ワンドロ【独り占め】【アクセサリー】 カッカッカッ
板書されていく文字は古代キングデシェレト文明の文字の一つで、新しい解釈が論文で発表されたばかりだった。気難しいタイプの先生はカーヴェの苦手なタイプだ。それでもこの授業をとっている理由は、隣に座るアルハイゼンが選択しているから。
「…………」
生真面目な文字が並んでいくアルハイゼンのノートとは対照的に、カーヴェのノートには湾曲した線が増えていく。ああ、次はこのデザインもいいな。閃いて、資料が足りないと鞄を漁った。頭を下げた瞬間、さっきまで頭があった場所をチョークが通り過ぎた。
「いい加減にしろ! カーヴェ! 授業が終わったら教室に残るように!」
「えぇー?」
「……君が落書きをしていることはとっくにバレていた」
頬を膨らませながら椅子に深く座り直したカーヴェに、アルハイゼンが小声で耳打ちする。
「もっと早く教えてくれよ」
声を潜めたのに、先生はカーヴェの方を振り返った。肩をすくめて身を縮める。
「終わったら一緒に知恵の殿堂に行こう。待っててよ、アルハイゼン」
さっきよりもずっと近くに身体を寄せて内緒話のように言うと、ため息で了承を返された。
「アルハイゼン。待たせたな!」
「思っていたよりも早かったな」
カーヴェが約束の場所に行くと、アルハイゼンは細く長い剣を振って鍛錬をしていた。最近のアルハイゼンは、本を読むことに加えて身体を鍛えることにも精を出している。
「最近筋肉がついてきたんじゃないか? 僕よりもずっと小さかったのに、いつの間にかがっしりしてきたような……」
アルハイゼンの周りをぐるぐるまわりながら、身体中を観察する。鍛錬を重ねることはアルハイゼンの性格にあっていたらしい。効率的な筋トレと食事管理のおかげで筋肉がついてきたようだ。
「君がひ弱なだけだ」
「そんなことないさ。それより聞いてくれよ。先生が指輪をつけててさ。それが凝ったデザインで美しいのにところどころ欠けていて、もったいないなと思ったんだ」
「君は説教を聞きながらそんなところに注目していたのか」
「ちゃんと聞いてたさ。一から十まで話そうか?」
カーヴェが片目を閉じてそう言うと、アルハイゼンは剣を片付けていつもの学生服を羽織った。
「それは装飾を目的とした指輪じゃない。剣が指から抜けるのを防止するものだ。あとは手袋を抑える役割も持っている。剣を扱うなら、確かにあったほうが楽だろうな」
「そ、そうなんだ」
カーヴェは驚いた表情を浮かべてから、自分の手のひらを広げて見つめる。
「僕には神の目がないからさ。そんなに鍛錬の方には力を入れていないから、知らなかったよ」
カーヴェの言葉にアルハイゼンは何も言わなかった。数日前にアルハイゼンに向けられた神の視線。いつもと変わらない学生服なのに、アルハイゼンのポケットの中には草の神の目が常備されるようになった。
それに対しての感情を、カーヴェは言語化できないままでいる。
「そうだ! アルハイゼン!」
アルハイゼンが「行こう」と小さく声をかけたのと同時に、カーヴェが大声でアルハイゼンの名前を呼んだ。
「君の手を見せてくれよ」
そう言いながら、カーヴェはアルハイゼンの手を握りしめた。そのまま、手のひらを上に向けさせじっと見つめる。
「豆がすごい。これなんてすごく硬くなってるな。……今日は知恵の殿堂はやめておこう」
「……なぜ?」
「ははっ。興味があるから、一緒に手袋を見に行こう。それとさっき話していた滑り止めの指輪も!」
怪訝そうな顔のアルハイゼンを連れて、カーヴェはグランドバザールに向かった。滑り止めの黒色の手袋と金色の丸い指輪。カーヴェが「買ってあげるよ」と言ったのに対して、アルハイゼンは「選んでくれれば俺が買う」と返した。
「僕が買ってあげるのに」
「一年のご褒美に自分へ資料集を買ったことをもう忘れたのか? 数万モラを使ったから、当分は金なしだと言っていただろう」
「うっ……」
アルハイゼンの言うことはもっともで、カーヴェは気まずそうに目を背けた。
「じゃあ、選んであげるよ。今度は僕に買わせてくれよ?」
「気が向いたらな」
そう言って店に向かうアルハイゼンにカーヴェは嬉しくなって、二人でグランドバザールをまわって買い物を楽しんだ。
その日の夜から、アルハイゼンが鍛錬をするときに必ず使われるようになった黒い手袋と金の指輪を、カーヴェは満足そうに見ていた。
それから十年近くの時が経ってから、カーヴェはまたその指輪を見る事になる。
二人の間に流れる空気は、教令院の時とは真逆になってしまった。
「……その……水を飲んでも?」
「カップは好きなものを使えばいい。明日は君に必要なものを買いに行く。何を買うか考えておくといい」
「ああ……」
閉まった扉の向こうに立っている男のことを、この世界で一番理解していると思っていたのは十年前のカーヴェだ。ランバド酒場からなぜアルハイゼンがカーヴェを連れて帰ったのか、今のカーヴェにはわからなかった。
自室はここだと言われた部屋の中には、カーヴェが護身用にと持ち歩いていた大剣が置かれていた。アルハイゼンが軽々と持っていった大剣にため息をつく。
神の目を手に入れたから、今はカーヴェも戦うことができる。月明かりで鈍く光る大剣を見下ろしながら、サポート機能があるものが欲しいな、とカーヴェは小さく呟いた。
「君が大剣を使い慣れないのは、愛用している品物が合っていないからだろう」
買い出しを終えたあと、アルハイゼンがカーヴェに手渡したのはいくつかの指輪だった。
「これって」
装飾品も模様も、一度でも見たことがあれば覚えている。
「ああ、君が選んだものだ」
「それで、君が買ったものだろ」
「今は使っていない。慣れるまではそれを使うといい。いい品物だ。装飾もこだわりがある」
「そりゃあ、そうだろう」
言いながら、手渡された指輪を握りしめた。
「僕が選んだんだから」
「……そうだろうな」
「ピッポ! ピポ!」
「メラック、これもリビングへ持って行ってくれ」
指差したカトラリーが浮かび、メラックと共に廊下へ消えていく。アルハイゼンと一緒に住むようになってから随分時間が経った。
キングデシェレト文明のコアを使って作られた工具箱であるメラックは、仕事や日常生活のサポートだけでなく戦闘もサポートしてくれる。カーヴェはすっかり大剣を握らなくなっていた。
「あの大剣は君には重すぎるだろう」
「そんなことはない。って言っていたが、今はメラックのおかげで戦いもかなり楽になったからな。確かに客観的に見て大剣を握るのは上手くできてなかったと思うし」
「……もう必要ないのか?」
アルハイゼンの視線の先はカーヴェの手元だ。メラックを使って戦っているカーヴェを何度も見ているし、本来の用途で使われていない金色の指輪のことを言っているのだろう。
「すっかり馴染んじゃったから」
手を揺らすだけで、キッチンの照明が金色に光る。すっかり傷だらけになった指輪なのに、装飾部分だけは綺麗なままに見えた。
「このまま借りていてもいいか?」
「構わない。君の指にあるのは悪くないからな」
「似合ってるってことか?」
「さあな」
出来立てのパニプリがのった皿を持ち上げたアルハイゼンは、カーヴェからの追撃を逃げるようにリビングへ行ってしまった。
息を吐いて、もう一度だけ金色の指輪を見る。当時のアルハイゼンがピッタリだった指輪が大人になった自分とピッタリだったことに悔しさを感じたことは、アルハイゼンには黙っておこう。
「ピポ〜!」
迎えに来たメラックに皿を預けたカーヴェは、使い慣れたカップを片手にキッチンを後にした。
End