ジュン茨 茨幼児化 七種茨が、突如若返った。十代なので元から十分若いのだが、そこから更に若返ってしまった。おそらく、まだ一桁台の年齢の頃の姿に縮んでしまった彼を見つけたEdenのメンバーは逆先夏目に助けを求めた。
一週間前後で戻るだろう、との言葉を信じてそれぞれで面倒をみること、数日。
「今日、弓弦は?」
身体も精神も退行してしまった茨は、私達Edenのメンバーのことは頭から消え去り、ES内で唯一覚えていたのは、旧知の間柄である伏見弓弦くんのことだった。若返ってしまったその日、名も知らぬ者に囲まれて、怯えと不信感が全面に出された顔で発したのは「弓弦は?」の言葉だったのは記憶に新しい。
「弓弦くんは、今日はお仕事だよ」
それを聞いた茨の口が尖る。
「…わかった」
小さくなっても茨は賢い子だ。弓弦くんは今日は来られないと理解して小さな握りこぶしをさらに強く握りしめて我慢をしている。この頃の茨にとっての弓弦くんの存在は、大きい。
「だからね、今日は私といっぱい遊ぼう」
丸い頭を撫でながら、しゃがんで目線を合わせる。何して遊ぼう。
「…探検と、チョコ食べる!」
ぱ、と顔を上げて元気よく答える。遊ぶ、の言葉に青い目が輝きを増している。探検は、多分遺跡巡りのこと。チョコレートは、昨日一緒に食べた。汚れてもいい服に着替えて、チョコレートは帰りながら買ってこようか。
「いいよ。準備して、日和くんとジュンに連絡したら、出発しようか。遺跡の近くに、アスレチックもあるよ。そこも行こう」
「でかいやつまた見たい!あと、チョコは?」
「帰りに一緒に買おうね。日和くんとジュンへのお土産にしよう」
「やったー!早く行こ!なぎさ、早く!」
──閣下!
ステージに登る前の茨と、同じ顔をしている。心の高まりを抑えきれてない、キラキラした表情。それが、目の前の小さい命が茨本人なのだと示している、
大きい茨はほぼ呼ぶことのない、私の名前を連呼しながら腕を引っ張るのが可愛いくて、もう一度小さな頭を撫でながら足を進めた。
「それでは皆様、いってらっしゃいませ」
朝七時。未だ起きない茨を心配そうに見るEdenの面々に出発を促す。
「弓弦くん、ごめんね」
「とんでもございません。コレの扱いは多少は心得ておりますので」
「お土産買ってくるからねっ!あと、今日可愛いお洋服が届くはずだから!」
「しぃー!おひいさん声でけえっすよ!茨起きちゃうでしょうが!伏見さん、朝ご飯とおやつは冷蔵庫にあるんで。あと、オレのゲームやらせてもいいんで。やり方は教えてあります。あと、」
「いってらっしゃいませ」
まだ何か言いたげな漣さまも送り出し、ドアを閉める。随分、甘やかされていたようで。
すやすやと眠る茨の頬をつつく。あの頃の寝床は薄暗い部屋で、よく見えなかった寝顔が今はカーテンから漏れる陽光でよく見える。…穏やかな寝顔だ。昨日は、乱さまとアスレチック施設に行き、よく遊んだときいた。タオルケットからのぞいた足が、靴下のところを境にほんの少し、日に焼けている。転んだのだろうか、ところどころ擦り傷があるが、戦場で受けたそれのような痛々しさは全くなく、むしろ健やかさの証となっている。
──弓弦!
茨が小さくなったときいて、駆けつけた時。Edenの方々に囲まれた茨は、私の姿を見つけると安心したような顔をして、手を伸ばしてきた。弓弦、弓弦と縋りついてきながらボロボロと涙をこぼす姿に、目に見えて動揺していた漣さまには少し申し訳ない気がした。
賢い方だとはいえ、まだ十にも満たない子に状況を説明するのも一苦労だった。なんで弓弦は一緒じゃないの、こいつら誰、Edenって何、fineって何、弓弦がいるなら俺もそこにする。一通り駄々をこねた後、私の服をシワができるほど握りしめて歯を食いしばる茨。ゴシゴシと雑に目を擦る為、周りが赤くなっている。
「ここにいる乱さま、日和さま、漣さまは今のあなたのことを仲間として信頼し、大切に思ってらっしゃいますよ」
「……弓弦も?」
「はい?」
「弓弦も、『坊ちゃま』のことそう思ってるの」
「…そうですね」
「俺は?もういらなくなったの?」
「そうではありません。……あなたは、大事な部下でしたよ。それにあなたは今、こちらのEdenのメンバーの方々に必要とされておりますよ」
服を握りしめたまま、恐る恐る乱さまがたの方を振り返る茨。
優しく微笑む乱さま、満面の笑みで手を振る日和さま。そして、
「茨、おいで」
しゃがんで視線を合わせ、手を差し出す漣さま。ゆっくりと、その手に向かって進む小さな背中を見守る。
「なぎさ」
「うん」
「ひより」
「うんうん!正解!」
「ジュン」
「はい、ジュンですよぉ」
確かめるように、各々の名前を声変わり前の高い音で呼ぶ。よろしくね、と乱さまが頭を撫で、日和さまがぎゅっと抱きしめる。自らの両手で小さな手を包み込み、たくさん遊びましょうね、と漣さまが微笑みかける。それに対して、まあいいよ、と照れくさそうに答える顔は、ほんのり朱がさしていた。
そして、今日。
「ほら、もう日が昇ってます。起きなさい、茨」
タオルケットをはがすと、コロコロとシーツの上を転がっていく。
「んー、弓弦がなんでいるの?なぎさは?ひよりは?ジュンは?」
「皆様はお仕事があるそうなので、今日は私と過ごします」
たった数日で、所在を気にされるまでに信頼を気づいていることに嫉妬がない、と言ったら嘘になる。
「何して遊ぶ?」
「まずは朝食です。それから、洗濯と掃除」
えー、と露骨に嫌な顔をされる。
「それが済んだら、おやつとゲームが待ってますので」
「弓弦もやろ!」
「まあ、いいでしょう」
あの頃には考えられなかった、訓練も戦闘も厳しい戒律もない過ごし方。たまにはこういうのもいいかもしれない、と思いながらいちごがたっぷり添えられたパンケーキをテーブルに並べた。
「わあ、茨、可愛いね!なのに何でそんなに不機嫌になるかね!」
目の前の小さなほっぺはぷう、と膨らんでいて。全力で不満を伝えてきている。
小さくなった茨は、出会った頃の凪砂くんほどではないけれど、とても可愛いらしい。大きい方もまあまあ可愛いけれど、性格が全然可愛くないね。
折角だから、色んな子供服を取り寄せて着せている。今日は、フリルがふんだんにあしらわれたブラウスと、サスペンダー付きのショートパンツにしてみた。凪砂くんもジュンくんも可愛いって言って、沢山写真を撮ってる。何が不満なのか。
「これ、邪魔!」
「フリルちぎろうとしない!」
「茨、こっち、こっち向いてください!」
「ジュンくんもうるさいね!」
どうやら茨は、動きやすい服装が好きらしい。
「じゃあ、これは?」
珍しいと思って買った、デフォルメされた蛇の柄が入ったTシャツとシンプルなサロペットを出してみる。
「これがいい!」
「じゃあ、その服は一旦脱いで、」
「今の茨の服、昔私が着ていた服に似ているね」
「え、なぎさもこれ着てたの?」
「似たようなデザインのを着たことはあるよ」
「これ着てたら、なぎさみたいになれる?」
「私自身にはなれないけど、大きい茨はすごく頑張り屋さんで可愛いよ。アイドルの仕事で、色んな衣装も着こなしている。私はそんな茨が大好き」
「……今日は、このまま着てる」
着てもらえるのは嬉しいけど、なんか納得いかないね!
「小さい茨は、気分屋だし、相変わらず凪砂くんのことが大好きなんだね」
「気分屋はおひいさんも人のこと言えませんよ」
──殿下!
仕方ないから、色々なことを我慢してきているせいか、甘えるのが下手くそな大きい茨の分も、小さい茨の多少のわがままには目をつぶろうと思う。
「ひよりー、服汚れた!」
「もう、何でそのまま泥遊びしたね⁉︎」
茨が小さくなって、そろそろ一週間が経とうとしている。Edenと伏見さんで代わる代わる面倒をみながらなんとかここまできた。逆先さんの見立てが合ってるなら、そろそろ元に戻る。
小さくなって数日は、事あるごとに伏見さんの名前を出していたのが、少し悔しかった。どう頑張っても、子供の頃のオレと茨の人生は交わることがないから、仕方のないことなのだけれど。
「茨ぁ、眠そうですねぇ。お風呂入っちまいましょうか」
「んんー、眠くない」
「目こすってるじゃないですか。眠くなくてもいいんで、お風呂一緒に行きましょ」
「うん」
今夜は、茨はオレと夜を過ごす。昨日はおひいさんだったからか、髪からえらいいい匂いがする。
「ジュン、これ観たい」
お風呂上がり、一枚のDVDを持ってきた。
「ん〜?何です?EdenのライブDVDじゃないですか」
「これ観る」
「はいはい、今流しますから待っててください」
再生される、大歓声の中パフォーマンスをするオレたち。画面の中の茨は当たり前だけど、オレの知ってる姿の七種茨で。ふと横を見ると、大きな青い目にサイリウムの光が反射してキラキラしていた。
「俺、楽しそうだね」
画面から目を離さずに、ぽつりと茨が言う。
「そうすっね。緊張はしますけど、オレもステージの上からの景色は好きですよ」
「ジュンも、アイドルは楽しい?」
「楽しいですよぉ。まあ、大変な時もありますけど」
「多分、明日俺は消えると思う」
突然の宣言に、心臓が大きく鼓動を打つ。
「それって……」
「何となくだけど、明日には今の、大きい俺に戻ると思うよ。だから、Edenはなくならない。なぎさも、ひよりも、ジュンもアイドルでいられるよ」
確かに、元の茨が戻って来るのはとても嬉しい。でも。目の前の少年も、茨で。
「そう、ですか」
「俺も、アイドルやりたかったな。ねぇ、ジュン。今だけ、俺とアイドルやって」
「へ?」
「実は、この曲練習してたんだよね」
そう言うと、タブレットからEdenの曲を流し始める。これは、茨がオレの為に歌詞を考えてくれた曲。
「この曲、好きなんだ。これ一緒にやって」
「…いいですよ」
一夜限りの、二人だけのライブ。必死に見よう見まねの歌とダンスをする茨は、ライブの時と同じ顔をしていた。
「やっぱり、大きい俺のようにはいかないね」
息を切らして、床に足を投げ出した茨が言う。
「数日でここまでできるのは上出来っすよ」
「でも、アイドルをするにはまだ足りないでしょ。残念」
座るオレの膝の間に、茨がおさまる。
「楽しかった。なぎさと遊んで、ひよりと色んな服を選んで、弓弦とゲームして。ジュンとは、アイドルになった。もっとやりたい」
「いば、」
「ほんとは、ずっとこうしていたい。でもきっと、そうすると大きい俺が今まで色々我慢したり、頑張ってきたのが消えちゃう。それは、すごい嫌なんだよ」
「オレも、小さい茨と会えたのは嬉しいっすよ」
──ジュン。
高い声で、何回もオレの名前が呼ばれる。向かい合わせになると、細い腕をオレの首元に回し、ぎゅっとしがみつくように抱きしめてきた。
「ジュン、最後に俺をアイドルにしてくれて、ありがとう」
部屋着の肩が、濡れてくるのがわかる。
じゃあね、と言われると同時に、頬に柔らかい感触が触れた。
「ちょ、茨⁉︎」
「施設にいた大人たちが、戦地に行く前にこうしてた。好きな人とのお別れの時はこうするって言ってたよ」
ジュン、大好き。
その言葉を言い終わった途端に、電池が切れたように茨は目を閉じて、オレも猛烈な睡魔に襲われた。
翌朝。
ソファの上で目が覚めたオレの横には、Edenの七種茨がいた。どうやら、ぼんやりではあるが、自分が若返っていたことも理解しているらしい。
「お手数おかけしました」
「茨、おかえりなさい」
「……ただいま」
聞きなれた声での挨拶。
ナギ先輩とおひいさんも茨の帰還を喜び、またEdenは四人で歩み始めた。
おひいさんが買い集めた子供服だとか、ナギ先輩がどこからか持ってきてたおもちゃだとかは残っているけど。あんなに撮った写真も、動画も、小さな茨の姿は綺麗さっぱり消えていた。あの日の夜に撮った、二人だけのライブの動画も、もちろん残っていない。
オレだけが知ってる、小さなアイドルの輝きは一生忘れない。