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    ネヤネ親子パロ
    三毛縞が黒柳に紅茶を淹れる話

    ねやね:はじめのいっぱい 朝。まるでそこだけ夜を閉じ込めたような黒と厳格な佇まいを物々しいと評される黒柳邸の朝は、存外に活気的である。特に、この屋敷の主人である黒柳誠は、そんな朝の活動的な時間が好きだった。ガヤガヤと慌ただしく騒がしいのは不快だが、朝日と共に活動を始めることの健康さや規律的な側面は美しく、健全的だ。金持ちには時折、朝は優雅にゆったりと過ごす者もいるが、黒柳はそれよりも朝の一番にこそ、きびきびと身体を動かすことを好む。ただ、特にここ最近の黒柳邸に生まれた活気はまるで太陽をふた匙盗んできたようなぬくもりさえあるようだと、長く仕えるメイドたちは言う。――黒柳誠が不快と感じるような、騒がしく慌ただしい朝である。

    「きよとら! はよ!」
    「ハイハイ、ちょっと待てってば」
     急かす子供の声を受けながら三毛縞の差し出したコーヒーを文句も言わずに受け取ることや、このあまりにも騒がしい朝の時間に、黒柳は慣れた振りをすることばかり上手くなっていく。人よりも潔癖な気のある黒柳へと差し出されるそれを、三毛縞は取手を使わずマグの縁を指で支えて持つ。そんな渡され方をされて黒柳が、この三毛縞清虎以外に許したことは今までに一度もない。と、いうのも、三毛縞が触れるマグの縁は、黒柳の利き手に倣って口付ける場所に一度も触ったことがなかったからだ。掴みやすいよう差し出されたシャープな取っ手に指をかけ、それから目も合わせずに〝ああ〟とだけ返す。そんな黒柳に三毛縞は文句ひとつ言う素振りもない。それが一番、黒柳を落ち着かなくさせていることなど、子供に腕を引かれてキッチンを出て行く三毛縞には知る由もなかった。

     昨日購入した照也と業のアドベントカレンダーは、本日一日の朝、登園前に開封すると決められた。ファンシーな絵柄の大箱を抱えた二人の子供は、もう待ちきれないとばかりに目を爛々輝かせている。自分たちで開けてしまわないのはこの楽しみを大人にも――三毛縞と、それから黒柳にも共有したかったからだろう。せかされながら三毛縞は二人の前の席に着くと、記念すべき一日目の扉が開かれるのをぼんやりと見守っていた。ミシン目に沿って丁寧に切り取って行く業の横で、力任せに指を突っ込み押し開けた照也。その後ろ姿を、マグを片手に黒柳がじっと眺めていた。どうせなら前から見ればいいのに、と三毛縞はもう何度目かもわからない言葉を、冷えた牛乳と一緒に飲み込む。黒柳はいつだって少し離れた場所から、見るものによっては退屈そうにさえ見える表情でその団欒を眺めている。三毛縞から言わせてみれば、あれは心底子供が愛おしくて仕方ないといった表情だったが、相変わらずの無愛想な表情筋は、黒柳の感情を滅多に表現することはなかった。
    「あ! マシュマロや!」
    「ぼくもいっしょ!」
     小袋に詰められたマシュマロを、ふたつ並べて照也がはしゃぐ。マシュマロが雪だるまに見えるよう凝ったデザインの包装にはなっているが、特別高級なわけでもない駄菓子のようなものだ。それでもこれだけ大喜びしてくれるのなら、なんとも与え甲斐のあるやつらだと三毛縞もつい、つられる笑みを堪えながら残った牛乳を飲み干した。
    「ほら、とっとと食っちまいな。そろそろ出にゃ遅刻する」
    「ようちえんいくまえに、おかしたべてええの!?」
     そういえば朝からこうしてお菓子を与えたことはなかったか。目を真ん丸に見開いて椅子の上に立ち上がった照也の横で、業もまた同じくらい目を丸くさせた。あぶねーから立つんじゃない、と照也を落ち着かせながらも、三毛縞はマシュマロを握りしめる二人を見る。
    「じゃあ帰ってからにするかい?」
     今がいい、とぴったり重なる声。いそいそとフィルムを破っては、マシュマロよりずっと柔い頬を膨らませめいっぱい頬張る二人の後ろで、黒柳が小さく目を伏せて笑う。今度こそ三毛縞も、声をあげて笑った。

     ハンカチはあるか、連絡帳は持ったのかと黒柳に問われながらばたばたと走り回る照也を待ちながら、業は小さく三毛縞のシャツの裾を引っ張った。父とは違う蜂蜜みたいな濃い黄色の目がちらりと業を見下ろすと、それはいつだって柔らかく細められる。黒柳とは違い、三毛縞は愛情から生まれた感情を隠さない。どうした、と業の帽子を突く三毛縞に、業はあのね、と真面目な顔だ。
    「さっきあけたおかしのはこ、なんて名まえなの?」
    「さっきの? ああ、ええと…… アドベント・カレンダーってやつだな」
     三毛縞は業の疑問に答えるべくスマートフォンで軽く調べると、出てきたページを見せてやる。ドイツが発祥だというそれは、元々は扉の前にチョークで印をつけたことから始まったもの だそうだ。今でも宗教的な意味合いの強いものから、日本でも見かける娯楽的なものまでその〝窓〟の内側に秘められるものは様々だ。
    「これは? ハコじゃないのにいっしょなの?」
    「んー? ああ、これは毎日一枚絵を飾るんだと」
    「まいにち一つあたらしいことをするのが、アドベントカレンダーってこと?」
    「ううん…… おそらくそうだな。クリスマスまでなんとなく待つのも退屈だろ? だったら毎日ちょっとした楽しいことがあったらいいなあ、って思ったやつがいるのかもねえ」
     二人で小さな画面を覗き込みながら、清虎は業の知識欲にただただ感心するとともに、よく似た性格をした友人を思い出していた。そういえば昔から〝あいつ〟もずっと何かを貪欲に求めていたように思う。あらゆる本を読み漁り、気になったことは調べ上げなければ気が済まないのか、いつも何かを学び得ようとしていた姿ばかり見てきた。業に今、その資質が現れていることが三毛縞には訳もわからず嬉しかった。特に業は、ここ最近ようやく三毛縞の存在にも慣れてきたのか、知りたいことを隠さない。見知りしたことを嬉しそうに三毛縞に教えたり、知りたいことを知りたいと強請るようになってきた。スマートフォンを使えば三毛縞は知らない事も調べてやれる。そうしてしばらく、およそ幼稚園児が見るようなサイトではないだろうより専門性の高いページをじっと眺めたあと、業はしゃがみこんだ三毛縞にスマートフォンを返しながら、あのね、とささやいた。
    「どうした?」と三毛縞が耳を傾ければ、業はキョロキョロと周囲を警戒しながら、そっと耳打ちする。
    「きよとらはね…… サンタさん見たこと、ある……?」
     ――思わず、三毛縞は咄嗟に業の顔を見た。その不安そうな表情の中に、ほんのわずかな期待が見える。ただそれだけだったが暴露てはいないのだろうと、思わず三毛縞は口角が上がっていくのを、なんとか抑えようと必死だった。
    「業は? 見たことあるかい?」
     それとなく、三毛縞が探り入れば業は小さく首を横に振った。ただその表情は少し暗い。三毛縞は小さな彼の言葉を待った。言っていいものか迷う業に内緒にするよと笑いかければ、ますます小さな声が、不安そうに〝うちにはサンタさん、こられないかもしれない〟と言う。それには流石に三毛縞も驚いた。
    「なんでそう思うんだい? 何か〝いい子じゃないこと〟をしちゃったとか?」
     それでも三毛縞は、真剣な表情で不安そうにする業に優しく問うた。これには業もすぐさま首を横に振りながら――この時期の子供は〝いい子〟であることにシビアだ――
    「だって、えんとつがないから…… はいってこられないかもしれない……」
     と、三毛縞にうちあけた。確かに、三毛縞から見て古めかしい家具の趣味がある黒柳邸だが、この家に煙突、そして暖炉なるものはない。そのかわり新しい技術をしっかりと取り入れた暖房機能が各部屋に設けられており、広い屋敷はどこにいても快適な温度に保たれている。三毛縞はその中でも床暖房を気に入っていたが、確かにこの時期、子供にとって煙突がないということはそれだけで十分な不安要素になりうるだろう。
    「そうねえ、確かに煙突はねえなあ。でも最近煙突のある家の方が少ないしなあ」
     じゃあやっぱり、と落ち込む業に、今度は三毛縞が耳打ちした。
    「でもそのかわり、子供がちゃんと寝た家には、ピンポンしてちゃんと来るんだぜ。でもコレは、本当は限られた人しか知らねえから、みんなにゃナイショな?」
     いってきまあす、と照也の声が響く中、何度も興奮気味に頷く業に三毛縞はパチリとウインクする。どうやら知りたがり屋の欲を満たせたのか、満足そうに〝じゅうきょしんにゅうざいになるから、かな……〟と呟く業の頭を撫でながら、ようやく登園準備の整ったであろう照也を受け止める。
    「へへ、かるまっちおまたせ!」
     なんかええことあったん、と尋ねる照也は散々走り回ったのか、まだ家を出てもいないのに顔が赤い。業が嬉しいだけで照也も嬉しい、というのはいつものことで。ご機嫌な業に、わけもなく照也の気持ちも晴れやかだ。三毛縞はぴょこんとはねた赤毛を撫でつけてやりながら、ようやく揃った二人を連れ出した。


    「サンタって住居侵入罪になんのか?」
     三毛縞の言葉に、黒柳は思わず資料を纏める手を止めた。
    「一体なんの話だ」
    「いや、朝業に〝うちには煙突がないからサンタが来れないんじゃないか〟って聞かれてな。んでまあ、インターフォン鳴らして来るから大丈夫だって言ったんだけどな」
     可愛らしいよな、と笑う三毛縞に、黒柳はその情景を密かに脳裏に思い浮かべる。元々イベントごとに消極的な家庭ではあったが、そんな業がサンタクロースの存在を信じ、来たるクリスマスにはプレゼントを届けに来るのだろうかと思い馳せていることに、安堵すると同時にもう感じなくなってしまったと思い込んでいた愛おしさ、のようなものが、胸の奥にじわりと広がっていくのを感じる。黒柳は、三毛縞と照也が家に来るようになってから、我が子である業との関係性が目に見えない所で少しずつ変わりはじめていることに酷く戸惑っていた。無論それを顔に出すようなことは、黒柳にとって絶対に許されない事ではあったし、実際業が黒柳に対して取る態度に未だ残り続ける変わらないものがある限り、大丈夫だという確信はあったが、それでも今目の前にいるこの男――三毛縞だけは、どうしてかいつも、忌々しいことに今よりもずっとずっと昔から、黒柳のほんとうに些細な変化に目敏かった。今だってどうだ、いつもなら小生意気でつかみどころのないふわついた笑みを浮かべているくせに、まるで照也を見る時のような笑みさえ浮かべて黒柳を見る。その度に、黒柳は自分の中の触れられたくない場所を、三毛縞に舐め上げられているような心地になる。だが悔しいことに、それを三毛縞にぶつけてやる事さえできない。そんなことをすればきっと、三毛縞が悟った自らの変化を、彼に対して、そして何より自分に対して認めてしまうような気がしたから。故に、黒柳はギロリと三毛縞を睨み、わざと聞こえるような舌打ちをして、再び書類へと目を落とす。
    「送迎ご苦労、もう下がっていい」
    「おいおい、俺はアンタの部下じゃねえよ。礼なんざ」
    「仕事の邪魔だ出ていきたまえ」
    「言ったろ? 俺ぁ部下じゃねえ」
     だったらもう黙ってくれ、と黒柳が眉間を強く押さえると、三毛縞はまたいつも通り、勝ったとばかりに笑いながら今度は素直に扉へ手をかけた。その広い背をようやく見送れると安堵した黒柳に、三毛縞はちらと振り返りながら〝今日は在宅?〟と何気なく問うた。
    「そうだ。だからくれぐれも馬鹿馬鹿しい大騒ぎなどおこして私の邪魔をしてくれるな」
    「はいよぉ、いい子にしてまあす」
     シッシと手を払う黒柳に、三毛縞は戯けて敬礼しながら静かにするりと部屋から抜け出す。ようやく落ちた大きなため息に、黒柳は再び眉間を強く押さえこんだ。

     黒柳邸はいつだって、子供がいようがいまいが基本的に規律的な騒がしさに溢れている。それは三毛縞がよく知る活気ある朝市のようなものではなく、どちらかと言えば軍隊や病院のそれに近い。が、屋敷に仕える人間はどこか生き生きとして見える。かつては国に仕え、国民の安全のために生きてみたこともある三毛縞はそんな人達を少し、羨ましく思う。おそらく、黒柳誠や業は彼らから愛されているのだろう。彼らは新しくやってきた照也や三毛縞にも寛大で、あれこれと世話を焼いてくれる。業務の一環ではあるのだろうが、それ以上の愛情深い態度で示される好意には、三毛縞も頭が上がらなかった。
    「まあ、清虎様」
    「お邪魔してるよ」
     丁度ひと気のなかったキッチンで、つい買ってしまった紅茶のアドベントカレンダーの箱を眺める三毛縞に声をかけたのは、この家に仕えて二番目に長いメイド長だ。彼女の母も黒柳邸に仕え、彼女自身も若い頃からこの家にいるためか、この家のことは黒柳以上に詳しい母のような人だった。
    「あら、お茶の準備ですね。すぐにお持ちしますよ」
     彼女は三毛縞の持ったポットと箱を見て、ニコリと優しく微笑んだ。黒柳邸で日々の食事も作る料理上手な彼女は、とくべつ紅茶を淹れるのがうまい。これを黒柳が気に入っているのだから、彼女にお願いするのが最善策だろうと三毛縞も理解はしていた。
    「あー…… ちょいと時間もらってもいいかい?」
    「もちろん、なんでもおっしゃってください」
    「その、コレなんだけど」
     三毛縞は茶葉の入ったアドベントカレンダーを彼女に渡した。さてどこから説明したものかとつい姿勢を伸ばす三毛縞に、彼女はすぐさま理解したのだろう。それがどういったもので、この紅茶を飲むのが誰か、ということも。
    「素敵、お菓子が入っているものは知っていたけど、こんなものまであるのね」
    「自分でもらしくないって思うんだけどねえ」
    「あらあらあら、そんな事ないわ」
     きっと喜んでもらえるはずですよ。ニコリと微笑んで三毛縞を見上げる柔い瞳に、三毛縞は何もかもを見抜かれむず痒くてたまらなかった。が、同時に見つかったのが彼女でよかった、とも思う。
    「それでね、お願いってのが――――

     ――――ダージリン。
     インドが原産であるそれは紅茶の中でも最もメジャーな種類の一つに数えられ、故に高級なものから安価なものまでその味や、値段、育て方や香りに味まで様々だ。
    「レモンとか、入れた方がいいのかね……」
    「そうですねえ…… お好みであればレモンティーにしていただくのもおすすめですが、せっかくのダージリンですもの」
     それに旦那様はストレートも十分にお好きですから。メイド長は三毛縞を見上げてニコリと笑うと、まるでとっておきをこっそりと教えてくれるように、ティーセットの入った戸棚を開けた。柄も、形も様々のそれらは磨き上げられくすみや指紋一つなく、柔らかい陶器の白さや、クリスタルさえ彷彿とさせるようなガラス製のものまでが礼儀正しく並べられている。この家のものは一寸狂わずあるべき場所にあるべき角度で配置されているが、この戸棚の奥に並べられた茶器はそんな〝堅苦しさ〟というよりも、なんだか美術品のような――より一層美しく見えるよう、愛されて並べられているように感じる。そんな美しい茶器を見せたメイド長が、何よりも楽しそうで。
    「壮観だねえ」
    「そうでしょう? 気持ちがもちろん何より大切。それでも、どうせならこうして美しいものに込めて贈るだけで、もっと思いが伝わるものですから」
    「たしかにねえ…… そんないいもの、使わせてもらっていいのかい?」
     振り返った三毛縞に、メイド長はニコリとほほ笑んでいった。
    「もちろん。この食器たちは使ってこそ、一層輝くものですから」

     そうして、数ある中から三毛縞が選び抜いたのは、最もシンプルな白一色のティーポットだった。磁器製ながら透明感のある洗練されたホワイトの素地に、流れるように繊細なシェイプはどこかエキゾチックなデザインで、他のオクシデンタルなデザインとはどこか一線を画しているように見えた。同じブランドでそろえると統一感が出ますよ、とのアドバイスに従い、カップとソーサーは同ブランドの同様に絵柄のないシンプルなものを。ただしこちらはカップ、ソーサーともに縁に金のライン取りを施したもので、輪郭のはっきりとしたより規律と気品を感じさせるデザインになっている。メイド長は三毛縞の選択を素晴らしいと褒めたが、三毛縞自身、風雅なカップの多い中に凛と佇むその姿に思わず手が伸びた、というそれだけの理由だったので、妙に恥ずかしくてたまらなかった。
     それらに加えて砂時計と、三毛縞が選んだものとは別の、ガラス製のポットがもう一つに、ケトルにと、見慣れないものがずらりと並んだ。
    「あれ、これは?」
    「これはジャンピン・ポットというものです。このポットでお茶を出して、ちょうどいいころ合いのものを、選んだこちらのポットに移してお持ちするの」
    「へえ…… 大変だな……」
     もちろん、このポットでお出しすることもできるけれど…… と提案したメイド長に、三毛縞は首を振って見慣れないガラス製のポットを掲げた。
    「どうせなら手間暇かけてみるのもいいでしょ」
     そう笑う三毛縞に、メイド長ももちろんですわと張り切って笑った。
     三毛縞がまだ黒柳邸に転がり込んでくる前は、茶の一杯を淹れるために湯の温度に拘ったことも、ポットに拘ったことも、ましてや茶葉の量だとか、水は何がいいだとか、どのくらい茶葉を入れておくかだなんて考えたことなどまるでなかった。だから紅茶は軟水がいいだとか、九十五度で入れるだとか、三分間蒸らすだとか、ましてやポットを二つ使って、待機させたもう一つのポットには、寸前まで湯を入れて温めておくだなんて、想像もできない世界である。ただ、工程は多いうえに待つのが嫌いな三毛縞に、三分間の待ち時間は自分のためにとてもこなせるものではなかったが、どうしてだろうか、三毛縞がねを上げるほどの苦痛はない。それはけして、隣で嬉しそうに茶葉のフレーバーを守るための温度だとか、水の性質による香りや色味の変化について話していたメイド長のおかげだけではないだろう。茶葉がふわふわと琥珀色の湯の中で舞うさまも、眺めてみれば退屈はしなかったし、何より――この紅茶を飲む相手を想像するのに、三分はあまりにも短すぎた。
     ――あいつは驚くだろうか。
     蒸らし終えた紅茶は光を浴びて琥珀とオレンジに輝き、メイド長も完璧な仕上がりだと頷く出来だった。そこから選び抜いたティーポットへと茶葉を漉しながら注ぎいれれば、ふわりとマスカットのようなフルーティーな香りが立つ。鼻のいい三毛縞にはただ草を煮出しただけで、こんなにも繊細な香りがすることが何より驚きだった。
    「この最後の一滴を〝ゴールデン・ドロップ〟と呼ぶんです」
     最もうまみを凝縮したその一滴を主賓に注ぐことは最高の歓待を意味するのだという。それから用意されたトレイにティー・セットを準備し、彼女の申し出を断って自らトレイを持つ三毛縞に、メイド長は相変わらず黒柳邸に似合わぬ柔らかい笑みでニコリと笑った。
    「きっと驚きますよ」
    「――そう、だといいねえ。ありがとね」
    「いえ、お安い御用ですわ」
     何もかもお見通しの彼女には、まだ勝てそうにないな。三毛縞はこの年になってようやく感じることとなった嬉しさ混じりな気恥ずかしさに、ほんの少し毛が逆立つのを感じた。

     紅茶はプロフェッショナルのお墨付き、あとは扉を叩くだけという段階になってようやく、三毛縞にわずかな不安がよぎった。手間ひまかけて紅茶を淹れていたあいだには、きっと驚くだろうという確信があったにもかかわらず、今小さく生まれた、生まれてしまった不安に、思わず出した手を倦ねる。おそらく、黒柳は驚くだろう。三毛縞が今まで黒柳に何かを贈ったり、露骨に気遣った事などなかったからだ。無論家庭を運営する上で必要な気遣いなどは――お互いに――かけあってきた。が、それを見える形で手を、気持ちを差し出すことは、何と無く気恥ずかしくてできないままだった。もしかすると、黒柳は三毛縞の提案したがっている新たな関係性を拒むかもしれない。それはいい。だが照也はどうなる。黒柳なら自分を追い出しても照也まで追い出すような事はしないだろうが、それでももしかすれば、不安に思うことがあるかも知れない。別に三毛縞は〝彼女〟の席を黒柳に譲るつもりも、黒柳の持つ〝彼女〟の席を強引に奪うつもりもない。そんな感情とは少し違う、ただ今の関係よりも〝それ〟によく似た関係ならば、この歪な関係をより良くできるんじゃないかとは思う。メイド長が冷めないようにとティー・コージーをかぶせてはくれたが、せっかく手伝ってもらったものを台無しにはしたくない。悩む時間はないかと再び腕をあげた三毛縞が、叩こうとした扉はしかしそれよりも早くひとりでに開いた。
    「――何を突っ立っている、んだ…… それは?」
    「おー、あー、なんだ。いい時間だしちょっくら休憩にしねえかい」
     扉を開けた本人は、おそらくまた悪戯をしにきたとでも思ったのだろう。手に持ったティーセットと、わずかに香る紅茶の匂いに思わず語気を緩めてしまった。ジッとそれらを見下ろしながら、黒柳は扉を大きく開くと、三毛縞を仕事場である書斎へと招き入れた。

     蒸らしの時間も終わった紅茶は、あとはカップに注ぐだけだ。三毛縞はらしくなく緊張した手つきで、黒柳のぶんを注ぐ。その間、黒柳はなぜか黙り込みジッと三毛縞の手つきを見張っているのだから、三毛縞からすればたまらない。そりゃそうだ、と三毛縞は緊張に早鳴る心臓を落ち着かせながら独り言ちる。普段黒柳にお茶を用意するのはメイド長か、彼女の指示を受けた使用人である。日頃より黒柳のための一杯を手間暇かけて注いできたメイド達と、普段紅茶も緑茶も同じようなもんだと曰う三毛縞とでは不安だろう。二人分のカップに紅茶を注ぎ入れ、柄にもなく震えそうになる手で彼にサーブしても、黒柳はまだ三毛縞の〝なにか〟にダメ出しをするような事はなかった。
    「――――ありがとう」
    「お、おう……」
     ましてや、カップを受け取り礼まで言われると尚更恐ろしい。三毛縞は緊張で乾く舌を、喉を落ち着けたくてカップを手にとるが、しかし保温されたポットから淹れたてのお茶はまだ存分に熱を含んでおり〝猫舌〟の三毛縞にはとてもまだ飲めたものではなかった。どうにかさっさと冷めないものかと吹いたり混ぜたりしてみながら、盗み見る黒柳はそっとカップに鼻先を寄せる。まるでワインの試飲会に来た時のようだ。あの時も、蔵主は黒柳という大口の顧客のため選りすぐったワインをかき集めてきては、きっと満足していただけるはずと自信満々に豪語したくせに、黒柳が試飲のワインに鼻を寄せ始めると、まるで学校で立たされ教師に叱られる子供みたいにぶるぶる震えて言葉を待っていた。あの男の気持ちを今なら少しわかる、と三毛縞はカップに口をつけ、やはりその磁器の熱さに再び下ろす。もうあきらめてカップを手の中で転がしながら、漸く、黒柳は三毛縞が選んだカップに口をつける。その様子を三毛縞は心臓が止まりそうなくらいの緊張を感じながら眺めた。
     黒柳は、結局何も言わなかった。一口、唇を濡らす様にカップを傾けると、流れ込んできた琥珀のそれをゆっくりと舌から、鼻へとその香りを堪能して、それからほんの少し、本当に少しだけカップの縁に、口角を添わせる。それでも――三毛縞にとってはそれでよかった。

     カップに一杯ずつ。それだけの量だった。決して弾むような会話があるわけではなかったが、それでも、二人にとっては今まで一秒たりとも過ごしたことのない、穏やかで、それでいて心地よい時間だった。
    「で? これは一体?」
     黒柳はほんの少し、楽しそうな声色でそう言う。事実、彼はついさっきまで現在進行中の案件に頭を悩ませており三毛縞の誘いはちょうどよい気分転換だったし、らしくない三毛縞の誘いが存外心地よかった。普段の三毛縞らしくない緊張した態度に、この紅茶が誰の手によって淹れられたものなのかもわかっていて、そのうえで〝美味しい〟と思わされたことは多少悔しくもあったが、おそらくメイドの誰かに手伝ってもらったのだろう。だとするならば、尚更、三毛縞が自分で淹れた〝意味〟を深読みしてしまう。カップを片付ける三毛縞は、漸く聞かれた〝聞かれたくなかったこと〟にほんの少し安堵した。
    「ほら、アイツらが買ってただろ? アドベントカレンダーってやつ」
    「ほう?」
    「でまあ…… 酒がありゃいいなぁ、っと探してて、紅茶のヤツを見つけて…………」
    「ほう」
     もっと〝これは何のオネダリだ?〟だとか、そういったことを言われるのかと思っていたから三毛縞はほんの少し戸惑った。何より、黒柳の機嫌がいい。三毛縞の記憶に色濃く残る黒柳の不満そうな顔は今、珍しく、そしてここ最近よく見るようになった柔い――と言っても黒柳の基準で、だが――顔をするようになった。そんな表情を三毛縞に向けている。
    「俺ぁそんな、どこの茶葉だのなんだのはわからねえから、口に合わなきゃ別にいいんだが……」
     三毛縞はそう言ってから、今のは鳥肌が立つほど自分らしくなかったなと、聳つ腕を撫でさすった。黒柳はお茶の間片付けていた書類を再び広げると、三毛縞に目をやった。
    「二十四日まで?」
    「二十四日まで」
     黒柳はそれだけ聞くと三毛縞から離した目を書類に向け、再び作業を開始した。三毛縞もその頃には片付けを終わらせ、席を立つ。次は何か、軽くつまめるものがあってもいいなと考える背中に、黒柳は書類から顔をあげずに言った。
    「来客用にいくらか菓子は常備してある。適当に言えば何か見繕ってくれるだろう」
    「お、そりゃ助かるね」と返す三毛縞は、黒柳のあまりにも不器用な態度に、バレないよう笑みを隠す。どうやらこの不器用同士のお茶会を、黒柳は三毛縞が想像するよりもずっとずっと気に入ったらしい。自分でも悔しいほど、顔が緩む。そんな顔を見られたくなくて、振り返りも出来ず「じゃあ、仕事頑張れよ」とだけ残し逃げるように部屋を出た三毛縞は、そこで漸く――そそくさと書類に顔をやった黒柳のその〝意味〟を理解したのだった。

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    waremokou_2

    DOODLE #HCOWDC 2
    お題は「おぼろ月」でした

    登場人物
    ・吉川直幸
    ・中島修一
    「月が綺麗ですね」
     そう囁く声に、思わず顔を上げた自分が馬鹿らしい。この声らしからぬ標準語じみた発音はどこかぎこち無ささえ感じられるのがゲンナリするのは、おそらくそういった言葉を普段から息をするように無駄撃ちするこの男の自業自得である。ただ――この男がぎこちなく標準語でそう囁いたことにより、かつ見上げた先に薄ぼんやりと輝く朧月に、その言葉が響きどおりの意味だけではないのだという明確な証明になってしまった。と、いうのも――正直にいってこの男に、朧月の美しさなど理解できるとは思えなかったからだ。
    「曇ってるけど」
     だから、あえてそう返事をした。この男が誤魔化すように言葉を撤回すれば、この恥ずかしい言葉は仕方ないから忘れてやろうと思ったのだ。この春休みが始まってから、気がつけばほとんどの時間をこの男と過ごしている気がする。段々と、友人らしい距離感に慣れてしまった。そのままどんどん絆されて、今、重く、熱く、むさ苦しい腕の中に収まっているこの距離感が果たして友情というラベリングを許されるのか、もうわからなくなってしまった。表面上の関係は、契約した以上この男が言うなら俺と中島は恋人だった。中島がそう思っているなら、という不安定な環境下で成り立つ関係性はこちらの感情をひどく乱す。だからなお、一層自分がはっきりと拒絶の意思を示せないことに、自分に腹が立って仕方ない。
    2725

    waremokou_2

    DOODLE吉川のエプロンについての返歌です。
    その節は大変美味しいスイーツコンビをありがとうございました。
    今日改めて8回読み返し、ゲヘゲヘしています。
    美味しい小説をありがとうございました。

    ※これはスイーツ組のファンフィクションです。
    青空の夢を みんなが各々騒ぐ声を聞きながらする皿洗いは家事の中でも好きなものの一つだった。とはいっても、特に嫌いな家事があるわけでもなく――確かに、排水溝のゴミを捨てるのはいい気持ちではないし、虫の駆除は無理だけど――そんな風に思えるのはひとえに、みんなが分担してくれているからだ、というのが大きいだろう。今日は深津が夕飯作りを担当してくれて、俺が皿洗い。彼の料理は山内さん仕込みだと聞いているから、毎食丁寧で感動する。本人が〝そんなことない〟と謙虚なのもまた好ましいのだから、彼にファンが多いのも頷ける。さらには料理中片付けまでしてしまうのだから、こちらとしては彼の後皿洗いをするのは楽でいい。もっと散らかしていい、というのだが、癖だから、気になるから、と料理の片手間にさっさとキッチンまで整えてしまう。俺はと言えば、そのあとみんなで食べた残りの食器を呑気に洗うだけ。そりゃ、家事が嫌いじゃないなんてのうのうと言えるだろうな、と改めて自分の呑気さに呆れた。残りはグラスを濯いでしまえば終わり、という頃になっておおい、とリビングから呼ぶ声がする。
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