守衛とエクボと枯葉色の猫】※守衛さんとエクボが双子です。
出来てませんが同居してます。
霊幻さんは猫です。
疲れた身体を引きずるように、長身の男がマンションのエントランスをくぐったのは、深夜に限りなく近い時間。
美術館の夜勤の見回り勤務を交代し、着替えもおっくうなまま、制服姿のまま帰宅する。三交代制の守衛の仕事だが、さすがに夕方から夜シフトが続くと身体に堪える。
こう遅く帰ると、同じ顔をした男が不機嫌になるのが目に見えて分かるだけに、足取りは重い。
革靴の立てる音を潜ませ、廊下を抜け鍵を開ける。
室内は暗く、リビングにはオレンジ色の常夜灯が付いているだけで侘しい風景だ。
温めて食べられるように夜食がダイニングテーブルに乗っている。
物の少ない2LDKは、エクボが寝ているとモデルルームのような生活感のなさが漂う。一緒に夕食でも取ればこの侘しさも消えるかと思うが、寝ている俺様を起こすな、と言われる事だろう。
そんな文句を勤務時間があるようで全くない自称自営・自由業の兄に言われたくもないが、傲慢で我儘な兄が作る夜食は美味い。
レンジで温め、スプーンを入れる。
リビングから寝室につながるドアが開いた。
「おー、帰ってたか。明日は昼か?」
「午後からだから飯食ったら寝る。夜食ありがと。…どしたの」
「お前有名人じゃねぇか」
エクボの手にはスマートフォンが握られている。
表示された記事は2日前のもの」。
「あ、それ。何だよ、んなの見んなって」
「俺様の自慢の弟チャンのインタビューだろ。猫か。可愛いのか?」
ネットニュースの主として、ここ数日、護は実は少々の有名人だったりする。
と言っても背が高く、ガタイがいいだけの、一守衛係だけに注目が寄せられているわけではないのだが。
「…可愛いよ。何度追い払ってもうちに来ちゃうから」
「猫に好かれるようなツラもしてねぇけどなあ」
と、同じ顔をした頬の赤い男は口端を大きく上げて笑う。
エクボの手は記事に添えられた写真をピンチアップする。
拡大された記事には、薄茶色の淡い毛並みの猫がいる。
目つきが少々良くないのは、この猫が飼い猫ではない事による。
あらたかさん、とあだ名がついたこの枯葉色の雄猫が、護の務める美術館に現れるようになって数か月。何度追い返しても美術館の中に入るか、守衛の護と遊ぶか、という二択の行動しか取らない猫はすっかり名物になってしまった。
猫、あらたかさんは護のいる時にだけ美術館にやって来る。
何度も野良猫を放し飼いにするのは、という保護団体の要請を受け捕獲し、里親に引き渡しても脱走し、元の野良猫に戻ってしまう。
今ではあらたかさんに触れるのは護だけになっていた。
カメラを向けた記者に意味なく、シャーシャーと威嚇する始末である。
猫のあらたかさんと守衛さんの攻防、としてネットニュースで取り上げられてすっかり有名人になってしまった護も、この騒ぎにうんざりして夜勤に変えてもらっていた所なのだ。
護が目立つ事を喜ばないくせに、お前さんはもっと注目されていい存在だ、などとよく分からない事を言う双子の兄は、この記事を喜んでいるらしい。
「猫なあ。何でお前さんの所にだけ来んだろうなあ」
「俺も分からん」
ダイニングテーブルで双子の兄弟は向かい合う。
決して狭くはないリビングダイニングだが、身長185センチの双子が差し向かいで座ると狭苦しさが先に立つ。
「猫なあ。あらたかさんねえ」
エクボが低い声で猫の名を呼んだ瞬間だった。
にゃあ。
猫の声がした。
「おい、護。俺様の今の聞き間違いか?」
「いや、俺も聞いた。…猫の、こ、猫――――!!」
二人の大男は揃って声を上げた。
安普請のマンションが、ぐらりと揺れそうになる程デカい声は、さぞ近所迷惑になった事だろう。
「にゃあ。」
枯草色の猫が、顔を出した。
今まで何で気づかないんだ、というエクボの最もな突っ込みにも答える事が出来ない程、護も動揺する。こんな時にも兄を頼ってしまう所がある護は、エクボの横に移動した。
護の制帽の中から、猫が飛び出してきた。
あらたかさん、である。
しかも、大人の猫らしく、子猫などと言えるような体格でもない。
しかし、帽子の中にちんまりと丸く茶色の姿を見せている。
動揺する二人の男の顔を見て、猫は目を明けパチパチと瞬きを繰り返す。
固まる二人の男を前に、猫がひょい、と軽やかに帽子から飛び出し、ダイニングテーブルの上に乗る。ダイニングテーブルがみしり、と音を立てた。
「おい、何かないの。俺腹減ったんだけど」
冷静な護も、激情型のエクボも。
これには再び深夜の大迷惑な絶叫を上げる事になった。
枯草色の猫が、喋った。そして、二人に目を合わせて次の瞬間。
「俺が霊験新隆だ。どうやら呪いで猫にされちまったみたいでな。あんたたちに気づいてもらって助かった」
人間の姿で喋った猫はグレーのスーツにピンク色のネクタイ。
髪と淡い瞳の色だけがかろうじて猫の名残があるとかないとか。
とりあえず、人間がダイニングテーブルの上に鎮座していた。
双子は互いの服の裾を握ったまま、不可解な出来事に互いに耐えようと懸命な努力を試みていた。
とりあえず、今分かっているのは。
あらたかさんは、猫だった。猫は人間だった。
そして、双子は何度目かになるか分からない大声を上げて、驚いたまま固まっていた。
続かない。