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    Natuめ

    東iリiべi武i道i受iけi小i説書いてます!

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    Natuめ

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    『サン武Webオンリー用』
    パスワードはお品書きに記載しております。
    全年齢。読んでからの苦情は受け付けません。

    『サン武Webオンリー用』あの青が欲しいあの青が欲しい
      ※注意! 武道がタイムリープしてないのに、なぜか梵天がある謎時空です。なので武道はマイキー達とは面識がありません。
     また、ほんのりマイ武やらが含まれます。要は愛されからのサン武エンドになります。
     上記に抵抗がある方は申し訳ございませんが読むのをお控えくださいますよう、お願い致します。


     分厚い雲の切れ間から、太陽の光が差し込む。つい先程まで雨が降っていたのに、もう晴れてきたのかと傘をずらして空を見る。曇天と呼ばれる濃い灰色に、気分はどんどん下がっていく。湿度が上がればくるくるの髪は更に暴れ、手の付けようがない。己の髪を指先で弄びつつ、大きくため息を着いた時だ。こつんと、足先に何かが当たった。
    「……これ」
     黒くて、手よりも大きなもの。映画とかでよく見るそれを、子供の頃憧れて親に玩具を買ってもらったことを思い出す。
     そこら辺の子供が落としたのかと、普段ならそのまま放置して過ぎ去るのだが、違和感が生まれる。
     足に当たった感覚が、嫌に重かった。パッと見があまりにもリアルで、サバゲーとかで使われるエアガンなのではないかと思った。
     だとしたらこんなところに置いておくのはまずい。子供が手にしてしまったら大変なことになる。
     知り合いにサバゲーマーがおり、威力の話は聞いていた。大の大人でも当たれば青アザになるし、目に当たりでもしたら失明してしまう。警察に届けようと手に持った時、近くからうめき声のようなものが聞こえた。
     ビルとビルの隙間、そこに座り込むその姿を見てそっと息を飲む。なかなか見ない桃色の髪が、青白い肌に張り付いている。雨に濡れたのだろう、張り付いた服からは赤い血が流れ血溜まりを作っていた。
    「――、」
     見なかったことにしよう。そうすれば面倒事には巻き込まれない。明日も朝から仕事で、色々大変な目にあうはずなんだ。
     踵を返しその場を去ろうとした時、ふと小さなうめき声が聞こえた。掠れた、か細い声。吐息と言っても過言ではないそれを、耳が拾ってしまう。そしてその時、思ってしまった。
     ――生きているのか、と。
     ならここで見捨てたら、この人はどうなる?
     このままじゃ、死んでしまうかもしれない。
      何度も何度も頭を振る。関係ないという心の声はどんどん遠ざかっていき、急かすように心拍が上がっていく。耳の奥から聞こえるそれが最高潮に達した時、武道はもう一度踵を返していた。
    「大丈夫ですか? 聞こえてますか?」
    「……」
     揺さぶってみるけれど返事はない。その間にもどんどん血は流れていき、跪いている武道のズボンを濡らす。今日が雨でよかった。濃い色のジーパンなので、血の色が目立たずにすむ。
    「とにかく、救急車……」
     スマホを取り出し電話をかけようとしたが、その手を強く握られた。死にかけとは思えない力強い瞳で睨まれ、武道の喉がひくりと鳴った。
    「呼ぶな。絶対、呼ぶんじゃねぇ」
     それだけ言うと、腕は離れ地面へと落ちていく。
    明らかに普通じゃない様子に、やはり面倒事だったとため息をつきたくなる。この状況で救急車を拒否するなんて、絶対やばい人だ。
    「……」
     でも、もう見捨てるという選択肢はない。
     さきほど開かれた瞳を思い出し、ドキドキと鳴る胸元を抑える。これはきっと、びっくりしただけだと自分自身に言い訳をする。
     この量の出血していれば意識も朦朧としているだろうから、自分のことなんて覚えてないはずだ。ならささっと出来ることをしてこの場をあとにしたほうがいい。
     武道は立ち上がると走って近くのコンビニに向かい、包帯やガーゼを買い込む。あれだけの傷、本当は縫ったりした方がいいのだろうが、さすがに素人にそんなことまでは出来ない。ガーゼとタオルでなんとか塞いで、ガチガチに固めるしかない。
     もしかしたら居なくなってたりしないだろうかと、ほんの少しだけ期待を込めて戻ったけれど、当たり前だがそこに男性はいた。
     もう濡れてるしいいかと傘を放って膝をつき、彼の着ているシャツのボタンを外していく。近くで見た時に気づいたけれど、彼の血は肩から流れていた。その場所の服を脱がせれば、予想通りの場所に痛々しい傷口を見つける。
    「……これ」
     貫通するように空いている、丸みを帯びた穴。確証はないけれども、多分これは銃痕なのだろう。
     自分が生活する場所の近くで、こんなものを目にする日が来るとは。そういえば最近犯罪組織が活発に動いていると、テレビでやっていたなと思い出す。まさかその関係者なのか? と嫌な予感がしつつも、武道は肩の傷を見つめる。
     背中側にも同じ傷があるということは、弾は体外に出たのだろう。
     となれば、とにかく己にできることは止血のみである。簡単にだが傷口をアルコールで拭い、ガーゼを貼り付けタオルを脇の下に通しつつ力強く縛った。
     痛みが走ったのかうめき声が聞こえ、緩く顔が上げられる。
    「……あ? なにしてんだ、テメェ」
    「……手当を、少々」
     怖い。怖いけど放っておけない。
     あの印象的な瞳がまたこちらを見ていることに、心臓の動きが強くなるのを感じた。
    「すぐ消えますから」
     他のところに傷がないことを確認し、体が冷えないよう残りのタオルを彼の上に乗せる。ついでに放られていた拳銃を丁重に持つと、彼の膝上へ置く。
    「オレに出来るのはこれくらいなので」
    「……偽善者かよ。オマエこの傷なんだかわかってんだろ」
    「……は、い」
     この日本で、銃痕を見るとは思わなかった。つまり彼はそういう人なのだろう。厄介事だなんて、わかっている。それでも。
    「やらない後悔より、やった後悔のほうがずっと心が楽なんですよ。これはオレのためでもあるので」
     これは自分にした言い訳だ。あとはこの人の生命力、または運次第。
    「それじゃあ、さようなら」
     武道は立ち上がると今度こそその場を後にした。

    '・*:.。. .。.:*・゜゚・*

    「三途ー、生きてる?」
    「――っ、」
     揺さぶられた瞬間、鋭い痛みに目が覚めた。
     どうやらご丁寧に傷のある方を握り揺さぶってきたらしく、ぼーっとする頭でなんとか目の前の男を睨みつけた。
    「てめぇ……」
    「お、生きてるじゃん」
    「テメェを殺してやろうか」
    「元気じゃん」
     目元は笑ってないのに微笑を浮かべる灰谷蘭に、舌打ちを返す。血の流しすぎで頭が上手く回らないし、ダルすぎるのでこれ以上この男の相手をしたくないと口を閉ざす。
     そんな三途を見て、蘭は目を瞬いた。
    「マジでキツそうじゃん」
    「死にそうなんだよ」
    「……へぇ」
     意味深な間に重たい瞼をあげれば、蘭の長い指が己に向けられていた。正確には横少しだけズレていたけれど。
    「その手当、自分でしたの?」
    「あ? 手当?」
     ちらりと肩を見れば、なぜかタオルが巻きついている。赤く染まっているけれども、出血を少しは押さえ込んでいるらしい。
    「んだこれ。てめぇの仕業か?」
    「オレ? オレがそんなことすると思うの?」
    「……」
     この男がそんなことするわけないかと、三途はもう一度タオルを見た。自分でこんなこと出来るほどの体力はなかったはずだ。となれば、全く関係ない第三者がやったことになる。
     そういえば、誰かと会話したような覚えがあった。
     記憶に残るのは、黒の中にある透き通るような青。
    「……知らねぇヤツだった」
    「あらら。なら探さないとね」
     馬鹿なヤツだと鼻で笑う。下手な正義心を出さなければ、厄介事に巻き込まれなくて済んだというのに。
    「あー……くそがっ」
     薬も切れてるし、なによりも肩が痛い。最悪な気分に唸った時、ふと膝上に置いてある銃とタオルに気がついた。
     三途の視線に気づいた蘭が、ハンカチ越しに拳銃を持ち上げる。
    「これ、三途の?」
    「……ああ」
    「膝上に置いた覚えは?」
    「ねぇよ」
    「あらら。手がかりゲット」
     三途は自分の物を他人に触られるのが死ぬほど嫌なため、私物は基本彼以外手にすることはない。にも関わらず、この銃から三途以外の指紋が出てきたとしたら。雨も止んで、尚且つ真新しいタオルの上に置いてあったのだとしたら、保存状態もかなりいいはずだ。
    「これに近くの監視カメラがあれば完璧じゃん」
    「……そーだな」
     本当に馬鹿なヤツだと、見たこともないやつを笑う。自分のようなやつ、放っておけばよかったのに。
    「見つけたらどうする? こっちで殺っちゃっていいの?」
    「……止めろ。傷一つ付けずオレの前に連れてこい」
     どうせならその面を拝んでやろうと、三途は弱く首を振る。血の気の足りない頭ではこれ以上考えられないと、不服ながら蘭の肩を借りて立ち上がった。すぐ側に車が控えており、それに乗ってれば闇医者の元へと着く。あと少しの辛抱だと震える足に力を込めて歩いていた時、隣ならクスリと笑う声がした。
    「……なんだ?」
    「いやあ……。三途、それ持って帰るの?」
    「あ? なに言って……、」
     言われて気がついた。本人も気付かぬ間に、膝上にあったタオルを握りしめていたのだ。
     なんで、と自分の行動に驚きつつも無駄に込めていた力を抜けば、タオルはひらりと地面へと落ちる。泥に塗れたそれをぼーっと見つめていると、頭の中に声が響いた。
    『これはオレのためでもあるので……』
     なにが自分のためだ。ぶるぶる手が震えてたくせに。明らかに怖がってたのに、なのに最後まで手当していったのかと、優しく肩に触れる。
    「――っ」
     強い痛みに顔を歪めれば、記憶の中の声は消える。朧気だった意識を思い出そうとも、その姿は霞の奥へと消えていく。
    「……くそっ」
     あの青が、思い出せない。

    '・*:.。. .。.:*・゜゚・*

    「眠い……」
     結局あの後家に帰り、血に濡れた服を必死に手洗いし洗濯機を回して干した。夜に回すんじゃねぇと隣に怒鳴られたけれど、すぐに洗わないとダメになってしまう。そう何枚も服を持ってるわけではないので、まだ着れるなら綺麗にしておきたかった。洗っている間に風呂に入り、洗濯物を干して眠りにつく。
     朝起きて仕事に行き、寝不足でふらふらになりながらもなんとか勤務時間を終えた。定時に上がれるなんて珍しいと、嫌な客に絡まれ地に落ちていた心をほんの少しだけ持ち上げる。明日はお休みだし、夕方からお酒を呑むのもいいかもしれない。
     ただ金はないので宅飲みになるのだが。コンビニは高くつくので、商店街の激安スーパーにでも行こうと足を進めているとほのかに甘い香りがしてくる。
     すんっと鼻を鳴らしつつ視線をさ迷わせていると、その香りがたい焼き屋からすることに気がついた。
    「たい焼き……」
     疲れもあり、甘いものを食べたいと店に近づく。あんこもいいけどチョコもいい。カスタードも食べたいとそんなことを考えていると、不意に店の前でぼーっとしている男性が目に付いた。
     綺麗な白? 銀? 色の髪をした、色白痩身な男の人が買うこともなくたい焼き屋を眺めている。一瞬並んでるのかとも思ったのだが、どうやらそうではないらしい。
     なんとなく、昨日のお節介の流れもあったからか、気がついたら男性に声をかけていた。
    「あの、どうかしました?」
    「……別に」
     驚いたように見開かれた瞳が落ち着いた頃、男性から返事があった。一瞬だけ武道に向いていた視線はすぐにそらされ、またたい焼き屋へと戻される。
    「……たい焼き食べたいんですか?」
    「……別に」
     彼が返事をしたタイミングで、小さくぐぅっとお腹がなった。武道のものではないので、彼から発せられたものなのだろう。
     しばしの沈黙の末、彼が横目でこちらを見てきた。
    「……財布忘れたんだよ」
    「ああ、なるほど」
     それは食べたくても食べれないよなと納得した武道は、彼の手を掴むとたい焼き屋の前まで向かう。
    「は、なに?」
    「味、なに食べたいですか?」
    「……オマエ、なに考えてんの?」
    「え? 一人で食べるの寂しいなと……」
     一人晩酌をほんの少しだけ寂しく思っていたところなので、どうせなら誰かと食べたいと思ったのだ。
    「一緒に食べてください」
    「……マジで言ってんの?」
    「はい」
     もう一度味を尋ねれば、彼はしばらく黙り込んだあとゆっくりと口を開く。
    「……あんこ」
    「じゃあオレはチョコにしよう」
     すいませんと声をかければ、店員さんが出来上がっていたものを包んでくれる。二つ受け取りお金を渡して、一つを彼へと差し出した。
    「はい、どうぞ」
    「……どうも」
     店の前で食べるのもどうかと思い、近くの公園まで向かう。たい焼きを握ったまま着いてくる彼と共にベンチに腰かけ、まだホカホカと温かいそれに噛み付いた。トロリとチョコが溢れてくるのを零さないように気をつけつつ食べていると、隣の彼がやっとたい焼きを口に運んだ。
    「……美味い」
    「ここの美味しいですね! 初めて食べました」
    「うん。オレも」
     もぐもぐと食べ進めてくれているので、警戒は解かれたらしい。なんというか、猫のような人だなと思っていると不意に隣から視線を感じた。
    「……なにか?」
    「名前、なんていうの?」
    「あ! そうか、名乗ってもいなかったですね。オレ花垣武道っていいます」
    「花垣、武道……。じゃあタケミっちだ」
    「たけ……?」
     変なあだ名をつけられた気がしたけれど、まあいいかと頷いた。どうやら名前を聞けて安心したのか、彼はあっという間にたい焼きを完食する。
    「オレは……マイキーって呼ばれてる」
    「マイキーさん?」
    「他人ぽくて嫌」
    「え、あ……じゃあ、マイキーくん?」
    「……ま、それでいいよ」
     本名は教えてくれないんだなと、ちょっとだけ不公平を感じつつ武道も最後のたい焼きを口に含んだ。ついでに喉もかわいたと隣にある自販機で飲み物を二つ買って一つを渡す。
    「ありがと」
    「いえいえ」
     好みがわからなかったので水を渡したのだが、普通に飲んでくれたので安心した。なんとなくこのままお別れも変だなと思ったのでベンチに腰かければ、マイキーが声をかけてくる。
    「タケミっちって何歳?」
    「26っす」
    「じゃあ一個下だ」
    「おお、年上……」
     奴隷時代の名残か年上が少しだけ苦手だったりするのだが、マイキーはパッと見華奢だし自分に向けてくる瞳も優しいものだったので、すぐに肩の力を抜いた。
    「仕事はなにしてんの?」
    「レンタルショップの店員です。なんてことない仕事ですよ」
     誰にでもできる簡単な仕事だと鼻で笑いながら言えば、マイキーが不思議そうに首を傾げた。
    「なんで? 少なくともオレにはそういう仕事できないから、すごいと思うよ。人を相手にするのって、疲れるから」
    「……どうも、です」
     まさか褒められるとは思わなくて、武道は頬をかいた。まあ確かに対人は気を使うので、あまりおすすめは出来ない。今日だってそれがあって気分が落ちていたのだから。
     その時のことを思い出し、武道はそっとため息をついた。
    「どうしたの?」
    「あ、いや。仕事でちょっと嫌なことがあって……」
    「嫌なこと? 話してみて。人に話すとすっきりするよ」
     まあいつもの事なのでと流そうとしたのだが、マイキーのほうから続きを催促された。
     確かに彼の言う通りではあると、優しげに微笑む顔にやられたのかぽつぽつと話し始めてしまう。
    「いやぁ、最近よく来るオジサンなんですけど、いつもオレにだけ絡んでくるというか……。クレーマーなんですよね」
     その男性から言われたクレームの大半が、武道には全く関係のないものだった。内容が面白くなかったとか、そんなこと言われてもって感じなのだが、そういうのにすら頭を下げなくてはならない。必死に謝る武道が面白いのか、男は断る事にクレームを叩きつけてくる。
     大きなため息とともに武道が肩を落とせば、マイキーがすっと目を細めた。
    「へぇ。最低だね、そいつ」
    「……まあ、我慢すればいいだけなんで」
    「そんなのよくないよ。タケミっちが傷ついちゃう」
    「でも……」
    「大丈夫だよ。――そんなことしてる奴には、きっと天罰が下るから」
     こちらを向く真っ暗な瞳が、なぜか怖いもののように思えた。先程までは優しく武道を見ていただけなのに。暗く深い、奈落のようで。ゴクリと喉を鳴らせば、聞こえたのかマイキーが今まで通り微笑んだ。
    「それよりさ、お礼したいから連絡先交換しよ」
    「あ、はい」
     スマホを差し出され、ポケットから慌てて手にとる。無料通話アプリで友達になれば、彼のアイコンはたい焼きだった。本当にたい焼き好きなんだなと眺めていると、マイキーが立ち上がる。
    「じゃあそろそろ行くね。すぐ連絡するから。今度はオレの奢りでご飯でも行こう」
    「いや、そんな気にしなくても」
    「ご飯行きたいだけ。タケミっちと一緒なら、美味しいって感じられる気がするんだ」
    「はぁ……?」
     誰と行ってもご飯は美味しいと思うのだが、彼には彼の事情があるのだろうと口を噤んだ。
     晩酌のためにスーパーまで買い物に行かなくてはと、同じく立ち上がる。
    「またね。すぐ連絡するから」
    「あ、はい」
     お気になさらずとの武道の声は、多分届いていない。なんだか不思議な人だったなと思いながらも、去る彼とは逆の方に歩き出す。
     真っ白な髪と肌。体は細く、目元には隈。不健康なのがひと目でわかるその姿に、少しだけ心が痛む。武道が一緒に行くことで、少しでも彼が元気になるのからいいかと、頭の片隅で連絡を待つことにした。

    '・*:.。. .。.:*・゜゚・*

     そこまでお酒が得意ではないけれども、昨日はそこそこ飲めた方だと思う。缶チューハイを三本ほど開けた後の記憶はなく、テーブルにつっ伏すようにして寝ていた。首は痛いし頬は赤く跡が付いてしまっているし、二日酔いでものすごく気持ち悪い。
     このまま布団で二度寝しようと這って向かおうとした時、テーブルの上に置いてあったスマホが震えた。
    「……はい、もしもし」
     無視しようかとも思ったのだが、店からだったのでなんとか通話を押す。聞こえてきた声は、とても慌てていた。
    『もしもし!? 今からすぐ来て!』
    「え、なんですか? オレ今日休みで」
    『警察が来てるのよ!』
    「警察!?」
     なにがなんだか分からぬまま、急ぎ職場へと向かえばすぐにスタッフルームへと連れていかれる。そこには確かに二人の警察がおり、流れるように椅子へと座らされた。
    「お休みのところすいません。この人、ご存知ですよね?」
     簡単に謝罪され、見せられた写真には一人の男性が写っていた。中肉中背の、神経質そうな顔には覚えがある。ちょうど昨日も、武道によく分からないクレームを入れてきた常連だ。
    「知ってますけど……この人が?」
    「昨夜、自宅で亡くなっているのが見つかりました」
    「……え」
    「死因は毒による他殺。彼は友人や家族もおらず、仕事もしておりませんでした。家の近くのスーパーに買い物に行くか、このレンタルショップに来るくらいしかしてなかったみたいですね」
     喉の奥がひくりと鳴った。手足が震えそうになるのを堪えつつも、目の前の警察を見ることが出来ない。一瞬だけ見えた鋭い視線を思い出し、震えそうになる手を必死に押さえ込む。
     まさか、これは、もしかして。犯人だと、疑われてないだろうか。
     もちろんそんなことはしていない。昨日は家に帰ってお酒を飲んで寝ただけで、誰にも会っていない。
     でも誰にも会っていないと言うことは、武道の無実を証明することが出来ないということで……。
    「有名なクレーマーだったみたいですね。しかも、花垣さんにばかり絡んでくる」
    「……そ、れは……」
    「もう少し、詳しくお話うかがえますか?」

    '・*:.。. .。.:*・゜゚・*

     本当に、もう泣きたくなるくらい辛く、散々な目にあったなと夕日を見ながらこぼれそうになる涙を堪える。
     結局あの後無実を証明することは出来なかったが、犯人であるという証拠もないことから一時間ほどで解放された。だがしかし、あんなことがあったのだ。店の人達にはこの話が知れ渡っており、疑いの目を向けられた。更には店長からこの事件が解決するまでは人の目があるからと、しばらく休むよう言われてしまった。
     ただでさえ金もないのに、こんな急に休みにされたら生きていけない。明日からどうしたらいいのだと、今にも道端で崩れ落ちそうなのをちっぽけなプライドでなんとか保っているが、そう長くは持たないだろう。
     それでもフラフラと歩いていた武道は、ポケットに入れていたスマホを取り出す。そういえば取り調べ中に何度か震えてたなと現実逃避も兼ねて確認すれば、昨日出会ったマイキーから電話が来ていた。
     武道は数秒考えたあと、折り返した。数コールのあと、彼は電話に出てくれた。
    『もしもし? タケミっち、今平気?』
    「……へいきじゃないですぅぅう〜」
     情けないのは重々承知していたのだが、優しいマイキーの声に体の力とプライドが抜けてしまった。
     電話越しにえぐえぐと泣きながらも武道はなんとか昨日彼とたい焼きを食べた公園へと向かい、ベンチへと腰かける。
    『え、なに、泣いてんの?』
    「……もう、おれの人生おわりましたぁぁ!!」
     昨日会っただけの人になに言ってんだと、のちに冷静になったら恥ずかしくなった。でももう、とにかく今は話を聞いて欲しくて、一人になりたくなくて、武道は今日あったことを洗いざらいマイキーに話した。
    『なるほどね……。タケミっち殺ってないんだろ?』
    「〜〜っ! お、オレにそんな度胸あるわけないじゃないですかぁ」
    『だよね』
     それはそれで失礼な気もするけれど、でも信じてくれるのかとほんの少しだけ安心できた。
     先程までは世界中の人が武道を疑っているような、味方がいないような感覚だったのだ。
    『とりあえず迎えいくわ。どこいんの?』
    「迎え?」
    『そんな状況のやつ一人でいさせらんないでしょ』
    「……マイキー君」
     その優しさに胸を打たれつつ、昨日の公園だと伝える。
    『マジ? 今近くいるからスグ行けるわ。三分待って』
     えっ、と声を上げた時にはもう通話は切れており、どうしようかと画面を眺めているうちにマイキーがやってきた。二分も経ってなかった気がする。
    「マイキー君」
    「行こ」
     軽い世間話から始めようとしていた武道を無視し、マイキーは彼の腕を掴むと公園の入口へと向かう。そこには黒塗りの高級車が止まっており、あっという間に乗り込まされた。二人が乗ったのを確認した運転手により、車は静かに動き出す。
    「……す、凄い車だね」
    「そう? オレ車詳しくないからよくわかんない」
     詳しくなくてもこれが高級車なのは見てすぐわかると思うのだが、本当に興味がなさそうなのでそれ以上は言わなかった。
    「とりあえずうち行こう。腹いっぱい食べて、寝て、起きたら少しは元気になってるよ」
    「……はい、ありがとうございます」
     もしかしたら自分が犯人にされてしまうのではないか。そんな考えが頭をよぎる度、不安で胸が押しつぶされそうになった。疑いの目を向けてくる同僚たちに、唇をかみ締めて耐え抜いて。どれほど信頼されていないのかがわかる。長いこと働いてきた店の人にすら信じてもらえなかったのに、昨日会ったマイキーは簡単に信じてくれた。
     それがとにかく、嬉しかったのだ。
    「マイキー君、信じてくれてありがとう」
    「当たり前じゃん。タケミっちがそんなことするわけないって、オレわかってるから」
     そう言って微笑んだマイキーを、武道は泣きながら拝んだのだった。

    '・*:.。. .。.:*・゜゚・*

    「おなかいっぱい……」
     ぱんぱんに膨らんだ腹を軽く叩きつつ、武道は椅子に深く腰かけた。
     マイキーの家は高層マンションで、中も物は少ないがどれもこれもが高そうなものばかり。更には彼が頼んでくれた数々の料理を目の前にし、先程までの鬱々とした気分は吹き飛んだ。こうなったらいっそお腹いっぱい食べて飲んで楽しんでやろうと、差し出された高そうなワインも水のように飲んだ。
    「満足した?」
    「まだまだ! 今日はたくさん飲んでやるんだから!」
     目の前の豪華な料理のほとんどが武道の胃袋へと入り、マイキーは一口二口つまんだ程度だ。お節介なのはわかっているのだが、渡されていた小皿に少しだけ盛ると彼の前へと差し出す。
    「ほら、もっと食べて」
    「……うん」
     要らない、とか、余計なお世話、とか言われるかなと思ったけれど素直に口に運んでくれる。なんだか気分もよくなり、あれもこれもと盛り付けては彼の前へ置いていく。それをもぐもぐと食べている彼を見つつ酒を飲んでいれば、不意に箸が止まった。
    「タケミっちさ、うちの家政婦やらない?」
    「……家政婦?」
    「うん。料理とか作れってわけじゃなくて、こうやって一緒にご飯食べたり、起こしたりして欲しいんだよね。あ、お金は払うからさ」
    「……えっと、なんで?」
     突然なんの提案なのかと、思わず首を傾げてしまう。別にご飯を食べたり起こしたりするのは構わないのだが、そこに金銭が絡んでくるのはどういうことだろうか。不思議そうな顔をする武道に気づくと、マイキーは箸を置いた。
    「タケミっち今のところで続けるのキツくない?」
    「そ、れは……」
     確かにその通りで、思わず下を向いてしまう。あの疑うような瞳がなくなったとしても、信じてくれなかったんだという思いは消えない。きっと今頃面白おかしく話しているんだろうと考えると、心のもやもやはどんどん増えていく。
    「だからさ、うちで働きなよ。仕事内容はオレの世話」
    「マイキー君の、世話?」
    「うん。タケミっちも気づいてるだろうけど、オレ生きてられる最低限しか食べないから、よく怒られるんだよね。朝も起きれないし。だからタケミっちを雇おうと思ってさ」
    「はあ?」
     つまりはマイキーが健康的に過ごせるようにすればいいのだろうか?
     それくらいならまあ、できるとは思うが……と考えている武道に向けて、マイキーは指を五本立てた。
    「給料は月五十万。部屋も下の空いてるところ使っていいよ。光熱費及び、オレと一緒の時は食事代もこっちが払う。……どう?」
    「どうって」
     そんな最高な職場あっていいのか。いいわけがない。あまりの好条件に、武道はブンブンと首を振った。
    「そ、そんな好条件、マイキー君に得ないです!」
     給料は今の何倍もあるし、家まで提供してくれるなんて。しかも光熱費もかからないし、食事代も浮く。彼にとっていいことなんてなにもない。
     だと言うのに、マイキーは思い出したように箸を持った。
    「さっきも言ったけどさ、タケミっちと一緒ならちゃんとメシの味するんだよね。普段はこう……ただしょっぱいだけ、みたいな」
     一口サイズの唐揚げを掴むと、そのまま口に放り込む。何度か咀嚼し、味わったあと飲み込んだ。
    「でも今は違う。ちゃんと美味しいなって思うんだ。それってさ、人として大切なことじゃない? そんでもって、それが出来るのってタケミっちだけなんだよ」
     当たり前のことが当たり前にできない。それが出来るのは、君がいる時だけ。なんて殺し文句だと、そういう意図があるわけじゃないのは分かってるのに頬が熱くなった。
     でも同時に嬉しくも思う。彼にとって、武道は特別になれたのだから。
    「……オレ、たい焼きあげただけですよ」
    「ね。でもそうなったんだから、オレにとっては特別なたい焼きだったんだよ」
     なんだそれと笑えば、マイキーもまた小さくだけれど笑ってくれる。ただ一人で食べるのが寂しかったから買っただけなのに、それがこんなことになるなんて思いもしなかった。
    「タケミっちさえよければ。一緒にいて欲しい」
    「……本当に、いいの?」
    「オレがお願いしてるんだよ」
     まさかすぎる展開に、武道はもう一度だけ頭の中で考えた。けれどどんなに考え込んだって、これ以上いい条件で働けるとは思えない。
     徳を積んだ、ではないけれど、あの時傷だらけの男性を救ったのを、神様は見ていてくれたのかもしれない。拝むように天に向かって手を合わせたあと、武道はマイキーに向かって深く頷いた。
    「よろしくお願いします!」
    「……うん。ありがとう」
     お礼を言うのはこっちだと笑っていると、玄関の方からなにやら声がした。数人の足音が聞こえたと思えば、リビングのドアが開かれる。
    「……あれ? お客さん?」
    「客? マイキーに?」
     入ってきたのは、紫色の髪をした嫌に顔のいい男二人だった。彼らは武道を不思議そうな顔でみてきた。
    「ちょうどいいや。タケミっち、こいつらオレの部下で灰谷蘭と竜胆」
    「あ、はじめまして! 花垣武道っていいます」
    「……花垣、武道? どっかで聞いた気が……」
     そう悩むのは、蘭と紹介された方だ。彼はずっと目を細め、武道のことを上から下へ探るように視線を向けてくる。
     こんなイケメンと会ったこともないし、彼らのようなピラミッドの頂点に君臨してそうな人たちと知り合うこともないはずだ。なので完全に勘違いだと伝えても、なぜか納得してくれない。
    「ホントに会ったことない?」
    「ないです!」
    「えー……どっかで見たような気もするんだよねぇ」
     武道をじっと見つめながら考えている蘭から逃れるように、マイキーの背後へと隠れる。
    「タケミっち、このマンションに住まわせるから」
    「へぇ。マイキーの懐に入るとか凄いじゃん」
    「どっかの回し者の可能性は?」
    「……あるわけないよ」
     なにがなんだかわからないけれど、疑われているのだけは理解出来た。怪しいヤツだと思われているのだろうと慌てていると、そんな武道を見た灰谷兄弟から肩の力が抜ける。
    「めちゃくちゃわかりやすい奴じゃん」
    「まあ回し者だったらその時はその時なんじゃない?」
     探るような視線は外れ、居心地の悪さの原因がなくなったことにほっと息を着く。マイキーも変な人だと思ったけれど、この人たちもじゅうぶんおかしい。なんというか目立つ見た目もそうなのだが、威圧感というか存在感というか、とにかく普通の人とはどこかが違う。あまりお近付きにはなりたくないなと思っていると、またしても玄関の方が騒がしくなった。
    「うるさいな……」
     迷惑そうにマイキーが眉を寄せたタイミングで、ガチャリとドアが開かれ中に男性が入ってくる。
     その人を見た瞬間、武道の瞳は大きく見開かれることになった。なぜならその男に、見覚えがあったからだ。
    「マイキー、ただいま戻り……あ?」
    「おっかえりー、三途。生きてたんだ」
    「後遺症は?」
    「ナメんな、そんなもんねぇよ」
     武道は一人、そのやりとりを見ながら口元をひくつかせる。なんだか嫌な予感がするのは気のせいだろうか……?
    「無事ならいいよ。で? 見つかったの?」
    「見つかった? なにが?」
    「ああ、竜胆は知らなかったか。ぶっ倒れた三途を介抱した一般人がいたんだよ」
     背中にじわっと汗が垂れ、昨夜の映像が鮮明に脳に流れた。雨に濡れた血まみれの男。その男もまた、随分綺麗な桃色の髪をしていた。
    「へぇ。そんな面倒事に首突っ込んだ奴いるんだ」
    「そ。で、そいつを探してたわけ」
    「なんで?」
    「あ? 礼するために決まってんだろ」
     ニタリとした微笑みに、上がりそうになる悲鳴を口元を押さえることでなんとか耐える。これもしかしなくても、不味いのではないだろうか。あの時助けた武道は、確かに拳銃やらなんやらを見てしまっている。ということはつまり、口を滑らせる前に殺ってしまおうということで……。
     絶対見つかるわけにはいかない。
    「どんなやつなの?」
    「三途はこの有様だからオレが探してたんだけど、すぐ見つかったよ。確か名前は……」
     考えるように上へ視線を向けた蘭は、瞼をぴくりと震わせると口元を手で覆い顔を伏せた。しばらく考え込んだのち、武道へと視線を向ける。
     あ、これバレたなと気づき、お願いだから言わないでと祈りつつ、周りにバレない程度に首を振った。
     蘭は数秒ののち、にこりと笑った。
    「……忘れた」
    「あ!? テメェに任せたオレがバカだった!」
    「文句言うなら自分で探せよ」
     どうやら首の皮一枚繋がったらしい。でもいつ魔の手が向かってくるか分からない。このままここにいるのはまずいと理解し、仕事の話を断ることにした。しかし武道が口を開くよりも早く、マイキーが思い出したように武道の腕を掴み三途の前へと連れ出す。
    「三途。これからオレの世話とか任せるタケミっち。タケミっち、こいつオレの部下の三途。今までオレを起こすのとかやってたから、こいつから仕事教えてもらって」
    「はぁ!? 誰ですかコイツ! こんな得体の知れないやつマイキーの傍に置くなんてできません!」
    「そ、そうですよ! オレやっぱり辞退」
    「三途オマエ、オレの決定に逆らうわけ?」
    「――……いえ」
     マイキーの言葉と共に、部屋の空気が重くなった。ずっしりと肩に乗りかかるような圧に、武道もまた口を閉ざす。こんな空気の中やっぱりなかったことにしますなんて、絶対言えない。
    「ちょうどいいや。三途の隣に住まわせるから。タケミっちのこと、頼んだ」
     怪我をしていない方の三途の肩に軽く手を置くと、マイキーはもう用は済んだと椅子に腰かけた。ついでと前に置かれている料理に手を伸ばしている。
    「マジか、マイキーが飯食ってる」
    「明日槍降る?」
     もぐもぐと口を動かすマイキーを尻目に、武道は目の前の人の顔を注視する。ひくひくと動く口端、こめかみには薄らと青筋が浮かんでいるように見えた。
     この人絶対怒ってる!
    「おいくそドブ」
    「ドブ!?」
    「テメェなんてドブでじゅうぶんだ」
     綺麗な顔してるのにめちゃくちゃ口悪いな、なんて思っていると急に胸ぐらを掴まれ額と額がぶつかった。
    「マイキーになにかしやがったら、ぶっ殺すからな」
    「……はい」
     あまりの迫力に半泣きになりながらも、武道は静かに頷いた。というかこの人の上司がマイキーということは、彼も中々にヤバい人物なのでは。そんな人のお世話なんて、してて大丈夫なのだろうか。
     でももう辞めるなんて言える雰囲気じゃなくて、武道は深く息を吐いた。天国から地獄へとは、まさにこの事だ。
     三途を救ったことが原因で、まさか本人から命を狙われることになるとは思いもしなかった。兎にも角にも、絶対に彼が探しているのは武道だとバレてはいけない。幸い出血が多かったからか、あの時のことはよく覚えていないらしい。あとで蘭と口裏を合わせれば、何とかなるかもしれない。というか、なんとかしなくてはならない。だってそうじゃなきゃ殺されてしまう。
     絶対にバレないようにしなくてはと心の中で誓っている武道の横で、蘭がこっそりとマイキーに耳打ちした。
    「……え、タケミっちだったの?」
    「そ。しかも三途無自覚だろうけど、多分あれ――」
    蘭の言葉に、マイキーはゆっくりと口端を上げる。
    「……ふーん。楽しいことになりそうだね」

    '・*:.。. .。.:*・゜゚・*

     あれから、武道の周りは目まぐるしい変化を遂げた。ボロボロのアパートから出て、高層マンションへとお引越し。長年働いてきたレンタルショップを辞め、そこの何倍もの給金をいただける仕事を始めた。
     それもこれも全て、今目の前でもそもそと食事を取っているマイキーのおかげだ。彼にたい焼きを奢っただけなのに、こんなことになるなんてあの時の武道は思ってもいなかった。
     そして彼がまさか、雨の中血まみれになっていた三途春千夜の上司であるとも知らなかった。知ってたら繋がりは持たなかった、多分。
     あの時助けた三途は、なぜか武道を探しているらしい。お礼参りという名の死刑宣告を回避すべく、唯一情報を知っている灰谷蘭に頭を下げまくる日々だ。
    「そういえば、このあとカクちゃんが迎えに来るらしいですよ」
    「ふーん」
     一緒に生活を共にし始めて、マイキーという存在が少しずつ分かってきた。本当に食事は最低限だし、睡眠もほとんどとらない。仕事は一応やるけれど、面倒なことはまるっと部下任せ。
     そんな彼の最大の被害者が、武道の幼なじみでもあった鶴蝶である。まさかこんな所で再会するとも思っておらず、会った時はお互い固まって見つめあったほどだ。
     そんなわけで久々にあった友人には、死ぬ気で心配された。なぜここにいるのだと問い詰められ、事情を説明すれば彼は頭を抱えて項垂れてしまう。ここがどれほど危険なのか分かっているのかと言われ、なんとなく察してはいると伝えておいた。
     しかし来てしまったらもう後戻りはできない。そうさせないオーラがマイキーにはある。
     というわけで、武道は鶴蝶に三途のことも全て報告し味方になってもらうことにした。
     どうやら彼は蘭から話を聞いていたらしく、自分から三途に告げたらどうだ? と言われたが、丁寧に断っておいた。言ったら死ぬんだってと伝えれば、なんとも言えない顔をされたのを思い出す。
    「そういえば、三途とはどう? 上手くやれてる?」
    「……やれてません」
     肩を怪我した三途は、利き腕が使えないらしい。そんなわけで回復するまでは休みが与えられているのだが、マイキー至上主義の彼はその決定が不服だったらしい。その怒りを武道へとぶつけてくるため、一向に仲良くなれる気配がない。
     鶴蝶はもちろん、面白がっている灰谷兄弟や最初は警戒心むき出しだったココともなんだかんだとやれているのだが、三途とだけはそうなる未来が見えないでいる。
     手当した時は強い瞳にドキドキしたりもしたのだが、あれはやはり生命の危機を本能的に感じたものだったのだと理解した。
     なので素直に首をふれば、マイキーは目玉焼きを崩しながら口を開く。
    「そっか。やれそう?」
    「……努力はしてみます」
     断言はできないけれど、努力はしてみたいと思う。ここで仲良くなっておけば、いざという時手を抜いてくれるかもという下心もある。ほかの下心も、なくはないのだけれど。
    「タケミっちなら大丈夫だよ」
     そうだろうか? 全然大丈夫じゃないと思うのだが……。
    「あ、そうだ。今日三途の買い物付き合ってあげてくれる?」
    「……本気で言ってます?」
    「アイツ怪我で荷物とか持てないし」
     二人で買い物? 殺意剥き出しの人と? それなんて自殺行為?
     そんな言葉は口から出ることはなく、水と共に飲み込んだ。
    「私物らしいんだけど、オレのも買ってきてもらうつもりだから。あとタケミっちの分も」
    「え、オレ?」
     箸で胸元を指され、その先を見ればいつもパジャマ替わりに着ているシャツがある。顔はライオンなのに耳がうさぎのよく分からないキャラクターが描かれているのだが、どうやらマイキーはこれが嫌いらしい。
    「タケミっちそんな服ばっかりじゃん」
    「安いんですよ。持ちもいいし」
    「オレが払うから買ってきて」
    「えぇ、申し訳ないですよ!」
    「申し訳ないと思うならまともな服買ってきて」
     そう言われてはなにも返せず、三途とのショッピングが決定してしまった。はい、と返事をしてから、武道はお味噌汁を啜る。
    「あ、タケミっちは勝手に買っちゃダメだからね。全部三途に確認させて」
    「……本気で言ってます?」

    '・*:.。. .。.:*・゜゚・*

    「オマエそれ本気で選んでるなら眼科行け」
    「……」
     武道は手に持っていた猫なのか犬なのかわからない柄のシャツをそっと元に戻す。買い物に来てからずっとこの調子だ。マイキーからのお使いを早々に終え、勝手に店に入る三途について行く。その間会話は一切ない。
     彼が適当に選んでいる中、武道はなるべく安そう且つ気になるシャツを手に取った。するとそれを見ていた三途から盛大なダメ出しをされる、を何度も繰り返している。
    「じゃあ三途君が選んでくださいよ。マイキー君からもそう言われてるんですよ?」
    「ぜってぇヤダ」
    「じゃあこれは!?」
    「クソかよ」
     これじゃあいつまで経ってもなにも買えない。せっかくマイキーが送り出してくれたのにとぼやけば、彼の方がぴくりと揺れた。
    「……マイキーのためだからな」
     本当に、渋々といった感じでその店から出た三途は、またしても高そうな店へと入っていく。いくらマイキーのお金とはいえ、いや、マイキーのお金だからこそ高いものは買いたくない。
    「あの、オレこっちのお安めの方で……」
    「マイキーからちゃんとしたの買えって言われてんだよ。金ならオレが払う」
    「え!?」
    「マイキーに払わせるわけねぇだろ!」
     だからといって三途に払ってもらうのも気まずすぎるのだが。武道がどう断ろうか考えている間に、三途は四、五着手にしレジへと向かう。似合うかどうかもわからなのに、数十万するシャツなんて買わせられないのだが。
    「さ、三途君、オレ」
    「あ?」
    「……なんでもないです」
     睨みつけてくる瞳が怖すぎて、なにも言えなかった。店員さんが入れてくれたショップバックを押し付けるように差し出され、大人しく受け取る。
    「腹減ったから行くぞ」
    「はい……」
     中身を確認する暇もなく、先を行く三途の背中を追いかけた。彼は何件かレストランをスルーしたあと、オシャレなカフェへと入っていく。そういったものに疎い武道には中々敷居の高いお店だったのだが、一緒にいる三途が平然としているので彼の後ろに隠れつつ入店した。
     ランチ時の店内は、オシャレな女性たちで埋め尽くされている。そんな中男二人、しかも片方は目立つ美人ともあれば視線を集めてしまう。
     席に着いた三途の前に腰かければ、彼はメニューを見始める。
    「てめぇは何にすんだ」
    「え、あ、えっと……」
     慌ててメニューを開けば、手書きの可愛らしい文字と、色鉛筆で鮮やかに塗られたイラストが印刷されていた。正直よく分からない名前のものもあったので、無難に知っててなおかつ量の多そうなものにすることにした。
    「ロコモコ丼で」
     三途が手を挙げ店員を呼ぶ。メニューを指さしながら注文しているのだが、注文を受ける店員の目が彼に釘付けになっている。それに気づいているのかいないのか、視線を合わせることはしない。やがて注文をとり終わり、店員は名残惜しげに厨房へと戻っていく。
    「……三途君ってモテるんですね」
    「あ? テメェに比べりゃな」
    「比べなくていいです」
     そんなことは分かっているので、わざわざ言わないで欲しい。ちらりと周りを見れば、店員と同じように客としてきている女性たちからも暑い視線を感じる。
    「恋人とかいるんですか?」
    「……なんでテメェとそんな話しなきゃいけねぇんだ」
    「まあまあ。暇ですし」
     ちょっとでも仲良くなれたらなと、思わなくもない。でも彼はそんなに甘くはないだろうから、多分無理だ。なので純粋に、興味だけで聞いている。これだけ見た目がいいのだから、中身がアレでも彼女がいるかもしれない。それどころかそういう相手の一人や二人、侍らせているのかもしれない。
     自分では絶対にありえないことなので、お話として聞いてみたくなったのだ。
    「三途君どんな人が好みなんですか?」
    「……お節介なやつ」
     珍しい好みだと思った。普通はお節介なんてマイナスになるイメージなのに。
    「恋人は?」
    「いねぇ。んな暇ねぇ」
     まあ確かに忙しそうだもんなと、納得してしまう。怪我のせいで仕事を休んでいるとはいえ、彼にしかできない書類系はやっている。それだけでも一日終わってしまうのだから、普段どれほど忙しいのかと最初は驚いたほどだ。
    「まあ三途君ほどの人なら、恋人の一人や二人簡単に作れそうですしね」
    「……そー思うか?」
    「え」
     そりゃそう思うだろう。彼の見た目なら勝ち組確定なのに、なぜそんなことを聞くのだろうか?
     小首を傾げるだけの武道に、三途は鼻で笑った。そのタイミングで店員が水を持ってきたため、会話が一旦終了してしまう。
     なんだかんだ緊張していたからか、もらった水を一気に飲み干した。
    「……マイキーはどうだ?」
    「ど、どうとは?」
    「……」
    「あ、はい。なんだかんだご飯も食べてるし、寝れてもいるっぽいです」
     オレに余計な労力をさせるんじゃねぇという顔をされる。慌ててない頭をフル回転させて答えれば、どうやら当たりだったらしく怒鳴られることはなかった。
    「……元々知り合いだったのか?」
    「あ、いえ。たまたま会って、たい焼きを奢ったというか……」
    「は?」
     店員が料理を運んでくれた。武道の前にはロコモコ丼を、三途の前にはオシャレなサンドイッチとサラダが置かれる。その間にも武道はマイキーとの出会いから現在に至るまでを簡単に話すと、なんとも言えない顔をされた。
    「……マイキぃ……」
    「なんかすいません」
     額を押さえて項垂れた三途に、なにも悪くないのに思わず謝っていた。相当ダメージがあったのか黙り込んだ三途をちらりと見つつ、冷める前にとロコモコ丼に手を伸ばす。肉はジューシーでタレも好きな味だったのに、変な緊張感のせいで喉の通りが悪い。今ならマイキーの気持ちがわかる気がした。
     武道がロコモコ丼を半分ほど食べた時、三途がゆっくりと顔を上げる。
    「テメェはいつもそうやってお節介焼くのか」
    「いやぁ……いつも……じゃ、ない……と」
     堂々と言えないのは、そのお節介を彼にもしたからだ。それは絶対にバレるわけにはいかないのだが。
     もちろんそんなことだとはわかっていない三途は、盛大に鼻を鳴らした。
    「そうやって他人のために動いて、楽しいか?」
    「……別に、人のためにやってるわけじゃないので」
    「あ?」
    「いいんですよ。オレのためにやったんですから。やらない後悔より、やった後悔のほうがいいんです」
    「――、」
     バカにされたのがわかり、ムカつきを抑えるためロコモコを口に放り込む。ヤケクソに口を動かしていると、じっとりとした視線を前から感じ喉がごきゅりと鳴った。
     あの時もそうだったけれど、三途の目が苦手だ。強くて、綺麗で、見られていると思うだけで心臓がバクバクとうるさくなる。
     行動の一つも見逃さないと言いたげな探る視線に、武道は慌てて顔を背けた。
    「……あの、なにか?」
    「……オマエ、」
     なにか言いたげだったのに、三途はそこで黙ると口元を押さえた。まるで思わず出てしまった言葉を止めたような動きに小首を傾げる。しばらく考え込んでいた三途は、ポケットからスマホを取り出すといきなり立ち上がった。
    「帰るぞ」
    「え!? まだごはん食べて、」
     三途の前には手のつけられていないサンドイッチが置いてある。ロコモコはほとんど食べ終わっていたからいいのだが、大丈夫なのだろうかと見上げる。しかし彼は視線を合わせることはせず、さっさとレジへと向かってしまう。ここまで三途の車で来ているため、慌てて彼の後ろをついて行く。
    「なんなんだ……」
     三途のことが分からないと、武道はそっとため息をついた。

    '・*:.。. .。.:*・゜゚・*

     ショッピングから三途の様子が変わった。なにかを探るような視線を向けてきているし、以前のような怒鳴り散らす暴言を吐かなくなった。普通に怖い。
    「三途となにかあった?」
    「……わかりません」
     流石にマイキーも気がついたのか、食事の時にそう聞かれた。しかし武道には彼の変化の理由が全く思いつかず、ただただ恐怖するだけである。
     渋い顔をする武道を見て、マイキーがぽつりと呟く。
    「ふーん。気づいたかな?」
    「? なにか言いました?」
    「ううん。なんでも」
     なにか言っていた気がするのだが、どうやら気のせいだったらしい。マイキーが最後の厚焼き玉子を口に運び、両手を合わせた。
    「ご馳走様」
    「あ、はい」
     武道も最後の焼き鮭を頬張り、ご馳走様と口にした。マイキーの分も合わせてキッチンに持っていき、汚れを簡単に落としていく。さっと水洗いをし、食洗機に突っ込む。あとは機械が綺麗にしてくれるのを待つだけである。掃除も自動で動く機械があるし、洗濯物はまとめてクリーニングに出すし、やることは少ない。
    「今日も三途と行動してもらおうかと思ったんだけど、やめとく?」
    「……いいえ、がんばります」
     流石に仕事を頂いている身として、この人が嫌だから仕事しませんなんて言えない。ちなみになぜ行動を共にするのかといえば、意外とマイキーが心配症だったからだ。深くは聞いていないが、彼の仕事が関係しているのか武道を一人で外に出したがらない。なので外出する時は誰かしらと一緒に行くことが決まっている。その担当が今日は三途ということだ。
     まだ怪我の完治していない彼は、よくその役目を任される。最初の頃なら不満を当たり散らしていたのだが、最近の三途はそれをしない。
     ただ静かに、武道の行動の全てを見ている感じで正直気味が悪い。
    「そう? ならいいけど」
    「大丈夫ですよ! 今日も料理教室行ってきます」
     マイキーと生活するようになってから、武道は彼の計らいで料理教室に通い始めた。というのも、掃除も洗濯も特にやることはない家で唯一できるのが料理だったのだ。
     元々は料理なんてした事がなく、せいぜい作ってもカップ麺くらいだった。初めて彼のために作った目玉焼きは、焦げたし殻も入ってて散々な出来だったのを思い出す。
     そんなものをマイキーに食べさせたことを知った三途の顔といったら……。思い出すだけで震えるほどである。
     なのでまあ、やらなくていいとは言われたけれど、ちゃんと仕事をしたいと思ったのだ。
    「疑問が確信に変わったら、きっと噛み合うよ」
    「え?」
    「相性いいと思うし」
    なんの話しだろうか? 訳がわからず眉を寄せた武道に、マイキーは笑うだけだった。

    '・*:.。. .。.:*・゜゚・*

    「三途さん変だったわね?」
    「……やっぱり、そう思います?」
      料理教室の先生は、とても優しく気の利く女性だ。その人柄もあるからか、通う生徒さんたちも皆いい人ばかりである。女性の多い教室で、武道は少なくとも異性としては見られておらず、悲しきかなまるで小型犬のように可愛がられていた。
     まあ武道を送り届けるメンバーが皆イケメンなのでしょうがないのだが。
    「なんというか……観察? 監視? とにかく花垣君の行動を逃さず見ようとしてるというか……」
    「……」
     同じ時期に通いだした新婚女性からそう言われ、武道は己の右頬をかいた。送っても文句、迎えに来ても文句。罵詈雑言を吐き散らしていた人が、一言も話さずただ見つめてくるだけなんて、普通にホラーだ。
    「なにかあったの?」
    「オレが知りたいです」
    「んー、でも嫌な感じはしないのよねぇ」
    「オレは嫌です」
     怖すぎると告げれば確かにと頷かれる。とりあえずこうなった日の行動を教えてと言われたので、玉ねぎを切りながら軽く説明した。
    「んー……、わからないなぁ。三途さんどうしたんだろ?」
    「ですね」
    「そこ、お喋りばかりしてないで手を動かしてください」
    「「はい!」」
     二人して慌ててレシピを見ながら、料理を完成させていく。今日はビーフストロガノフだ。こんなオシャレな料理を自分で作るなんて、思ってもいなかった。 新婚女性は料理上手なのか、テキパキと作ってくれあっという間に出来上がる。縁に小花が描かれたオシャレな皿に盛り、完成した。それを数人でテーブルを囲みながら食べつつ、話はまた三途のことになる。
    「でも三途さん本当に綺麗な顔してるわよね。見てて目の保養」
    「彼女いないなら立候補したいなぁ」
    「ムリムリ。ああいうのは見てるだけでいいの。隣歩くなんて……想像しただけで怖いわ」
     そっと頷く。三途の隣を歩く時の、視線の数々。様々な思惑を孕んだそれは、自分に向けられるものではないとわかっていても怖い。それが女性で、更に彼のパートナーだとわかった日には。
     想像しただけで恐怖に震えた。
    「えー! 私は隣歩きたいー。ねえ、花垣君。三途さんのタイプとか聞いてない?」
     未来の花嫁修業だとここに通っている女性は、出会いにも貪欲らしく、虎視眈々と武道の周りを狙っているようだ。ここで武道が狙われないのがリアルだと思う。
    「三途君のタイプ……お世話なやつって言ってたけど」
    「……それ褒めてるの?」
    「タイプってことは、そうだと」
     誰が聞いても褒めているとはいえないのだが、実際そう言っていたので仕方がない。彼女はふーんと頷きながらも、口元をニヤつかせた。
    「じゃあ手料理とかいいかもね。今日三途さんがお迎えだよね? これ少しもらいますー」
     さっさと残っていたビーフストロガノフをタッパに移すと、いそいそと可愛らしい袋に詰める。どうやらこれをそのまま渡す気らしい。
    「あ、連絡先入れとかなきゃ」
     メモ帳として持っていたらしい、不思議の国のアリスが描かれた紙にアプリのIDを書き中へと入れる。それを見ていた新婚さんが呆れた顔をした。
    「ここに何しに来てるよの」
    「あわよくば出会いを求めて」
    「そうですか」
     呆れたように頷いた新婚さんはそれ以上はなにも言わず、黙々とビーフストロガノフを完食していた。三途を狙う女性は御手洗に向かい、化粧直しを終えて帰ってくる。その頃にはもう他の生徒たちも食べ終わり、後片付けをしていた。
     それらも全て終わり、皆レシピのコピーをもらいながら教室を後にする。もちろん武道の隣には、未来の花嫁修業中の彼女がいた。その手にはタッパの入った袋があり、どうやらこのまま渡すつもりらしい。
     教室が入っているビルを抜ければ、入口近くに車が止まっている。最初の頃は真っ黒な車で、中には運転手がいた。だというのに最近はシルバーに変わり、三途自ら運転してくれる。乗る場所も後部座席から助手席に変わった。隣にいるのに無言の時間が、とにかく苦痛である。
    「あ、三途君。お迎えありがとうございます、すいませんいつも……」
    「……オマエ二言目には謝ってんな」
    「あ、はい。すいません……」
     そう思うなら鋭い視線を向けないで欲しい。心臓がドキドキする。横へと瞳をずらした武道の隣で、女性が三途へと声をかけた。
    「三途さん! お迎えお疲れ様です」
    「……」
     ちらりと女子を見たが、返事をすることはない。静かに女性をじっと見ており、表情から彼の考えてることは読めないでいた。
    「さっきまでお仕事だったんですよね? もしよかったらこれ……。さっき作ったやつなんですけど、あとでお夜食にでも」
     赤らめた頬に、潤んだ目元。可愛らしさ全開のプレゼントを、三途はちらりと見るだけで受け取りはしない。
    「他人の作ったもんなんて食えるか」
    「え」
    「早く乗れ。帰るぞ」
    「うぇ!? あ、はい」
     運転席に乗り込んだ三途に言われ、武道も慌てて助手席に座る。シートベルトを締めれば、車は静かに動き出す。ぽかんと口を開けて立ちすくむ女性を残して。
    「……あの、三途君」
    「あ?」
    「さっきの人、よかったんですか?」
     普通に可愛らしい女性だし、料理教室に通うなど努力をしている。ガンガン攻めていくところも、決してマイナスなだけではないだろう。
     だというのに、三途は盛大に舌打ちをした。
    「気色悪ぃ。なにが入ってるかわかんねぇだろ」
    「なにがって……。オレも一緒に作ったんで、変なもの入ってないことは保証しますよ」
     武道の目の前でタッパに詰めていた。元々一人暮らしの人などは、家に持って帰るために容器を持参している人が多い。なので大丈夫だとは思うのだが、やはり仕事柄警戒しているのだろうか?
    「……今日はマイキーに作るのか?」
    「え? あ、はい。レシピももらいましたし、家でおさらいがてら」
     いつも料理教室に通った日は、そこで教えてもらったものを作る。なので今日の夜はビーフストロガノフだ。
    「あ、なのでスーパー行きたいです」
    「マンションの下でいいんだろ?」
    「はい」
     マンションの下に、直通でスーパーがあるなんて今でも信じられない。連立するほかのマンションからもこれるのだが、要は高級マンションに住む人たちだけ向けのスーパーとなっている。
     それに合わせ、置いてあるものもだいぶお高い。
    トマト一つ四百円なんて誰が買うんだと最初は渋ったのだが、いつの間にかマイキーが買っていた時は驚いた。しょうがないからと冷やしトマトで食べてみれば、甘みと旨味の濃さに唸ったほどだ。高いのには高いだけの理由があると、今ではほんの少しの罪悪感を抱くだけでカゴに入れられるようになった。
     ビーフストロガノフのメインは牛肉だ。少しだけいいお肉を買おうとワクワクしていると、赤信号に車を停めた三途が口を開く。
    「オレも食うから、量多めに作っとけ」
    「……へ?」
     お世辞にも美味いとは言えない武道の料理を、無理に食べる必要なんてない。マイキーは手料理っていいよね、とちょっと焦げたりしても嬉しそうに食べてくれるからいいが、三途にそんなものを出した日には怒鳴られるのではと怯える。
    「お、オレ料理上手くなくて……」
    「知ってる。だからわざわざ教室なんて通ってんだろ」
    「あ、はい……。あの、なので、そのっ、美味しくはないかと……」
     本当に食べる気なのかと、遠回しに聞いてみる。少しも上達してねぇのか! と怒られることにはなるかもしれないが、せっかく作った料理にダメ出しされるよりはまだ心の傷は浅いかもしれない。
     だがしかし、武道のそんな思いを知る由もない三途は軽く鼻を鳴らした。
    「美味い飯食いてぇなら店行くわ」
     まあ確かにそうだなと、納得した。プロの腕にはどうしたって叶わない。ならば尚更、レストランに行けばいいのに。
     そこまで来てふと気がついた。もしかしたら三途は今日お疲れなのかもしれない。だからさっさとご飯を食べて、帰りたいだけなのかもと。丁度武道が料理を作るのから、しょうがなく食べるだけなのだ。確かに疲れている時に、外で食べるのが億劫になる気持ちも分かる。
    「分かりました。不味くても文句言わないでくださいね?」
    「……言わねぇよ」
     ボソリと呟かれた言葉は、あまりにも小さすぎて武道には届かなかった。

    '・*:.。. .。.:*・゜゚・*

    「へぇ、三途も、一緒にね」
     家に帰った武道を出迎えたのは、仕事から帰ってきていたマイキーだった。わざわざ玄関まで来てくれて、武道が持っていたスーパーの袋を受け取る。そのままリビングへ向かおうとしたが、後ろを着いてきていた三途に気づき首を傾げていたので、共に食事をとることを説明をした。
    「ふ〜〜〜〜〜〜ん」
    「………………」
     テーブルを挟んで座るマイキーは、じっと三途を見つめた。ちなみに三途は顔を下に向けたままなので、互いに視線はあっていない。どうやらマイキーには思うところがあるのか、なんとなく三途を追い詰めていっている気がする。
     武道はそんな二人を見ながら、エプロンを着て料理の準備を始めた。材料を切り始めると、二人の声が聞こえ始める。
    「……どういうつもり?」
    「……、マイキーは、その」
    「オレ? ……ああ。オレはそういうんじゃないよ。なんていうか……観葉植物みたいな」
    「……どういう意味っすか?」
    「あると癒されるから、そこに置いときたいんだよ。見てたいなってだけ。だからそれ以上の感情はないよ」
    「そう、すか……」
     なんの話しをしているのか武道にはさっぱりだ。仕事の話だろうか? でも彼らの仕事で観葉植物ってなんだ?
    「それで、なんのつもり? オマエ他人の手料理なんて無理だろ。どういう心境の変化?」
    「……まだ、可能性の話です。たぶん、そうなんじゃって」
    「そうって?」
    「……探してたものなんじゃないかと」
     観葉植物を探していたのだろうか? そう言えばこの部屋にもいくつか置かれている。マイキーが好きなのかもしれない。
    「覚えてないんだろ?」
    「覚えてることが、あったんです」
    「ふーん。可能性だけでこんなことするやつじゃないだろ、オマエは。蘭にでも聞いた?」
    「……やっぱり、マイキーは知ってたんですね」
    「だったら? ヘマしたのはオマエだろ」
     怒られているのだろうか? なんだか少し、空気が不穏になってきた気がする。手元からちらりと顔を上げれば、やはり難しい顔をした二人がいる。
    「アイツには聞いてないです」
    「へぇ。じゃあ可能性だけで動いてるんだ。オマエらしくないね」
    「……青を、覚えてたので」
    「……ふーん。ま、印象的ではあるよね。なるほど、確証はないけど確信はしてたわけか」
    「はい」
    「じゃあこれで確証を持てたわけだ」
    「……思い出したかったんですけどね」
    「健気だね」
     武道には分からないと、鍋に食材を入れて火をかける。そのまましんなりするまで炒めていく。指を傷つけずに野菜を切れるようになったし、鍋の縁で火傷もしなくなった。ずいぶん成長したなと、人知れず胸を張る。
    「じゃあ取りにいくつもりなんだ」
    「……」
     シンッ……と静まり返った部屋に気づき、もう一度顔を上げる。カウンターキッチンの間から、こちらを真っ直ぐに見ていた三途と視線が合う。
    「――っ」
     心臓が大きく高鳴った。恐怖になのか、または違う理由があるのか。分からないけれど、危機感を感じているのは間違いない。首の後ろの産毛が、ざわりと逆毛だったのがわかる。音を立てて飲み込んだ唾液が、嫌にまとわりついてきた。緊張、しているんだ。
     あまりにも、三途の瞳が力強くて。まるで射抜かれたみたいに、体が動かなくなった。
     三途はそんな武道から視線を逸らすことなく、告げた。
    「はい。取りにいきます」

    '・*:.。. .。.:*・゜゚・*
     
    「タケミっち、明日から三途の家行ってくれる?」
    「……はい?」
     夜ご飯を終え、家に帰ろうとした時だ。玄関までお見送りに来てくれたマイキーから、とんでもないことを言われる。
    「……どういうことですか?」
    「タケミっちに貸してる部屋、改装することになったんだ」
    「改装……」
     武道が借りている部屋は、今いるマイキーの部屋ほどではないが広くて綺麗だ。改装する必要なんてないのに、なぜ急にそんなことをするのだろうか?
    「玄関にシューズインクローゼット付けるんだって。他にもいろいろ。オレもよく分からないんだけど、ココがそうしろって」
    「ココ君が」
     マイキーに雇われている身なれど、給料等を渡してくるのは金銭面の全てを担うココである。なので彼からのお達しだと言われると、武道は口を塞がざるを負えない。
     今あるシューズボックスでもじゅうぶんだと思うのだが、彼には彼の考えがあるのだろう。
    「どれくらいかかるかわからないから、とりあえず三途の家行ってって。あっちには話通してるから。荷物は一旦こっちで預かるから、必要なものだけ持ってけってさ」
    「……なぜ、三途君なんでしょうか?」
     よりにもよって、なぜなのだろうか。どうせならマイキーの家にでも置いてくれればいいのに。だがしかし、マイキーは首を傾げるだけだった。
    「さあ。ココからだから」
    「……了解です」
     雇われの身が辛い。上からの指示にイエスとしか言えないこの身が辛い。最近の三途の様子がおかしいからこそ、本当はあまり近づきたくなかったのだが。
    「……マイキー君。最近、三途どうしたんですか?」
     今までは暴言がなりを潜め、ただ武道をじっと見ていただけだったのに。最近はなんというか……。
     勘違いしそうになるのだ。武道に対する態度が、触れ方が、視線が。優しい気がする。でもただ優しいだけじゃなくて、その中にもまた別のものを感じるのだ。甘くて、熱くて、ドロリとしたなにか。
     そんなはずないと分かっているのに、もしかしたらを考えると心臓が高鳴る。それがとても嫌だった。
    「どうかって?」
    「なんか、変というか……」
     マイキーは壁に寄りかかりつつ、武道をじっと見てきた。先程まで三途のあの瞳を思い出していたからか、ほんのり頬が赤い気がする。それを隠すために下を向き、視線を逸らす。
    「オレらには普通だけど?」
    「あ、……ですか」
     ということはあれは武道にだけというわけか。と、そこまで考えて慌てて首を振って否定した。すぐそういう思考にいこうとするのがいけない。特別とか、そういうことを考えるから心臓が痛くなるんだ。だいたいあんな綺麗な顔に近くで見つめられたら、誰だって勘違いするだろう。これはもう三途が悪い。
    「タケミっちはさ、三途が好き?」
    「――、な、な、なに、を、仰って……」
    「分かりやすいよ。周りからしたら、焦れったい」
    「……」
    「ちょうどいいよ。少しの間、一緒にいてみな」
    「……うぃっす」
     他人事だと思ってと、心の中で呟いた。

    ☆。.:*・゜☆。.:*・゜

    「お、お世話になります……」
    「……ああ」
     最低限の荷物だけ持って、隣の三途の家へとやってきた。白と黒のシックな内装は、三途にとても似合っている。とりあえずで住んでいる武道の家とは雲泥の差だ。
     ひとまずリビングへと案内され、荷物をソファへと下ろした。お気に入りのリュックは、仲良くなったココからもらったものだ。そこに3日分の洋服やらを詰めてきた。
    「飯は?」
    「あ、マイキー君と食べました」
    「風呂は?」
    「あ……忘れました」
     全てを済ませて寝るだけにしようとしてたのに、荷物の整理をするのに必死で忘れていた。日頃から綺麗にしていればよかったのだが、武道は整理整頓が苦手である。故にリビングにはしまい忘れた服が積み上げられ、朝ごはんにと食べていたコンビニのゴミが散らばっていた。
     それらを全て片し綺麗にしてから家を出たのだが、そのせいで大切なことを忘れてしまったらしい。
    「なら先に風呂入れ。汚ぇ」
    「……はい」
     まあ確かに埃まみれではあるので、言われるがままバスルームへと向かう。流石に隣だからか、内装こそ違うものの間取りは同じだった。勝手知ったる様子でシャワーだけお借りしようと、脱衣所で服を脱ぐ。
    「……」
     なんというか、ちょっとだけ気恥しいのは気のせいだろうか。いや、気のせいだと思いたい。三途はもうお風呂に入り終わったのか、カゴに服やらタオルやらが無造作に入ってたり、風呂場からシャンプーの香りがしたりして、なんだか物凄くいたたまれない。これはもうさっさとシャワーを浴びてここを出よう。
     頭からお湯を浴び、汗とホコリを落としていく。ちょっとだけほっと息を吐き、シャンプーに腕を伸ばしてハッとした。これどれがなんなんだろうか。オシャレな英字が書かれたそれは、とてもじゃないが読めそうにない。どれがシャンプーなのか分からなくて、武道は数秒ボトルとにらめっこした後仕方なく浴室を出ようとしてはたと動きを止める。脱衣所から、なにやら音がする。
    「おい」
    「ひゃい!?」
    「テメェ服もタオルも持ってかねぇでなにやってんだ」
    「……すいません」
     そうだった。タオルがどこにあるかも分からないし、そもそも服はリュックの中だ。三途はわざわざそれを持ってきてくれたらしい。
     感謝をしつつ、ついでだと声をかける。
    「あの、これどれがシャンプーですか?」
    「あ? ……ああ、右の……」
    「……三途君?」
     途中で口を閉ざした三途を不思議に思いそちらを見ていれば、すりガラスの向こうに人影が映る。影が一箇所だけ濃くなったのは、伸ばされた手がドアを開けようとしているのではないだろうか?
    そう気づいた時、武道は慌ててドアノブを握った。
    「口で! 言ってくれれば! いいので!」
    「オマエ……、右端のやつがシャンプー、隣りがトリートメント、左端がボディーソープだ」
    「はい! ありがとうございます!」
     そのまま影がなくなるまで見送り、無意識に入っていた力を抜く。無理に入ってくることがなくてよかったと安心しつつ、改めてシャワーを浴び直し体を綺麗にした。脱衣所に置かれていたタオルで水気を吹きとり、リュックからパジャマ代わりのシャツとパンツを取り出す。いつもならそのままでもいいのだが、今日は人様の家だからと短パンも履く。髪はそのままでも乾くからとバスルームを出れば、ソファに腰掛けテレビを見る三途がいた。
    「あの、シャワーありがとうございます」
     一応礼くらい言っておこうと口にすれば、彼は首を捻りこちらを見てくる。その瞳にはここ最近よく感じる、ねっとりとした熱があるように感じられ背筋が震えた。
    「……ここ座れ」
     三途の隣に人一人分のスペースがあり、そこを指さされる。今はなるべく、近づかない方がいい気がするんだが家主には逆らえない。大人しくそこに腰かければ、彼との距離はぐっと近くなる。 少しでも視線を上げれば、その目に絡め取られることだろう。
    「オマエ、マイキーとなに話した」
    「なにって」
    「……意識しすぎだろ」
     意識させるようなことをしているのはそっちなのにと、口にしたかったが何とか耐えた。視線を合わせられないのが、答えのような気がする。
     しばしの沈黙の後、武道は覚悟を決めて顔を上げた。目の前にはまた、あの瞳がある。
    「……三途君最近変だから」
    「あ? テメェ喧嘩売ってんのか」
    「違くて! 最近オレに、怒鳴ってこないじゃないですか」
    「……怒鳴られてぇのか?」
    「違いますよ!」
     どんな癖だ。確かに美人に怒鳴られたいという人はいるのだろうが、残念ながら武道は違う。どちらかといえば優しくして欲しいほうだ。
    「三途君が、どうしたいのかな……と」
    「どうもこうもねぇよ。それはテメェ次第だろ」
    「オレ、次第?」
     なんでここで武道に委ねてくるのだろうか。全くもって理解できないと顔に出ていたのか、三途が呆れたようにため息を着いた。
    「オレに黙ってること、あるだろ」
    「……」
    「それをテメェが口にするかどうかで決まんだよ」
    「だ、……だまってることなんてないデス」
     ある。めちゃくちゃある。墓場まで持っていけるものなら持っていきたいものが。誰だってボコボコになんてされたくないだろう。
     さっと視線を逸らせば、口端をひくつかせた三途によって思い切り胸ぐらを掴まれた。
    「わかり易すぎるウソつくんじゃねぇっ!」
    「スイマセンッ!」
     額がゴツンと音を立ててぶつけられ、恐怖と痛みで涙目になる。それでも前を見れば、すぐ側には三途の顔がある。
     綺麗な顔だ。きっと街ゆく人みんなが振り向くような、そんな特別な存在。
     だから、勘違いしちゃいけない。武道は普通の、どこにでもいる存在なのだから。彼が武道を特別にするなんて、あるはずがない。ないのに……。
    「――……いつ、思い出したの?」
    「……まだ。もしかしたら、思い出す記憶もねぇのかもな。無駄に血を流してたし」
    「じゃあ、どうやって? 蘭君?」
    「アイツには聞いてねぇ。テメェが……」
    「オレ?」
    「……なんでもねぇ」
     なんなんだ。なぜそこで黙るのだと眉を寄せても、額同士がぶつかっているため相手には伝わらなかった。
    「なんで言わなかった」
    「なんでって、だってお礼してやるって」
     命の危機があるのに、名乗りあげる人なんて居ないだろう。だというのに三途はそっと顔を離す。
    「礼くらいするだろ。オレをなんだと思ってんだ」
    「……え? お礼って、普通のお礼?」
    「あ?」
    「お、お礼参り的なやつなのかと……」
     ここまできたらしょうがないと、正直に告げれば三途はなんとも言えない顔をした。
    「オレをなんだと思ってやがんだ……ほんと」
    「だって……」
     そういう職業柄の方々だと思ったら、お礼と言われて出てきたのがそれだったのだ。さすがに申し訳ないと思い謝れば、呆れたようにため息をつかれる。
    「だからオマエ言ってこなかったのか」
    「はい……。東京湾にでも沈められるのかと思いました」
    「アホ」
    「おっしゃる通りです」
     言い返せないと口をとざす。あの時あんな誤解をしなければ、こんな面倒事にはならなかったのではないだろうか。過去の自分を殴りたくなった。
    「だがまあ、そういうことならいい」
    「え?」
     もっとお小言でももらうと思っていたのに、それ以上の追求はないらしい。ほっと安心した武道は無意識のうちに下げていた顔を上げ、ひゅっと息を飲んだ。
    「――」
     目の前にまた、三途の顔がある。あの綺麗で、強くて熱い瞳に驚いた表情の武道が映っている。
    これは一体、なんだ。
    「さ、さんずく、ちかっ」
    「オマエわかってて言っているだろ」
    「……」
     分かっている。分かっているけど、確証が持てなかったのだ。そんなはずないと、そう自分に言い続けていたのに。
    「人がわかりやすく相手してやってんのに、気づいてないわけねぇよな?」
     彼が話す度に、吐息が頬をくすぐる。恥ずかしさとか色んなものが込み上げてきて首をひねろうとするも、伸びてきた手に優しく両頬を押さえられ逃げられない。
    「オレはな、テメェに助けられた時から決めてたんだよ」
     鼻と鼻がぶつかる。触れられている頬が、熱い。心臓が、飛び出しそうなくらい高鳴っている。
     止めてくれと、声を上げたい。だってこんなの、 耐えられるわけがない。あの時見た瞳が、自分だけを映しているなんて。
     ――ああ、気がついてしまった。
     いや、ずっと気がついていた。でもすぐに剥がれてしまうような、脆い蓋をしていたのだ。勘違いするなと、自分を戒めるために。
     だというのに、これはもう無理だ。蓋はさっさと奪われ、捨てられた。溢れ出たものは、もう元には戻らない。
    「この青を、手に入れるってな」
     武道も三途の瞳に一目惚れしていたと、彼が知った時はどんな反応をしてくれるのだろうか。
     そんな小さな探究心は、唇に触れた熱にあっという間に溶かされ消えた。

    '・*:.。. .。.:*・゜゚・*

     あの日は散々だった。今思い出しても羞恥心に顔が赤らみ、ところ構わず悲鳴をあげてしまいたいくらいには悲惨だった。
     あのあと、そう、三途と俗に言う両想いとなった日だ。初めての恋人という存在に心満たされていた武道をひょいと持ち上げた三途は、そのまま寝室へと向かった。広々としたベットの上に投げ捨てられた武道は、さながらまな板の上の鯉。
     ああ、寝室も白黒なんだなと。ベットからは三途の香りがするなと、変態じみたことを考えていたら、あっという間になにも考えられなくなった。そんな暇はどこにも存在しない。
     彼が与えてくれるものは全て、武道には未知のものだった。泣いて、鳴いて、泣きじゃくる武道に、三途は手加減してくれなかった。
    「三途君ってドSだよね」
    「無駄口叩く余裕あるんだな」
    「嘘ですすいません」
     朝ごはんはマイキーとともに食べるからか、三途はいくつかのフルーツを用意してくれた。オレンジ、グレープフルーツ、いちごにぶどう。皮は剥かれ、食べやすいように全て一口サイズになっている。至れり尽くせりのそのお皿を見て、こういう時は優しいのにとぶどうをひとつ口に運ぶ。
     甘くてみずみずしくて、心が落ち着く気がした。
    「今日の予定は?」
    「あ、今日も料理教室に。送り迎えは蘭君がしてくれるって」
     三途の肩は完治していない。けれどいつまでも休んでいられないと、今日から本格的に仕事復帰するらしい。夜にあんな好き勝手動けたんだから、大丈夫なのだろう。
    「今日は夕方から料理教室だから、少し遅くなるかも」
    「オレも今日は遅くなる」
    「お仕事頑張れ」
     こくんと頷いた三途は、洗い物をするためにキッチンへと向かう。意外と世話好きなんだよなと、その姿を見つめる。
     あの背中に爪を立てて傷つけてもう三日経った。昨日噛み付かれた肩はまだじくじくと痛む。なんだかんだほぼ毎日触れ合いをしている気がする。だが流石に今日からあちらは仕事をするわけだし、夜も時間はとれないだろう。
     今日は久しぶりに穏やかに眠れるかも知れないと欠伸をひとつした時、テーブルの上に置かれたスマホが震えた。自分のかと視線を送れば、そこにあったのは三途のもので慌てて目をそらす。
    「……三途君。お仕事、頑張れ」
    「あ? ……言われなくてもやるわ」
     にっこりと微笑んだそれは、上手く作れた仮面だった。
     気のせいだ。きっと気のせい。この間から疑り深くなっているだけだ。だから、見なかったことにしよう。今はもう消えてしまった画面には、女性の名前と共に『この間はありがとう! 素敵な時間だった。それじゃあ後でね』と書かれていた。
     でもきっと、気のせいだ。そう、思い込むことにした。

    '・*:.。. .。.:*・゜゚・*

    「蘭君、わざわざありがとうございます」
    「いえいえ。あ、お礼はカラダでいいよ」
    「お断り申し上げます」
     反応を楽しんでいるだけだと気づいてから、適当に受け流すことを決めた。軽く頭を下げてから、蘭と共に街を歩く。
     本来なら料理教室を終えた後はまっすぐ家に帰るのだが、今日は特別だった。近々三途の誕生日なため、プレゼントを用意しておきたかったのだ。
     彼どんなものが好きだろうか。オシャレな人だし、服やアクセサリー系はたくさん持っている。でも出来るなら日常的に付けてられるものがいいのだが。
    「どんなものにするか決めてるの?」
    「いえ……アクセサリー系がいいんですけど、たくさん持ってるし」
    「愛しの花垣からもらえたら喜ぶんじゃない?」
    「そんなキャラじゃないですよ」
     下手なものを渡したら普通に捨てられそうだ。なのでセンスのいい蘭にも意見を聞きたくて、今日買うことにしたのだ。
    「冗談は抜きにしても、普通に喜ぶんじゃない? 最近の三途、もはや別人だし」
    「……そう、ですかね?」
     もし喜んでもらえるなら、毎日身につけられるものがいい。ふとそれが目に映った時、もしかしたら武道のことを思い出してくれるかもしれないから。でもそうなると、表に出ているものがいい。
    「ピアスとか、どうかな?」
    「いいんじゃない? それならあの店がいいんじゃない?」
     蘭が指さした先には、高級ブティックがある。確かにあそこなら三途に似合うものが買えそうだ。もう少ししたら給料も入るし、きっと大丈夫だろうと意気込む。
     お店へと足を進めようとした時、蘭がポケットからスマホをとりだした。
    「ごめん、ちょっとだけ電話してくる」
    「あ、はい」
     速攻で出鼻をくじかれた気分だったのだが、あんなオシャレな店に一人で行く勇気はないため諦めて蘭を待つことにする。
     三途に買ってもらった服を着てきたけれども、それでも浮いている気がしてしまう。雰囲気とか、挙動とかのせいだろうか。周りを見てみても、武道のように不安げな人はいない。みんな自信に満ち溢れて、楽しげだ。羨ましいな、なんて思っていると視界の端に知った後ろ姿が映った。
    「……」
     その綺麗な髪を、武道は触ったことがある。シーツに乱れたそれを指に絡めとれば、なにしてるんだと怒られそのまま抱き枕扱いされた。
     そんな景色が浮かんで、でもすぐに消え去る。
     思い出してはダメだ。だってその景色は、きっと武道だけのものではないから。
     今彼の隣にいる女性も、同じようなものを見ていたのだろうか。栗毛色の長い髪。スラリと伸びた手足。顔は見えないけれども、きっと綺麗なのだとわかる。
     どこから見てもお似合いの二人は、夜の街へと消えていく。
    「……大丈夫」
     大丈夫、大丈夫と何度も心の中で言い続ける。武道のような存在に、恋人ができただけでも奇跡なのだ。だからそれ以上を望んではいけない。
     彼がどこで何をしていようとも、笑っていられるくらいでいなきゃ。大丈夫、大丈夫。大丈夫、ダイジョウブ。
     痛む心はきっと気の所為だ。
    「花垣、お待たせ」
    「……いいえ! 大丈夫です」
     仮面を被る。にっこりと微笑んだ、傷だらけの仮面を。

    '・*:.。. .。.:*・゜゚・*

     結局これだというものが見つけられず、買うのは別の日に持ち越された。蘭にご足労願うのは気が引けたのだが、なんだかんだ彼は彼で買い物を楽しんでるらしいから良しとしよう。
     当たり前だが先に帰ってきていた武道は、リビングのソファーに腰を下ろし膝を抱えていた。帰ってきて、彼の香りに包まれたら色々な感情が溢れ出てきてしまいちょっとだけ落ち込んでいる。
     自分が知る彼の表情とか、そういうのを今誰か別の人も見ているのかと思うと胸が締め付けられた。出会ってからずっと、三途には振り回されっぱなしだ。
    「……はぁ」
     とにかく風呂に入って、寝れるなら寝よう。彼はきっと、今日は帰ってこないだろうから。
     クリーニングに出していた服を取り出し、バスルームへと向かおうとした時、玄関が音を立てて開かれた。
    「……お、かえり」
    「ああ」
     まさか帰ってくるとは思わなくて、武道は三途を見たまま固まってしまう。彼はネクタイを緩めつつ廊下を歩き、動きを止めている武道を不思議そうに見てきた。
    「なに固まってんだ」
    「……帰って、こないかと思った」
    「あ? ここはオレの家だぞ」
    「……そうだよね」
     あははなんて笑えば、三途の眉間に皺が寄る。そのまま腕を掴まれると、あっという間にリビングへと逆戻りさせられた。
    「ちょ、オレお風呂」
     ソファへと座らされ、背もたれを掴む三途の両腕の間に挟まれる。あっという間に動きを封じられた。
    「テメェなに考えてやがる」
    「な、なにも」
    「言わねぇ気か?」
    「だ、だってなにも、ないから」
     勘のいいから、たぶん嘘だとわかっているだろう。挙動不審な武道の様子に、どんどん眉間の皺が濃くなっていく。
    「……はぁ。言う気がないならそれでいい」
    「うん。ありがとう」
     彼としてはよくないのだろうけれど、言えないのだから仕方ない。離れた三途はそのままバスルームへと向かい、シャワーを浴び始めた。その音を聞きながら、武道はこぼれ落ちそうになる涙を堪える。
     近づかれた時、三途じゃない香りがした。甘くて、ふわふわした、女性の香り。それほど、近くにいたのか。触れ合ったり、したのだろうか。
     ダメだと思うのに、思考がどうしてもそういう方向に進んでしまう。実は向こうが本命だったりするかもしれない。武道はただ、気まぐれに触れられただけなのかもしれない。
    「……どうしたらいいんだろう」
     本気にした自分が馬鹿だったと、諦められたら楽なのに。そうするにはもう、心を掴まれていた。手放すには、彼から別れを告げてもらうしかない。
     でも今別れを告げられたら、それはそれでショックで泣き喚くかも……。
    「どうしたらいいんだろう」
     同じ言葉を二回呟くくらい、武道は頭を悩ませていた。こういう時は一人で考えていても仕方がない。だって悩んだところで、そう簡単に答えが出るような頭はしていないのだから。ならやることは一つ。
     誰かに聞いてもらえばいい。
     そうと決まればと武道はテーブルに簡単な置き手紙をすることにした。
    『マイキーくんのところに行ってきます。先に寝ててください』
     あのマイキー至上主義な三途のことだ。武道の行き先がマイキーなら、追ってくることもないだろう。少しだけ時間をくださいと、祈るようにしスマホだけ持って家を出る。エレベーターで一つ上に上がれば、そこはマイキーだけが住むフロアだ。
     訪問を告げる音を聞いたのか、出迎えに来てくれた。
    「……珍しいね。タケミっちがこんな時間に」
    「すいません。今少し、いいですか?」
    「いいけど」
     夜も遅いからか、若干不振がられながらも家に入れてくれた。いつも通り武道が紅茶を入れ、ソファに腰掛けるマイキーの隣へと座る。風呂上がりなのか、隣からふんわりと石鹸の香りがした。
     そういえばお風呂に入るの忘れてたなと、己の余裕のなさに笑う。
    「んで、どうしたの?」
     紅茶を一口飲んでから、マイキーは視線を向けてきた。普段からあまり動かない表情だけれども、なんとなく心配そうに眉が寄せられている気がする。
     優しいな、なんて少しだけ心が落ち着く。
    「三途君と……喧嘩、的な」
     実際に喧嘩したわけではないのだが、なんとも説明しにくいのでそういうことにした。ついでになにがあったのかもまとめて話せば、マイキーは不思議そうな顔をする。
    「三途が女と? ……見間違えじゃなくて?」
    「あんな髪の人なかなかいないですよ」
    「三途じゃなくて、女の方」
     見間違えじゃない。確かに女の人と一緒にいたのだ。改めてその現場を伝えれば、彼は己の顎に手を当てた。まるで考えるような素振りに、武道は黙って見つめる。しばらくの沈黙の末、マイキーは思い出したように頷く。
    「それ、嬢じゃない?」
    「嬢?」
    「ウチの店のキャバ嬢かもって。派手な女じゃなかった?」
    「……そうかも」
     栗毛の長い髪が印象的だけれど、思い出してみれば確かに派手だったといえなくもない気がする。
    「三途の管轄下にある店に顔出したんじゃない? アイツ一応昨日から復帰なわけだし」
    「なるほど?」
    「だから浮気とかじゃないと思うよ。アイツ潔癖だし、そういうのしないと思う」
     言われてみれば確かに、綺麗好きだと思う。けれども武道と一緒に暮らしたり、なんなら手作りのものも食べてくれる。それを伝えればなぜか笑われる。
    「それはタケミっちだからだよ。愛されてるじゃん」
    「あ、……っ」
     たまらず顔が赤く染まる。そりゃ少しは理解していたつもりだけれども、第三者に改めて言われると恥ずかしくなってしまう。
     そうか、側から見ても好かれているのか。それはとても嬉しい。嬉しい、けれど……。
    「オレで、いいんですかね……?」
    「ん?」
    「三途君なら、もっと綺麗な女の人とか……」
     お似合いだと思ってしまった自分が嫌だった。彼の隣にいるのは自分だと、声を大にして言えたらいいのに。でもそれができるほど、自分に自信はない。胸を張って彼の隣にいる勇気が、なかったのだ。
     武道の気持ちがわかったのか、マイキーは少しだけ悲しげな表情を見せる。
    「三途はタケミっちが好きだよ。それは断言できる。だからこそ、その気持ちをタケミっちが否定するのは、残酷すぎるよ」
     ギュッと、心臓が握りつぶされたような感覚が襲ってくる。もし武道のこの三途への想いを、彼に否定されたら……。そう考えるだけで泣きそうになる。
    「三途と話してみれば? あいつも言葉足りないことあるし。ちゃんと話して、仲直りしな」
    「……はい」
    「ま、今日はここに泊まっていいよ。服とか好きなの使って」
    「ありがとうございます」
     それじゃあねと、マイキーはコップをシンクに置いて寝室へと向かう。昔より眠れるようになったらしく、ちょっとずつ健康的になってきている。
     多少は雇われた意味もあったなと、彼の変化に安心した。
    「……仲直り、か」
     できることならしたい。また三途に触れて欲しいと思う。なのにまだ、心のどこかで卑屈になる自分がいるのだ。本当にそれで、いいのかと。
     もっとふさわしい人がいるのではと、考えてしまうのをやめられない。困難にぶち当たった時、武道はいつだって逃げてきた。それゆえの今である。だから今回も逃げればいい。今まで通りのことをすればいいのに……。
    「……諦めたく、ない」
     離れないでと、叫びたくなった。

    '・*:.。. .。.:*・゜゚・*

    「今日も買いに行くんでしょ? 付き合うよ」
    「蘭君、ありがとうございます」
     教室はないのだが、三途の誕生日プレゼントを買いに行きたい。事前にネットで下調べしたため、今回は店に向かうだけだ。センス云々が心配で蘭に写真を送り、ちゃんとOKをもらっている。
    「それにしても三途と喧嘩ねぇ」
    「……言わないでください」
     蘭の運転する車に乗り込み、繁華街へと向かった。その車中で語りかけられた言葉に、思わず項垂れてしまう。
     あの日はマイキーの家に泊まり、翌日の朝には家に帰った。しかしそこに三途の姿はなく、夜になっても帰ってこない。時計の針が一番上を指そうとした時、スマホに連絡が来た。ただ一言『遅くなる』とだけ書かれていたそれに、知らず知らずのうちにポロポロと涙がこぼれていた。怒らせてしまったのだろうか。どこに泊まるのだろうか。もしかして女性のところ……?
     なんて考えてすぐにやめた。疑ったって、仕方ない。とにかく三途が帰ってきたら謝ろう。そしてなにを不安に思っていたのかを全て伝え、彼の返事を待とう。その返答次第では、別れを覚悟しなくてはならなくなるけれども……。
    「マイキーに言われたと思うけど、三途が浮気はないと思うよ」
    「……断言するんですね」
     蘭と三途はどちらかというと仲が悪い。よく三途が蘭に怒鳴っている姿を目撃していた。だというのに自信を持って断言されたことに、少しだけ驚く。
    「そりゃ、あれだけ幸せそうな顔してたら誰だって思うよ」
    「幸せそうな?」
    「そ。花垣と両想いになってから、スマホ見るたび穏やかーな顔してるの。誰と連絡とってたか一発でわかるってもんでしょ」
     確かに三途とお付き合いを始めてから、連絡が途切れたことはない。お互い筆まめではないのだが、何気ないことを常に連絡し合っていた。
     めんどくさくないのかな? なんて思いもしたのだが、返信が遅くなると三途から返信を催促され、結局やりとりは続いていた。
    「ま、プレゼント渡して、ついでに話ししてみな。花垣のそのうざったいくらいのマイナス思考が無駄だったってわかるから」
    「うざったいくらいのマイナス思考で悪かったですね」
     鼻で笑いながら、駐車場に車が停められる。もっと雑な運転をするかと思っていたのに、意外と丁寧かつ優しい。こういうところに女子は落ちてしまうのだろうかと、綺麗な顔を見つめる。
     自分もこれくらい綺麗なら、三途の隣にいても自信を持てるのに。
    「なに? そんなに見つめて。惚れた?」
    「いえ、それはないです」
    「即答」
     からからと笑いながらエンジンを切り、車を出ていく。その後ろをついていき、この間と同じ繁華街を歩いていく。
     夕方の時間、街ゆく人は多い。その中でも仲の良さそうなカップルを見かけると、ついつい目をやってしまう。いつかああして、三途と外を歩くことができるのだろうか?
    「……」
     今にして思えば奇妙な縁だ。傷を負って満身創痍の三途を見かけ、なんとなくの正義心と己の心の平穏のために手当てをした。それだけだったのに。
     まさかたい焼きをあげたマイキーが彼の上司だったとは。殺されるかと思って逃げたのに、まさかのお礼のためで、さらに両想いになるなんて……。
     本当に、まさかまさかの出来事ばかりだ。
     でも一番のまさかは、彼と付き合えたこと。どこまでも逃げ続ける武道を追い詰め、捕まえた彼の勝ちだ。でもだからこそ、ちゃんと話をしなくては。
     そのためにもまずは、買い物を済ませよう。
    「蘭君、あそこの店――」
     お目当ての店を見つけ指差した先には、なぜか三途がいた。この間とは違う金髪の女性と、腕を組んで店から出る。その姿を、見てしまった。
     三途の手には、店のロゴが書かれた小さなショップバックが握られている。
    「あー……タイミング悪いな、アイツ」
     蘭の目にも映ったのだろう。そんな反応をされたけれども、残念ながら返事はできなかった。
     もしかしたら女性へのプレゼントかもしれない。ただ持ってあげているだけかもしれない。
     でももしあれが女性からのプレゼントだったら?
     もしその中身が、武道が買おうとしているものと同じだったら?
    「あー……花垣、あれ嬢だよ。店で見たことある」
     蘭が言うのだからそうなのだろう。彼が気づかいなどで嘘をつくとは思えない。だからあれは、お店の女の子なのだろう。
     でも、問題はそこじゃないのだ。
    「あの人、三途君のこと好きですよね」
    「……あー……。うん、そうだね」
     表情でわかってしまった。女性から三途への想いは、ちゃんと本物だと。
     綺麗な人。三途の隣にいても、見劣りしない。でも何故だろう。この間見た時の悲壮感は、今の武道にはない。むしろ心の奥底から、なにかが湧き上がってくる気がする。
     強くて熱い、対抗心。
    『三途はタケミっちが好きだよ』
     その言葉を、信じてもいいのだろうか。
    『この青を、手に入れるってな』
     彼を信じても、いいのだろうか。
    「……オレ、行きますね」
    「――え、」
     戸惑いの声が聞こえたけれど、それを無視して走り出す。
     信じていいのかわからないけれども、信じたいと思うこの気持ちに嘘はない。例え彼のことがわからなくても、自分のことならわかる。そばにいたいと、隣に立ちたいと思う気持ちは、嘘じゃない。
     駆け出した武道は、勢いそのまま女性が触れるのとは逆の三途の手にしがみついた。
    「――おっ! ……れの、ですっ」
     勢いよく行ってはみたが、恥ずかしさはある。結局言葉は尻窄みになり、真っ赤な顔は上げることができない。目にはずっとアスファルトだけが映り、彼らがどんな顔をしているかはわからない。
     ただそれでも、どうしても伝えたいことがある。だからもう一度、三途の腕をくんっと引っ張った。
    「オレ、のです……」
    「――」
    「はぁ? ちょっと、なにこの男」
    「オレの、ですっ」
    「意味わかんない。離しなさいよっ!」
     女性からしたら確かに意味がわからないだろう。想い人と一緒にいたら、急によくわからない男が現れてオレのオレのと言う。後々に冷静になってみれば、とんでもないことをしたなと反省した。しかしこの時はもう、とにかく必死だったのだ。
    「離せってば! おい、聞いてんの!?」
     三途の腕に抱きつくようにしがみつけば、女性の腕が伸びてくる。キラキラと輝くストーンのついた長い爪が、武道の腕に刺さった。痛みに顔を歪めるも、決してその手を離したりはしない。
    「っ――」
    「離せって言ってるでしょ!」
     振り上げられた腕が見えた。引っ叩かれるのかと覚悟して、強く目を閉じる。
     どれほどの衝撃であろうとも、絶対に離れない。
     力強く踏ん張りその時に備えたけれども、訪れるはずのものがいつまで待っても来ない。どうしたのかと恐る恐る片目を開ければ、女性の振り上げられた手を掴む三途がいた。
    「さ、三途さん?」
    「離れろ」
    「……え?」
    「手、離せ」
     女性の手を割と無理やり引き剥がした三途は、近づいてきていた蘭へと顔を向ける。楽しそうな彼の顔に、盛大に舌打ちしていた。
    「後始末しとけ」
    「まぁ、楽しいもの見せてもらったしいいよ」
    「クソが」
     相変わらず口悪いな、なんて思っていたら掴んでいた手を握られ引っ張られた。何事かと驚けば、そのまま何処かへと連れていかれる。騒ぎを見ていた野次馬を掻い潜り、そのまま駐車場に停めてあった車に乗り込む。知らない車だったのだけれど、こんなのも持ってたんだなと驚く。
     助手席に座らされ、シートベルトまで付けられた。まるで逃げださないように、首輪をつけられた気分だ。
     さっさと動き出した車は、慣れた様子で道を進んでいく。もちろん車内は重い沈黙である。気まずさのあまり、武道はとりあえずと三途に声をかけた。
    「……こんな車、持ってたんだね」
    「あ? ……仕事用だ。知らねぇやつ乗せることもあるから、普段はこっち使ってんだよ」
     なるほどと納得した。潔癖の気があるからか、私用と仕事用を分けているらしい。流石金持ちである。
    「つーか、テメェはなにがしたいんだ」
    「……すいません」
    「謝んな。そんなんが聞きたいわけじゃねぇんだよ。なにか思い詰めてたから一人にしたのに。どうしたいんだよ」
    「うっ……」
     全くもってその通りなので、言い返すこともできない。というか、彼の言い方的に家に帰ってこなかったのは武道のためだったのだろうか。
     だとしたら逆効果……とは、口が裂けても言えない。
    「……オレ、三途が女の人と歩いてるところを見かけたんです」
    「女?」
    「仕事復帰した日。たぶん、お店の人なんじゃないかって、マイキー君が」
    「……ああ。嬢が過去一の売上とったから飯奢れって言ってきたやつか」
     どうやら本当にお店の子だったらしい。そこは安心した。けれど……。
    「二人の姿を見て、お似合いだなって思っちゃったんです……。オレでいいのかなって。こんな普通の、冴えないやつで」
    「……」
    「堂々と隣を歩けるのかなって。そう思ったら、なんかわけわかんなくなっちゃって」
     今思うとマイナス思考すぎる。なぜ人は一度落ちるととことんどん底までいこうとするのだろうか。思考がネガティブ過ぎて、ちょっと恥ずかしくなってくる。
    「チラッと、スマホの画面とかも見ちゃって……。女の子から、連絡きてたのとか。すいません」
     勝手に見たのは武道が悪いので、そこは素直に謝った。だが言い訳させてもらえるなら、条件反射的で視線を向けただけだ。見ようと思って見たわけではないので、不可抗力である。
    「……なので、挙動不審になってました……。すいません」
    「謝んな」
    「……はい」
     口にすればするほど自分女々しいなと、小さく傷ついていく。そっと落ち込む武道だったけれど、三途はそれを一瞥するだけでなにも言ってこない。
     しばしの沈黙ののち、車は二人が暮らすマンションへとやってきた。慣れた様子で駐車した三途が先に車を降り、ドアを開けてくれる。そういう気遣いというか優しさが、好きだと思った。
    「降りろ」
     言われた通り降りれば、ドアが閉められた。そのまま地下駐車から直通のエレベーターに乗り込み、家へと向かう。玄関を開け中に入り、リビングへと向かった三途は、ソファへと深く腰掛けた。
     武道は数秒悩んだ後、その隣に座る。
    「……」
    「……」
    「……あの、」
    「テメェの考えはわかった。クソほどめんどくせぇ」
     その通りではあるのだが、まさかそこまではっきり言われるとは思わず傷ついた。でも自分でも思っていたことなので、静かに頷く。
    「全くもってその通りです」
    「いいか? わかってねぇみたいだから言うけどな、そもそもマイキーは人を信用しねぇ」
     え、と思わず声が出た。急になんなのだろう。今の流れでなぜマイキーが出てくるのだろうか。
    「九井は人のために金を使わねぇし、鶴蝶は基本無視。灰谷が他人のために車出すところなんて見たことがねぇ」
    「へぇ……?」
     そうなのかと驚く。少なくとも武道の印象は違う。ココは何かにつけて武道に物を買おうとするし、鶴蝶は心配性だ。蘭と竜胆は武道とどこかへ出かけることを好む。それにマイキーからは、一応信用されていると思う。そうじゃなければ、食事なんて作らせてもらえないはずだ。
     なので三途の言うことがあまり納得できず、空返事をしてしまう。その反応に呆れたようにため息をつかれた。
    「ほらな。わかってねぇ」
    「……?」
    「テメェはじゅうぶん特別だろ。これだけ曲者揃いの奴ら手懐けてんのに、なんで自信もてねぇんだよ。……こっちはわざわざ牽制してんのに」
     後半はぶつぶつと言っていたせいで、ちゃんとは聞こえなかった。ただ三途の言い分だけはわかった。
    「お、オレ、そんな特別なことだとは思わなくて……」
     みんなそれが普段の姿なのだと思っていたから、そう接せられることが特別だなんて思いもしなかった。というか普段のみんなは、どんな人付き合いをしてるのか少し気になる。
    「だいたい、このオレの命を救ったんだぞ? それだけでじゅうぶんだろ」
    「……」
     そうなのだろうか。そう、思ってもいいのだろうか?
    「……オレ、三途君のそばにいて良いの?」
     もっと他にふさわしい人がいるんじゃないか。その思いはいつまでも消えない。だから言葉が欲しいのだ。誰に言われるまでもなく、彼から許してもらえればそれでいい。
     そんな気持ちで聞けば、三途はただ静かに武道を見てきた。見つめ合うこと数秒。ソファが軋む音を立てた。
    「……」
     濡れた感触が、唇に当たる。普段は薄いなって思うのに、触れ合うと柔らかくて。一瞬離れてまたすぐくっつけるのが、彼の癖だ。下唇を優しく噛まれたのは、ちょっとした意地悪だと思う。
    「……ズルい」
    「……いちいち言わなくてもわかるだろ」
    「言葉にして欲しいこともあります」
     好きだと言われたことはない。愛してるなんてもってのほかだろう。
     でも分かっていても、欲しいと思ってしまうのだ。
    「……めんどくせぇやつ」
    「いいです。めんどくさいやつで」
     それでもいいから言ってくれと、ネクタイを引っ張れば数秒後呆れた顔をされた。
    「オマエ変なところで頑固だよな」
    「だって……」
    「だいたいな、よく考えてみろ」
     コツンと音を立てて、額と額がぶつかった。すぐ目の前には綺麗な顔があって落ち着かない。美人は三日で飽きるとか言った人はおかしい。いつまでたっても飽きないし、そもそも慣れない。
     そんな美しい顔が、意地悪そうに微笑んだ。
    「選んだのはテメェじゃねぇ。オレだ。オレがオマエを選んだんだ。それでじゅうぶんだろ」
     肩を押され、ソファへと倒れ込む。上には三途が覆いかぶさり、視線が交わる。
     流石にここまでくれば、彼がなにをしようとしているかわかった。
    「……ズルいなぁ」
     結局欲しい言葉はくれないのかと、落ちてくる唇を受け入れる。頬に、額に、鼻先に。そして唇同士が触れ合い、舌がゆっくりと差し込まれてくる。
    「――んっ」
     好き勝手動くそれを意識しながらも、少しだけ別のことを考える。
     そうか、彼が選んだのか。三途が、武道を選んだ。
     その言葉がじわじわと胸の奥に広がっていく。
     それならきっと大丈夫だ。例え世界中の人に笑われようとも、自分はこの人に選ばれたのだと胸を張って歩いていける。
    「……はぁ」
     唇が離れていく。互いを結ぶか細い糸がぷつりと切れても、もうなにも怖くはなかった。
    「二度と離すかよ」
     この青はオレのものだと、耳元で囁かれた。

    '・*:.。. .。.:*・゜゚・*

    「三途ピアス変えた?」
    「……」
     後日。仕事場に顔を出した三途を見て、竜胆がそう口にした。それにココと鶴蝶はちらりとこちらを見ただけで終わり、蘭とマイキーはなにやら意味深な視線を送ってくる。
    「だったらなんだ」
    「ああ、誕プレ? 嬢から? それともセフレ?」
     なぜ本命からだとは思わないのかと、思わず顔を歪める。だいたい今までだって、そこらへんの女からのプレゼントを身につけたことなんてない。
    「花垣からでしょ」
     ぴくりと、ココと鶴蝶の肩が動く。逸されていた視線がこちらを向き、三途の耳元へと向けられる。
     ちなみに聞いてきた竜胆も、蘭の言葉に驚いていた。
    「花垣? ……嘘だぁ。だってアイツセンスないじゃん」
    「そこはオレが手伝ったからね」
    「……ふーん」
     ココ、鶴蝶、竜胆の視線が刺さる。
     なにをどうしてそうなったのか、特にこの三人は武道の話題には反応を見せてくる。他の話題にはこれっぽっちも興味なんて微塵も示さないのに、なぜこうもあの男は面倒なやつばかり引っ掛けるのだろうか。
    「……武道が、渡したのか?」
     珍しく話しかけてきた鶴蝶を、三途は睨むように見た。どいつもこいつも、隙を見せようものならすぐにだって行動を起こしそうで気が気じゃない。
     周りは全て敵だと、彼ら目が物語る。
    「見りゃわかんだろ」
     三途の耳には、青く澄んだ石が光っている。あの日武道があそこにいた理由を聞き、二人で一緒に買いに行ったのだ。その時選んだのが彼の瞳と同じ色のピアスだと知った時は、その場で押し倒してやろうかと思った。もちろん我慢したが。
    「へぇ……。花垣とナカヨシなんだな」
     棘のある言い方をされ、ココの方を見る。彼のことだから、きっと二人が喧嘩まがいのことをしていたことも知っているのだろう。
     知っているからこその言い方に、イライラが募る。
    「だったらなんだ。羨ましいか?」
     見せつけるように首を捻れば、ココの顔が歪む。いっそこのまま煽りまくってやろうかと口を開けば、声を出す前に目の前に紙袋が差し出された。
    「……んだこれ」
    「三途の忘れ物。あの日これ落としてったでしょ?」
     そういえばそうだったと、蘭からそれを受け取る。
     誕生日だからと渡されたそれは、中身がなんなのかすら知らない。女性が買い物している間、三途はソファに座って仕事をしていた。
    「やる」
     落としたとはいえ、ブランド物だ。売れば金になるだろうとココに渡せば、彼はなんてことなさそうに受け取った。
    「中身なに?」
    「知らね」
    「一緒に買ったんじゃないの?」
    「見てねぇ」
    「お、時計だ。これなら高く売れそうだな」
     数百万はする時計だと、ココは嬉しそうに懐にしまった。
     とりあえずこれで下手に絡まれることはなくなったらしい。時計様様だ。
    「時計で思い出したけど、あの男の家燃やしたよ」
    「あの男?」
    「忘れてるし……。マイキーが言ったんだろ? よくわからないけど、男を殺せって」
    「ああ」
     そういえばそんなことがあったなと思い出す。
     武道と再会したくらいの時に、男を一人殺した。珍しくマイキーから直接指示があったのを覚えている。家で殺したためついでと金目のものを漁ったらしいが、腕時計くらいしか目ぼしいものがなかったらしい。なぜかそのままその場は放置し、警察に見付けさせた。そしてその男の家を、今回燃やしたらしい。
     わざわざ警察に見付けさせたこともそうだが、なぜ今さら燃やしたのか。マイキーのしたいことがわからない。
     同じことを思っていたのか、蘭がマイキーに疑問を投げかけた。
    「あいつマイキーになんかしたの?」
     マイキーもやっとその時のことを思い出したのか、ああ、と頷いた。
    「なにもしてないよ。天罰が下っただけ」
    「は?」
    「それより三途。あんまりタケミっち傷つけないでね」
    「……はい」
    「たい焼き食べてくる」
     立ち上がったマイキーは、そのまま部屋を出ていく。武道と出会ったたい焼き屋を大層気に入り、その後常連となったらしい。またあの店に食べに行くのだろうと、部下に護衛を命じている鶴蝶を見る。
    「そういえばさ、その男を殺しに行った部下が言ってたんだよね。不気味な部屋だったって」
    「不気味? どういう意味で?」
     蘭と竜胆のやりとりを聞いていると、不意にスマホが通知を知らせてくる。画面を見ればそこには武道の名前。今日の夜は炒飯とオムライスどちらが良いかと聞かれ、オムライスと答えた。
    「部屋一面写真飾ってたんだって。しかも男の」
    「うへぇ、キショ。ストーカー?」
    「かもね。ま、もう死んだ人間だしどうでも良いんじゃね?」
     すぐに既読が付き、了解のスタンプが送られてくる。本当なら二人きりで食べたいが、残念ながらマイキーも一緒だ。まあ明日の仕事は午後からなため、夜時間はある。
     早く帰ってきてねと送られてきた文字に、思わず口端を上げたのは内緒だ。



      end……?
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