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    お箸で摘む程度

    @opw084

    キャプション頭に登場人物/CPを表記しています。
    恋愛解釈は一切していません。

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    お箸で摘む程度

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    シンとシリウス リンクストーリー前供養
    シンがシリウスを崇拝するのは彼の美学に基づいているんだろうかとか、宗教嫌いとはどういうことなんだろうかとか、睡眠妨害が何をもたらすんだろうとか、……
    1部8章ごろに書いていたものです

    本質と美学 美しいものが好きだ。ランプの下に手の甲を翳した。黒曜石のような爪に光が、まだ塗ったばかりの柔らかい表面をぎりぎりの張力で保って揺れている。死んだ細胞のなだらかな丘を漆黒が覆えば、自分の末端が美しいモノとして永遠になったみたいで気分がいい。闇の色からはすももの匂いがする。刷毛を慎重に瓶へ浸し、ソファに足を上げて寝転がった。マニキュアが完全に乾くまで、俺は爪先の奴隷になる。自分の意思で動くことのできない俺はこの時、ある意味で人間を失っている。そうすれば俺は、永遠に美しく居ることができる。
     蝶番の軋む音に視線を遣ると、扉の隙間から細い肢体の猫が滑り込んでくるのが目に入った。
    「おっと。こっち来るんじゃないぜェ」
    ビゼルは円い目をきょろりとこちらへ向けるも、我関せずの鷹揚さで部屋を横切り、暗い窓の縁に跳び乗る。身体を曲げて毛繕いをする影から、長く伸びて空間を泳ぐ尻尾の自由な曲線は、不自由な身の俺の感性をくすぐるように満たしてくれる。

     例えば衣服というものが、ただ美しいだけの布きれじゃあ全然ダメで、人間の身体とかいうヘンテコな形のヘンテコに動く物体を覆うという役割を持ったうえ、その制約ばかりに囚われまいと試行錯誤しているところが、俺は好きなんだ。ファッション。身体を隠したり守ったりするという本来の在り方から視点がはずれて、役割をもたない柄だとか形だとかによって価値が生まれる、その無意味さがたまらなく愚かで美しい。美は本質から遠いところにある。
     袖や裾をひらつかせ、無意味に重なる布を纏った、しかしその人間ってのは馬鹿みたいに汚らしい。人間の、思想とかいうご立派なもので、美は簡単に穢れてしまう。政治だの、宗教だのというやつだ。そういうバカげた集団幻覚を、造形や色に結びつけようとするんだからたまったもんじゃない。日の当たる地上は象徴主義にまみれてる。それがまかり通ってるんだからありえない話だ。本質から、美とは反対方向にかけ離れているのに、あたかも美に近いかのような見方をされてる。相対値でモノ見てんのかよ、アホが。
     俺は絶対のものしか信じない。何色でもない白と己の感性が選んだものたち、それらを纏った自分自身。信じられるのはそれだけだ。俺は、俺の感性が良しとするもの、そして俺の感性そのものを、それだけを愛して生きているんだ。



    (……暇だな)
     磨きぬいたアクセサリーを丁寧にケースへ収め、ひとつ伸びをして時計を見上げた。今日は何をする気も起きずに朝から引きこもっていたが、呼び出されることも騒ぎが起きることもなく、時計の針は夕刻に近づきつつある。こんな日に限って出来損ないは不在で、憂さ晴らしにすら使えもしない。空腹なような、そうでもないような感じを抱え、俺は腰を上げて部屋を出た。
     外の空気でも吸いに行こうと足を進める。スマートフォンに落としていた視線をふと上げると、一角の扉が薄く開いているのが目に留まった。シリウスの私用の部屋だ。珍しい、こんなこともあるもんか。あいつは基本、周りを意にも介さず自分のしたいようにふるまっているが、それがかえって彼自身のテリトリーに何をも踏み込ませない空気を作り出している。目に入る場所でどんなことでもしてみせるからこそ、姿が見えないとき、シリウスがどこで何をしているのか、俺たちは全く知りようもない。この部屋の扉が、まず開くということを初めて知ったと言ったってうなずけるくらいだ。だから、意図的にしろ不意のことにしろ、シリウスの部屋の扉が開いているなんて事態は、見過ごしていられたものじゃない。

     とはいっても、さて、どうしたもんかなァ。まさか、いきなり覗き込むなんてのは、命知らずもいいところだ。覗き込んだその瞬間、眼前にあるのはあの世の景色かもしれない。正直なところ、いま俺は、かなり危険な状況にある。ノックをしてみたり、声をかけてみたりすれば、この扉を俺が開けたと思われたっておかしくない。一旦ここを離れて、何も知らないそぶりで通信をかけてみようか。いや、でも、シリウスであれば俺がここにいたことくらい、どう考えてもお見通しだ。もしかして、俺の反応を楽しんでるんじゃねェだろうな。にっちもさっちもいかなくなって、俺は一度頭を冷やそうと、息を吐いた。俺は何も悪いことなんかしちゃいない。歩いてたら、ただ、この部屋の扉が開いているのに気づいたってだけだ。それを教えてやるってだけだ。何も悪いことはない。
    「……シリウスー。ドア、開いてるぜ」
     扉の脇の壁に背をつけて、そろりと声をかけてみる。もとより気配はなかったが、シリウスならばすぐに反応があるだろう。そう踏んでいたのに、返って来るのは沈黙ばかりだった。
    「シリウス。おーい、居ねェのか? 居るんなら返事しろー」
     訝しむうちに声は大きくなっていく。この様子じゃ、本当に居ないのかもしれない。虚空に声を掛け続けるのも滑稽で、俺は意を決して部屋を覗いてみることにした。
    「オイ、ホントに居ねェんだな? 開けるぜ……って、」
     万が一にもシリウスがいることを危惧して、わざとらしく声を上げながら扉を向く。隙間から内側をそっと覗き込んで、俺は驚愕した。

     そこには、シリウスがいた。……眠っている。扉の奥の壁際にはソファ、その黒い革の座面に白が浮くようにして、シリウスが眠っている。
     しまった、と、慌てて口をふさいだところでもう遅い。いつも上機嫌で温厚なシリウスだが、寝ている彼には近づかないのが吉というのが暗黙の了解だ。いつだったか、眠っているシリウスを誤って起こしたやつが、俺の瞬きの間に塵と化したのを見たことがある。寝起きが悪いためかはたまた意識がはっきりしないためか、原因はいかにせよ、俺が知る限りシリウスが理由もなく身内を無下にしたのはその時限りだ。いや、つまり、消される理由になり得るってことだ、シリウスの眠りを妨げるという行為は。
     だから、俺の発した音がシリウスに届いてしまっているいま、俺は光の速さでここを逃げ出すべきなのだ。事を半端で置き去りにするたちではないが、シリウスからの制裁を前にすればそんなことは関係ない。俺とて俺の身はかわいい。
     けれども、俺は動かなかった。否、動けなかったと言う方が正しい。足が地面に、視線が彼に、縫い付けられている。恐怖に澄んだ神経のすべてが、目的を見失ってただその姿に集中している。

     これこそが、絶対的なものだ、と思った。美そのものが、そこにはあった。
     肘掛けに預けられた頭の天辺から、ゆるやかな螺旋の広がりで流れる白い髪。影を落とす顔は無駄のない輪郭から首筋につながる。しどけなく投げ出された肢体の、腕の直線、胴体の曲線、組んで伸ばした脚が膝と足首で描くカーブまで、すべてが完璧なかたちを描いている。そこに薄く纏わる白。白を際立たせる柔らかい黒。これこそが、絶対的な、完璧な美だと、そう思った。
     俺は誘蛾灯におびき寄せられる羽虫のごとく、それに近づいていった。鳩尾の上の手指が、自然のつくりで曲げられている。薄づくりの唇は少しひらいて、真珠のような歯の並びが覗いている。
     美しいモノだった。このとき、シリウスは永遠のものに思えた。普段の姿にも生死を感じさせないように、眠っていても、生死を超越した神秘のようなものがうかがわれた。
     息をするのも忘れて、その姿に見入る。息をするのも忘れて、俺もまた、永遠になるような気がする。

     そのとき、羽毛めいた睫毛が不意にふるえて、一対の真紅が俺をとらえた。
    「!」
     消される! 本能にも近い恐怖が瞬時によみがえって、俺の全身を駆け巡った。今度こそ俺は、光の速さでここを逃げ出すべきだった。
     けれども、俺は動かなかった。今度は動けなかったのではなく、自分の意志で、そこにとどまった。
     いまなら、永遠になれる——そんな思いが、俺を引き留めていた。この永遠みたいなひとに、永遠にされるなら、望んでこの身を捧げたい。時の流れの止まったようなこの部屋で。汚らしい人間を脱却して、本質から外れて、ただ美しく在れたなら。それをこのひとにもたらされるなら、それ以上のことはない。そう思った。

     シリウスは、水分を極限まで湛えた柘榴のような双眸をしばし覗かせ、そのまま、緩慢な動きで瞼を下ろした。繊細な睫毛が緞帳のごとく、俺とシリウスとの間を絶った。
     俺は軋む膝を無理やり動かして、ソファのもとを去った。扉を潜って、静かに閉じた。
     そして廊下を元来た方に戻って、自分の部屋でやっと呼吸をした。ビゼルの影はもうなく、無機質な鉄製の窓枠が涼しい。



    「やあ、いたのか」
     数時間の後、リビングに赴くと、そこにはシリウスがいた。何が面白いやら、小さな木彫りのトーテム・ポールを眺めている。
    「ああ?」
    「シャムスは居ないみたいでね。てっきり、君も出かけているのかと思っていたんだが」
     何言ってんだ、ついさっき——そう言おうとした口を、俺は閉じた。そのまま、テーブルの角を挟んだソファに腰かけて、相変わらず矯めつ眇めつしているシリウスを眺めた。シリウスは柘榴のような双眸をちらりと向けて、何が面白いやらとでも言いたげに、ふたたび鑑賞に戻った。
     その姿を、俺は飽かず眺めていた。


    本質と美学 完

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    お箸で摘む程度

    TRAINING研究部
    感覚からヴィクターを想起してみるノヴァのお話。
    move movement poetry 自動じゃないドアを開ける力すら、もうおれには残っていないかもなぁ、なんて思ったけれど、身体ごと押すドアの冷たさが白衣を伝わってくるころ、ガコン、と鉄製の板は動いた。密閉式のそれも空気が通り抜けてしまいさえすれば、空間をつなげて、屋上は午後の陽のなかに明るい。ちょっと気後れするような風景の中に、おれは入ってゆく。出てゆく、の方が正しいのかもしれない。太陽を一体、いつぶりに見ただろう。外の空気を、風を、いつぶりに感じただろう。
     屋上は地平よりもはるか高く、どんなに鋭い音も秒速三四〇メートルを駆ける間に広がり散っていってしまう。地上の喧噪がうそみたいに、のどかだった。夏の盛りをすぎて、きっとそのときよりも生きやすくなっただろう花が、やさしい風に揺れている。いろんな色だなぁ。そんな感想しか持てない自分に苦笑いが漏れた。まあ、分かるよ、維管束で根から吸い上げた水を葉に運んでは光合成をおこなう様子だとか、クロロフィルやカロテノイド、ベタレインが可視光を反射する様子だとか、そういうのをレントゲン写真みたく目の前の現実に重ね合わせて。でも、そういうことじゃなくて、こんなにも忙しいときに、おれがこんなところに来たのは、今はいないいつかのヴィクの姿を、不意に思い出したからだった。
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