前日譚 なんて言おう
なんて言ってくれるかな
わくわくするような
そわそわするような
秘密の宝物を抱えて家路を急ぐ
急いで帰っても彼がまだ仕事中なのは分かっていたけれど。
□ □ □
お医者様は、厳しい目で、私の顔をちらりと一瞥してため息をついた。
(なんだろう…勘違いだったのかな)
そう思って少しがっかりした瞬間に、目の前のモニターのカルテを見ていた先生が
「あ、御影さん、ご結婚なさってる なんだ、そっかそっか、良かった」 と、声を出した。
「おめでとうございます、ご懐妊ですよ。第5週かなぁ、まだちょっと小さすぎて確定出来ないけど。よくこんな早くに気がつきましたね。」
さっきの厳しい目がウソみたいにニコニコされて、私もつられてしまう。
「はい!赤ちゃん欲しくて、毎日基礎体温つけてたんです。高温期が続いたからもしかしてって思って、検査薬を試したら赤い線が出たので」
「良かったですねー。これから一緒に頑張りましょう。いやー、僕、最初、御影さん、学生さんかと思っちゃって。」
またか……。
コンビニでお酒を買おうとすれば、疑いの眼差しを向けられる。
来客に「お父さんかお母さんいる?」と聞かれ
ついにこの間は、平日の昼間、お買い物をしていたら、補導された……泣
二十六歳なんですけどー。
小次郎さんに似合う女性になりたいと、セクシー目の服を着たりしていたから、高校生の時の方が今よりも大人っぽかったかも。
最近は、そういうのも可愛いなとかなんとか甘やかされてるから、動きやすかったり、ふわふわした感じの服を着ているせいか、昔よりも子供に見られることが多い気がする。
本来の小次郎さんの好みは、ワイルドでセクシーな感じのはずだから、今日はそういうファッションでお出迎えをしてみようかな。
□ □ □
「ただいまー、休みは楽しめたかー?」そう言いながら、リビングの扉を開けた小次郎さんが、驚いた顔で私を見る。
「久しぶりにタイトなワンピース着てみました、どうですか? 好きですか?」 ふざけて聞いてみる。
「驚いたな」と高校生の時に何度か言われたセリフを久しぶりに聞いて懐かしさににやけてしまう。
「急にめかし込んで、さては誘ってんだな、それなら夕飯前に美奈子をいただいて……むぐっ」
抱きしめられそうになって慌てて、小次郎さんの顔を両手で思いっきり押し戻した。
「ひでーなー」と笑う小次郎さんに、「違うんだけど、イヤじゃないんだけど」と、ごにょごにょと言い訳をする。
「分かった分かった、風呂に入ってからーだろ?」
全然違う。
違うんだけど、上機嫌だし。
なんか可愛いな。
「後片付けは俺がしとくから、美奈子は先に風呂入っちゃえよ」
なんでだろう、どこで間違えたんだろう。
確かに小次郎さんに喜んで貰いたくてセクシーな洋服を着たんだけど、まさかエッチのお誘いだと思われるなんて。
どうやって伝えよう、の前に
どうやって断ろうの壁も立ちはだかる。
だって、多分、今はダメだよね。
結局、私は部屋の灯りを消さずにベッドの上に正座して小次郎さんを待った。
「小次郎さんにお話があります。そこに座ってください」と目の前を指差す。
ただならぬ雰囲気を感じたのか神妙な面持ちで、目の前に座る。
今度は私がなんと切り出せばいいのか分からず押し黙ってしまう。
「……なんか、あったか?」心配そうに覗き込まれ、ようやく決心がついた。
「小次郎さん……あのね」
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その瞬間の彼の顔を私はずっと忘れないと思う。驚いたような、嬉しそうな、呆けたような、なんとも言えない表情
「……ありがとな」
そしてその数十秒後には、驚くほどたくさんの約束をさせられた。
冷やすなとか走るなとか重いものを持つなとか仕事は休めとか、カルシウムと葉酸を摂れとか、少しでも具合悪かったら必ず小次郎さんを呼ぶこととか、正直ちょっと過保護なんじゃないかな、って思う。
小次郎さんは私をぎゅっと抱きしめたまま、まだぺったんこのお腹を撫でる。
「ここにいるんだなー、なんか不思議だよな、生命の神秘ってのを初めて実感するよ」
なんて真面目な顔のすぐあとで、
「いや、でもしばらく出来ないなー、ツラいなー、いやー、ツラいな。しばらくお預けかー、そっかーそっかそっか、ツラいなー」
そんなにニヤニヤしながらツラいツラいって。