12年目の別れの続き---
後日談
男の体がきつい、と言われたことを気にしている千冬の話
さあさあと音をたてて肌に細かな水滴が降ってくる。賃貸にしては珍しいほど広い浴室は、白を基調としたタイル張りでどこか瀟洒で美しい。バスタブも足を伸ばせるほどゆったりとしていて、男の自分にはもったいないほどだ。
だが今はそんな風呂場を堪能する余裕などまったくなかった。
やや熱すぎるシャワーのせいか、湯気で曇った浴室鏡の前で俺は仁王立ちしたまま隅から隅まで自分の体を見つめていた。
水に濡れて光る黒髪。その下にはなぜか歳を重ねても丸みの抜けない頬。猫のようだと言われた丸い目の大きさは変わらないが、疲れのせいか目の下にうっすらと窪みができている。喧嘩はとっくにやめたというのに、腕回りは前よりもごつくなった気がする。重たいペットフードや大型犬、それからケージなんかを運ぶことが多いからだろうか。
肌は辛うじて水を弾き返している……と思うが、それでも10代、いや中学生の頃とは全く違う触り心地だろう。
「やっぱり12年経つと変わるか……」
小さな声で呟いたつもりが、浴室内で反響して思ったよりも大きく耳に届く。シャワーの音で誤魔化しきれないほど大きなため息をついて、俺はただ自分の体を眺めていた。
場地さんとよりを戻してから、早くも1ヶ月が経とうとしていた。
普通だったら幸せの絶頂期だろう。だが……俺はあることが不安で、こうして鏡の前で自分の体を睨みつけていた。
別れ話をしてきた時の、冷え冷えとした態度、深く拒絶する瞳。それから心を切り裂くような言葉。後から嫌われようとしたのだと聞いて、ひとまずは安心したのだが、彼の放った言葉の一つが、まだ俺の中に不安材料として巣くっていたからだ。
『もう俺も男の体抱くのキツイわ。いい歳だし』
その言葉が、不安を振り払おうとしても心に針のように引っかかってじくじくと俺を痛みつけている。
あの時の言葉は気にしない方がいい。忘れてしまえと何度も思った。
けれど……よりを戻してからまだ一度も抱かれていないせいでその不安は減るどころか増殖する一方なのだった。
そう。まだ一度も抱かれていないのだ。この1ヶ月で。
もちろんそれにはただ彼が手を出してこなかったわけじゃないと信じたい理由があった。
場地さんと別れていた期間はそれほど長かったわけじゃない。だがその間ずっと酷い睡眠不足と栄養不足に陥っていた俺は、場地さんの愛情をふたたび手にしたのだという安心感からかぶっ倒れてしまったのだ。一虎君一人に任せるのは申し訳なかったけど1週間休みをとり、復帰したと思ったら溜まりに溜まった書類仕事に忙殺された。
倒れている間はできるだけ安静に、と見舞いにきてくれた場地さんは触れてくれなかった。キスすらなかった。その後は俺の都合で忙しくて会えない日々で、……それが終わったと思ったら今度は俺が言った「一緒に住みたい」の言葉が俺を邪魔し始めた。
いつも真っすぐに走る……と言えば聞こえはいいが一人で暴走するタイプの場地さんが、同棲するなら早い方がいいと物件選びを始めたのだ。もとから忙しい場地さんの時間はどんどんなくなり、せっかく休みが合った日は1日中パーちん君、ペーやん君と不動産巡りだ。二人きりの時間なんて皆無だった。
不動産のプロがこれ以上ないくらい親身になって家を探してくれたおかげでいい部屋が見つかったけれど、俺の不安とフラストレーションは溜まる一方。しかも、すぐにでも入居できる部屋が決まったら、今度は引っ越しの準備で目が回るほど忙しくなってしまった。
__そうして先週ようやく家具を運び込んで引っ越し完了、これで場地さんと落ち着いて……と思ったら昔の東卍の仲間が新居に押しかけてきて、せっかくの雰囲気は台無しになった。
そして、冒頭の俺の悩みへと舞い戻る。
よりを戻した勢いで、いやせめて同棲を開始した勢いでセックスしてしまえば良かった。でも機会を失ってしまったせいで俺はもうここのところずっと場地さんに触れていない。キスすらしていない。
そうなると場地さんの言っていた、俺の体はもうキツイのだという言葉がじわりじわりと心の中で大きくなっていく。
信じたくないけれど、あの別れの言葉には真実が含まれていたんじゃないか、と。
少なくとも前ほどは彼の興味を惹かないとは思う。それは仕方ない。
20代も後半の大人になった今だから分かるが、14、5歳の体は本当に子供だった。あの頃は一丁前に男のつもりでいたけれど肌も骨格も筋肉もすべてが未発達で、柔らかかった。男になりきれていない歳だった。
今の俺はどこからどう見てもただの男。なんならおっさんに片足を突っ込みつつあるのだ。
「おっさんか。それじゃあ、抱く気もなくなるよな」
軽く言葉にして笑ったつもりが思ったよりも心に重くのしかかる。笑うどころか、はぁ、とまたため息が口から漏れた。浴室の中が湯気じゃなくて俺のため息で曇りそうだ。
俺から誘うのは怖い。何度も抱かれてこなれた体は新鮮味に欠けているだろうに、そんなんでどうやって誘惑しろっていうんだ。それにキスすらしてもらえない状況で、誘おうにも隙がなさすぎる。
場地さんの言葉が本心だったんじゃないかって思うと怖い。俺は永遠に場地さんに興奮する。あの人の逞しい胸も太い腕も割れた腹筋も全部好きだしいつまでだって見る度にどきりとする。
だけど抱く側と抱かれる側では思うことは違うと思う。
「まぁしょうがねぇよな……もう長ぇし。飽きもするか」
恋が愛に変わり、それが情になったとしても別にいい。俺は結局は彼から離れなければ、場地さんが俺に向ける愛情が、俺のものと一緒じゃなくても構わない。ずっと恋愛しているのは俺だけでもいい。もちろん、少し寂しいという気持ちはあるけれど。
明日は俺も場地さんも休みの日だ。さっき後ろは準備したけど、準備なんて今夜も別にいらないかもしれない。
だけどほんの少しの期待を込めて、俺は念入りに体を洗うと浴室を出た。
風呂を上がって一人で飯を食って、テレビで録画してた動物番組を見ているといつの間にか時間は過ぎていた。
「場地さん、今日は遅いんだな……」
場地さんの仕事が終わるのは最近は遅くても8時すぎ。真っすぐ帰ってくれば9時には家に着く。なのにもう時計の針は10時を指していた。
朝からペットショップの犬の散歩やらで疲れていた体が、やることのない手持ち無沙汰と合わさってソファに沈み込んでいく。ソファにだらしなく横たわったままスマホを取り出すが、通知は特にきていなかった。
「もう寝ちまおうかなぁ」
以前だったら起きて待っている。お互い休みの前日で、予定のない日は場地さんは絶対に帰ってきて俺を抱くって思ってたから、俺が寝てたら不貞腐れるだろうと。忠犬よろしくお座りして待っていただろう。たとえ深夜になっても。
同棲をはじめたら、毎日がそんな日になるんだろうと思っていた。たとえ抱かれない日でもお互いが帰ってくるのを今か今かと待ちわびて、帰ってきたらまっさきに出迎える。それで一緒のベッドに仲良く入って、帰る場所が同じという安心感を噛みしめるんだと思っていた。
だけど現実は違ったみたいだ。
俺は一人で、場地さんはいつ帰ってくるのかも分からない。連絡もない。帰ってきても抱きしめてくれるかも分からない。
そのことに気が付かずに、期待を込めて後ろの準備までしていた自分はとんだ間抜けだと思う。
帰ってこない場地さんに……なんだか、俺の嫌な予想が当たってしまったような気がする。
場地さんはもう俺を抱く気はないのかもしれないな、とソファに寝転がったまま天井を見て思った。
あの、一度別れた時がきっかけになったんだろうか。怖くて聞けていないけど、あの別れていた時に場地さんには彼女らしき人がいた。
二股なんて男らしくないことはしない人だから今はきっと別れてくれたと信じたいけれど……俺と別れていた間は、きっと彼女さんと普通に付き合っていたんだよな。俺が部屋にまで押し掛けたあの日にヤったのかな。
柔らかな唇。細い腰に豊かな胸。すべすべの肌。受け入れるための体。そんなものを味わってしまったら、いまさら男の体に欲情しろと言われても無理なのかもしれない。だって俺が勝てるものなんて1個もない。硬い体にごわついた肌。胸は平らで面白味がないし、後ろはいちいち慣らさないといけないから面倒臭い。男の俺しか知らなかった時なら不満に思わなかったことも、比べてみるとやっぱり女の方がいいと思っても仕方ない。
そのことに気が付いてしまって、胸の奥が鉛でも飲み込んだように重くなる。
愛が情に変わってもいいとさっき思ったはずなのに、鼻の奥がつんとなる。たった一人で道端に放り出された子供のような心もとなさと、寂しさが胸に押し寄せてくる。
こんな幸せな生活を手に入れておいて何泣いてるんだと目元を強く擦った。
いいんだ。別にいい。俺は傍に居られればべつにいい。
場地さんがこの先、欲望をどこかで処理してきても気にしない。だって気にしなければこのまま一緒に住み続けられるんだから。
俺が望んで手に入れた、夢にまで見た同棲生活だ。ずっと一緒に住みたかった。その我儘な、一緒に住みたいって願いを場地さんは叶えてくれたんだから、これ以上望むのは罰当たりだ。心も体も縛らせてくれなんて言えない。
何度も心の中でそう唱えるけど、何度目を瞬かせても、溢れそうになる涙は引っ込んでくれない。このままリビングにいても碌な思考にはなりそうにない。そう思った俺は重い足取りで寝室に向かった。
「千冬ぅ、ただいま」
がたんと重たい音が玄関から響いた時、俺は既に疲れやら胸の痛みやらで うとうとし始めた頃だった。
__帰ってきたんだ。
少しだけれど零れてしまった涙のせいで目元がしぱしぱとする。何度か瞬きをしてからスマホを見ると、俺がベッドに潜り込んでからまだ30分ほどしかたっていなかった。
もっと遅く深夜に帰ってくるか、もしくは朝帰りも覚悟していた。けど思ったよりも早い。嬉しさもあるけれど、さっきまで枕を抱えて唸っていた身としては、どんな顔をして彼に向き合っていいか分からなくて。出迎えなければと頭の隅で思うけれど、ベッドの上から動けないままでいた。
「あ? 寝てんの?」
俺がリビングにいないことを察知したらしい場地さんは、きっと鞄やらスーツの上着やyらネクタイやらをあちこちに放り投げているんだろう。少しどたどたと騒がしい音がして、それから寝室の扉が小さな音を立てて開けられた。リビングから明るい光が一筋差し込んでくる。
「千冬? マジで寝てんのか? まだ11時前だぞ」
そっと、いつもよりも小声で声を掛けられる。俺を気遣ってくれているんだろう。このまま寝たふりをしてしまおうか。場地さんは優しいから、きっと明日の朝まで放っておいてくれる。
そんな考えが頭をよぎるけれど、俺は場地さんに嘘をつけない。一瞬戸惑ってからもごもごと返事をした。
「いえ……起きてます。すみません、ちょっと疲れちゃって横になってました。夕飯、冷蔵庫にありますよ」
「ああ、引っ越しでバタバタしてたもんな~。飯、いつも悪いな」
なにやら場地さんは機嫌が良さそうだ。寝転がって場地さんの方を見もしない俺に気分を悪くするでもなく、明るい声でそう応えると、ぎしりと音をたててベッドの端に座った。
「なぁ……ちょっとリビング来れねぇ? あー、いや、ここでいいや。電気付けてもいいか?」
場地さんはなにやら言いながら、俺の髪の毛をさらりと撫でる。女とは違う、俺の硬い髪を。
そのことに動揺してしまいそっぽを向いていた体が揺れ、思わずその手を跳ねのけてしまった。
「千冬?」
「あ……、」
すみません。驚いてしまって。そう言おうと思った言葉が喉の奥でひっかかり音にならない。
何事もなかったように振る舞いたいのに。俺はこの生活で毎日幸せで満足しているって彼に思ってもらわないといけないのに。でないと、この距離感さえ失ってしまうかもしれないのに。
しまった失敗した。そう思って彼の顔色を窺おうと上体を起こす。薄暗い部屋の中、ベッドの上で向き合うと思ったよりも近い距離に彼は座っていた。ワイシャツのボタンを二つほど外して正面に座る彼はいつも通りだ。だがその瞳は、なぜか俺の顔を見ると驚いたように大きく見開かれた。
「おい千冬、どうした?」
掌が俺の顔に向かって伸びてくる。ああクソ、そうか。どうせ場地さんは朝まで帰ってこないだろうと泣いたまま放っておいた目元のせいか。腫れやすい薄い瞼が恨めしい。
なんでもないんです。そう笑って誤魔化すべきだってのは分かってる。いつものように振る舞えと頭では思うけれど体が固まる。彼の掌が俺の顔に触れる直前、現実から逃げるように目を瞑ってしまった。そのせいか場地さんの手は、俺に触れることなくおろされた。
「あ、……俺、」
何でもないことのように振る舞おうとすればするほど、体がぎこちなく強張っていく。場地さんに抱かれたくてしょうがなかったくせに、女の子と違う体だってことが頭をよぎってしまってうまく動けない。彼に触られたら魔法が解けてしまうんじゃないか、なんて子供みたいなことが頭に浮かぶ。
あからさまに彼の手を避けた俺に、場地さんは少しの間あっけにとられたような顔をして。それから彼の周りの空気が一気に重くなっていくのを感じた。
「なぁ、俺に触られるの嫌か?」
賢くない頭で言い訳を考えていると、はっきりとした口調で尋ねられる。低い、威圧感すら感じる声に、ますます心が委縮する。
違います。そんなわけない。そう言いたいのに口が動かない。
ただただ彼を見ることしかできない俺に、場地さんは一度深く息を吐くと髪をかき上げた。
「一緒に住んでみて、思ったのと違った?」
じっと薄茶色の瞳が俺を見据える。
思ったのと違う。たしかに思っていたのとは違うけれど、別に俺は文句があるわけじゃない。恋人らしい触れあいがないってこと以外は、場地さんは優しいし完璧な人だ。俺が夢見がちすぎただけで、場地さんが悪いわけじゃない。だからどうか、やっぱり別々に住むか、なんて彼が思いついたりしませんように。
どうかこのままでいさせてほしい。そんな祈るような気持ちで首を横に何度も振る。
「千冬」
ふたたび彼の掌が俺に伸びてくる。肌を刺すような威圧感をもったそれが怖くて、また俺は逃げるように顔を伏せてしまった。だけど、今度は場地さんは手を下ろすことはしなかった。
「今更イヤだって言っても、遅いのは分かるよな?」
がしりと後頭部を掴まれる。なにが、と思った瞬間、恐ろしいほど強く引き寄せられて唇に強く噛みつかれた。
「んっぅ……っ!? んんっ!」
唇に場地さんの鋭い歯がくいこみ、痛みに唇を開けるとぬめる舌が差し込まれる。片手で後頭部を、もう片手で顎をがっしりと掴まれて動けない、驚きに目を見開くと、視界一杯に場地さんの顔があって、ようやくキスされているんだと理解した。
前ならもっとゆっくり溶かすようなキスしてくれたのに。こんな暴力的なねじ伏せるような口づけはされたことがなくて頭が追い付かない。散々好き放題俺の口の中を蹂躙して、ようやく唇が離れていったあとには俺ははーはーと肩で息をしていた。
彼と最後にキスしたのはいつだったっけ。タケミっちの結婚式の日だ。その日以来の口づけなのに甘さもけらもない乱暴な口づけに混乱する。なんとか口を離してくれたと思ったのに、ふたたび彼の顔が近づいてくるのを見て、俺は思わず場地さんの体を押し返した。
「え、ちょ、ま、待ってください!」
まだ俺にキスしてくれるのか。この1ヶ月そんな素振りすらなかったのに。でもこんな苛ついたみたいなキス、とても場地さんが俺を好きでしているようには思えない。なんでこんなことを、とか頭の中で色々と浮かんでは消えて混乱しすぎて言葉がでてこない。
口をぱくぱくさせている俺に、場地さんは不愉快そうに舌打ちする。
「抵抗すんな」
「ぅわ!」
じっとりとした瞳で睨みつけられて肩を強く押される。ぼすんとベッドに倒れ込んで腹の上に圧し掛かられる。体重をかけて上に乗られているせいでびくりとも動かない。場地さんに殴られたことなんて芭流覇羅での踏み絵の時くらいだけど、この人の圧倒的な迫力に顔が強張った。
「なぁ。俺、後悔するなよって言ったよな。一緒に住み始めて、いろんな奴に祝福されて、今更ひけねぇよな? 千冬」
「あ……え、……?」
片手が俺の喉元を抑えつけてきて、ぐっと圧迫される。息はできるけど増す圧迫感にひゅうと喉が鳴った。何か聞かれているけれどうまく口が動かなくて、はーはーと息をする音だけがやけに耳に障る。
でも今、場地さん「ひけない」って言っていた。その言葉が胸に刺さった。
そうか。場地さんは俺と早まって暮らし始めてしまったから後に引けなくなってしまったのか。だからようやくしてくれたキスも、あんな風に苛ついていたのか。
そのことに固まって場地さんを見上げていると『聞いてんのか』とすごまれて唾を飲み込んだ。
「ひ、ひけないから俺と住んでるんですか?」
「あ?」
「場地さん、引っ越しちゃって、ひけなくなったから俺と住んでんですか?」
「……今は俺じゃなくて、お前の話してんだろ」
「でも……」
憎々し気に冷たい視線を向けられる。そのことに胸が痛んだけれど、震える唇を開いた。
「でも場地さん、俺と別れてる時に、付き合ってた彼女いましたよね。それで女の子の方が良くなったんすか?」
「はぁ?」
「俺、男だしいい歳だし、場地さんが他で処理したいっていうなら……無理に俺の相手しなくてもいいんで……だから……」
だから、もう少しだけ一緒に住んでくれませんか。もう少しだけ夢を見せていてくれませんか。あと少ししたら諦めるんで。
そう口にしようとした言葉は、俺の首を緩く絞めていた掌によって拒まれた。むぐ、と間抜けな音と共に掌で口が塞がれて。
「おい待て、ありえねぇだろ」
さっきまでの怖い空気が少し緩んで、でもまだ不機嫌そうに眉を寄せた場地さんがそう言い放った。
「男だなんて最初から分かり切ってるし、なんだよ無理に相手するって」
はー、と響くほど大きなため息をつき、それからはっとした表情で俺の顔を覗き込んできた。
「……誰かになんか言われた?」
そっと口から掌をはずされて視線が絡む。さっきまでの刺すような冷たい目ではなくて、どこか探るような瞳だった。
「違います」
「じゃあ急になんだよ。まさか話逸らしてんのか」
一瞬、どう答えていいのか迷った。まさかこの1ヶ月、キスも些細な触れあいすらないことに場地さんは気が付いていないんだろうか。そんなことが脳裏をよぎるけれど、いくら場地さんが頭がいい方ではないとは言えそこまで鈍感ではないはずだ。知っていてしらばっくれているんだろうか。
何が正解なのか分からなくて口を閉ざしていると、ほんの少し場地さんが圧を持った声を出す。低い声で『千冬』と促されて、なんて答えようか考える余裕がなくなっていく。
「言え」
とどめのようにそう宣せられて、俺は小手先の言い訳を諦めて口を開いた。
「……場地さん、最近 俺とキスしなくなりましたよね。抱いてもくれないし。だから、あの彼女さんとヤって、やっぱ女の子の方が良くなったんじゃないかって……俺、思って……」
自分で口にしておきながらじわりと涙が浮かぶ。彼女さん、と言うのも嫌だった。俺には彼女なんていたことないし場地さんたった一人なのに、あっさりと他の人を抱いた場地さんが悲しかった。よりを戻せたから文句は言えないと飲み込んでいたけれど、本当は自分は納得なんてでいていなかったみたいだ。今更ながらに気が付いて、しっかり話さなければと思えば思うほど声が情けなく震えた。
「別に、いいんす、けど……」
しょうがないことですよね、分かってます。慣れ切った相手よりも新鮮な方がいいですよね。
そんな物わかりの良い言葉を言おうとして失敗する。喉が詰まってしまって声にならない。こんな下手な演技じゃ場地さんだって騙されてはくれないじゃないか。
「一緒に暮らしたまま、その……友達に戻る、とかでも、大丈夫なんで……」
「は? ちょっと待て、千冬」
まだ言いつのろうと口を開けていたが、思ったよりも大きな場地さんの『待て』に俺は忠犬よろしく言葉をひっこめた。
そんな俺を見た場地さんが腹の上からどいて、ふわ、と軽くなる。彼は俺の横に胡坐をかいて座ると、がしがしと頭を掻いた。
「あ~~~~、そうか、そうだよな……、千冬」
「……はい」
何を言われるのか、と俺もベッドから起き上がって姿勢を正す。
だが場地さんはしばらく何も言わず足を揺すったり、体をもぞもぞと動かして、それからようやく俺の方を真っすぐに見た。
「アレは彼女じゃねぇよ」
「は?」
「言ってなかったな。お前が家に来るってメッセージくれただろ。あれ見て、道で声かけた女に彼女の振りしてもらった」
「……はい?」
「金払うから、事情聴かずにしばらく部屋に居てくれって頼んだんだよ」
「……金?」
何を言われているのか脳みそが処理しきれなくて、馬鹿みたいに場地さんの言葉を繰り返す。だけどそれを理解したと受け取ったのか、場地さんは大きなため息をついた。
「おかげで知らない女にべたべた触られるし、お前が帰った後もなかなか帰らないしで面倒だったけど……二人きりで千冬に真正面から問い詰められたら、やっぱり別れないって言っちまいそうだったから。だからあえてお前が食い下がれないようにした」
誤解したよな、悪かった。そう言って場地さんはその場で頭を下げた。
……きっとその女、ナンパだと思ったんじゃないだろうか。
知らない男の部屋についていくなんて危ないことするなと思うけど、これだけ顔の良い人に声を掛けられたら舞い上がってどこへでもついて行ってしまう気は分かる。
そんなことをぼんやりと思っていたら、場地さんの手が俺の指先をそっと撫でた。
「だから彼女なんていねぇし、ヤってねぇ」
「……マジっすか」
「嘘なんて言わねぇよ」
そ、と指を優しく撫でられる。だけど、こんな風なほんの少しの触れあいすらもなかった。場地さんが言うのなら彼女がいなかったことは信じるけれど、触れられなかったことの理由にはならないだろう。
「でも、もう俺とは12年っすよね。そろそろ飽きたりとかしたんじゃないっすか」
「飽きるわけねぇだろ」
「……だったらなんで、キスすらしてくれなかったんすか?」
「あー、……それは」
言いにくそうに場地さんは口の中でもごもごと何やら呟く。
その顔に、ほら、やっぱり俺じゃ駄目なんじゃないっすかと思って、指先を振り払おうとする。だけど思いのほか強い力で手を握られ、驚いているとやはり小さな声で拗ねたように囁かれた。
「ちょっとでも触ったら、止まんなくなるだろ……?」
止まらなく? 言っていることの意味が分からなくて首を傾げる。
「は? 止めなくってもいいんじゃないですか……? 付き合ってるんですし」
止める意味ないだろう処女じゃあるまいし。これまでだって散々抱かれてきたのに今更手を出すことに戸惑う理由なんてないじゃないか。訝しく思う俺に、場地さんは唇を尖らせた。
「あのな、倒れて寝込んでる奴に圧し掛かれるほど俺も鬼畜じゃねぇよ。それに早く引っ越しも終わらせたかったし」
「引っ越しっすか?」
「そうだよ。倒れた後にせかして悪かったとは思うけど、ずっと前から一緒に住みたかったのは俺も同じだったんだよ。お前の気が変わらないうちに引っ越しして囲いこんじまおうと焦りすぎた。で、物件見て回った後は千冬いつもクタクタだっただろ? 病み上がりなんだから」
そうだったのか。
場地さんがそんなに俺と一緒にいたいと思っていてくれたなんて想像もしていなかった。囲い込む、なんてまるで俺が逃げようとしてるみたいじゃないか。そう思うけれどまるで独占欲を露わにするような言葉に落ち込んでいた気分が一気に上向くのを感じる。
……俺の体が嫌で抱かなかったわけじゃないのか。
怖そうに見えて優しい場地さんだから、たしかに体調が悪い俺を組み敷くような人じゃないのは分かる。今まで大病なんて経験したことがないから知らなかった。
でもそれだったらそうと言ってくれればいいのに。そうすれば俺も不安にならなかった。そう思いかけて、意気地がなくて彼に真正面から問いかけられなかった俺自身も同罪だなと自省する。
「それが、理由の半分」
「半分?」
「で? 千冬は?」
「え?」
……半分? じゃあ残りの半分は?
そう問いかける暇もなく水を向けられて、大きな体がじり、とベッドの上で俺に近づいてきた。
「千冬は俺と別れてる間に、他の男に目移りした?」
「へ……?」
「一虎の方が最近はずっと一緒にいるよな。あいつ、顔はいいしお前も懐いてるし。一虎と付き合ってみて、あっちの方がいいとか思った?」
「そ、それこそありえないっす!」
一虎君とはそもそも付き合っていないし、俺の中で顔がいい人なんて場地さんだけだ。
そうか。俺も、一虎君の言葉はほとんどが嘘なんだと言っていなかった。
俺の中でそんなことあり得ないのだから、と俺も説明することを怠っていた。場地さんが彼女なんていない、というのを怠っていたように。
どこから説明しようか。マッチングアプリをダウンロードしたことと、一人と会ったことは真実だけど他は全部嘘だ。出来れば出会い系を使ったことすら隠してしまいたいけど、そうもいかないだろう。
何て言おうかと頭を悩ませていると、目の前の場地さんが低い声で唸った。
「あ~……クソ、」
「場地さん?」
体調でも悪いんだろうか。そう思うくらい低い唸り声に彼の顔を覗き込む。すると苦虫を嚙み潰したような苦し気な顔をした場地さんと目が合った。
「こんなこと聞くの男らしくないって分かってる。別れようって言ったのは俺だし、自業自得だってのも。だから嫌だったら言わなくてもいい」
「なんすか……?」
苦々しい顔をした場地さんは、そう一息に言い切った。そんなに言いにくいことを言われるのかと身構える。じっとこちらを見つめる彼の薄茶色の瞳が、なぜか暗くどろりと濁っている気がした。
「俺と別れてから、何人と寝た?」
場地さんの掌が、繋いでいた俺の掌から腕に上り、そして肩から背筋を伝って体を撫でられる。まるで体の輪郭を確かめるように動いていた手が、俺の答えを待たずにそのまま腰にまで回された。
「なぁ、俺しか知らなかったここ、何人に許した?」
「な……に、言って」
「覚えてねぇくらい?」
ぎゅ、と尻を掴まれる。セックスする前の欲を煽るような触り方じゃなくて、まるで罰するような少し乱暴な手つきだった。
「さっきの、お前に触らなかった理由の残り半分な」
さっき言ってた『半分』。説明する気があったのか。
そう思っていると場地さんの体が一層近づいて、ほとんど抱きこまれるようになる。抱きしめらることも彼の匂いも久しぶりで、そんなこと考えている場合じゃないのにクラリとした。
「お前が倒れた時、白い顔して寝てるお前が可哀そうだって思ったのに、めちゃくちゃに犯したくてたまらなかった。中坊のころと同じ無垢な顔してるくせに他の奴と寝たんだと思ったら……ヤり殺してやろうかと思った」
彼が放ったのは思いのほか強い言葉で、そのことに驚いて体が揺れる。俺が場地さんの看病を受けながらのんきに眠っていた間、そんなことを考えていたのか。
「もう傷つけないって決めたくせに最低だよな。だけど一緒に暮らして、俺のものだって安心してから抱かないと、殺しちまいそうだった……」
最後はまるで本当に俺を傷つけでもしたかのように、声は小さく掠れていた。少し項垂れた彼の額が俺の肩に乗る。その様子に、ああ悩んでいたのは俺だけじゃなかったんだと心に染みた。
「別に俺が泣こうが喚こうが寝てようが、ヤってくれて良かったんすよ」
「大事にしてぇだろ。……それまでに酷ぇことしたんだから」
場地さんの体に腕を回してきつく抱き着く。すると真剣な声でそう返されてその言葉に俺は頬が緩んだ。でもぼやけた頭で嬉しいなんて思っていたら、急に首の後ろを掴まれて引き寄せられた。場地さんの顔が眼前に広がる。
「でも、今日はそうするわ」
「ん、んん……」
ちゅ、と触れ合ったと思ったらすぐに唇に噛みつかれ、驚きに口を開くと舌が入り込んでくる。さっきされたキスもそうだったけれど、この12年間で感じたことのない乱暴な仕草が怖いのと同時に、知らない一面を見てしまったようでどきりと心臓が跳ねた。
中坊のころですら場地さんは俺よりも常に一歩先を歩いていて俺ばかりが必死だったのに、今はまるで彼が俺を食らいたくてたまらないというようでそれがほんの少し俺の優越感を煽った。
――少しくらい意地悪しても罰は当たらないよな。
は、と息を吐いてキスが途切れた。
余裕のない姿が可愛いと思ってしまい、心の中で意地悪な気持ちがむくむくと大きくなる。すぐにでも『誰とも付き合っていない』と言おうかと思ったけれど、少しくらいなら焦らしてもいいんじゃないか。俺は彼に騙されて死ぬほど泣いたのだ。ヤった後で誰とも寝てないと言ってもそれほど罪にはならない、はず。そんな気持ちで口を閉ざしたままでいると、場地さんはじぃと俺の顔を見つめる。おそらく俺の言葉を待っていたんだろう。だが俺が言葉を発さないのを悟って、すこし強引に俺の顎に指をかけた。
言わなくてもいいと場地さんが自分で言ったせいで、追及することもできなくて苛立っているんだろう。少し力のこもった指先。再び合わせられる唇も荒っぽい。
「んぐっ」
「ほら、ベロ出せ」
言われるがままに舌をだすと、ぢゅうと音を立てて吸われて絡め取られる。舌先でねぶられ、絡め合わされ、擦り合わせるエロいキス。唾液が溢れそうになるとそれを啜られて飲み下される。フェラを思わせるような仕草にキスだけでゆるく勃起しはじめてしまった。
「んぅ……ぁ、」
クソ、キスなんて数え切れないほどしたはずなのに。あっという間に煽られてしまって体に熱がともりぐずぐずと溶けていく。向かい合わせに座ってキスをしていたけれど力が抜けていき、軽い力で押されただけで後ろに倒れた。
べろ、と脱ぎやすいパジャマ代わりのゆるいTシャツをあっという間に剥ぎ取られる。下半身のジャージも脱がされて下着一枚だ。まだスーツにワイシャツ姿の場地さんに見下ろされ、自分だけが心もとない格好でいることに軽く羞恥を覚えた。上から見下ろされるのも、裸を見られるのもとっくに慣れっこだと思っていたのに。
「ぁ、……場地さ、」
場地さんも脱いで。そういうつもりで腕を伸ばすが、その手を掴まれる。片手をベッドに押さえつけられると、もう一方の手がムードもへったくれもなく無理やり俺の下着を引き摺り下ろした。
「え……?」
「悪い。あんま悠長にやってらんねーかも。次からはちゃんとするから」
皮膚の硬い指先が鎖骨を撫でて、掌全体で胸元を覆うように撫でられる。親指の腹でくりくりと乳首を揺すられて甘い息が漏れた。
「あ! 、ん、ああ」
その甘い声をまるで叱るかのようにきゅうと乳首をつねられて、痛さの後にじわりと滲む快感に体が震える。
「い……っ、たぁ、あ!」
「痛いの、好きだっけ?」
好きじゃない。首をふるふると横に振って否定するけど、納得していない顔をした場地さんはまるで苛めるみたいに乳首を弄る。力のこもった指先に肩が跳ねた。
「ふ~ん?」
「ひぃ、っ!」
じんわりと熱を持ったそこはすっかりたち上がっていて恥ずかしい。痛みに小さい悲鳴を上げると場地さんの指先からは力が抜け、かわりにあやすように何度か優しく撫でられる。カリカリと爪を立てて先っぽをくすぐられると、さっきまで痛みでじんじんと腫れていたはずのそこが、もどかしい快感を拾った。酷い責めかたのはずなのに熱が体にともり始める。
「そのわりには、こっちも勃ってんじゃん」
「んん……っ、あ!」
乳首を苛めたのと逆の手が、俺の下半身に伸ばされる。いつのまにか緩く勃ち上がっていた陰茎に、無遠慮につぅ、と指先を滑らされた。
「俺といない間に趣味変わった? 痛いのが好きになったんなら、虐めてやるよ」
「や……、ちが、……っ、! あ、! やめ、」
「?」
きゅうと強く陰茎を掴まれると上下に扱かれる。緩く芯を持っていたそれはあっという間にしっかりと硬くなり、それでも止まってくれない手にじわぁと我慢汁が溢れた。
くちくちと水音がして、どんどん先走りが漏れてしまっているのが分かる。わざと音をたててるんじゃないかと思うけど、気持ちよさに腰が揺れてしまった。そんな俺を意地悪そうな瞳で見ていた場地さんが、急に爪の先を亀頭にぐりりと押し付けてくる。
「いッ!♡ いたぁ、!♡ や、それ♡♡」
「痛い?」
腰がびくびくするほど痛いけど同時に気持ちよくて、嘘が付けない口は熱い吐息を吐き出した。
「ん……っ! いたい、けど♡、ん、きもちぃ、♡」
「はは、ぐちゃぐちゃ。ローションいらねぇかもな」
敏感な先端をぐりぐりと指先でいじられて先走りを塗り拡げられる。さっきよりは少し優しくなった手つきだけど、いつもよりも乱暴に触られて、でも痛いけど気持ちよくて体がどんどん追い詰められていく。場地さんがその指先を離すとつぅ、と粘りが糸を引いた。
場地さんはいったんベッドから降り、ベッドサイドのチェストからローションゴムを取り出して戻ってくる。ローションいらねぇかも、なんて言っておきながら用意してくれるところが優しい、なんて悠長なことを思っていられたのはその時までだった。
いきなり足を掴まれるとM字に開かされて、後孔が場地さんの眼前に晒される。いくら薄暗いとは言えそこが丸見えになっているのは明らかで、期待と羞恥に後孔がひくりと蠢いた。
視線がそこを舐めるように這っているのが分かる。それだけで愛撫をされているようで後孔がきゅんきゅんと切なくなる。は、と吐き出された熱い息はどちらのものだっただろうか。ローションを垂らされ、指先を差し込まれるとまるで待ち構えていたかのように締め付けてしまう。それが恥ずかしいけど、もどかしくてたまらない。
「ンん、ぁ、あ!」
「エロいな……」
準備していたのが分かったんだろう。すぐに指は遠慮ない動きに変わった。くちくちと音を立ててかき回されて、少し拡がると二本目の指が入り込んでくる。
「んあ、ん……っ、」
もう12年も抱かれた体だ。前立腺もすぐに探り当てられて指先でコリコリと刺激される。いつも優しく撫で上げられる感覚がもどかしいと思った時、急にそこを指で挟むようにして揺すられた。
「え、な、な…ッ ばじ、さ、! なに、!」
「あ? ああ、こっちもしてやるな」
勃ち上がっているチンコも掴まれて、中と外の両方をいっぺんに苛められる。前を触られているだけで先走りが止まらないくらいに気持ちよかったのに、更に後ろまでいじられたら我慢なんてできない。あっという間に追い詰められていって、それが嫌だ嫌だと首を横に振る。強い快感に身悶える。このままじゃイってしまう。
「やっ! ……あ!そこッ…♡、~~っ! やだ、!!♡」
「ん? ここ?」
「うぁっ…、や…ッ!?~~~ッあ、イ、く、うぅ"ッ!!」
腰が逃げをうってひけるのを叱るように陰茎を強く掴まれて、痛いけど気持ちいい。前立腺をいじる指先は止まることなく執拗に何度も押しつぶしてきて、全身がぶるぶると震えてとまらない。堪えることなんてとてもできなくて、あっという間に達してしまった。
「はや」
うっそりと瞳を細めた場地さんが笑みを含んだ声音で言う。だって触ってもらうの久しぶりなんだからしょうがない。自分でしたのとは全然違う。少し痛くても気持ちよくて我慢なんてできなかった。でもそうやってからかわれるように言われると恥ずかしくて、足を閉じようとする……が。
俺の中に入ったままの指があやすようにぐちりと音を立てて動かされた。
「え、……え、ぁ、!」
「あんま簡単に出すと、後々きついぞ」
そう言いながら前立腺を捉えたままの指が小刻みに揺すられる。やだ、まって、という声を無視してぬぷぬぷ♡という音とともに指を抜き差しし、ローションを追加された。
「ま、♡や、あ、ああぁ♡、ちょ、ばじさ、待って……」
「うん」
「まって、まって、て、っは゛、ぁっ、! !、ッ!、〜〜〜〜〜〜ッッ!♡♡♡」
ぴゅる、と情けなく少量の精液が飛ぶ。さっき出したばかりでもう一度追い詰められて、きつすぎる快感に目の前がチカチカしておかしくなりそうだ。しかも中イキだなんて。はーはーと荒い息を吐いて体を弛緩させて目を閉じた。目を開いていることすらしんどい。
12年間でしっかり開発された体は中イキだって何度もしたことあるけど、前で出すのとは違う深い快感に体中が痺れそうだ。
力の入らなくなった足をぱたりと開いて、まるで解剖を待つ蛙のような姿でベッドに転がった。口からは余韻でまだ甘えるような声が漏れてしまう。
「は、あ、……、は、ああ、……、」
「はは、千冬エロぃな。こんな体手放すところだったとか、マジ信じられねぇ。他の男に掻っ攫われてたらと思うと想像だけで狂いそうだわ」
俺の腹の上の精液をおかしそうに指先でかき回すと、それをぺろりと舐められる。見せつけるような仕草に、やめてくださいと軽く睨む。
ティッシュはどこだっけ。
吐精したばかりで怠いけれど上体を起こそうとして……それを場地さんが片手でとん、と突いて押しとどめた。
「え、場地さっ……!?」
「大丈夫だろ」
「で、でも、も……、う、」
「他の男に抱かれた痕、しっかり上書きしてやるからな」
口の端は笑みを作るようにつり上がっているけど、瞳の奥が笑っていない。濡れた手がまた俺の後孔にぬるりと入り込んできて……そのことに俺は悲鳴を上げた。
「や、やだ! や、やめ……! むり、! ♡」
無遠慮に奥まではいり込んだ指が、刺激されて膨らんでいる前立腺をコリコリ♡とひっかくように捏ねる。内側から齎される強制的な快感に体が跳ねるが、それと同時に冷や汗が背筋を伝った。
やばい。
これはやばいのでは。ちゃんと言わないと……マジで狂うまでイかされてしまうのでは?
ささいな仕返しのつもりだったのに。
「ちょ、ま、待って、」
「なに、気持ちよくない? それとも足りねぇ?」
ぎゅ、とチンコを握られて、俺はひぃと口の中で叫んでから、大きく頭を横に振った。
「誰ともヤってません!」
「?」
「出会い系で一人と会ったけど、飯食っただけでキスもしてないっス! あ、あと一虎君とは付き合ってません! 振りだけです、振り!」
俺のケツに指を突っ込んだままの場地さんは、言葉を聞いてぴたりと指を止める。探るようなするどい瞳が俺の顔を見つめて、小声で確かめるように呟いた。
「……それ、本当だろうな」
「俺、場地さん以外に抱かれてません!」
他の人と会ってみようかっていう気には一度はなったけれど、結局あんな男とは気持ち悪くて手も繋げない。だから俺には場地さんだけ。そんな気持ちを込めて大声で叫ぶと彼は、はー、と大きなため息をついて俺を睨んだ。
「マジか……おい、早く言え」
「さーせん」
ぐちゅりと水音を立てて指が引き抜かれて、手を伸ばした場地さんがティッシュで俺の腹の精液を拭う。こちらを見ない彼にどうしたんだろうかと顔を覗き込むと、ほんのり頬を染めた場地さんと目が合った。
――え、照れてる? それとも喜んでんの?
「あ~クソ、嫉妬するとことか、まじ恥ずいわ」
あ、恥ずかしがってたんだ。え、っていうか嘘だろ可愛い。子供のように唇を尖らせている場地さんの顔をまじまじと見てしまう。いつも格好いい人が見せた可愛い姿にこっちまで照れてしまって、顔に血が上るのを感じた。滅多に見られない顔だとじっと見ていると、それに気が付いたらしい場地さんが少し怒ったような顔で俺に顔を近づけてきた。
「ん、♡ んん、……♡」
唇がそっと合わされたと思ったら、長い舌がぺろりと唇を舐めてから口の華夏に潜り込んでくる。とろとろに甘いキスをされて、ただでさえ体の力が抜けていたのにますますぐにゃぐにゃになってしまう。上から圧し掛かられると足を持ち上げられた。
「千冬」
場地さんは乱暴な手つきでワイシャツを脱ぐと、ベルトをはずして前をくつろげる。下着をずり下げるとぶるん♡と勃起したチンコを掴み出した。ずり、とそれを扱いて見せつけられて、俺の口から熱い吐息が漏れた。
「……挿れていい?」
野性的な瞳で尋ねられる。さっき痛いほどイかされて、本当ならちょっと休憩したいけど。でもその切羽詰まったような視線に、俺は頷いた。
◇◇◇◇◇
部屋に差し込む日差しが眩しくて重たくくっつく瞼を持ち上げる。ああ朝……どころかもう昼過ぎだ。置いてある時計にチラリと視線を向けると、思った以上に時が過ぎていて、しまったと体を起こした。
「う、……、うぉ、腰、痛ぇ……って、声もやば」
昨日は、まるでセックスできなかった期間分を取り戻すかのように激しかったしねちっこかったしなかなか終わってくれなかった。場地さんめ。体力おばけだな。そんなところもカッケーけど、筋トレが趣味だとは言え、あまりに体力がありすぎる。
布団の中で恥ずかしいような困るような気分でもぞもぞと蠢いていると、リビングの方からがたがたと何かを動かすような音がした。
「場地さん? 場地さーん?」
パジャマを掴んで軽く着込むと、よたよたとした足取りで立ち上がり、寝室を出てリビングへと向かう。軽い音を立てて扉を開くと、明るい笑顔の場地さん。だけどそれ以上に、その場地さんが支度したのであろう光景に、俺は目を見開いた。
「はよ」
「おはようございますって、……え? あの、……これ」
テーブルの上には簡単な朝食の脇に、――白と紫に彩られた花束と高級感のある小さなケース。俺の人生であまり見たことのないものだけれど、その掌に収まるサイズのケースは……まさか。まさかじゃないだろうか。
「昨日、受け取りに行ってたら帰り遅くなっちまった」
扉の前で固まっている俺の手を引くと、場地さんは俺を花束の前まで連れていく。
「こういうの、嫌がるかもとか思ったんだけど、でも俺のもんってちゃんと他の奴にも分かるようにしておきてぇし」
呆けてしまって声がでない。そんな俺をよそ目に場地さんは小箱を開き、中から銀色に光るリングをそっと取り出した。手を取られて指にはめられると、現実感のなかったそれがじわじわと心に落ちてくる。
「嫌だった?」
「嫌なわけないじゃないですか!!!」
何も言えないで体を固くしている俺に、不安そうに場地さんが言う。顔を覗き込まれてようやく強張りの溶けた俺は、嫌なわけないと叫んでぎゅうと抱き着いた。
「うう……場地さ、好きです……! 好きぃ……!!」
好きで好きでしょうがない。12年間、いや付き合う前からずっと好きだった。場地さんがいなかったら俺は腐って死んでたと思う。それくらいに場地さんは俺のすべて。
そんな気持ちを込めてしがみつくように抱き着くと長い腕が俺の体に回る。
「俺は愛してるからな」
俺と同じくらい強く抱きしめられ、囁くように告げられた言葉に、眩暈がするほどの幸福を感じた。