Ring Ding Dong ―本編— 黒い夜に浮かぶ、橙色の常夜燈。
昼の熱気のなごりの残る常夜神社の参道を、二人と一匹は並んで歩いていく。
「君の浴衣姿もだいぶさまになってきたんじゃないかね。さすが私の仕立て!」
「ヌヌヌヌヌン、ヌッヌイイ!」
「お、おう……ジョンはメロンパンみたいでかわいいぜ!」
ドラルクが転がり込んできて二度目の夏に仕立てた浴衣は、さらりとした肌触りが気持ちのいい赤地に白の縞が格子模様に入ったもの。隣のドラルクが揃いで拵えたのは、同じようなさらさらした布の、濃くて渋い紫がかった紺色に、朝顔みたいな模様の入ったもの。ドラルク曰く、七宝柄という縁起物の柄らしい。ジョンはドラルクの紫の帯と共布で作った帯に、あざやかな緑のマジロ柄の浴衣を作ってもらっていた。
「お前、毎年浴衣作るのやめろよな。俺ひとりじゃ着れないし、そんな何枚もあっても仕方ねえだろ」
「何を言う! ヒナイチ君だって喜んで着てくれているだろう」
「いやあいつは女の子だからいいけどよ……」
「君だって男の子なんだからいいだろう」
こういうものは着れば着るほど味が出るんだから、などと言いながら、ドラルクはからころと下駄を鳴らして石畳を行く。
例大祭夏祭りには二か月ほど早い、六月の終わり。今夜は夏越しの祓の祭りだ。
「夏祭りほどじゃないけど、賑やかだねえ」
「ヌー!」
ぽつぽつと並ぶ屋台を冷やかすドラルクとジョンの主従の背中をやや後ろから追いかけながら、ロナルドも何となく屋台を眺める。夏祭りの騒々しいほどの熱気はないものの、のんびりとした祭りの雰囲気は、これはこれで悪くない。
「今日は仕事じゃないんだから、まずはお参りしてからだよ」
「ガキ扱いすんなばーか」
振り返ったドラルクに揶揄うように言われ、いつものように手刀を叩き込む。
「夏越しの祓は、君らにぴったりの祭りだからね」
「ヌンヌン」
「わーってるって」
しゅるん、と何事もなかったかのように復活したドラルクがうたうように告げる台詞は、ここ数年、毎年のように聞かされることばだ。初めてドラルクの作った浴衣を着たロナルドが連れてこられたのも、この夏越しの祓の祭りだった。
「半年間の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を願う。病気はともかく、怪我の絶えない君にはおあつらえ向きだ」
(……なんで)
楽しげに前を行く紺色の背中を見つめ、ロナルドはふと足を止める。
いつものマントを羽織っていないドラルクの背中は、がっしりと骨張っているのにひどく細くて、見ているだけで不安になってくるほど。
(なんで、俺のことなんか、そんな気にすんの)
自分の方がずっと虚弱で吸血鬼のくせに三食牛乳の食生活をしているくせに、ロナルドには口うるさく三食栄養の整った食事を準備してせっせと食べさせて。
自分の方がずっと貧弱ですぐ死ぬ吸血鬼のくせに、毎年毎年無病息災を願う祭りに連れ出して。
『なんで』の一言が訊けないまま、ロナルドは日々を過ごし、この祭りに連れてこられている。
*
「参拝もさまになっていたじゃないか! ゴリラも反復練習すれば学習するものスナァ!」
「オマエ、ナグル、シヌ。オレ、オボエル」
「最悪の刷り込み学習をするな」
大きな茅の輪の前で一礼して、左に一周、右に一周、そしてもう一度、左に一周。初めて来たときは、足を出す順番から決まっている参拝方法に戸惑ったりもしたが、さすがに何度も来ていれば覚えられる。
「さあって、ジョン~何食う?」
「ヌヌヌキ! ヌヌンヌヌヌヌ!」
「いいな! りんご飴と冷やしパインも買おうな~」
「ヌン!」
参拝を終えれば、あとは楽しい屋台タイムだ。
ジョンを頭の上にのせたロナルドは、うきうきと屋台をのぞいていく。ドラルクが作ってくれる毎日の食事はもちろんおいしいのだけれど、屋台メシには別の味わいがある。
「ほどほどにしときなさいよ」
あきれ顔のドラルクも、今夜ばかりはうるさく言うつもりはないようだ。
「ヌフフ」
「え~っと、きゅうりの一本漬けに、たこせんべい、お好み焼きに牛串に――……」
(あ)
お目当てを探して順繰りに視線を巡らせていたロナルドの頭が、ふと一か所で止まる。
あざやかな原色の看板が連なる屋台の中で、ぽっかりと空いた一角。黒いベロアを張った箱を広げ陳列されているのは、きらきらと光る指輪やネックレスといったアクセサリーだった。
(ああいうの、昔、一度だけヒマリが欲しがったっけな……)
めったにわがままを言わない小さな妹が、おねだりの仕方もわがままの言い方もわからず、ただ黙って並んだアクセサリーの前でじっと両手を握り締めていたのを思い出す。
(確かちょっと高くて、一人分のおこづかいじゃ足りなくって)
ヒマリが欲しがったのは、大きな赤い石のついた指輪だった。
「なあに、欲しいの?」
「!」
ひょい、と突然視界に入ってきた顔を思わず殴る。人の思い出に乱入してくんな。
「いらねえよ。ああいうの、昔、ヒマリが欲しがってたなって思っただけ」
「へえ、ヒマリ嬢がね」
「そ。ちょっと高くてその日の小遣いじゃ足りなくて……そう、足りなくて。そんで結局、俺の分も足して買ったんだ」
おぼろげだった記憶が、じゅわりと甦ってくる。パトロールを終えて迎えに来た兄が、赤い石の指輪をはめて満足気なヒマリと、何も買っていないロナルドを見て驚いた顔をしていた。
『ヒデ、良かったんか?』
『うん!』
確か、本当は、たこ焼きが食べたかったのだと、そんな気がする。だけど、家に帰ってからも飽きずに指輪をはめたちいさな手を眺めていた妹に、ロナルドは満足していた。
「……ねえ、ロナルド君」
「なんだよ」
ドラルクの声の響きに、思い出に浸っていたロナルドは気づかない。ロナルドの頭の上ジョンだけが、ヌァ……、という顔でおおきな弟の髪をつかむ。
「あれ、私が欲しいって言ったら買ってくれる?」
「は?」
ぎょっとして振り返ると、にっこりと作りもののように完璧な笑みを貼りつけたドラルクがロナルドを見つめていた。
(こいつ、いま、なんて?)
唐突なおねだりに呆然としているロナルドの左腕に、するり、とドラルクの腕が絡みつく。
ふわり、まとわりつくのは線香のようなドラルクの匂い。
「ミ゙ピャ⁉」
「最近のおもちゃって、きれいなんだね。私も欲しくなっちゃったなぁ」
言いながら、ロナルドの腕を掴んだドラルクはずんずんとアクセサリーの屋台の前までロナルドを引きずっていく。
「おっ、おま、おま……は? え?」
ドラルクの言う通り、そこに並ぶ指輪は、かつておもちゃと言えばイメージされたチープでおおきなプラスチックの石が輝いているものと違って、小ぶりながらもしっかりと光が入るようにカットされたガラスがはまっていて、ちょっとしたおしゃれ雑貨店に並んでいそうな雰囲気だ。
しかしロナルドの方は、それどころではない。
(なっ、なんで? なんでゆびわ? なななんで、こんな、こんな、近……ッ⁉)
こんな風に、近づいたことなんてないのに。
浴衣の薄い布越しに感じるのは、骨と皮ばかりだけれど、他人のいのちを感じるやわらかさ。こんなにも蒸し暑い初夏の夜にもかかわらず、ロナルドより低いひんやりした体温。
いつもなら『くっつくなバカ!』と手が出ているような距離なのに、なぜか今夜は、それができない。
「なん……っ、ゆ? ゆび、ゆびわ⁉」
「そ。妹さんにだって買ってあげたんでしょ? だったら、私にもちょうだい」
「はぁ⁉ 何でお前に……ッ、つ、つうか、おまえ、あんなのゲームするときじゃまだって言ってたじゃん!」
「そうだねぇ」
「おっ、おお前、自分でだって、親父さんにねだってだって、もっといいの買えるだろ⁉」
「そりゃあねぇ」
あたふたと言い募るロナルドの台詞を全てにこにこと肯定し、ドラルクはまっすぐにロナルドの瞳をのぞき込む。
「だけど私は、ロナルド君から、ほしいんだ」
「――――ッ!」
その目に宿る色は、なんだろう。
どぐん、と跳ねた心臓の方が、ロナルドの混乱した脳なんぞよりよっぽど素直に正確に事態を把握している。
「ゆっ、ゆゆ、び、わは……きゅうりょうさんかげつぶん……だから……⁉」
ぐるんぐるんと目を回したロナルドの頭は、数字はちゃんと計算できるのに、事態はまったく把握できない。
「さっ、さささんびゃっこくらい買えばいい⁉」
「ばーか」
ああまた! そんな声で、笑うから!
罵倒のことばが帯びた響きがやけにやわらかくて、ロナルドの心臓がきゅうんと音を立てる。
「指何本あると思っとるんだ? パンダかね私は」
「パンダだって二十五匹必要になるが⁉」
なんでパンダの話してんの俺。わかんない。
泣きそうなロナルドの手に、ドラルクの手がするりと重なり、ぎゅうと握りしめられる。
骨張った、細い、大きな手。握り返せばすぐに砂になり死んでしまうその手が、なぜか今は妙にロナルドを安心させた。
「ひとつでいいよ。その代わり、君が選んで」
くすくすとこぼれる笑い声も、いつもの揶揄を含んだものとは違うくすぐったいような雰囲気を含んでいて、思わずその顔を見つめてしまう。
(…………なんで)
その顔は、例えば、頬っぺたいっぱいにホットケーキをほおばるジョンを見つめているときにも似て、ただ、その目に浮かぶねっとりとした熱さだけが違う。ジョンには、そんな目は向けない。
「……俺で、いいの」
「君がいいの」
ねだられるままロナルドが選んだのは、金色のリングにペールブルーの石がひとつついたシンプルな指輪だった。
「まいど!」
「……どうも……」
屋台のおじさんがにやにやにこにこしながら見ているのがいたたまれず、つないだままの手をぐいっと引く。引っ張られたドラルクは、死ぬ。
「……ふふふ!」
笑いながら復活したドラルクは、ロナルドの手首をぐいっと引っ張って走り出した。
「おっ、おい!」
「あははは!」
ぴょんとロナルドの頭から飛び降りたジョンが、先導するように四本の足で走り出す。
「ヌー!」
どたばたと参道を走っていくみっぴきに、ある人は振り返り、ある人はいつものことと見送っていく。
「ははははは!」
カンカンカラコロ、下駄と石畳がぶつかり合って賑やかなリズムを奏でる。何で、俺たちこんなことしてんだろ。
(ばかみてー)
「……ふは」
あまりのばかばかしさに、ロナルドにまで笑いが伝染する。
「はは……はははは!」
「ヌヒヒ」
「あっはっはっは!」
ぎゅうっと握りしめられた手首が熱い。体温の低い筈のドラルクの指先が、耳の先が、熱を帯びてほんのりと赤く染まっている。
「あははは、はぁ!」
ついた先は、人混みの喧騒が離れた神社の裏だった。
ちいさなお社の前で足を止めたドラルクが、くるりと振り返る。
「ちょうだい、ロナルド君!」
向けられるのは、楽しくてたまらないと言わんばかりの満面の笑み。
「――……どこに嵌めるかは、君でもわかるだろう?」
すうっと突然ひそめられた声は、ひくく、あまく、ロナルドの理性を揺さぶる。何でそんな声出すんだよ。
(なんで)
思わせぶりに差し出された左手の先、赤く染められた爪が、初夏の淡い闇の中でてろりと光る。
「お……おう」
どっくん、どっくん、暴れ回る心臓を押さえつけ、差し出された左手の薬指に指輪を嵌める。
関節は引っかかるのに、そこを通り抜けたらぶかぶかの指輪は、けれど、ロナルドの想像通り血色の悪い肌によく映えた。
「んふふふ」
ぶかぶかの指輪を嵌めた指を夜空に掲げ、ドラルクが低く笑う。なんだそれ。嬉しいのか? そんなおもちゃの指輪が?
「きれいだね」
肩に乗ってきて一緒に眺めていたジョンに頬ずりをして、ドラルクはそのまま視線だけをロナルドに向ける。
「ロナルド君の色だ」
「――――ッ」
わざとではなかった。あとから気づいてはいたけれど、選んだ時は、本当にこの色がいいと思ったから、そうしただけだったのに。
かあっ、と頬に熱が上る。次の瞬間、ロナルドの中に湧き上がってきたのは、どうしようもない羞恥と羨望だった。
(ずっ、ずるいだろ、お前ばっかり――――っ!)
「おっ、お……おおっ」
舌がもつれる。思うことがこんがらがって、感情が上乗せされ、言葉が出てこない。
「えっ、なぁに突然えっちな声出して」
「ン゙ギィイ!」
喘ぎ声じゃねえんだよばか! という気持ちだけは込めに込めてドラルクを殴り殺し、そのルーティーンのような行動に少しだけ平静さを取り戻したロナルドは絞り出すように叫んだ。
「おっ、俺にも寄越せや‼」
「もちろんだとも!」
しゅるん、といつもの倍速で再生したドラルクがロナルドの両手をぎゅうっと握りしめる。
「とびっきりの婚約指輪を贈るからね♡」
「……は?」
「次の親族会は婚約のお披露目だよ、婚約者殿」
「…………は?」
ロナルドの喉から、地を這うような低い声が漏れる。
この、煽り以外は言葉足らずのコミュニケーション不足吸血鬼めが。
「つ……ッ」
「つ?」
「付き合ってから言えや! 戦略先手必勝ワンパターンごり押しクソ砂おじさん!」
「ブェ――――ッ!」
ロナルドの渾身の右ストレートをくらったドラルクの砂山の上で、おもちゃの指輪が金色に輝いていた。
「ヌンヌイヌ、ヌヌヌヌヌンヌヌヌシイヌ」
完(ヌン)