気持ち良く晴れた日の朝。
こんな日はと、大量のシーツを洗濯し。干し終わった白い大きな布が、広い庭で青空にはためくのを見て月島は満足気に頷いた。
天気の良い日に干そうと、この晴れを待っていたのだ。
月島がメイドとして勤めるこの鯉登家の邸宅に住んでいるのは、主人である鯉登のご家族だけではない。月島のような住み込みで働く者も含めると結構な大人数となる。さらに来客用ベッドなどもあるので、それらすべての寝具の洗濯となるとなかなかに大仕事だ。
月島は男であるがメイドである。
仕事内容は家事手伝い。服装はしっかりメイド服でスカートだし頭にはヘッドドレスも着けている。
それには諸事情があるわけだが、今は置いておく。また機会があれば語ることにして。
気持ち良く朝の一仕事を終えた月島が、屋敷に戻ろうと踵を返そうとした時だった。
「つきしまぁぁーー」
とてとてと駆け寄ってくる足音と共に、名前を呼ばれる。
声のした方をふり返ると、この家の次男坊である音之進の姿が見える。見えずとも月島は声だけで分かっていた。毎日、何度と聞いている声である。
メイドは子守りも担当するんだったろうか?それは月島がこの家に来た当初、疑問に思っていたことなのだが。もはや慣れてしまった。
この家で働く人間の中で、月島が一番、年が若いので。おそらく自分に近いとでも思っているのだろう。大人の中にいる子供に見えているのかもしなれない。いや。おそらく大人から見れば、自分もまだ子供の部類に入る。確かに月島はまだ成人はしていない。それでも月島は音之進坊っちゃんより10以上は年上で、仲間と思われるいわれはないのだが。
「なんですか坊っちゃん」
その音之進坊っちゃんの小さな身体が勢いそのままに月島の足元に激突した。ふんわりとしたロングスカートがちょうどクッションになる。
小さな肩に手をおいて受け止めた音之進坊っちゃんが、月島の腰ぐらいの高さから顔を上げて見上げてきた。
「こいをやっ!」
んっ!と突き出されたのは、庭に咲いているチューリップである。
一輪の赤いチューリップが小さな手に握られていた。
「……これ……」
「見て!綺麗!月島にあげる!」
ニコニコと満面の笑みを向けられるが。
「花壇から引っこ抜いたんですか!?」
申し訳ないが、笑って返してあげることは出来なかった。
たんぽぽやシロツメクサ等ならいざ知らず。チューリップなんてそのへんに生えているものではない。もちろん買ってきた可能性もあるが、どう見てもその手に握られているチューリップは土がついている。引きちぎったのか茎の根本は無惨である。その先、土の中に埋まっていたはずの球根はない。
鯉登家の花壇には何種類か花が咲いているが、今ちょうどチューリップが見頃だったはずである。
怒気の含まれた月島の台詞を聞いて。
音之進坊っちゃんの表情が、笑顔から戸惑いに変わる。
申し訳ないとは思いつつも、いけないものはいけないと言わなければ。
坊っちゃんの成長の為にも。
「確かに綺麗ですが。駄目ですよ花壇に咲いているものを抜いては」
「……」
音之進は賢い子なので、言っていることは理解出来るはず。だからこそ、こうやって項垂れている。
「ごめんなさい……」
素直に謝ったものの。
「でも……っ」
珍しく反論があるらしい。
「つきしまにあげたくて……」
うつむいていた顔を再度引き上げる。
自分に渡したくて引っこ抜いてしまったらしい彼を、当の本人である自分が怒ってしまっては確かにショックだろう。
花壇の花を抜くのはいけないことだが。わかってもらえればそれでいい。
もう怒っていないと伝わるよう、意識して優しく声をかける。
「どうしてこれを私に?」
そもそも。
なぜ自分にチューリップなのかは、はなはだ疑問ではある。
「本で見た!お姫様にお花をあげてた。好きな人には花をあげるんだとわかった」
「……はあ」
だが残念ながら聞いてもわからなかった。
絵本で見たというのは本当だろう。ありそうなシチュエーションである。
そこで何故メイドの自分が出てくるのだろうか。
「だから月島にあげる」
んっ!と腕を伸ばし、月島に再度差し出された1本の赤いチューリップ。
「……有り難うございます」
抜いてしまったものは元に戻せないし、100%好意のものだ。
月島はひとまずそのチューリップを受け取った。
確かに綺麗に咲いている。これを自分に、と思ってくれた気持ちは有り難く受け取りたい。
ただし、花壇から花を抜いてはいけないのだ。
「綺麗です。あとで部屋に活けておきますね。でも……」
ポンと音之進の頭に手をおいて目線が合うように屈み込む
「その前に。一緒に庭師に謝りに行きましょう」
「……うん。いく」
月島はそっと立ち上がって、音之進の手を引いた。
鯉登家の庭師は決まった日に仕事をしに来る勤務形態だが。今日は確か、ちょうど来る日だったはずだ。話すと良い人なのだが、ぱっと見はいかつく怖い。坊ちゃんは会ったことがないはずなので、最初はビビってしまうかもしれない。
まずは自分が事情を説明するかと思いつつ。
……自分に見せたいと言って、坊ちゃんが花を抜いてしまった。
なんて、なかなかこっ恥ずかしい話だなと。
月島は思ったのだった。
どうして音之進坊っちゃんがこんなことをしたのか。月島がきちんと知るのは、まだ少し先の話である。