ひとの上に立つ覚悟賢者の仕事とは、多岐に渡る。
任務や依頼の内容はさることながら、各国の財政界や領主との会談、そして。
「夜会への参加ですか…。」
晶を絶賛悩ませているのが、この貴族主催のパーティーへの参加だ。平凡な一般人である自分が、礼儀やマナーすらままならないのに、『賢者』という肩書きを目当てに多くの誘いが舞い込んでくる。世界の危機に立ち向かう救世主と崇めてくる人も中にはいるが、実はそれは少数だったりする。大半の目当ては興味本位か、あるいは晶の向こうにいる魔法使い達の品定めだ。自分たちに害する気はないか、賢者はきちんと手綱を握っているのか、あの手この手で無遠慮に切り込んでくる。今後の事を考えて、出来るだけ角が立たないよう、なんとか躱し続けているものの、全てを断るわけにもいかない。現に招待状を持ってきたクックロビンは、申し訳なさそうに平謝りしていた。
「すみません、賢者様。どうしても賢者様を参加させなければ気が済まないようで…。おそらく一度お会いすれば、満足するかと思いますので、どうかご参加頂けないでしょうか。」
聞けば北と中央の境目にある、さる領主の息子主催らしい。王族や政治に幅を聞かせるほどではないものの、邪険に扱うわけにもいかないあたり、クックロビンやドラモンドも困っていたのだろう。現に、晶の元へ来た時点で断れるものではないのだ。内心の溜息をおし殺し、晶は一通の招待状を受け取った。
「日にちはちょうど一週間後、19時から開催予定となっています。ドレスコードの記載はありますが、そこまで堅苦しいものではないそうです。そして同伴者は一名のみ、賢者様と賢者の魔法使いに参加して欲しいとのことでした。」
「同伴者一名ですか…。エスコート役として、ですよね。」
ただ同伴してもらうだけならば、手の空いている人であれば良いだろう。しかし場所と時間、何より賢者とその魔法使いに興味を持っている人物主催の夜会だ。礼儀やマナーを弁えていて、何より不測の事態に対応できる戦力や機転の速さ、いざという時に連携の取れるコミュニケーション力を持っている人物となると限られてくる。
「ちなみにアーサー様やカインは、城主催の晩餐会に参加予定なので難しいですね。」
優秀なクックロビンは、早くも晶の第一候補達を除外した。
年若い魔法使い達は除き、かつ戦力・機転の速さ・コミュニケーション力を持つ人を全力で探さなければならない。
「…分かりました。同伴者はなんとか探します。なので、お返事を代わりに書いておいてください。」
「本当ですか!ありがとうございます、賢者様。ちなみに心当たりの方は、もういらっしゃるんですか?」
「ええ、なので今から急いでキッチンに行ってきます。」
「キッチン…?」
晶の言葉を反芻するクックロビンに背を向けて、晶は全力で走り出した。
♢
「と言うわけでお願いします、ブラッドリー!」
「何が『と言うわけ』だ。嫌だね、俺様がなんでそんな弱小貴族の夜会に参加しなきゃならねぇんだ。お宝のお披露目パーティーならともかくよ。」
山盛りのフライドチキンを手にしながら、ブラッドリーは晶のお願いを切り捨てる。
キッチンに行った晶はネロに頼み込み、ただひたすらフライドチキンを揚げ続けた。それを手土産にブラッドリーを訪ねると、割と簡単に部屋に通してもらえたのだが、晶の話を聞いたブラッドリーはたちまち不機嫌になった。
「そこを何とかお願いします。もうブラッドリーしかいないんです…!」
「美味い飯が出るわけでもねぇのに、参加するメリットがねぇ。他を当たんな。」
「フライドチキンを献上したじゃないですか!」
「これはお前が勝手に持ってきたやつだ。頼み賃じゃねぇよ。」
(手強い…!)
だが晶もただでは起きない。むしろここまでは予想通りだ。あとはもう、奥の手を使うしかない。
「今回同伴してもらう人って、誰でも良いわけじゃないんです。時間も遅いですし、場所も少し遠いので、何があっても対応できるような戦力を持っていて、なおかつ礼儀作法も身につけているような、格好良くて強い人が良かったんですけど…。」
思案するような振りして、晶はちらりとブラッドリーを見遣る。山盛りだったフライドチキンは、もう半分以上無くなっていた。
「へぇ、それが俺様だって?お前、見る目あんじゃねぇか。」
先程とは打って変わって、ブラッドリーは滅茶苦茶上機嫌の笑みを浮かべていた。ソファの上で足を組み、自信たっぷりに晶と相対する。
「真っ先に思いついたのが、ブラッドリーだったんですが、難しければ他の人にあたりま…」
「まぁ、聞いてやってもいいぜ。」
「ありがとうございます!」
言質は取った。あとは夜会の開催日まで気が変わらないよう、ひたすら煽て、褒め続けるのみだ。
あとでクロエに、衣装を見繕ってもらうように頼もう。彼の生み出す衣装は、自由で気まぐれな魔法使い達の心を皆虜にするのだから。
♢
「なんとかなりそうで良かった…。」
一週間があっという間に過ぎていた。元々礼儀もマナーも何一つ知らなかったため、連日アーサーやヒース指導のもと一通りの作法を身につけることに多大な努力を要した。彼らは決して晶を否定することはしないけれど、王族であるアーサーや貴族のヒースに比べれば、まだまだひよっこだと思う。そしてそんな晶の姿をたまに見にきては、 爆笑するのがブラッドリーだ。
「おう、ちったぁ作法を身につけられたか?」
「足を引っ張らないようにだけ、頑張ります…。」
「勘弁してくれよ、俺様の足を踏むなら覚悟しておけ。」
「そんな脅し文句いります…?」
けらけらと軽快な笑みをこぼしながら佇むブラッドリーは、クロエ製作のスーツスタイルだ。柔らかいフリルが袖口や首元に付けられているのに、可憐な印象は全くない。グレーで統一された中に、アクセントとしてワインレッドのリボンタイが添えられていた。顔の傷さえなければ、どこぞの貴族や領主として出されても文句はないだろう。粗野な言動や荒っぽい立ち居振る舞いをしたところで、不思議と彼の品位を損なうことはなかった。だからと言って、自分のレッスン姿を思い出されて爆笑されているのは、良い気分ではない。晶の不満を感じ取ったのか、ブラッドリーはひとしきり笑い終えると、魔法舎の玄関に向けて歩き出す。
外へ出ると、満天の星空が晶達を出迎えた。鑑賞する暇もなく、ブラッドリーは徐に箒を出すと、晶の方へと手を差し伸べる。
「ほら、乗れよ。」
「はい、お願いします。」
王子様のような出立ちと物語でしかお目にかかれないシチュエーションのせいか、まるで攫われる姫君の気分だ。死の盗賊団の首領を前にして、そんな呑気な感想を抱く人間は後にも先にも晶しかいないだろう。その事にくすりと笑いを溢し、二人はふわりと夜空へ舞い上がった。
♢
「ようこそお越し下さいました。どうぞ楽しんでくださいね。」
出迎えの執事の挨拶に、晶も軽く会釈をする。正面玄関ではひっきりなしに馬車が駆け込み、メイドや執事が忙しそうに駆け回っていた。
晶の招待状を受け取った男は、顔色ひとつ変えずに応対したため、果たしてこの招待が歓迎されるものなのか否か、判断が難しい。少なくとも魔法使いに対する偏見を露骨に表す真似をしないだけ、良しとするべきか。
北の魔法使いの中でも、ブラッドリーは比較的思慮分別がある方だと晶は思っている。それでも矜持や誇りを逆撫でするような事態になれば、あっという間に会場が戦場へと変わるだろう。
傍らのブラッドリーをちらりと見遣ると、彼は晶の半歩後ろで退屈そうに欠伸を漏らしていた。
「誰かしら高価な宝石でも身に付けてねぇか、期待して損したぜ。どいつもこいつも碌なもん持ってねぇじゃねぇか。」
「しっ、駄目ですよブラッドリー!そもそも盗むのは犯罪です!そういう目で見ないでください!」
「おいなんだ、そのガキに躾けるような言い方…。」
思わず口元に人差し指を立てて注意してしまったが、幸いにも周囲の人達には気づかれなかったようだ。胸を撫で下ろし、晶はよしと襟元を正す。
「では行きましょうか、ブラッドリー。」
「ちげーな。」
「はい?」
出足を挫くような否定の言葉に、晶は首を傾げる。
「お手をどうぞ?賢者様。」
ブラッドリーは驚くほど優雅な一礼をこなしたかと思えば、上品で丁寧な仕草と言葉遣いで晶を誘った。野性味溢れる強気な態度は身を潜め、そこに居るのは今宵招かれた客人の紳士だ。たったそれだけの、時間にしてみれば僅か数秒にも満たない一コマに、周囲からの注目度が一気に増した。ひそひそと遠回しに囁かれる声が、耳に痛い。
(は、恥ずかしい…!)
だがこれでも、それなりの場数をこなしてきた。大抵のアクシデントや驚きには、耐性がついている。
「それではお願いします、ブラッドリー。」
内心の動揺や羞恥心をひた隠しにし、晶は差し出された手を取って、会場へと足を踏み入れた。
♢
「皆様、今宵はお集まり頂き、誠にありがとうございます。この日のために様々な料理や酒の数々をご用意しております。」
会場入りしてすぐに、主催と思われる男が窓際の一段迫り上がったステージと思われる場所にて、挨拶の言葉を述べた。晶達は壁際に佇み、それを見守る。
「今宵の夜会では、ぜひ多くの方と交流を深めたいと思っておりますので、たくさんのゲストをお招きしました。それぞれが楽しめる出し物や催し物もご用意しております。ぜひお楽しみください。」
年は三十代くらいだろうか。柔らかい栗色の巻き毛が印象的な青年は、緊張する様子もなく堂々と言い切った。クックロビンの話によれば、彼がどうやら賢者とその魔法使いに会いたがっているらしい。一体何の目的で、と勘繰ってしまうが、挨拶の趣旨からすると、単に興味本位なのかもしれない。
「俺たちと友達になりたいから、呼んだんでしょうか?」
晶の問いには、何も返ってこなかった。聞こえなかったのかとブラッドリーに目を向けると、彼はじっと主催の男を見据えている。ただ観察をしているだけならまだ良いが―何となく今は話しかけない方がいいと、少なくない付き合いで培った経験がそう思わせた。
挨拶が終わると同時に、どこかから華やかで綺麗な旋律の音色が奏でられる。軽食が盛られたテーブルの向こうは、ちょっとしたダンスフロアになっており、煌びやかな衣装で着飾った夫人やそのパートナーが我先にとばかりに踊り始めた。基本的に夜会ではまず関係やコネ作りのために、貴族や王族中心に挨拶回りから始めるものだが、そこまで厳密に堅苦しいものではないと触書きがあった以上、ある程度の自由は寛容的のようだ。晶としても、一体誰に話しかければ良いか分からないため、こうしてゆっくり過ごす事ができるのは有り難かった。
「今のうちに、少し腹拵えをしましょうか。…って、早いですね。」
「んあ?めぼしい宝がない以上、料理くらいしか楽しみがねぇだろ。」
晶が振り向いた時にはすでに、ブラッドリーはいくつかの皿を手に持ち、口に入れていた。庶民からすれば十分ご馳走なのだが、何せ普段からネロの料理を口にしているのだ。ブラッドリーは、可もなく不可もなくといった、微妙な表情を浮かべていた。
「…いや、やっぱり食った気がしねぇ。さっさと帰って、食い直した方がマシだ。ほら帰るぞ。」
「待ってくださいブラッドリー!せめて挨拶を!挨拶をしてからじゃないと、来た意味がないです!」
本当に帰ろうとしたブラッドリーを、晶は何とか引き留めようと試みる。あの手この手で引き止めるうちに、ちょっとした騒ぎのようになってしまった。
するとそこへ、一人の男が声を掛ける。
「失礼。貴方がひょっとして、賢者様でしょうか?」
思わず振り向くと、つい先ほどまで壇上に上がって挨拶をしていた男が、晶達に近付いていた。傍らには、胸元が開いた扇情的なドレスを身に纏った貴婦人を何人も侍らせており、少々目に困る。幾分か気恥ずかしさを感じつつも、晶は習ったばかりの作法で挨拶を返した。
「はい、はじめまして。俺が今代の賢者、晶と言います。」
顔を上げると、男はじっくりとこちらを品定めするかのように、晶に視線を向けていた。それがゆっくりと、晶の横へと移動する。
「……。」
ブラッドリーは、無言だった。てっきり挨拶もしてくれるかと期待していたが、どうやらその気はないようだった。強要することもできず、晶はそのまま傍らのブラッドリーを紹介する。
「彼は賢者の魔法使いの一人、ブラッドリーです。今日はお招き頂き、ありがとうございました。」
そう晶が言い終えると、主催の男は優雅な佇まいに似合わぬ下卑た笑みを浮かべた。
「へぇ、彼が賢者の魔法使いなのですね。招待状の返事を頂いた時に、驚きましたよ。何せ彼は、囚人と伺っていたものですから。」
ああこれは、楽しい誘いではなかったのだなと晶は瞬時に悟った。友達になりたくて、魔法使いを知りたくて招いてくれたのならば、良かったのに。
続く男の言葉は、尚も嘲笑と侮蔑を孕んで晶達に降りかかる。
「犯罪者めが、一体どう言った体で今日来るのか楽しみにしておりました。」
「はは、予想に違わず下衆野郎で良かったぜ。殺す時に躊躇う必要がねぇからな。」
『殺す』という言葉に、会場が一気に静まり返った。賑やかな楽章を奏でていた楽団も、華やかな舞踏も、いつの間にか時を止めていた。
ブラッドリーは殺意を出してはいない。北の魔法使い達の戦闘で慣れっこの晶には分かるが、一般人からすれば呪文一つで殺される恐怖を孕んでいるのだ。会場にいる人全てがブラッドリーの正体を理解しているとは思えないが、死の盗賊団率いる首領の風格に圧倒されたのか、誰一人口を開こうとはしない。
だが主催の男はただのこけ脅しと思ったのか、すぐさま肩をすくませ嗤った。
「やれやれ、これだから賢者の魔法使いというのは、野蛮な連中だと言われるんですよ。良い加減、我々人間達が手綱を握るべきだと、思いませんか?」
ねぇ、とばかりに、主催の男は辺りを見渡してそう言った。その目は、ブラッドリーを完全にひととして扱っていなかった。まるで、下等生物かのように見下し、管理しようとするその傲慢さに呆れすら通り越してしまう。
「賢者様、どうか友愛の証に、乾杯しませんか?」
執事を手元へ呼び寄せて、主催の男は真紅の杯を掲げた。
「…お断りします。」
「はい?」
晶の方へと差し出された杯は、宙で静止する。まるで自分の誘いを断るなんて思いもよらなかった、とばかりに、彼の顔は驚きに満ちていた。
それには構わず、晶は主催の男を真っ直ぐに見据えて対峙する。
「彼は俺の魔法使いです。文句があるなら、俺に言ってください。」
堂々と言い終えた途端、傍らのブラッドリーは軽く口笛を吹いて笑った。その笑みはまるで、少年のようにあどけないような、心の底から楽しそうに笑っているような顔だった。
「はは、良い目をするようになったじゃねぇか。」
「はい…えっ!?」
ブラッドリーは晶を横抱きにすると、すぐさま箒に飛び乗る。そして高らかに、こう告げた。
「いいか、お前ら。俺たちの頭に手を出そうとすんなら、容赦はしねぇ。死にたい奴だけ、かかってきな!」
まるで宣戦布告のように、それは会場に広く響き渡った。眼下に見える主催の男は、呆気に取られた表情でこちらを見上げている。目紛しい展開に付いて行けてないのは、会場の客人もまた同様だ。
数十、あるいは数百もの観衆を前に、二人はそのまま会場の窓から飛び出した。
♢
「あー、面白え。あれだけでも来た意味はあったぜ。」
「うう、クックロビンさんに何て言おう…。」
断れない案件のはずだったのに、あろう事か関係性を悪くしてしまったに違いない。だがそれでも、晶は後悔していなかった。あのまま雰囲気に呑まれて、あの主催の男の言葉を聞き続ける方が辛かった。そして何より、ブラッドリーを見た時の、あの目。例え権力に逆らってでも、どんな罵詈雑言を浴びようとも、許せなかった。
「ブラッドリー、ごめんなさい。」
「あ?何謝ってんだ。」
「いえ、こんな嫌な気分にさせるような夜会に参加させてしまって…。」
そう晶が告げた瞬間、ブラッドリーは盛大に舌打ちした。
「おいおい、せっかく俺様が良い気分だったのに、水を刺すような事言うんじゃねぇよ。」
空中で静止し、二人は―晶は今だに横抱きのままだった―向かい合う。ブラッドリーの顔越しに、輝くような満月が見えた。夜空を舞台に、彼の心中が明かされる。
「いいか、てめぇのケツはてめぇで拭くのが当たり前だ。俺は死の盗賊団であった事を、一度も後悔なんかしてねぇ。囚人だろうと罪人だろうと、俺が俺であった事の証明になるんなら本望さ。」
力強く、彼はそう言い切った。
「だからあんなの陰口にも嫌味にもなりやしねぇ。そんなんで傷付くくらいなら、北で生きていけるわけねぇだろ。だからお前がそれを背負う必要なんかねぇ。俺のモンを奪うな。」
嫌味も陰口も、侮蔑も哄笑も、何一つ晶には渡さない。彼はそう告げた。
北の魔法使いは、奪われることを酷く嫌う。だから彼の言い分は、理にかなっていた。
「…ありがとうございます、ブラッドリー。」
謝罪を嫌うならば、せめてもの感謝を告げる。力を抜いてそっと肩に頭を寄せると、ほんの少しの硝煙とムスクの香りが晶を包む。
きっと恐らくこれからも、謂れもない偏見や差別を浴びせられ、心ない言葉を投げつけられるかもしれない。賢者の役目は、そうした人達の前に立ち、魔法使いを守る事だと思っていた。だがブラッドリーは、背負うなと言い切った。
「てめぇはいちいち謙りすぎなんだよ。ひとの上に立つんなら、ちゃんと胸を張っておけ。」
「あはは、覚えておきます。」
皆を束ね、導く役目を果たすために。
晶は笑って頷いた。