「今、誰のこと考えてた?」
すこしぼーっとしていただけなのに、レゾンに問いかけられた。
今日は、他チームのレースの偵察にレゾンとふたりで来ている。
うちのチームの奴らは必要以上に目立つから、ひとりで行くと言ったしひとりで来たつもりだったのだが。スタジアムでレゾンが待ち伏せていたため、仕方なく肩を並べて、観客席からレースの行方を見守っている。
今日のレースはビクトリーズ対アストロレンジャーズ。
ビクトリーズを見ていると、奴らと闘っていた大神研究所での日々を思い出してしまう。
そう──傍らに、カイが居たあの頃。
「何を考えていた、ではなく、誰のことを、なんて訊くんだな」
俺はレゾンの問いをそうはぐらかす。
「何を考えていたかはなんとなく分かるさ。熱いため息を吐いていたからな」
「ため息なんて……」
「無自覚か?悩ましく、唇に触れてため息を吐いたぞ。確かに」
レゾンは眉を寄せて、切なげな顔を──演技だろうけれど、してみせる。
「お前にそんな顔をさせるのは誰なんだ?」
「そんなこと、言う必要あるか?」
「相変わらずつれないな」
大袈裟に顔を手で覆いながら、今度はレゾンがため息を吐いた。
「いつになったら心を開いてくれるんだ」
「お前が心を閉ざす原因を作ったんだろう」
「──そんなに嫌だったのか?あれが」
あれ、とレゾンが暈したのは、不意打ちのキスのことだろう。
スタジアムは今日も観客でいっぱいだ。こんなところでそんな話題、出せないのは当然だ。
「ほんとうに嫌だったなら、謝らないといけないな」
眉を下げたレゾンは、すっと綺麗な身のこなしで立ち上がった。そして深々と頭を下げる。
「すまなかった。アーム、お前の嫌なことをしてしまって」
「おい!やめろ、こんなところでそんなこと……!」
「ひとけのないところでは、二人きりになってくれないくせに」
「それは……だって」
レゾンは、顔を上げるとまた俺の隣の席に座り直す。
そして俺に顔を寄せてひそりと、秘密を打ち明けるかのように声を落として囁いた。
「衝動的な行動だったのは認めるけど。本気だから。あの時も今も、アームに」
言われて『あの時』と今のレゾンの顔が重なる。
至近距離に、長い銀の睫毛。
じゅうぶん過ぎるほど整った顔と、ロマンチックな台詞がいくらでも出てくる回転の早いあたまを持つレゾンが、恋の相手に不自由なんてするはずが無い。
なのに何故?
いつだってファンに囲まれてキラキラと笑顔を振りまいているこいつが、どうして俺の前でだけ──そんな真剣な顔をする?
「もうやめろ。揶揄うな」
「揶揄っているように見えるのか?」
レゾンは声を低くした。
びくりと俺は一瞬身体を固くする。
「アーム。やっぱり、お前は分かってくれていない」
レゾンはそう言うと、俺の腕を掴み引っ張った。
「痛っ、」
「話をしよう。ここじゃない、静かなところで」
「レゾン…!分かった、分かったから……手を放せ、痛い」
「放したら逃げるつもりだろ?悪いがこのまま放すつもりは無いね」
そうして俺は、ひとけのないところまでレゾンに連れられるがままに来てしまった。
「さっきも言ったが」
レゾンは、俺の腕を解放しないまま、壁に俺を押し付けた。
「本気だ。本気でお前に惚れたんだ」
「惚れたって……仮面の下の顔が気に入っただけ、だろう」
「違う!」
すこし苛立った様子のレゾン。
「覚えていないか?あの日、俺はお前のルージュがいつもと違うことに気づいてた。……それだけ普段からお前を見てたんだ」
言われて確かにそうだった、と思い出す。
よく気づいたものだ、と思ったんだ。意外と周りを見ているなと感心したんだ。
「でも……どうせ、素顔が気になっていたから、だろう」
「男の顔なんか、普通なら興味なんかないよ」
ぎゅ、と腕を握る手に力を込められて俺は顔を顰めた。
「なぁ、どうしたら信じてくれる?」
縋るような切ない目をしてレゾンは問いかける。
そんなこと───そんな顔して言うなんて。ずるいじゃないか。
「……俺が言うのもなんだが、趣味の悪い奴だな。俺みたいな可愛げも何も無い、ひねくれた男が好きだなんて」
大きく、俺はため息をついた。
「アーム?」
「言わなかったか?俺は、俺より速い奴しか相手にしない。こんなことされたって心は動かない」
言うと不意に腕が自由になった。
レゾンは、気まずげな様子だ。
「そうだな。強引に迫りすぎた。…焦っていたんだ」
殊勝な態度に、俺は顔には出さないように気をつけながらも内心ひどく驚く。
いつも自信に満ち満ちているこいつが、こんなにしょんぼりと…。
「だがな、アーム。お前は、可愛げのないひねくれ者なんかじゃない。……真っ直ぐで、分かりやすくて可愛いよ」
「なっ……だ、誰がっ…」
「いま、お前の心には誰かが住んでいるんだろうけど。いつかそいつを追い出して、俺が居座ってみせるから」
レゾンはそう言うと、チュッと不意打ちに俺の頬にキスをした。
「!誰がキスしていいなんて言った?」
「怒らないでくれよ。頬じゃないか。その赤い唇に齧り付きたいのを我慢してるんだぜ、これでも」
そう言われてしまっては返す言葉もなく、俺は憮然と腕を組んでさっきまで押し付けられていた壁に背を預ける。
「俺の気持ち、信じてくれ。少しずつでもいい」
「…本気で俺が好きなら、何故他の奴に甘ったるいキザな台詞を吐くんだ」
「ファンサービスだよ。でも、アームが嫌ならやめる」
「………別に、やめろなんて言ってない」
ぷいとそっぽを向くと、レゾンは困ったように微笑んで、何か言いたそうに口を開くも──結局その口から出たのは「戻ろうか」という言葉だけだった。
手を差し出され、俺はぺちんとその手を払い落とす。
「全く…レースが見れなかったじゃないか」
文句を言うとレゾンは笑って、
「大丈夫だ。ビクトリーズにも、アストロレンジャーズにも、負けないから。アームが居れば」
と軽口を叩く。
「ふん。──当然だ」
俺も軽口で返し、観客席のある方へと足を向ける。
さっきからうるさい鼓動の高鳴りには、気づかない振りをした。