はるよ、こい ──ずっと前の話。重くたれこめた雨雲の下。みんな真っ黒な服を着て、しくしく泣いていた。大きなふたつの箱を囲んでいた。その中に入っているのはわたしたちのおとうさんとおかあさん。今はもう、土のなか。
「じゃあアルトリア、お兄ちゃんにいったんバイバイしようね」
片手で数える程しか会ったことのない親戚が、ぐいぐいと手を引っ張ってくる。やめてよ、ちょっとまって。いたいよ。そう言いたいのに言えない。涙はとっくのとうに止まっていた。もう泣いたって仕方がない。おとなたちが決めたことなのだから。
オベロンは未だに何か言っているけど、もう無理だよ、あきらめよう。わたしたちはもう、いっしょにくらせないんだ。だから最後ぐらい、笑顔でお別れを。そう思って表情を作ろうとした時だった。
「待ってください!」
声のした方を見るとそこには、あたたかなひだまりの色をしたひとがいた。こんなひと、親戚にいたっけ。記憶をできる限り辿ったけど、どこにもいなかったはず。なのに。
(どこかで、会ったことがある、ような)
一生懸命その「どこか」を思い出そうとする。でも頭の中がぼやぼやとして、上手く思い出せない。いそげ、いそげ。わたしが密かに焦っていると、そのひとはわたしたちに近づいてきた。
「わたしがこの子たちを引き取ります」
「いきなりなんだ君は。そもそも姉夫婦とどういう関係なんだ」
「わたしは先生の教え子です」
「教え子ぉ?」
「お姉さんが生前教師をしていたのはご存知ですよね? 先生にはとてもお世話になって……高校を卒業してからも何度か相談に乗ってもらったりしていたんです」
そうだった。おかあさんは学校の先生だった。何回かおかあさんの学校にも行った。じゃあ、その時に会ったことがあるとか?——ううん、ちがう。それよりもずっと前、ずっと、もっともっと昔にあったことがあるはず、なんだけど。
「ふん。そういえばそんな職業に就いただなんだと言ってたな。でもなんでそれがこいつらを引き取る理由になるんだ」
「……先生から、聞いていたので。とても仲の良い、きょうだいだと。それが、先生にお別れしに来たらこんなことになっていたものですから」
「こいつらは俺たちにとっちゃお荷物も同然だ。二人まとめて食わせるなんてできるわけねぇだろ」
お荷物。なんとなくわかっていたけれど、それがこのひとの本音なんだ。もう笑顔をつくる気にすらならない。
「おじさん」
ここまでずっと黙っていたオベロンが、ひどく澄んだ声で呼びかけた。わたしは知っている。この声は、もう関わらないと決めたひとを、もうどうでもいいと、彼が判断したひとを相手する時の声だ。
「僕たちはこのひとについていく。だよね、アルトリア?」
オベロンのことばに、わたしは何も言わずに頷いた。ふたりで手を繋いで、そのひとの——あたたかい、ひだまり色の方へ駆け出した。
いつの間にか、雲の隙間から陽の光が射し込んでいた。
●
……ピピピピピピ!
夢を見た。もうずっと前の。わたしたちと、彼女がはじめて出会ったときの。
それより! この、
「このあまーい匂いはフレンチトーストですね?」
わたしの嗅覚に間違いはない。ぜっーたいにそうです。今日の朝ごはんは、立香の絶品フレンチトースト! すぐに布団から飛び起きて、身じたくを済ませ、階段を駆け降りる。
「こら。転んでケガしたらどうするの。フレンチトーストは逃げないんだから」
「えへへ……」
ダイニングに着くと、夢に出てきたあのひとが、フライパンとフライ返しを持ったまま、ちょっぴり呆れた顔をしていた。
彼女の名前は藤丸立香。わたしとオベロンにとっての、育ての親のような存在。
わたしとオベロンは双子のきょうだいで、小学四年生の春に立香と出会いました。
「アルトリア。きみ、もう少し落ち着きを持てよ。そのうちきみのせいで階段が壊れるんじゃないか?」
「オーベーローン!」
「ははっ」
「朝からやかましいなぁ……」
わたしとオベロンが言い合って、立香がちょっぴり呆れた顔をして。テレビでは天気予報が流れていて、今日も真夏日ですとお天気お姉さんが言っている。テーブルの上にはおいしい朝ごはん。今日のメニューは絶品フレンチトーストと、淹れたての紅茶。
これがわたしたちの日常。いつも通りの朝。
この日々がずっとずっと続くんだと、変わらないんだと、そう、思っていた。