子供の頃は「ただいま~」
玄関のドアを開けると同時に声をかければ、奥から「おかえり~」なんていう間延びした声が帰ってきた。部屋にあがれば、同居人兼恋人のマイキーくんが怠惰に寝転び、くぁ、と短い欠伸を溢している。おそらくさっきまで昼寝をしていて、今起きたところなのだろう。もしかしたら、オレの声で起こしてしまったのかもしれない。日頃多忙な恋人のせっかくの休みを邪魔してしまったなら申し訳ないな、なんて思いつつ。
「マイキーくん、柏餅食べます? 粒あんですけど」
持っていたビニール袋を軽く掲げて見せた。
「柏餅? タケミっち、わざわざ買ってきたの?」
「まさか。オレにそんなマメさはないですよ。パートのおばちゃんに男の子の孫がいるらしいんですけど、張り切って買いすぎたらしいです。食べきれないから、よかったらって貰いました」
「ふーん。こどもの日って今日だっけ?」
マイキーくんは身体を起こし、ぐぅっと伸びをした。起き上がったということは、きっと食べるってことだろう。ビニール袋からプラスチックのパックを取り出して開き、目の前に差し出してあげれば一つ掴んでかじり始めた。
「こどもの日は昨日っすね。今日はもう6日なんで。世間で言う連休もあと1日で終わりです、やっと休める……」
大型連休の威力というものはすさまじく、オレの勤務先のような小さなレンタルショップにも多くのお客さんが訪れて、連日大忙しだった。安堵のため息をつく武道とは反対に、カレンダー通りの休みを取っていた恋人は眉間にしわをよせた。
「げ、もう休み終わんのかよ。あーあ、ガキの頃は良かったなぁ」
「どうしたんですか、急に」
「だってさぁ、ガキの頃は好きなときに好きなだけ寝れたのに、今はそうもいかねぇじゃん。みんなも仕事してて、そりゃあいつらが好きなコトして生きてんのはすっげぇ嬉しいけどさ、ガキの頃みたいに全員で集まれる機会も減ったし。大人になるって、結構つまんねぇのな」
「マイキーくんは、今でもドラケンくんに充分すぎるくらい甘やかして貰ってると思いますけどね……オレは別に、大人になるのもそう悪くないと思いますけど」
そう答えると、マイキーくんはじっとオレのことを見つめてきた。なにか、そんなに変なことをいっただろうか。
「……なんかタケミっち、怒ってる?」
びっくりして、パチリ、と目を瞬かせた。そんなに嫌な返事をしてしまったつもりはないのだが。
「いや、別に。……怒っては、いないんすけど。大人になって、オレと暮らすようになったのに、マイキーくんがガキの頃は良かったってそればっか言うから。なんか、面白くなくて。すみません、ヘンなこと言っちゃって。疲れて気が立ってたみたいです、今日は早く寝ることにします」
改めて説明すれば、些細なことが引っかかって不機嫌になってしまった自分を恥ずかしく感じた。マイキーくんだってそんな意味で言ったんじゃ無いって分かってるのに。やはり心身共に健康でいるためには、充分な休息が不可欠なんだろう。八つ当たりのように連勤を恨んだ。
一方、マイキーくんはオレに理不尽な言いがかりをつけられたというのに、にやにやと上機嫌そうに笑っている
「はは、そっかぁ。タケミっち、オレがガキの頃のがいいって言ったから、嫉妬しちゃったんだ。かわいーね」
「……ほっといてくださいよ」
「やだよ。オレのせいなんでしょ? じゃあさ、オレと大人でしか出来ないこと、しようぜ?」
「嫌です、オレは寝るんですから。エッチなことしたら、また遅くなっちゃうじゃないですか」
「誰もエッチなことしようなんて言ってないじゃん。だいだいオレら、ガキの頃からやってたし。そんなふうに思うなんて、タケミっち欲求不満なの? オマエが休みになったらいっぱい相手してやるから、それまで我慢な」
「だっ、誰が欲求不満ですかっ、別にそんなこと無いです! マイキーくんが紛らわしい言い方するのがいけないんでしょ?!」
いけない、カッとなって言い返しては。さっき落ち着こうって思ったばっかりなのにこの様だ。コホン、と一つ咳払いして気を取り直す。
「で、マイキーくんの言う大人でしか出来ないことって何なんですか?」
「結婚」
「は?」
聞こえた言葉の意味が理解出来ないオレを置いて、マイキーくんは話し続ける。まるで、恥ずかしさを誤魔化すように。よくよく見れば、その頬はいつもより血色が良い気がした。
「指輪買ってさ、オマエの親のとこに挨拶いくの。『息子さんをオレにください』とか、そんなこと言って。オマエもウチ来いよな、真一郎たちが待ってるから。あいつら全員呼んで、結婚式もしよう。どう? 大人にならないと出来ないこと、だろ?」
「……今までそんなこと、一言も言わなかったくせに」
「うるせーな。日和ってたんだよ、文句ある?」
「……今日、記念日でもなんでもないんですよ」
「しょうがないじゃん、今言いたくなっちゃったんだから。オマエがそうしたいなら、結婚式とか挨拶は記念日にしてもいいよ。……ね、返事、聞かせてよ」
「ふはっ、そっか。言いたくなっちゃったんなら仕方ないっすね。急に言われて、びっくりしましたけど……嬉しいです、オレも、ずっとそうなりたいって思ってたから。だから、これから先もよろしくお願いします」
「ン、よろしくね」
彼が腕を広げて迎えるようにするから、オレはその中に飛び込んでぎゅうっと強く抱き締めた。プロポーズにしては特別感が無い、日常の延長線上。けれど、オレ達にはこれが合ってるような気がした。マイキーくんも力一杯抱き締めてきてるから、実のところはちょっと苦しい。それでも、これから先の日々を思えば頬が緩んだ。
◇ ◇ ◇
「へへ、実は、マイキーくんの誕生日にオレから言おうと思ってたんですけど。先を越されちゃいましたね」
「タケミっちのくせに、オレにプロポーズしようとか生意気だね」
(あっぶな……! 今日言って良かった……!)