夜の告白「この戦いが終わったらさぁ」
『うん』
吐息混じりに零した独り言に、心臓をくれた相棒は律儀に相槌を打った。
口に広がるのは鉄の味、鼻につくのは硝煙の匂い。廃墟の片隅で蹲りひっそりと息を整える。致命傷は避けられたが酷く疲れた。くだらない話でもしていないと意識が遠のきそうだった。
夜空を見上げる。月明かりだけで照らされた街中は薄暗く気味が悪い。それでも慣れてしまえば案外明るく感じるのは何故だろう。今日は満月だ。月が綺麗ですね、なんて言えるほどの余裕は微塵もない。瓦礫に寄り掛かると背中からひんやりと冷えていく。火照った体には丁度良くて、俺は思わず深い溜息を零した。
「もう、人間と吸血鬼が啀み合うことのない世界になるといいな」
『……おや、君からそんな言葉が出てくるとは意外だな。その傷は奴等にやられたものだろう?』
姿の見えない相棒は塵となってしまった体の一部を浮遊させて、俺の周りをふわふわと舞った。正確に言えば俺の代わりに動いている【自分の心臓の周り】を、だ。まるで帰る場所を失って彷徨っているようにも見える。
俺は下唇を噛んで、近くに転がっている屍に目を向けた。
「いいや、今でもあいつ等は憎いし殲滅しなきゃいけない存在だって思ってる。……でも、あいつ等にも大切な人がいて、だから戦っているんだって思うとな……」
『君は本当にお人好しだな』
呆れたような声を、うるせぇと一蹴する。本来お前もあっち側だろ、と言えない言葉を飲み込んだ。
「だから偶にさ……こんな殺し合うような世界じゃなくて、人間も吸血鬼も普通に暮らして、喧嘩しても平和にワイワイやるような……そういう世界になって欲しいと思うんだよ」
『へぇ』
生返事を零して塵は俺の頬を掠める。なんとなく、掌で優しく撫でられた気がした。
『仮にそんな世界が来たとしたら、君は何をして過ごすんだい?』
「俺……? 俺は……やっぱり人助け……かな」
『そうか、フフッ君らしいね』
塵が一瞬ぶわりと散って、再びゆっくり戻ってくる。笑ったみたいだった。きっと間違いではないと思う。
堪らず塵に手を伸ばす。目には見えるのに、触れてもあまり実感が湧かない。偶に都合のいい夢でも見ているのではないかと怖くなる。
「……あとは、お前を自由にしてやりたい」
『……ん? 私?』
「そう、今のお前は俺の我儘に無理矢理付き合わせているようなもんだろ……? だからせめて平和な世の中になったら、もっと自由に、好きなことをやって笑って過ごしてくれよ」
重苦しい言葉を紡ぐと、冷たい風がひゅるりと肌を撫でた。反射的に両腕を抱え込む。相棒が寒くなければ良いと願った。
すると突然、ドシャリと何かが落ちるような鈍い音がした。見れば目の前に広がっていた塵が鉛のような塊になって地面に落ちている。何事かと目を見張ると、砂山はうぞうぞと地べたを這った。
「おい……大丈夫か……?」
一瞬、敵から攻撃を受けたのかと背筋が凍った。だが『嘘でしょ、まさかまだ気づいてないの』とか『この鈍感馬鹿ルドめ』とか理由のわからない文句をぶつぶつ漏らしているのを見て、違うと察した。俺は行き場のない手をおろおろと動かして、塵が復活するのを待つ他なかった。
思えばこの光景は、俺が負傷して血だらけになった時と似ている。あの時もこいつは同じようなリアクションをしていた。どうやらショックを受けると塵を浮遊させる力が弱まるらしい。多分、きっと、と推測の言葉ばかり出てくるのは、こいつが必要以上に自分のことを語らないからだ。あまり俺が気にしすぎないように配慮しているのだと思う。
表情が見えなければ、言葉にしてくれなければ、俺はこいつのことを曖昧な言葉で表すことしかできない。こんな姿にしてしまったのは紛れもなく自分のせいなのに、全てを理解してやれない。
あの時もっと俺がしっかりしていればと、過去を悔やんでは胸が締め付けられる。自由にさせたいと言いながら最初にこいつの自由を奪ったのは俺だ。
口を噤んで黙りこくると、相棒は何を思ったのか突然軽快に宙を舞った。
『私は今でも好きに生きているつもりだが?』
「……え?」
見上げれば月の光に照らされて塵がキラキラと光っていた。幻想的な空間と、予想外の台詞に俺は言葉を失った。ドラルクはどこか拗ねたような声で語り続けた。
『何か勘違いしているようだが、私は私の意思で君の心臓となり、君を生き永らえさせることを決めたんだぞ? 心配されずとも今でも充分好き勝手やらせてもらっているさ。……それに君の傍は案外心地が良いんだ。この場所を誰かに譲るつもりはないよ』
どこまでも優しい声音に、全身の血が体中を一気に駆け巡ったような気がした。手が震え、鼻がつんとした。急激に目頭が熱くなり、目尻に浮かんだ涙が零れ落ちそうになるのをぐっと堪えた。
俺なんかに優しくするなと言いたいのに、安堵している自分がいて情けない。胸がつかえて上手く言葉が出てこない。そのくせ涙だけは堪えきれず溢れ出て、頬をゆっくりと伝っていく。子供のように泣きじゃくりそうになって、俺は慌てて顔を膝に埋めた。
「………………そうかよ」
漸く絞り出した声はみっともなく震えてしまった。周りを囲む塵が静かに揺れる。心配してくれている。それくらいは顔が見えなくても分かる。
『……泣かないでよ』
「……泣いてねぇよ」
俺はなけなしの虚勢を張り、袖で荒々しく涙を拭いた。強がったところで全て見透かされてしまうのは分かっている。それでもこれ以上心配はかけたくはない。
ドラルクは何か言いたげに俺の周りを浮遊し続けたが、こちらが口を結んだのを見兼ねて言葉を呑み込んだ。代わりに優しく俺の頭を撫でてきた。
『……そろそろ休みなよ。少しの間なら守ってあげるから』
途端に塵がぶわりと広がり、繭のように俺の身体を包み込む。月光すらも通さない完璧な暗闇が視界を覆った。俺にとっては何回も見てきた景色だ。もう驚きはしない。寧ろこの瞬間が案外好きだったりする。抱きしめられているみたいだ、なんて俺が思っていることは、流石のこいつも知らないだろう。
ほっと肩の力を抜けば一気に倦怠感が襲ってきた。瞼が重い。
「……ドラルク」
『うん?』
どれだけ小さく呟いても、相棒は必ず俺の声を拾い上げる。
「……好きだ」
『……うん、私もだよ』
「……好き……」
『うん』
微睡みながら零した愛の言葉は、夜の暗闇に呆気なく消えていく。
いつからか、眠る時は必ずこうして好きと伝え合うようになった。明日どうなるか分からない日々の中で、すり減る心を守るために身に付けた習慣だ。ドラルクがどんな気持ちで俺の告白を受け入れているかは知らない。ただその声が優しいから俺はいつまでも甘えてしまう。本当に好きだと伝えたら、こいつは喜んでくれるだろうか。
(いつか平和な世界が来たらその時は)
そんなありもしない遠い未来に思いを馳せて、俺はゆっくりと意識を手離した。
『……おやすみ、愛しいロナルドくん。良い夢を』
【完】