Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    rein2jiaca

    くぅ〜〜 … 自信ない時にこっち投げることにします。。

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 19

    rein2jiaca

    ☆quiet follow

    わがまま言ってコロナにかかりながら書き上げた一年前の卒論です。
    エドモン関係がどうしても書きたくて、なんとか許された『モンテクリスト伯』をベースに書かれ、エドモン・ダンテスの宝具や宝具名、モーションの元ネタになったのではといわれてる近代SF英文学の『虎よ、虎よ!』の解釈卒論となってます。

    #エドモン・ダンテス(FGO)
    edmondDantes
    #卒論
    #解釈

    『虎よ、虎よ!』の解釈綴ったときの卒論ですほぼほぼ自己満足のための卒論なことは承知の上で、まるまる一部を載せます。

    書き方が拙いので変なとこ多いと思いますが、許してください。

    手っ取り早くただただアルフレッド・ヴェスターの『虎よ、虎よ!』のあらすじが知りたい方は以下のあらすじのみどうぞ。



    第1章 「『虎よ!虎よ!』のあらすじ」
     第1章では作品の大まかな世界観とあらすじを述べる。舞台は25世紀、宇宙に出ることが一般となった時代で、世界中の人々は「ジョウント」と呼ばれる瞬間移動能力を各々身に着け、自分の思い描く場所へ飛ぶことを常としていた。あまりにもこの能力を使って移動することが当たり前となったために、逆にジョウントを用いず車や飛行機などで移動することが貴族的で優雅であるともされた。
     主人公のガリヴァー・フォイルは、宇宙船の下級乗組員であった。彼は至って平凡な人間であり、何に関しても無関心な型にはまった普通の人間であった。しかしそんな彼を命がけの復讐に駆り立てる出来事が起こる。敵から攻撃を受け漂流した宇宙船ノーマッドに170日間辛うじて生き残っていた彼の救難信号を、ようやく通りすがった味方船の《ヴォーガ》が意図的に無視したのだ。わずかな希望の直後に絶望を経験したフォイルの激怒と殺意は、無気力だった彼にかつてない活力を与えることとなる。彼は死に物狂いで知識をつなぎ、危険な賭けに出て漂流した船を一瞬復活させることに成功し、ある惑星へ不時着して生き延びたのである。しかしその惑星に住む狂気じみた民族によって、意識を失っている間に彼は全身に一生消えない恐ろしい刺青を掘られ、おぞましい姿へと変えられてしまった。
     それでも自分を見放した《ヴォーガ》への復讐を一心に抱く彼はその惑星を抜け出し、当時の《ヴォーガ》の関係者を見つけ出し報復することを企てる。彼は一時期を病院の患者として過ごし、そこで脳障害の患者を受け持つテレパス能力者女教師ロビンを利用して、 情報を無理やり引き出した。そして最初に知り得た《ヴォーガ》の関係者であるプレスタインへ直接殴り込みにかかるが、相手は財閥のトップであり復讐のみを考え直情的に行動に起こしたフォイルたった1人で何かができるわけもない。すぐに捕縛され特殊な尋問にかけられたが、彼の意志は固く尋問は失敗に終わった。フォイルはその後、『グフル・マルテル』という、ジョウントの行えない特殊な監獄のような病院へ幽閉されるが、そこで彼と同様に閉じ込められている女性との奇跡的な連絡手段を得る。
    そのジズという女性にことの顛末とこれから望む復讐について語ったフォイルは、無鉄砲なままではことは成し遂げられないと指摘を受け、彼女から知識や教養を少しずつ学んでいく。
     そしてとうとう彼は彼女を連れこの監獄を抜け出し、ジズの協力を得てから刺青を隠す手術などを経た後、独自に復讐を図るため再び情報収集を行う。その結果、《ヴォーガ》が《ノーマッド》を見放したのは、《ノーマッド》に積まれていた希少な荷物“パイロ”が原因であることを知る。その後彼は自分をおぞましい姿に変えた人々が住む惑星へ戻り、パイロを得るために、漂流し続けていた《ノーマッド》を動かすが、追ってきたプレスタインの配下から逃げおおせるため、フォイルはジズの命を見捨てることとなる。その時の彼の顔には、手術で隠されたはずのあのおぞましい刺青が浮かび上がっていた。普段であれば隠せるはずのこの刺青は、フォイルが自分を抑制できず感情を昂ぶらせたり怒りに身を任せると浮かび上がるのだった。再び一人になった彼は、手に入れた大量のパイロをかかえジズから教わった知識をもって、再度計画を立てることとなる。そうしてしばらくかのガリー・フォイルは姿を消し、身体を非常に戦闘的に改造。次にセレスのフォーマイルとして現れる。
    世間では世界大戦が終末に達し全太陽系戦争が勃発、人民が反抗し労働者が暴れていた。荒廃した社会にとある一座、4マイルサーカス団が訪れる。民衆はその別の小惑星からやってきた若くきらびやかで愉快な道士であるジョフリー・フォーマイルを歓迎し、富豪はこぞって彼とコネクションを作ろうとする。しかし貧しい街に現れた彼の目的は、この町にいるテレパス能力を持つロビンを取り込み、能力を再び利用することにあった。
    条件を出し、彼女を取り込むことに成功したフォイルは、彼女を連れて上流階級の集まるパーティーへ参加する。パーティーには財閥の人間や政府の関係者がこぞって参加しており、彼の目的はそこで当時の《ヴォーガ》の関係者を見つけ、詳細を聞き出すことだった。フォイルは道化のジョフリー・フォーマイルとして上流社会の人々と会話をすることとなる。テレパス能力を持つロビンの指示を受けながら、慣れない社交を受け流しつつ、彼は改造した自分の体を用いて関係者を見つけだ。しかし、聞き出すために尋問したところあっけなく死んでしまう。自白阻止剤のせいだと顔に刺青が浮かびあがらせながら怒るフォイルだったが、しかしその時彼のすぐ近くには。突如前触れもなくおぞましい刺青をもった燃える男が現れ、一瞬にして消えたのだった。フォイルは驚きつつも、あれは何らかの理由により現れた、復讐に燃える己の姿であると認識する。
    再びフォイルは、《ヴォーガ》の搭乗員だった人を探し、《ノーマッド》を見捨てろ、という命令を出した存在を突き止めるべく世界中をジョウントで渡り歩く。しかし、やっとの思いで見つけ出すも結果は変わらず、わずかな情報しか得ることができず、彼らのほとんどはヒステリックに叫び死んでしまう。その中に1人、フォイルの持つパイアの情報に異様に興味をひかれた様子を見せる者がおり、この男の罠でフォイルは一度窮地に陥るが、そこに場を一変させるように、再び燃えるフォイルの分身が表れては言葉を発して去った。燃える男の出現により危機を脱したフォイルは、連中の狙いであるパイロの詳細へ目を向けるようになる。
    財閥プレスタインの参加する政府主催のパーティーでもセレスのフォーマイルは話題を呼び、彼の愉快な登場にプレスタインも歓喜した。フォイルはかつて最初に出会ったときになすすべのなかったプレスタインと、自分を尋問した男を前に“ジョフリー・フォーマイル”を演じきる。ロビンもつれ、自分を抑制する術も身に着け、潜入は順調に思われたが、そこで紹介を受けた盲目でアルビノのプレスタインの娘、オリヴィアに心を奪われてしまう。
    オリヴィアの瞳は赤外線や熱波、磁場、電波を見ることができた。氷の女王のように神秘的な彼女に、フォイルは本能的な危機を抱きながら会話をするが、彼女のすべてを見抜くような瞳に耐えられず会話の途中で抑制を失い席を離れてしまう。気付くと彼は、自分を尋問にかけた男の前にいた。軽い挨拶の後、その隣の見覚えのある女性がジズであることに気付き、彼はフォイルとしてジズに謝罪を行うが一度見放されたジズは彼を許しはしなかった。その直後、このパーティー会場は非常に大きな爆撃に巻き込まれ壊滅状態に陥る。騒然とした現場にフォイルはロビンとジズに駆け寄りかけたが、足を止め改造した身体を使い閃いたようにあのプレスタインの娘のオリヴィアの元へ恋人として向かったのだった。再度彼はオリヴィアと対峙し言葉を交わすが、赤外線の見える彼女の爆撃を歓迎するような理解しがたい言動に、純粋で無垢で神秘的だと思っていたオリヴィアを次第に訝しむようになる。
    オリヴィアから、再び恋人としても拒絶を受けたフォイルは、爆撃の落ち着いた後にロビンへと駆け寄った。彼女はそんなフォイルに諦めたように最後の情報をひとつ渡して、フォイルの敵の基地へジョウントを行い離脱した。そのころ、オリヴィアは父プレスタインへ、フォーマイルと爆撃の最中会話したことを伝え、盲目の瞳でみた彼の隠れていた刺青を絵に描いてみせる。それによりプレスタインは、セレスのフォーマイルがあのガリー・フォイルであることを知るのだった。
    6日間の眠りから覚めたフォイルは、自分がオリヴィアと共に《ヴォーガ》に乗っていることに気付く。フォイルは、彼女がプレスタインへ自分の身柄を引き渡すのではと狼狽するが、彼を一度拒絶した彼女から発せられたのは、愛しい恋人への言葉だった。そして同時に彼女は、フォイルに出会ったときからフォイルが自分の敵であると知りながら、フォイルのその人ならざる怪物じみた在り方に共感を抱いていたのだと述べ、彼を慈しむように接し始めたのである。
    フォイルは混乱と狂乱に陥りつつもオリヴィアへ説明を求めると、彼女は生まれつき盲目である自分は盲目ゆえに世界から隔絶され無力で騙されたのだから、自分以外も盲目にし引き下げることによって、人間自体への報復をしたいのだと答えた。フォイルとオリヴィアは世間への報復のために狂気の復讐に走った同じ怪物であると彼女は喜んでいたのである。
    しかし、彼女はフォイルにとって完全な悪であった。頑なに怪物であることを否定するフォイルにオリヴィアは、現にフォイルが、オリヴィアと同じように手元に戦争を終わらせられるほどの力を手につかんで離していないことを指摘した。パイロのことであった。オリヴィアに自分たちは祝福された怪物と言われ、己を一心に復讐に走るだけの凶暴な虎であると信じていたフォイルは本当の自分の姿を考えなおし、パイロを手放したその末に地球で自首することを決意した。
    地球に戻り自首を試みたフォイルだったが再びパイアという巨大な力を秘密裏に利用しようとする存在と対面し、大きく脱力する。その時抱えていたパイアの一部が爆発し、身体改造があったとはいえフォイルは死にかける。しかしそれが彼を覚醒させ、空間だけでなく時間遡行すらも可能にさせた。彼はあの時の燃える男が、突如過去の自分の目の前に現れた未来の自分であることを知った。そうしてすべてを一瞬のうちに振り返ったフォイルは、再度考え、この強大なパイアの力を世界中に知らせ配るという決断を下す。プレスタインらは酷く怒り、組織は絶望に陥ったがフォイルは至って冷静であり、自分の成したことに納得を見せた。そして最後にフォイルは、たとえ自分のような愚か者であっても、思考を持つ必要があれば誰でも狂気にも走りうるし、また何かを成しうる才能を持っているのだと語る。そのただの動物から思考する人間になるきっかけをフォイルは世界に配ったにすぎず、煽るようにパイロで戦争をするがいいと投げ捨て、彼は自分を怪物のような見た目にしたあの狂った科学者のいた地へジョウントし、胎児のように眠ったのであった。

    以上あらすじ。
    __________________
    次に当時書いた結論。
    よみかえしてもちょっとずれがあるのは承知の上なので、ここも承知の上でお願いします。。

    結論
    この作品における“復讐”の結果と価値
    まずフォイルが終盤でとった行動について客観的な面を述べる。
    フォイルは民衆へパイアという危険で巨大な燃料を配り知識を投げかけた。この行動は民衆を焚き付け、自立を促すきっかけとしてある。これにより、巨大な力はプレスタインらの元に固まることは無く地球での以前まであった労働者階級や貴族の地位は大きく変動することが見込まれる。地球における全ては平となり、ついてしまった格差は無くなるかもしれない。長い目で見た場合、フォイルは一世一代の他の誰にも起こせない大改革を行ったと言える。これは人間社会の面では非常に大きな出来事であり、同じくらい大きなメリットとデメリットが発生している。価値としては非常に大きく、どうあったとしても世界的に変動は確実に起こり得るものとなった。
    次にフォイルにとっての価値である。もし仮にパイアをプレスタインらに渡した場合、世界の均衡は大して揺らがず階級の変動もなく何一つ変わらない世界であり、最初のフォイルのような愚鈍で何も無い人々はずっと彼のようにあり続けるしかなかったはずである。しかしそうはならなかった。フォイルの成した復讐の過程で、彼は人となったことで言われるままにパイアを渡すことはなく、意志を持って動いた。フォイルの行動は、第2第3のフォイルを救ったと捉えることができるのである。結果として、フォイルは当初同じ目に合わせると言う復讐の目的をその手で叶えることは諦めたが、その復讐の過程は彼自身を大きく成長させたことで多大なる世界的な価値にも繋がったという結論に至った。
    この作品における復讐は、何も生まなかったわけではなく、世界的な変化とガリー・フォイルの人としての存在を確固たるものにした。

    (2)ガリー・フォイルという存在の最終的解釈
    フォイルという存在の流れと、成長点をふまえ、何が他に必要だったのかについて述べていく。
    フォイルという人として浅かった生き物は、復讐という人生で初めての大いなる怒りの感情を持ったこと突出したことの無い、愚かな民衆の1人であったのにも関わらず生死の間を生き延びる。そうしてまず第一に行動に移したが、考える力がなかったことから失敗に終わる。次に他者との協力と経験と考えることの重要性を教えられたことにより、計画性を持ち始めた。自分の姿身分や体をも変え、むき出しにしていた感情を抑える術を見につける。次に道化として知識を得て人を騙すということを行うが、彼の本質までは変わりきらず再び過ちを犯し感情的になってしまった。しかしオリヴィアに出会い感情を先んじ考えることをやめたことで、彼は復讐の根源に恋心を抱くという自らの最悪に直面した。だが彼は最終的に苦楽や怒りの感情を切り離し、初めて思い人や自分の好きな人間以外に目を向け、最終的には思考を持ち考え抜き結論を出すことのできる人間へ成長し、一瞬であるが自分から他者へ教える師のような存在となった。


    _____________

    作中の”虎”の表現に関係していると引用した資料の一部。

    (1)「虎」を用いた表現と『無垢と経験の歌』
    次に作中においてフォイルを示すために登場する動物的表現について考察していく。まず本作のタイトルにもなっている「虎」という表現を扱う。この虎とは一般であれば獰猛な肉食獣、力強い動物といった印象を持ち恐怖の対象にもなるが、作中ではフォイルの顔とふるまいから“Don’t come prowling around like a damned tattooed tiger figuring how to pounce. We’re the only friends you got. Don’t try to slash and scalp—”(105)(「どうやって襲おうか考えてる刺青をした虎みたいに、おれのまわりをうろつくんじゃない。」)(154)という表現で初めて扱われた。主人公の見た目と性格の描かれ方として虎は何度も登場する。ここではこの時代ではもはや見ることのできない刺青という風習を初めてみた男が、刺青を隠す手術の際に取引を持ち掛けるも反論に同じ言葉しか告げないフォイルに対し放ったものだった。その後再度同人物により“tiger around the circuit”(106)(「刺青の虎」)(156)と呼ばれたことから、ここでは恐怖やおぞましさの面よりもフォイルの単純性を主に意図していると考えられる。次に当初は単純で単調であったフォイルが本能のまま動くのではなく、脅しを用いた交渉を行った際に、“Brute...Beast...”(146)(「残忍な……野獣」)(218)とも別人から表現を受けており、ここでは虎ではなく獰猛性を含んだ野獣が扱われた。少し前のフォイルであれば残忍と呼ばれるに至らなかったため、このシーンからはフォイル自身の成長が少しあったことがわかる。他にもフォイルを示す際にフォイルと呼ぶのではなく虎を用いて皮肉を込めたように告げるシーンが存在する。これらから、フォイルという存在は彼らの視点では人よりも肉食獣のように見えており、そのどれもが忌避の意図をもってして放たれていた。その上で彼自身も終盤において虎という表現を自身に使っている。

    “I’ve been a tiger all my life. I trained myself…educated myself…pulled myself up by my stripes to make me a stronger tiger with a longer claw and a sharper tooth…quick and deadly….”(225)

    「おれはこれまでずっと虎だった。おれは自分を訓練した……教育した……もっと長い爪と鋭い歯をもって……すばやい、狙ったが最後、かならず相手を屠るつよい虎に自分を仕立てあげるように……自分を高めてきた……」(351)

    フォイルが己を虎と発言したのはこのシーン前後が主であったが、ここでの虎は先ほど述べた彼らの意図だけではなく、フォイル自身の虎への印象も強く出ており、本能のままに動く強い存在といったものである。自らの感情を抑制する訓練を行い、基礎の教育を受け、実際に身体を戦闘向きに改造したフォイルにとって、ここでの「虎」は数多の経験を経てきたという意図が強く含まれていると考察する。そしてこの経験と虎のつながりは、タイトルモチーフとなった『無垢と経験の歌』の『虎』(The Tyger)においても関連がある。この詩は当初『無垢の歌』と『経験の歌』と分けられており以下である。

    『Songs of Experience, The Tyger』
    Tyger Tyger, burning bright, In the forests of the night;
    What immortal hand or eye, Could frame thy fearful symmetry

    And what shoulder, & what art. Could twist the sinews of thy heart
    And when thy heart began to beat, What dread hand & what dread feet

    What the hammer what the chain, In what furnace was thy brain
    What the anvil, what dread grasp, Dare its deadly terrors clasp

    When the stars threw down their spear And water'd heaven with their tears:
    Did he smile his work to see Did he who made the Lamb make thee

    『経験の歌 虎』
    トラよ、夜の森に 火のように輝くトラよ
    如何なる手 如何なる目が 汝の恐ろしき躯体を作ったか

    如何なる力 如何なる技が 汝の勢いを制するだろうか
    汝の心臓が脈打つときの 四肢の力の何たる強さぞ

    汝を鍛えたハンマーにチェイン 汝の頭を鍛えた炉よ
    きつく握った鉄床が 汝を恐ろしい姿に仕上げた

    星々が光芒を放ち 天空を涙で潤すとき
    神は自らの業を愛でられた 子羊をつくった神こそが汝の創造主なのだ

    _________
    上の虎 との対比では、同詩作者による 羊 の詩が強くあげられている。
    その”無垢な羊”についての詩の一部


    『Songs of innocence, The Lamb』
    Little lamb, who made thee Does thou know who made thee

    Gave thee clothing of delight, Softest clothing, woolly, bright;
    Gave thee such a tender voice, Making all the vales rejoice
    Little lamb, who made thee Does thou know who made thee

    He is called by thy name, For He calls Himself a Lamb.
    He is meek, and He is mild, He became a little child.
    I a child, and thou a lamb, We are called by His name.
    Little lamb, God bless thee

    『無垢の歌 子羊』
    可愛い可愛い子羊ちゃん 誰がお前を作ったの? 

    誰がお前にふさふさと やわらかい毛皮をかぶせたの? 
    誰が谷間に響き渡る 愛らしい声を贈ったの?
    可愛い可愛い子羊ちゃん 誰がお前を作ったの?

    お前の名前で呼ばれてる 主こそがお前を作ったの  
    主はおとなしく温和な方 小さな子として生まれるの
    私は子ども お前は子羊 私たちはみな主の子ども
    可愛い可愛い子羊ちゃん 神様の祝福がありますように

    登場する動物は二種類おり、「虎」という存在を恐ろしいものであると述べたうえで、対比として柔らかく穏やかな「子羊」を用いている。『無垢の歌』には『子羊』(The Lamb)という詩が含まれていることから、子羊は無垢の意図を、対する『経験の歌』での『虎』は経験を意図し書かれた。詩の内容としても子羊と虎が「無垢と経験」としての対比だけでなく「愛でられるべき幼い善と恐ろしい大きな悪」としてもある。詩の記述の仕方では「虎」では問で尋ねる大人同士の対話のように厳しく、一方の「子羊」では確認を取るように聞いており子供の世話をするように優しい声かけとなっていることから、書かれ方にも色濃い対比が使われている。


    ______________
    何故人ではなく、”怪物の虎”という表現なのか。人間ではないという点について、本編での起債あった部分を一部掲載。


    人間ではない表現
    次に人間という動物としての表現について述べる。作中で描かれた動物は虎以外にも複数あり、そこには人間も含まれている。まず人間ではないフォイルの描かれ方から、人間らしくなったことへの意図を順に述べる。
    フォイルという男の最初は“He had reached a dead end.”(21)(「まさしくこの男は人間失格の状態にたちいたっていた。」)(25)という説明から始まっている。文字通りの人ではないという点だけでなく、“He had been content to drift from moment to moment of existence for thirty years like some heavily armored creature, sluggish and indifferent—Gully Foyle, the stereotype Common Man—”(22)(「この三年間、まるで重い甲冑を付けた人間のように、だらけで、何に対しても無関心で実在の瞬間から瞬間へとただよっていた――ガリー・フォイルは型にはまった普通人だった――」)(25)と続いている。作中ではフォイルの記述にあたって彼の乗務員記録としての記載が付属されているが、長所や短所はなくとりとめのない性格と念を押すように一切の特徴がないと書かれていた。もはやフォイルは一応生きてはいるが、空っぽで目的が無い薄い存在であるという事が強く描かれていた。しかしこれらの特徴の無さは、復讐心を抱いたことで大きく身も思考も恐ろしいものに変化し、差を強調することとなった。他にはフォイルの燃え上がる姿を見て“Looked like a witch at the stake.”(171)(「火刑を受けている魔女のようだったな。」((258)と告げるなど、作中でフォイルを人ではないと重ね掛ける描写が数多登場しており、人間ではない人の形をとった何かとして描くことに力が入っている。そしてフォイル自身も辛うじて人間であったことを辞めて、以降一度「4マイルサーカスのセレスのフォーマイル」の皮をかぶり自らを「道化」であると偽り、虎のようだという認識に至る。怪物と呼ばれることは否定したが人間であると彼が実感したのはすべてを知った終盤のみとなった。


    “No. I’m not. I went too far. I went beyond simplicity. I turned myself into a thinking creature. I look through your blind eyes, my lovewhom I loathe, and I see myself. The tiger’s gone.”(225)

    (「いや、そうじゃない。おれは単純さをとおく超えてしまった。自分をかんがえる動物にしてしまったんだ。おれはきみの盲目の眼をとおして、自分が嫌悪する愛情、自分の恋を見る。そして自分自身を見るんだ。虎は消えてしまった」)(351)

    上記はフォイルのセリフは物語上非常に重要なものとなっており、思考を持ち結論を自ら下すことのできる人間であることを始めたシーンでもあった。直前にオリヴィアに“We’re a pair of monsters.”(224)(「あたくしたちはおたがいに怪物同士よ」)(348)と呼ばれ、虎ではなく怪物だとはっきり言われたことがフォイルにとって大きなショックであったことがわかる。これがきっかけとなり、フォイルは客観的に自分を見つめなおす行動に至った。フォイルはこれまで尋問や、受ける気の一切ない交渉、相手の話を聞かずに進める、考えの薄い返答といったどちらかの一方的な振る舞いのみを続けていた。しかしこの後は一変し聞きやすい会話がなされ、人との対話の場を設け、全員からの話を聞くといった思慮深い行動をする。その上で一度受け止めて返答することは、このヴォーガへの復讐心を抱え始めたフォイル以来では少なくとも初であった。同時に、これを行うことの難しさもフォイルは身をもって実感していたはずであり後の教えることへ実行に移したフォイルはまさに人間としての行動が表れていたと考察した。以上から人間ではない表現の意図として、フォイルの抱いた復讐というものは人間を人間でなくさせるものであるとも読み取ることができる。そして人間となり行動を起こし終えたフォイルは眠っていた。"curled in a tight fetal ball,"(271)”(「彼はまるくちぢこまった胎児だった。」)(432)とあり、赤子にかえったかのような表現が扱われていたのである。人の形をした虎は、怪物と呼ばれたことに否定できずにいたが、学んだことから人として一瞬師のような教える立場を成し、赤子にかえったのである。一連はいかにも人の一生のようであるが、実のところ始まってすらなく、彼はようやく次に目を覚ました時に人として生きることができると示唆していると私は解釈した。

    ___________
    怪物同士であると、作中であげられた表現


    “No. No. No. I’m afraid. She’s sick. She’s dark and black. She’s bad. I don’t understand her. I want my Nannie. I want to go home.”(216)

    (「いや、いや、いや。ぼくはこわい。彼女は病気だ。暗くてまっくろだ。 この女わるい。 ぼくこの女わからない。」)(336)

     上記は完全なテレパスを扱うことのできる人物が、フォイルに脅されてオリヴィアの本心を覗いた際に発した言葉である。オリヴィアの「白」の見た目とは対象的な闇である「黒」が取り上げられたのである。本来単純な対比であれば、「無垢な子羊であるオリヴィアと復讐の経験を経た虎のフォイル」という面で落ち着いてもおかしくは無い。では何故、オリヴィアは無垢では無い病気があり「黒」であると表現したのか。それはオリヴィアが作中で誰よりも純粋な悪であったことを示すためではないか。見た目も心も虎であるフォイルとは違い、見た目は羊で心は虎のオリヴィアは、既に復讐心をもっており虎としての経験を経ていたのである。以上から、どれ程無垢な羊を慈しみ愛したとしてもそれらはずっと無垢であり続けることはなく、仮に美しい白のまま育て上げたとして内部まで白のままとは限らないという作者の意図があったのでは無いかと考察した。
    これらを鑑みると、作中でオリヴィアが「怪物同士」と発言したのは非常に的確でありフォイルの心に衝撃を与えたことに頷く他ないのだ。


    ______

    以上です。はずくなったらそのうち消します。
    いまが躁状態なのでいきおいで載せました。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works

    recommended works