運命を呪え運命を呪え
※オメガパロになります。n番煎じご都合主義。
設定とか少し独自のものにしております。男性の妊娠表現あり。読んでからの苦情は受け付けません。ご注意くださいませ。
「別れよう」
大好きな人に別れを告げた。心から愛している、そんな人にさよならを口にする。
目の前の彼はそんなことを言われるとは思ってなかったのか、思考が追いついていないらしく呆然としている。そりゃそうかと、他人事のように思う。
彼のバイクに乗ってどこか遠くへ行こうか、なんて話していたのは昨日の放課後。夜には連絡をとりあい、じゃあ海にでも行ってそこの近くでご飯を食べよう、なんてやりとりをしていたのに。
翌日の放課後、彼の家の前で会った途端別れを告げたのだ。
「な、に、言ってんの?」
「……ごめんなさい」
本当は知ってたんじゃないの?
そんな恨みったらしい言葉が出そうになるのを必死に堪えて、武道は踵を返す。
どうすることも、できないのだ。
「ちょっと、タケミっち待って」
肩に置かれた手。強く握られたそれは、でも武道に苦痛を感じさせないくらいの力加減。
そういう小さな優しさが、大好きだった。
「離してください」
「なんで、急に」
急じゃない。ずっと前から決まっていたことだ。きっと、それこそ生まれる前から。
「ごめんなさい。……どうか幸せになって」
彼の傷ついた顔を見ていると、胸が苦しくてつらい。泣きそうになるのを堪えながら、背を向け歩き出す。
きっと今ならまだ、傷は浅くてすむ。だから今、この時なのだ。
「……運命なんて、大嫌いだ」
中学二年生。大好きな人の幸せを祈って別れを告げた。
'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
「マイキー君と別れたぁ!?」
「千冬声でかい」
放課後のファミレス。そこで千冬と向かい合うようにして話をしていた。内容はもちろん、マイキーと別れた日のことだ。あの日のことを話すのはまだ辛いけれど、それでもなんとか伝えることができた。
武道の話しを全て聞いた千冬は、頭を押さえて項垂れる。
「……なにがどうしてそうなった」
つい数日前まで隊員たちの前でもイチャイチャしてたのにと言われ、武道は大人しく口を閉ざした。どうやらマイキーは愛情表現が激しめらしく、人目も憚らずくっつきたがる。もちろん武道も軽い抵抗はするのだが、すぐに無駄だと諦めてしまう。好き勝手するマイキーにドラケンが怒るまで、彼の行動が止まることはない。
そんな光景をずっと見てきた千冬だからこそ、不思議でしょうがないのだろう。その気持ちはわかる。自分もまさか、こんなことになるなんて思いもしなかった。
「マイキー君さ、この間検査したんだって」
「検査って……ああ、バース性?」
「うん」
男女という二つの性別の他にある、三つの性別。
オメガ、ベータ、アルファ。
とはいえ、基本はベータがほとんどで、アルファやオメガなんて早々出会うことはない。中学校入学と同時に国からの方針で検査をするのだが、マイキーはそれを面倒だとサボっていたらしい。しかしこの間、ついに学校側からほぼ無理矢理検査をされられ結果が出た。
「アルファだって」
「あー……うん、だよな」
才能に溢れた人が多く、カリスマ性を持つアルファ。マイキーにピッタリだった。だからもしかしたらとは、思っていたのだ。
でもまさか、本当にそうだなんて思わなかった。だってアルファなんて、生きてて出会えるかどうかの確率なのだ。それが自分の恋人だったなんて、笑えない。
「……ちなみに、相棒は?」
「わかるでしょ。ベータだよ」
普通の、なんてことない存在。それが花垣武道だ。そんな存在が、アルファの側にいていいはずがない。
「あー……把握」
「……運命、あるんでしょ?」
有名な話しだ。アルファとオメガには、運命というものがある。出会ったら最後、お互いが強い絆で結ばれるという。
まるで愛し愛されるべくして生まれた存在。
アルファであるマイキーにも、この地球上のどこかにいるのだ。そんな存在が。
出会うことの方が難しいとは言え、会わないという保証はない。もしこのままマイキーと一緒にいて、彼にそんな存在ができてしまったら……。
きっと耐えられない。だからこれでいいのだ。
それにアルファとベータでは、結ばれることはないのだから。
「マイキー君はさ、幸せにならなきゃ」
「……そっか」
彼には幸せを手にしてほしい。そのためにも、武道は側にいちゃいけないのだ。
だから別れた。あとはきっと、時間が解決してくれるはず。
「いつか、幸せそうなマイキー君の姿を見れたら、それでいいんだ」
結婚式とか、呼んでもらえたら嬉しいな。きっといろんな感情で泣いてしまうんだろうけれども、その時くらいには素直に喜べると思う。
そんなことを口にすれば、前にいる千冬の顔が曇る。
「……」
「千冬?」
「……ん、なんでもねぇ」
なんでもない感じではなかったけれども、話はこれで終わりだと雰囲気が告げてきた。千冬はすぐにメニューに目を通し、デザートを選び出す。
武道もそれに習い、パフェを注文する。
「ま、今はとにかく腹いっぱい食おうぜ」
どうやら発散に付き合ってくれるらしい。できた友人だと、武道は頷く。
たくさん食べて、騒いで、遊び倒そう。
そうしたらきっと、少しは忘れられるから。大好きな彼のことを。
「じゃあケーキも頼んじゃお」
「いつもの四人も誘ってカラオケ行くか」
「どうせならオールしよう」
「ばーか。明日も学校だろ」
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「タケミっち、ちょっといいか」
翌日の放課後。武道が通う学校の門のところに人だかりができていた。なんだか嫌な予感がして素通りしようとしたのに、その原因に声をかけられてしまう。
「……ドラケン君」
やっぱり来たかと、諦めたようにため息をつく。マイキーの世話役と言っても過言ではないドラケンが、二人の関係がどうなったかを知らないわけがない。もちろん武道から別れを切り出したことも知っているのだろう。どことなく険しい顔をしている。
「とりあえず、場所移そうぜ」
「はい……」
歩き出したドラケンの後をついていけば、近くの河原にやってきた。よくマイキーともきたところだと、少しだけ感傷に浸ってしまいそうになる。
「話ってのはさ、マイキーとのことなんだけど」
そんなことを思ってたら、ドラケンの口からなるべくなら聞きたくない名前が出てきた。やはりそうだよなと、たまらず顔を下げてしまう。
マイキーのことを大切にしている彼からしてみれば、武道はそんなマイキーを傷つけ弄んだ存在に見えることだろう。殴ったりはしないだろうけれども、多少のお怒りは受けるのかもしれない。
まさに傷口に塩だなと、乾いた笑いが出そうになる。
……嘘だ。本当は泣きたい。
それでもこうして会って話をしているということは、はぐらかしは通用しないのだろうと覚悟を決めてドラケンを見る。
すると何故か、彼は申し訳なさそうに眉を寄せていた。
「マイキーがなんかやっちまったんだろ? 申し訳ねぇ。オレから言い聞かせるから、もしタケミっちがよければ許してやってくれねぇか? あいつほんと、めちゃくちゃ落ち込んでてよ。なんなら一発ぶん殴ってもいいし。いや、一発と言わず何発でも」
だからどうか、許してやって欲しい。ドラケンはそう言ってきた。
「……」
責められると思った。だってマイキーに非はない。これは武道の、エゴなのだから。
なのに、どうして。
「いやほんと、話聞いた時はマイキーになにやったんだって、めちゃくちゃ怒ったんだよ。アイツなにしたかわかんねぇとか言ってたし。でもあれだろ? アイツ、タケミっちが不愉快になることしちまったんだろ?」
申し訳ないと、腰に手を回し頭を下げるドラケン。彼は関係ないのに、こうやって友人のために謝る。
本当に、かっこいい人だ。
だからこそ、そんな人に謝らせてしまったということが、胸を貫いた。
だって、彼は思ってもいないのだ。今回のことは、武道のせいだということを。マイキーはなにも、悪くないのだと。
武道への信頼。マイキーを傷つけるとこはないという、確信。彼の中の自分は、どれほど素晴らしい人なのだろうか。
だからこそ、その信頼を裏切ってしまっていることが、あまりにもつらかった。
「……ご、め、さい」
「……タケミっち?」
「ごめん、なさい……。ち、ちがう、んです」
悪いのはマイキーじゃない。でも、武道でもないのだと思いたい。
だって本当は、そばにいたい。ずっと一緒に、笑っていたいんだ。
なのに。それを運命は、許してはくれない。
「お、オレ、ベータなんです」
「……」
「でもマイキー君はアルファで、だからっ」
温かいものが頬を伝う。ぼたぼたと音を立てて地面へと落ちていくのを、止めることはできそうにない。
「い、いつか、別れるなら……今ならまだ、なんとかなるかなって……っ」
これ以上お互いが、大切になる前に。そう思ったのに、なんで今、こんなに辛いんだろうか?
「オレの、せいなんですっ」
結局いつだって同じなのだ。本当に好きで、大切だから。幸せになって欲しいと思うのと同じくらい、そばにいたいとも思う。
「すいませんっ」
「……なるほどな。そういうことか」
武道の言いたいことが伝わったのか、ドラケンが己の額を抑える。
「そういや昨日か。マイキーの結果出たの」
「……はい」
基本がベータのこの世界で、第二の性が話題になることはあまりない。だからかあのマイキーがアルファであるという情報は、物珍しさから瞬く間に広まった。ちなみに発信源は本人らしい。電話でエマに報告しているのを誰かが聞いていたようだ。
「なるほどな……。なるほど……」
膝を折ったドラケンは、その場に座り込む。その間もずっとなにかを考え込んでいるようだ。
武道はひとまずドラケンからの言葉を待つ間に落ち着こうと、目元を軽く擦り涙を拭う。
「とりあえず落ち着いて話聞いてほしいんだけど……。タケミっち大丈夫か?」
「あ、はい」
泣くとそのあと落ち着くのは何なのだろうか。人の怒りは六秒がピークだ、なんて聞くけれども悲しみも同じように長続きはしないらしい。すんすんと鼻を鳴らしながらも、ドラケンの話を聞くくらいはできそうだ。
「タケミっちの言い分はわかった。確かにあいつはアルファだ。だからいつか運命の人と、つータケミっちの不安もわかる」
ドラケンが座っているため、武道もそれにならい腰を下ろした。
「きっとタケミっちのことだから、マイキーのためを思っての行動なんだろ?」
「……」
もちろんそうだけど、でもそれだけじゃないんだ。
彼に武道よりも大切で愛する人ができた時、捨てられるのが怖い。彼からもういらないと、そう言われるのがなによりも嫌なのだ。
「オレは……そんないい子じゃないですよ」
「まあ、よく空回るしな」
おっしゃる通りなので黙りこめば、ドラケンに笑われる。
いつだって彼は、二人の関係を気にしてくれていた。小さな喧嘩をすれば、すぐに両方の話を聞いてくれて間を取り持ってくれる。
だからこそ、彼はマイキーのことも武道のことも、よくわかっているのだ。
「んで、今回もそのパターンだ」
「……」
「マイキーの幸せを、タケミっちが押しつけんのはちげえよ」
ドラケンの言葉に一瞬息が詰まった。
だってまるで夢物語のように語られてきたのだ。アルファにはオメガを。さらには運命を共にと。それが最高の幸せで、彼らのあるべき姿なのだと。
だからマイキーにも、その幸せをと思ったのだ。
「アイツはさ、タケミっちと一緒にいる時が最高に幸せそうだよ」
「……ドラケン君」
「だからさ、もう少しだけアイツを信じてやってくれよ。オレらの総長は、運命なんかに負けねぇよ」
そうかもしれない。あのマイキーなら、もしかしたら運命すら蹴ってくれるかもしれない。
でも、それでも……。
「もう、決めたんです」
お別れをしようと、そう決めてしまったのだ。
「オレ、未来に帰ります」
「……」
マイキーとお付き合いをするとなった時、未来に帰るのをやめた。一緒に歩んでいきたいと言われ、武道は頷いたのだ。それから何ヶ月か共にいたけれど、もうその必要はない。
だから今日、未来へと戻る。
「マイキー君には言わないでください」
「タケミっち……。そりゃねぇよ。それはマイキーが」
「それがいいんです。お互いのためなんです」
これ以上ドラケンと話していると、決意が揺らいでしまいそうになる。立ち上がると彼に頭を下げ、その場を後にした。向かう先はもちろん、ナオトのところだ。いつもの公園に呼び出しているため、武道もそこへ足を進める。
行き慣れた公園につけば、そこでナオトが待っていた。
「ナオト。いつも悪いな」
「……別にいいですけど。タケミチ君大丈夫ですか? なんか、顔色悪いですけど……」
「大丈夫大丈夫!」
本当は大丈夫じゃない。ドラケンに言われた言葉がずっと胸に突き刺さっていた。
マイキーの幸せを願っての行動なのに、間違えているのではとも思い始めててしまっている。自分の行動が正しかったのか、いつだって悩むのだ。
それでももう、決めた。彼のそばを離れると、決めたのだから。
「ナオト。握手しよう」
「……はい」
差し出された手を見る。これを握れば十二年後に飛ぶ。その頃にはきっと、マイキーとは疎遠になっていることだろう。でもそれでいい。
「じゃ、またな、ナオト」
指先が触れる。そのまま握ろうと手を動かした時、後ろから声がした。
「タケミっち!」
マイキーの声だ。彼が来ているんだ。
――会いたい。
会って、顔を見て、やっぱり別れたくないと泣いて縋りたい。
でもそれは、できないから。
ナオトの手を握る。ドクンッと心臓が音を立てて、指先に電気が走った。
これで本当に、さようならだ。
「オレは――っ」
彼の言葉を、最後まで聞くことはできなかった。
'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
「――っ!」
バチンッと音を立てて、意識が浮上する。どうやら無事、未来へと戻ってきたらしい。ほっとしつつ周りを見回せば、そこはなぜかトイレの個室だった。やけに綺麗で広いトイレに驚きつつも、なぜ床に座り込んで便座を抱きしめていたのかを考える。
もしかして酔っ払っているのか?
「――ぅ、ぉっ」
不意に襲われた吐き気に、慌てて便器のほうに顔をむける。どうやら相当酔っているらしく、吐き気があるのに出てくるのは胃液だけだった。
何度か嗚咽を繰り返し、少しだけ落ちついたのでトイレットペーパーで口元を拭い立ち上がる。
「どんだけ飲んだんだよ……」
やけ酒でもしたのかと、ふらつく足元を気にしつつトイレを出る。ずいぶん綺麗で広い室内に、誰の家かと不思議に思う。
少なくとも武道が持てる家ではないだろうし、知り合いの家か何かかと辺りを見回す。
「どこだここ……ぅっ、」
気持ち悪さが永遠に消えない。仕方ないと近くのドアを開ければリビングで、そこに置かれているソファに寝転んだ。
この家の人が誰なのかはわからないが、体調不良なので仕方ない。見知らぬ人に許してくださいと心の中で謝罪しつつ、瞳を閉じる。こんなにひどい二日酔いは初めてだ。今だって気を抜くと吐きそうで、なんだってこんなことになっているんだと未来の自分を恨む。
こういう時はじっとしてるに限ると耐え忍んでいると、不意にドアが開く音がした。
「お、ここにいたのか。大丈夫か?」
「……三ツ谷君?」
部屋に入ってきたのは三ツ谷だ。黒髪だったため一瞬わからなかったのだが、よくよく顔を見れば気づけた。
彼はコンビニの袋を持っていて、それを差し出してくる。
「とりあえずほら。言われてたやつ」
「はぁ……」
もしかしてここは三ツ谷の家で、彼と一緒に飲んでいたのだろうか?
手渡された袋の中にはミネラルウォーターやフルーツゼリー、さらには干し梅が入っていた。
「体調どうだ?」
「めちゃくちゃ気持ち悪いです……」
「マジか。吐いたりした?」
「しました」
もはや胃の中にはなにもない。それを告げれば、三ツ谷は眉を寄せながらもスマホを操作し出す。
「なんか食えそう?」
「いや……。今はいらないです」
何かを食べようと想像するだけで気持ち悪くなる。今はなにも受け付けないと、もらったコンビニ袋をそのままテーブルの上に置いた。
今はとにかく寝て回復したい。ただ水だけは飲んでおこうと、ペットボトルに口をつける。
「お、今からマイキー来るってさ」
「ごふっ」
「おお、大丈夫か?」
なんだか今、おかしなことを聞いた気がする。顎から水をポタポタと垂らしながら呆然と三ツ谷を見上げれば、彼は近くにあったタオルを持ってきてくれた。
そのまま口元を拭いてくれるのだが、残念ながら礼を言う余裕はない。
「……マイキー君?」
「ん? おお。タケミっちに何かあればすぐ連絡することになってるからな」
「な、んで?」
「なんでって?」
この時代でもまだ、マイキーと関わりがあるのか?
あれで全てが終わったと思っていたのに。それになぜ、武道のことでマイキーに連絡するのか。
「オレ、まだマイキー君と関わりが?」
「……なに言ってんだ? 関わりあるもなにも」
三ツ谷がその続きを言うよりも前に、リビングのドアが開かれた。部屋の中に入ってきたのは、この時代のマイキーだ。見た目的には、フィリピンで再会した時の容姿に近い。
突然の訪問に、思わず上半身を起こす。
「三ツ谷、ありがとう。タケミっち大丈夫? あんまりひどいようなら病院連れて行くけど」
「病院?」
二日酔い程度で大袈裟なと思いながらも、本当に心配そうな顔をするマイキーにそれを口にすることはできない。
まさかまだ、彼と一緒にいるとは思わなかった。あの日確かに、お別れしたはずなのに。
「マイキー君、あの」
「それじゃ、オレは仕事行くから」
「ああ、うん。いつもありがと」
「いいって。じゃあタケミっち、三日後定期検診でな」
「……え?」
マイキーと交代するように、三ツ谷がリビングを出て行く。それは別にいいのだが、なんだか気になることを言っていた気がする。だがそこを突っ込む前に、三ツ谷は家を出て行ってしまった。
「なにか食べれた?」
「え? いや、なにも……」
なぜ先ほどから食の心配をされるのだろう。一食や二食食べれなかったからって、どうということはないのに。
小首を傾げる武道の隣に腰を下ろしたマイキーは、そのまま肩を抱き額に口づけを落としてきた。
「無理しちゃダメだよ。安静にしてね」
「……」
距離感がおかしい。雰囲気もだ。まるで付き合いたてのカップルのような甘々しい空気に、大人しく口を閉ざす。
「梅干しなら食べれるって言ってたから買わせたけど、どう? グレープフルーツも切って冷蔵庫の中にあるからね」
「……グレープフルーツ?」
別に武道の好物というわけでない。酔っ払った時に食べたくなるものでもない。だというのに、なぜその名を聞いた時から食べたいと思うのだろうか。
「食べれそう? 持ってくるね」
優しいマイキー。明らかに武道を気遣ってくれている。
キッチンへと向かう後ろ姿を見つめつつ、なんとなく浮かんだ考えを頭に巡らせた。
もし今のこの不調が、二日酔いじゃなかったら?
二日酔いなら、胃の中のものを吐き出せば少しは落ち着くのにそれがない。
際限なく訪れる吐き気に、言い知れぬ不安が生まれる。
さらに差し入れとして持ってこられた干し梅。マイキーから今まさに渡されようとしているグレープフルーツ。
そしてなにより、三ツ谷が言っていた定期検診という言葉。
「……あはは」
いやいや、まさかそんな。考えすぎだ。ただ体調不良なだけだと、武道は何度も頭を振る。きっと寝て起きれば元気になっているはずだと、もう一度寝転がろうとした時、不意に背中に熱を感じた。
「――はい、グレープフルーツ。未来のタケミっち、これなら食べれたんだ。今のタケミっちはどうかな?」
「……ま、いきー、くん」
「ちょうど今日だよね? タケミっちが帰ってくるの」
二の腕のあたりを握られ、簡単に動きを封じられる。武道の背後に座ったマイキーは、そのまま耳元へと顔を近づけた。
「おかえり。ずっと、待ってたよ」
鳥肌が立つ。得体の知れない恐怖が包み込む。後ろにいるのはマイキーなはずなのに、なぜこんなにも自分の体は怖がっているのだろうか。
「あの時さ、タケミっちは最後までオレの言葉聞いてなかったんだよね? だから今、きっと自分の身になにが起きてるのかわかってないはずだ」
耳に触れた唇が、二度三度とリップ音を響かせる。
「だから教えてあげる」
温もりが離れたと思えば、今度は首裏にそれを感じる。力強く吸われたと思えば、ゆっくりと舌が這わされた。
「あの時からずっと気づいてた。タケミっちがオレの運命だって」
「……え?」
「タケミっちは自分がベータだから一緒にはいれないって思ってたんだろ? でもね、正確にはオメガに近いベータだったんだ。だから変えたんだよ」
頸に柔らかく歯が立てられる。傷となるギリギリのところで止まったそれは、あとほんの少しの力を込められたら、そこから赤い血が溢れるだろう。
「ちょっとずつちょっとずつ、オレだけのオメガになるように」
「お、めが? オレが……?」
「うん」
なんの話だ。武道は確かにベータで、だから彼と別れたのに。なのにそれを、変えた?
そんなこと、できるはずない。
思わず後ろを振り返れば、そこには静かに微笑むマイキーがいる。
「大丈夫だよ。オレがいる」
後ろから抱きしめられ、彼の手が腹に触れる。薄くてぺったんこなそこを、愛おしげに撫でられた。
そんなことあるはずないと思うのに、武道の中での可能性がどんどん高まっていく。
「この子が、いる」
「この、子?」
迫り上がる吐き気に嗚咽を響かせれば、背中を優しく摩ってくれる。
涙を浮かべる武道の目元にキスを落とし、マイキーは笑う。
「オレの運命は、ずっとタケミっちだけなんだよ。だからずっと、そばにいてね」