たからものを握り締めて「ええっと……何処だ、ここ……?」
「僕が知るわけないだろ」
ほとんど独り言のようなものだったのだが、カインの問いに隣にいるオーエンが応じる。不機嫌さを丸出しにした声音だったものの、会話をしてくれるあたり、まだ完全にへそを曲げるまでには至っていないようだ。狭い空間に二人きりというこの状況で暴れられては堪ったものではないので、少し安心した。
そう、狭い部屋だ。狭いといっても、魔法舎の自室と同じくらい――というか、形も含めてまったく同じような気がする。違うのは白い床と壁以外、何もないということ。
オーエンと廊下で立ち話をしていたら、突然スノウとホワイトが呪文を唱える声が聞こえてきて、気付いたらここにいたのである。ドアも窓もないので、脱出方法を考えなければならない。……そもそも、こんな所に閉じ込められた理由がわからないのだけれど。
「騎士様が暇そうにしてるから、あいつらに絡まれたんだよ。僕を巻き込んだ責任、ちゃんととってよね」
「いや、おまえだって何をするでもなく廊下をうろうろしてたじゃないか」
「は? たったそれだけの理由で僕を暇人だって? それって決めつけじゃない? 傷つくな……」
「わ、悪かったよ……」
確かに決めつけるのは良くない。以前、反省したじゃないか。反論するオーエンから妙な気迫を感じるので、何か意図があって廊下をうろついていたのだろう。……多分。
彼の事情は良くわからないが、カインが暇をもて余していたのはその通りだった。昼前には鍛練を一通り終えているし、任務もない。今朝から何やら慌ただしくしている仲間達を手伝うのは――そうしている理由に察しがついているだけに――絶対になしだ。ならば本でも読むかと図書室に行ったら、リケに「カインは入っちゃだめです!」と追い出された。秘密の準備に使っていたのだろう。仕方なく部屋に戻ろうとしたところで、うろうろしているオーエンに遭遇したのである。
「スノウ様達が何をしたかったのかはわからないが、とりあえず出る方法を探そうぜ。魔法で壁を壊せないかな?」
「……やってみれば」
「よし! グラディアス・プロセーラ」
壁に手をあてて呪文をとなえたのだが、びくともしない。……というより、魔法自体が発動しなかった。
「あれ?」
「やっぱりね。無駄に強い結界が張られてるから、魔法が思うように使えないんだ」
「それって、おまえでもか?」
返事の代わりに「ちっ」と忌々しげな舌打ちが返ってくる。なるほど。無理なんだな。
「困ったな……」
他に方法はないものか。何か手掛かりは得られないかと改めて部屋の中をぐるっと見回してみる。すると、四隅のうちの一つに先程まではなかったはずの小さなテーブルがあった。その上には一枚の紙。文字が書かれているようだったので、近づいて確認する。
『◯◯しないと出られない部屋! なのじゃ!
◯◯の部分は自分たちで考えてね☆
二文字とは限らないぞ☆ スノウ&ホワイト』
「…………は?」
カインの後ろから紙を覗き込んでいたオーエンから、とてつもなく低い声が聞こえてきた。まあ、気持ちはわからないでもない。カインにも意味がさっぱり――
(いや、ちょっと待てよ)
ふと思い当たったことがあった。
「これ、あれじゃないか?」
「あれ?」
「ほら、オーエンも前の賢者様に聞いたことあるだろ」
「そんなのいちいち覚えてるわけないだろ」
「ええっと……確かえもい……? 関係性の二人がある日突然突っ込まれる部屋で、協力してあることをしないと出られないんだ。一番一般的なのがセッ……」
「それ以上言ったら壁に埋める」
「なんだ。覚えてるんじゃないか」
そういえば、スノウとホワイトが「面白そうじゃ!」「魔法みたいな部屋じゃの!」と興味津々だった覚えがある。そこまで昔の話ではないはずなのに、妙に懐かしい気持ちになってカインは苦笑した。
「はは。あっちも暇で、俺達と遊びたかったのかな……?」
「僕達で遊ぶの間違いだろ。ここから出たらすぐに殺してやる」
「うーん……じゃあ、まあ……どうする?」
「は?」
「出るんなら……しないとだろ?」
「……」
「……」
オーエンが黙ったのでカインも黙る。それなりに長い沈黙の後、オーエンがゆっくりとしたテンポでテーブルを爪で叩いた。
「◯◯が殺し合いの可能性もあるよね……?」
「こらこらこら」
すぐにでも踏み込んできそうな彼を手の平で制する。絶対にそれはないだろうということは前提として。殺し合いをさせたいのなら魔法の制限などしないはずだ。
「正解はわからないが、一番可能性が高いものから試すのが良いと思わないか? スノウ様達だって前の賢者様の話を覚えてたんだろうし」
「可能性が高いのって、要するにヤるってことだろ? おまえ、こんなくだらないことで僕とやれちゃうわけ?」
「それしか方法がないとしたら、やるしかなくないか?」
「変な方向に潔いのやめてくれない!? 騎士ってそういうんじゃないだろ!」
「急に怒るなよ!?」
珍しく声を荒らげるオーエンを見て、自分もこのイレギュラー過ぎる状況に対し、少なからず冷静さを欠いていることに気付いた。心を落ち着かせる為一度息を吐き出してから、彼が望んでいそうな言葉を続ける。
「そりゃ嫌か嫌じゃないかって聞かれたら、普通に嫌だが――」
「はあ!?」
「なんだよ。嫌がって欲しいんじゃないのか!?」
面倒くさいな、本当に。
オーエンは苛立たし気に己の前髪を右手で掻き混ぜた。
「おまえ、そんなにここから出たいの」
「出たい。今日はさ、俺がいないとみんながっかりしちまうんじゃないかと思うんだよな」
今日が八月六日でなければスノウとホワイトの遊びにゆっくり付き合ってやっても良いのだけれど。皆が朝早くから――否、数日前から準備を進めてくれていることをカインは知っている。何としてでも、今日中にここを脱出しなければ。
「……はあ」と、呆れたような溜息が目の前の男から漏れた。
「……僕が上ならやってやってもいいけど」
「本当か!?」
もっと揉めるかと思っていたのだが。思いがけずオーエンから同意を得られ、尋ねる声は自然と大きくなる。――が、すぐにある事が引っかかった。
「俺も上がいいんだが……」
「じゃあ、やらない」
「えぇ……」
ぴしゃりと、交渉の余地を断ってくるオーエン。良く考えなくても条件付きとはいえ彼がカインに協力的なのは大変珍しいことだ。ここでこちらが退かなかった場合、彼の協力を永遠に得られなくなる可能性が非常に高い。その状況だけは絶対に避けなくては。
さて、どうしたものか。
カインは考えた。時間にすれば然程長くなかったのかもしれないが、かなり真剣に考えた。
(めちゃくちゃ抵抗はあるが、そんなこと言ってる状況じゃないしな……。どちらかがやらないといけないんだ。一回くらい、犬に噛まれたもんだと思えば……いや、ケルベロスに噛まれるよりは全然良くないか? めちゃくちゃ抵抗はあるが……うん。ここは、俺が――)
考えて、頷く。
「……わかった。おまえが上でいいぜ」
「なにその譲ってやるかみたいな感じ」
せっかく彼の思う通りになってやったのに、いちゃもんをつけられた。少しだけむっとしつつ、言い返す。
「いやだって実際譲ってやってるからな」
「……は?」
「俺、男としたことないし、怪我とかさせたくないってのもある」
「僕もないけど」
「おまえは……ほら、良く俺を痛めつけるのが好きって言ってるじゃないか」
「へぇ。騎士様は痛めつけられたいんだ?」
「そういうわけじゃないんだが……。なんというか、おまえが痛い思いするよりはましかなって……」
一瞬の静寂。
ギロリと、鋭い眼光がカインを射抜いた。
「ねぇ、それ遠回しに僕が下手そうって言ってない?」
「ん?」
なんだって?
「馬鹿にするなよな」
「いや、違……うわっ!?」
何を尋ねられたのか理解し、否定しようと口を開いた時にはもう遅い。オーエンに肩を掴まれ、そのまま壁に押し付けられる。
彼は口の端を吊り上げていた。とても愉しそうに。
「どろっどろにしてやるよ」
「お、お手柔らかにな……?」
そんなわけで。
「なんで出られないわけ!?」
オーエンが靴を壁に投げつける。事を終え、乱れた服を直しつつ少しだけ待ってみたものの、部屋に変化は生じなかった。ちなみにオーエンが投げたのはカインの靴なのだが、上半身を起こすのが精一杯の今、回収しに行くのは難しそうだ。存外――否、かなり戸惑うレベルで丁寧に抱かれた気がするが、体への負担はやはり大きい。
「あー……これじゃなかったか……んんっ」
声が少し嗄れていたので、誤魔化すようにカインは咳ばらいをした。
「だったらなんなんだよ」
「キス……は、何かどさくさに紛れてしちまったから違うよな」
「は? してないだろ」
「いや、しただろ、おまえからだったぞ」
「してない」
「キスも違うってなると――」
「聞けよ」
違うとなると、なんだろう。前の賢者は主に恋人同士がするようなことをさせられる部屋だと言っていたような覚えがあるのだが。
唸りながら考えていると、オーエンがこちらと目線を合わせるように正面でしゃがんだ。伸びてきた手がカインの顎を掴む。くくくと、彼は喉を鳴らした。
「さんざんだね。せっかくの誕生日にさ。可哀想な騎士様」
ぱちぱちと、瞬きを二回。何やら意表を突かれたような気分だった。
「なんだ、俺の誕生日覚えててくれたんだな! 全然祝ってくれないから忘れられちまってるのかと」
「ちっ」
舌打ちと共に顎から手が離れる。けれど、オーエンの様子から照れ隠しのようなものではないのかと感じられた。
触れる手が、妙に優しかったから。錯覚しているのかもしれないけれど。
自然と頬が緩んでしまう。
「で?」
「は?」
「祝ってくれないのか?」
「……」
祝うわけないでしょ、とは言われなかった。だから、待つ。顔を色々な感情が入り混じったような複雑さで歪めていくオーエンが、次の言葉を発するまで。
「……お」
「お?」
「ちっ」
……舌打ちが多いな。
彼はズボンのポケットに手を突っ込んだ。握り込んだ何かをカインの胸に押し付けてくる。
「おまえにはこういうおもちゃがお似合いだよ。あかちゃんの騎士様」
「あかちゃんって……ん?」
オーエンが押し付けてきたものを手の平の上に載せたカインは、それが何なのかに気付いて再び目を瞬かせた。剣モチーフのネクタイピン。
……まさか、とは思うけれど。
「これ、俺にくれるってことで合ってるか……?」
「こんなガラクタ、僕がいると思う? ケーキを食べに行ったらたまたまおまけで付いてきたんだ。騎士様がつけたらさぞ間抜けだろうなと思って」
「格好良いじゃないか! ありがとな!」
「そ――」
礼を伝えたカインに、オーエンが何か応じようとした瞬間である。視界が突然真っ暗になった。あっと思った時には回復したが、景色ががらりと変わっている。数時間前にオーエンと会話をしていた、自室に続く廊下に。
「脱出おめでとー!」
「正解はオーエンちゃんがカインちゃんの誕生日を祝わないと出られない部屋でしたー!」
スノウとホワイトの声。
どうやら偶然にも正解に辿り着いていたようだ。「そんなのわかるわけないだろ」と吐き捨てるようにオーエン。カインは駆け寄ってくる二人とハイタッチをする。
「我らからもおめでとうー!」
「はは。ありがとう」
妙な勘繰りをされないうちに、カインは立ち上がった。普通にふらついたが、オーエンが二人に見えない位置に手を添えて支えてくれる。珍しいこともあるものだと感動したのも束の間、耳元で「勘付かれたら殺す」という囁き声がした。……まあ、そうだよな。
「それにしても随分と時間がかかっておったの」
「何をしておったのじゃ?」
「いや、色々試してみようぜって提案したんだが、オーエンがなかなか応じてくれなかっ……いたっ!? なんだよ、ちゃんと誤魔化してるだろ!?」
足を蹴られたので抗議したら、オーエンは「ふん」と鼻を鳴らし、双子達を見据えた。意地悪く、彼の口が吊りあがっていく。
「ねえ、今度はもっと面白い遊びをしようよ。ケルベロスとのおいかけっことかどう?」
「えっと。我らそれあんまり楽しくないかも」
「じゃあ、かくれんぼだ。特別に五秒だけ数えてあげる」
「きゃーっ!?」
オーエンがトランクを掲げたのと同時に、弾かれたように駆け出すスノウとホワイト。
「カイン、パーティーの準備はもう整っておるからのーっ!」
「我らが責任持ってオーエンを連れていくゆえ、安心するのじゃぞー!」
「勝手なこと言うな」
「ぎゃーっ!?」
大変賑やかな様子で廊下の向こうに消えていく三人を苦笑いしながら見送った。……大丈夫だろうか。まあ、例え双子が失敗したとしても、なんだかんだオーエンはパーティーに顔を出してくれるのではないかと思っているけれど。
(変なところで律儀だからな、あいつ)
それにしたってプレゼントを用意してくれていたのは予想外だった。
手の平のネクタイピンに視線を落とす。おまけだと言っていた割には造りが精巧だ。
「……やっぱり格好良いと思うけどな」
笑って、それをそっと握り締めた。
とても大切な宝物のように思えたから。
「無事に渡せたようで良かったの」
「オーエンちゃんってば何時間もあれを握り締めて廊下をうろうろしてるもんだから、我らお節介やきたくなっちゃった」
「嘘つくな。楽しんでただけだろ」
「そんなことないもん!」
「ないもんね」
「あのさぁ、まさか見てないよな、あいつの……」
「カインの?」
「何をじゃ?」
「……っ! なんでもない」