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    karehari

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    karehari

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    キスディノ習作
    飲んでピザ食って喋ってるだけ

    キース・マックスは拗らせているアカデミーで声をかけられた日のことは今もよく覚えている。毎日それとなく陰鬱で消極的、人と交わらない生活を送っていたキースの視界に一筋、光が差したようなそんな心地だった。
    うかつにも始まった当たり前と化した日常と、それが突如壊れたあとの絶望。まだ当分褪せそうにない記憶が不意に甦って、酒瓶を傾ける手がぞくりと震えた。この一杯でおしまいにしような、と子供を相手するみたいに言ったディノは今、トースターの前で香ばしい匂いが漂ってくるのをうきうきと待っている。
    可愛い。そう思ってからキースは暇している方の手で額を押さえた。二十八の男に対して可愛いとはなんだと自問したとて、片想いの年月が長いのだから仕方ないだろうと諦めまがいの納得が生じる。
    キース・マックスは拗らせている。

    「キースも食べよう!ピザ!」
    「食べねえよ何時だと思ってんだ……」

    もうじきに日を跨ぐであろう掛け時計をそろりと見て、次にキースに目を向けるディノはこんな時間にでもがっつく気満々で、てっきり一緒につまんでくれると思っていた隣人に断られて途端に焦り始めた。お酒のお供に!とか今ならもう一ピース!とかノルマ持ちの試食販売員さながらの薦め方をしてくるので少し面白い。

    「オレはお前ほど強靭な胃袋してねえの。明日に響くわ。他を当たれよ」
    「う~ん……でも今晩はジュニアもフェイスもいないし……」

    ライブが近いから、とメンバーと共に泊まり込みで最終調整をするらしいジュニアと、久しぶりにフロアを沸かせに行ったフェイスは不在で、おのずとディノの相手はキースがしなくてはいけない。明日は揃って非番だから誰がどこで何をしようと問題はないので、こちらもたまには二人で飲むかと飲み始めたのが二時間前。はじめはキースも酒の肴にとピザをつまんではいたのだが、さすがに限度があった。

    「それ半分残せよ。そんで明日あっためたらいい。いつでも食べられるだろ。胃が凭れてなかったらオレも食ってやるし」
    「……うん、そうだな……そうしようかな」
    「……?」

    いつもとめどなく愛や平和を生み出す口が随分と歯切れの悪い。怪訝そうなキースの目線に気づいたのか美味しい美味しいと慌ててピザを一ピース口に運ぶディノだったが、日頃波立たつことのあまりないくすんだ緑の瞳があまりに真剣に自分へ向くものだから、なんでもないとごまかすことが難しくなってしまった。焼けたチーズの匂いが纏わりつく。

    酔えればいいのに、この男も。そうキースは思う。ディノは逃げることが苦手な性分をしている。立ち向かいさらけ出す方が得意なものだから、その天真爛漫さで相手の心の絡まりを解すことは出来ても、自分の精神を守る膜がどうしても薄い。刃物のように襲い来る暗いうつつに滅多刺しにされないために、酒の力を借りて逃げることは、キースにとって決して悪ではなかった。つい数ヶ月前までの自分がそうだったのだから。

    「なんかあったのか?言えないなら根掘り葉掘り訊かねえけどよ」

    なのでキースはちゃんとディノの逃げ道を用意しておく。このタイミングでは言えないと返されても、なにもないよと笑みを向けられても、そうか、と簡潔に終えてやれるようにだ。だがディノは、キースの把握しているとおりの人間である。

    「……いつかは話そうかなって思ってたんだけど。二人きりのお酒の席なら、いい機会なのかも」

    そう先に自身に言い聞かせるように呟いてから、ディノは真面目な顔でキースを見た。

    「……笑ってもいいから、聞いてくれる?」

    逃げないのだ。ちっとも。


    ディノの見る夢は単色で覆われていることが多かった。向日葵に似た暖かい黄色に包まれて歌い出したくなるような夢を見られる夜は幸運で、覚えている大体は白い部屋と白い男。柔和に見えて冷たく、抗う意思を奪う圧力を持つ赤い瞳に見つめられて身動きが取れない。この場において自分の身体を動かす権利は自分になくて、詰め寄ってくる男との距離がゼロになっても口角ひとつだって動かせない。

    「 」

    頬に触れてなにか囁く真っ白な男と、それに異を唱えることもなく短く頷いて部屋を後にしようとする、思い通りにならない自分。行かないでくれと必死に願っても叶わない。街の人々を、エリオスの仲間を傷つける目的を持って歩き出すディノが憎かった。当の本人なのに、夢を見ているディノはただの第三者で、悲しいほどに無力だ。


    友人の夢見が悪いことは知っていたキースだが、内容まで尋ねたことはなかった。起きたあとまでそれを問うことはディノの一日の妨げになる気がしたからだ。けれどそれは自分が臆病なだけだったのかもしれないと気づいてしまった。

    「……笑えるわけねえだろ、そんな」

    苦い表情のキースと、話し終えて一息つくディノは互いに互いを見ぬまま両手の中のグラスに視線を落としている。飲まれないまま時間が経ってしまったその中身は二、三沈んでいた氷が溶けてきたことで嵩が増して、深夜に傾ける最後の一杯にしては荷が重そうだ。

    「だって、終わったことをいつまでも引きずってるみたいで、情けなくて。こんなに……毎日楽しいのに」

    日々が有意義であるからこそ余計、見る夢との落差に精神が参る。もともとのメンタルがなまじ強い分、ディノは自分の問題は極力自分で解決しようとするので、意外と弱っていることに気づくのが遅れるのだ。

    「情けなくもねえって。隣の部屋で寝てんのに、酒が深い日は起きてもやれないオレのがよっぽど駄目だ」
    「ううん、魘されてるときに起こしてくれることもあるだろ?そのあと寝直すとさ、穏やかな色の夢になることが多くて、朝までぐっすり眠れるんだ。すごく助かるよ」
    「……そうかよ」

    ろくな人間じゃない自分でも、好いた男の深層に潜む世界に色を添えられるのか。ディノにそれが救いであるように、キースにとっても勿体ないくらい、すがりたいほどの希望だ。複雑な感情の交ざりに、グラスの中の色の薄くなった液体をぐっと煽ると、ゆるく喉が焼けた。ディノもまた長い息を吐いたのち、まるで水かジュースでも飲むかの勢いで一気に酒を飲み干す。それでも酔わない性質だから、手持ち無沙汰のようにグラスの外側の水滴をついついと指で掬って集める余裕もあるらしい。そうして濡れた指が思い出したようにピザへ向かうのを、キースは穏やかに止めた。

    「オレも食うわやっぱ」
    「え」
    「一ピースだけな」

    冷めたビスマルクを一つ持ち上げて口に運ぶキースを、驚いた様子で見つめるディノ。同い年にしては大きな瞳がもっと丸くなるのを見て心底ほっとした。秘めた悩みを打ち明ける伏した目だってキースを惹き付けるには充分すぎるくらいだけれど、やはりディノには笑ったり驚いたりと感情豊かな表情が一番似合うし、愛しい。出来れば全部、全部が無理なら半分くらいは自分に向けられるものであればいいのに、なんて勝手なことを思ってしまう。

    「……ぅん?」

    小さく声が漏れるのを聞き、なんだなんだとそちらを見たキースの心臓が刹那跳ねた。自分の手が、ピザを持っていない方の手が、ディノの頬に、添えられている。可愛らしいとかいじらしいとか思ったら撫でる、犬猫に対するそれじゃあるまいしと自分の行動を否定しようとしたとて、体は面白いほど正直に腕を伸ばしていた。

    「キース……?」
    「ピザついてんぞ」

    脳味噌大回転で言い訳を捻り出す。なかなかいい。実に自然だ。多分。

    「そっか、へへ、ありがとな」

    そしてこの罪悪感である。
    親指でキースだけに見えるなにかを拭う素振りをして、名残惜しくも手を離そうとすると、温度の異なる手がそれを制止した。グラスで手遊びしていたからか少しひんやりとしたディノの手は、強いような弱いような力でキースを繋ぎ止める。困惑する鈍い色の瞳と心を透す青い瞳がかち合って、ディノが控えめににひひと笑った。

    「触れてもらえるのが嬉しくて、つい止めちゃった」
    「いやいや、お前あれか、実は酔ってんのか」
    「酔ってる設定にしておいてもらっていい?」
    「設定とか言う時点で嘘じゃねえか」

    本当に酔っているかのような軽妙な言葉のやりとりと挟まる笑顔に、好きだ、なんて迂闊に溢しそうになる緩んだ口を律する。伝えて、断らせて、今後の関係が歪になるのは御免だった。ディノがスキンシップ過多なのは今に始まったことではなく、キースに対してのみに限られているわけでもない。子供の初恋みたいな、相手がこう言ったからきっと自分のことが好き、なんて単純構造の誤解をするには、キースはもういい大人だった。

    「触ってもらえるのが嬉しいとか、エリオスチャンネルとかファンの前で言うなよ。殺到して事件になる」
    「もう。言わないよそんなこと。キースは俺のこと犬かなにかだと思ってるだろ」
    「思ってる思ってる」

    むっとしながらも、キースが頬や側頭部を雑に撫でるのを嫌がらないし、耳に触れると特に気持ちよさげに喉を鳴らす。色気はない。しかし気を許して甘える様子も、他愛のない会話のやりとりも、キースには全て尊いものだった。四年間手が届かず焦がれ、血を吐くほどの渇望を経てようやく奪い返せたそれは、下心が付随して形が少し変容してしまったけれど。

    「というかお前、さっき元気なくなったのは夢のこと思い出してってことでいいのか?」
    「へっ?さっき?」
    「いや元気出たんならいいけどよ」

    キースとしては。隠し事も無理もしてほしくはないし、知って触れて和らげてやれたらいいと思っている。けれどそれは同い年の対等な友人に抱く感情にしてはあまりに傲慢だと理解していたから、ただ彼に健やかに笑顔で暮らしてくれることを願うのだ。
    ディノはというと、キースを見るぽかんとした表情のまま視線を残り半分ほどのピザに移し、なんとなく生ハムの枚数を確認したあとでまたキースに目を向けて、あっ!と声を上げた。

    「な、なんだよ急に」
    「いやその、元気がなかった理由を思い出して……」
    「えぇ……お前忘れてたのかよ……てかなんだよその顔」
    「思い出したらなんか、えっと……恥ずかしくて……」

    恥ずかしい理由と言われると俄然気になってくるもので、あれだけ奥ゆかしいほどの労りを持っていたキースだってそりゃあ流石にディノを半目で見つめたりもする。視線に耐えられなくなったディノがぼそぼそと口を開く。

    「……キース、言ってくれたよな。ピザはいつでもあっためられるから明日食べようって。俺も食べてやるからって」
    「おお……?まあ言ったけどよ」
    「それがその……嬉しくって」
    「明日もピザ食えるってことがか?お前いつも食ってんじゃねえか」
    「そうなんだけど、そこじゃなくて、さ」

    「今日した約束が明日守れること。いつでも好きな人達と好きなものを食べられること。ぜんぶぜんぶ、嬉しくて……ああ、幸せだな……って思ったんだ」

    はにかみ、くしゃりと儚くなる表情に心臓が潰れそうになる。反射的に抱きしめようと伸ばしたがる腕を、力を入れることでなんとか止めた。キースにとってそうであるように、ディノにとっても今享受出来ている当たり前の日常は、四年間自己の意識さえ虚ろなまま一方的に奪われ続けていたものだ。奪われたことさえろくに理解できていなかったのかもしれない。あんまりではないか。

    悲しまなくていいんだよ、キース。と優しい手指が髪を鋤く。先ほど彼がしたように頭を、耳の後ろっかわを撫でて頬に触れるディノの掌の温度が心地よくて、ちょっとだけ涙が滲んだ。

    「あーあくそ、飲み過ぎたわ……」
    「あはは、お酒はもう少し早くおしまいにしておけばよかったな」

    全部分かっていそうなディノの笑い声に甘えて、触れる手に手を重ねると、そのあたたかさにディノが今度こそ陰りなく笑った。

    「あのさキース。俺いま本当に幸せだよ。だから、失ったことや失うかもしれないことばかりをもう怖がらない。キースやブラッドやルーキー達、エリオスの皆や街の人達との時間を取り零さず過ごして生きていきたいから」

    アカデミーで出会い、構われ、いつの間にかブラッドも含め友人と呼べる関係になったキースはディノに沢山のものを教えてもらった。好物を食べると幸せになれること、休日昼間の街で友人と遊ぶのが楽しいこと、人を信じること、笑って生きていいということ。もうキースだってディノと同じような気持ちだった。だから、ああそうだな。と頷き誓う。大切なものはこの手から奪わせない、二度と。

    「あと、さ」

    しみじみと思いを馳せていたキースがそのぽそりとした呟きに視線をやると、朱の差した表情のディノがいて。けれどこちらを見てはおらず、ずっと空っぽのグラスの中身を、まるで見つめてさえいれば次の液体が湧いてくるんじゃないかと信じているように、その中身をじっと見ていた。赤面と合わない視線。ちっとも察することが出来ないこのあとに続く言葉。それでも、キースにしたらなんにも怖くはなかった。なんだって受け止める準備は整っている。万が一交際している女がいると白状されたとて、驚きこそすれ祝福しない選択肢はない。考えただけで心臓が痛むが。

    「明日にしろよって言われて、そういう風に思ったのが半分と……」
    「ん?もう半分はなんだよ」
    「……キースと」

    俺と?と首を傾げるキースを、ついに空色の瞳が捉える。

    「キースと二人きりの時間が終わっちゃうのが寂しくて……」

    ディノの感情を構成する成分のもう半分があまりにも強くキースの心臓を射る。抉ると言った方が正しいくらいの衝撃に、キースは顔を覆った。だが彼の大きな掌でも片手ではろくに表情など隠せない。はくはくと動揺して閉じない口も、酒の影響のみではなさそうな赤い頬と耳も。

    「おま……お、お前なあ……」
    「だ、だってキースと二人なんてなかなかないじゃないか……!勿論みんなと楽しく過ごすのも大好きだけど、キースとゆっくり飲む夜も、なんだかその、特別なかんじがして……大好きなんだ」
    「……特別とか大好きとかそんなこと言ってっと、勘違いするぞ」

    口が滑った自覚がキースにはあった。爛れた感情がないのならここはもっと軽いトーンで「俺も嫌いじゃない」とか「まあ長い付き合いだもんな」とか友人関係を逸脱しない返答が出来たはずだ。勘違いするぞ、というのはつまり勘違いしたいということに他ならない。察しのいいディノがなにか深掘りしてくる前に上手く冗談だと笑わなければいけなかった。しかし誤魔化す言葉を放つのが少し遅れた。

    「勘違いもなにも、俺はキースが好きだよ」
    「は、」
    「勇気出したのに」
    「え、」
    「キースは俺じゃダメ?」
    「待て、待て待ってくれ」
    「待ってたら夜明けちゃうなあ。明日休みだし、俺は朝までキースといられるの嬉しいけど」

    あまりに包み隠す気の更々ない好意にキースが惑う。それでもまだ自身に都合のいい夢や幻覚なのではないかとも思ってしまうのは、酒が入っているからか。けれど。

    「キースにとっての俺は……やっぱり友達でしかない?」

    ここまで言われたら全力投球で迎え撃たなければ男ではないだろう。

    「オレはお前のこと、やらしい目で見てる」

    明け透けである。酒は偉大だ。真面目な面して男友達にこういうことが言い放てる。キースは素面に戻ったときのことを考えるのはやめにした。ところでこんな性的な意味を孕む返事をされたディノが今どういう顔をしているかというと。

    「にひひ、知ってた!」

    満面の笑顔である。大っぴらなキースの台詞に恥ずかしがって真っ赤になるようなこともなく、存じていたなどとにこにこ告げる。本当に色気のない男だ、ディノは。
    だがキースが好きになったディノは結局そういう人間なのだ。口ぶりから察するに、キースが己に向ける恋愛感情にとっくに気づいていたのだろう。恥ずかしくて真っ赤になるのはこっちだ。

    「……いつから気づいてた?」
    「キースのこと好きだなって思う自分の目と、俺のこと見ててくれるキースの目から感じる……なんていうか、温度が、似てるなって思ってさ」
    「オレのお前見る目なんてドスケベ以外の何物でもねえぞ?」
    「キースのえっち!でも俺もそれはその……同じようなものだし」

    色恋より友情に重きを置いていそうなディノの口からそういった欲の欠片が零れるのを目の当たりにするのは、正直ぐっと来る。

    「でもスケベしかないっていうのは嘘だよな。キース、俺のことすごく大切に見守ってくれてるもん。ああいうことがあったからって過保護すぎず、でも放任すぎず。信頼されてるなあって思えて、嬉しい」
    「目は口ほどに物を言うってコトワザ、前ブラッドが言ってたわ……こういうことな……うわ恥ずかし……オレなんかお前が俺のこと好きなんてさっき知ったっつうのによ……」
    「あはは、キース可愛い」

    ふわふわと笑うディノがまたキースの髪や頬を撫でる。なんだか悔しくなったキースがその手を掴んで口元へ運び、指先に気障っぽく口づけていくと、耳まで赤くしたディノの顔が見えたので気分よくにやりと笑みを浮かべた。
    三十前にもなってお互い少年少女みたいな触れあいの応酬だとキースは内心自嘲する。でもそんな恋でいいのだ。

    だってキースのこれは。ずっとあたためていた、紛れもなく初恋なのだから。
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