趣味が悪いだけ 夜の帳はすっかり落ちている。手に持った灯りが無ければ、隣の男の横顔を見ることもできない。洛中から外れてしまえば、その暗さは一段と濃くなっていた。
「…まっじぃ、」
「そらそやろ」
急にしゃがみこんだかと思えば、道端に置いてある壺の蓋を取っ払い、中に手を突っ込んだ。稀に謎に光り輝く金属の皿が出てくるようだが、今回は何処ぞの子供が入れたらしい虫が出てきたらしい。
斎藤の悪食の噂は屯所内にも届いている。土方がいつもよりも重い顔つきであったことも、最近の話である。
しかし、結局のところ噂の域を出ない。誰もが未だに、その様を自身の眼で見たことがないからだ。もしかすれば、三番隊の隊士たちは知っている可能性はあるが、斎藤が口止めをしているのか、もしくは隊士たちが自主的に口を閉ざしているのか、今日までそれが事実として判を受けたことはない。
ただ、沖田自身の心情を言えば、斎藤の身に起きることで”知らない事象がある”という事実も気に食わない。
そういう気持ちも作用して、今日も今日とて見廻りを称し、斎藤の後ろをついてまわっていた。
「はじめちゃん、それ毎回やっとるんか」
「え?」
「毎回虫食っとるんか」
「まぁ、そうだな。腹減るから仕方ねえ」
平然と言い返され、それまで脳に浮かんでいた言葉が全部霧散する。
「美味くねぇから、食いたくはないんだがな」
「そらそやろ」
「それ、さっきも聞いたぞ」
内心戸惑い続ける沖田の様子は、一切斎藤に伝わっていないらしい。
虫を食べておきながら、その口を濯ぐことさえせず、一瞬顰めた顔もあっさり元に戻ってしまった。食いたくはない、と言いつつも食べることに躊躇はないようだった。
「好きなもん無いんか」
「好きな、もの」
「はじめちゃんが大食漢はええとして、好きなもんで腹満たせばええやろ」
「無いことも、無いんだが……それも味が、」
比較的軽かった口が急に重くなる。続く言葉を考えるに、そこまで店によって味が分かれる料理となるのだろうか。
京の街において、食事処は数あれど基本的に味自体は何処も統一されているように思う。全ての店を制覇している訳ではないが、思い当たる節がない。
斎藤の素性、故郷が土佐であることも認知している。そこを思えば、故郷の味を求めている可能性も否定できない。
「まぁ、好きな味とあえんのはきついなぁ」
「沖田もそういうのあるのか」
「儂やって好みぐらいあるわ」
「そうか…沖田にも、………あ、」
「はじめちゃん?」
一瞬ばかり何かを考え始めたかと思えば、斎藤の足が自身の放った一言と共にぴたりと止まる。視線も一か所に向けられたものだから、思わずその視線を辿る。
裏路地の、更に奥を斎藤が見つめる。
だが、どれだけ暗さが強かろうと影すら見当たらない。斎藤には何が見えているんだろうか。
「兄さん、あったぞッ」
「お、おいっ。はじめちゃんっ」
羽織の裾を掴まれ、そのまま引っ張られる。自然に呼び名も変わり、斎藤の気分が上がったことが分かった。
しかし、どうだろうか。あまり良い予感がしない。ただ、今更足を止めるにもどうにも気が引ける。
「はじめちゃん、何があったんや」
「俺の好きなもんだ。兄さん、聞いただろ」
また壺でも見つけたのか、その場にしゃがみこんだ。後ろから覗き込む。
手持ち提灯で照らされた、斎藤の好物とやらは壺の中身ではなかった。そもそも、壺すらなく道に這う虫でもない。
最早、何もなかった。
「はじめちゃん」
「…あぁ、兄さんは見えないのか。でも、此処にあるんだ」
「何が、あるんや」
「俺の好物」
どれだけ照らしても、どれだけ目を凝らしても何も見えてこない。斎藤の隣にしゃがんで、視線の先を眺めてもやはり無い。
少なくとも、沖田が”食べ物”だと認識するものは無かった。
転がる”死体”は武士であった。死んでからまだ時間が経っていないようで、流れている血は明るい。腰に差していたであろう刀は抜き身のまま、横に転がっていた。血に濡れた身なりを観察するに、恐らく身分の高い人間だろう。金目的で襲われたことは一目瞭然だった。
「……本当に、これがお前の好物なんか」
「あぁ。なかなか見つからないんだ。よく消えてしまってな」
「消える、て。こないなもん、何処にでも」
沖田の崩れかけている感情は、斎藤に届かない。
星のように輝かせた双眸で目の前の異物を眺めていた。
「いや、時間が経つと消えちまってな。だが、これはまだ死んで時間が経ってない」
「何が見えてるんや、はじめちゃん」
死体の少し上を指差す。
「これだ。あぁ、久しぶりだ。久しぶりに喰う。あぁ、腹減って」
「はじめちゃんっ」
「兄さんにも喰ってもらいたいな」
恍惚とした表情で見つめており、沖田には見えない”何か”を手に取って口元に持っていく。甘味処で団子を食べている時よりも嬉しそうな歪んだ笑顔に眩暈がする。
ぽかり、と口を開けて”何か”を一口で吞み込んだ。
「…んげ、」
「どないした、」
「美味くねぇ」
心底まずそうに眉間に皺が寄り、漸く見覚えのある表情に戻った。
「やっぱりダメだな。……また、腹が減る」
「なぁ、はじめちゃん」
今度、沖田が斎藤の羽織を掴んで立たせた。
斎藤は何が意味されているか全く分かっていないようで、こてんと首を傾げる。
「これ食べな、腹膨れんのか」
「あぁ」
「せやったら、わしが用意したる」
「沖田が?」
夢現は終わったらしく、呼び方も戻ってしまった。
それが少し残念で、しかし沖田の言葉に興味を示していることは素直に嬉しくも感じる。
狂った今の状況に沖田も現実を直視できなくなっているのかもしれない。自分のぐちゃぐちゃと崩れ切った感情に説明がつけられなかった。
「わしが仰山斬ったる。はじめちゃんの喰うもん、わしに選ばせてくれ」
「良いのか。アンタが、俺の腹を満たして、」
また酷く嬉しそうな顔をする。
「嬉しい。嬉しいよ、兄さん」
「せやから、誰にも見られたらアカンで」
「何を」
「そないな顔、わしにしか見せたらアカン。わしの前だけで喰うて」
「よく分かんねぇが、俺に喰わしてくれるんだったら、兄さんの言う通りにするさ」
路地から出て、また街の中を歩く。夜はまだ深い。見廻りも終わるには早かった。
「好みあるんか」
「……若い方が、美味い、かな」
「そら…えらい好みやな」
「いや、子供は別にいいんだ。病が流行ってしまえば、いやでも喰えるようになるしな」
そもそも斎藤に好き嫌いが存在しているのだろうか。
何処に出かけても、斎藤はよく食べる。酒があろうがなかろうが、元々食べること自体に強い執着がないのかもしれない。
「見廻りが終わったら、飯行かねぇか」
「…虫は食わんで」
「好きで食ってねぇよ」
「せやったら、もう食うなや」
暗がりから抜け出して洛中の表通りに近づいてくれば、いやでも至る所から飯の匂いが漂ってくる。