくらいはいいかと動かないでいた。
だが彼の手は武道に触れそうになった瞬間止まり、ゆっくりと離れていく。
「……?」
なぜ触らないのかと不思議に思う。
野良猫じゃないけど野良猫のようなものである武道を拾ったくらいだから猫好きだと思っていたのだが、実は違うのだろうか。
もしやアレルギー持ちか⁉︎ なんて慌てたけれど、今のところ彼がくしゃみをしたり涙を流したりといった様子はない。
つまり彼は触りたいけど触らなかった、が正解に近いのだと察した。
ご飯をガツガツと食べながら思う。
こいつ、実はちょっとだけ、ほんの少しだけいいやつなのでは、と。
武道に気を使って触らなかったというのは、なかなかに好感度が上がった気がした。
好き勝手触られるというのは元々人間であった武道としてはよくは思わないからである。
「…………」
あっという間にご飯を食べ終えて、水もしっかりいただいて満足した。
お腹もある程度満たされた時には思ったさ。
『あ、オレ今キャットフード食べてる……』
と。
でも食べてみたらまあまあ美味しかったし腹も膨れるしで、止まることはできなかった。
背に腹は変えられぬというやつだ。
とにかく食べて満足したので、武道はさっさと元いた場所に戻りくるりと体を丸めた。
多少好感度が上がったところでまだまだ気を緩めることはできない。
どこかで見たことある気がするが、誰ともわからない人間のそばにいて警戒心を持たないなんてのは無理だ。
なのでぐるりと丸まって目を閉じつつも耳を立てて音を聞いていると、男は武道が食べたのを確認したのか皿をとってキッチンへと向かった。
水の音がするから洗ってくれているのだろう。
しばらくして水音が止まったと思えば小さいながらも足音が近づいてきて、ある程度の距離で止まった。
片目だけ開けてちらりと男を見れば、そばにあるソファに腰掛けつつこちらをじっと見つめている。
「………………」
「………………」
動かない猫を見てなにが楽しいのだろうか。
流石にじっと見つめられ続けるのはちょっとだけ嫌だ。
まあ食事のお礼も兼ねて、少しだけ構ってやるかと小さく鳴いてみた。
「みゃぁ」
「――! …………、」
猫が鳴くことがそんなに驚くことが。長いまつ毛に囲われた目が大きく開きこちらを見てくる。
だがただ見ているだけでこちらにやってくる気配がないのでもう一度、今度は大きめに鳴いてみた。
「なーぅ」
「………………どうした」
顔を見ながら鳴けば、さすがに呼んでいると理解したのかこちらへと向かってくる。
……まあ、悪いやつではないのだろう。
助けてくれてさらにはご飯まで与えてくれた恩義もある。
「にゃー」
声をかけながらゲージから手を伸ばし呼ぶように動かす。
「にゃーぅ」
「…………触っていいのか?」
やっと気がついたのか。いかにも触りたそうにこちらを見ておきながら、今更すぎると鼻を鳴らす。
ふすーっという情けない音しかしなかったのは聞かなかったことにした。
「に!」
「…………」
人差し指がそっと手に触れてくる。その触り方が本当に恐る恐るという感じだったので、この男が動物の扱いに慣れていないことだけはじゅうぶんに理解できた。
別にもっと触ってもいいのだが、彼の様子的にこれ以上は無理そうだ。
手先をちょんちょんと触れただけましかもしれない。
「んなーぅ」
「……変なやつ」
お前がいうな。
まあ軽くお礼もできただろうし、もういいやと元の位置に戻るとぐるりと丸まった。
お腹もいっぱいになったらまた眠くなってきた気がする。
子猫の体になってから眠気がすごいのだが、これはまだ子供だからだろうか?
大きさ的に赤ちゃん猫と呼んでも差し支えなさそうな体をしている。
「寝るのか?」
「……ぷぅ」
返事をするのもちょっと面倒で鼻を鳴らせば、男はさっさとキッチンへと向かった。
……まあ、自分から離れたのはそうなのだが、さっさと行かれてしまうとちょっとムカついたりする。
こんなに可愛い子猫に触れないなんておかしい。
ふいっと顔を背けて目を瞑れば、眠気はやはり強くなって。
うとうとと夢と現実の境を行ったり来たりしていると、ふいになんだか温かいものが触れた気がした。
「…………んに?」
「……さっさと寝ろ」
温かい方を見れば、そこにはタオルに包まれたペットボトルが一つ。
どうやらこれにお湯を入れてくれたようで、湯たんぽ代わりになっているようだ。
これはありがたいと、武道はそっと擦り寄った。
とても心地よくて体の力が抜けていくのを感じる。
「みぃ」
「…………」
なんだか頭を触られている気がするけれど、もうそんなことに意識を向ける余裕はない。
気がついたらあっという間に、夢の底へと向かっていたのだった。
【はじめてのこと】
ひょんなことから始まった一人と一匹の生活は、思ったよりも順調にことが進んでいった。
まあ順調とはいっても、お互いの関係値は全く進んでいないのだが。
彼はあれからも武道に触れようとはせず、ただ毎日食事の準備をするだけだ。
まあ武道としてもそれならそれでいいのだが……。
いかんせん男の日常生活がありえないほどひどいのだ。
朝方出て行ったと思えば夜中に帰ってきて、その時にはひどい血と汗と……嗅いだことのない焦げたような匂いをさせて帰ってくる。
顔は青ざめ目は虚で、シャワーを適当に浴びて武道の食事を準備し早々に布団にっていく。
性能のいい猫の耳では、彼があまり寝れていないことがわかっている。
一応毎日帰ってきてはいるが、それも武道の世話のためというのが見てとれた。
つまりあの男は、大変不健康な生活をしているというわけで。
……いや、わかる。わかるのだ。同じように運動をほぼせず自炊もしない。
コンビニやスーパーの惣菜や、ひどい時はポテチで飢えを凌いでいた人間が花垣武道である。
なのであの男の気持ちはよくわかるのだが、武道のそれとは少しだけ違う気がしたのだ。
「……にぅ」
なにが、と聞かれたら答えようがないのだが、とにかく武道とは違うのだ。
なんというか、生きようとしていないというか。
武道はどれほど疲れていようとも食べる。とりあえず腹が減ったら食べるし、休みの日は死んだように寝る。
だが彼はそれをしない。好きなものを食べることも、昼間まで寝ることも。なにもないのだ。
人が生きるのに必要なことをしない。
それは、まるで緩やかに死に向かっていくようで……。
なんだか、放っておけないと思えた。
だから出た。ゲージの中から、男の目の前に。
シャワー終わり、ソファに座ってぼーっとしている男の前にあるテーブルにひょいと飛び乗る。
目の前にやってきたのに、彼の目に武道は映っていない。
ただ虚無を見つめるその瞳に、恐怖を感じるのは自然のことだろう。
信用はしていない。この男が誰だかわかっていないからだ。
けれど子猫を大切にしてくれる、優しい人なのはわかっている。
だからこれは、飢えと寒さを凌げていることへの感謝だ。
ひらりとテーブルから降りて、キッチンの方へと向かう。
この男が帰ってきた時コンビニの袋を持っていたのは確認済みだ。
よほど疲れていたのか、はたまた食べる気もなかったのか、床へと投げ捨てられていたそれを漁り、中から適当にとったのだろう梅のおにぎりを咥えると、もう一度テーブルの上へと戻る。
子猫の姿ではおにぎり一個運ぶのでもだいぶ骨が折れたけれど、それでもなんとか持っていくことはできた。
「みぃ」
「…………」
目の前で猫がおにぎり持ってきたら普通の人なら驚いて注目するだろうに、男はこちらを見ることもない。
力なくソファに腰掛け、どこともとれないところを見つめる。
「みゃぁ、なぁぅ!」
「…………」
こ、この男……っ。
どこまで無視してくれば気がすむんだ。
こんなに小さくて可愛い存在が鳴いているのに、見向きもしないとは何事だ。
窓に映った子猫はそれはそれは可愛らしかった。
真っ黒な毛に青い瞳。
特徴的なところといえば、長い尻尾の先が少しだけ折れていたこと。
こういうのを鍵尻尾とかいうんだと、千冬から教わった気がする。
まあとにかく、そんな可愛い存在である仔猫がニャーニャーいってるのにスルーするなんて……。
この男やはりどこかおかしい。
どうしたものかと考えを巡らせたが、残念ながら妙案は思い付かず。
仕方ないとおにぎりをテーブルに置いたまま、彼の膝上へ飛び乗り、胸元に前脚を当てつつ、顔を見上げるようにして大声で鳴いた。
「みぃ、みゃぁ、なぅ!」
「………………あ?」
「なぁう!」
「……オマエ、なんでここに……」
「なふ!」
「あ? ……それ」
やっと意識が戻ってきたらしい。目を開けたまま寝るなんて器用なやつだなと思いいつ、またしてもひょいと飛んでテーブルへと戻る。
そこに置いてあるおにぎりを前脚で突きつつ男を見れば、その目はもちろんそちらへと向けられた。
「なんでこんなところに……。そういや、鶴蝶のやつに無理やり渡されたな」
「――!」
今、この男なんていった?
確かに今、鶴蝶って……。
そんな独特な名前そうはいないはずだ。
つまりこの男、カクちゃんの知り合い……?
「これ、食えって?」
「んに……みゃあ!」
本当はもっと詳しい情報を知りたかったのだが、猫の姿では話すこともできずこれ以上聞き出すことができない。
今己が猫なことが本当に悔しいと思いつつ、武道は本来の目的であるおにぎりを男の方へ寄せた。
「にゃぅ!」
「…………そういや、メシ食ったのいつだ? 今朝……は食ってねぇし、昨日は……昼に食べたくらいか」
「…………」
なんだと……。この男、少なくとも丸一日はなにも食べていないということになる。
育ち盛り食欲旺盛な子猫にとって、一日食べないなんて死活問題だ。
もちろんこの男はもう成長期なんてとっくに終わっているんだろうけれど、それでもいかんせん不健康すぎる。
食事は人間が生きる上で大切なものであり、欠かせないものだ。
「なーぅ! みゃう! にー!」
「なんだ急に。つーかオマエ、やっとゲージから出てくるようになったのか。……少しはこの家に慣れたのか?」
「んーーーっに!」
そんなことはいいから飯を食えっ!
そんな思いで鳴けば、なんとなくわかってくれたのかテーブルの上にあるおにぎりに手を伸ばした。
そのままのそのそと動くと、フィルムを剥がしたおにぎりを口にくわえる。
「…………」
「…………」
もぐもぐと、食べている姿をじっと見つめる。
……おにぎり美味しそう。
猫になっても記憶はあるので、おにぎりの美味しさがわかるのだ。
パンやパスタ、カップラーメンに手を出すけれど最後にはやはりおにぎりに戻ってくる。
米の美味さは大人になってからわかるものだと頷く。
キャットフードも猫の姿だからか、意外と美味しいと思えたけれど、やはり人のご飯も食べたいと思う。
特にポテチ。あれを一袋丸々食べたい。
過去のことを思い出して思わず涎を垂らしていると、その間に食事を終えたのか男がゴミを捨てにキッチンへと立った。
おにぎりの海苔を溢さないように気をつけていたところもあったので、もしかしたらこの男潔癖症なのかもしれない。
よく猫を飼おうと思ったな、と戻ってきた男の顔を見つめる。
「……満足したか?」
「んにぅ…………に!」
本当はもっと量を食べて欲しいが、丸一日食べてない人間にこれ以上は重すぎるだろう。
致し方ないと納得し、少しでも胃に入れられたことを良しとした。
これで一旦は安心だろうとその場で顔の毛繕いをしていると、そっと伸びてきた手が頭を優しく撫でてくる。
最初はするりと逃げようかとも思ったけれど、まあ今日はいいかと撫でさせてあげることにした。
頭を撫でられるなんて、大人になってから早々体験できることではないし、猫になったからか人の手が不快だとは思わなかった。
「んーに」
「ずいぶん警戒心なくなったな」
「んんにゃふ」
「はっ、なに言ってっかわかんねぇな」
そんなこと当たり前だろう。こちらは猫なのだから。
頭から頬に、頬から顎を撫でられて、思わず顔が緩んでしまう。
猫が顎を撫でられるのが好きなのはペケJで知っていたが、こんなにも気持ちがいいなんて……。
思わずコロコロコロ……っと喉が鳴りそうになり、慌てて止めた。
なんか……恥ずかしかったからだ。
ふいっと男の手から離れると、そのままゲージへと向かいいつもの場所でくるりと丸まる。
急にいなくなった武道を男はなんとも言えない顔で見てきて、それが普段澄ました顔からは想像もできない様子だったので、少しだけ気分が良くなった。
なんだ、人間らしい顔もするじゃないか、と。
「…………猫ってよくわかんねぇ」
「にゃぅ」
【猫とは自由である】
あれからというもの、男との生活は少しずつ変わっていった。
まず、武道の食事はゲージから出され、テーブル近くに置かれる。
ちなみにそれが徐々にソファに腰掛ける男の足元へと近づいていっていることには気づいている。
気づいててまあいいかと、好きにさせることにした。
別に近づくくらいはなんてことはない。
この男に拾われて早くも二週間程度がたち、悪い奴でないことは流石に理解できた。
なので多少のおさわりも許してはいる。抱っことかはまだ流石に許してはいないが。
確実に距離感が近くなった今、新たな問題も浮上している。
それはやつが少しずつ猫の世話の知識をつけ始めたことだ。
武道も猫については相棒のおかげで詳しいほうだと思う。
ブラッシングや爪切り、歯磨きやその他手入れ。
さまざまなことをしてあげると、それだけ己の愛した猫が光り輝き日々健康に過ごせるのだと、力説していた姿を思い出す。
アイツは今なにをしているのだろうか。武道が急に消えて慌てているかもしれない。
とにかくそんなわけでお世話の偉大さは知っているのだが、まさかこの男がそれを実行に移すようになるとは思ってもいなかった。
始まりはある日だ。ソファの上でごろごろと惰眠を貪っていた時、ふと男が隣に座った。
そこまではいい。いつものことだ。
いつもならこのまま背中を軽く撫でてくるので好きにさせていたのだが、それが違った。
いや、背中は撫でてきたのだ。グローブをつけて。
なんだそれは。
なんでそんなものをつけてるのだと不思議に思いつつ男の方をちらりと見て気がつく。
なんだかやはりおかしいと。
撫でられている感覚が、どちらかといえば髪をくしで梳かしているものに似ていて。
そこでハッと気づく。
慌ててその場から逃げれば、男は手にグローブをつけたままこちらを見てくる。
その手には、たくさんの毛をつけて。
千冬から見せてもらったことがある。グローブにブラシのようなものがついていて、撫でるだけで毛の手入れができるのだ。
『めちゃくちゃ便利だろ! ぺけJもこれ大好きでよく撫でさせてくれるんだ〜。猫は撫でれば撫でるだけ毛が艶々になるし健康状態もわかるし、リラックス効果とかもあるからもし猫を飼う機会が今後来るなら撫でられるのが好きな子に育てるといいぞ!』
そんなふうに早口で力説していたのを、若干引きながら見つめていたのを思い出した。
まあ触られるのはいいだろう。世話をしてくれているのだから。
だがしかし、勝手にブラッシングはいかがなものか。
武道からしてみれば、知らないイケメンに突然髪を解かされているようなものだ。
普通にびっくりするだろう。イケメン好きの女子だって流石に引くだろ。
だから距離をとりつつ様子を見ていたのだが、男は離れた武道に無理強いすることはせず、すぐにグローブを脱ぎ毛の処理をしはじめた。
「…………」
どうやらこの男、本格的に武道を飼う気らしい。
最初の日に見たこの家は簡素で、真新しい家具と何個かの段ボールだけだった。
それから数日で段ボールは片付けられたが、それにしたってあまりにも荷物が少な過ぎないかと首を傾げたほどだ。
ゴミもほとんど出ないし、あるものは最低限のものだけ。
そんな中で武道のために用意された猫用品が異様な雰囲気を醸し出していたほどだ。
ミニマリストとはこういう人のことをいうのだろう。
なるべく荷物を増やしたくない人間が、よく猫を飼おうと思ったなと驚いていたら、いつのまにか部屋に荷物が増えてきたのだ。
常に清潔なお水を出せる機械や、自動で掃除してくれるトイレ。
お出かけ時に見守ることのできるカメラなど。
子猫である武道にはまだ使いこなせない品も、片っ端から買い漁っているようで、どうやら将来を見越してのことらしい。
こんなに荷物増えて気にならないのかな? と男を観察するが特に気にした様子はなく、ひとり黙々と組み立てていくその後ろ姿を眺めていた。
あれからというもの、背中などを撫でつつ時折ブラッシングをしようと試みては嫌がる武道に気づき諦め、毛の処理だけを淡々とする、を繰り返している。
自信についた毛もきちんと処理し、床に落ちたであろうものもさっさと掃除機をかけていた。
普段の様子からも綺麗好きなのが伺えるのに、本当によく猫を飼っているな。
「……」
そんなことを思っていると、不意に男が立ち上がりキッチンへと向かう。
それにピンっと尻尾を立てたのは致し方ないことだった。
だってこのタイミングでそちらに向かうということは。
「んなーぅ!」
「ちょっと待ってろ」
「なーぅ! なぁ! なーっ!」
「はいはい。今日は……こっちにするか」
早く早くと彼の足元に擦り寄る。
普段はもちろんこんなことはしない。今だけである。
だって彼の手には、とっても素敵なものが握られているのだから。
「オマエこれ好きだよな」
「にゃふぅ〜!」
そう、それはちゅ○るである。
世界中全ての猫が欲し、恋し、憧れる存在。
人間だった時ペケJが千冬から与えられて、尻尾をぶんぶんとぶん回しながら齧り付いていたのを思い出す。
あの時はこんなものがそんなに美味しいものかなぁ? と不思議に思ったものだが今ならわかる。
これはある意味劇薬である。
猫人生になくてはならない品物だ。
「んに、んにっ!」
早く早くとソファに座った三途の膝に飛び乗り、封を切ろうとする彼の手元に縋り付く。
これをすると邪魔になることは重々承知しているのだが、少しでも早く食べたくて仕方ないのだ。
そんな武道を理解しつつも邪魔なのか、男は腕を上げて頭のあたりで開封した。
「落ち着け。すぐやるから」
「んにゃぅ!」
ひょいと片手で持ち上げられ、口元に持ってこられたのでありがたくペロペロと舌を動かす。
――うまいっ、うますぎる!