【蝶のサナギを見つけた大包平】
顕現してからつき合っているこの人の体は不思議だと思うが、虫の完全変態程不気味ではない。
内番の途中で見つけたサナギを、何の種類か気になると集まってきた短刀達と本で調べたのがいけなかった。
いや、気になったものを放置する程座りの悪いことはないので、やはりあの不可思議なサナギの生態がいけない。
サナギが蝶の一種なのだとはすぐわかった。
しかし畑の真ん中では潰してしまう恐れがあるから移動させようとなった時、乱が
「それなら三日月様の部屋に」
と言った時には正気を疑った。あれに生き物の世話が出来る訳がない。
「サナギに世話はいらないでしょ?僕たちじゃ気になって突ついちゃう」
より美しい蝶になる様に、美しい刀の傍に、だそうだ。
最後以外は納得できたが、いつの間にか運ぶ役目を負わされていて粟田口の抜け目の無さを思い知る。
「サナギだ。蝶になるまで置いておけ」
「大包平、意味が解らない」
三日月の部屋の入り口で、実に端的に説明をしたのだが、いつもの様に一緒に茶を飲んでいた鶯丸が口を挟んできた。
「乱が美しい蝶になる様にと、避難場所を三日月の部屋に決めた」
「ふむ。美しい刀ならお前の部屋でもいいだろう」
「俺はこのように何度も何度も形を変え、あまつさえどろどろに溶ける様な、そんな存在の曖昧な生き物を傍には置けん」
「調べたのか。暇だな」
「鶯にだけは言われたくない!」
「まあそれを置いて茶でも飲め」
部屋の主が口を出してこないのを了承の意と捉え、部屋の隅に茎ごと持ってきたサナギを置く。
勝手知ったる人の部屋に座り込み茶を味わい始めたところで、
「変態は嫌か」
面白がっている鶯の声にまんまと口の中の茶を吹き出しそうになった。
耐えたが!
「そのわざとらしい言い方をやめろ!
俺は人の子が羽や針や牙を戦闘向きだなどと思わずに、人の形で俺達を顕現させたことを感謝したぞ」
この手が、足が、記憶が、形を変え混ぜられて全く別の形で再生するなど耐えられん。
折れるのも欠けるのも構わない。
鋼の固さで
骨を持つ身で
輪郭を明確に。
大包平は未来永劫、砕け散る迄大包平だ。
「刀も蝶も同じではないか」
やっと声を発した部屋の主は、実に恐ろしいことをさらりと言った。
…だから俺は、これが苦手なのだ。
「なあ大包平。俺の古い古い友人は、薙刀から何度も姿を変えて今は脇差だ。
一度焼け再刀され記憶も欠損したが、名と兄弟は覚えている」
きっとこの美しい刀は、いつか聞いたカフカの話のように、起きたら人の身でなく醜い虫になっていても「そうか」で済ませるのだ。
「炎の中で溶かされ、刀から人の身になった我らと。
一度体を溶かし違う形で生まれ変わるサナギの違いが、俺にはわからん」
これは顕現する前も顕現してからも、ただただ三日月宗近でしかない。
「だから乱はこの部屋に、と言ったのだよ、三日月」
なにが面白いのか鶯が笑いながら「慧眼だ」と、その采配を褒め称える。
「そうか」
三日月宗近はやはり、短くそれだけを言って、その打除けの浮かぶ目を静かに伏せるのだった。
三日月の部屋で三日月の夜に羽化した美しい蝶は、一度も花を求めずただ三日月の周りを舞い生涯を終えた。
【雑踏に消える大包平】
先程まで隣であれは駄目これはいかんと口にしていた男の声がふと途切れた。
振り返るとそこには人の群れしか見えなく、誰よりも存在感のあるはずのあの姿は…。
「大包平?」
すぐ合流できるのだと、その時はまだそう思っていた。
大包平が居なくなったと。三日月宗近ははじめそう思っていた。
すれ違う、他本丸の大包平を含む数多くの刀剣男子のその中に、まぎれてしまったのだとそんな風に。
どうやら逸れたのは自分なのだと、そう自覚したのは。一番最近仲間に加わった、伊達の刀の兄だと名乗るその刀とすれ違い見送ったその背が。なにやらもやもやと斑な紋様を見せていたからである。
伊達所縁の刀がその様な、奇抜にしてもおかしげな恰好をするはずもなく。
なるほどここは、三日月の記憶に基づき作られた狭間なのだと自覚した。その仲間の背中を、自分は曖昧にしか覚えていないのだなあと言う事も含めて。
三日月宗近はぼんやりした刀だと。ずっとそんな風に思われていたしそう思われるよう振る舞いもした。
実際往時よりずっと「鈍いなあ」と思える働きしか出来なかったのである。
しかし修行に出、また千の年を経て極めた今はそうではない。より鋭利に、機敏に、敏感に。刀らしい鋭さでもって五感の全てを自己で支配できていた。それを表に出す出さないは別として。
その三日月が、こうもぼんやりと世界を違えてしまったのである。
「うん。こまった」
ひとつも困った事など起きた事がないという口調で、それでも言葉をそう吐いてみた。ここに三日月を招いた者に、聞こえたらいいなあと思いながら。
どの世界もきっと、本当には三日月宗近を困らせる事などできやしないのだと確信している傲慢さでもって。
そして、他にも呼び水はあった方が易いであろうよと、止めていた足を再び動かし始めた。ゆっくりと。どう出ようと構わないのだぞと、伝わるように悠然と。
少しの間、回りを歩く刀剣男子を、万屋に連なる街並みを眺め歩きながら。もやもやと、ぼんやりとしている箇所を見つけては「なるほど俺はそこを認識していないのか」とくすくす笑いながら歩いた。
自分も知らない自分を知る機会など、二千年経とうと経験が無い。
三条、五条、一部粟田口等、付き合いの古い者達は鮮明なものである。揺れる袖の内側まで一分の隙もなく鮮やかだ。
それが付き合いの浅い者、着方の解らぬ類の洋装相手だと、途端にもやりと姿をぼやかす。
顔は鮮明なのに肩の飾りだけぼんやりとさせた、修行後の南泉を見た時には「りぼん(?)の色は…2色…ううん、3色か?」と考えてる最中に、もや越しにうっすら浮かぶ色合いが変化していき、それで「今」の三日月と連動しているのだと知れた。
りあるたいむ、と言うのだぞ。
姿を見せぬ相手にふふふと笑いながら、心の中で伝える。
しかし、こうも三日月に何の負担も掛けなく、違和感を抱かせず、三日月の内を写してみせるのは一体何者なのだろうかと、少し心を躍らせながら三日月は考える。
きっと所縁のある者なのであろうが、それがすぐさま思い至れないことを申し訳なく思いながらも、どうしても楽しい。三日月の中にある、三日月。
あの苦しく長かった戦いの、大きな月と、花盛りの美しいにせものの本丸の。それとは全く別の、三日月宗近の内側。曖昧で、美しいばかりではない三日月宗近!
もっと見たくて、知りたくて。子供のようにきょろきょろと、視線を動かしてしまう。
そんな中、良く知った顔が、良く知ったセットで前から歩いてきた。
肩にのせたその飾りまで、締めたベルトの穴の位置さえ二人ともに明瞭で。ああ、自分はこの二人を解っていると、踊るばかりだった心が急に落ち着きをみせた。
すれ違いざま、目線で笑いかけてくれる鶯丸と。真っ直ぐ前を見て姿勢よく歩き去る大包平。
あまりにも鮮明で、思い通りで、いつも通りなその二人に「ああ、満足だ」そう口からこぼした三日月の胸のあたりから。
ぽうと淡く光る蝶が1匹、羽ばたいた。
目を細めた三日月の、差し出した指にゆらりと止まったその蝶を。鮮明な姿で、鮮やかな色合いで、誠に美しいと三日月は素直に思った。
「うん。久しぶりだ。このあわいの中でも、俺の記憶の中でも、お前はとても美しい」
だからそう、口にした。
変態を遂げる蛹の中で、どろりと溶けたその体の内で、再構成されていく羽の先で、その蝶はきっと三日月宗近に近すぎた。三日月の気のようなものを、その身に取り込んでしまったのだろう。
まだ外の世界の花の蜜を、黄泉平坂で何かを食してしまう様にその身に取り入れれば別だったのだろうけれど。その蝶は生涯何も口にせず、三日月だけを世界とした。他のどの三日月でもなく、この三日月を。
「なるほどだからこそのこの技か」
溶けて固まるその生の途中に抱いた三日月の欠片を、そのままに失くさず命を終えて。
本丸の結界の中、そう願ったか巻き込まれたか、魂を留めて。そうして得たこのあわいなのか。
にせものの世界を作るのは、なるほど俺に違いないと。戻ってからの説教三昧まで思い出されて苦く笑った。
そうしてこの小さく美しく健気な魂の、本懐を知らねばと思い至る。
「愉快な世界をありがとう。己を知る事も楽しかった。さて、俺はお前に何がしてやれようか」
蝶の望みはただの1つだった。本当には。
変化の途中でその身に招き入れた美しい刀の気配の欠片を、そのままずっと持っていること。他には何も必要ではなく、他の同類よりずっと早くその生命を終えた。
纏わりつくこの羽を、その刀は払おうとも祓おうともしなかったから望みが増えた。どうか傍に。一番近くに。
望みは果たされ、本丸の結界は結果的に蝶の魂を守り囲った。また、三日月の欠片だけを大事に命を終えた蝶の気配は、既にもう三日月の一部とも言え。刀達に違和感を抱かせることもなく漂えた。一番近くで。
ずっとそれで良かったのだが、蝶は知った。三日月の愛する、にせもののあまりにも美しい本丸を。心の中にこんな美しいものを飼う三日月の、その目に自分はどう映っていたのだろうかと恐れを抱いた。そして知りたいと思った。三日月の欠片だけが大事なこの蝶は、三日月宗近のその中に、欠片でもその姿を残せていたのであろうか、と。
もはや三日月の一部とも言えるその蝶の想いを、三日月は全て受け取り受け止めた。
「思わぬ形で部屋に来た、お前を俺は覚えているよ。このように紋様まで艶やかに美しく」
指の上に留まり、ゆっくりと羽を開閉させるその蝶に、きっと心の中だけで思えば伝わるのだろうけれど声にだす。
「俺をそのように、尊いもののように想ってくれるとは言葉も無い」
ゆらゆらと揺れる蝶は、きっと力を貸せばこの世界でなんでもできるだろう。
「望みを叶えよう。この俺の力の及ぶ限り」
そう三日月が約束したので、蝶はほんとうに、なんでもできてしまった。
「三日月宗近!」
やたらと強い力で掴まれた腕と、至近距離で叫ばれた名に。ああ、戻ったのだと三日月は息を吐いた。
「なんだ、大包平」
「なんだ、ではない!貴様…いきなり気配を消し去るな。またどこぞへ消えたのかと思っただろう」
時々この猪突猛進な刀は、勘が良い。
三日月はその刀を煙に巻くことも全てを曖昧に誤魔化すことも、慣れたものであったのだが。
「…ピアスなどいつ開けた。本丸を出た時には無かっただろう。主から賜った体に勝手に」
大包平がそんな事をいうので、殊勝にするのも誤魔化すのもやめてしまった。
「俺の体に穴があいたのも、そうさな言う通りどこぞへ消えていたのも。元はと言えば大包平が作った縁だ」
「…は?」
「それをあれこれ言われるのは悲しい」
「かなしいなどと…いや、その前に責任を転嫁しようとは…」
「責任ではない。縁と言っている。なあ大包平、このピアスは俺に似合わんか?」
うちのけの光る目で、すこしだけ大包平より足りない背で、美しいかんばせで。全てを使い三日月宗近は、望む答えを引き出そうと少々本気を出した。
元から顔が近いのは、大包平が寄せたからである。
「お前…!いや、似合わぬなどとは」
「この蝶は、美しくないか?」
「う…美しい造形の、蝶だと、思う」
まんまと三日月宗近の望む答えを口にした大包平に、今度は心の底からの笑顔を向けるのだった。
三日月宗近の刀身が、ほんのグラム単位で軽くなったのを。結局その本丸の主ですら知りようがなかった。