雪解けの蜂蜜酒 凍てついた氷の中、指一つ動かせないまま閉じ込められている。こんな胸糞悪い氷の檻はとっとと抜け出したいのに、いくら魔力を込めても到底破れそうにない。
(……クソッ、あのジジイ共覚えてろよ)
いくら悪態を付いたところで、あの双子が満足するまでブラッドリーはこの氷に閉じ込められたままなのだろう。
(今度は何年間だ?面倒臭えことになったな)
分厚い氷越しにぼんやりと見える外に視線を向けると、明るい日の光が降り注いでいた。
(放置されてるのは冬の国のど真ん中じゃねえな。春の国に近い場所か?)
それなら尚更、面倒臭いことになった。春の国の民は滅多に冬の国に近付かない。外部からの干渉は期待できそうにない。
ブラッドリーが不貞腐れて昼寝でもしようかと思っていると、こちらに近付いて来る魔力の気配を感じた。
ぼやけた氷越しに目を凝らすと、日の光を受けて輝く、夜から朝に向かうような狭間の空色が見えた。その色は一瞬動きを止めると、素早くこちらに近付いて来た。
「…は?マジかよ…面倒事は勘弁してくれ……何だってこんな所に……、……っ!?」
視界は氷に遮られて良く見えないが、音は何故か氷越しでもよく聞こえて来た。どこか気怠そうな男の声だ。冬の国の国境近くに来るなんてどんな酔狂な命知らずかと思ったが、空色の影の主の声を聞いたら、何故か心が解けていく。さっきまで、自分を閉じ込めた双子に対してのささくれだった殺意が、ゆっくりと鳴りを潜めていった。
(……なんだ?)
自分の心の変化に戸惑いながらも、空色の影の魔力の気配を必死に辿る。自分を害する者の可能性はすっかり頭から消えていて、ただただ敵としてではなく好奇心から空色の正体を探っていた。
空色がブラッドリーの目の前まで来ると、氷にそっと手を伸ばした。
「……すげぇ魔力。俺にどうにかできっかな」
空色がそう呟くと、氷に触れている手の平から魔力が迸った。柔らかな魔力が氷全体を包み込んでいく。
(……あったけぇな)
氷の中に閉じ込められているブラッドリーまで魔力は届いていないのに、何故かそう感じた。そして同時に、どこか懐かしいと。
「……っ、この場所だとここまでが限界だな。後は時間が何とかしてくれるだろ。それに、今更俺が……、」
空色の手によって、氷結を維持する魔法が解かれたのが分かった。確かにこのまま時間が経てば、日の光が徐々にブラッドリーを閉じ込めている氷を溶かしてくれるだろう。だがその頃には……。
「こんな形だけど、あんたに会えて良かったよ。あんま無茶すんなよ」
空色はそう言って足元に何かを置くと、そのまま踵を返した。氷漬けにされているブラッドリーを討ち取ろうともせず、ただ氷の魔法を解いて去って行く。
(…待てッ!)
必死に声を出そうとしても音は喉から出ることなく、魔力の発露は氷に阻まれ相手に届かない。
そうこうしている内に、空色の気配は完全になくなっていた。
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ガシャンッと音を立てて、ブラッドリーを閉じ込めていた氷が氷解した。空色と逢った日から数日が経っていた。
「……っ、やっとか!」
氷から抜け出したブラッドリーは素早く周囲を確認する。背後の白い山脈と目の前の渓流を見て、この場所が『雪解けの渓谷』だと分かった。冬の国と春の国の国境地帯である。
こんな所に放置されてたのかと、一瞬双子への殺意が芽生えそうになったところで、ふと足元に何かの気配を感じた。
気配を感じた方に視線を向けると、透明なガラスの瓶に入った黄色い液体がある。その瓶に込められてるのは、あの時の柔らかな魔力だった。
ブラッドリーは瓶を拾い上げて太陽に翳す。日の光を受けた黄色い液体は、キラキラと優しい光を反射していた。
あの時、空色が足元に置いて行ったのはこの瓶で間違いないだろう。これはきっと、ブラッドリーに贈られたものだ。
瓶の蓋を開けると、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。脳裏に空色の髪と緑の衣が過った。
普段のブラッドリーなら、こんなどこの誰とも分からない奴の物を口にしたりはしなかっただろう。だがこの時、ブラッドリーの勘と運命が、これを飲めと背中を後押しした。
右手で瓶をしっかりと掴み、その黄色い液体を呷った。舌の上にほのかな甘みが乗り、それを喉奥に流してゴクリと嚥下する。
———瞬間、遠い記憶の黄水晶と、確かに目が合った。
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「おいジジイ共!これは一体何だ!?」
ブラッドリーは氷から解放されたその足で、双子が住んでる城に突撃した。ブラッドリーが来ることが分かっていたのか、スノウとホワイトは午後のティータイムをしながらブラッドリーを迎え入れる。
「ふむ。後数十年は閉じ込めるつもりだったのじゃが、一年も経たん内に出て来てしまったの」
「運の良い子じゃな」
数十年というスノウの言葉に一瞬青筋が浮かびかけたが、今はそんなことよりこっちだと、手に持った瓶を双子に突きつける。
「この飲み物は一体何だ?どこの国のモンだ?」
ブラッドリーが手にした瓶に入っている黄色い液体を見た双子は、揃って目を丸くする。
「春の国の名物の蜂蜜酒じゃな」
「こんな貴重なモノ、どこで手に入れたのじゃ?まさかブラッドリーちゃん、盗って来たんじゃあるまいな?」
ホワイトの胡乱な目にブラッドリーは舌打ちする。
「盗ってねえよ。てめえらの氷が解けたら俺の横に置いてあったんだ」
「ほう。不思議なこともあるもんじゃな」
「それなら良いけど……。春の国との諍いはなるべく起こさんでおくれ」
珍しいホワイトの言葉に、ブラッドリーは片眉を上げる。
「は?何ビビってんだ。戦争が起こったって春の国の王族なんて目じゃねえだろうが。あんな弱っちい奴等」
「確かに、春の国の王族は我等と比べたら遥かに魔力が弱い」
「じゃが、あの国には『春の三柱』と呼ばれる力の強い精霊がおるのじゃ」
ホワイトの言葉に続くように、スノウが聞き慣れない単語を口にする。
「『春の三柱』?」
「そうじゃ。それぞれが夏の国、秋の国、冬の国との国境を守護しておる。『春の三柱』は春の国の精霊達をまとめる主的存在じゃ」
「春の国は生命が豊かで、その分、精霊の数も多い。それら全員を敵に回したら、いくら我が国と言えど相手をするのは大変じゃぞ」
「それに我等としては、『春の三柱』と闘いたくはない」
スノウはそう言うと、ねー、とホワイトと顔を見合わせた。
「あ?何食わぬ顔で人を氷漬けするくせに、何腑抜けたこと言ってやがんだ」
「だってぇ、言うこと聞かないうちの三人と違ってぇ、あっちは皆気立ての良い子達ばかりなんだもん。怒らせると怖いけど、普段は優しい良い子達だしぃ」
「それに、春の国からの物流が途絶えると、我が国の食事事情が大分質素なものになってしまうからのぅ」
ホワイトは冬の国の食事事情を憂いて、しみじみと言葉を溢した。
「そっちが本音だろうが。つうか、その『春の三柱』とやらに随分詳しいんだな」
「ほっほっほ。昔、春の精霊のフリをして、春の国に遊びに行ったことがあるのじゃ。草花の芽吹きを祝う春の宴は最高じゃったぞ」
スノウの発言にホワイトがピクリと反応して、手に持ったティーカップをカチャリとソーサーに置いた。僅かに変わった空気に、スノウが笑顔のまま固まる。
「スノウちゃん?我に内緒でそんなことしてたの?」
ホワイトはニッコリ笑顔のままスノウに話しかけるが、その瞳の奥は笑っていなかった。
「ホ、ホワイトや……。敵情視察も兼ねていたのじゃ。それに、春の国にしか咲かない花をどうしてもホワイトに見せたかったのじゃ」
スノウの言葉に覚えがあったのか、ホワイトは視線を斜め上に向けて過去を回想する。
「……確かに数十年ほど前にスノウがくれた花は見事じゃったの。あれは春の国の花じゃったのか」
「そうなのじゃ。ホワイトが望むなら、また春の国から持って来よう」
「ありがとうスノウ。じゃが、それはそれとして、黙って春の国に行った時の話は、詳しく聞かせてもらうぞ」
「ホ、ホワイトちゃん……」
ホワイトの有無を言わせない言葉に、スノウは冷や汗をかいていた。
「おい、痴話喧嘩なら他所でやれよ。前みたいな大寒波は御免だからな」
ブラッドリーがうんざりした声で言うと、ホワイトが楽しそうにニッコリと笑った。
「ほっほっほ。あのような喧嘩はもう二度とせんよ。それよりブラッドリーちゃん。蜂蜜酒のことが気になるなら、『春の三柱』の『一の柱』に聞くと良い」
「『一の柱』?」
「蜂蜜酒の他国への流通は、秋の国との国境の守護者である『一の柱』がそのほとんどを担っておる。ちょうどそろそろ、『四国の祝宴』の時期じゃ。今年の『四国の祝宴』は春の国で行われるから、『春の三柱』が揃って参加する筈じゃぞ」
「うちからは毎年、我とホワイトしか参加しておらんかったが、今年はおぬしも参加してみるか?」
話が自分から逸れてホッとしたのか、スノウがブラッドリーに水を向けてくる。
「ただし、暴れるのはなしじゃ。もし少しでも暴れたら、今度は100年ほど氷漬けにするぞ」
続くホワイトの言葉に、ブラッドリーは眉間に皺を寄せる。
「は?他所の国との仲良しごっこなら御免だぜ」
「おぬしに他国との条約締結なんぞ期待しとらん。じゃが、たまには冬の国の王族の一人として、他国の者と交流してみたらどうじゃ?」
「春夏秋冬、様々な国から持ち寄られた食材で作られた美味しい料理も食べられるぞ」
「……美味い飯が食えるなら、最低でも無駄足にはならなさそうだな」
少し思案した後、ブラッドリーは美味い飯を決定打ということにして、双子の誘いに乗った。美味い飯が気になるのも本音ではあるが。
「「決まりじゃな」」
双子はニコニコと嬉しそうに笑って、午後のティータイムを再開する。ブラッドリーは手元の『蜂蜜酒』なるものを一度見つめた後、それをまたグイッと呷った。
優しい魔力を帯びるそれが、喉を通り、体内に落ちていく。心が満たされるのは、何故なのだろうか。
どこかボンヤリとしているブラッドリーを見ていたホワイトは、そっとブラッドリーに忠告をする。
「蜂蜜酒について『春の三柱』に聞くのは良いが、くれぐれも失礼のないようにな」
「『春の三柱』に手土産でも持って行くと良い」
スノウもホワイトに続けてブラッドリーに助言をする。ブラッドリーは双子にチラリと視線を向けた後、すぐに手元の『蜂蜜酒』に視線を戻した。
「まあ、タダで教えてくれるとは思っちゃいねえが。『春の三柱』について他に知ってることは?」
ブラッドリーの質問に、双子はブラッドリーが『四国の祝宴』に参加することになったのが嬉しいのか、次々と知ってる限りの情報を提供する。
「三人とも酒好きとは聞くのぅ。特に『三の柱』はとんでもない酒豪だとか」
「『一の柱』は幻惑魔法が得意じゃ」
「『二の柱』の料理はこの世のものとは思えないほど美味だとか」
スノウの言葉に、ブラッドリーは舌の上に残る『蜂蜜酒』の味を思い出す。
「この世の物とは思えない……」
ブラッドリーは微かな違和感を覚えてスノウの言葉を繰り返したが、ブラッドリーの様子に気付かない双子は話を続けた。
「そうそう。春の国の精霊は皆、花好きじゃぞ」
「花を愛でるのが好きな国なのじゃ」
「我等は我等を愛でるのが、一番好きだもんねー」
「ねー」
双子の気味の悪い言い合いは無視をして、ブラッドリーはまた大きく『蜂蜜酒 』を呷った。
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『四国の祝宴』が行われる日、ブラッドリーは双子と共に馬車に乗って春の国の王都に向かった。
「空を飛んじまえばすぐなのに、何でいちいち馬車に乗って地面を走ってんだよ」
それでも先ほどまで空を駆けていたはずの馬車は、今は地面スレスレを走るように滑走している。ブラッドリーが面倒くさそうに足を組めば、双子が揃いの顔をぷくっと膨らませた。
「他国との関わりで礼を失してはならん。相手方の出迎えも受けずに突然王都に現れるなど、無礼にもほどがあるぞ」
「それに、我等みたいな魔力の強い者が突然自分たちの王都に現れたら、春の国の民がビックリしてしまうじゃろ」
ホワイトの他国の民を思う言葉にスノウもうんうんと頷く。それに…、と双子が互いの指を絡ませながら頬を寄せ合った。
「春の国の上空は『一の柱』による幻惑魔法がかけられておって、許可無き者が侵入すると永遠に醒めぬ夢を見させられるぞ」
「その夢はその者にとって叶えられなかった至上の夢幻で、幻惑を解こうとする気力がなくなってしまうのじゃ」
怖いね~、ね~、と双子は噓泣きしながら互いを抱きしめ合った。
「それに、冬の国との国境地帯を守護する『二の柱』は精霊を使役するぞ。精霊一つ一つの力は強くはないが、精霊は実体が消失しても命は大地に還り、自然の数だけ無限に生まれ直す」
「冬の国は強い精霊が居る代わりに、精霊の数自体は少ない。春の国と違って自然のエネルギーも乏しいから、生まれ直すには時間が掛かるじゃろうな」
ホワイトがそう言いながら泣き真似をするのを横目に、ブラッドリーはフンと鼻を鳴らした。
「頭が居んなら、そいつを潰しちまえば力の弱い精霊なんてただの有象無象の集まりだろ」
ブラッドリーの強気な発言に、スノウとホワイトは目をパチクリさせた。
「まぁ、それは」
「そうなんだけど」
双子は繋いでいた手を解いて、ブラッドリーに胡乱な目を向ける。
「変な気を起こすでないぞ。春の国に手を出そうものなら他国が黙っておらん」
「その時はいくら慈悲深い我等と言えど、おぬしの身柄を問答無用で拘束して300年ほど氷漬けにするのでそのつもりでいてね」
「延びてんじゃねーか」
ブラッドリーが思わず突っ込むと、双子は、キャッキャッと声を揃えて笑う。口角は上がっているのに目の奥がヒヤリと凍ってるのを見て、ブラッドリーは鼻白んだまま右手をシッシッと顔の前で振った。
「わーったよ。大人しくしてれば良いんだろ」
双子のほんとかなー、心配じゃ、と聞こえるようにヒソヒソ話してるのを無視して、ブラッドリーは外の景色に視線を向けた。
辺り一面の白銀と沈黙の世界だった冬の国とは違い、春の国は様々な色と音に溢れている。
燦々と降り注ぐ陽光を受けて、まるで光り輝くように目に鮮やかな自然の緑。生ぬるい風が大地を走り抜けて、草木を揺らし騒めく音。吹けば消し飛びそうな弱く小さい魔力がそこかしこに溢れ返り、命を紡いでいる。
ピンッと張り詰めた空気と、強者しか生き残れない冬の国の矜持が好きなブラッドリーにとって、春の国の腑抜けた空気は肌に合わない。しかし、春の国の雰囲気は、ブラッドリーが探し求める空色が持つ気配とよく似ていた。
(俺を助けたのは、春の国のヤツで間違いねえな)
そもそも春の国の特産である蜂蜜酒を持っていたこと、冬の国と春の国の国境地帯である『雪解けの渓谷』に居たことから、春の国の民である可能性は高かったが、実際に春の国へ足を踏み入れて、ブラッドリーの推測は確信に変わった。
「それにしても、おぬしが美味しい料理で釣れるとは思わんかったぞ」
「ああ?」
思考の海に深く潜っているときにホワイトに声を掛けられ、ブラッドリーは眉間に皺を刻んだ。
「確かに、ホワイトの言う通りじゃ。昔は食事にそれほど興味があるようには見えんかったぞ。いつからそんな文化的になったんじゃ?」
スノウとホワイトに指摘されて、ブラッドリーはふと己の嗜好を顧みる。
確かに、昔のブラッドリーは食に関して興味がなかった。衣食住の内、衣と住にはそれなりに拘りがあるが、魔力ある者は料理という形を通してエネルギーを摂取しなくても生きていけるため、食文化というものに関心がなかった。
冬の国はその極寒の大地と弱肉強食の世界故に生き物が少なく、強い魔力を持つモノしか生き残れない。そして、そういうモノは総じて効率の良いエネルギー摂取方法を身に付けている。わざわざ料理という手間を掛けてエネルギーを摂取してるのはただの娯楽、つまり暇潰しである。
スノウとホワイトはあまりにも長く生きすぎているため、しばしば料理という娯楽を通してエネルギーを摂取しているのを見掛ける。
「…冬の国では食えねえもんが食えるなら、春の国に出向くのも悪くねえと思ったんだよ。最近は暴れ回っても刺激が足りなかったからな」
ブラッドリーは心に欠けができたような、何かがスッと抜け落ちてしまったような心地をここ数十年感じていた。無くても生きていけるが、あったことで心が満たされていた何か。強者と闘うことでしか得られない高揚感とは異なる満足感を、ブラッドリーは確かに知っていたはずなのだ。
双子に正直に話す必要もないので適当に誤魔化したら、その返答が気に入らなかったのか、双子は大きなため息をついてこれ見よがしにヒソヒソと話し始めた。
「刺激を求めて暴れられると困るんですけどぉ」
「やっとブラッドリーちゃんに殺し合い以外の新しい趣味が見つかったのかと思ったのにぃ」
「以前と何も変わっとらん」
「我等の封印がうまくいかんかったのかのぅ」
「フィガロにも協力してもらったんじゃが」
不穏な単語を聞いて、ブラッドリーは双子を睨み付ける。
「は?封印?てめえらまた余計なことしやがったのか」
ブラッドリーを始め、ミスラやオーエンといった王族が冬の国で好き勝手してると、双子王であるスノウとホワイトが『おしおき』をする。好き勝手の線引きも双子の気まぐれによるものなので、他者がそれを判断することはできない。ブラッドリーとしては、双子の顔色を伺いながら生きるつもりはさらさらないので、派手に暴れて『おしおき』として氷塊に閉じ込められたり、逃げ果せたりしながら冬の国で生きている。
「「別にー」」
双子が声を揃えてとぼけたことを言うので、ブラッドリーは青筋が浮かびかけたが、ここで食い下がるとあのニヤニヤとした気色の悪い笑みを浮かべてこちらを弄ぼうとしてくるので、一度怒気を収めて双子を見据える。
双子はブラッドリーの洞見にもどこ吹く風で、馬車の窓から外を見たスノウがキャッキャッと騒ぐ。
「春の国の王都に着いたぞ!春の国の民に我等のキュートな姿を見せねば」
スノウは馬車の窓から身を乗り出し、春の国の民に手を振った。それに応えるように、馬車の外から歓声が聞こえる。愛想を振り撒くつもりはないブラッドリーは、王族のくせに可愛い子ぶるスノウに鼻白んだ。
ふといつもより静かなホワイトに視線を向けると、ホワイトが眉を僅かに困惑させながらブラッドリーを見ていた。
「ブラッドリー、もしやおぬし……」
そう言って何かを考え込むホワイトに、ブラッドリーは眉をしかめる。
「なんだよ」
「……いや、何でもない」
ブラッドリーの問い掛けにホワイトは答えず、スノウの横に並んでスノウと同じように馬車の外に愛想を振りまき始めた。ホワイトの反応からして何でもないわけなかったが、一度誤魔化されたらいくら食い下がっても望む答えは得られない。ブラッドリーはモヤモヤとする感覚を一度空気と共に吐き出し、双子が陣取ってるのとは反対側の馬車の窓から外に視線を向けた。
王都が近付くにつれ、春の国は人の営みが盛んになっていた。老若男女、個々の魔力は冬の国の民に大きく劣るが、何よりその数が多い。人の営みの傍には精霊が寄り添っていて、二つの種族が共生していた。
この国のどこかに、ブラッドリーが探し求める空色が居る。
「王宮が見えてきたぞ」
スノウの声にブラッドリーが馬車の前方に視線を向ければ、他の建物とは明らかに異なる大きく荘厳な王宮が現れた。その王宮の北方、西方、南方にそれぞれ王宮より幾回りか小さな宮殿が建っている。
「王宮の周りに宮殿が三つ建っておるじゃろ?あれが『春の三柱』の住まいじゃ」
「西方にある『一の宮』は秋の国との国境を守護する『一の柱』の社」
「北方にある『二の宮』は冬の国との国境を守護する『二の柱』の社」
「南方にある『三の宮』は夏の国との国境を守護する『三の柱』の社」
二重唱のように語るスノウとホワイトを横目に、ブラッドリーは北方にある『二の宮』に視線を向けた。
(北の国との国境を守護する『二の柱』か)
ブラッドリーと空色が逢ったのは、北の国と春の国の国境地帯である『雪解けの渓谷』だ。国境の守護者ならあの場所に居た空色について何か知っている可能性がある。あるいは———。
北方から来たブラッドリー達が乗る馬車は『二の宮』の横を通り過ぎ、王宮へと向って行った。
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「…ちっ、あのジジイ共」
春の国の王城に到着し、春の国王の出迎えを受けた後、ブラッドリーは早速空色を探しに行こうと思ったが、条約の締結やら延長やら何やらある双子が、自分達が居ない間にブラッドリーに暴れられたら困るからと、貴賓室に結界を張ってブラッドリーをその中に閉じ込めた。
他国の王族を迎える貴賓の間は、それに相応しい絢爛な造りをしていた。ブラッドリーが居るのが冬の国の王族専用の貴賓室なのか、シャンデリアや柱、調度品の細部に至るまで冬の国の意匠が施され、飾られている絵画も冬の国がモチーフになっているものだった。
ブラッドリーは室内をあらかた見回った後、5人は座れるソファにどっかりと腰を下ろした。ブラッドリーがソファに座ると同時に目の前のテーブルにセットされていた茶器がふわりと宙に浮き、ひとりでにカップに茶を注ぎ始めた。湯気を立ち昇らせるカップはそのままブラッドリーの方に飛んで来て、ブラッドリーの胸の前でピタリと停止する。
鼻腔をくすぐる香りはあの蜂蜜酒と同じ甘い蜂蜜の香りだ。ブラッドリーは思わずカップに手を伸ばし中身を一口嚥下したが、匂いは同じでも味は全く異なるそれに眉をしかめた。ブラッドリーはカップをソーサーに戻し、足を投げ出してソファの背もたれに大きくもたれかかると、カップはまたふわふわとテーブルに戻っていった。テーブルには他に、見慣れない果物や菓子が器に綺麗に盛られていたが、ブラッドリーはそのどれにも食指が動かず、思考の海に潜るために目を閉じた。
(俺を助けた空色は春の国の民で、魔力もそこそこあったから人間ではなく精霊の可能性が高い。春の国で人型を保てる精霊は上位精霊しかいない)
ブラッドリーは『雪解けの渓谷』で逢った者について回想する。気怠そうな男の声で、その魔力は暖かく、どこか懐かしいと感じた。夜から朝に向かうような狭間の空色の髪を持ち、燦々と降り注ぐ陽光を受けて、まるで光り輝くように目に鮮やかな春の国の緑を身に纏っていた。そして何より、上等な黄水晶と同等、いや、それ以上の輝きを宿した蜂蜜色の瞳。
ブラッドリーは魔法で透明なガラス瓶を呼び出した。中身は腐らないように魔法をかけて保存してある『蜂蜜酒』が入っている。これがブラッドリーの探し求める者が残した唯一の手掛かりである。
そして続いて、ブラッドリーは魔法で『氷雪花』を呼び出した。春の国の精霊は花好きという情報を双子から聞いて、ブラッドリーが冬の国の豪雪地帯から手土産として採ってきたものだ。『氷雪花』は強い魔力を持つ冬の国にしか生息しない植物だが、春の国で生息していたものが冬の国に種子を飛ばして突然変異したものとも言われている。その身を寒さと雪から守るために魔力で花全体を覆っており、その影響で花本来の色を目にすることはできず、まるで氷でできた花のような見た目から『氷雪花』と呼ばれている。ブラッドリーも何故この花を手土産に選んだのか、明確な理由が曖昧である。ただ、春の精霊に花を渡すとしたら、この『氷雪花』にしようと心にスッと浮かんだのだ。
ブラッドリーが自身の思考を反芻していると、貴賓の間の扉の外に双子の気配を感じ、ブラッドリーは『蜂蜜酒』と『氷雪花』を魔法でサッとしまう。次の瞬間、扉がけたたましい音を立ててバーンッと開かれた。
「ブラッドリーちゃんお待たせ!」
「いい子で待ってた?」
自分達の理想通りに事が進んだのか、機嫌の良さそうな双子が貴賓の間に入って来た。
「とっとと俺様をここから出せ」
ブラッドリーがソファから立ち上がって扉の方に歩いて行くと、双子はニコニコと笑いながら互いの指を絡めて高々と宣言する。
「「お待ちかねの『四国の宴』じゃ!」」
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『四国の宴』が行われる場所は、王宮の東方に広がる広大な森を臨む平原で行われた。小高い丘を囲むように、春夏秋冬のそれぞれの王族がくつろげるように大きなパラソルが設置されている。パラソルから垂れた薄い布地のカーテンが、高貴な身分の者の姿を他者の目線から少し隠す役割を果たしていた。柔らかな蔓で作られたハンモックチェアに座りながら、ブラッドリーは周囲を見回す。
小高い丘を中心として、王族の居るパラソルの外側には春夏秋冬の食材が使われた様々な国の料理が並べられたテーブルがある。料理が並べられてるテーブルの周辺には小さな丸テーブルがいくつも置いてあり、そこで立食しながら談笑できるようになっているようだ。王族の居るパラソルの下にはある程度の料理が並べられていたが、早々に食べ終わったスノウとホワイトはおかわりをしに各国の料理のテーブルに遊びに行っている。料理は別にまずくはなかったが、心が震えるような感動を特に味わうことなく食べ終わったブラッドリーは、今は各国の酒やワインをひたすら呷っている。
当然、北の王族専用のパラソルに案内されるなり、ブラッドリーはまず料理より春の国の名物の蜂蜜酒に手を出した。春の国の料理が並べられているテーブルにまでわざわざ出向いてそこに置いてあった全ての蜂蜜酒にも口を付けたが、あの時に味わった『蜂蜜酒』はテーブルに並べられていないことが分かった。唯一の手掛かりである『蜂蜜酒』について知るには、やはり『一の柱』に訊ねるしかないようだ。
春の国の料理が並べられてるエリアからワッと歓声が上がり、何事かとブラッドリーが視線を向ければ、儀式の時に着るような装飾の多い衣装を身に纏った人物が春の国の貴族に囲まれていた。その人物は貴族たちの称賛を受けながらもその輪からスルリと抜け出し、春の王族が居るパラソルの前に行き言葉を交わしている。そのまま観察していると、言葉を交わし終わったその人物は真っ直ぐブラッドリーの居る北の王族専用のパラソルに歩いて来た。パラソルの下に辿り着き、薄いカーテンの隙間から中を窺った人物は、スノウとホワイト以外の王族が居ることに驚いたのか一瞬目を丸くしたが、すぐにその表情を取り繕いにっこりと挨拶をした。
「お初にお目にかかります。私は『春の三柱』の内の一柱を務めるシャイロック。どうぞお見知りおきを」
漂う魔力の気配、本人の立ち居振る舞いから、この色男が幻惑魔法の使い手の『一の柱』だと気付いた。ブラッドリーが目的を達成するための足掛かりとして、早速当たりだ。
「俺は北の王族のブラッドリー様だ。『一の柱』さんよ、てめえは春の国の酒の流れを取り仕切ってるんだってな」
ブラッドリーは冬の国の特産の雪解けぶどうのワインを魔法で取り出し、『一の柱』にラベルが見えるようにテーブルの上に置く。手土産として『氷雪花』もあったが、この花の出番はここじゃないと予感して、ブラッドリーは雪解けぶどうのワインだけを『一の柱』に差し出した。『一の柱』はワインにチラリと視線を送った後、ブラッドリーの手土産の意図に気付いたのか、うっすらと微笑んで話の続きを促した。
「はい。他国への酒の取引は私が行っております」
「つまり、春の国で作られた酒についてはあんたが一番詳しいってことだな」
ブラッドリーは魔法で『蜂蜜酒』を取り出し、雪解けぶどうのワインの横に並べる。『蜂蜜酒』を見たシャイロックは先ほどよりも分かりやすく表情を変えた。
「この『蜂蜜酒』がどこで作られたものか知りたい」
ブラッドリーはシャイロックに『蜂蜜酒』を飲んでもらうためにガラス瓶の栓を開けようとしたが、シャイロックは首を振ってそれを止める。
「その『蜂蜜酒』の色、帯びる魔力……、私はその『蜂蜜酒』をどなたが作ったのか知っています」
期待してなかったわけではないが、想定以上の大当たりにブラッドリーは思わず立ち上がる。しかし、そんなブラッドリーを制してシャイロックは穏やかに告げた。
「ですが、その人物を貴方にお教えするわけにはいきません。貴方が何故、その『蜂蜜酒』を持っているのか、どうして『蜂蜜酒』を作った人物を探しているのか、私は何も知りませんから」
この手の男は、脅しても口を割らないことは分かっている。しかし、ここで空色に繋がる道が途絶えてしまっては困る。ブラッドリーは一瞬の逡巡の後、正直に『蜂蜜酒』について告げた。
「……俺が『雪解けの渓谷』で氷塊に閉じ込められていたとき、その氷塊の魔法を解いて俺を助けてくれた奴が居た。髪の色は夜から朝に向かう狭間の空色で、瞳の色はこの『蜂蜜酒』と同じ色で綺麗な黄水晶。そいつは俺を閉じ込めていた氷が解ける前に姿を消した。そんで、そいつが残していったのがこの『蜂蜜酒』だ。ここに出ている蜂蜜酒は全部飲んだが、この『蜂蜜酒』と同じものは一つもなかった。つまり、この『蜂蜜酒』がどんでもなく貴重な代物で数を用意できないか、もしくは一個人が作った代物だろ」
シャイロックは神妙にブラッドリーの推察を聞いた後、黒いまつ毛に縁取られた目を静かに伏せて、独り言のように呟く。
「なるほど…、貴方があの子の……」
シャイロックは納得したよう頷くと、ブラッドリーと視線を合わせた。
「事情は分かりました。そういうことでしたら、私の方から二人の逢瀬を邪魔するような無粋な真似は止めておきましょう。自分を助けてくれた見ず知らずの誰かを探し求めて、春の国までいらっしゃった貴方にも免じて」
シャイロックに改めて自分の行動を言葉で説明されると、ブラッドリーは自分の執着具合に些か戸惑う。けれども、空色に逢いたいという想いは少しも変わらなかった。
「そうですね。立ち話では情緒がありませんから、改めて席を設けましょう。生憎、私はこの後にやることがあるので、それが終わった後すぐにでも」
ブラッドリーは今この場で答えを知りたい気持ちはあったが、お宝を目の前にして平静さを失うと手に入れられるものも手から零れ落ちてしまうことが分かっていたので、シャイロックの言葉に肯首した。
「そのやることとやらはいつ終わる?」
「そうお時間は取らせません。『春の三柱』として『春の舞』を披露させて頂くだけですから」
「『春の舞』?」
聞き慣れない単語にブラッドリーが片眉を上げると、シャイロックは意味深に微笑んだ。
「『春の舞』は『春の三柱』によって行われる、澱みを祓い場を浄化する儀式です。私と他二人の『春の三柱』で、儀式を披露させて頂きます」
楽しみにしていてくださいね、とシャイロックは言い残し、雪解けぶどうのワインを持ってブラッドリーの居る冬の王族専用のパラソルから出て行った。おそらく、隣の秋の王族専用のパラソルに挨拶に行ったのだろう。ブラッドリーはハンモックチェアに座り直し、高揚が抑えきれずニヤリと笑った。
(……もうすぐ、あの空色に手が届く)
高揚した気分のまま、ブラッドリーは手元に残っている酒を飲み干した。
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宴もたけなわになった頃、シャーンッという高い鈴の音が平原の隅々にまで響き渡った。その鈴の音に人々がワッと一瞬湧きたった後、全員がぞろぞろと宴会場の中心にある小高い丘を囲むように集まりだした。各国の王族専用のパラソルの目の前に小高い丘があるため、ブラッドリーがわざわざ移動する必要はなさそうだ。
「『春の舞』じゃ!」
「今年も楽しみだのぅ」
各国のエリアを遊び歩いていた双子もパラソルに戻ってきた。これからあの小高い丘で始まるのが、シャイロックが言っていた『春の三柱』による『春の舞』らしい。
人の移動が完了し、大勢の人間がこの場に居るとは思えないほどの静寂が場を支配したとき、それは突然耳に飛び込んできた。
シャーンッという鈴の音と共に、春の民が奏でる楽器の音色と自然が生み出す春の息吹きに乗って、女のような男のような声が知らない唄を紡ぐ。ブラッドリーも聞き馴染みがある言葉と、全く分からない言葉の波。その波長が重なり合い、場の空気を変える。春の国の古代語は、耳に優しい音をしていた。
音楽に合わせて、宙からふわりと人影が丘に降り立つ。
薄黄色と深緑色と、―――夜から朝に向かう狭間の、空の色。
ブラッドリーが探し求めていた相手が、目の前に居た。
8つの剣を魔法で操りながら、舞い踊る空色。時に力強く、時にしなやかに身体を動かしながら、剣を捌いていく。剣がひらめく度に日の光を受けて刃が輝き、柄から垂れ下がる長い飾り紐が、腰のヴェールと共に宙を翻る。草地を踏みしめる度に魔力の波紋が広がり、緑一色だった草原に次々と色鮮やかな花が咲き乱れていった。
花びらの波の中で舞い踊る空色に、ブラッドリーは目を奪われた。そんなブラッドリーの視線に惹き寄せられるように、空色の視線がブラッドリーを捉えた。蜂蜜色の綺麗な黄水晶と目が合った瞬間、ブラッドリーの脳内に数多の記憶が流れ込んできた。
〈うわっ!?あんたこんなところで何やってんだよ〉
〈うるせー……ほっとけ……〉
〈そんな血だらけでほっとけって言われても、こっちの寝覚めが悪いよ……。取り合えず簡単に手当てするからさ〉
〈………〉
〈あんた、冬の国のやつだろ?ここは春の国との国境地帯だし、あんまり面倒事を持ち込まないでくれよ〉
〈…てめえは春の国の奴だな〉
〈まあね〉
〈…春の国の奴がこんなところで何やってんだよ〉
〈まあ、『仕事』ってやつかな、と、ほら一応簡単な手当てはしといたよ。ちゃんと冬の国に帰って養生しな〉
ミスラとやり合って満身創痍になって『雪解けの渓谷』に倒れていたところを助けられた、初めて逢った時の記憶。
〈……あんたまた会ったな。今度は怪我してないな〉
〈うるせー、ありゃたまたまだ〉
〈どうだが〉
〈そういうてめえこそ、……?、何か甘い匂いするな〉
〈え?、あぁ、………、これのことか〉
〈んだ?それ〉
〈春の国の名物の蜂蜜酒。でもこれは………〉
〈寄越せ〉
〈……は?、っおい!勝手に飲むな!〉
〈ぷはっ!んだこれ!!めちゃくちゃうめぇ!!!〉
〈………マジ?〉
〈マジも大マジだぜ!…んだよ、自分の国の名物が誉められてんだからもっと嬉しそうな顔しろよ。何だその腑抜けた面は〉
〈……いや、だって〉
〈だって何だよ?〉
〈…………〉
〈いいから言ってみろ〉
〈……………それ、俺が作った〉
〈マジかよ!!だったらもっと嬉しそうな面しろって!〉
〈……ただ趣味で作ってみただけで、人様に飲ませられるものじゃない〉
〈何をグチグチ悩んでんのか知らねえが、王族の俺様を満足させられる酒を作れんだぜ?もっと自分の腕に自信を持てよ〉
〈…………〉
〈何だよ〉
〈………あんた王族なの?〉
〈気になるところはそこかよ!〉
飲んだ蜂蜜酒の美味さに感動して、初めて食に興味を持った記憶。
〈……一応、色々持ってきたけど〉
〈よっしゃ!早く食わせろ!〉
〈何でお前そんな偉そうなの〉
〈王族様だからな〉
〈はいはい。料理は逃げねえからゆっくり食えよ〉
〈おっ、この茶色いのは何だ?こっちの液体に浸かった赤いのは?〉
〈分かった分かった!ちゃんと説明するから!〉
手作り料理を腹いっぱい食って、身も心も満たされた記憶。
〈はーっ、食った食った。やっぱてめえの料理は最高だな!〉
〈そりゃどうも〉
〈なあ、来年もここで逢おうぜ〉
〈……え?〉
〈そろそろ『春』が終わって、またここら一帯は雪で覆われる。春の国の奴には冬の雪はキツイだろ。だからまた来年『春』が来て、雪が解けたら、ここで逢おうぜ。また美味い飯食わせてくれよ〉
〈……別に俺の飯を食わなくたって、お前は王族なんだから冬の国で好きなだけ美味いもん食えるだろ〉
〈俺はてめえの飯が食いたい〉
〈………っ〉
〈約束だからな〉
来年も逢おうと、初めて約束した記憶。
〈………ほんとに来た〉
〈よう!一年ぶりだな!今年はどんな美味いもんを食わせてくれんだ?〉
〈……っ、てめえが飽きたっつうまで食わせてやるよ!〉
〈はっ!臨むとこだぜ!〉
一年ぶりの逢瀬の約束が果たされ、何かが吹っ切れたような表情を初めて見せてくれた日の記憶。
〈へぇ……、冬の国には変わったもんが色々あるんだな〉
〈魔力の強いモノが生き残ってる国だからな。生き物の数だけ変わったもんがある〉
〈植物はどうなんだ?やっぱり冬の国の寒さは厳しいもん?〉
〈そうだな、てめえの国と比べたら圧倒的に緑は少ないな。……あ、だが『氷雪花』っつう冬の国で咲く珍しい花がある〉
〈『氷雪花』?〉
〈興味あるか?強い魔力を持った花で、その魔力で冬の寒さと雪から身を守ってる。そのせいで花本来の色が分かんなくなっちまってて、見た目が氷の花みたいだからって『氷雪花』〉
〈…………〉
〈ふっ、今度持ってきてやるよ〉
〈いや、別にそこまでしなくても……〉
〈俺も気になるからな。冬の厳しさがない春の国なら、花も魔力で身を守る必要がねえ。『氷雪花』の本来の花の色を見ることができるかもな〉
〈…………〉
〈楽しみにしてろよ〉
『氷雪花』を持ってくる約束をした、二人の逢瀬の最後の記憶。
様々な記憶が、ブラッドリーの脳内を駆け巡った。そしてブラッドリーはこの最後の逢瀬を境に、『雪解けの渓谷』に足を運ぶことはなくなってしまった。一番心を震わされた記憶たちを、雪の中に封印されてしまったことによって。
ブラッドリーがハンモックチェアから立ち上がると、横で『春の舞』を見ていたスノウとホワイトが驚いてブラッドリーに声を掛ける。
「ブラッドリーちゃん?」
「急に立ち上がってどうしたのじゃ?」
双子の声を無視して、ブラッドリーの視線はただ一点を見つめていた。
『春の舞』は終盤に差し掛かったのか、森厳な音楽と共に『春の三柱』が小高い丘の頂上に向かって集まっていく。
両手に小さな扇を持った『三の柱』が、身体をしなやかに大きく動かし、何かをかき集めるように手首を翻しながら、丘の頂上へ舞う。
『三の柱』が集めた何かを叩き切るように、『二の柱』が8本の剣の刃を煌めかせる。
『二の柱』の刃の煌めきを受け、『一の柱』が腕に掛けていた大きな薄い布を宙に広げる。太陽の光を浴びた大布は、そよ風が吹くたびにその大きな身体を揺らめかせ、光の天体現象のように次々と色を変える。
大布が音色に合わせてうねり、色を変え、形を変え、人々の目を楽しませた後、最後は何かを包んで光輝と共に消失した。
一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手が宴会場を包み込む。その中心に居る『春の三柱』は、拍手に応えるように大きくお辞儀をした。そして、四方の王族席に向って順番にお辞儀をしていく。まず、春の国、続いて夏、秋ときて、最後に冬の国。
ブラッドリーは『二の柱』をジッと見つめる。そして、確信した。『二の柱』は、ブラッドリーのことを覚えている。『春の舞』の最中、一瞬だけ二人の視線が交差した。なのに今は、『二の柱』が頑なにブラッドリーと目を合わせようとしない。
(てめえはどんな想いで『春の舞』をしてた?数十年前に約束したきり逢いに来なくなった俺を『雪解けの渓谷』で見つけたとき、てめえはどんな想いで俺を助けた?約束を果たしもせずに『四国の宴』に現れた俺を見て、てめえは何を想った?)
心の中でいくら問い掛けても、口に出さなければ相手にそれは伝わらない。それでもブラッドリーが『二の柱』を見つめ続けていると、平静を装っていた『二の柱』の表情がわずかに崩れた。それを見たブラッドリーは、たまらなくなってその場から駆け出した。
「ネロ!!!!!」
その名をブラッドリーが大声で呼ぶと、驚きと困惑に見開かれた蜂蜜色の黄水晶と目が合った。その宝石を捕まえるように、逃がさないように、ブラッドリーは腕の中にネロを閉じ込めた。
「えっ、え、なに……?」
気怠げな声と、ブラッドリーの心に馴染む魔力。そして、数十年ぶりに味わう、ネロのぬくもり。ブラッドリーは数十年分の心の欠けを埋めるように、ネロの存在を全身で堪能した。
「なぁスノウよ。我、気付いちゃったんじゃが……」
「奇遇じゃなホワイト。我もじゃ」
「我等が封印したブラッドリーちゃんの『一番心が動かされたこと』って、」
「ネロちゃんとの記憶だった?」
双子は、ブラッドリーの強者への闘争心を封印して少し落ち着かせる算段だったようだが、ブラッドリーにとって『一番心を動かされたこと』が『戦闘』ではなく『ネロ』だったのが双子にとっての大誤算で、そのせいでブラッドリーの中にあるネロの記憶が全て封印されてしまった。しかし今、ブラッドリーはネロの記憶を全て取り戻した。『ネロ』によって、記憶の封印が解かれたのだ。
双子は後で殺すとして、今はやっと掴むことができたネロを抱きしめる腕を強くする。ネロの後ろで、『一の柱』が「おやおやおや」と言い、『三の柱』が「まあまあまあ!」と叫ぶ。周囲も何事かとザワザワと騒めいていたが、ブラッドリーはそんなことは気にせず、ネロを腕の中に閉じ込め続ける。先に耐えられなくなったのは当然ネロの方で、ブラッドリーの服をぐいぐい引っ張って離れるように促す。
「あんた、突然なに…っ」
「名前」
ネロの身体を離さないまま、ブラッドリーがネロの言葉を遮ると、ネロはポカンとした表情をした。
「前みたいに名前で呼んでくれよ」
ブラッドリーが何を求めているのか分かったのか、ネロの頬がじわじわと赤くなる。そのまま促しもせず、急かしもせずに辛抱強く待っていたら、消え入りそうな声でネロがぽつりと呟く。
「…………ブラッド」
「ん」
赤くなったネロの頬を隠すように、ブラッドリーの肩にネロの顔を引き寄せれば、ネロは大人しくそこに顔を埋めた。頬の赤みが引くまでしばらくそうしていた後、ネロは恐る恐る顔を上げてブラッドリーに問いかける。
「なあ、ブラッドは俺のこと……」
そこまで言って、ネロは口を噤んでしまった。繊細なネロの心を傷付けてしまったこと、その元凶はあの双子だが、これから時間を掛けてゆっくりとネロの心を癒していこうと、ブラッドリーは心に誓った。
「詳しいことはまた後で話す。だがこれだけは先に言わせてくれ。遅くなって悪かった、ネロ」
まだ不安げにブラッドリーを見上げるネロに向って、ブラッドリーはニッと笑顔を向ける。
「あの日の約束を果たしに来た」
ブラッドリーはネロを解放し、一歩距離を取る。そして、魔法で『氷雪花』の花束を取り出し、跪いてネロに差し出した。
「約束、覚えてるか?」
ブラッドリーの言葉にネロは眉を下げて苦笑いした後、『氷雪花』の花束をそっと受け取って言った。
「てめえの方が忘れてたんだろうが」
「違いねえ」
ブラッドリーとネロはくすくす笑って『氷雪花』の花束を見下ろす。春の国の日の光を受け、『氷雪花』はキラキラと輝いていた。
「ブラッドの言ってた通り、本当に氷の花みたいだ………あ、」
ブラッドリーとネロの目の前で『氷雪花』の魔法が解けて、花本来の色が姿を現した。氷が解けた花を見つめて、ブラッドリーは嬉しそうに目を眇める。
「へぇ、この花は本当はこんな色をしてんのか」
そこには、これから先の未来、互いに一番多く見つめ合うことになる瞳と、よく似た色の花々が咲き誇っていた。