帰れない子供たち年末年始だからといって、ミラージュことエリオット・ウィットに休みはない。APEXゲームは休みになるが、自身が経営するバー、パラダイスラウンジは掻き入れ時だ。やれ忘年会だ新年会だと、客足が途絶えない。それでも例年は元日から三が日まで休みにして、実家に帰省して母と共に過ごしていたのだが、今年は営業すると約束してしまった。
「寂しかったらいつでもウチの店に来いよ。そんで俺様の作る美味い飯と酒を食って飲んで、金を落としていけ。ああ、心配するな。一杯くらいはサービスしてやるよ。同じレジェンドのよしみだ。」
お節介野郎め、自分でもそう思う。それでも年末年始をひとり寂しく過ごすであろう同僚達を思うと放っておけなくて、口が勝手に動いていた。実家への顔出しは元日、営業前に済ませてしまおう。母には少し申し訳ないが、俺はいつでも会えるのだ。レジェンド達の中には訳あり者が多い。年末年始を実家で家族と過ごす、そんな平凡な望みを叶えられない者もいる。
「大きなお世話ね。でもその気持ちは受け取っておくわ。」
「優しいのねベイビー。でもごめんなさいね、先約があるの。」
バンガロールとローバには断られてしまったが、レイスとワットソンは数日前に来てくれて、女子会と称してカクテルをしこたま飲んでいった。真っ赤な顔で笑いながら無限に杯を干していく様は、しばらく常連たちに語り継がれるだろう。2人が来てくれただけでも店を開けていた甲斐があったと思っていたのだが。
「…まだ大丈夫か?」
まさかあの秘密主義の男が来てくれるとは。レジェンド全体の飲み会でさえ欠席がちで、個人的な飲みなんて誘っても絶対来なかったのに。入口から控え目に顔を覗かせたクリプトを見て、ミラージュは思わず拭いていたグラスを取り落としそうになった。1月1日の23時過ぎ、流石に元日の夜は家で家族と過ごす者が多いのだろう、客が途切れたタイミングだった。
「あ、ああ!大丈夫だぜ!」
好きなところに、と促せばクリプトはカウンターの隅の席に腰掛けた。その姿はいつもの戦闘服とは異なり、フーディーにコートを合わせたラフなスタイルで、ただでさえアジア系で若く見えるのに、若いを通り越して幼く見えた。おい、相手は31歳のおっさんだぞ、幼いってなんだよ。心の中でデコイが囁いてハッとする。ミラージュは動揺を悟られないよう、接客モードに切り替えて注文を聞いた。
「おすすめがあれば、それを。」
特に食べたいものや飲みたい酒があるようではなさそうだ。時間も時間だから腹にたまらず、アルコールを入れるとしても寝酒になるようなものがいいだろう、とあたりをつける。
「ちょっと待ってな。すぐ用意するから。」
そう言うと、ミラージュはスパイス棚からシナモンスティックを取り出した。それをカッティングボードの上で砕いて、水、砂糖、クローブ、オレンジ、レモンと共に鍋に入れて火にかける。それらを煮立たせる間に、半分に切ったイングリッシュマフィンをトースターに突っ込んでおく。オレンジとブラックオリーブを取り出したところでチラリと視線をやれば、クリプトの目はミラージュの手元に釘付けだった。普段料理をしない男には新鮮に映るものなのかも知れない。注目されるのは嫌いじゃない。むしろ大好きだ。それもなにかと張り合ってしまう同僚にとなればなおさら。ミラージュの口角が自然に持ち上がる。
「生魚は大丈夫か?」
クリプトは無言でコクリと頷く。なんだか仕草まで幼く見える。明日は雪でも降るかも知れない。冷蔵庫から取り出したカルパッチョ用の鯛を数枚、オレンジの果汁を加えたマリネ液に浸しながら、ミラージュはエピセンターのように氷漬けになったソラスを想像した。そういえばコイツとの初試合もワールズエッジだったか。一緒に空爆で吹っ飛んだのが懐かしい。あの後、肋を2本やったクリプトと仲良く医務室送りになって、なんだかんだ打ち解けたような気がしていたんだが。そう思っていたのは俺だけじゃなかったのかも知れない。こうやって今日、ウチに来てくれたのだから。
頃合いを見て弱火に落とした鍋に赤ワインを加えて温める。それを濾しながら耐熱のワイングラスに注げばひとまず酒は完成だ。本日のお通しのスモークしたポテトサラダとナッツを添えてサーブする。
「ホットワインだ。あったまるぞ。」
「いただこう。」
すんすん、と猫のように匂いを嗅いで、ひとくち。ほ、と吐き出された息が静かな店内に溶けて広がる。柔らかなその表情を見れば、味の感想は聞くまでもなく。
「美味い。」
「当然だ。なんてったってこのミラージュ様が作ったんだ。マーヴィンが作る酒も悪くはないが、その、なんだ、とにかく愛がこもってるというか。」
「愛。」
何故そこに食い付く。話が変な方向に進みそうだったので、そのまま手を止めずに作っていた鯛とオレンジのタルティーヌを出した。艶やかな鯛と瑞々しいオレンジ、鮮やかなベビーリーフとアクセントのブラックオリーブが、こんがりと焼いたイングリッシュマフィンの上でキラキラと輝いて、クリプトの目を吸い寄せる。
「これは…美味しそうだ。」
許可を乞うような視線にどうぞ、と手のひらで返す。律儀なヤツだ。ミラージュの許可を得て、クリプトはたっぷり載せられた具が落ちないように慎重にそれを持ち上げる。大きめに口を開けて食めば、途端にその目が丸く見開かれた。素直な反応が嬉しい。そのままサクサクと食べ進める。
「生魚が嫌いじゃなくてよかったぜ。俺は平気だが、ソラスには苦手なヤツも多いから。」
「海の近くで育ったからな。嫌いなわけがない。」
…ホットワインのアルコールは結構飛ばしたつもりだったんだが。恐らくまたロクに食べてなかったんだろう、空きっ腹に入れたせいでアルコールが回っているのか、クリプトは口を滑らせたことに気づいていない。自身の過去について今まで頑なに口を閉ざしてきたくせに、こんなふたりきりの時に隙を見せるなんて。
「海か〜いいな〜。」
「リゾートを想像してるなら、それには程遠いところとだけ言っておく。」
タルティーヌを頬張りながら、クリプトが遠い目をする。故郷を思っているのだろう。公開してるプロフィール上ではソラス出身ということになっているらしいが、どうもソラスっぽくないというか、なんというか。とにかく、コイツも今日ここにいるということは、帰省できない事情があるのだろう。秘密主義のこの男なんてレジェンドの中でも訳あり中の訳ありだ。その視線の先に思い浮かべる故郷にどんな思いを抱いているのか、今はまだ想像することができない。
ミラージュ自身、他人の事情にすぐ首を突っ込みたくなる性分である、という自覚はある。だけど、今感じているこれは、そういうお節介とは違う気がする。もっと単純に、だけど複雑に。友達というには遠すぎて、ライバルというには近すぎるこの男のことを、知りたいと思っている。
ナッツを齧っていたクリプトが、グラスに残ったホットワインを一気に呷る。
「…少し喋りすぎた。美味しかった。会計を頼む。」
気付いたか。甘酸っぱい息をひとつ吐いて、クリプトは早々に帰り支度をはじめてしまう。まだ来店から1時間も経っていない。この時間が終わるのが惜しい、そんな気持ちでいっぱいになって、ミラージュは必死に口を動かした。
「オーケー、お勘定な。ほらこの通り。約束通りホットワインはサービスしてやるよ。だから、代わりにさ、教えてくれないか。なんで今日、ウチに来てくれたんだ?」
またお前を呼ぶためには、何が必要なんだ。
ミラージュの真剣な問いに、クリプトは黒い目をぱちくりとさせる。やっぱり今日のクリプトは幼い。小さな子供がその瞳の奥にいるような気がして、ミラージュは思わず見入ってしまう。ふ、とアルコールで朱が差した頬が持ち上がって。
「…人の作った料理が食べたかったんだ。」
今日くらいはな、と言い残してクリプトは端末で電子決済をしてさっさと出て行ってしまった。
ちょっと待て、それじゃあ次にお前が来てくれるのは、来年の今日になっちまうじゃないか!
そのことにミラージュが気付いた頃にはクリプトの姿はもう店の周りのどこにもなく。項垂れて店に戻ると端末の決済画面がなにやら怪しく光っている。
「次は辛いものが食べたい。」
ハッキングされている。恐る恐るメッセージの浮かぶ画面に触れると、一瞬あの緑色のロゴを表示した後、何事もなかったかのように通常の画面に戻ってしまった。支払いもキッチリされている。ほ、とミラージュは胸を撫で下ろした。次に会った時に心臓に悪いからやめろと言おう。それと、次回のお誘いを。いけすかないハッカー様も人の子らしい。愛を込めた辛いメニューをご馳走してやろう。