「C」「おい、来た時こんな所にドアなんてなかったよなぁ」
「えぇ、ありませんでしたね」
「どう思う」
「あからさまですね」
「だが駐車場に戻るにはこれを通るしかない」
「そうですね」
「「――――」」
「ここはHLだ、こんなもんいちいち気にしてたら生きてはいけない」
「行くんですか」
「おまえと一緒だしな。頼りにしてるぜ、相棒」
「誰が相棒です。こんなときばかり調子のいい」
「じゃあなにか、おまえはあの生存率10%区域を歩いて帰りたいわけか」
「――わかりましたよ。でも保証はしませんからね」
【You can't get out of this room without kissing 100 times.】
「「は??」」
目の前の壁に白ペンキで殴り書きされたメッセージにダニエルとスティーブンは愕然とする。
ドアをくぐったそこは何もないバスルーム程度の広さの空間だった。壁も床もコンクリート剥き出しの倉庫のようだが、違う。これはいわゆる「〇〇しないと出られない部屋」なのだと二人は瞬時に悟った。
慌てて振り向けどくぐってきたはずのドアはすでに無く、一面は無機質な壁となってしまった。もはや完全に閉じ込められたのだ。
「え、あ、キス? 100回!?」
スティーブンは思わず復唱する。一時期流行ったこのイタズラは悪質なものでもなく条件を満たせば必ず出られるというものだ。が、条件を満たさなければ出るのは不可能とも言えるらしい。ということは、出るにはキスをするしかないのだ。しかも100回。動揺するのは当然だった。
「ま、まあ、落ち着け。見ろ、キスの種類については言及がない」
ダニエルは泳ぐ目で数秒のうちに何度も読み返したメッセージに活路を見出して指差す。確かに“どこへ”キスをしろとは書かれていない。
「試しにほら、手ェ出せ」
「手?」
「いいから」
どうにも混乱が収まらないスティーブンの手を無理やり引っ張ってダニエルはその手の甲に唇で触れた。すると天井から「ピッ」と小さなデジタル音が聞こえ、壁のメッセージの横に赤ペンキで「Ⅰ」とローマ数字が記入されたのだった。
「YES!」
ダニエルは空いている方の手を握り締め成功を喜ぶ。一方スティーブンも喜びはしたもののどこかぎこちない笑顔で戸惑いを見せていた。
「なんだよ」
「だって君、これはちょっと」
手の甲への接吻。単純に接触することを思えば最も安易な箇所だろう。しかしいろいろと意味を考えればかなりハードルが高いとも言える。ダニエルは指摘されて初めてそれに気付き慌てて手を離した。
「妙なこと言ってんな、他意なんてない」
「そんなことわかってますよ、でもいいですか」
早口にそう言うとスティーブンはダニエルの手を取り、今度は立場を逆にその手の甲に口付けたのだ。するとダニエルは身を引くように伸び上がって顔を一気に紅潮させた。なるほどこれはわかっていても小っ恥ずかしい。
たが今回もカウントはされた。これをあと98回繰り返せば、耐えれば出られるのだ。
「よし、いいだろう。交互にやろう」
スティーブンに取られた手を握ってひっくり返し、ダニエルはまたその手の甲にキスをしたのだった。
手の甲へのキスが20回に及ぶと二人はその行為に耐えられなくなった。思いのほか照れくささが拭えなかったのだ。しかしまだ1/5しか消化していない。
その状況に二人は繋いだままだった手を離し、ワンランク上の接触を試みた。握手からハグへと移行したのだ。
「失礼」
スティーブンは軽く断るとダニエルを抱き寄せ左右の頬に唇を弾いてキスをした。ヨーロッパ式のハグだ。挨拶と割り切ればスティーブンにとって抵抗感もないがアメリカ育ちのダニエルにはそうではなかった。
「うわっ! 音立てんな!」
突き放すようにスティーブンを押し退けてダニエルは両耳を押さえて身を屈める。その様子があまりに極端で、アメリカでは受け入れにくい挨拶とわかっていたがスティーブンは自分自身を拒絶されたようで面白くなかった。
「ヒドイなぁ。ほらカウントされましたよ? これも慣れです、欧州に行くこともあるかもしれませんし練習します?」
と、嫌みたらしく言うと両腕を広げてハグを待つ。
何故か得意げなその顔を苦々しく思いながらも壁の数字が確かに増えたことを見るとダニエルは渋々腕を伸ばしてスティーブンに抱き着き、見様見真似でキスをしたのだった。
「――ふふっ、下手だなぁ。こうするんですよ」
「うるせぇ。――こう、か」
「そう、でもまだぎこちないなぁ」
そんな風に練習と回数稼ぎのためしばらく身を寄せたまま頬へのキスを繰り返した。しかし挨拶とはいえ耳元で何度もキスの音を聞かされてスティーブンは徐々におかしな気分になっていった。
たがそんなのは同じ動作を繰り返して疲れた所為だと自分に言い聞かせ、ぐったりとダニエルの肩に顎を乗せて提案した。
「ねぇ警部補、ちょっと休みません?」
「あー、そうだな」
ダニエルもまた気怠そうにスティーブンの肩に顎を乗せる。実は言わないまでもダニエルもまたモヤモヤとした感覚を持て余していたのだ。
二人はどちらともなく顔を上げて壁の数字に目を向けた。まだ回数は38、条件の半分も満たしていないがこのまま続けたら“マズイ”ことになるのではないか。漠然とした不安を懐き始めていた。
「スターフェイズ、これもう飽きた」
「そう言われまして――ひゃっ!」
スティーブンは耳に直接響いたキスの音にビクリと身体を震わせて声を上げた。
「へえぇ、耳弱いのか」
「突然だったからです!」
すぐそこにある耳に何気なく唇を寄せたのだったが、これまでに聞いたこともない情けない声を上げて赤面までしたスティーブンの反応にダニエルは俄然悪戯心が湧いた。
「面白れぇな」
「わっ! もう、この、」
続けざまに耳への攻撃を受けてスティーブンも最大の防御という反撃に出た。ほとんど耳に口先を突っ込んで一段と大きく音を立ててキスをしたのだ。ダニエルは「ひゃああ」と力なく呻いて、そして笑い出したのだった。
それから二人はふざけ合いながら耳、こめかみ、瞼、鼻へとキスを降らせた。そこまでくるともう互いにどうでもよくなって頬を擦り寄せ、ついには唇を重ねていた。
一瞬触れて離したもののすぐにまた重ね合わせ、薄く開いた唇の奥へと舌を挿し入れた。これまでの50回、この瞬間のために焦らし焦らされていたのだとばかりに夢中となって舌を絡める。
しかしふいにスティーブンはダニエルの背中を叩いたと思うと仰反るように顔を離したのだった。
「ま、待って、これじゃ回数稼げない」
「あぁっ?!」
興が乗ってきたところで中断されダニエルは鼻息も荒く喚く。完全に火がついてもはや後には引けない状態なのだ。が、スティーブンの言うことも尤もだった。
今はとにかく一刻も早くここから出ることが最優先だ。二人は一瞬視線を合わせ、申し合わせたように触れては離す啄むようなキスを繰り返して回数を稼いだ。
「ん、ん、」
「ハァ……ッ」
戯れるような優しいキスは、だが上辺だけで触れ合うたびに先程の熱いキスを思い起こさせた。身体が疼き息が上がって頭がくらくらしてくる。
「うぅ、ゴメン、もう――」
そしてついには身体から力が抜けてスティーブンはその場に崩れ落ちてしまうのだった。肩を掴まれていたダニエルも引っ張られて一緒に膝を付き倒れ込んだ。
「あと何回――?」
「今77、23回だな」
と、言いながらダニエルはスティーブンの顔に小さなキスを降らせ回数を稼いでいく。だが今となってはそれもほとんど愛撫でしかなく情欲を駆り立て身体を熱くした。
コンクリートの床に転がって抱き合い、キスをしながら密着する腹部で猛るそれを押し付け合う。早く早く、濡れる瞳で確認した数字は86、早く解放されて解放したい!
逸る気持ちをぎりぎりの理性で抑え残りのカウントを消化し、赤色のローマ数字が「XCIX」から「C」となった瞬間。壁に突如ドアが現れた。
二人で争うようにドアから飛び出せば、そこは戻るつもりであった駐車場の中だった。
足早にそれぞれ自分の車を停めている場所に向かったが、こらから運転してホテルを探す余裕もないことに気付いて足を止めた。
「警部補」
「なんだ」
「僕の車はセキュリティ万全ですよ」
それは盗難防止ということだけではなく防弾盗聴盗撮あらゆる面において完璧だという意味であり、ダニエルは返事をするまでもなくスティーブンの車へと向かったのだった。
(オワリ)