親リ/原作軸(団長✕兵長)***
夏のある日の朝。調査兵団団長エルヴィン・スミスは、平野を一人馬で駆けていた。
非番であった昨日、いつものように執務によって一日を潰してしまい、それを知った幹部達から叱咤され、半ば強引に今日のお使いを頼まれてしまった。
行き先はここから近い工場のある街。名目は次の巨人捕獲作戦に使える物があるかどうか、だが。この辺りにそういった物はないというのは既に承知の上だ。
『ついでにお酒とおつまみでも買ってきてよ。のんびり馬でも走らせておいでー。気分転換になるよー』
そう言って送り出そうとする仲間達の笑顔に、都合良くも急ぎの書類はなく、まぁ半日くらいはいいかとエルヴィンは笑顔を浮かべ、お使いを了承した。
街までは馬を走らせ約二時間。調査兵団をよく思わない者も多く、服装は白の長袖シャツとズボンの軽装姿で、団長の証であるループタイもない。
予定通り街へと到着すると、軽く散策し、目当ての土産と興味深い本を購入した。古ぼけたカフェで一杯のお茶を飲み、通りかかった小さな雑貨屋で気に入った茶葉を見つけ、エルヴィンはふっと頬を緩ませると、それを購入して街を出た。
今から戻れば兵団へは午後には到着できる。
そう思いながら馬で駆けていたエルヴィンの目の先に、小さな人影が見えた。
八歳位だろうか。その人影は小さな少年で、重そうな木を手で引っ張りながらふらふらと運んでいる。エルヴィンは馬の脚を緩めると、少年の傍までやってきた。
少年はハッとした顔でエルヴィンを見上げた。
短い黒髪と茶色の瞳。生成色のシャツはあちこち汚れ、少し破けている。頬や手も泥で黒く汚れ、随分とこの木と格闘していたのがよく分かる。
少し怯えた表情をみせる少年に、エルヴィンはにこりと微笑みながら尋ねた。
「君、一人かい?こんな所で何をしているんだい?」
少年は、エルヴィンを不信そうに見ながらぼそりと答える。
「家を……修理してる」
「修理?」
問いかけると少年はちらりと後ろを振り返った。その方角には、木々に囲まれた小さな家がある。
少々古そうだが、それより気になるのは窓と壁にできた大きな穴だ。その隣には、飛んできたのだろう
か大きな大木が地面に倒れている。
「あれが君の家かい?そうか……大変だな」
そう呟くと、少年はしょんぼりと落ち込んだ顔になった。
「……もともと古い家だけど、おとといの雨風で、木が飛んできて。だから早く修理しないと」
「だが、君一人では難しいだろう。ご両親は」
「母さんは出稼ぎに出てて、明日まで帰ってこない。妹をおぶって遠くまで歩いて働きに行ってるんだ。父さんは……いない。だから、ぼくがやらないと」
そう言ってまた木をズルズルと引っ張ろうとするので、エルヴィンは慌てた。
「子供の力では無理だろう。せめて大人の……そうだ、この近くの駐屯兵にでも」
言いかけた瞬間。少年が小さな目でキッとエルヴィンを睨んだ。
「おまえ、兵士か?」
「え?」
「兵士なんか大っ嫌いだ。兵士の力なんか借りるもんか。ただ威張って、人の言う事なんか、何にも聞かないくせに」
強い拒絶を込めた言葉にエルヴィンは驚き、できるだけ優しく尋ねる。
「何故、そんなに兵士が嫌いなんだい?」
「……憲兵のやつらが、父ちゃんを連れてった。秘密の本を持ってるからって、何も悪いことしてないのに。あいつら家に踏み込んできて、めちゃくちゃにして……」
小さな瞳から大粒の涙がじわりと浮かび、少年はゴシゴシとその目を擦ってぐっと目に力を込めた。
「俺はあいつらを許さない。ぜったい許さないんだからな」
「……そうか。それは辛かったな。だが、嫌な兵士もいれば良い兵士もいる。憲兵が嫌ならば駐屯兵や調査兵も」
「兵士なんかみんな同じだ。兵士の力なんかいらないよ。いいから、お前もさっさと行っちまえ」
少年は聞く耳も持たず、また重そうな木を引っ張り始める。エルヴィンは困ったようにそれを眺めていたが、少し考え、にこりと笑顔を浮かべた。
「では私が手伝おう」
「え?」
「私は兵士ではないよ。ほら、普通の格好をしているだろう?実は家屋の修理をして生計をたてている旅人なんだ。まだ修行中の身なのだが、手伝わせてくれないか?」
そう言うと、少年の目がキラキラと輝きだした。
「家の修理……?お前、もしかして『親方』か……!?」
「『おや……かた』……?」
「本当にいるんだな!すごい……やったぁ!」
突然態度が変わり嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねる少年に、エルヴィンは不思議な思いで目を瞬かせていた。
***
「おい。エルヴィンはまだ帰ってねぇのか」
リヴァイは団長室の扉を開けると、ソファに座り書類の整理をしているミケとモブリットに尋ねた。
「はい。まだのようです」
「……やけに遅くねぇか。あいつの馬なら片道二時間の距離だろ。もう昼過ぎだぞ」
「久しぶりの非番代わりだ。のんびりお使いしてこいと言ったから、どこかで昼寝でもしているのかもしれん」
ミケの呑気な声にリヴァイはチッと舌打ちをする。
「あいつが呑気に昼寝をするタマか。さっさと帰ってきて、止めるのも聞かずに執務をするような奴だろうが。俺には昼には戻ると言っていたぞ」
「まぁそうだが……ああ、心配ならお前が迎えに行けばいい。こっちに向かっているなら中間地点で落ち合える」
「は?」
「ああ、それはいいですね。今日は書類も落ち着いていて訓練もないですし。兵長も、最近は非番と言っても兵舎の掃除ばかりでしたでしょう。気晴らしにご一緒に遠乗りなんて良いのでは?」
にこにこと笑顔で答えるモブリットにリヴァイは眉をひそめた。
確かに、昨日から珍しく急ぎの書類もなく落ち着いている。
二人分の生温い視線を背中に感じながら、リヴァイは軽く舌打ちすると、靴音を立てて団長室を出ていった。
「…………おい。これは……どういう状況だ……?」
リヴァイは、小さな目を大きく見開いて呟いていた。
ミケとモブリットに後を託し、リヴァイはエルヴィンを探しに森へとやってきていた。服装は白のシャツにマントを羽織った軽装姿。エルヴィンが通った道は恐らく兵団でも使い慣れたルートの為、すれ違う事は考えにくい。だが万が一、どこかで倒れていたり、本当に呑気に昼寝でもしていれば見落とし通り過ぎてしまうかもしれないと、リヴァイは全速力を出しながらも最新の注意を払い、森の中を馬で走らせていた。
そこで、リヴァイはエルヴィンの白馬を見付けた。繋がれた木の傍に立つと、近くにある家の方から物音が聞こえてくる。リヴァイは自分の馬も隣に繋ぐと、音のする家の方へと歩き出した。
そして見付けたのがこの小さなボロ家だ。少々古臭く、屋根と壁には穴まで空いている。
だがリヴァイが驚いたのはその事ではない。
その屋根の上に、金髪の男が背中を丸めて作業しているのだ。よく見慣れた、だが、見慣れない格好をした男が。
「やぁ!リヴァイ!」
ぽかんと見上げているリヴァイに気付いたらしい男は、その場で立ち上がると元気に声を上げた。
額の汗をキラリと光らせ爽やかな笑顔を見せるのは、それは紛れもなく調査兵団団長であるエルヴィン・スミスだった。
「で?一体どういう状況なんだこれは」
屋根の上から降りてきたエルヴィンに、リヴァイは不可思議なものを見るかのようにジロジロと眺めた。
目の前の男は、出掛ける時に着ていた軽装の格好姿ではなかった。
いつも七三に分けている金色の髪は白の布で額から頭を巻くようにして覆い、黒のズボンは少し大きめでダボッとしており、上半身は白の丸襟シャツを着ている。シャツは小さめでぴったりとし、生地の上からでも筋肉の盛り上がりが見え、そこにじわりと汗が滲んでいる。捲りあげた半袖からは逞しい二の腕を見せ、普段は兵服か襟付きの長袖シャツを着る男のそんな姿は珍しく、妙に男臭さを漂わせる雰囲気にリヴァイは眉をひそめていた。
「実は帰還途中に少々事情があってな。この家の修理を手伝っていたんだ。すまない、わざわざ探しに来てくれたのか」
「予定より遅ぇから、どっかで野垂れ死んでやしないかと来てみたんだよ。それで、その妙な格好は何なんだ」
「これは『親方』さ」
「おやかた?」
「ああ。親方というのは、ケビンの父の持っている本の話でね。どこかの地域では、家や建物を建てる職業を『大工』と言い、それを統括するリーダーを『親方』と言うらしい。私が、家を修理する仕事で生計を立てていると言うと彼はとても喜んでね。どうやら本に出てくる『親方』に憧れを抱いていたらしいんだ。本に描かれた絵も、私に似てると言って嬉しそうに見せてくれたよ。確かに本の内容は面白く興味深かった。そしてこれはケビンの父親の服で、親方の格好に似せてくれたんだ。だが案外着心地は悪くないし、額のタオルは汗を吸い取るし邪魔にもならないから、案外便利だぞ」
にこにこと楽しそうな男に、リヴァイは呆れながら首を傾げる。
「おい……全然意味が分からねぇんだが?ケビン、ってのは誰だ。一体何の話を……」
「親方ーー!こっちは片付けたよーー!」
リヴァイの声を遮りパタパタと走ってきたのは、小さな少年だった。
少年はリヴァイに気が付くと、じっと見つめながらエルヴィンの後ろに隠れる。
「……誰だ?お前」
「あぁ?てめぇこそ誰だ」
「ぼくは、ケビンだ」
「ケビン……?ああ、お前がそうか。俺はリ」
「彼は『リー』と言うんだ。私の仕事の相棒でね。とても優秀な頼れる男だよ」
エルヴィンがリヴァイの肩をぐっと抱いて引き寄せそう言い、リヴァイは目を丸くした。
「そうか!親方の仲間か!もしかして、リーも手伝ってくれるのか?」
「ああ勿論だ。三人で頑張ろう」
「うん!よろしくな、リー」
にっこりとケビンに微笑まれ、リヴァイは眉を歪めたまま複雑な表情で黙っていた。
「……それで。兵士だという事を隠して、あのガキの家の修理をしているという事か」
ケビンが水汲みに行っている間に、エルヴィンは簡単に経緯を説明した。
「そうだ。母親は乳飲み子を抱えて出稼ぎに出ていて、金もなく頼れる人もいない。あの子一人で修理なんて無理だろう。こうして出会ったのも何かの縁だ。幸い私は非番で、出掛ける前の状況を見ると執務もそれ程滞っていないように思うが、どうだ?」
「ああ。書類も分隊長達で処理できるものばかりだが……それにしたってなんでてめぇが……」
「良かった。彼の母親は明日の夕刻に戻ってくると言う。それまでに穴の修理と、ついでに家の中の傷んだ箇所も修復したい。憲兵が暴れたせいで家具も破損しているんだ。協力してくれるか?」
にこりと笑う男にチッと舌打ちし、リヴァイはじろりと見る。
「……どうせ断らねぇと思ってやがるくせに。まぁいい。それで?俺の名も偽名なのか」
「ああ、君の名前は一応伏せておこうかと。人類最強の兵士の名は、巷でも知っている人は知っているからな」
「……『親方』が載ってる本ってのは。まさか禁書なのか?」
その言葉にエルヴィンは苦笑いを浮かべる。
「いや、禁書という程重要な書物ではないと思う。もしも歴史の事実であったとしても、地域もあやふやで詳細も足りないしな。絵本のようなものだ。創作やおとぎ話の類と変わらない、規制の対象ではないと思う。だが、この本を古い納戸から発見した父親は、息子が小さな頃から共に楽しく読み、たまたま街でその話をしていた所を憲兵に見付かってしまった。元々ガラの悪い横柄な憲兵で、難癖を付けられ、家まで乗り込まれ、父親は連れていかれたと話していた。無事に戻ってくれば良いのだが……」
静かに話すエルヴィンを見つめていたリヴァイは、白いシャツの袖を捲り、壁の穴を見た。
「で?どこから手を付けるんだ。親方さんよ」
エルヴィンはその言葉にフッと笑うと、手に持っていた木槌を肩に乗せ、動き出した。
「おい親方。こっちの小さな穴も塞ぎ終わったぞ。そっちはどうだ」
「ここはもう少し泥が必要だな。それからリー、すまないが」
「これだろ。ほら。それから泥はもう出来ている。こっちに持ってくるか」
「ああ。そうだな。お前はそこから見ていてくれるか。君の指示で私が修正する」
「了解だ」
エルヴィンとリヴァイは慣れた手付きで修理を始めていた。得意という訳でもないが、金の無い兵団で古くなってくる建物の修繕は兵士にとって日常茶飯事だ。団長と兵士長になって手伝う事は殆ど無くなったが、久々の動きにも無駄がなく、修繕はあっという間に進んでゆく。
大きな穴はエルヴィン、小さな補修はリヴァイと、横並びになり泥を塗りつけ作業を続ける。そうやってテキパキと働いている二人に、ケビンは目をキラキラとさせ見ていた。
「凄いなぁ。凄いなぁ。二人はぴったりだね!」
「あ?」
「信頼し合ってて、指示して、相談して、テキパキと家を作って。見てて凄くカッコイイ!親方とリーは、お互いの気持ちが分かるみたいだね。何も言わなくても、リーはサッサッって親方の欲しいものを用意するんだもん。あ、うちの父さんと母さんもそうだよ。父さんがアレ取ってって言うと、母さんすぐに分かるんだ。何でなの?って聞いても笑ってるだけなんだ。二人とも隣にいるのがお似合いでさ、ぴったりでさ。あ!もしかして、親方とリーも夫婦なのか?」
楽しそうに語る少年に、リヴァイは複雑な顔をしてじろりと隣を見る。
「……一緒に仕事をする時間が多けりゃ何となく分かるようになる。そういうもんだ。別に、俺達が特別なわけじゃ」
「夫婦ではないないが、確かに私にとってリーは、特別でぴったりなパートナーだよ」
手を動かしながら笑顔で言う男に、リヴァイは目をぱちくりとする。
「やっぱりそうか!俺、ずっとそんな気がしてたんだ。じゃあ何で夫婦にならないんだ?」
「そうだな。仕事が忙しくてな」
「もう!そういうのが駄目なんだよ?母さん言ってた。こんな時代だし、ぴったりの人がいたら絶対離しちゃダメだって。離れ離れになって後悔するかもしれないだろう?まったく。男はすぐ仕事仕事って言うからダメなんだよ。リーが他の人の所に行ったらどうするんだ?」
「ふふ、それはとても困るな」
「だったらちゃんとしなきゃ。あのな。ぼくも早くぴったりの子と出会いたいなと思ってるんだ。それで、一緒に楽しく暮らすんだ。一緒にご飯食べて遊ぶんだ」
にこにこと嬉しそうにケビンが笑う。
作業をしながら両隣でそんな会話をされ、リヴァイは黙って壁を睨みながら黙々と泥を塗りつけていた。
一体何を考えてやがる。
子供の戯言に付き合ってるだけだろうが、聞いた事もない言葉に、胸がザワザワとして落ち着かなかった。
余計な事を考えないよう無視を決め込み、誤魔化すように作業を続ける。
「ねぇ?リーもそう思うよね?」
なのにケビンから話を振られ、ビクリと肩を震わせる。
目付きの悪い視線で小さな男をじろりと見下ろすと、汚れたバケツへ目を向けた。
「……おい、そろそろ水を新しくしてこい。お前の役目だろ」
「あ。本当だ。はーい」
ケビンは素直に返事をすると、パタパタと駆け出して行った。
二人きりになり、作業を続ける男へリヴァイは壁をじっと見ながら呟く。
「……ガキに変な事言うんじゃねぇよ」
「変な事?」
「変だろが。……特別とか。訳のわかんねぇ事を」
眉を歪めたままそう言うと、エルヴィンもまた壁を見ながらクスリと笑う。
「すまない。気に触ったか」
「……別に。そういう意味じゃねぇが」
「そうか。私は、変な事を言ったつもりもないのだがな」
笑うエルヴィンに、リヴァイの胸はまたざわりと狼狽える。
「こういう家もいいと思わないか?」
「あ?」
「前に話した新居だ。小さくて古いが、こうして一緒に手入れをすればいい家になる」
少し楽しげな声に、ふわりとあの夜の会話が蘇った。
新居。
ある夜の、深夜のくだらない雑談話。
『リヴァイ。君ならどんな新居にする?』
男は、執務の疲れが最高潮になると突拍子もない話をする事がある。その時もそれだろうと思い、軽い気持ちで話に付き合った。
自分一人が住む家を話していたリヴァイ。だが、エルヴィンは当たり前のように二人の暮らしを話してきた。
『山の中の、小さな家』
『お前の書斎はリビングに。窓辺のいい場所を譲ってやるよ』
『鶏小屋と家庭菜園がほしいな。早起きしよう。庭仕事は私に任せておけ』
有り得ない未来。
叶うなど、叶えたいなどと男が思っていない事は分かっている。リヴァイもそうだ。
だがその有り得ない未来を――当たり前のようにリヴァイが傍にいる未来を、穏やかに楽しそうに語る男に思った。
悪くない、と。
「こうしていると、本当に『親方』になった気分でな。少々浮かれていたらしい」
楽しそうな声に胸が熱くなる。
どうしても、こいつの一言一言に振り回されてしまう。
リヴァイは少し考えると、手を休めずに呟いた。
「……家は悪くねぇが、場所はもう少し上がいい。家庭菜園をするなら日当たりは重要だろ。カボチャ、失敗すんじゃねぇぞ。こう見えて、俺は結構パイを楽しみにしている」
『焼きたてのパンは憧れるな、カボチャのパイも』
『 パイの作り方は俺が覚えてやる。お前はカボチャを作れ。枯れたら、パイの中身は無しだと思え』
くだらない戯言を持ち出すと、エルヴィンがぱちぱちと目を瞬かせ、穏やかに頬を緩ませた。
「そうだな。中身無しは悲しいからな」
「そうだ。お前の腕にかかってるぞ、親方」
二人で話しをしながら、リズム良く修繕が続く。
「親方ー!俺も手伝うー!」
パタパタと戻ってくるケビンにエルヴィンは笑顔を向け、三人は力を合わせ作業を続けた。
夕刻になり、全体の修復がほぼ完成した。
穴は綺麗に塞がり、古ぼけていた外観も少し明るくなった。
「よし。完成だな」
「わーい!」
ケビンがぴょんぴょんと跳ねて喜び、エルヴィンとハイタッチを交わす。リヴァイにもハイタッチを求め……無愛想な顔で手をパチンと合わせた。
「リー、悪いが今日は一人で戻ってくれるか?私はここに泊まり、明日の朝から家の修繕をしたい。朝のうちには終わるだろう」
エルヴィンの言葉にリヴァイは驚きに目を瞬かせ、ケビンは嬉しそうに目をキラキラさせる。
「おいエ……」
「本当に?親方ありがとう!」
喜ぶケビンを見てしまえば何も言えず、リヴァイは眉をひそめ、にこりと笑っているエルヴィンと目が合う。
「いいかな?リー」
「……だから。断わらねぇと分かってるくせに聞くんじゃねぇよ。明日の朝だな。迎えに来る」
そう言ってふいっと顔を背けマントを手に取るリヴァイに、エルヴィンがクスリと笑う。
「いつも頼りにしてるよ」
「うるせぇ。我儘野郎め。あいつらに何て説明すりゃ……」
ブツブツと言う二人の足元に、嬉しそうなケビンが見上げてくる。
「親方とリーも、いってきますのチューするのか?ぼく、目を隠してた方がいいか?」
無邪気な顔でそんな事を言われ、リヴァイは目を丸くし、エルヴィンは楽しげに笑った。
「そうだな。リー、してくれるか?」
そう言ってわざと顔を近付けてくる男に、リヴァイはガチッと固まり、ぐぐぐっと眉を歪めて凶悪な顔でじろりと睨んだ。
「…………明日来る。じゃあな」
ぼそりと告げるとリヴァイはサッとマントを付けその場を去って行き、ケビンはオロオロしながらエルヴィンを見上げた。
「あれ?リー、怒っちゃった?」
「いや。あれは照れてるんだよ。可愛いな」
クスクスと笑うエルヴィンを見ながら、ケビンはふふふっと頬を緩ませて、小さくなっていくリヴァイの後ろ姿を見ていた。
翌日。
リヴァイは朝早く馬を走らせケビンの家までやってきた。家の前にはケビンが外に出ており、リヴァイの姿を見付けると大きく手を振る。
「おはようリー!早いね」
「ああ、おはよう。お前も早いな」
「うん。親方とね、昨日から色々やってて目が覚めちゃった。ふふ、楽しみだね、リー」
頬を染めて嬉しそうにしているケビンの言葉の意味は分からなかったが、すぐに家から親方の格好をしたエルヴィンが出てきて、リヴァイは目を向けた。
「やぁ、おはようリー」
「ああ、おはよう。朝飯まだだろ。大したもんはねぇが適当に持ってきてやったぞ」
「本当か。助かる」
「やった、皆で朝ごはんだ!」
喜ぶケビンにリヴァイは指示を出し、三人はテーブルを囲んで朝食を食べた。
食事をしながらケビンは昨夜エルヴィンとたくさん話をした事、教えてもらった事を楽しそうに語り、青い瞳は穏やかな笑顔で聞いていた。そんな二人の姿を眺めながら、リヴァイもまた心穏やかに静かにパンを齧っていた。
食事を終え、三人はまた作業を開始する。
「ねぇ親方、この棚、これでいいの?ズレてない?ねぇ?リー」
「チッズレてるな。貸せ。これは俺の方が得意だ」
「……すまない」
「あはは。親方は小さい作業が苦手なんだね!昨日も……」
「こらケビン。それは内緒だと言っただろう」
苦笑いするエルヴィンにケビンが手を口に当てて笑う。
三人の関係は昨日よりも親しいものになっていた。ケビンが二人を慕うようになっていたが、家の中の修繕箇所は小さなもの。当初の予定よりも早く終わった。
エルヴィンは親方の格好から元の服装に着替え、三人で綺麗になった家を見ながらケビンが少し寂しそうな顔をした。
「……もう帰っちゃうの?母さん、帰ってくるまでいたら?お金だって、少しは払えるかもしれないし」
ケビンの言葉にエルヴィンがにこりと笑い、腰を屈めて目線を合わせる。
「お金は、泊めてくれた分と服を貸してもらった分で払ってもらっているよ。それに親方の本、とても面白かった。読ませてくれてありがとう。楽しかったよ。だがまた嫌な思いをするかもしれないから、親方とリーが家の修理をした事は、お母さんだけにしか話してはいけないよ?本の事も、他の人には内緒にする事。いいね」
エルヴィンの言葉に、ケビンがこくりと頷く。
「それから、兵士の事。すぐには無理かもしれないが、皆を嫌いにならないでくれ。きっと良い兵士もいる。必要な時は力になってもらうんだ。君の家族を守る為にもね」
「分かった」
「いい子だ。では、元気で」
「ありがとうな親方。ありがとうリー」
にっこりと笑うケビンに、エルヴィンとリヴァイは頷き答えた。そして、ケビンが頬を染めて笑みを浮かべる。
「親方も、頑張って。リー、良い夫婦になってくれよ」
突然の言葉にリヴァイは目を丸くした。
エルヴィンは隣でドキリとした顔を見せたが、リヴァイはじっとケビンを見つめると、静かに言った。
「夫婦だろうがそうじゃなかろうが、こいつが特別な事に変わりはねぇ。関係に名前がなくとも、他の所に行くつもりもねぇし、俺の帰る場所はもう決めている。ガキには難しいかもしれねぇが……。そういう特別もある」
そう言うリヴァイの顔はいつもと変わらずに無表情だが、どこか柔らかく穏やかに感じて、ケビンはふふっと頬を緩ませた。
「そっか。そうなんだね。やっぱり、ぴったりだ」
「あ?」
「ううん。ふふふ」
そんな二人の姿を見ながらエルヴィンは穏やかに笑い、手を振り続けるケビンを置いて、二人はその場を後にした。
「リヴァイの口から、『特別』が聞けるとはな」
馬の場所まで歩く途中、嬉しそうなエルヴィンの声が聞こえ、リヴァイは眉間に皺を寄せたまま前を向いて呟く。
「……俺も浮かれてたって事だ」
そう言うと、エルヴィンは笑みを浮かべリヴァイの方を向いた。
「では浮かれついでに、やはり『チュー』もするべきだったな。残念だ。今からでもするか?」
面白がっている男の笑みに、リヴァイはじろりと睨むと、隣に並んでいる大きな手をがしりと掴んでグイッと持ち上げ、その手の甲にチュッと唇を付けた。
「てめぇこそできもしねぇくせに。このチキン野郎め」
エルヴィンは、全くの予想外だったキスに目を丸くし、
ほわりと頬を染めた。
それを見たリヴァイも同じく予想外の反応にほわっと頬を染め、
眉を歪めてまた前を向き歩き出す。
「……いや。その……昨日照れたお前が可愛かったので……つい……そう返されるとは……」
「……クソ。うるせぇ。親方ごっこはもう終わりだ。黙ってろ」
二人は静かに、だが心をふわふわとさせ、頬を緩ませながら兵舎へと帰還していた。
■■
日差しの暑い午後。
リヴァイは左足を庇いながら歩き続け、見覚えのある家を見付けて足を止めた。
小さな一軒家は変わらずにそこにあり、リヴァイは自然と頬を緩ませてそれを見上げた。
『やぁ!リヴァイ!』
爽やかな笑顔で笑う男を思い出し、僅かに口角が上がる。
「……あれ?……リー、さん……?リーさんじゃないですか?!」
家の外に出ていた男がリヴァイの姿に気が付くと、声を出して慌てて駆け寄ってきた。黒髪の男はリヴァイの目の前で立ち止まると、にこりと人懐っこい笑顔で笑った。
「リーさんですよね!うわー懐かしいなー!俺です、ケビンです!」
大きくなったケビンはリヴァイが見上げる程の高さになっていたが、笑う面影と雰囲気に面影は残っていた。
「ああ。でかくなったが、変わってねぇなケビン」
「リーさんこそ、あの頃と全然変わってないですよ!でも、顔……怪我したんですか?大丈夫ですか?」
右目と唇の大きな傷を見てケビンが心配そうき呟く。
「まぁ、ちょっとした事故でな。近くまできたんで寄ってみたんだが、まだここに住んでたんだな」
適当に誤魔化しそう尋ねると、ケビンはにこっと笑顔に戻り話し出した。
「はい。親方とリーさんのおかげですから、大事に住んでます。母がとても喜んでいて、是非お礼をしたいってずっと来てくれるの待ってたんですよ。あ、それから、あの後父は無事に戻ってきました。今も元気に仕事してます。憲兵の人から申し訳なかったと謝罪までされて、親方の言った通りでした。兵士にもいい人はいました」
「そうか。良かったな。それで?ぴったりのパートナーは見つかったのか?」
「へへ。はい。まだ夫婦ではないですが、結婚の約束をしてるのでいずれここで一緒に住む事になります!」
「そうか」
幸せそうなケビンの話に胸をあたたかくさせていると、ケビンがキョロキョロと辺りを見渡す。
「あれ?親方は、一緒じゃないんですか?」
その言葉に、リヴァイはクスリと口角を上げる。
「ああ……あいつはちょっと遠くに行っててな。言っても聞かねぇ奴だから、まぁ仕方ねぇ。俺もこっちが落ち着いたら追いかける予定だ」
「そうなんですね!でも、大丈夫ですね。お二人の帰る場所は決まってるから」
にこにこと嬉しそうに語るケビンに、リヴァイもまた「そうだな」と素直に笑った。
「じゃあな。たまたま寄っただけなんだ。向こうに人を待たせてるんで、もう行く」
「え、そうなんですか?母にも紹介したかったな……残念だ。あ。また、お二人で来てくれますか?」
「いや、悪い。多分ここへは戻らねぇ」
「そうですか……。じゃあ、少し待っててくださいね!」
ケビンはそう言ってバタバタと走り家の中へ入って行くと、すぐに走って戻って来て、手の中の物をリヴァイへ差し出した。
それは木でできた二本のスプーンで、リヴァイは見覚えのないそれを不思議に思いながら首を傾げる。
「何だ?これは」
問いかけると、ケビンが楽しげに頬を緩ませた。
「これ、親方の作ったスプーンなんです」
「……あ?」
「ほらあの日、親方が泊まってくれたでしょう?二人で色々喋って、うちの父が母にプロポーズする時に手作りのスプーンを渡した話になって、親方も作ってみたらどうかって話になったんです」
初めて聞く話にリヴァイは目を瞬かせた。
「これ、親方があの夜に頑張って作ってたんですよ。でも結構苦戦してて、家の修理は得意なのに小さい作業は苦手ななんだねって笑ったら、リーには内緒だぞって約束させられました」
もう一度見るそのスプーンは、確かに少しいびつで、少しガタガタしている。
「まぁ僅かな時間でしたしね。できあがったらプロポーズするんだろうと思って、俺ワクワクしてたんです。でも、お二人が帰ってからごみ箱を見てみると、これが捨ててあるのに気付いて。後から思い出したんですけど、これ作ってる時に親方言ってたんですよね。俺、その時眠たくて記憶が曖昧だったんですけど……。夫婦の形に拘らなくても、特別はずっと続くんだよって。長くても短くても、もし離れ離れになったとしても、そばに居る。ずっと続いてゆく。帰る場所は心に決めているから、そんな特別もあるんだよって……」
『だからこれは渡さないと思う。それでいいんだ。これは……そうだな。親方からリーへの気持ちなんだ。こうやって、ケビンと一緒に作れた時間だけで幸せになれたよ。ありがとう。――ん?渡した方がリーは喜ぶって?ふふ、そうかな。ガタガタで使いにくいぞって怒られないかな。そうだね、もしも……もしも、どこかの未来で渡せる日が来るのなら。その時はもっと、綺麗に上手に作れるようになって、――ヴァイを驚かせたいな』
ふわりと、優しく照れくさそうに笑う男が目に浮かんだ。
「あれ……?そういえば、親方、リーさんの事違う名前で言ってたような……。すみません。何か曖昧で」
「……いいや」
申し訳なさそうな顔をするケビンは、柔らかく幸せそうな笑顔を向けてくるリヴァイに、思わずドキリとした。
「で、でも、大体は合ってると思います。そんな話をして、俺いつの間にか眠ってて。まさか捨ててるなんて思ってなくて、見付けた時はどうしようと慌てて、で、その話を思い出して……。でも……あんなに嬉しそうに作ってたのにもったいないなと思ったんです。だから、親方との内緒の約束は破っちゃいますが、いつかお二人が遊びに来てくれたら渡そうと思って、大事に取っておいたんですよ」
にこりと自慢げに笑うケビン。
リヴァイはスプーンを手に取り、静かに微笑んだ。
「ありがとうな。これは、俺が貰っておく」
リヴァイはケビンに手を振り家から離れると、歩きながらポケットの中のスプーンに触れた。
「……どうする?お前の内緒が、俺の手の中にきちまったぞ」
楽しげに、空に向かって呟いた。
「まぁ、そこから困った顔で見ていろ。ガタガタで使いにくそうだからな。窓辺のいい場所に飾ってやる」
そう言って口角を上げ、窓辺の棚に並んだ不格好な二つのスプーンを想像し、嬉しそうにゆっくりと、リヴァイは歩いて行った。
~epilogue~
「わぁ!エルヴィン君おりがみ上手だねー。カエルさんかわいいー」
「うん。小さいときからたくさん練習したんだ。上手に折れるように。ほら、こっちはてんとう虫だよ」
チューリップ組の教室では、園児たちが楽しそうに折り紙を折っていた。
そこに、ガラリと戸が開いて先生が入ってくる。
「はーい。みんな、新しいお友達ですよー。仲良くしてねー」
その声と共に顔を出したのは、小さな黒髪の男の子。
不安そうなグレーの瞳はふるふると震え、手に持っているピンク色のうさぎをぎゅうっと握り締めている。
「わぁー!よろしくねー!」
園児たちがわいわいと騒ぐ頃、エルヴィンは目をまん丸にして頬を染めた。
「ねぇねぇ、お名前なんて言うのー?」
「どこから来たのー?」
「仮面ニャイダーのなかで、だれが好きー?」
取り囲むようにして質問する園児たちの後ろで、エルヴィンはせっせと折り紙を折り始めた。そして。
「はい!」
緊張した様子で座り込んでいる黒髪の子の前に来ると、エルヴィンは手のひらをずいっと差し出した。
その手の上には、金色の折り紙で作った綺麗なスプーンがある。
「ぼく、いっしょうけんめい練習して、上手に作れるようになったんだよ。えっと……大事な子に、渡したくて。はい。君にあげる」
頬を染めてそう言うと、グレーの瞳はぱちくりと大きくなった。そしてゆっくりと嬉しそうに細まると、目を潤ませて微笑む。
「あーっ!センセー!エルヴィン君が、新しいおともだち泣かせてるよー!あれー?笑ってるー?泣いてるー?変なのー!」
騒ぎ始めた教室の中で
小さな二人は並んで座り
小さな手をきゅっと繋いで、嬉しそうに笑っていた。
END