都合のいい恋人 その後イヌピー視点:
――ココと恋人になった。
信じられないが恋人になったらしい。
長年片想いをしていたココ。彼と一度は決別し、神の悪戯のように突然再会した。そしてセックスフレンドなんていう綱渡りのような関係を経て、俺は彼の恋人の座に収まったらしい。
未だにそのことが信じられなくて自分で自分の頬をつねりたい気分だった。実を言うとすでに何度かつねっている。仕事中もココのことばかり考えてしまうし、仕事がないときは永遠に彼との短いラインのやり取りなんかを見返している。暇さえあれば切れ長の瞳が頭に浮かび、そのいつもは冷たそうな色のある瞳が俺に向かってゆっくり緩められるのを思い出して身悶えていた。
そうだ。つまり俺はすっかり浮かれ切っていて、ココがなにやら悩んで……いや企んでいることに全く気がつかなかった。
◇◇◇◇◇
「ふ、ぁ、」
広くていつも清潔なココのマンション。その寝室に鎮座しているやたらとでかいベッドの上で、俺はココにキスされていた。くちゅくちゅと湿った水音が部屋の中に響いて恥ずかしい。だけどそれ以上に気持ちよくて幸せな気分で、俺は鼻にかかった息を吐いた。
長いキスが終わってそっと瞼を持ち上げると、熱の灯った黒曜の瞳と目が合った。
「イヌピー、明日休みだよね」
「ん」
そっと体を撫でられて俺は従順にうなずく。そうだよ、明日は休みだ。だから早く抱いてくれ。言葉に出せない代わりにぎゅうと彼のシャツをつかむと甘えるように彼にすり寄った。俺はココにキスされるだけでふわふわと頭が蕩けて馬鹿になってしまう。ただでさえ賢いとは言えない脳みそが消えてなくなって、ココに甘やかされるだけの役立たずに成り下がってしまうみたいだ。それが少し前までは嫌でしょうがなかったのに……恋人という立場を手に入れたせいか、俺から遠慮みたいなものがどんどん剥がれ落ちていってしまっている。
「可愛い」
そんな俺に気が付いたのか、ココが蕩けそうな声で囁いてくる。吐息のような小さな声だけど静かな寝室でははっきりと俺の耳に届いて、俺は頬に血が上るのを感じた。可愛くねぇよと呟くが、その反論する声までもがどろりと溶けてなくなりそうな色を帯びている。
ああクソ。こんな甘ったれた男になったのはココのせいだ。自分でも八つ当たりだと分かるようなことを頭の中で考えて思わず舌打ちをした。
そんな俺をココはじっと見つめて――それから、さっきまでの糖分を含んだような声とは違う低い声をだした。
「なぁイヌピー。俺のこと好き?」
「当たり前だろ」
「……じゃあ、俺のお願い聞いてくれる?」
「お願い? もちろんだ」
ココがお願いなんて珍しい。
昔からココは俺に頼らない。頼るのは俺ばっかりだった。俺が迷惑をかけてココが面倒を見る。俺が馬鹿をやってココが尻を拭う。いつもその繰り返しだったのに、お願いなんて。予想していなかった言葉に目を瞬かせたが、俺が一も二もなく頷いた。
そんな俺にココは良かった、と呟いて。
それから、素早い動きで俺の腕を後で組ませた。何をされているのか分からないうちに、俺の手首になにかを巻き付ける。さらりとした革のような感触と、じゃらりと鳴る金属音。
「え、ココ? おい、これ」
首を捻って見ると……どうやら俺は後ろ手に縛られていることに気が付いた。しかもタオルや紐みたいなチャチなものではなく、まるでSMクラブに出てきそうな革の手錠だ。
「痛い?」
「いや、痛くはないけど。なんだよ、これ」
「拘束具。ちゃんとした店で買ったから、結構丈夫なやつ」
「こうそくぐ」
そうじゃない。これが何かを聞きたいんじゃない。だけどココの口からさらりとでてきた単語に驚いて、阿呆みたいに繰り返してしまう。
「うん。後で俺のこと殴っていいから。あ~、でも嫌わないで欲しいかも。それはマジでお願い」
そう言ったココは、のそりとベッドの上を移動して俺を膝の間に抱える。後ろから抱きかかえられるような姿勢になり、ココの体温は近くなったが顔が見えない。不安で体を揺するがまるで宥めるように抱き着かれて、俺は怒鳴ることもできなくなってしまった。
「ねぇ。イヌピーのはじめての相手って、誰?」