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    MSBY主催の中学生バレーボール教室が開催されたが、侑と日向の担当する生徒達にちょっと問題があって……?
    侑と日向のバレーに対する姿勢や熱意に焦点をあてています。テーマは「ヒカリアレ」。ずっとバレーボールをしてる。プロット上最後はいちゃつく予定ですが未済。
    ※主人公は侑日(付き合ってる)ですが、オリキャラが出張っています。苦手な人もいるかなと思い書きかけのまま止まっています。

    #侑日
    urgeDay

    彼岸を渡る君へ送る喝采『東大阪市 中学生バレーボール教室 sponsored by MSBYブラックジャッカル』

     市民体育館内にあるコルクの掲示板には大判の告知ポスターが貼付されている。

     毎年リーグのオフシーズンである初夏に地元の小中学生を対象に開催されるバレーボール教室は、株式会社MSBYの広報兼CSR活動の一つでもある。「個の努力で人を結ぶ」という社訓のもと、企業、選手、地元を結ぶイベントとして、地元では毎回好評を得ていた。当然だ。オリンピックや世界選手権で活躍する選手を多く擁するMSBYブラックジャッカルの選手達から直に教えを受ける機会など、全国の40万人超いるバレーボール競技者のうちほんのひと握りにしか与えられない。
     また、MSBYブラックジャッカルとしても、競技者人口の増加は将来のプロバレーボールリーグの選手層をより厚くすることに繋がるという利点がある。日本においては、バレーボールは圧倒的に女子の方が競技人口が多い。男子はバレーボール部がある中学すら少ない、というのが実情で、男子バレーボール業界としても競技の裾野を広げるということは両手を振って歓迎したいところだった。

     今年もその季節がやってきた。
     初夏なのにじりじりと容赦なく肌を刺す日差しの下、MSBYブラックジャッカルの選手達は手分けしてバスから持込備品を下ろしていた。
     通気性が良いはずのジャージにじんわりと熱がこもる。チームキャプテンである明暗修吾は、自分のスポーツバッグを肩に背負いながら、しかしそのジャージの下で冷や汗をかいていた。

    「不安すぎる」

     市民体育館の関係者用通用口をくぐろうとする明暗は、誰に聞かせるわけもなくぽつりと呟いた。その顔色はほのかに青い。背後から労るように同意の声が追う。

    「わかる」

     犬鳴シオンは、明暗に続くようにのろのろと歩いている。その顔色は明暗と同じくあまり良くない。背後についた犬鳴を視認し、明暗は夏の怪談話を始めるかのような口調でこぼす。今から百物語を始めます、と言っても差し支えない雰囲気だ。

    「犬鳴……。俺、去年のバレー教室の後、会社のCSR室の人に呼び出されてん」

    「それ以上は言わなくていいよ、明暗くん」

     犬鳴の懸命な判断が明暗の百物語を第一話で遮った。
     去年のバレーボール教室のことだ。
     小学生が対象だったため、試合形式ではなくボールを使ったレクリエーションを中心にプログラムが組まれた。終始和やかな雰囲気で進行し、「妖怪世代もまさか小学生相手には凄むまい」と思いつつ、実は内心びくびくとしていた明暗もほっとしていた。
     しかしそんな安堵もつかの間、ちびっ子達の憧れの眼差しを受けて木兎と侑が暴走した。最後のプログラムとして計画された選手同士のエキシビションマッチで白熱しすぎて、観客となった小学生を怖がらせてしまったのだ。「浪速速攻・マイナステンポ 木兎ビーム」って何やねん――。リバウンドしてもなお豪速球と呼べるボールがびゅんと音を立てちびっ子達の真上を掠める。怯えたちびっ子の涙声をBGMに、明暗はそれでも突っ込みを忘れなかった。
     結局、チームメイトにしこたま怒られた木兎と侑は大いに反省したものの、明暗はハプニングが起きたとの報告を受けた会社に事情聴取として呼び出された。その日はやけ酒をした。

     二人は後ろを振り返り、騒がしくはしゃぐ妖怪世代の一行を恨みがましく見つめる。先輩からのいまいましげな視線も何のその、日向達四人は市民体育館の通用口をでかい図体で塞ぐようにかたまって話している。木兎と侑は何が面白いのか、昨年の事件などなかったかのように爆笑しているくらいだ。

    「おいコラ問題児ども、問題起こすなよ! 相手は中学生やぞ、下手でもキラキラした目で見られてもしっかりバレー教えるんが今日の仕事なんやからな! わかっとるか!」

    「………?」

     明暗の私怨を孕んだ注意喚起は妖怪世代達の耳に届いたはずなのに、なぜか彼らは「俺達のこと?」と言わんばかりに明暗達を見つめ返した。

    「お前らに言ってるんじゃボケッ! 去年のこともう忘れたんか!?」

    明暗が言うと、

    「いやですわ明暗さん〜。去年みたく燥いだりしませんて。もう流石にオトナですから」

    「楽しみだな! 二番弟子できるかな? 日向が一番弟子でー、あれ? けどツッキーも弟子だから三番弟子になるのか?」

    「弟子なんてできるわけないだろ。……帰りたい」

    明暗の怒号の意図など汲みもせず、それぞれ好きなように返答する。
     犬鳴はハハハとわざとらしい苦笑いをしながら、前を歩く明暗の様子をそろりと伺った。明暗は一瞬般若のような表情を作りかけたものの、「まあ、いつも通りだな。今年は日向もいるし後は俺らでフォローしようぜ」と犬鳴から声をかけられ、脱力する。諦めたのだ。
     妖怪世代が揃いぶんでから、明暗くんは5歳くらい老けたような気がするな……。犬鳴は後方にいる日向達に、「集合時間、間違えるなよ」と声をかけ、キャプテンの大きくも老い込んだ背中を追いかけた。



     年上組の苦労もよそに、妖怪世代は更衣室への道すがら、リオデジャネイロでのバレーボール教室の話に花を咲かせていた。

    「ブラジルでも12歳からネットの高さが段々上がってくんです。今日は中学生だから、ネットの高さは2メートル30センチでしたよね?」

    「そうなんだ、いつもより低いから注意しないとなー!」

    「せやで、暴発したらまた明暗さんに絞られるからな」

    「ボウハツ?ですか?」

    「アッ! いやっ、ええねんええねん! 翔陽くんにはあんま関係ないことやから!」

    「今日は大人しくしてろよ」

     ワクワクと期待を隠しきれない木兎や日向とは対照的に、釘を刺した佐久早はマスクの下で苦渋の表情だ。それもそのはず。

    「臣くん、そんな顔しとったら子供が怖がるで〜。スマイルスマイル。ほら、木っくんとか翔陽くん見てみい?」

    「俺? 元気!」

    「……」

    「臣さん、末っ子だもんな……」

    「俺も末っ子!」

    「いや、木っくんは特別や」

    「大丈夫です、臣さん! フォローしますから!」

    「そういう問題じゃねえ」

     末っ子だから子供の扱いがわからない、とかそういう単純な話ではない。極力他人との接触を避ける佐久早にとっては、加減や距離感を知らない子供は天敵とも言える存在だった。エスコートキッズとの入場さえ苦虫を噛み潰したような顔をする佐久早は、来るイベントを棄権したいという気持ちでいっぱいだ。
     そんな佐久早の萎えた心情を知ってか知らずか、佐久早の負のオーラを無視して木兎は明るく日向に話しかける。

    「けどよー、今日日向にも弟子ができるかもな! 俺と日向みたいに!」

    「……! 弟子……!」

    「……」

     日向は並んで歩く木兎を輝く瞳で見上げる。「俺にも弟子できますか!?」「出来るともー!」なんていう会話を背景に、そんな関係性が成立するのは木兎と日向だけだ、そう言いたげな佐久早はあえて突っ込まずに三人から一人分距離をあけて歩いている。
     それを見た侑が、ふふんと言わんばかりに割り入る。

    「そうやで、俺も将来の天才セッターの師匠になるかもわからんしな〜!」


    『ビビらんと入っといで。おっちゃんが打たしたる!』
     小学校四年生の時に参加したバレーボール教室で、侑の人生は決まった。バレーボールはスパイクが決まった瞬間が一番かっこええ。そう思っていたのに、兵庫の地元で開催されたそのイベントで、元全日本正セッターが何気なく放った一言が侑の胸ぐらを掴んで離さなかった。治から、セッターは一番上手い奴がやるクールなポジションだと説明されても何も心動かなかったのに、スパイカーの点をセッターが作るのだ、そう考えると心沸き立つものを感じた。
     中学校の後半からセッターを任されることが多くなり、高校ナンバーワンセッターとまで言われ、そして全日本代表となった今では、セッターは一番上手いやつがやるクールなポジションだと、胸を張って言える。それに、自分は心からセットしたいと思えるスパイカーを見つけることが出来たのだ――。

    「ふおおお! 宮師匠ってことですね! カッケー!!」

    「せやろせやろ〜。未来の代表の卵見つけたらんとな!」

    「? 日向の師匠は俺だぞ」

    「……! うっさいねん! 大体師匠ゆうて何も教えとらんやろがい!」

     日向がチームに加入してから師弟関係を主張して憚らない木兎はことあるごとに日向を構い倒したが、侑が指摘する通り実際は何かを指導しているわけではない。しかしながら、高校時代から変わらぬ木兎の華やかなプレースタイルやスター性を日向がリスペクトしていることは間違いなく、師弟というよりも歳の近い兄弟のように仲が良いのは周知の事実だった。日向が加入して一年目のファン感謝祭で木兎が日向を弟子だと紹介してから、ファンの間でも「師弟コンビ」として可愛がられている。そんな日向から尊敬の眼差しを一身に受ける木兎に対し、侑は密かに対抗心を燃やしていたのだった。

    「本当にどうでもいい……」

     木兎と日向は気づかないであろう侑の悋気を横目に、すたすたと更衣室へ向かう佐久早を三人が追いかける。
     バレーボール教室開始まで、あと30分と迫っていた。



    ――――――――――



    「それでは早速事前に配られたグループ表に従って所定の場所に集まって下さい! MSBYの選手の皆さんもグループで集まり次第練習を始めていただいてかまいませーん!」

    「ヘイヘイヘーイ! こっちだぜー!!」

     準備体操もそこそこに、市民体育館は夏の湿気だけではない熱気に満たされていた。
     今回のバレーボール教室に参集したのは市内にある複数の中学校男子バレーボール部で、その数は100名に迫る。成長期の只中にあるため身長はまちまちであるが、骨格は出来上がりつつある青年期の男が何十人と並ぶ姿は圧倒されるものがあった。

     広い体育館に人のかたまりが散らばっていく。
     生徒達が十数人ごとにグルーピングされているのは、レベル別に生徒を分けるためだ。実力や経験の差がある者同士で組ませると、練習の質が下がる恐れがある。
     小学生からバレーボールを始めた生徒は、そうでない生徒より圧倒的に少ない。中学校に男子バレーボール部があること自体幸運といえるが、それでも部員は殆ど未経験者だ。今回は中学一年生から三年生まで入り交じっているため、個々の技能にも大きな差があると見たバレーボール教室の企画陣が采配した取り組みだが、うまく機能したようだ。
     実力別に分けられた各グループにばらけるように配置されたMSBYブラックジャッカルの選手は、ウォームアップをするために二人組になった生徒達の間を縫うように回って、自分の担当するグループのレベルに合わせた指導をしている。選手とて皆最初は未経験者、アドバイスも的確だ。

    「今の落下地点入るのちょっと遅かったな、腕だけじゃなくて下半身使ってみようか! ボールじゃなくて相手の正面に体を持ってきて手首の面で受けて……」

     日向が、「こう!」と腰を低くする姿勢をとる。その姿勢をなぞるように生徒がややぎこちなくアンダーハンドでボールを返すのを、日向は我が子が初めて歩いたかのような満面の笑顔で褒めた。
     その姿に、近くにいたMSBYのスタッフや選手がギョッとした顔で振り向く。意外だという表情を作りながら、「ねーねーツムツム」と、木兎が近くにいた侑に近寄ってひそひそと話しかけた。

    「日向、コーチみたいじゃない?」

    「な。リオでバレー教室手伝ってたって聞いたで」

     最初に話を聞いた時、半信半疑だったけれども。
     侑は心の中で付け足す。

     日向の高校時代を知っている木兎と侑は普段感覚的な発言をする日向を昔からよく知っていたから、未だに野生動物の獰猛さと鋭敏さを感じさせる日向の口からバレーの教本に登場するような単語が飛び出ていることに舌を巻いていた。「ビュッと入ってバシッと受ける」くらいのことは言ってもおかしくない。この二人だけはでなく、MSBYブラックジャッカルの面々がそう予想していたことは事実としてあった。
     ところが実際は、侑の言う通り、リオで二年間バレーボール教室の手伝いをしていた経験を生かした教え方は堂に入ったものだった。相手に正確に伝わるように工夫された言葉選びはその裏付けだ。元来の高いコミュニケーション能力もそれを助長させている。明暗達が日向のことを陰でこそこそと「ウチの妖怪世代の長男」と呼んでいるから、その実力はお墨付きといえた。

     そんな周りの視線もよそに、当の本人である日向はあっけらかんとしている。今も、自分が周りのチームメイトから注目を浴びていることは露知らず、バレーボール教室に集まった生徒達のレベルの高さに舌を巻いていた。
     ――まだ中学生なのに本当に上手いな。
     日向と侑のアドバイスを柔軟に取り入れ自分のものにしていく生徒達を見て、日向は「俺が中学生の頃はまともにレシーブすら出来なかったのに…」と彼岸の差に思わず背中を丸める。

     イメージと実際の動作をシンクロさせることは、基礎的な技能を習得していないと難しいものだ。例えば、水の入ったバケツを振り回しても零れないことを体験しているのとしてないのとでは遠心力に対する理解力に差ができるように、過去の経験や知識は未知の体験の受け皿となる。受け皿のない場所に知識は根付かない。何かを体得することは、そういった過去の体験や知識を結節させる作業のことをいう。
     その点、日向が受け持つ生徒達の受け皿はしっかりしている。日向より身長の高い者がほとんどだが、その大きな身体を上手く使いこなして放たれるボールは安定した軌道を描く。
     高く上がるボールを眺めながら、日向はそっと独りごちた。

    「まあ、一番上手いグループだし、それも当たり前か……」

    「ん? 翔陽くん何か言うたー?」



     時は少し遡り、このバレーボール教室の企画の時の話だ。
     元々レベル別の練習を行うことは決まっていたので、それぞれに選手を宛てがうためチームメイトで話し合いがあった。ポジションがばらけるようにしたり、ペアの相性も考慮して検討を進めていた横から、侑が

    「あ、俺一番上手いグループにさせてもろてええですか」

    と言ったから、さもありなんという顔で犬鳴が了承した。下手なプレーややる気のない動きをする者を侑が極端に嫌うのを知っていたし、何より、未経験者の多いグループを担当して問題が起こっても尻拭いをするのは結局自分達なのだとわかっていたからだ。

    「侑がAグループならもう一人は違うポジションで――」

    「それなら翔陽くんと一緒がええなあ! 翔陽くんも俺と一緒にやりたいやろ? な? な?」

     犬鳴の提案に被せるように侑が前のめりで発言する。海外の動画サイトで、大型犬が飼い主の後ろから覆いかぶさってじゃれている投稿があったが、目の前の光景はまさにそれと同じだ。日向も、「? ハイ! あ、ワンさん達がいいって言えばいいですけど!」と、手慣れた様子で黄色い大型犬をあやしている。
     英語の流暢な日向はオリバーかトマスと組ませたかったが、仕方がない。犬鳴は育児疲れした母親のような面持ちで、全て心得たように頷いた。



    「次スパイク練やって。俺と翔陽くんが交互でセッティングする役らしいから一緒にあっち行こや」

     そんな数日前のやり取りを思い出していた日向は、思ったより近くに来ていた侑の声ではっと現実へ呼び戻される。
     侑がすぐ隣まで迫っていた。少し身じろぎすれば、半袖半ズボンからのぞく二人の素肌が触れそうだ。日向は少し高くなった体温を気取られないように、僅かに上体を逸らした。

    「あ、ハイ! ……う、侑さん……あの、近い、といいますか……」

    「んー?」

     日向の動揺には気がついているはずなのに、わざとらしく侑はさらに身体を詰めてくる。左の手のひらが日向の尾てい骨をさらりと撫でた。

     MSBYブラックジャッカルに加入してから数ヶ月後、日向は侑と、所謂お付き合いを始めた。別に関係性を隠しているわけでもないが、諸々の事情を慮って交際は公言していない。しかし、チームメイトが二人に生ぬるい視線を送ったりうざったそうにすることがあるのを、存外鈍い日向はさておき、侑は敏感に察知していた。
     侑は他人がいる場所で、こういった接触をすることをしばしば好んだ。日向は侑の真横で柔らかそうな耳の端を赤くし、されるがままだ。ばれたって何も変わらへんし、と、あっけらかんとした侑とは対照的に、日向は意外と周りの目を気にする質であった。好きな人に触ってもらうことは吝かではないものの、過ぎたコミュニケーションに見られやしないか、経験の少ない日向はハラハラしてしまう。

     侑を見上げてわずかに睨む。侑の表情は、「どおしたん?」とでも言いたげにわざとらしくにやついている。初心な自分をからかうような仕草や表情に、少し腹が立つ。

    「フフ、ごめんて。ちょっとした悪戯やん、許してや」

    「侑さん……」

     侑は日向の文句を言いたげな視線をひょいと躱したが、その眼差しは愛おしげに細められている。こういうちょっとした所作に絆されていることを日向は自覚している。悔しいが、ゆるく握った右手で侑の胸元を軽くはたいた。これで手打ちにしてあげます、という合図だ。侑は楽しそうに肩を揺らした。

     コートへ足を進めながら、話題を変えるためなのか、侑はそういえば、と、こそこそ話をするように声を潜めた。

    「それよか、翔陽くん気づいとった?」

    「何をですか?」

    「俺らのことめっちゃ見てくる奴らがおるねん。あの5番と7番」

     日向と侑が見ているグループは、既にばらばらとコート内に集まりつつあった。侑に言われて、5番と7番のビブスを探す。
     こちらをじっと見つめる男と目が合った。
     日向はその男に見覚えがあった。実力がある生徒が集められたこのグループの中でも、一人頭が飛び抜けて上手い生徒だったからだ。
     たおやかな顔立ちはまだ思春期特有の丸みを帯びているが、雰囲気は厳かで、パス練習中の安定感も抜群だった。すぐに幼少期からの経験者だとわかった。身につける番号は5。

     隣に立つ侑を見上げると、侑は正解とばかりに軽く頷いたあと、5番の生徒に向けて顎をしゃくった。

     5番の生徒に再び目を向けると、いつの間にか日向から目線を外し、傍に立っている別の生徒と会話をしていた。その生徒は7番のビブスを着ている。5番は170センチそこそこの日向とさほど変わらぬ身長だが、7番は侑より少し低いくらいの身長で、中学生にしては相当大きい。つんつんとしたチョコレート色の髪の毛が特徴的で、人懐っこい雰囲気で5番に話しかけていた。

    「あの5番、俺と翔陽くんのこと舐めるみたいに観察してきよる。7番はもっとキラキラした目で翔陽くん見とったけどな」

     日向は、先程のパス練習中に7番にアンダーハンドパスのアドバイスをした時のことを思い出した。
     このグループでは恐らく最も技量的に劣っているが、運動神経とその身長で技量をカバーしている7番は、どこか目を離せない雰囲気があった。それを人は持って生まれた存在感というのか、はたまた放っておけない末っ子気質というのかわからないが、バレーが楽しいと全身で表現していて見ていて微笑ましい。
     アドバイスを授けた7番は、体育会系らしく「あざッス!」と素直に返事をしていた……気がする。5番に至っては――侑はわからないが――恐らく声をかけてすらいないだろう。それくらいの薄らとした記憶しかないため、二人から注目されていることには、日向は全く無自覚だった。

     「そうなんですか?」と、日向が刺さる視線を意識していないということはわかっていたのか、侑は苦笑しつつ、「変な感じはせんから翔陽くんは気にせんでええよ。何かあったら俺がなんとかするわ」
    と言い残し、ネット際に向かう。

     変な感じ? 侑さんのファンだったりするのかな?
     日向は見当違いなことを考えながら、レシーブ練習に参加するため、侑とは反対側のコートに小走りで駆けていった。



    ――――――――――



    「フォロー!」

    「今の取れたぞー! 集中ー!」

     ボールを打ち出す音と受け止める音がテンポよく交差する。
     ウォーミングアップを終えた生徒達は、グループを半分に分け、侑がネット際からセットする球をスパイクしていくチームと、そのボールをレシーブし返球するチームに分かれてスパイクとレシーブ練習を行っていた。日向はこぼれたボールをレシーブしたり、ボールを拾う役を買って出て、時折コートの中に声をかけている。

    「ナイスキー岸野!」

    「ありがとお!」

     岸野と呼ばれた生徒は、侑から放たれたボールの真芯を捉え、真っ直ぐにスパイクを決めた。ビブスは7番を着ている。その長い手足をムチのように鳴らし打ち込むスパイクは、高校生のそれと遜色ない。野生の豹のごとくしなやかに着地した後は後ろに回り、次のスパイクの順番待ちをする。早く次も打ちたい、というのが丸わかりなほどそわそわしていた。
     コートの後方にいそいそと向かうと、見慣れた男が岸野と同じくスパイクの順番を待っていた。5番を背負った男――対馬は、岸野と同じ中学校の同級生だ。その怜悧な面持ちは今はやや緊張したように引き締められている。岸野は、対馬に遠慮なく声をかけた。

    「おい対馬、今の俺のスパイク見とった!? 今日むっちゃ調子ええで〜!」

    「アホか」

     一刀両断、快刀乱麻の切り返し。
     地べたに座りお菓子をねだる子供を疎ましく見るような目線が岸野を貫く。飛び跳ねそうなくらい浮かれていた岸野は、部活中にもしばしば受けた見覚えのある冷たい眼差しを受け、身を固くする。身長差は10センチ以上あるが、下から見上げているにも関わらず重力を感じさせる対馬の威圧感は、そんなものお構い無しで岸野に襲いかかる。

    「な、なんやねんアホって!」

    「アホはアホだろ。お前、宮選手に上手く打たせてもらってるのわかんないのかよ。………見ろ、一人一人の力量と癖に合わせてセッティングの高さと角度を変えてる」

     そんなまさか。対馬の目線を追って確認してみると、確かに、侑の手から送られるボールは高さやネットからの距離、角度がそれぞれ違っていた。決してボールコントロールが下手だというわけではない。むしろその逆で、精緻を極めたセッティングだった。
     スパイカーが打ちやすいようにトスワークを変えてるんだと、バレーボール経験の浅い岸野でもわかった。けれども、対馬に指摘されるまでは気がつかなかった。それくらい当たり前に行われていたのだ。
     岸野は、「けど、会ったばっかのスパイカーの癖なんてなんでわかるんやろ?」と心の中で疑問を浮かべたが、「さっきのパス練だろ。そこで観察してた」と、まるで心を読んだかのように対馬が返答した。無意識に顔が引きつる。

    「神業やん。プロえげつないわー……。っちゅーか、対馬もよく気づいたな!」

    「ずっと見てたから。プロの選手の練習風景見る機会なんてそうそうないだろ。持って帰れるものは全部持って帰るのが当たり前だ」

     当たり前、そう言った対馬は普段と変わらず憮然とした表情のままで、本当にそう考えているのだとわかった。岸野は、テレビで見ていたプロ選手から直接バレーを教えてもらえる興奮が先立って、彼らの所作を盗むまで考えが至らなかった。というか、プロの技を盗んで自分のものにするという考えすらなかった。レベル差がありすぎる。
     思わず、といった口調で岸野はこぼす。

    「すげえな……」

     プロ選手も、対馬も。
     そう続けるはずだったのに、対馬が惚けている岸野をじろりと見上げたからとっさに身を庇った。何も怒られるようなことはしていないが、整った顔で睨まれると腰が引けてしまう。

    「お前ももっと練習しろ」

    「なにおう!?」

    「経験の差は経験でしか埋められない。その運動神経とデカい図体を活かせよ」

    「ぬぐ、正論……。けど、俺もちゃんと練習しとるし!」

    「どうだか」

     話しているうちにスパイクの順番が回ってきた対馬が前に進み出た。岸野は、対馬がネット際へ走り出すのを後ろから見つめる。助走、位置取り、フォーム、着地、どれをとっても教科書に出てくるお手本通りだ。それをさも当然かのように淡々とこなす姿はまるで精密機械のようだった。
     この一連の動作が身につくまで、どれほど練習したのだろうか。
     岸野は、バレーボールをやってきたこの二年間をふいに思い出していた。


     そこそこの強豪校でもある岸野と対馬の中学校でも恐らく一番バレーの上手い対馬は、その実力にかまけることなく常にストイックに練習を重ねていた。 大阪に転校するまで地元のクラブチームにも所属していたというから、バレーボールに最適化された生活習慣が身に染みついているのだろう。夕方までキツい練習があったのにも関わらず、残って自主練をしている対馬を見ることは、この二年間で数え切れないほどあった。
     幼い頃から運動神経だけは飛び抜けて良かったから、大抵のスポーツは一通りこなした。その中でもサッカーをやっている友達が多かったから、小学校までサッカーを続けた。中学校に入ると、サッカーのチームメイトとは学区が分かれてしまい、進学先の弱小と言ってもいい男子サッカー部に入部するのははばかられた矢先、偶然強豪と呼ばれる男子バレーボール部の見学をした。二年前のことだ。
     そこに、対馬がいた。

     あの時も、こうやって後ろからスパイクする対馬を見てたんだっけな。
     恥ずかしいし悔しいから本人には絶対に伝えないが、あの日岸野は対馬のプレーを目の当たりにして、男子バレーボール部に入ることを決めたのだ。
     大抵のスポーツで一位をとってしまう岸野にとって、どれだけ練習を重ねても試合を行っても追いつかないと初めて思ったのが対馬だった。同じ練習をしても、対馬は自分と同じかそれ以上の速度で前を進むから、その細い背中は常に遠くにあった。対馬は岸野にとって強さそのものだった。
     
    「ビビらんと入っといでー」

     不意に声をかけられ、コートの上にはっと意識が戻る。
     目の前の高いネットが、自分の番が来たのだと告げていた。知らない間に対馬ははけている。次はお前だぞくらい声かけてもええんちゃうかな!?とも思ったが、文句を言うにも見慣れた丸い頭は見つからない。
     ボールを持ちながら、立ち尽くす岸野を侑が不思議そうに見る。内心、「このセリフいっぺん言うてみたかったんよなあ」とニヤニヤしていることは、岸野が知るよしもない。

    「あ……すみません! お願いします!」

     岸野は、ふわりと投げられたボールをアンダーで返し、さらに高く上げられたボール目掛けて飛び込む。球の中心と手のひらのくぼみがくっついたのがわかった。まるで、自分の手とボールが磁力で吸い付くかのようだ。改めて、他の生徒より高い自分の打点にもぴったりと収まる球に感動する。対馬の言う通り、打たせてもらっているのだと思った。

    「ナイスキー!」

    「アザーッス!」

    「岸野今日調子ええやーん! なんや、カノジョでもできたんか?」

    「ちゃうわ!」


     スパイクを決めた後、同じグループに配属された同級生と楽しそうに喋る岸野を、対馬は離れた所から静かに眺めていた。その瞳は、穏やかな水面のように澄んでいる。

     最初の印象は、デカくて明るい奴。
     初めて会った時から人好きのする笑顔でびっくりするくらいの早さで距離を縮めてきたから、関西人って皆こんななのかよ、と対馬はしばらく岸野を遠ざけたものだ。けれども、同学年で一番バレー歴の長い対馬が初心者である岸野の指導を任されることも多かったから、否が応でも距離が縮まった。
     岸野は下手くそだった。まともにパス練習もできないくらいに。
     しかし、持ち前の高い運動神経とその身長で、瞬く間に上達していった。新しいおもちゃを与えられている犬みたいに、常に楽しそうにプレーをするのだ。能天気だが明るくて目立つから、先輩には可愛がられ、後輩には慕われた。アウトサイドヒッターらしく力強く強烈なスパイクは、最近になって部内でもトップの決定率をマークしている。最高学年に上がった今は、同じポジションながら共に試合に出ることが多くなった。

     ……いや、俺が出なくとも、岸野だけ出場した試合が1回あったか。
     数ヶ月前の、地区大会だった。
     対馬はその実力を認められて早々に二年生からレギュラー入りしていたが、三年生になった今ではチームのエースであると自他ともに認知していた。二年生の頃から相手チームに注目されていたからか、学年が上がってすぐの公式戦では、先輩がいなくなった穴を狙うように相手チームが徹底的に対馬をマークした。
     執拗にサーブやスパイクで狙われ、ブロックでもマンマークされる。対馬がレシーブやディグをした後でも、セッターからの球はエースに集まる。体勢が整わないまま打ち下ろした腕の先には、相手ブロッカーの高い高い壁が立ちはだかった。
     これまでであればマークされた選手の負担を減らすために先輩が上手く対応してくれていたものの、若いチームは守りに徹し切ることも攻めに転じることも出来ず、じりじりと点差をあけられていた。コート内に、何とも言えない淀んだ空気感が漂う。

    『……ごめん、俺がちゃんと決めるところだった』

    『あ、いや、大丈夫やで! 次も一本よろしくな!』

     チームメイトから様子を伺うように励まされると、余計惨めな気持ちになっていった。

     エースの重圧なんて、烏滸がましい。自分は目の前の一点を決めるだけだ。
     そう自分に言い聞かせるほど、空回っていった。チームメイトがミスをしたという訳でもないなら、この状況は一体誰のせいなんだ? ――俺がマークされているからだろうが。
     もやもやと虚しい苛立ちが腹の奥から湧いてくる。
     俺が、俺がもっと上手ければ――…

    『次、対馬と岸野替われ』

     憤りに茹だった頭が、監督の冷静な声を拾う。
     え、と思ってベンチを見ると、同じような顔をした岸野がウォームアップエリアに突っ立っていた。青天の霹靂と言わんばかりに阿呆面をぶら下げている。
     同じアウトサイドヒッターだから、メンバーチェンジがあるのも変な話ではない。岸野は、最近技術も上達してそれなりに試合で使えるようになっている。
     けれども、岸野と共に試合に出場することはあっても、対馬はこれまで岸野へ交替されられたことはなかった。

    『……わかりました。岸野、ホラ』

    『! ……おう、任せとき!!』

     番号札を上げて脇へ下がる。
     返事だけは良いなんて結果、許さないからな。
     そんなことをぼんやりと考えてベンチに腰かける。瞬間、ずしりと重力を感じて、汗に濡れたユニフォームが嫌にまとわりつく。思ったより身体に負荷がかかっていたことを、ようやく知った。
     タオルをかぶったまま俯く対馬を見て、監督は何を考えているのか、腕組みをしながら、「まあ、見とき」と声をかけた。

    『岸野かよー、お前今日はちゃんと打てるんやろなー?』

    『10点サービスエース取らんと許さんぞ』

    『うるっさいねん! 俺が一番ビビっとるわい! お前らちゃんとフォローしいや!!』

     ピンチで交替した選手が言う言葉ではない。けれども、下手くそな岸野を二年間見続けてきたチームメイトにとっては、むしろいつも通りのかけ合いだった。強ばった空気がほどけるように緩んでいくのを、ベンチにいた対馬も感じた。
     相手チームもこれまでほとんど公式戦に出場していない岸野はとりあえず度外視したのか、先程のようなマークは外したようだ。これ幸いと、チームのリズムが元の調子に戻ってくる。岸野のレシーブやディグは下手だから他の選手がカバーするが、スパイクは決まると強く、ブロックの隙が出来た時は岸野にボールが集まった。徐々に点差が縮まっていく。
     相手チームが岸野をマークし始める頃にはもう遅れを取り戻せないほどゲームが進んでいて、対馬と岸野のチームが僅差で勝利した。

     数メートル先でもみくちゃにされる岸野をぼうっと眺めながら、対馬は言い知れぬ鬱積が体の中でとぐろを巻くのを感じた。
     チームメイトはしっかりやっていた。岸野も初心者の頃と比べたら随分上手くなって、ここぞと言う時に活躍した。
     ――けれど、自分は、今日何ができたというのだ?
     吐き出したいほどの羞恥と自責の念が、口を噤んでいないと漏れだしそうだ。

    『お前の努力は間違っとらんと思うで』

     そんな対馬の葛藤を知ってか知らずか、監督が立ち上がって選手を集める。監督の言葉に一瞬気が遠くなりそうになったが、惰性で重い身体を起こした。向かう先で、仲間に囲まれた対馬が屈託なく笑っている。
     この日、対馬は岸野をはじめて疎ましく思った。



    ――――――――――



     10分間の休憩時間を挟んで後に選手を交えた試合形式の練習が始まるとのアナウンスを受け、選手と生徒達はスポーツドリンクを片手にそれぞれ散らばった。同じ中学校だけでなく、小学校が一緒だったのだろう生徒達が同窓会のように集まって騒いでいる。体育館は賑やかな雰囲気に包まれていた。

    「侑さん、お疲れさまです!」

    「お、ありがとな」

     日向がスクイズボトルを差し出すと、侑は地べたに胡座をかく日向の横にどっかと座り込んだ。広い体育館を見渡すと、木兎は学生と遊ぶようにパスの練習をしているし、佐久早は何があったか分からないが隅でぐったりしていた。不調を心配したのか、はたまた可愛い後輩を揶揄いたいのか、犬鳴達が佐久早にちょっかいをかけているのを侑が嬉々として野次っている。
     子供のように笑う侑の横顔を見つめながら、日向は膝に頬杖をつき疑問を投げかけた。

    「今日はご機嫌ですか?」

     きょとんとした侑と目が合う。

    「……そう見える?」

    「ハイ!」

     日向は先程の練習中、オーバーハンドトスのやり方をやってみせた侑を思い出していた。

    『肘だけやなくて膝伸ばす力でボールを押し出すんやでー』

     侑は、くだけた口調はそのまま、日向の目にはどこか生き生きと指導しているように見えた。侑の性格を踏まえると、中学生相手でも「このポンコツが」くらいは言い出しそうだと思っていたので、実は内心驚いていたのが本音だ。実際、ポンコツくらいの暴言はきっとほぼ全てのチームメイトが受けたに違いない。以前聞いたところによると、なんでも、「ちっちゃい頃から町内会のガキンチョの面倒見てたからなあ」ということらしいが、日向はそれだけじゃない何かがある気がしていた。

     いつもの練習よりリラックスしているように見えることを素直に伝えると、侑は納得したように頷く。そして、自身が小学生の頃参加したバレーボール教室の話を始めた。
     侑が幼い頃からバレーボールに親しんで来たのは耳に挟んでいたが、侑をセッターたらしめた体験について教えてもらうのは初めてだ。「打たしたる」。すごくかっこいいし、侑さんのトスそのものじゃないか、と日向は心の奥がむずむずするような温かさを感じた。侑のセッティングは、その通りスパイカーが上手くなったと錯覚するトスワークだ。侑の全身全霊をかけた返球に救われたスパイカーは沢山いるだろう。まさに、スパイカーを侑けるセッティングと言っていい。
     図らずしも、侑の原体験を作った場所であるバレーボール教室で思わぬ話を聞けた。そして、今日またそんな代え難い出会いが生まれるかもしれない。この、未来のバレーボール選手を育むための場所で。

     話が段々と逸れて尾白アランとの馴れ初め話に移ってくるのに相槌をうちながら、日向は16歳の冬に置き忘れた羨望が鈍く疼くのを感じた。

     侑にあって、そして多分ここに居る中学生達にもあって、日向になかったもの。
     練習、経験、指導者、練習相手。
     これらの全てがなかった中学時代、バレーボールの練習に混ぜてもらえるならどこにでも行った。あの日小さな巨人とテレビ越しに出会うまでは、バレーボールを見たことも聞いたこともなかったのに。その間、侑や――影山は、息をするようにバレーに没頭し、その全てを捧げてきた。
     もっと早くバレーボールに出会っていたら、とやり切れない気持ちになったことも、ないと言ったら嘘になる。友達と遊んでいる時間、ゲームしている時間、全てをバレーボールに費やしていたら、きっと今とは違う人生があった。けれども、そうじゃないから、日向は今ここにいる。侑や影山達が重ねてきた時間を同じように積み重ねても絶対に追い越せないと自覚して、その数年間をひとっ飛びしようと武者修行に行ったのだ。
     それが正解だったかわからない。
     ただわかるのは、もし今の道を進んでいなかったら、このチームにも入っていたかわからないし、隣に座る侑とも一緒にいないかったかもしれないということだ。ただひたすら目の前のことをやり尽くそうとした結果だとしても、選んだ選択肢にもその結果にも後悔はない。今の日向は、16歳の自分が抱えていた不格好な試行錯誤の轍を笑って抱き締めることができるようになっていた。

    「――でな、結局北さんの弱点は静電気やったっちゅーオチで……って、聞いとる? 翔陽くん」

    「ふふふ、聞いてますよ!」

     日向は、いつの間にか始まっていた侑の昔話にうんうんと頷き、話を促す。
      自分に都合の良いように考えれば、侑も小学生の時にバレーボールと出会っていなければ、ここにはいないかもしれない。この結果が偶然の副産物だとも言い切るには出来すぎている気がする。
     拗ねたように「ほんまに聞いとったあ?」と詰る侑を宥めながら、日向は自分の幸運に静かに感謝した。


    「14時になりましたので、それぞれのグループの場所に集まって下さーい!」

     MSBYスタッフの声がメガホン越しに鳴り響き、休憩時間の終わりを告げた。
     基礎練習の後は、プロを混じえた6対6の試合形式の練習が予定されていた。日向と侑はすっくと立ち上がり、「侑さんとは敵同士ですね! 燃える! 勝つぞー!」「俺らはアタック禁止らしいから俺のチームの方が有利やで」「それでも勝ちます!」と言い合いながらそれぞれコートに向かう。
     すると、日向と侑の目の前に人影がさした。

    「やべえ、プロと一緒に試合……!」

    「はしゃぎすぎてホームランすんなよ」

    「やらんわ! ……いや、1球くらいはやるかもわからん」

    「すんな」

     軽快なテンポで喋る5番と7番のゼッケン。侑が視線を感じると言っていた中学生二人組だった。
     後ろに立つ日向と侑には気づいていない。

    「対馬は日向サンと一緒のチームかあ、羨ましいなあ!」

    「同じグループなんだしチーム分けが別だろうがそんなに変わんないだ…ろ……」

     背後の気配を察知した対馬が、しまった、という顔で後ろを振り返る。しかし、とっさに何かを制止しようとした対馬の右腕は、意気揚々と一歩前に進んだ岸野を空振ってしまう。
     呑気に腕を頭の後ろに組んだ岸野が誰に言うでもなくうそぶく。

    「けどやっぱアウトサイドヒッターとしてはセッターよりスパイカーの日向サンのプレーを間近で見たいよな〜」

    「……!!」

    「………ほおん?」

     やってしまった――!
     自分達は何もやらかしていないのに、日向と対馬のモノローグが綺麗に重なった。めったに表情を崩さない対馬の顔面は青く引きつっている。
     日向は、春高で初めて会った時の侑が頭に浮かんだ。初対面の自分も、「下手くそ」呼ばわりだった。
     中学生相手に「あんまイキんなやクソボケカス」なんて言っちゃダメですよ侑さん――!
     そう心から願った日向は恐る恐る侑を伺う。

    「い、今のは、エット、その、セッターがダメとかそういう訳で言ったんじゃなくてですね……」

    「……ええ度胸や、ド下手くそが。試合でギャフン言わしたるわ。宮サンのトス最高です言うてひんひん泣けや」

     「練習試合やでー!」と言って小学生のようにコートに駆けて行ってしまった岸野に代わり対馬が平身低頭謝ったが、侑は「キミは何も悪くあらへんでえ」と妙に丁寧な口調で謝罪を受け入れなかった。
     さっきまで朝の海のように穏やかだったのに、今は侑の背後に日本海の荒波が見える。ギャンギャン怒られるより静かな方がよっぽど怖い。日向はこの後の展開を憂えたが、プログラムは待ってくれない。何事もないことを祈りながら、コートに足を踏み入れた。



    ――――――――――



     模擬戦のため15点先取の3セットマッチをルールとしたせいか、体感的にとても早く試合が進むような気がする。ただ、それはイレギュラーなルールだけが理由ではないと対馬は理解していた。
     
    「サッコーイ!」

     対馬の対角線に位置するポジションで日向が元気よく叫ぶ。バレーボール教室の企画側から極力生徒にボールを運ぶように言い含められているのか、基本的に日向と侑は積極的にボールに関与せず、カバーやサポートに徹している。しかしながら、日向は普通ならフォローしきれないボールを拾ったり、他の5人の穴を塞ぐような神出鬼没のプレーを見せ、対馬のいるチームの返球率に多大な貢献をもたらしていた。

     日向翔陽。昨シーズンからMSBYブラックジャッカルのオポジットとして採用された、異例の経歴を持つ男だ。Vリーグのファンだけでなく、少なからずプロの文字が頭を掠めたことのあるプレーヤーであればその登場に驚いたに違いない。まさに八面六臂の活躍で、ワンシーズンだけの登板にも関わらずチームの看板選手となったのは記憶に新しい。
     対馬は、今日初めて日向と会った時、その身長の低さに改めて驚いた。中学三年生である対馬と同じ目線にいたからだ。「よろしくなー!」と笑顔を作る姿は、対馬や岸野と同い年といっても10人中6人くらいは騙せると思う。
     成長期の対馬はこれから身長が伸びていくが、日向は、きっともうこれ以上高さは望めない。Vリーガーの平均身長は、190センチに迫る。バレーボールという競技ではジュニア選手ですら185センチを基準に選考されるが、それにも満たない日向を、自分のことも棚に上げて不憫に思ったことは事実だった。
     高さが重要とされる競技において、その中で活躍できる背の低い選手はほんのひと握りだ。その数少ない選手の中でもスター選手である星海光来と並ぶくらい有名になりつつある日向の、画面越しに感じるその存在感と、実際の印象のギャップに混乱した。

     ところが、どうだ。
     サーブ、トス、レシーブ、ディグ、スパイク、どれをとっても安定感が抜群で、まるで欠点が見当たらない。バレーボールが上手いということは、様々な目的に応じた個々の技能が高いことを一般的に言うが、その一つ一つが精緻に高め上げられているのをまざまざと感じる。そして、その各個の動作が断絶しないよう柔軟に働くしなやかな筋肉と飛び抜けたボディバランスは、生来のギフトだけではない、生臭い鍛錬の跡が見えるようだ。
     その、恐らく文字通り血が滲むような努力の匂いをさせながら太陽のように明るく振る舞う日向の、何と恐ろしいことか。視界を端を横切る日向の野生動物のような身のこなしを目の当たりにして、試合に昂揚した身体の反応に反して、うっすらとした寒気すら感じる。

     けれども、恐ろしいだけではない。
     諦めかけていたボールを繋ぎ、チームメイトを励まし、底抜けに明るい笑顔で味方を鼓舞する日向が、味方になれば何と心強いか。競技力が高いだけではない、存在感のある選手とは日向のことを指すのだと対馬は思った。
     ――今日、ここに来れて良かった。
     セットカウントは1-1となり、次のセット取るぞ、と味方を励ます日向の後ろ姿を見て、対馬は腹の底から燃え上がる興奮を振り切るように、高くサーブトスを上げた。

    「ナイッサー一本!」

     コートの隅をえぐるようなサーブが飛び込む。
     精密に狙いを研ぎ澄ましたボールは、侑のチームの生徒の右側をかすめ、エンドラインすれすれに着地した。

    「いや、対馬サーブもやっばいわ……」

     審判役を務めるMSBYのスタッフの笛の音が短く鳴る。レフトサイドにいた岸野はレシーブを受けるための低い姿勢のまま、はあっと嘆息する。
     最初こそ実力が拮抗しているように見えたが、その実試合をリードしているのは受け手に回っている日向と対馬のチームだった。
     日向のサポートもさながら、対馬の存在は大きい。日向がギリギリのところでボールを上げ、対馬がトスやスパイクでスコアに貢献する。対馬は万能型と言えば耳触りが良いが、実際に相手チームとして対面する岸野からすれば隙がやく厄介な選手といえた。
     1-1とセットカウントは均衡しているものの、3セット目は日向と対馬のチームがもぎ取ろうとしている。日頃密かに対馬を意識している岸野は、練習試合ですら勝てないのかと汗のような焦りが湧いてくる。
     そんな時、侑が岸野に不敵な笑顔で声をかけた。

    「キミ、岸野クン言うんやっけ?」

     近くの壁に貼られた対戦表でちゃっかりメンバーの確認を終えていた侑は、自分と変わらない高さにある黒い瞳を見つめる。試合前の不用意な発言を侑達に聞かれているとは露知らず、その幼い瞳は、純粋な困惑で満ちていた。

    「は、ハイ!」

     岸野は素人臭い動きが垣間見えるが、スパイカーとしては尾白アランや木兎光太郎と同じようなパワーとバネに秀でたタイプだと侑は踏んでいた。その高い身長からうち下ろされるスパイクは、今のところこの即席チームの貴重な得点源だ。ただし、他の技能はこのチームの中で一番拙く、また打ち分けが不得手のようで、ドシャットの回数も同じくらい多い。

     ――『セッターよりスパイカーの日向サンのプレーを間近で見たい』、やっけ? 笑わせてくれるわ。そのスパイカーを飛ばすんはセッターしかおらんのやぞ。

     侑は微笑の仮面の下で大人気なく対抗心を燃やしながら、突然話しかけられてドギマギしている岸野に近づき、耳元に顔を寄せた。

    「次、レフトから何も考えんと入ってきて腕全力で振り下ろしてみ」

    「………? わ、わかりました!」

     岸野は元来素直な性格だ。侑の突拍子もない提案も素直に受け入れ、大きな声で返事をした。侑の企むような顔つきをネット越しに確認し、日向は「相手になったら本当に嫌な人だな」と改めて背筋をただす。

     審判の笛が高く鳴る。
     日向のチームへ放たれたサーブは、白帯を強く打ち一気に減速する。零れるように地面へ吸い込まれていく。
     ネットイン。
     偶然の産物であろうそれは、しかしセンターに来ていた日向が辛うじて上げた。

    「フォロー!」

     日向のチームの一人が慌ててボールを繋ぐが、相手コートのアタックラインに落下するチャンスボールとなる。
     直後、今までサポートに徹していた侑がアタックラインぎりぎりの落下地点に低く滑り込み、そのまま膝を曲げ高くジャンプした。
     エ、と日向が呟く。
     MSBYの選手はアタック禁止、そういう決めごとだったのではないか――そんなことが生徒達の頭をよぎる刹那、侑の手は舐めるようにボールを掴み、正面方向に放り飛ばした。Bクイックだ。気付いた頃には、生徒達の頭上に岸野が飛んでいた。
     岸野と対馬の目がかちりと合う。
     対馬の真横からズドンッ、という音が低く響いた。

     ――ピッ。
     冷静な審判の笛が、コート上の人間の頬を叩く。

    「ナイスキーや!」

     侑が思わずといった風に快哉を叫ぶ。意地悪く笑う口から白い歯が輝く。

    「…う、うおおお!?」

     侑のチームの生徒達は、自分達ですら今しがた得点したことが信じられないような顔で興奮しなから叫び、着地姿勢のまま固まっている岸野に飛びつく。
     岸野は肩や腹をばしばしと叩かれながら、数秒前のスパイクを思い出していた。

     『次、レフトから何も考えんと入ってきて腕全力で振り下ろしてみ』、と言われたけども、何も考えるなと言われたら考えないほうが難しい。考えるのと考えないのはどっちの方が良いんだ、そう思いながら自陣からのサーブを見送った。
     すると、思いがけず自陣にチャンスボールが舞い込んできた。考えがまとまらないままあわあわとボールを目で追っていたら、その落下先に大きな体が滑り込んだ。その瞬間、飛び込んだ人影――侑と目が合ったのだ。
     その瞳は無言で強く要求した。今行けと。
     言われるがままに助走をし、精一杯高く飛んだ。ブロックがない視界は、とても広かった。相手コートの6人全員の顔が見えて、対馬の驚きで見開かれた瞳と視線が交差したと認識したその時、手のひらにボールが
     時間になおせば数秒、しかし岸野は時を止めたようにスローモーションに見えていた。

    「俺が合わせるんじゃなくて…手にボールが来た……! 宮サンすげえええ……!!」

     未だに衝撃と熱でじんわりとした余韻が残る右手を握ったり放したりしながら、岸野は侑と侑のトスに対する賞賛とも言い難い感嘆をまくしたてる。犬であればその尻尾を左右に大きく振っていただろう。侑は腰に手を当ててとても得意げだ。どや!してやったり! という言葉が侑の背後に見えるのは、先程の一方的な宣戦布告を観ていた日向と対馬だけだが。

    「せやろせやろ〜? 打つはじくだけがバレーボールやないで、岸野クン」

    「ハイ! むっちゃ感動しました!!」

    「侑さん、今のすげえええ!! マイナステンポっぽい速攻だった! 俺! 俺にもトス上げて下さい〜!」

    「翔陽くん、今俺ら対戦しとるの忘れとる?」

    「はっ! いや、違った……次は絶対上げてみせます!!」

    「フッフ、できるもんならやってみ!」

     中学生との模擬戦なのに、日向は本気で悔しがった。速攻を十八番にしていたからこそ、速攻で点を奪取されるのは悔しいということか。
     経験の浅い中学生のスパイクモーションにどんぴしゃでタイミングを合わせた侑の常人離れしたセッティングを受けた感動の波が引いてきて、やや冷静になり始めた周りの者達は、「そんなに本気で悔しがらなくても……」と若干戸惑うような雰囲気になっている。岸野も自分以上にテンションの上がった人間を見ると落ち着いてきたのか、不思議そうに日向と侑を眺めていた。
     侑が振り向き、岸野に言う。

    「やるなら真剣に遊ばんとな」

     凛々しい眉を子供のように下げて心から楽しそうに笑う侑に、岸野達は呆気に取られていた。

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    DONEきらきらではなくて、どろどろ


    恋ってきらきたしているものかと思っていたのに、どろどろしているなと思った日向の話。匂わせ程度ですが事後です
    恋に落ちるのは一瞬だと言う。その恋が永遠に続くかどうかは、その人次第だと思う。俺も、いつかよく街中で聞くラブソングのような恋をするのだろうと思っていた。きっとその恋はきらきらと輝いているのだろうと。
    「なんか、想像よりもきらきらしてないですね」
     ベッドに寝転びながら、お風呂から帰ってきた侑さんの顔を見つめ、思わずそんなことを言ってしまった。髪をタオルでごしごし拭いている彼は「はぁ?」とまるでヤンキーのように言いながら首を傾げる。
    「何がきらきらしとるん」
     彼がベッドに座ったことで、少し軋む。
    「恋が?」
    「なんで疑問形やねん」
    「ふっとそう思ったんです」
     もっときらきらとしていて、砂糖のように甘くて、ぽかぽかと暖かい気持ちになるのだと思っていたのに、今はそんな理想とが違う気持ちだ。
    「もしかして翔陽くん、少女漫画みたいな恋とか憧れとるん?」
    「それは侑さんでしょ」
    「否定できひんなーいいやん、性欲のないただ『好き!』っていう関係って、清くていいやん」
     言葉とは裏腹に、するすると指先で体を撫でられる。ちゃんと服着ぃやと言われていたが面倒で着ていなかった俺も悪いが、今そんな手つきで 1148