冬をあたたかく過ごす方法新入生とか、新社会人とか、新生活とか。
新しいことを始めるならば春というイメージがある。
例に洩れず、鯉登が月島と暮らし始めたのも春だった。
その春が終わり、暑い夏が過ぎ。
そろそろ本格的に冬物の服を出さなければいけないと思わせるような、肌寒い日が続いていた。
季節は確実に冬へと近づいてる。
特に今日は風が強くて寒く感じると思いながら、鯉登は帰路についていた。日も気付けば短くなっていて、もう完全に日が落ちている。
卒論の為に、大学の図書館に籠もっていたのだが。思った以上に時間が過ぎていたようである。
この時間ならば、月島の方が珍しく先に帰ってきているかもしれない。
来年には社会人予定ではあるものの、まだ大学生の鯉登と、とっくに社会人である会社員の月島では生活のリズムはどうやったって違う。
普段なら、先に帰宅しているのは自分の方が多い。月島が帰ってくるのを待つ立場だ。
そして先に帰っているなら、夕食の用意など出来ることはあるはずなのだが。鯉登は、それはやらない。
いや。月島がやらせてくれない。
料理が出来ないわけでもないし、毎日はしんどくてもたまには手伝いたいと、自分自身は思うのに。
いつも、鯉登さんはいいですから。と、言われてしまう。世話焼き体質というか。自分がするのはいいが、して貰うことには慣れていないらしい。月島曰く、落ち着かない。とのことだ。
なので好きなようにして貰っている。
大学の最寄り駅の改札を通り、ホームにたどり着いてスマートフォンを取り出したところで。思わず一人笑ってしまった。
いま、どこですか?
と、月島から連絡が来ている。
帰宅してみたら連絡もなく鯉登が居なかったので驚いたのだろう。押し間違えたらしい、場違いなスタンプも一緒に送られて来ている。普段、めったにスタンプなんて使わないのに。
OK。とカラフルな文字で書かれたイラストを月島が送ってきたかと思うと、笑わずにはいられない。
上のは関係ないです。
と、律儀に送ってきているのも、微笑ましい。
つい笑顔になりながら、今から帰る旨を返信する。
月島の待つ家に早く帰りたいと思うが、電車は丁度出たところだった。
タクシーを使うという手もあるが、改札を通ってしまったしな。と、鯉登は仕方なくホームのベンチに腰掛ける。
ホームで電車を待つのも寒い季節になったなぁと頬を撫でていく風に思った。
「ただいま」
ようやく帰り着いた我が家のリビングで。
「おかえりなさい」
キッチンから月島が顔を出した。手には菜箸を持っている。
丁度、調理中だったらしい。
ならばと、鯉登はそのまま月島のいるキッチンへと足をいれる。
「今日は寒いな。外、風強いぞ。そろそろコートがいるんじゃないか」
月島の手元を覗き込みながら口を開く。
「俺は丁度良いぐらいですけど」
そう言う月島は、確かに半袖のTシャツから腕が伸びている。
帰ってきて、スーツから着替えたのだろうと思うが。今日のあの外から帰ってきて半袖というのは、寒くないのだろうか?
「月島。何故半袖なんだ」
「え。変ですか?」
思わず口にしてしまったが、きょとんと月島に返されて面食らう。まるで自分の方が変かのように錯覚してしまいかけた。
いや。そんなことはない。
今日は寒いはずだ。
「変ではないが……寒くないか?」
正直、外から帰ってきたばかりの鯉登からすれば見ているだけでも、寒い。
「寒くないですよ。動いてますし、火の側だし」
言いながら、コンロの火をとめてフライパンを持ち上げ。用意していた大皿に出来立ての料理をよそっている。
そう言われれば、まあ確かにそうか。と、鯉登はひとまず納得した。
「ほらほら。鞄置いて、手を洗ってきてください」
月島に言われた通り、キッチンを後にする。
その日は風呂に入るまでも、入ったあとも月島は半袖だった。
次の日も、その次の日も。
それなりに今の時期らしい肌寒い日が続いたのだが。
月島はやっぱり半袖だった。
週末。さすがに冬物を出そうと提案し、二人でクローゼットを開けたのだが。
「月島。お前の冬物はそれだけなのか……?」
目の前に広げている鯉登の冬物の衣服と、月島の冬物の衣服の山の高さが明らかに違う。
冬物は嵩があるため、数着で積上がったように感じるものである。厚手のパーカーにニットに、マフラーにと鯉登の冬物は高く積まれている。
それに比べて、月島の山は半分以下だ。
元々、月島は衣服に頓着しないので。衣装持ちな鯉登に比べて服の数は少ない。ここに引っ越してきたときも、圧倒的に荷物量に差があったのは覚えている。
それにしてもだ。
なんというか、温かそうな服が無いではないか。
さすがに上着としてダウンジャケットは持っているようだ。確かに去年の冬、会う度に着ていたものだ。
だが、その中に着る物が綿のものばかりで。今着ている物から、袖が長くなっているだけのように思うのだが。
「そうか。分かった。新しいものを買うんだな」
鯉登はうんうんと頷いた。
ならば買い物に付き合って、似合いそうなものを選んでやろう。楽しそうではないかと、わくわくしたのも一瞬。
「いえ。買いませんよ。これで十分です」
「……え」
半袖から伸びた筋肉質な腕が、冬物というには心許ない洋服を綺麗に畳み直している。
背こそ小柄だが、がっしりとした筋肉のついた身体。夏は暑い暑いと言って、上半身裸で部屋の中を歩いていた時もあった。
月島は確かに体温高めであるのは、鯉登も知る事実である。
そう。
月島は冬という季節に対して、無防備な男だったのだ。
「寒くないのか?本当に」
「大丈夫です」
さすがに、半袖はやめたらしい。
冬物として出した長袖シャツを着た月島が頷く。
隣を歩く鯉登は、薄手のコートを着ているというのに。
去年買ったお気に入りのものだ。真冬には着られず着る期間が短いので、肌寒い時には積極的に着ている。
端から見れば、季節感がアンバランスな二人組である。
「まだダウンは早いですから」
言いながら、てくてくと月島は繁華街を歩いていく。
今の繁華街は、ハロウィン一色だ。オレンジ色と黒の装飾が多く目に飛び込んでくる。
確かにまだダウンジャケットを羽織るほど寒くはないだろう。
だがしかし。長袖のTシャツ一枚というのも見ているだけでも寒い。たとえ筋肉があっても。
デートをしたいと言って連れ出したのは自分だが、今のように昼間ならまだしも、夜に外へ誘うのは今後はしばらく躊躇ってしまいそうだ。
例に洩れず、オレンジ色のかぼちゃのお化け、ジャック・オ・ランタンと黒いコウモリの切り絵のような装飾が窓ガラスに施されたコーヒーショップが視界に入る。
「コーヒーでも飲むか」
温かいものでも飲ませてやりたくなったのだ。
「何か目的があって出てきたんでしょう?先に用事を済ませた方が良いんじゃ……」
「特に目的なんか無いぞ」
月島と外をぶらぶらしたかっただけだ。
「だからコーヒー飲みながら、どこに行くか決めよう」
「そういうことなら、入りましょうか」
小さく苦笑しながら月島の足がコーヒーショップに向かう。
温かいものを。と、思ったのに。
アイスコーヒーを注文する月島に、驚愕の眼差しを向けた鯉登だった。
体感気温は人それぞれだし。
余計なお世話といば、余計なお世話かもしれない。
いや。
余計なお世話だからこそ世話をやきたい。
めったにない、鯉登が月島の世話をやけるチャンスである。普段、世話をかけてばかりなのだ。
たまには自分だって何かしたい。
月島自身はやらないだろうからこそ、自分の出番である。
というわけで。
「…………」
鯉登から渡された紙袋を、月島はじっと見つめている。
夕食を終え、片づけようと月島が立ち上がりかけたのを制して。鯉登は、それを渡した。
目の前には片づけられていない食べ終えた食器類が並んでいて、それを少し端によけ。月島は目の前に渡されたものを置いている。
「クリスマスはまだ先ですよ」
口を開いて言ったのは、そんなことだった。
「もちろん誕生日でもないし……なにか記念日でした?今日」
今日がなんの日か思い出そうというのか、月島は首を捻っている。
そんなことをしても意味はない。
今日は特になんの日でもないのだから。
「なにかの日でないと、プレゼントをしてはいけないということはないぞ」
そう言っても、月島は不思議そうにしている。
「それに見て分かる通り、プレゼントというほど大層なものではない」
包装は普通に買ったままのもので、プレゼント包装にして貰ってはいない。プレゼント包装で渡すと、いらぬ気を使わせそうだと思ったのだ。
実際、月島の様子を見ていると正解だったようである。プレゼント包装だと、もっと警戒していただろう。
「いいから開けてみろ。見れば分かる」
「……はぁ」
袋から取り出し、月島はがさがさと音を立てて、包まれた薄い紙をはがしていく。
中から出てきたのはカーディガンだ。
「月島。お前の格好は寒そうで気になる。暑ければすぐ脱げるし、それぐらいは持っていてもいいだろう?」
着込むことを嫌がりそうな月島のことを考慮して、厚手ではないものを選んでいる。軽くて薄いが、それなりに質の良いものなので暖かいはずだ。デザインもシンプルなものなので、着る服装を選ぶこともない。自分ならば服を合わせる事も楽しむが、月島はきっとそういう事は面倒なはずだ。
鯉登なりに、月島のことを考えて買ってきた。
月島は珍しいものでも見るように、カーディガンの感触を触って確かめている。
ふわっとした手触りが気持ちよかったのか、一瞬顔を綻ばせたのを見逃さなかった。
「有り難うございます」
そう言う月島の顔はいつもの顔だったが。
きっと喜んでいるはずである。
その証拠に。
せっかくなので。と、タグをつけたまま早速着てみようとしてくれている。
ゆっくりとボタンを止めているのを見ていると、つい顔がにやけてしまう。
無頓着な月島に代わって、自分が世話をやけたことが嬉しい。自分だって何かしてやることが出来る。
「似合うぞ月島」
「そう……ですか?こういうのあんまり着慣れないので……」
言いながら、俯きがちに自分が着ているカーディガンを見ている。
「……ん?」
ペロンと袖から出ているタグに気付いた月島が、それを手に取る。しまった。プレゼント用だと店員に伝えていない為、値札がついたままだった。
「……高っ」
思わず。と言った様子で、月島が呟いた。
「めちゃくちゃ良いヤツじゃないですかコレ!」
「そうか?これぐらい普通だろう」
世の中、もっと高いブランドはごまんとある。
鯉登はそう思うのだが、月島にとってはそうではないのか。焦りながら、赤地に白文字のロゴの某アパレル店の名前を言っている。ショッピングモールに大抵入っているあれだ。日本で一番売れているアパレルブランドであることは間違いない。
「俺はあそこで十分な人間なんで!」
「たまには違うものもいいだろう」
「……そういうことを、言ってるんじゃないんですが」
これだからボンボンは。と、月島が呟いた。聞こえないように言ったつもりかもしれないが、しっかり聞こえた。
「いいから。気にせず貰って欲しい。日頃の礼だ」
しかし今、自分はもの凄く機嫌が良いので。それぐらいまったく気にならない。
けれどもこれで突き返されたら、一気にへこむことは間違いない。
月島もそれを感じ取ったのか、これ以上何か言うことはやめたらしい。
「俺の格好で気を使わせてすみません。有り難うございます。大事にします」
値段のせいか、妙に改まってそう言われた。
「お礼に明日の食事、なんでも好きなもの作りますよ。なにがいいですか」
「まこち!」
月島に渡せただけで満足していたのに、さらに機嫌が上昇する。何を頼もうかと、早速考えを巡らせていたのだが。
「ああっ!月島ァ何故脱ぐ!」
言うだけ言って立ち上がった月島は、カーディガンを脱いで綺麗に畳んでいる。大事そうに再び袋にしまってしまった。
「洗い物するんで濡れちゃいますし。やっぱり家の中だと暑いので」
言いながらテーブルに並んだままだった食器を片づけ始めた。
どうやら、あのカーディガンを着て貰うには外に出かけなければならないようだ。まあ、自分もそのつもりで買ったものである。家では着ないだろうなというのは想定済みだ。
「だったら、今週末どこか行くぞ」
鯉登も立ち上がって、月島が持ちきれなかった分の食器を持って後を追う。
「はいはい。じゃあ、それもどこ行くか考えておいてください」
流しに立った月島は長袖の腕を捲って、洗い物を始めた。スポンジを手にとって洗剤をつける。鯉登は手伝うでもなくその隣に立っていたが、いつものことなので特に邪険にはされない。
「たまには月島が行きたいところを言ってもいいんだぞ」
自分のことばかりでなくていいのだ。
日頃、それを甘んじて受けている自分も自分ではあるのだが。
きゅっきゅっとスポンジが皿を洗う音を立てながら月島が言う。
「鯉登さんが喜ぶところが、俺の行きたいところなので」
言っている月島と目が合わないのは、皿を洗っているからではなく少し照れているからだ。
隣にいると耳が少し赤く染まっているのがよく見えた。照れ隠しなのか、カチャカチャといつもより激しく音を立てて食器を洗っている気がする。
残念だったな月島。まったく隠せていないぞ。
「月島っ!」
そんな月島が愛おしく思えたので、思いっきり身体でそれを表現したのだが。
「ちょっと……!いきなり後ろから抱きつかないでくださいっ。割れたらどうするんです」
月島には怒られてしまった。
「それに。言われたところが嫌なら、嫌って言うので」
今更、かわいげのないことを言ったつもりなのかもしれないが、もう遅い。マイナスのつもりだろうが、もはや何を言っても鯉登にはプラスにしかならないのだ。
もちろん抱きつく腕は強くなる。
腕の中の月島は、鯉登を振り払おうと身体ごともぞもぞ動いている。両手が濡れている為に、使わないようにしているようだ。
見ようによっては腰をこすりつけられているように見える。
「……!」
つい少しだけそういう気分になって、月島の長袖シャツの中に右手を裾から差し入れた。薄着なので、こういう時は楽でいいな。などと思いながら腹を撫でていると。
「鯉登さんは向こうで明日のメニューと週末の行き先考えといてくださいっ」
とうとう邪険にされてしまい、泡のついた手を目の前で振られ。泡が目に入りそうになり、仕方なく鯉登はキッチンを後にした。
手持ち無沙汰でクッションを抱きしめながら、じっとリビングからカウンター越しに洗い物をする月島を見つめる。
月島は気付いているだろうが、目を合わさないようにしているらしい。
おいだって、して貰うばかりじゃなか。
やっぱり自分に出来ることは、無頓着な月島に代わって暖かい冬をプロデュースすることか。
なにせ二人で迎える初めての冬である。
なんてことを。鯉登は思い。
月島に言われたこととは、まったく別のことを考えているのだった。