シャッターチャンス×2 ガラの写真を撮る。
寝起きに欠伸をする口、公園で猫を撫でる際の手、風で飛んだ落ち葉を乗せた頭、ハンバーガを頬張る頬、スーパーからの帰り道の足、熱いコーヒーを啜る喉、新刊の本を読み進める目、そしてお風呂上がりの湯気が残る背中。
カチャリとバスルームの扉が開かれる音を聞き、ソファーで寛いでいたハイドは机の上に置いたカメラを取った。半裸のガラがリビングを通る瞬間、すかさずレンズを向け、ボタンを押してシャッターを切る。カラー設定の現像時間はおおよそ十分。寝転がって写真が出来上がるまでの間、脳内で撮影のシミュレーションと完成図を想像して待とうとすれば、上から振って来たガラの手にカメラを奪われてしまった。赤いインスタントカメラが天井に浮かぶ。
「何をするんだ」
「それはこっちの台詞だ。人様の風呂上がりを勝手に撮るな。スケベ」
取り返そうと体を起こして手を伸ばすが、ガラは卑怯にもハイドが届かない高さにまでカメラを持ち上げた。あまつさえ隠し撮りの罰だと、もう片方の湿り気が残る手で額を軽く弾かれる。ただの振りに過ぎず痛みは全く無いが、一応ショックを受けた振りをし、額を押さえながらガラを睨む。しかしガラは自分の痛ましい姿を見ても意に返さず、奪ったままキッチンの方へと向かっていく。
仕方なく後を追えば、ガラは紅茶を淹れるようで湯を沸かそうとしていた。一人分の追加を頼みながらカメラを探すと苦しいことに、冷蔵庫の上の奥に置かれていたのを見付ける。あれでは取り返すことは不可能だろう。人狼向けの冷蔵庫は頑丈で大きく、脚立がないと取れない。溜息を付きながら椅子に座って、紅茶缶を用意するガラに苦情を申し立てる。今日のフレーバーはアールグレイのようだった。
「撮影の練習に協力すると言ったのはお前だぞ」
「言ったが、常識の範囲内という前提だ。食事や寝起きはギリギリ許容出来るとして、風呂はアウトだろうが。次に無断でやったら、被写体から下りるからな」
「多少の露出ぐらい良いだろうに。別に誰にも見せんぞ。私だけで楽しむ」
「見せないのは当たり前だ。俺はハイド氏と違って真っ当に羞恥心はあるんでな。とりあえずさっきの写真は没収しとく」
素っ気ないガラに対して、無断じゃなく一言あれば良いのか、流石に羞恥心ぐらい備わっている等と咄嗟にハイドは反論したくなったが、余計に面倒になりそうで口を閉じた。疑われる事に関しては、心当たりが多過ぎる。取り返す為の突破口を考えている間に湯が沸いて、同時にカメラの現像が終わった音が鳴った。残念ながらタイムアップ、ポットを片手にプリントされた写真を取って、それをポケットにしまうガラを見詰める。
ちらりと僅かに覗き見た写真は想像通りの出来栄えで、筋肉がついた逞しく広い背中が湯上りで薄っすらと赤く染まり、残る水滴が複数の引っ掻き傷に沿って誘うように垂れていた。メンズ向け雑誌の表紙とは行かずとも、特集ページの一面は飾れる。満足のいく写真を胸に、密やかに自分を褒め称え、目の前の同じ背中に視線を移す。火照った肌は冷めて、微かな濡れも乾き切ってはいるが、こちらも十分にセクシーではある。
「ミルクティーで良いか?バリスタに教わってな。生クリームを浮かべてシナモンをトッピングするらしい」
「構わない。丁度、甘いものが欲しい気分だ」
「ならお前のだけ増量してやる」
紅茶を淹れてミルクティーの準備をするガラを後ろから、そっと指だけでカメラを作り、瞼で脳内にシャッターを切った。これぐらいなら、別に叱られることもないだろう。シャッターチャンスの練習ぐらいにはなる。一先ず満足したと自分を納得させ、暫し目を閉じてハイドはキッチンを包む紅茶の香りを嗅いだ。マグカップに注がれ、ミルクと合わさる音を聞き、ふと思い付いた言葉をそのまま口にした。
「もし撮られっぱなしに不満があるのなら、ガラも私の写真を撮ったらどうだ?」
「ハイドの写真をか?モデルを辞めたんだろうに」
「仕事とプライベートでは別だ。ガラの手で撮る、ただのハイドの写真なら新鮮かもしれない」
「少し考えておこう。ほら出来たぞ。バリスタ直伝のシナモンが効いたクリームたっぷりのミルクティーだ」
「もはやデザートだな。ではお手並み拝見といこう」
渡されたマグカップには、下のミルクティーが見えない程にクリームが山のように盛られ、その上にシナモンがちょこんと降り掛かっていた。まずはクリームを少し片付けないと飲めなさそうだ。行儀が悪いが先に舌ですくって食べようとすれば、普段慣れない飲み物の為か上手くいかず、頬や鼻にクリームが付いてしまった。どうせ拭いても食べる度に付くと気にせずに進め、ようやくミルクティーに届きそうになった時。
パシャリ。
自分のカメラのシャッター音が響き、ハイドはクリームを付けたまま、驚いてフラッシュが焚かれた方に顔を向けた。そこには赤いインスタントカメラをこちらに構えたガラが笑っている。数秒後、今の姿を不意打ちで撮られたのと気付き、先程の仕返しかと慌てて飲むのを止めて手を伸ばす。しかしまたもやガラはカメラを天井近くにまで持ち上げてしまい、取り戻す所か振れることさえ叶わない。笑うガラを軽く睨み付ける。
「おいガラ、何を撮ってるんだ」
「顔をクリームまみれにしながら、ミルクティーを頑張って飲んでいる可愛いハイド氏」
「現像したら直ぐこちらに渡せ」
「お前から撮影を提案したんじゃないか。風呂上りと比べたら、どうってことないはずだ。安心しろ、誰にも見せずに俺だけで楽しんでおく」
「確かに言ったが、無断に人を――」
人を撮影するなと言い掛けて口ごもる。ガラもハイドが躊躇った言葉の続きを分かっているようで、口元の笑みを腹が立つほどに深めた。確かに逆の立場でガラが顔をクリームまみれにしていたら、自分だって撮影するし可愛らしいと思う。だがそれはガラだからであって、吸血鬼のハイドには似合わない。それよりはヌードモデルの方が遥かに自分らしいと言える。不満げに頬を膨らますと、ガラの指先がクリームを拭った。
「そう剥れるなよ、撮りたくなるぞ。お前が撮って欲しいなら構わんが」
「……お前だけ好きな写真を撮るのはずるい。カメラを返せ、次は私がガラの可愛いところを撮ってやる」
「あぁ分かった分かった、十分後にな。俺も自分用のインスタントカメラを買ってみるか」
「同じ機種は止めておけ。初心者はデジタルがオススメだ」
「やけに阻止してくるな。モデル時代と比べれば、新鮮な撮影だったろう?」
「……ノーコメント」
咳払いしてガラから目を逸らし、ハイドは顔を拭いて冷める前にミルクティーを飲もうと誤魔化した。デジタルならば撮られても直ぐにプリント出来ず、それまでにデータを消せば問題無かったのに。全く察しが良くて困るものだ。ぼやきながら口を付けると濃厚な甘さを包むミルク、そしてアールグレイ特有の爽やかな渋みが喉を通り、拗ねた心を温かく癒してくれる。この味に免じて今回ばかりは自分が譲歩するとしよう。だがこちらも易々と二度目は与えない。
ゆっくりと最後の一滴を飲み干してマグカップを置き、モデル時代に磨き上げた澄まし顔とピースサインを向ける。合わせて切られるシャッターに、レンズ越しのガラの瞳を見詰め、ナイスショットだとハイドは揶揄った。撮られる側の経験なら、このシアトルの中で誰よりも多いと自負している。ガラが自分を撮ると言うなら、アルバムを全て完璧な吸血鬼様で埋めてやるつもりだ。これ以上に新鮮で刺激的な撮影はないだろう。
参ったなと眉を下げて笑うガラは愛おしくて、手元にカメラが無いのが惜しいと思う。明日になったら二人でカメラを買いに行こうと決意し、ハイドはもう一度指先でガラを捉えてシャッターを切った。
パシャリ。声と音が重なる。