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    お箸で摘む程度

    @opw084

    キャプション頭に登場人物/CPを表記しています。
    恋愛解釈は一切していません。

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    お箸で摘む程度

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    兄弟

    1123の日短編
    図らずも二人で実家にいる兄弟の話

    ##ビームス兄弟

    在る静寂 静寂は音が無いのではなく、静寂という音が存在するのだと思う。無いものに得意も苦手もないけれど、在るからこそ、得意と苦手があるのだと思う。ディノは、静寂が苦手らしい。おチビちゃんも多分そうなんだろう。キースのことはよく分からない。俺は、昔は好きだったはずだった。でも今は――



    在る静寂



     よく沈むソファに腰を据えて、俺は窓の外を見た。落葉樹は赤や黄色に彩られ、朽ちた命が地面を染める。足を急かしてやってくる寒さがまだ雪を降らせるまでには届かない、この時期は最も美しい。雲ひとつない午後だった。
     室内のしずけさが俺に迫る。うるさいくらいの静寂だ。目線をちらりと向けると、ブラッドはテーブルでタブレットを注視している。

     閑静な郊外にある実家では、アカデミーやタワー、イエローウエストとは全く違った時が流れているように感じる。敷地面積に対して人が少なすぎるということもあるし、家そのものの頑丈な造りに加え、俺の楽器演奏のために施された防音設備もはたらいている。暖炉にぱちぱちと爆ぜる薪の音だけが鼓膜を打った。いま深く吐いた自分の息の音。鼓動の音が耳からも入ってくる。カチリ、これは、タブレットの電源を落とす音。

    「フェイス」

     静かな声だった。静寂を壊すことのない、俺の静寂の中に含まれたその声。俺は緩慢に首を巡らせた。ブラッドが椅子を引いて立ち上がる。

    「コーヒーを淹れるが、お前も飲むか」
    「……ちょうだい」

     必要最低限の言葉で返そうとして、耳で認識したそれは、小さな子供のような拙さだった。俺が自分の言に羞恥を覚えるのを余所に、ブラッドは吊り棚から薬缶を取り出した。水を注いで暖炉にかける。湯が沸くのを待つ間に、ソーサーとカップを軽く濯ぐ。ドリッパーと挽いた豆、台形のペーパーフィルター。俺はソファの背面から覗いているだけ。
     喫茶店のマスターさながらの手つきで鶴口から湯を注ぐブラッドを、永遠に眺めていられる、と思う。俺がまだ火を扱うことを許されない年頃、給仕のまねごとはブラッドに一任されていた。ココアやホットミルクが小鍋の中でふつふつと温まるのを、ブラッドは真剣な顔で世話し、二つのカップに注いだものだ。ブラッドの陶器製のマグカップと、俺のプラスチックのコップ。大きさの違うそれらに、ブラッドは自分の分が多くならないよう慎重だった。およそ同量注がれた甘くてあたたかい飲みものは、小さな俺のコップのほうが沢山入っているように見受けられて、俺はいつも喜んだ。こんなに美味しいものを作り上げて、俺に多くをくれるブラッドは、俺にとっては魔法使いのようだったのだ。

     そのときの気分が鮮やかに蘇ってくるのを感じる。サーバーに二杯分抽出されたコーヒーを、ブラッドは均等に注いでゆく。少量ずつ交互に注ぐのは、日本茶の作法だといつか聞いた。しかしブラッドは日本文化に傾倒する前から、こうして二つのカップに飲みものを均等に注いでいたということを、俺だけは知っている。

    「飲むならこちらへ来い」
    「ハイハイ」

     指図の声は俺を刺すそれと同じだ。この家でだらしなくソファに埋まったまま飲むことは許されない。仕方なくブランケットを剥いで、室内履きをつっかける。ブラッドの向かい側に座った。そこはいつだって俺の特等席だった。
     差し出されるコーヒーカップ。ブラッドと同じだ。浅煎りのブレンド、ソーサーには茶菓子が乗っている。口寂しいのを寒さに甘んじて耐えていたことを、果たして見抜かれていたのかもしれない。こちらが求めるものを、言わずとも与えられる。また、過去の錯覚が襲う。

    「……ありがと」

     ブラッドがカップに口を付けているタイミングを見計らって、素早く言った。言葉を返されないように。そして言葉を続けなくていいように、俺もすぐカップに口を付けた。芳醇な香りが広がる。静寂が落ちる。


     俺は静寂が好きだった。静寂の中に兄の姿があったからだ。
     いつだって静かなこの家で、ブラッドといる時間はことさらに静かだ。それはきっと、俺がレッスンから逃げてきて、音楽のない場所を求めたからだ。ブラッドは静寂が好きだ。だから、俺も静寂が好きだったのだ。

     静寂を嫌いになったはずだった。兄の姿を思いだすからだ。
     音楽の海に身体を投げて、享楽はいつも音の中だった。何も考えなくていいように。何も思いださなくて済むように。アカデミーの頃もタワーでの生活も、それは案外容易に叶う。ディノもおチビちゃんも、キースもきっと、そして俺も、静寂が嫌いだからだ。
     それなのに、今、二人きりのリビングルーム。ブラッドの部屋を、ベッドの中を、テントの空間を思いだす。こんなにも静かで、こんなにも、落ち着いている。


    「フェイス」
    「……何」
    「お前の楽器は、ここにあるのか」

     不意にブラッドが言葉を掛けた。その内容は思いがけないもので、俺は目を瞬く。暖炉の薪がぱちりと爆ぜる。

    「あるよ。置きっぱなしってことだけど」
    「……弾いてくれないか。お前がよければ、だが」

     続く言葉は一層思いがけず、俺は危うく噎せそうになった。
     楽器を弾くことは、別に構わない。帰省の度に指慣らしはしていた。
     けれど、ブラッドに求められれば、それは途端に意味を持つ。ブラッドを避けたい音の氾濫が、それすらもブラッドを彷彿させるものになりかねない。


    「……いいけど……」

     それなのに、俺の口からは、自然に肯定の言葉が滑り落ちた。俺が静寂に兄を見出したように、兄は音に俺を見出したのかもしれないと思ったからだ。
     最後の一口を含んで、俺は立ち上がる。床を滑る椅子の音は、静寂の中に飲まれていく。

     室内のしずけさが俺に迫る。ヴァイオリンの音色が俺の静寂にどう関与するのか、ブラッドの静寂にどう関与するのかを考えながら、俺は口の中の苦味をゆっくりと飲み込んだ。


    Fin.
    2021/11/23

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    お箸で摘む程度

    TRAINING研究部
    感覚からヴィクターを想起してみるノヴァのお話。
    move movement poetry 自動じゃないドアを開ける力すら、もうおれには残っていないかもなぁ、なんて思ったけれど、身体ごと押すドアの冷たさが白衣を伝わってくるころ、ガコン、と鉄製の板は動いた。密閉式のそれも空気が通り抜けてしまいさえすれば、空間をつなげて、屋上は午後の陽のなかに明るい。ちょっと気後れするような風景の中に、おれは入ってゆく。出てゆく、の方が正しいのかもしれない。太陽を一体、いつぶりに見ただろう。外の空気を、風を、いつぶりに感じただろう。
     屋上は地平よりもはるか高く、どんなに鋭い音も秒速三四〇メートルを駆ける間に広がり散っていってしまう。地上の喧噪がうそみたいに、のどかだった。夏の盛りをすぎて、きっとそのときよりも生きやすくなっただろう花が、やさしい風に揺れている。いろんな色だなぁ。そんな感想しか持てない自分に苦笑いが漏れた。まあ、分かるよ、維管束で根から吸い上げた水を葉に運んでは光合成をおこなう様子だとか、クロロフィルやカロテノイド、ベタレインが可視光を反射する様子だとか、そういうのをレントゲン写真みたく目の前の現実に重ね合わせて。でも、そういうことじゃなくて、こんなにも忙しいときに、おれがこんなところに来たのは、今はいないいつかのヴィクの姿を、不意に思い出したからだった。
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