伊地知さん誕生日2023(七伊)高専の廊下で手帳を拾った。
スーツの胸ポケットに入る程の薄くて黒い装丁の手帳。
事務所にて持ち主を確認しようと表紙をめくると、カレンダーにはびっしりと細かい字が書かれており、目を凝らす。
4/1 任務 静岡
4/5 休み Hへ行く
「1日に静岡へ任務ということは……七海さんのでしょうか」
七海さんの字は幾度と目にしているが、細かな字体まで把握しておらず尚且つ1日の休みの情報だけでは断定し難い為、手帳を読み進めることにした。
4/6〜4/10 任務 名古屋
右のメモスペースに赤文字で『Hより連絡 折り返し』と書いて丸で何重にも囲まれている。先程の文面を見る限りHは店名だと分かるが…どこだろう。
4/17 20日確認
『伊地知くん、20日は空いていますか』
『空いていますが…どうされました?』
『君の誕生日を祝わせて下さい』
数日前、20日が空いているか聞かれたことを思い出し七海さんの手帳だと確信した。
20日の所に目をやる。
4/20 伊地知くん誕生日、夜に食事
手帳をそっと閉じて熱くなった顔を両手で覆っているとカツと固い靴底の音が近づいてくるのが聞こえた。
「伊地知くん」
「すみません…勝手に見てしまい…」
立ち上がり、彼に差し出すと「ふふっ」と笑い声がして顔を上げる。
「酷い字だったでしょう、読めたものじゃない」
照れたように笑いながら受け取った手帳をスーツの内ポケットに入れた。その照れ笑いに心がぎゅっと掴まれる。
「伊地知くん、Hが何か分かりましたか」
「お店ということだけ…どちらですか?」
「では、答え合わせです」
側に置いていた紙袋から細長い箱を取り出し差し出されたので恐る恐る受け取り箱を開けた。
「ネクタイ…?」
Hから始まる有名ブランドの紺色ネクタイ。滑らかな手触りが心地よい。
「付けましょうか」
「へっ?」
返事する間もなく七海さんの手がネクタイの結び目を引っ張って解いてしまう。
端正なお顔が近くて、ほのかに香水の良い香りがして、恥ずかしくて顔が熱くなる。
解いたネクタイをデスクの上に落とし、持っていたネクタイを持って首に回した。
「顔真っ赤じゃないですか」
「言わないで下さい…!」
きゅっと結び目を首元で締め、ようやく終わったと息を吐く。
「苦しくないですか?」
「苦しくはありませんが…似合っていますか?」
「よく似合っています。私の見立ては間違っていなかったようです」
離れようとする手が輪郭をなぞり、首が上に向くよう顎を少しの力で押し上げられる。あ、これはキスされると思い七海さんの胸を押した。
「伊地知くん?」
「人が来たら…まずいので」
「あぁ、それは失礼」
そう言うと額に口付け、リップ音を立てて離れていく。自分から断ったのに何故か一層寂しく感じた。
「そんな顔するのはディナーの後にして下さい」
「…顔に出てたとしても言わないで下さい」
「君が可愛らしい反応をするので言いたくなるんです。ところで、この後のディナーを忘れてはないですよね」
はっとデスクの上に乗っている数枚の書類に目をやる。
「10分下さい!」
「了解……あ、伊地知くん」
事務所を出ようとする七海さんがこちらを向く。
「お誕生日、おめでとう」
扉を閉めて去っていく足音を聞きながらネクタイの結び目を上にきゅっと上げ気合を入れてキーボードを叩いた。